« 2005年11月 | トップページ | 2006年1月 »

2005年12月28日 (水)

Radio Ga Ga

2005年も押し詰まってまいりました。

一年365日、全てが何かの記念日になっています。1122日が「いい夫婦の日」だったり、無理やりの語呂合わせも多いですけど。

1228日は、なんと「ディスクジョッキーの日」なんだそうです。なぜかというと、「夜更けの音楽ファン、こんばんは、早起きの音楽ファン、おはよう、ゴーゴーゴーズオン」日本のDJの草分け、糸居五郎さんの命日だからだそうです。

糸居さんが引退されたのが81年で、亡くなられたのが84年。ちょうどベストヒットUSAやらMTVやらの登場の時期と重なり、音楽の受容方法の変化を象徴していたようです。

糸居さんはアメリカのDJよりもモア・ミュージック、レス・トークに拘り、選曲も自分、皿回しも自分、一曲でも多く曲を紹介するのがDJの務め、を座右の銘として、リスナーからの投書も音楽と関係なかったら一切読まない、そんなスタイルを貫いた人でした。

このDJというスタイル、アメリカ発信の文化かと思いきや、なんとルーツは日本なんだそうです。ラジオドラマとスポーツ中継が中心だった1930年代のアメリカの「ラジオ黄金時代」に対して、NHKが海外放送を始めたのが1935年で、その反響がすぐニューズウィーク誌にこう紹介されたそうです。「日本の放送は面白い。音楽あり、お喋りあり、天気予報あり、ディスクジョッキーとでも名付けてはどうか?」

安上がりの放送形態にアメリカの数多くの放送局が飛びついてあっという間に広まって定着して、それが60年代になって日本に逆輸入されたのだという。

B00006gfab01_sclzzzzzzz_ デーモン小暮閣下が、「聖飢魔ⅡがKISSの真似をしている?KISSのメイクアップは日本の歌舞伎をヒントにしているのだ、我輩たちが本流だ」とかつて言っていたのに似てるかな?

現在、このDJという言葉の意味そのものが変わりつつあるように、糸居さんの時代も、音楽に拘った糸居さんのスタイルから、ラジオが喋り中心に変わって、ラジオ・パーソナリティなんて言葉もできたりして、悩まれたのかもしれません。

二回前に引用した、アルクのFENガイド別冊の21年前の克也さんのインタビューで、克也さんのDJ観にも触れられていたので、また抜粋します。

問:克也さん自身はDJという職業に対する憧れはあったんですか?

克:十代くらいではありましたけど、今はDJはダサいって、長年DJをやってる人が思っていますよ。昔に比べてナウい商売じゃないってね。

問:どうしてですか?

克:給料よくないしね。アメリカのDJも、ほんの氷山の一角の人が年に1億とか2億とか稼いでいるけど、後はたかが知れているしね。アメリカは電波社会だから放送局も1万個くらいある。だから田舎の放送局に行くと、校内放送みたいな感じで、日曜日なんて誰も聴いてない。レコードも、すべて録音されているテープを回しているだけ。で、時間が来ると、地域のミニニュースを言ったり、「何とか商店で大売出し」みたいなコマーシャル流したりしている。だからDJは簡単に誰でもやれるけど、いい商売じゃないんですよ。本当に有名になった人にとってはいい商売だけど。

 僕が憧れていたのはアメリカのDJだけど、英語がわかってくると、結構くだらない仕事だな、と思ったのね。日本とアメリカはシステムが違うから比べること自体バカらしいけど、日本じゃアイドル歌手がやってるからね。DJやって食っていけないし、やること自体がおかしい。だから、DJは一つの目標だったけど、人生の目標はいろいろあっていいと思う。DJをバカにできるころは違う目標がありますよね。例えば俳優やってる人が、今度は演技してもダサくなって監督になろうとするんですよね。そういう意味で目標が変わっていく。

問:わかります、その気持ち。

克:だから僕にとって、もうDJは憧れじゃないんです。

 同じ頃、渋谷陽一氏も似たようなことを言っていました。

 「DJになりたい、と若い人からよく相談を受けるが、こう答えている。日本にDJという職業は存在しない。僕はDJじゃない、雑誌編集者だ。他のDJと呼ばれている人は、タレント、ミュージシャン、アナウンサーが片手間でやっているだけだ」

 確かに、糸居さんも正式な肩書きはニッポン放送アナウンサーだったかも知れない。克也さんは何だったんでしょう?

