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2006年1月26日 (木)

(Remember the Days of the ) Old Schoolyard?

久々に本業がらみの話。

 この土日はセンター試験で、この冬も受験シーズン本番突入といった感じです。

 かく言う私も、土日丸々監督に借り出されました。ZIP HOT 100も放送と同時進行では聴けませんでした。

 この試験監督という仕事は苦痛です。本、新聞、雑誌の持ち込み禁止。自分が読みたいものも読めない。小型パソコンやラジオ、その他機械類も持ち込んではいけない。キーボードをカタカタさせたりシャリシャリとヘッドフォン漏れなんかがあったら、その場で受験生に注意されるか、終了後に大学に苦情が来て、犯人探しが始まってしまう。試験の最中に受験者の間を歩くのにも靴音が響かないよう注意する。手を上げた受験生の要求には、机から落ちて転がった消しゴム拾い、なんてこともやる。まさに受験生のしもべ、ホテルマンにでもなった気分です。

 居眠りも、注意しなければなりません。鼾をかいたら、やっぱり注意や苦情が来るからです。でも、これだけやることが制限されてただひたすら受験生の様子を見るだけだし、暖房でじわっと暖かくなってきますから、睡魔との壮絶バトルになります。

 そこで、暇つぶしといったら受験生に申し訳ないのですが、会場内で唯一みることが許される印刷物、その時間の試験問題を解くことが無二の眠気覚ましとなります。

 そこでまた気がめいる。よくこんな問題がかつて解けたものだなあ、と。

英語は、いまだに満点取る自信はあります。でもこれは普段から使って慣れているからですね。僕の同業者でも、専門分野にかかわりなく、誰でも一番できるのは英語だそうです。

社会科。一番の専門のはずなのに、自分の専門が近い分野や現代に関することの問題はまあいけるけど、後はまったく記憶のかなた。

数学。最初の数問の計算式穴埋め問題はクイズとしてやりがいがある。中盤以降は全く駄目。

国語。現代文は問題が長いし、古文もちんぷんかんぷん、読みたくない。最初の数問の漢字書き取り穴埋め問題を、やはりクイズとしてやるだけ。

理科。問題冊子の表紙を見るだけ。中を開いてもどうせわからない。

こんなもんです。

先々週のZIPのギャグコーナーは、センター試験中に受験生がいろいろな音を次々に出すというネタでしたが、克也さんも百も承知でしょうが、実際にはあんなことは起こりません。受験生の時計や携帯が音源オフになっているかどうか、試験前に厳重にまわってチェックします。何しろ科目と科目の間が50分もあるんですから。もしそれでも音が出たら、その受験生の受験は一時的に中止され、継続の可、不可の判断を全国の本部(センターですな)に委ねることになります。

 それでも今年は、英語にリスニングが導入されて、僕の会場はたいした問題はなかったですが全国的にはトラブル続出だったようで。僕は実はあの予行実験に参加させられたのですが、50万個のICチップとプレイヤーを配るなら、そのうちの何パーセントかは故障しているだろう、機械なんだから、と思っていたら案の定でした。会場の上を飛ぶ飛行機や選挙宣伝カーの騒音で集中できなくなったり、トラブルの対処が監督者によって異なったり、他にも混乱があったようで。英語を、読み書きを超えた練習をすることはいいことですが、今後いろいろ考えなければならないようです。

 後で録音で聴いたZIPのオープニングで、克也さんの受験生時代について話しておられました。「受験生だというだけで、夜中3時くらいまで起きていた、それでも勉強してたわけじゃなく、なんとなく。それで睡眠不足で、最初の受験日はふらふらだったけど、なぜかそういう日だけ一発で受かった。その後、睡眠不足が何十年起っても続いている・・・」

 補足で、去年から何度か引用している21年前のアルクのインタビューから、受験生小林克也、をばらしてしまいましょう。Photo04

問:中学のころとか、英語の成績はよかったんですか?

