« 2006年1月 | トップページ | 2006年3月 »

2006年2月23日 (木)

Happy Together

Earth_and_fire 先週のZIP Hot 100で、1971年のオリコンのチャートを紹介するコーナーで、アース&ファイアと言うアーティストの「シーズン」という曲があった。克也さんは、「これ、アース、ウィンド&ファイアのことだろ」とおっしゃいましたが、そうではなく、その時期に、ショッキングブルーのブームに便乗して出てきたオランダのグループにアース&ファイアというのが確かにいて、シーズンは日本のみのヒット、アース、ウィンド&ファイアとは全く別の存在だ、と指摘させていただきました。

これも十分紛らわしいですが、更に紛らわしい話。

エグザイルというおなじみのグループがいます。

 ついに愚息5歳も憶えました。毎週見ているアニメのテーマを担当するようになったから。

 Exile_1 でも、僕のような古いポップスファンにとって EXILEといえば。

 1978年に Kiss You All Overという全米ナンバー1ヒットを放ったグループ。いつまでもこちらのほうの印象が強い。

 こっちのEXILEはこの曲でポップスファンには一発屋として記憶されていますが、その後も結構重要な活動をします。80年代になってからカントリーに転向して復活。そっちの方面でヒット曲を多くはなっていましたし、他のアーティストにもカヴァーされるようになりました。


Huey_1Alabama_essential 同じカントリーではアラバマのTake Me DownThe Closer You Getそして、ヒューイ・ルイス&ニュースのSportsからのヒット曲 Heart and Soul などのオリジナルを歌っていたバンドでもあります。そしてこっちのエグザイルも、現在なお地道に活動しているようです。



Surface  サーフィスというJポップのグループがいますが、僕にとってSurfaceと聞いて最初に思い出すのは、80年代末期に Shower Me with your Loveとか The First Timeなどのヒットがあったソウル・バラード専門の三人組。こちらも現在地道に活動中。




Turtles  こちらは日本側のほうも多分消滅してしまったと思いますが、10年位前に、タートルズという女の子数人のアイドルグループがあったと記憶しています。Turtlesといえば、60年代末期にHappy Together の大ヒットがあり、他にもShe’d Rather Be with Meとかいい曲があるグループを、ポップスを知っている人ならまず思い出すでしょう。ちょっとサイケがかって、70年代にはフランク・ザッパのMothers of Inventionに吸収される。


Drifters_the_very_best_of Photo


 そして同名グループの極めつけは、なんと言ってもザ・ドリフターズ。これはいわずもがな。




Mrbigbritish_1

Mrbig__japandemonium  これは日本とは関係ありませんが、Mr.Bigといえば、ポール・ギルバートの、世界的には”To Be With You”が大ヒット、その後は日本御用達バンドみたいになる、あれを思い出しますが、70年代にはイギリスに全く別のミスター・ビッグがいたんです。基本的にハードロックバンドでしたが、一曲だけのヒットRomeoはアコースティックな曲でした。

Who_my_generation  ところが、例えば、19日のベストヒットUSAでミニ特集があったThe Who は最初はThe Detoursと名乗っていましたが、同名のグループがあるとわかって名前を変えた、という経緯があります。

 同じグループ名でも両方ともヒットが出せて、両方ともファンの記憶に残れば、「一緒に幸せ」なんでしょうが。

 こういうのの歯止めって何かないんでしょうか?