Dick_clark  その後、80年代半ばから日本でもFM局がやや増え、DJを中心に活動する人も増えましたが、結局彼らもそれ以外のタレント的な仕事に手を広げている人がほとんどで、中途半端な状態は変わってないように思います。でも別にアメリカのスタイルがいいとは思いません。ディック・クラークもウルフマンも他に商売の手を広げていたわけですし。でも、誰でもできる敷居の低さは、音楽が好きな人にとっては魅力かもしれません。

 B000000obl01_sclzzzzzzz__1            

  今年の最後はクイーンも来たことですしあの曲で閉めましょう。

Radio, what’s new? Radio, someone still loves you.

パラノイア阿南でした。皆様、よいお年を!

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2005年12月22日 (木)

Why Do Fools Fall in Love?

タイトルはいつもの通りに戻します。

B000001fqy01_sclzzzzzzz_  日曜日の「今日は何の日」で二週連続で、「火の玉ロック」のジェリー・リー・ルイスが、13歳の従姉妹と再婚して、しかもそれが前妻との婚姻が継続中で重婚となり二重三重の問題になったという話題が登場しました。

 直接は関係ないかもしれませんが。

 ポップス史上最大の重婚問題、かどうかは知りませんが、思い出したのは、フランキー・ライモンの話。

 ちょっと思い出があって、以前のZIP Hot 100では克也さんが自由にオールディーズを選曲するKatsuya Remembersというコーナーがあって、このFrankie Lymon the Teenagers 1956年(半世紀前だ)のヒット曲“Why Do Fools Fall in Love?”を克也さんは大好きだということで選曲したのが、放送では間違って別のドゥワップの名曲、シルエッツの”Get a Job”が流れてしまって(ありがちなオールディーズのコンピレCDだったのでしょうね)、その半年後に僕がリクエストして蒸し返してやっと正しくかかった、なんてことがありました。

B000005mwv01_sclzzzzzzz_  ティーンエイジャーズという名のとおり、フランキーが若干13歳の時に放った歴史に残る名曲。

 フランキーの話もジェリー・リー・ルイス同様、映画になっていて、その名もやはり“Why Do Fools Fall in Love?”。主演は今をときめくハル・ベリーでした。

 フランキーは1968年に薬物中毒で早世してしまうのですが、その後90年代になって、その曲の作者としてフランキーはクレジットされているが実は曲は作っていない、と他のメンバーに訴えられて著作権をめぐる裁判になってしまいます。

B000001u3p01_sclzzzzzzz_  その過程で、彼の妻だった、と主張する女性が三人も、やはり著作権料相続を狙って名乗り出ます。“Why Do Fools Fall in Love?”「恋はくせもの」という曲はもはや81年のダイアナ・ロスのカバーでしか知らない世代の弁護士が活躍します。

 フランキーは若くて歌もうまかったので女性にもてたようで、その方面ではだらしなかったのでしょう。その時々に付き合っていた女性にそれぞれ求婚し、そんなことになってしまいます。彼女たちはそれぞれ付き合っていた時で別のフランキーの側面を見ていました。一人はティーンアイドルとして絶頂期にいて浮かれていた彼、別の一人はその絶頂期から挫折を経験してソロとしてのカムバックに真面目に努力していた彼、最後の一人は薬物に溺れてどうしようもなくなった彼、という風に。このあたりも、ショウビジネスの世界の盛者必衰の理を見るようで、やるせなくもあります。

B000000ql001_sclzzzzzzz_  この三人には奇妙な友情が生まれてしまい、誰が勝っても取り分は山分けしよう、という約束ができます。ところが最終的に正統相続者と認定された最後の妻が欲を出し、約束を破り独り占めしてしまいます。更にところが、結局は裁判の費用なんやらで相続分はほとんど残らなかった、という落ちが付きます。まさに「なぜ愚か者どもは恋に落ちる?」

 裁判ではフランキーの友人としてリトル・リチャードも証言台に立ったようで、映画でも本人が本人の役で登場しました。

B0000cg8i701_sclzzzzzzz_  あと、ZIPでもベストヒットUSAでも取り上げられていましたが、18日が誕生日だった、アニマルズのメンバー、ジミヘンのマネージャーだったチャス・チャンドラーは、67歳の誕生日、ではなく、96年に心不全で逝去していました。

 皆様、本年はありがとうございました。ハッピークリスマス。

阿南教授の博識を毎週堪能。阿南クラスのパラノイアに会ったのは、坂本龍一、大滝詠一、山下達朗、音楽評論家の桜井ユタカ、かまち潤と言った人々。-小林

| | コメント (3) | トラックバック (4)

2005年12月15日 (木)

