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2005年11月24日 (木)

Lowdown

ボズ・スキャッグスのライヴに行ってきました。

彼は1944年生まれだから61歳なんですねえ。還暦過ぎたお爺ちゃん。1980年ころはポール・マッカートニーが40歳になるってだけで大騒ぎしていたように覚えていますが、その彼も60遥か過ぎて今、全米ツアーをやって稼いでいるんですから、もう何も驚かなくなりました。もちろん克也さんも。俺自身もいつの間にか他人のこといっていられない歳だし。

  会場はライブハウス。この間はドーム球場へ音楽を聴きに行きましたが、実は大きな会場は好きではありません。小さいほうが音はいいし、アーティストが間近に感じられるのがいい。うまくいけばサインも集めやすいし。

 ボズは80年代の全盛期にはつくば万博にも来たし、ジョー・ウォルシュやマイケル・マクドナルドとジョイントで球場ツアーなんてのもあったし、88年の来日までは武道館を張ってたし、深夜だったけど民放テレビで1時間特番でライブ中継もやってました。そんな彼だから近くで見られるのはうれしいけど、やはりこの手のライブにしては開場前から相当の列ができており、入るのに苦労しました。

B00000dcgy01_sclzzzzzzz_  全盛期では、彼の80年のアルバム Middle Manに因んで、「中年」のロック、大人の音楽、とか宣伝されてたのを憶えてるんですけど、ミドルマン、ってどう考えても、仲介者、とか、媒介人、だと思うんですけどねえ。当時、現長野県知事の「クリスタル」路線でオシャレ音楽をいっぱい売っていたCBSソニーだったから、仕方ないか。それから20年以上は経つわけだ。

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B00000256401_sclzzzzzzz_  そんな、AOR(日本で言うアダルト・オリエンテッド・ロック、または、あまりに・おしゃれな・ロック)の代表格的な扱いを受けていた彼でしたが、それは70年代半ばからの、「スロー・ダンサー」「シルク・ディグリーズ」「ミドルマン」と繋がる路線で大成功してそうなったのであり、彼の本質はそれを越えた多様性にあると思うのです。

72a8d250fca03ccbb2132010l スティーヴ・ミラー・バンドから音楽活動を開始したのは有名な話で、「慣れ」を嫌いバンドメンバーをすぐ首にする変人スティーヴと高校以来10年も長く付き合う。成功する前は、日曜日の20日がたまたま命日でZIP HOT 100の「今日が何の日」でも取り上げられたデュアン・オールマンとも競演したし、ブルース、サザンロック、フィラデルフィア・ソウルなんかに色濃く影響された音楽を作っていたんですね。

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B000av2g0q01_sclzzzzzzz__1 彼の最新作は、日本では1996年に出ていたアンプラグドアルバムのFade into Lightがアメリカでは今頃になって発売されたようですが、録音としては2年前の、ジャズのスタンダードのカバーアルバム But Beautifulでした。彼のいいところは、それら多岐にわたる音楽全てがしっかりした音楽に聞こえて、試行錯誤に聞こえないことです。それだけ多様な基礎を持っている人だといっていいんでしょう。

ライヴも、日本で人気があるAORっぽいものと、ジャズ、ブルース、ソウルっぽいもののカバーとを交互に演奏する選曲でした。AORっぽいものでも「シルク・ディグリーズ」からの曲が中心で、「ミドルマン」や、映画のサントラからの曲は皆無でした。アンコールも、Bewitched, Bothered, Bewilderedというジャズのスタンダード。こんな選曲は、実は彼が、自分が最も成功していた時期を今どう思っているかの微妙な表れとなっているのではないでしょうか。

彼の「シルク」からの最大のヒットLowdownには「物事の本質」という意味もあります。

ちなみにZIPの某DJが、女性を二人連れてきて観ていました。

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2005年11月17日 (木)

