2008年6月30日 (月)

Anammy Awards 2007

成人の日も終わり、調子が狂った年末年始も元通りになってきたころでしょうか?

 アメリカン・ミュージック・アウォードが一ヶ月前に開催され、各業界紙の年間チャートも年末に発表され、本家グラミー賞を一ヶ月後に控える現在、私阿南東也(あなみはるや)が勝手に個人的に好きだった音楽を独断と偏見で振り返る、権威も何もない「アナミー賞」の発表が今年もやってまいりました。

 この場をお借りして三回目。ZIP Hot 100の年間チャート時に読んでいただいていた時代は遠くなりにけり。

 克也さんは、DJ KOBYの昨年末の放送でアメリカのラジオのフォーマットについていろいろおっしゃってました。私も何度かここでも書いていますが、私のラジオ生活とはインターネットのストリーミングでアメリカのラジオを聴くのが中心です。今年は夏に危機的状況がありましたがその後いろいろ裏技サイトも出てきて何とか持ち直しているようです。

同じフォーマットでも局ごとに選曲に傾向があってラジオ局めぐりが本当に楽しいのですが、僕が聴いている割合は、HOT ACAAA 三割、アダルトヒッツ(708090年代)三割、AC二割、オールディーズ一割、アーバンAC一割、といった感じでしょうか。以下のノミネートもこの僕の傾向をモロに反映してしまうでしょう。

     最も気に入ったシングル曲

Hey There Delilah

1、 Plain White T’s “Hey There Delilah”

  去年はこの曲でした。やっぱり僕みたいにかなり前から音楽を聴いている人だと、この曲に何か感じるものがあるんじゃないでしょうか。素朴で、バックはアコギの2フィンガーピッキングでずっと流れる。このあたり僕なんかはポール・サイモンを思い出してしまいました。

  デライラとは実在の女性で、今年のオリンピックに向けて強化選手にもなった陸上選手だという。ヴォーカル、ギターのティム・ヒガーソンは、当時コロンビア大学に通っていた彼女と共通の友人を通じて知り合った。彼女に何か感じるものがあり、君のために曲を作るよ、と約束してその場は分かれた。3年くらいたって偶然再会して、あのときの約束はどうなったの、と聞かれて、それで改めてそのときの想いを思い出して曲を作ったという。

 彼らの2005年のアルバムに入っていた曲ですが今年のアルバムでボーナストラックに入っていたので火が付きました。

The Black Parade

2、 My Chemical Romance “Welcome to the Black Parade”

これは中ヒットでしたが印象に残りましたね。クラシック調からだんだんハードになっていって、スケールの大きさを感じた曲でした。これも古い音楽ファンならクィーンの「伝説のチャンピオン」に通じるものを感じた人も少なくないのでは。ビデオも、気味悪さ半分、かっこよさ半分でよかった。

FutureSex/LoveSounds

3、 Justin Timberlake “What Goes Around…Comes Around”

R&Bから一曲、ジャスティンではちょっと違和感があるかもしれませんが、アメリカン・ミュージック・アウォードでもR&B男性アーティスト部門で大活躍したし、去年はヒット曲も多かったので。この曲のコーラスの高音部も、ちょっとフィラデルフィア・ソウルを思い出してしまいます。

☆最も気に入ったアルバム

Long Road Out of Eden

1Eagles “Long Road Out of Eden”

  ははは、やってしまいました。この人たちが出してきた以上、僕としてはここにきてしまいます。

 79年の「ロング・ラン」が最後のオリジナルアルバムとすると28年ぶり、CD2枚組。

なんか音としては「ホテル・カリフォルニア」以前、「オン・ザ・ボーダー」あたりのカントリー・ロックに戻ったみたい。シングル「ハウ・ロング」は”Already Gone”そっくりです。というか、この曲自体、実は彼らにとっては新曲ではなくて、70年代前半からライヴでやっていたレパートリーで、それを改めて録音したんですね。この曲でカントリーチャートに入り、記録を作りました。同一アーティストが最も長いブランクを経て復活した、というものです。イーグルスがこれ以前にカントリーチャートに入ったのは76年の”Lyin’ Eyes”「偽りの瞳」で、31年ぶりというわけです。曲を作ったのはJ.D.サウザー。イーグルスは、ジャクソン・ブラウンをはじめ、スティーヴ・ヤング、ジャック・テンプチンなど、西海岸で多くの新人作曲家を発掘しましたが、発掘される前のJ.D.の曲だったというわけです。