克:一番できましたよ。高校でも一番でした。他の科目は全部駄目でしたけど(笑)。中学のときは、僕の一つのクライマックスで、全校で一番でした。

問:成績が張り出されたんですか?

克:学年で、他の科目も入れてね。英語ができたから、それが自信になったんじゃないか、と思うけれども。英語の成績がよかったから相当優越感がありましたね。だから他の科目にも余裕があって、得意じゃなかったけどできましたね。

問:なるほど。それで、なぜK大の経済学部にお入りになったんですか?

克:それはね、どういうことかというと、最初はH大に行きたかったんです。

問:そうですか。

克:でも、さっきも言ったように成績悪いでしょ。

問:英語を除いて、ですか。

克:ええ。K大の経済は、確か英語と何かの2科目か3科目だったんです(笑)。一番少ないでしょ。W大の政経を落ちたし、H大もG大も落ちたし。

問:そうだったんですか。Photo

克:はい、みんな落ちたんですよ。中学時代の僕はすごい勉強小僧だったんだけど、高校時代は、英語の歌を聞いたり歌ってた時代だったんですよ。僕らのころはドリス・デイやフランク・シナトラがはやってたんだけど、高校1年のときにいきなりロックンロールを聴いてしまったんです。

問:プレスリーが出てきたころですか?

克:ええ、プレスリーを初めて聞いたのはFENでした。まだ名前も聞き取れないんですよ。でも今までの歌とぜんぜん違うんですね。それまでの歌は聞き取れたのに、今度はぜんぜん聞き取れない。なのに聴いててすごく気持ちがいいのね。それで、そういうのを探すラジオっ子になって。短波ラジオを買ってもらったりして・・・

みな、通ってきた道なのです。

Cat_stevensizitso(Remember the Days of the) Old Schoolyardは、ユサフ・イスラムことキャット・スティーヴンスの77年のヒット。

受験生の皆さん、今は将来が決まらない不安や、得意ではないものを無理やり勉強させられる苦痛はあるかもしれません。でも、その後の人生もそんな不安続きですし、むしろ受験を乗り切った自信みたいなものがその後の糧になっていくと思います。それに、今ほど大学に入りやすい時代はありません。羨ましいです。

リラックスしてがんばってください。

今振り返ると、受験勉強、あまり真面目にやらなくてよかったと思う。しかし、若い頃にもっといろいろな本を読んで勉強しておけばよかった、と反省することもまたしきり-小林

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2006年1月18日 (水)

Anammy Awards 2005

この日曜日はZIP HOT 100 2005年年間チャートが発表になりましたし、ベストヒットUSAでも年間チャートはそのうち取り上げられるのでしょう。そういう時期ということで、2005年度アナミー賞を発表します。これは私、阿南東也(あなみはるや)が独断と偏見で選ぶ前年によく聴き気に入った楽曲で、本家グラミー賞とはうって変わって権威もへったくれもない賞です(実際受賞したところで何も貰えないわけだから)。毎年ZIPの年間チャートの時に発表していて、今年も放送で取り上げていただいたので、ここではその拡大版で、ノミネートまでさかのぼってみます。

最も気に入ったシングル曲

1Nickelback "Photograph"Nickelbackall_the_right_reasons

この曲は去年の他の曲の追随を許さないくらいぶっちぎりで大好きでした。ロックっぽいなかにもアコースティックな味あり、曲の広がりあり、青春を思い出す歌詞もいい。そういう曲に共感できるようになったくらい歳をとっちゃったか。



2Goo Goo Dolls “Give a Little Bit”Goo_goo_dollslive_in_buffalo

去年前半好きだったのはこれでした。原曲のスーパートランプが大好きで、忠実なカバーが出てきて嬉しかった。彼らにとっても、子守唄代わり、だったのだろう。



3Kelly Clarkeson “Beyond These Hazel Eyes”Kelly_clarksonbreakaway

ちょっと毛色を変えて軽めに。ここ数年、デビュー以来の大活躍で、去年もヒットが多かったが一番好きだったのはこれ。

最も気に入ったアルバム



 

1Rob Thomas "Something to Be"Rob_thomassomething_to_be

"Lonely No More", "This is How A Heart Breaks"などヒット曲連発。マッチボックスのときよりちょっと軽くなったのが気になるけどこれからのソロとしての成長の可能性を十分感じられる。




2、Green Day “American Idiot”Green_dayamerican_idiot

実際には一昨年のリリースだが去年も引っ張っていたので。”Boulevard of Broken Dreams” “Wake Me Up When September Ends”がいい曲だなあと思っていたらやっぱり今年大ヒットした。パンクを超えた!