Never Too Much

本田美奈子さんのことにはびっくりしました。

二週間前のZIP HOT 100の放送開始直前に知ったんですけど。

その前の日に、CD屋さんの中をうろうろしていて、思いがけなくクラシックのコーナーで彼女の名前を見つけて、へー、と思っていたところでした。ミュージカルに進んでいたことは知っていましたし、アイドル時代からすごく声量のある人だと思ってみていましたが、その道にまで進んでいたとは意外でした。

僕は彼女と、同い年、とは決して言いませんが、同世代、と言うなら許されると思います。これか同世代の人が、著名人か周囲の関係者かにかかわらず逝去したというニュースを聞くことが徐々に多くなってくるのだろうか。

無理やりですが。

最近亡くなったアーティストでやはり感慨を覚えたのが、今年71日逝去のルーサー・ヴァンドロス。

もう30年も音楽をウォッチしてると、デビューから見守っていたアーティストが亡くなってしまうことも少なくありません。彼もそんな一人になってしまいました。

B00001oh7t01_sclzzzzzzz_ 彼を見出したのはデヴィッド・ボウイのバックギタリストでFameの共作者でもあるカルロス・アロマーで、彼の紹介でボウイの「ヤング・アメリカンズ」のレコーディングやツアーに参加したのがメジャーな音楽活動の始まりでした。このころのボウイは黒人音楽に傾斜し始めて、Fameで白人ミュージシャンとして初めてソウル・トレインに出演したなんて記録を作りましたから、その背景にはルーサーの影響もあったのかもしれません。

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B000002kle01_aa240_sclzzzzzzz_ 「アリーMYラブ」はあまり熱心に見ているドラマではないのですが、僕がたまたま見た回にルーサーがゲスト出演していました。あのドラマは結構とんでもない人がゲストで出てきて、学校のパーティーで歌ったり、学生と食事したりしちゃうんですねえ。それから映画「ナッティ・プロフェッサー」で、エディ・マーフィーが一人で全て演じたクランプ教授一家の会話で、ルーサーは痩せて貧相になった、ダイエットなんか真っ平だ、って言う台詞が出てきて、笑ってしまいました。「ナッティ・プロフェッサー2」のヒロインはジャネット・ジャクソンでしたが、彼女もThe Best Things in Life are Freeという曲でルーサーとデュエットしてるし、彼女のAll for Youのサンプリングネタはルーサーが在籍したグループChangeThe Glow of Loveでした。

今、ZIP Hot 100でも彼へのトリビュートアルバムの中から、メアリー・J・ブライジによるルーサーのデビュー曲のカバー Never Too Muchが上がってきていますが。

B000aoenl801_sclzzzzzzz_ そのアルバムSo Amazingは、その1981年のデビュー以来、ブラコンの第一人者として活躍したルーサーの幅広い人脈が伺えるものになっています。ジャネットやマライヤやディオンヌ・ ワーウィックは参加していませんが、ルーサーが80年代に甦生させたアレサ・フランクリンをはじめ、エルトン、スティービー、ビヨンセ、ベビーフェイスと豪華です。

B000099j4101_sclzzzzzzz_ ルーサーは遺作 Dance with My Fatherの発表直後の20034月脳卒中で倒れたのですが、その後このアルバムは大成功し、042月のグラミー賞で表題曲は最優秀歌曲賞を受賞、しかし本人は闘病のため出席できず、その時のステージでは彼の回復を祈念してセリーヌ・ディオンが表題曲を、アリシア・キーズがA House is Not a Homeを歌いましたが、このアルバムではそれが見事にスタジオ録音で再現されていて涙ものです。

B00005mkdz01_sclzzzzzzz_ Never Too Much…あなたたちが残してくれたものは多すぎて飽きるなんてことはないよ、ということで。お二人に合掌。

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2005年11月10日 (木)

Running on Empty

珍しく小生の本業ならではの話になります

ZIP HOT 100の毎年恒例の秋の名物といえば、二週間前のビルメンテナンス停電による地獄の18階階段上がり、それから今年は万博の関係で春に前倒しになりましたが、郷土三英傑パレード。そして今週の、大学駅伝中継による放送開始の一時間遅れ。