Daughtry

2Daughtry “Dautghtry”

 過去二年、ニッケルバック”All the Right Reasons”がここ辺りに入ってきていて、実は去年も彼らはそれで引っ張った。実に息が長い。でも今年は敢えて外してみました。その代わり、去年一年は、ニッケルバック・リスペクターというか、クローンというか、似たような傾向のロックが結構出ていたような気がする。ヒンダーしかり。そして極めつけはやっぱりドートリーでしょう。”Home”  “It’s Not Over”とヒット曲も多かった。彼らは、ニッケルバックに似ているといわれることは、誇りに思っているそうです。それだけ成功したグループだし、自分たちの目標であるからだ、と。

It Won't Be Soon Before Long

3,  Maroon 5 “It Won’t Be Soon Before Long”

  あまり難しく考えず、このあたりをよく聴いていたということですね。”Makes Me Wonder” ”Wake Up Call”なんかが好きだったし。

☆最も頭の中をグルグル回った曲

Rhianna “Umbrella”

リアンナちゃんはポン・デ・リプレイ以来、一年ごとにその夏のテーマ曲を作っているような気がします。「エラ・エラ・エー・エー・・・」というコーラスは、やっぱり頭の中に残ります。去年までも、頭の中をグルグル回った曲でノミネートされていましたが、今回はちょっと意味合いが違います。この曲あたりから、彼女はなんか実力派として大化けしそうな雰囲気を感じてきました。「スーパースターになった私だけど、まだあなたは私の心の中の人、私の傘の中に入って甘えていいのよ」なんて、本当に彼女にそういう存在がいるのだろうか。うらやましい。

     特別賞

「おしりかじり虫」

「最もくだらないと思った曲」賞は今回は該当なし(ZIP-FMを聴かなくなったせいか?)。そのかわり、「マツケンサンバ」以来、この部門が復活。

子供がいて、一緒にテレビを見ていると、こういうのにも詳しくなってきます。このキャラクター自体が、「ダメおやじ」の漫画に出てきた虫と似ていて盗作問題が持ち上がっているそうですが、この曲、リズムは Prince “When Doves Cry”にクリソツ、と思っているのは僕だけでしょうか。

     最も気に入ったビデオクリップ

The Best Damn Thing

1、 Avril Lavigne “Girlfriend”

  新婚の彼女が何役もこなして、曲の元気さが出ていてよかったですね。地味な女の子と派手な女の子のボーイフレンドの取り合いで、ちょっとしたストーリーもあった。

オール・ザ・ライト・リーズンズ

2Nickelback “Rock Star”

  ここら辺には出てきてもかまわないでしょうね。同じアルバムで3年間引っ張ったニッケルバック。

 僕がおそらく今までで一番好きな音楽ビデオは、Godley & Crème “Cry”なんでしょうけど、このロックスターのビデオがちょっとそのコンセプトをちょっと引きずっていたということで。セレブが矢継ぎ早に出てきて口パクで歌う。そういえば”If Everyone Cares”のビデオも、マイケル・ジャクソン”Man in the Mirror”から頂いているような気がしました。

2008年、今年はどんな曲にめぐり合えるのでしょうか。

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2008年1月 5日 (土)

Bandstand Boogie!

 あけましておめでとうございます。

 この連載を読んでくださっている奇特な方々には初めての年賀。本年も困難ですがよろしくお願いいたします。

 克也さんには二度目です。100_0001

 なんと今年は、克也さんと同じ場所で新年の瞬間を迎えることができました。

 「ベストヒットUSA年越しROCK時間生スペシャル」に幸運にも参加できたのです。

 こいつああ春から縁起がいいぜ!