3Mariah Carey “The Emancipation of Mimi”Mariah_careythe_emancipation_of_mimi

R&Bから一つ選びたかったんですけど、これになっちゃった。まあこれもその方面で各賞にノミネートされてるしいいでしょう。彼女の復活といわれたが、実際オリジナルとしては久しぶりに良い出来である。バラエティに富んでいたし。個人的には”We Belong Together”より、日本でより売れた “It’s Like That”(だっちょー)の方が好きだったりする。

最も頭の中をぐるぐる回った曲。

1, Daddy Yankee "Gasolina"Daddy_yankee

「ヤンキーの兄ちゃん」を連想させるアーティスト名で日本向けキワモノかと思いきやラテン世界での大ヒットで、アメリカでもそれなりにヒットして、アメリカンミュージックアォードでは最優秀ラテンアーティストにもノミネートされていた。「なんたらガソリーナ、うんたらガソリーナ、かんたらガソリーナ」と日本語で聞こえるので耳を離れなかった。5歳の愚息も憶えて歌ってた。

2Rhianna “Pon De Replay”Rihannapon_de_replay

これはZIPで年間1位だったし、敬意を表す意味でも。





最もくだらないと思った曲

O Zone "Dragostea Din Tei"Ozonediscozone

これも厳密には一昨年だが、やっぱりこれしかない。わが名古屋から火が付いて日本全国に飛び火した、数年前のドクターボンベイに似た忌まわしいパターンであったらしい。大ヒット曲だが、原題はどれだけ正しく普及しているのだろうか。空耳で、飲まあ、飲まあ、いぇーい、と聞こえるので、本当に酒盛りをしているアニメをイメージDVDでつけたという。典型的なイロモノ企画である。

最も気に入ったビデオクリップFall_out_boyfrom_under_the_cork_tree

Fall Out Boy “Sugar, We’re Going Down”

鹿の角と足、ありがちですが、なんだったんでしょうね。

普段はHot AC, AAAを中心に聴いていることがバレバレでした。



ハイ、別に文句はありません。実に阿南さんらしい。他の人がやったら全く別の結果になるわけだから。

ただ、OZONEは、ルーマニア語だけど歌詞は失恋の歌だしいいダンスナンバーだと思う。空耳やイロモノで売り出したのが阿南さんは気に入らなかったんだろう。だから売れたのか。-小林

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2006年1月12日 (木)

Freedom

まだまだ正月気分が抜けきれず仕事をやろうにもいまひとつ乗り切れない今日この頃。

今週日曜日は名古屋では克也さんもお休みでした。

この時期のいいところは、テレビや映画がちょっと普段と違うところ。

先週からこのサイトでも投票しているように、テレビに関してはいいのか悪いのかよくわかりませんが。

僕も克也さんに同じく田村マサカズの和製コロンボ三連発は大いに楽しみました。というかあの番組は10年前から全話欠かさずDVDに落としているマニアなので。

イチローの演技には驚きましたね。やっぱり度胸が据わってる。そちらの方面でも大きく飛躍しそうな予感。

映画は、いわゆるお正月映画で、毎年、話題作が一度に公開される時期ですが。

今年は音楽ファンにとって重要な映画が二つありました。

二つともミュージシャンの自伝記録映画。

一つはマーティン・スコセッシ監督のボブ・ディランの伝記映画、No direction Home、もう一つはジョージ・マイケルの A Different Story 素顔の告白。