小生は大学関係者としてこの手の大学スポーツが好きにはなれません。こういうスポーツ大会の時しか名前が出てこない大学ってありますけど。そんな大学のひとつで働いていた時の話。

4月の最初の授業が終わって教室を出ようとすると、思いがけなく5,6人の学生に呼び止められ取り囲まれました。そして一人一人から、「体育会系××部の○○です」と自己紹介され仁義を切られました。そんなことは初めてだったので、意味もわからず、こんなのもありなのなかなあ、と思ってその場は済ませました。

その意味が分かったのは一学期が終わって夏休み中にテストを採点していた時。そのクラスの答案には氏名番号記入欄に、頼みもしないのに「体育会系××部」と書いてあるものがやたら多い。しかもそういう答案に限って、設問にまともに答えておらず、世間話とか、その部活動の練習が大変だという話とか、「先生、授業面白いですねー、かっこいいですねー」などという見え見えのお世辞が書いてあったりする。

そこでピンと来ました。この手の大学の内部では、スポーツ入学だとか、体育会系で活躍していると言っておけば、勉強しないのを大目に見て通してくれる先生が少なからずいるのでしょう。

僕は大学当局からそういう学生を優遇しろという指示は受けていなかったし、テストはテストでできる限りのことをするのが筋で、きちんと答えていない答案に点を出すのはおかしいと思ったので、それなりの評価を下しましたが。

それからもう一点。今回もN大学とY大学で外国人パワーが大爆発していましたが。Y大学のその選手の10人抜きにはあっけにとられました。

Y県出身の「笑点」レギュラー三遊亭小遊三師匠のネタによりますと、Y県では大和民族が定住する遥か以前から外国人が山奥に住んで村落を作っていて、彼らはその子孫なんですよ、などと言ってますが、もちろんそんなことはありません。

スポーツ大会で名前を出そうとするこの手の大学は、現地から情報を収集し、あらゆるスポーツの分野でオリンピック強化選手級の選手をスカウトし、学費免除の奨学生扱いで呼んで囲います。言うなれば、アマチュアであるはずの大学スポーツにメジャーリーグ級が混じっているようなもの。今回の展開を見れば明らか。これで学生スポーツといえるのでしょうか。

B000002gw501_sclzzzzzzz_今回のタイトルはジャクソン・ブラウンの78年のヒット曲。大学の思惑がいかにあろうとも、選手たちは無心に走っていたんでしょうねえ。同名アルバムはライブ盤で、ベストヒットUSA82年暮れのリクエスト特集でこのアルバムから「STAY」のビデオが放送され、バックヴォーカルで参加していたRosemary Butlerがゲスト出演していました。                      

B0000085tm01_sclzzzzzzz__3純粋な放送と音楽の話題も一点。先週のZIPの放送のSong of the  Weekの訳詩コーナーで取り上げられた、Herman's Hermits "Mrs. Brown You Got a Lovely Daughter"「ミセスブラウンのお嬢さん」。その曲と、Freddie & the Dreamers "I'm Telling You Now" とに挟まって、1965年のアメリカのチャートで3曲連続マンチェスター出身で1位になったと言うので、克也さんが思い出せなかったのは Wayne Fontana & the Mindbenders "The Game of Love"ではないでしょうか?B0008g2esc01_sclzzzzzzz__2B000024uy401_sclzzzzzzz__1

このグループには後に10ccの中心メンバーとなり、80年代にはポール・マッカ ートニーとともに活動したエリック・スチュアートがいましたね。

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2005年11月 3日 (木)