 

 大晦日の新幹線はガラガラでした。夜九時に原宿駅に降り立ったら、既に明治神宮に二年参りに向う人たちでごった返していました。

 克也さんにも久しぶりにお会いできたので、2時間前に局入りなさった克也さん、甲斐さんに御挨拶。

 私は実は過去に、外部委託専門家として某公共放送局に一年間ほぼ缶詰状態でドキュメンタリー番組製作の手伝いをした経験があり、その折にも大河ドラマの撮影スタジオとか頻繁に見せてもらったりしていて、そういう番組作りの裏側は結構知っているほうなのですが、音楽番組の生放送の現場は初めてでした。

 克也さんの日記を拝読し、ラジオもそうなのかと思ったのですが、その公共放送にはとにかく多くの人がひとつの番組にかかわっていると思いました。

 それに比べて今回のベストヒットUSAは、公開といっても観衆は100人、ライブ会場をもっと小さくした感じ、こぢんまりとした感じ、現場の人も思ったほど多くなく、何度か参加したことのあるラジオの公開放送の規模をやや大きくした感じでした。

 それでも、いくら生放送でも、本番前にはほとんど出来上がっていなければいけないのはどんな番組製作でも同じこと。それまでに多くの方々が準備に携わっています。

 そして克也さんはオーケストラの指揮者。ミュージック・マスターですね(笑)。オーケストラの指揮者の仕事は、実際にタクトを振る瞬間まで90パーセントは終わっている。その最後の10%の仕上げをするのが本番。

 (いい意味でも悪い意味でも?)克也さんは凄いお方だ、という事実を今更ながら確認できた生放送でした。

 本番までの二時間の間、そのあと六時間流れるビデオを早回しで確認する。スタッフの方が作ったそのビデオ、アーティストに関する情報の細かい台本が用意されていたのですが、本番ではそこからのネタは最小限に抑え、ほとんどご自分の経験話で番組を作ってしまう。スケベなスティーヴィー・ワンダーとか、”Bang a gong”=ズッコンバッコンとか、深夜ならでは、しかし正月であることを考えるとちょっと?な裏話も飛び出す。

Brothers in Arms

 視聴者クイズ、このCGキャラクターが使われているビデオのアーティスト、曲名は?しかし当の克也さんが一瞬、曲名が出てこなかったみたいですね。それでも、「ほら、見ろよ、あのオカマ、MTVでギターなんか弾いちゃって、指に豆作っちゃって、あんなの仕事じゃねえよ、あんなんで大金持ちになれるんだったら俺もギターかドラム習っとくんだったな、俺たちはあのオカマの冷蔵庫とカラーテレビを動かすために汗水たらしてんのによ」と、歌詞の内容でつないで番組を作ってしまう。

アビイ・ロード

 観客に向けてのジャケットクイズの第一問。「アビー・ロード」が逆さまだった。あれは意図してやったのかな?それとも。。。いずれにしろ、何も不自然なことなく番組を進行させてしまう。

グレイテスト・ヒッツ

 九州のアレステッド・ディヴェロプメントと電話でつないで新年の瞬間へのカウントダウン、でも向こう側はわかってなくて勝手に別のことをやっていたみたい、でもそれも生放送らしくていいかも。

 スタジオに来ていた皆さんは私と同年代、やや下がほとんどで、みんな音楽が大好きで,年越しの瞬間にこの場所に居たいと思ってた人たちだったということ、進行への参加の仕方や盛り上がり方でひしひしと伝わってきました。

 あっという間の6時間でした。スタッフの皆さんもそういっていました。来ていた人たちもきっとそう思ったのでは。投稿にあったけど、視聴者の人、来場者のみんな、来年もやってほしい、できたら恒例行事にしてほしい、って思ったんじゃないでしょうか。