ディランのやつはまた後日取り上げることにして、今回はジョージの方のリポートを。

これは映画としては評価が分かれるかもしれません。

マイケル・ムーアもそうなんですけど、ドキュメンタリーものは特に編集が難しいんだろうと思います。そこでどうもテンポがいまひとつだったような気がします。映画館で周囲を見ても居眠りをしている人がちらほら・・・

楽曲のクリップは一曲丸ごと流すというのがなかったですが、縮めたクリップとインタの兼ね合いが難しかったのかもしれません。

B000000oct01_sclzzzzzzz_ それでも、私生活では謎の多いスーパースターが自分について赤裸々に語っていたことはそれだけでも価値十分です。最初の恋人アンセルモ(男)をAIDSで失い、自分にも感染の可能性を疑っていたこと、フレディ・マーキュリー追悼コンサートでのクィーンとの競演Somebody to Loveは、フレディへの敬愛とアンセルモへの慕情の二重の思い入れをこめて歌っていたことなど、あらためてそうだったのか、でした。

B000005aln01_sclzzzzzzz__2 彼はスーパーアーティストなのですが、ライヴは少ない、レコードも寡作で、この問題も含めて私生活での落ち込みや、所属レコード会社との訴訟合戦、そして有名な、98年のロサンジェルスの公衆トイレでの猥褻行為での逮捕などで音楽活動が制限されたのですが、結局言い訳として、その時期のことを自分なりに整理して公表しておきたい、というのが映画製作の目的だったような気がします。イギリスの「市民パートナー法」改正にともないケニー・ゴスと結婚したばかりなのは御存知の通りですが、そのタイミングも図っていたのではないかと思います。

B000002u6c01_sclzzzzzzz_ 相方のアンドリュー・リッジリーを久しぶりに見ました。禿げてしまいましたが。二人の関係も色々言われていたのですが、解散後も仲のよい相談相手といった感じで、この映画で唯一心温まる部分でした。某異常児ことボーイ・ジョージは太っちゃって、ジョージ・マイケルの悪口ばかり言って見苦しかったです。

B00000261p01_sclzzzzzzz_ Freedomというのは、ジョージが自分でも気が付かずに自然に追い求めているものなのかもしれません。ジョージは、ワム時代のMake It Bigからのシングルで一曲Freedomというのがあり、また90Listen without PrejudiceからFreedom’90をヒットさせました。同一アーティストが同名異曲をヒットさせた例は極めて珍しい。更には96年のOlder にも“Free”という曲があります。

B0000027f801_sclzzzzzzz_ 映画でも「アーティストとしての成功は夢だった。今でも感謝している。でも私生活でも世間並みに対処したいよ。僕もみんなのような鎧を持って生まれたかった」という発言がありました。

アーティストとしての成功と普通の人としての人生との間に隔たりがあり、この映画で後者を解放したかったのかもしれません。

最後はもう一発ダジャレを決めましょう。

マリナーズ移籍の城島、イケル!!!

オレ、ジョージがホモだろうがなんだろうが、彼の私生活にはほとんど関心がない。彼のCD持ってるし、新しいのが出ると言うだけでワクワクできるから、それでいいのよ-小林

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2006年1月 4日 (水)

New Year's Day

あけましておめでとうございます。

57a89330dca02df8941c5010l  新年一発目だからU2のあの曲のセレクションかと思いきや、もう一つの意味を込めています。

 ボノが、タイム誌のパーソン・オヴ・ザ・イヤーに選ばれました。

 世界で最も権威の高い国際ニュース週刊誌が、毎年、新年一号目に、前年に最も活躍、話題になった人を選出する。

 一番選ばれるのはやはりアメリカ大統領で、今のブッシュはもう既に二回選ばれており、クリントン、レーガン、ニクソン、ジョンソンも抱き合わせを含めて二回、逆に選ばれたことがない大統領はフォードくらい。次に各国の首脳。ゴルバチョフや鄧小平も二回。アマゾンのジェフ・ベゾスやCNNのテッド・ターナーなど企業家や、エイズ研究のホー博士など科学者もそこそこ。二年前のイラク駐留兵とか、三年前の「政府内通報者」とか、平和維持部隊とか集合体が選ばれることもあり、またコンピューターや、危機に瀕した地球、など物が選ばれたこともありました。1990年には「過去十年間の人物」としてゴルバチョフが、2000年には「20世紀の人物」としてアインシュタインが選ばれたりもしました。