少年老い易く学成り難し

まるで東松さんのコラムのタイトルみたいですが、私は阿南東也(あなみはるや、と読みます)です。たまにはこういう変化球も。でももう二度とやりません(多分)。だから東松さんと東松ファンの皆さん、許してください。

前回の克也さんの日記で、克也さんの英語観にちょっと触れられていたので、あるものを思い出しました

語学教育や留学の雑誌発行などでおなじみのアルク。現在はAFNガイドとなっていますが、二十数年前の発刊したての頃はFENガイドといっていて、別冊特集もかなり出ていました。

そんな中にMr.DJシリーズというのがありました。昭和59年発行。ここでも取り上げましたけど、当時はチャーリー・ツナとかウルフマン・ジャックとかが月金の帯番組を提供していたので洋楽ファンには人気で、そういうFENで聞けたDJたちの番組サンプルやインタビューで構成された本でした。その中に、日本のMr.DJとして克也さんも登場していて、自分の英語観について更に深く語っておられました。今回はそこから抜粋してみようと思います。したがって以下ほとんどはコピペですが21年前のものをまだ持っている物持ちのよさに免じて御容赦ください。

問:ラジオからアメリカを吸収しようとしたんですか?

克:僕はFENをめちゃくちゃ聞きまくって、音楽もめちゃくちゃ聴いて、レコード買わなくても歌詞を理解してたりしたんですね。アメリカ人になろうとしたわけです。だけど、所詮アメリカ人じゃないと知るわけです。

問:いつごろそう知ったんですか?

克:例えば、みんな最初に習うのは白人の英語ですよね。ところが音楽を聴くと黒人もいる。黒人の英語は白人と違う。それでしばらくすると黒人のしゃべり方や歌い方もわかってくる。でもある日「オレは白人でも黒人でもないし、その真似をする必要はないんだ」っていう独立宣言をするわけです。親から離れるみたいに、結局白人にも黒人にもメキシコ人にも、なりたくてもなりきれないところで卒業するんです。「あ、オレはやっぱり日本人だな」ってことに気付いちゃうんです。

問:でもアメリカ人になろうとしてなりきれなかったときには挫折感があったんじゃないですか?

Im_koba_1 克:そりゃもう。英語の学習一つでもスランプはあるし。ああ、オレは何でもでも喋れるんだ、こんなことまでわかるんだ、という絶頂のときと、どん底へ落ちる、その繰り返しで段々上手くなっていくんです。それを味わえなくなったらその人はもうあんまりうまくならない。もう成長が止まっているんですよね。アメリカ人になろうとする場合も同じようなものを味わいます。というのも、日本の国全体をしょってるわけだから。自分の家族もね。オレだけアメリカ人になったってしょうがない、というのがあるんです。だから僕は時々言うんですけど「英語なんか勉強していて何か中途半端にうまそうに聞こえるのが一番ダサいよ」ってね。一番いいのは日本人だったら、訛ってもいいからはっきりわかるのが一番で、それから自分の個性が出ている英語が一番じゃないかっていつも言うんです。アメリカ人になり損ねて何か腐ったみたいのが一番ダサいわけ。

 でも十代や二十代じゃまだアメリカ病があるからわかんないんですよ。だけど小学校の生徒だと物凄く感覚が平衡ですからね。例えばうちの息子、中学1年なんです。奴は「うちの英語の先生は日本語が下手なんだぜ」って言うんです。「何だよ、アメリカ人か」と聞くと「いや、れっきとした日本人だ」って言う。僕にはそれがよくわかる。僕も日本語が下手な方がナウい、みたいに考えていたことがあるわけ。例えば英語がペラペラなら日本語なんてどうでもいい、みたいに。日本語を捨て去らないと英語へいけない気がするのね。

だから、僕はその英語の先生がどれくらいの状態にいるか何となくわかるんです。「日本語をいきなり喋ると舌噛むんだぜ」って息子は言うわけ。子供たちは初めて英語にあっているから、英語を勉強しなきゃだめだというコンプレックスもないから、ぱっと会ったときに、英語病の歪な人間がわかるんですよ

問:そうですね。じゃあもし小林克也さんがその病気だ、って指摘されたらそれは怖いことですね?