 終了後、スタジオはすぐに元に戻されて、兵共が夢の跡。皆さんと軽い打ち上げをして、出たのが朝6時。もう明治神宮はその時間から、賽銭を投げられるのは正午になってしまうという。元旦6時台の下りの新幹線は全席満席、7時の一番最初のやつがかろうじて取れました。その朝、なんと品川-新横浜間で富士山を見ることができ、右に一富士、左に初日の出という、なんか凄い光景を見ることができて、これも得した気分でした。私はたぶん新幹線を利用する回数は並じゃないと思いますが、品川から見たのは初めてで、一番見えやすいはずの新富士-静岡間でも見えるときより見えないときのほうが圧倒的に多い。それがそんな光景を見ることができるなんて。今年はいい年になってほしいな。

 克也さん、甲斐さん、杉田さん、川岸さん、番場さん、井黒さん、本当にありがとうございました。本年もよろしくお願い申し上げます。

Tryin' to Get the Feeling

 Bandstand Boogie,アメリカの最も代表的で長寿だった視聴者参加番組、アメリカン・バンドスタンド。ディック・クラークが1956年にフィラデルフィアでスタートさせて、ディックのDJでそのときのヒット曲のレコードを書けながら、参加者をステージに上げて踊らせる、ゲストに演奏させて、やはり踊らせる(ほとんど口パクだったらしいから、結局同じことか)。バリー・マニロウがその番組に敬意を表して50年代風の曲調で、「歌の贈り物」のアルバムで発表したのですが、そのすぐ後、そして番組が終了する89年までオープニング、クロージングテーマとして使われました。

 今でも、名場面を集めたBandstand Flashbackという番組があるようです。

 最も成功して大金持ちになったDJ、アメリカン・ミュージック・アワードも作ったディック・クラーク。僕のアメリカのミュージシャンでの唯一のメル友(?)グレッグ・キーンはバンドスタンドには一度だけ出演したことがあるそうですが、最近になって、飛行機の中で偶然この二人は居合わせて、グレッグがディックに近寄ったら、ディックのほうから「ジェパディのグレッグ・キーンだろ。バンドスタンドに出てくれた人は一人も忘れない」と握手を差し伸べてきたそうです。

 ベストヒットUSA81年から始まり、89年からいったん中断、それから克也さんの自主制作シンジケート番組時代を経て、現在はBSでの全国放送、と形を変えてきていますが、長寿からいけばもう少し(?)でバンドスタンドの記録に追いつけるかも。がんばってみては?

 次回は恒例、アナミー賞の発表かな?

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2007年12月26日 (水)

Same Old Lang Syne

クリスマス特番おつかれさまでした。

子供の相手もしなければならなかったし(選曲もNHK的に普通だと思ってしまったので)全ては聴けませんでした。すみません。

克也さんが番組内でおっしゃっていた、「世界が宗教だなんだで争っている現在、日本の、盆も正月もクリスマスもバレンタインも一緒に盛り上がる無宗教性、よく言えば縁起物ならなんでも受け入れる度量の大きさ、悪く言えばいい加減さは、今の世界に新しいモデルとしてもっと発信してもいいんじゃないか」という発言、あれは私の、911同時多発テロのあった2001年のクリスマスの時期の番組への投稿ネタですね。あの時のZIP HOT 100のオープニングトークでは、街のクリスマスの盛り上がりに、日本には元来関係ないお祭りのはず、騒ぎすぎ、みたいなことをおっしゃって(私も実はその部分には賛成なのですが)、それへの反論として書いた覚えがありますから、小生の考え方に同調してくださったのですね。光栄です。

前回、亡くなってしまったアイク・ターナーに関する徒然を綴り、そうしている瞬間にもまた惜しまれるアーティストの訃報が届いた、と書きましたが、やはりその人に関して一言申し上げて、本年最後のお勤めとさせていただきましょう。

ダン・フォーゲルバーグ。1216日逝去。享年51歳。若すぎる。

1956年イリノイ州ピオリア生まれ。

ちなみに話は全く外れますが、このピオリアという町だか村だか、何もないところなんですけど、なぜか最もアメリカらしい平均的な町の代表格として会話に用いられることがあります。