 今までショービジネスから選ばれた人は一人もいません。従って当然、ロック、ポップスの世界から選ばれたのも初めてということになります。

1101020304_400  しかし、ここまで政治的な要素や世界情勢が加味されるのですから、ボノも音楽の功績で選ばれたわけではありません。彼の長年にわたる、アフリカを中心とした飢餓救済活動への努力が対象となったのでした。

 彼はバンドエイド、ライヴエイドに参加しましたが、その後実際にエチオピアに赴き事態が全く改善しなかったことに驚愕、彼は自ら運動を始め、運動の方向転換を試みる。それは、援助活動を成果主義に換えるとでもいうべきでしょうか、実際に金を出せる先進国の政治家や企業家の目をこの問題に向けさせること。彼はロビイストよろしくワシントン詣でをして、クリントン大統領、議会の民主共和両党の議員とがっちりパイプを作りアメリカ政界に浸透する。去年のスコットランドのグレンイーグルでのG8先進国サミットでは、ちょうど同じ時期にエディンバラ(懐かしい、ベイシティローラーズ)でU2のライヴもあり、ボノは5カ国の首脳と会談、G8500億ドルもの援助計画と貧困地域でのHIV対策改善を最終宣言に盛り込ませる。彼の凄さは、政治的には対立関係にある人たちも一緒に魅了し納得させてしまう、問題への精通度とカリスマ性にあるようです。

B00076sjpa01_sclzzzzzzz_  ボノが主宰する援助NGODATAという名前で、debt(負債) AIDS, trade(貿易), Africaの略で、貧困地域の状態を表すものですが、同時に democracy(民主主義) accountability(義務), transparency in Africa(アフリカでの透明性)という、先進国側の責任をも表せ、そしてもちろん、データ、実際の結果重視、の意味も持っているそうです。因みにこれを考えたのはボブ・ゲルドフだそうです。

1101051226_400  実業界にも手を広げ、02年に初めて会食したビル・ゲイツ夫妻もボノの活動に共鳴し、DATAの活動はゲイツ基金の支援があって可能になったとのこと。今回のパーソンズ・オヴ・ザ・イヤーはボノとゲイツ夫妻の三人が選ばれていますが、これらの流れ全てを作ったのはボノですし、タイムを読んでみてもほとんどボノのことしか書いてありません。実際には彼が選ばれたといって過言ではないでしょう。

 夏の汐留局の24時間テレビを話題にしたときにも書いたのですが、僕はそういうイベント型というか、バンドエイドものというか、寄付を募る型のチャリティには猜疑的なのですが、ボノの運動はその失敗への反省から、現場主義を採り、援助を受けるそれぞれの地域の多様性に応じたやり方を模索していること、寄付ではない、実際的な資金調達をしていることなどは一線を画していると思えます。しかしその先進国から拠出される援助も本を糺せばそれぞれの民の血税であることも忘れないでほしい。

 克也さんは、ライヴエイドのラジオ中継のとき、我々の世代、ロックは悪ガキのものだった、それがここまで善意で世界を動かすようになって感慨深い、みたいなことをおっしゃっていました。

 そのライヴエイドから20年。遂にロックからタイムのパーソン・オヴ・ザ・イヤーが出て、ロックが本格的に世界を動かしていく元年になりそうな気配。

 ジョージ・ワシントンとジョージ・ブッシュとジョージ・クリントンとビル・クリントンを一緒に語れる世にも珍しい男、パラノイア阿南でした。今年もこんな調子でヨロシク!

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