克:僕はそれは治ったと思ってる病気かもしれないね。ただある一面、僕が見えているのは、僕に見えないことはいっぱいあるだろうけど、病気が治ったということは正しいと思うのね。後は「お前、個人的にバランスのとれてる人間か」といわれると、自信ないけど。

 克也さんにしてこの努力と試行錯誤。

 僕も小学校の頃から英語の音に触れていて感覚もできていたので、中学以来ずっと英語は得意で、先生より発音が綺麗、なんていわれていい気になっていたときもありました。でもある時、言葉だけできてもダサい、現実社会を語れなければ駄目だ、と考え、別の意味での独立宣言をして別の道に行っちゃったわけですが、そのため英語は「中途半端にうまい」状態で残ってしまったようです。でもそれを後悔してまだ努力の途中にある、と考え始めただけでもまだ成長が望める、いい状態だといえるかもしれません。

 それと、若い人たちと接して感じることですが、彼らの中の「アメリカ病」はどんどん薄らいでいると思います。

アナミ恐るべし!阿南さんの頭の中が想像つかない。きっと色んなことが整然と整理されているんだろうなあ。

すっかり忘れていた21年前のインタビューを改めて読んで思った。オレ全然進歩してない-小林

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2005年12月 8日 (木)

Jesusland

ちょっと時期をずらしちゃって恐縮ですが。 

前々回のベストヒットUSA 2005 Star of the Week でのベン・フォールズの特集。

彼のニューアルバムは Songs for Silvermanで、ニューシングルとして流されたビデオはJesusland

B0007wf1xc01_sclzzzzzzz_  インタビューで、彼が、今まで出最高の出来映えのビデオ、といっていたように、アメリカの田舎の田園風景を、一人で車に乗って眺めているように流れていく感じで、この曲に限ってはあまり攻撃的でない彼の滑らかなピアノとよく合っていました。

 この「ジーザスランド」とは何か、を、解説、というか知ったかぶりをしますと。

 一年前の大統領選挙の結果でできた言葉なんですね。ブッシュ大統領の再選が決まった直後から、ネットを駆け巡った冗談から発しています。

 ここのところのアメリカは、二極化現象がはっきり見えてきて、イラク戦争に賛成か反対か、ブッシュ大統領を好きか嫌いかなどで世論がはっきり二分され、これがライフスタイルや地理的分布にも見られるとされています。つまり、田舎に行けば行くほどブッシュ大統領と共和党への支持が強くなり、逆に都会に行けば行くほど反対候補のケリー候補に票を入れた民主党への支持が強くなる、と。田舎には白人の中流以上で家族をしっかり持った保守的な人が多く、都会には労働階級、独り身で多様な価値観をもつ人が多く暮らしている。

 これが地理にも結びついていて、ブッシュが勝った州はアメリカの真ん中側、南部、山岳部、高原部というように一つの纏まりになっています。そしてそこに住んでいるブッシュを支持した人たちは信心深い人たちが多い。ブッシュの共和党の中にはキリスト教保守派と呼ばれる、宗教で結ばれながらそのネットワークを利用して政治活動を拡大していく団体があり、選挙運動で暗躍、というか大貢献をしていました。そこで、ブッシュに投票したアメリカ中心部の信心深い地域を「ジーザスランド」と呼んだわけです。

Jesusland  他方、ケリー候補が勝ったもう半分のアメリカは「ジーザスランド」を囲むように位置する両側で、人口が多い大都市を抱えている、ニューヨークら東北部、カリフォルニアら太平洋岸、あとデトロイト、シカゴなどがある中西部の北側で、これらは全部カナダと地続きにできるので、The United States of Canada「カナダ合衆国」と名付けられました。ブッシュを支持したジーザスランドは見捨ててカナダに逃げ込んで別の新しい合衆国を作ってしまえ、というわけです。

 選挙直後から、この「カナダ合衆国」と「ジーザスランド」を色分けした地図がネットを駆け巡りました。現在「ジーザスランド」に関してはウェブサイトが開設され、その地図も見られますし、ブッシュや宗教指導者の発言を集めています(www.jesusland.com)。

 だからベン・フォールズのビデオでは「遠くなるビル街を見て、丘の上の大邸宅に近づく」田舎が表現されており、マット・ルーカスが演じる、奇跡の水を宣伝販売する胡散臭いテレビ伝道師が登場していたわけです。

 そんな二極化するアメリカで、更に分裂を促す問題となったのが、同性間結婚。2年前に合衆国最高裁判所が同性結婚を容認する判決を出して以来、同性愛者の立場を擁護するリベラルな人たちはその方向を歓迎し、逆に宗教の価値を重んじる人たちは大反対しています。 

 

B000005aln01_sclzzzzzzz__1B00005nzdw01_sclzzzzzzz__1         

 そんなアメリカを差し置いてイギリスでは、今週、同性間でも(結婚、ではなくシヴィル・パートナーシップといって区別していますが)異性間結婚と同様の財産相続権を付与するなど、同性パートナーシップの社会的地位を認める法律が施行されました。これを受けてジョージ・マイケルやエルトン・ジョンが長年の男性パートナーと事実婚生活に入ると公表したことは御存知の通り。「ジーザスランド」では最も忌み嫌われる傾向でしょう。