1973年、ウォーターゲート疑惑の真っ最中。ニクソン大統領は大統領執務室での会話を全て録音しており、それが大陪審の命令により、ニクソンが大統領特権で拒否した部分を除いて部分的に公開されました。その中でニクソンがこのピオリアという町の名前をやたら出していました。私がこういう発言をしたり、こういう政策を発表したらピオリアの人たちはどう思うだろうか、云々。

当時、A新聞ワシントン特派員だった筑紫哲也さん。いったいこの町に何があるんだろうと思って地図を広げて探してみたら、シカゴの近くにある何の変哲もなさそうな町。意外な感じもしたが、それでもニクソンがそれだけ言うのだからきっと何かあるに違いないと思い、ある日思い立って行ってみたら、やっぱり小麦畑しかないなんてことのないところだった。

結局のところ、大家族、農業、信仰心の深さなど古き良き時代の典型的なアメリカのライフスタイルを残していて、最も平均的でつまらない場所、しかし政治的には面積は広く人口も多く無視はできない中西部という地域を、何かのきっかけでこのピオリアという町がアメリカ英語で代表するようになったのではないか、ということでした。

筑紫さんも早くもっと元気になって完全復帰してくださいね。

閑話休題。

その最も平均的にアメリカ的な町で生まれたダンは、一言で言えば、男性版ジョニ・ミッチェル、とでも言ったらいいようなアーティストに成長しました。

彼は先ず画家を目指し、イリノイ大学に行っても絵画を専攻します。ミュージシャンになった後もアルバムの表ジャケ、裏ジャケ、中ジャケのどこかには彼自身が描いた絵を見ることができた。これもジョニそっくり。

しかし同時に、ギターを中心に、ピアノも、ヴォーカルも出来るマルチプレイヤーとしても才能を発揮し、大学時代から音楽活動を始めます。しかも叙情的で内政的な詩を多く書く。

ホーム・フリー(紙ジャケット仕様)

72年のデビューアルバム「ホームフリー」は、ローリングストーン誌のレビューで「まるで一人でクロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング(CSN&Y)をやっているようだ」と絶賛されました。

それはまだ彼が10代の頃に書いた曲の数々だったはず、ところが、例えばそのデビューアルバムの最後の収録曲「リバー」など、「僕の人生は心の痛みで流れる涙の川」なんてリフレインが続く、まるでこれから死んでしまうような、既にベテランの域に達していたような音作りでした。

Souvenirs

74年の二枚目のアルバム「アメリカの思い出」はまだイーグルスに加わる前のジョー・ウォルシュがプロデュース、ドン・ヘンリーやグレン・フライ、アメリカのジェリー・べックリー、そしてそのCSN&Yのグラハム・ナッシュなど有名どころがゲスト参加するようになり、「パート・オヴ・ザ・プラン」という最初のヒットも出て、西海岸サウンドを担うシンガーソングライターの一人として認められました。

ツイン・サンズ・オブ・ディファレント・マザーズ

78年には、ジャズフルート奏者のティム・ワイズバーグとの競演で、収録曲がほとんどインストロメンタルで、ウエストコーストロックとジャズの融合を目指した斬新なアルバムを発表します。タイトルがTwin Sons of Different Mothers(異母双生児)だって。ちなみにこの二人はその20年後にその続編のアルバムを発表しますが、その時のタイトルはNo Resemblance Whatsoever(顔は全く似ていない)で、笑ってしまいました。結構、二人とも馬面で似ていたのですが。更にちなみにやっぱりこの二人、名前からしてユダヤ系つながりだったんでしょうね。

Phoenix

日本で何かのテレビCMに使われた「ロンガー」、79年の「フェニックス」というアルバムから、そして81年の二枚組「イノセント・エイジ」あたりから大ヒットを連発するようになり、地位を不動のものとします。

イノセント・エイジ

「一歩間違えればさだまさし」と言った人がいるとかいないとか。アコースティックギターを基調とする、フォークロックが中心、それでも美しさの中に時に力強さも感じさせる、最後までスタイルを買えずに貫いた人でした。ライフスタイルも都会を嫌い、普段はコロラドの田舎にずっと引っ込んでいた人でした。環境保全や、原住民(インディアンですね)の文化の保護に関しても活動していました。