All Right Now~The Show Must Go On

先週のZIPの「言論の自由」では思いがけなく電話が繋がってしまい失礼いたしました。

しかし僕はあのコーナーに5回繋がって、審査対象楽曲を「好き」と言ったためしがありません。ちなみに僕が繋がった時の審査対象楽曲は

Dr. Bombay 「S.O.S

Me & My 「Dub-i-Dub-i

The Beatles 「The Long and Winding RoadLet It Be Nakedより)」

Daddy Yankee 「Gasolina

そして今回の森山直太郎。5回のうち3回がいわゆる「キワモノ」曲で、4回が、レギュラーではなく特集番組とかで2回目にリスナーの意向を調査した機会。僕のキワモノ嫌いは克也さんもご存知でしょうが。ビートルズあたりは好きと言いたかったんですけどねえ。「オリジナルに比べて嫌い」という条件付きでしたが。好きだと言いたい曲が対象になることもありますが、そういう時はあまり熱心にかけません。やっぱり捻くれてるかな。

 さて、先週の続き。行ってきてしまいました。111日のナゴヤドーム。クィーン+ポール・ロジャース。

 自宅から10分の距離の場所で、昔から好きなアーティストの大きなイベントを観れるのはいいですねえ。エルトン・ジョン&ビリー・ジョエル、イーグルス、いろいろ観ました。肝心の野球にはそれほど行ってません。まだそれほどドラゴンズを好きになっていないもので。

 「名古屋飛ばし」という言葉がありますが、今回は、埼玉、横浜各2回、名古屋、福岡という布陣で、「大阪飛ばし」でした。なぜでしょう。

 感想ですが、前回書いたことの延長なんですけど、ライブはすごく楽しめました。しかし後になって、彼らがあれをやった目的はなんだったのか、改めて考えてしまいました。

B000amjege01_sclzzzzzzz_  東郷かおる子さんは言う。金のためではない、なぜなら彼らは十分に金持ちだからだ、あれは彼らのミュージシャンとしての「夢の続き」なのだ、と。

 確かに彼らは別のバンドになっていました。選曲でフレディ色は極力排除する方向だったようで、クイーンのヒットパレードをやりたいなら当然入ってくる Killer Queen Somebody to Loveなどは演奏されず、John Deacon作のMy Best Friend Another One Bites the Dust「地獄へ道連れ」なんかも聴けませんでした(これらは別会場では演奏される可能性はあるようですが)。ポールもフレディ作品を歌うときはオリジナルの歌い回しを真似ることはぜず独自の解釈を展開していました。選曲はブライアン、ロジャー作品が中心だったと思います。またフリー、バッドカンパニーの曲も4曲も演奏されて、実は僕が行くことを決心した理由もバッドカンパニーの曲をナマで聴けるからで、僕が一番ノッていたのは他の聴衆が静かだったFeel Like Making Love Can’t Get Enoughでした。やっぱり捻くれてる。

B000002iit01_sclzzzzzzz_  しかし、そのように違う道を模索するなら、なぜそこまで昔の曲ばかりやるのか、なぜフレディをスクリーンで登場させるのか、というところが疑問でした。前回と同じ結論になってしまいますが、フレディのクィーンと決別するなら、彼らの新しいプロジェクトに期待したい。その時は、Rodgers-May-Taylor、みたいな名前でやってほしい、彼らならできる、と改めて思っています。 B000000oa801_sclzzzzzzz__1       

 前回の修正ですが、「手をとりあって」の日本語部分やI Was Born to Love Youを歌ったのはポールではなくブライアンでした。やっぱり個人的にはBornは必要なかったと思ってます。

 ちなみに今回は、ロンドンでのライブ模様を収録したDVDがあって、日本の洋楽DVDとしては記録的な売り上げになっているようですが、それを事前に観てしまいました。本業の「先生」として授業の予習は奨励しますが、ライブは、アーティストの曲を前もってわかっているのはいいですが、内容そのものを予習するのはよくありません。反省。

 今回のタイトルの二曲はアンコールで演奏されました。今の彼らはとりあえずオーライだよ、でも彼らのショーにはまだ続きがあるはず、と。ちなみに演奏された曲順は逆でしたが。

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