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2005年10月 5日 (水)

No.18 with a Bullet

Im_koba_ans  ZIP Hot 100の「今日は何の日?」のコーナーで、「つぶれてしまったキャッシュボックスという音楽業界誌・・・」という一言がありましたが、克也さんはそれを言うとき、何か胸に去来するものはないのでしょうか?克也さんはほぼ十年間、毎週そこに電話をかけていて、伝説的な番組を作っていたのですから。

 そこで今回は、僕の個人的な克也さんとの「馴れ初め」を思い出してみようと思います。B00000g3wy01_sclzzzzzzz_      

B000001dvr01_sclzzzzzzz__1  そもそも僕のラジオ好きは9歳の頃から始まりました。きっかけは親がラジオを買うはずだったのが違う型のものが届いてしまい、それでも返品が面倒だったから子供に使わせよう、みたいなちょっとした偶然からでした。野球中継なんかから聞き始めたんですけど、ダイアルを適当に回していたら、当時、新聞に唯一載っていなかった810khzという周波数から不思議な音楽と不思議な音の言葉が流れてきて、衝撃を受けたのが、その後の人生を決めちゃったようなところがあります。75年頃で、ディスコの流行り始めの時期で、カーペンターズ、エルトン・ジョン、イーグルス、ジョン・デンバーなんかの全盛期でした。B000002gvs01_sclzzzzzzz_       

B0009i7o1601_sclzzzzzzz__1  その当時から克也さんはいろいろやってましたから、克也さんの声を本当にはじめて聞いたのはいつかは正確には分かりません。カマサミ・コングが国外で弱い電波で聴いて、自分もDJになると決意し名前も頂いたという、伝説の「オールナイト・ニッポン」も聴いたことはありません。だいぶ後で知ったことですが、ラジオ関東(現RFラジオ日本)の、湯川れい子さんの「全米トップ40」のオープニングのナレーションをやっていたのが克也さんだったらしいので、それが最初ではないかなと思います。カッコいい英語で、アメリカ人がやっているんだって思ってました。同じ時期にやはりラジオ関東で、月金の帯で深夜1230分頃から15分の長さで「スネークマンショー」をやっていました。ウルフマンジャックはもう聴いていたのでそれの亜流かなと思って夜更かしして聴いたことがあります。これも克也さんが関わっていることは知りませんでした。

 そして僕が克也さんの存在をはっきり認識したのは、その伝説の番組「ナガオカ・ワールドミュージック」でした。FM東京(現TOKYO FM)日曜深夜12時から、キャッシュボックス誌の編集部に直接電話をかけ、誌面で発表されるより一週間早いチャートを、シングル、アルバムのトップ20、初登場や上昇曲の発表と、30分番組ながら濃い内容で、音楽情報番組としてはこれを超えたものはいまだに出て来ていないのではないでしょうか。

 後になって、中学生の頃にはやっと同じ趣味の友達ができました。その彼とこの番組の真似をして、電話で、片方が、順位、アーティスト、曲名を順々に言って、もう一方が、mm-hmm, uh-huh, yeahと矢継ぎ早に相槌を入れていく「小林克也ごっこ」という異常な遊びを開発していました。

B000002kn101_sclzzzzzzz_  克也さんの御尊顔を初めて拝見したのは、雑誌FMfanの、DJお宅訪問、みたいな、自宅のレコードライブラリーとオーディオセットを紹介する記事だったと思います。克也さんはお薦めの一枚として Cheech & Chongを挙げてました。



B0000032n601_sclzzzzzzz_  今回のタイトルは、Pete Wingfieldという一発屋アーティストの75年のマイナーなヒット曲。それでもトップ20に入っています。「18位、上昇印付き」ということですが、ちょうどこのキャッシュボックス誌の上昇期待印が「弾丸」で、ビルボード誌は「星」でした。日本では「赤丸急上昇」といってましたが、オリコンがそうだったのでしょうか?

 

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コメント

わお!懐かしい!!
そうそう、ナガオカワールドミュージックでしたか!
ナガオカってアナログ盤再生機の「針」を作っている
あのナガオカですね!
ラジオを聞き始めたのもちょうど同じ頃のようです。
僕は10歳だったかな?
スタイリスティックスとかサンタナなんかも流行っていましたね。
とにかくBIYOを聞くと懐かしさで未だに胸が苦しくなるんです。

投稿: けん | 2006年4月27日 (木) 17時24分

けんさん、たびたび有難うございました。
ナガオカって、70年代当時はオーディオアクセサリーもいっぱい作って、こういう番組の提供もできるくらいだったんですけど、現在は、レコード針で食わしてもらったものの義務として、どんなに需要が少なくなっても、注文がある限り針を作り続ける、という自己犠牲的な会社になっているようです。感謝しなければ。
ワールドミュージックのエンディングはスタンリー・クラークだったですね。
克也さんは、明日の9時間の生放送から元気に復帰だそうです。よかった

投稿: Prof.Harry | 2006年4月27日 (木) 23時07分

克也さん復帰されたのですか?
よかったですね\(^-^)/
ネットで体調不良の記事を見かけたので安心しました。

やっぱり、けんさんはこの話題への反応早いっすね(笑)
僕もこの番組大好きでした。克也さんとキャッシュボックスのやりとりの間、聴き手も妙な緊張感あって、テンション高くなる画期的なラジオ番組でしたよね。

土曜に湯川さんの全米Top40を聴き、日曜深夜はこの番組を聴き週末を終えるのが僕の青春時代でした。

いやぁ、懐かしいっす!

投稿: ez | 2006年4月28日 (金) 03時35分

ez様、コメント有難うございます。


克也さん、元気に復帰したようですけど、なんと胃を半分切除したとのこと。単なる過労だと思っていたのに。記事に変なこと書いちゃったなあ。

ついでに、日曜午後6時、NHK-FM、石田豊さんの「リクエスト・コーナー」なんてのも、この時代のポップスファンの定番だったんじゃないですか?あと番組名は忘れましたが、FM東京で金曜深夜1時から、三木鮎朗さんがやっていた、ビルボードのトップ50がわかる番組もありました。

投稿: Prof.Harry | 2006年4月28日 (金) 22時48分

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