EXILEはグループとしては一発屋だったが、彼らのリズムを作ったのがオーストラリア人のMike Chapmanという名手で、そのエグザイルの曲に続いて立て続けにNick Gilder Hot Child in the Cityをナンバー1にする。リズムがファンキーで、この頃の同じ天才的なイタリア人ジョルジュオ・モロダー(ドナ・サマーのリズム作り)や、ナイル・ロジャーズ(シック)達が触発しあったことが、この時代のリズムを生んだんだね-小林

| | コメント (4) | トラックバック (3)

2006年2月16日 (木)

Only Sixteen

2月12日のベストヒットUSAのリクエストコーナーでかかった Charlie Sexton “Beats So Lonely”

Charlie_sexton_pictures_for_pleasure  デビューした1985年以来20年ぶりに見たので、昔感じていたことを思い出しました。16歳と若いのにオジサン声で、ギターも結構うまくて、渋い路線でやっていけるのではないか、って。

 ドン・ヘンリーも「チャーリー・セクストンは素晴らしい!」と絶賛していて、そちらの方面でも評価や人脈を広げて、前途は有望かに思えたのですが。

 日本では、某大御所音楽評論家の愛弟子の、現在でも活躍中の某DJが駆け出しのころ、彼をやたら気に入り、「チャリ坊」というあだ名をつけ大プッシュしていました。”Beats So Lonely”に続く二枚目のアルバムが出たとき、彼女(これで女性であるとわかってしまう)がラジオCMナレーションを担当し、「もうチャリ坊なんて呼ばないで!」と啖呵をきっていました。「一番そう呼んでいたのはどこの誰だよ!?」と思わず突っ込みを入れたくなりましたが。

 このエピソードが日本での扱いを象徴していたと思います。アメリカでは、デビューの時ほどのインスピレーションとインパクトもなくなり、運もなかったということでしょうか。一発で終わってしまいました。

Chris_brown  そして、先週25日のベストヒットのスター・オヴ・ザ・ウィークのゲストのクリス・ブラウン。“Run It” は全米ナンバー1に。日本でも話題のようです。彼も16歳なんですね。

 インタビューでの「サム・クックに影響を受けた」「曲作りは12の時から始めた」「選曲でマネージャーと対立した」「ビデオは僕自身がアイディアを出して監修した」などなど、ドラゴンボールにはまっている高校生が何を言ってる!?と感じてしまいました。

Kris_kross  彼を見てると Kris Krossを思い出してしまいます。92年に“JUMP” を一発だけヒットさせたヒップホップのティーンエイジャーの二人組。声変わりで消えてしまいました。クリス・ブラウンも微妙に声が幼い。

 昔からティーンエイジャーのアーティストはいっぱいいたのですが、アイドル的に売り出すと23年は持つ、実力派の才能で売り出すと一発かそこらで消える、みたいなパターンがあるような気がします。もちろん例外もたくさんいますが。スティーヴィー・ワンダーみたいに12歳で才能で売り出し、今でも燦然と輝いている、みたいな。

 ハンソンも、ザックが声変わりした後、アダルトなバンドして売り出そうとしたようですが、駄目でした。

 クリス・ブラウンはどうなるでしょう。Sam_cooke_16_most_requested_songs_1

Dr_hook_the_essential  Only Sixteenはドクター・フックの76年のヒット。クリス・ブラウンが嘘か本とか尊敬しているといっていたサム・クックがオリジナル。ニール・セダカ「すてきな16歳」、ジョニー・バーネット、リンゴ・スターの”You’re Sixteen” KISS “Christine Sixteen”とか、16歳は微妙なお年頃、なんですな。

阿南さんが言うように、チャーリー・セクストンは今見ても背伸びしすぎていたのかなあ。まるでデヴィッド・ボウイだったもんね。クリス・ブラウンは本当に普通の16歳なんだよ-小林

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2006年2月 9日 (木)

Like a Rolling Stone

Traveling_wilburys_vol1_1   25日のBEST HIT USAのタイムマシンのコーナーで、20年前の1985年にボブ・ディランとトム・ペティがジョイントでワールドツアーを始めた日とのことで、Traveling Wilburys “Handle with Care”がかかりましたので、数回前に書きかけた、この冬休みに公開されたもう一つの大事な音楽映画、ボブ・ディランの自伝映画、No Direction Homeについてフォローしておきましょう。Tom_petty_full_moon_feve_3Traveling_wilburys_vol_3_1