それでも、84年、「ランゲージ・オヴ・ラヴ」という曲で初めてビデオクリップを作って、ベストヒットで流れたときにはびっくりしました。彼はそういうことはやらないと思ってた。時代には勝てなかったのでしょう。

Windows and Walls

15年前にライヴを記録したDVDの中のインタで、「20年後も僕は変わっていないと思う。音楽と自然を愛せたことに感謝したい」と言っていた彼、その20年後を見ずに逝ってしまいましたが、その言葉通りの人生でした。

Live - Greetings From the West

Same Old Lang Syne「懐かしき恋人の歌」。そのイノセント・エイジから、彼にとっては「ロンガー」に次ぐ大ヒットでした。クリスマスイブに偶然昔の恋人と再会した、今は成功したミュージシャンの歌。おそらく彼の実体験でしょう。曲の最後に、トム・スコットのサックスソロで「蛍の光」のメロディが流れます。年末に発売されましたが単なるクリスマスソングの枠を超えたヒットになりました。「蛍の光」は Auld Lang Syne, 今の英語に直すとold long agoということで、そして、いつもながらの、という same old…を引っ掛けたタイトルになっています。

また、「蛍の光」の時期です。

克也さんご自身と並んでこのコーナーの最古参、この場を借りてこの言葉を言えるのが三回目。奇跡的に思えます。今年は自分も体調を崩して(ネタにも困って)穴を開けることもありましたが、お許しのいただける限りがんばりたいと思います。

「皆様、よいお年を!」

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2007年12月15日 (土)

I Want to Take You Higher

克也さんは、最近はビートルズに年末を感じてしまうという。

 ジョージの命日のジョンの命日がたまたま10日程度しか離れなくて、この季節になると克也さん自身でもビートルズ専門番組を持っていらっしゃる関係上、ご自分の番組でかけることも多くなるし、それでなくても追悼でラジオ、テレビからやたら流れるようになるからでしょうね。

 ビートルズもそうですが、私は同じ理由で、ファンク系に年末を感じてしまいます。

The Very Best of Booker T. and the MG's

 1127日のベストヒットUSAのタイムマシーンで取り上げられたブッカーTMGs。ドラマーだったアル・ジャクソンの命日に当たっていたということですが、彼は70年代に活躍するバーケイズというファンクバンドの創立メンバーになります。

Superfly (1972 Film)

 991226日に逝去したカーティス・メイフィールド。彼は本来はインプレッションズなんかに代表されるシカゴ(ノーザン)ソウルですが、私個人としては大ヒットした73年に大ヒットした「スーパーフライ」「フレディの死」なんていうファンクナンバーの印象が強い。

 言わずと知れた、去年1222日に逝去した、ゴッドファザー・オヴ・ファンク(ソウル?JB

Make It Funky - The Big Payback: 1971-1975

 そして本2007年には、1213日、アイク・ターナーがこの世を去ってしまいました。享年76歳。

Proud Mary: The Best of Ike & Tina Turner

 やはり彼には、以前にも書いた、ティナ・ターナーとの壮絶な結婚生活のイメージがついて回ります。

 彼が今年の1月に残している、彼の半生を顧みたような内容のインタヴューが興味深い。80年代半ば、ティナが全盛期だった頃、彼は不法薬物所持その他で囚獄されていた。

 それでも、彼は自分の人生に満足だ、といっています。半世紀近くミュージシャンとしてやってきて、作りたい音楽を作りたいように作ってきた。刑務所で過ごした時代も決して悪い思い出ではない。自分は特別扱いされていたようだ、と。