B000000idj01_sclzzzzzzz_  ベン・フォールズのインタビューでも、ちょっとした皮肉屋の彼の側面が垣間見られて面白かったです。「ミュージシャンとして初めて火星旅行をしたいし、72歳でヘビー級チャンピオンになりたい」などという発言、わけがわからない分笑えます。

 そういえば、なぜトリオだったのにベン・フォールズ・ファイヴだったのでしょう。諸説ありますが。解散してしまった今では迷宮入りの謎です。

| | コメント (2) | トラックバック (6)

2005年12月 1日 (木)

This Song

B00005uke001_sclzzzzzzz_ 1127日の「今日は何の日」は、ジョージの三枚組みソロデビュー作All Things Must Passが発売された日、そしてその翌々日29日は彼の命日。

もう4年になりますか。愛子さま御生誕のニュースと重なってしまい、日本ではタイミングが悪いなあ、なんて不謹慎にも思っていました。

ZIPのコーナーではMy Sweet Lordがかかって、その曲にまつわるポップス史上最大の盗作問題についても触れられていましたが。

B00065u0rc01_sclzzzzzzz_ 元ネタとなったHe’s So Fine を歌っていたChiffonsが、My Sweet Lordを「逆カバー」しているのを一度だけ聴いたことがあって、もう、嫌味だなあと思うのを通り越して、大笑いでした。やっぱりこの二つは限りなく似ている、と。CDを探しているんですけどなかなか見つかりません。



B00014tj6g01_sclzzzzzzz_ その裁判が終わって、彼が76年に発表したアルバム「33・1/3」(彼が本当に334ヶ月だったときに発表した。当時のLPレコードの回転数と引っ掛けている)の中に、この問題を彼なりに皮肉ったThis Songという曲が入っています。彼は自伝「I, ME,MINE」でその曲を「なぜマイスィートロードだけが槍玉に挙げられるのか?ポップソングなんて99%が別の曲のどこかに似て聞こえるのに、という、裁判中ずっと考えていたことを込めて書いた」と述べています。

B00000damf01_sclzzzzzzz_ ちなみに、僕が個人的にもう一曲、He’s So Fineから頂いちゃってるんじゃないかと思っている曲に、1967年のBuckinghamsのヒット曲”Kind of a Drag”なんてのがあります。

ジョージのThis Songの歌詞にも「この曲は誰の著作権も侵害しない、音楽評論家もOKだって言ってたよ」B000002obo01_sclzzzzzzz__1とか「この曲は、”You”(ョージ自身の、邦題「二人 はアイラブユー」)かもしれないし、”Sugar, Pie, Honey Bunch”(フォートップス “I Can’t Help Myself”)にも聞こえるし、いやいや、”Rescue Me”Fontella Bass65年の一発ヒット)だよ」なんて節がでてきます。

Four_topsessential その曲のイントロは本当に“I Can’t Help Myself”の循環ベースラインそっくり。ということは、マドンナ「ライク・ア・ヴァージン」とも一緒だということになる。作曲者、CHICのナイル・ロジャーズ本人がZIP HOT 100に来てパクリを告白した通りに。やっぱり、ジョージの「99%説」は正しい?



B000002l6p01_sclzzzzzzz_

76年の曲としてはまだ珍しかったビデオクリップも作られてます。法廷で、裁判長が近世の裁判官の格好をしていたり、記録のタイプライターがいつの間にかピアノになっていたり、あっけらかんとしていて面白いです。ジョージは硬い裁判所には不釣合いなラフな格好で登場しギターを持って歌っています。彼は実際の裁判でもギターを法廷に持ち込まされて、作曲の様子を再現させられたそうです。

 B000002lec01_sclzzzzzzz__1 このThis Songは「331/3」からの最初のシングルカット曲でもあり、チャートで25位まで上がってそこそこのヒット曲になりましたが、彼の後期のベスト盤Best of Dark Horseの選曲からは漏れていました。いかに茶化していても、彼にとってはやっぱり忘れたい記憶だったのでしょうか。

 「ビートルズから始まる」の訳詞コーナーでまだ扱われたことがないなら、取り上げてみてはいかがでしょう?

 十日後はジョンの命日、25周年か。この二人を繋げるのは All Those Years Agoですね。

| | コメント (4) | トラックバック (3)

« 2005年11月 | トップページ | 2006年1月 »