 それでも、質問がティナとの結婚生活のことに移ろうとしていることを察すると、「はい、インタの時間終わり」とさっさと切り上げてその場から去ってしまったそうです。

 彼女の自伝も読んではおらず、その映画化も観ておらず、周囲から聞いただけのようですが、自分の描写に不満で、彼女は一方的な被害者ではなく十分に暴力的だったという。

確かに映画にも、仏教に目覚めた後のティナが反抗する場面はありました。

 人間関係、特に結婚はとにかく難しい。

 このことも含めて、いずれにせよ彼は音楽の記憶と歴史に残る人でしょう。

 彼の作った音楽は、R&B,ファンクのファンからするとポップ、ロック色が濃すぎる、逆にロックから見ると黒すぎる、どうも両極端のコアなファンからは敬遠されがちだったようです。

 基本はブルースだ、といわれても、60年代前半、アイク&ティナとしてスー・レコード出て来たとき、”A Fool in Love”とか、”Shake a Tail Feather”とか、踊れるポップな曲で知られるようになった。

アルティマム・マキシマム

 ユナイテッド・アーティスツに移籍した60年代後半から70年代にかけて、ビートルズ “Come Together” ストーンズ“Honky Tonk Women” 、そして彼らを有名にしたクリー デンス・クリアウォーター・リヴァイヴァル(CCR)の”Proud Mary”と、積極的にロック畑の人たちの曲をカバーするようになる。このあたりが、そのような評価を生む原因になったのでしょう。

 しかし、アイクが同じ時期に最も傾倒していたのは、実はスライ&ファミリー・ストーンだったのではなかっただろうか。

Stand!

 “I Want to Take You Higher””Everybody People”なんかをオリジナルに近くカバーしていることからもそれが伺えます。

 そしてアイクは、スライが目指したファンクの新しい形、「ファミリー」に同調していたのではなかっただろうか。

 つまり、JBに端を発するR&Bからでてきたファンク、イコール黒人の男性アーティストの占有物、だったようなイメージを、スライは、ヒッピー・ムーヴメントの影響からか、バンドに白人や女性を入れてファミリーを作って、必ずしもそうではない、とでも言いたげな形を作っていた。アイクも、それを、夫婦、プラス女性バックコーラスのアイケッツ、という形でやりたかったのではなかっただろうか。

 繰り返しになりますが、壮絶だった私生活もさることながら、ミュージシャンとしても記憶と記録に残る人でしょう。

 現世より「高い世界」に行った彼に合掌。

 そして今週は、もう一人、ビッグなアーティストの訃報が入ってきました。アイクとはあらゆる意味で対極にいた人かもしれませんが。次回はその人の話になるかもしれません。

 メリークリスマス!

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2007年12月 4日 (火)

Billy, Don't Be a Hero

Home Music Home

アーティスト:Dixie Chicks
販売元:Sony
発売日:2002/08/27
Amazon.co.jpで詳細を確認する

124日のベストヒットUSAのオープニング、ディクシー・チックスのTravelin’ Soldiers

彼女たちの2002年のアルバム Home の三曲目。シングルとしてヒットした、”Long Time Gone,” フリートウッドマックのカバー”Landslide”に続いて収められていた曲でした。

ちょうど、ナタリーの反ブッシュ発言、トビー・キースとのガチンコ対決が始まる前で、アメリカとしてもいつイラク攻撃に入ってもおかしくなかった雰囲気の頃、やっぱりちょっとした反戦ソングでした。

女の子が、カフェで見知らぬ男の子から声をかけられた。話したい、と。

彼女は、もっと落ち着ける場所に行きましょう、といって埠頭に連れて行く。

彼は、これから出征するのだという。天涯孤独で手紙を書く相手すらいない。

だから僕は君に手紙を書いていたい、君に彼氏がいようがいまいがかまわない。

お願いだ。

それ以降、彼女は他の男の手は一切握らない。その旅する兵士の愛の帰りを待つ

もう一人じゃないんだから、と手紙で励ます

投函場所は、西へ西へ、カリフォルニア、ベトナムへと移っていく。

フットボールの試合会場で、祈りとアメリカ国歌が捧げられた後、

マーチが流されながら、ベトナムで勇敢に亡くなった人たちの名前が読み上げられた。

多くの名の中に、誰も気づかない男の名前が混じっていた。

紙にリボンを巻いた一人の女の子を除いて。。。