ちなみに、トラヴェリング・ウィルベリーズというのも妙ですね。5人の大物が、××ウィルベリーという偽名で登場してる。誰が入っているかはぼかしたジャケットのシャドーでバレバレですし、担当楽器や所属レコード会社のクレジットからどれが誰であるかは推測が付きますが。ところが、2枚目で全員が××ウィルベリーのファーストネームを変えてしまうんですね。変わらなかったのは、1枚目の後に病没してしまったLefty Wilburyことロィ・オービソンのみ。そして2枚目がVol.3というタイトルなのも妙でした。そのロィ・オービソンも含めて2枚目を作るはずだったのができなくなったからタイトルだけお蔵入りにしたという説や、実際にはトム・ペティのソロアルバムFull Moon FeverVol.2なのだという説があったり。そのVol.1Vol.3の二枚は今入手困難で貴重になっているようです。買っておいてよかった。しかし今年あたり、残った3人が新作を発表するかもしれない、それに合わせて旧作の再発もあるかもしれないとトム・ペティが発言したようです。新作のタイトルは、第一の説に従うと、ジョージに敬意を表して、Vol.5になる、という噂。

さて、映画の話。監督は「ラスト・ワルツ」のマーティン・スコセッシ。

Bob_dylan_no_direction_home_soundtrackこれは劇場公開はまだ東京ローカルですが、DVDはリージョンコード無視なら輸入で入手可能ですし、僕は暮れにNHKがデジタルハイヴィジョンで放送したやつを録画できました。

ジョージ・マイケルの映画にはちょっと留保をつけましたが、こっちは文句なくお勧めしたい映画です。3時間半という長さですが、元の素材は400時間あって、それをタイトに編集した感じです。音楽だけでなく60年代のアメリカの政治や文化もよくわかる。ドキュメンタリーとして一級じゃないかと思います。

ディランの半生を、ギター一本、ハーモニカだけでプロテストソングを一人で歌うスタイルから、Like a Rolling Stoneを歌い、バンドを率い、自らもエレキを持って登場し、聴衆からブーイングを浴びた伝説的な65年のニュー・ポート・フォークフェスティヴァル、そして66年ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールのライヴにいたるまでを描いています。

そのライヴと、ウディ・ガスリーに会いに行ってそのまま居つくことになったニュー・ヨークの時代が、それまでの彼の人生の二つの大きな波として描かれています。

聴衆にお辞儀をしてThank Youといって、インタヴューに答えただけで雑誌記事になっていたディランがよく喋っています。

Bob_dylan_greatest_hits  でも結局、プロテストフォークから、フォークロックへの変化は何だったのか、解釈は観客それぞれに任しているようです。自分なりに解釈すると、天才詩人としてのディランとミュージシャンとしてのディランは同一人物でありながら別の存在でもあり、プロテストの時代は彼の詩が一人歩きして勝手に時代が付いてきた、だけど彼には子供時代に深夜ラジオから聞こえてくる音楽が何よりも楽しみだったもう一人の自分が居て、ビートルズに刺激されて、新たな音楽を模索した、というところでしょうか。ディランがエレキを持ったことによって音楽の世界は変わったが、音楽の世界はディランを何も変えなかった、と。それでも、彼は自分のホームをどこに求めるべきなのか、方向を探り続けた。No Direction Homeとは Like a Rolling Stoneの歌詞の一節です。

Maria_muldaur証言するために登場する人たちの中にマリア・マルダーがいたのにちょっと感激しました。実際の彼女に会ったばっかりなんです。12月暮れにライヴがあって、終了後、例によってサインをもらいに行ったら、周囲に台になるものがなかったので、彼女はCDジャケットを僕の胸に当ててその上から書いてくれました。くすぐったかった。会った時の気のいいおばさんという印象そのままで映画に出てくれていました。

克也さんはディランと同い年ですよね。

| | コメント (3) | トラックバック (12)

2006年2月 2日 (木)

Rumours

Fleetwood_mac_rumours 129日のBest Hit USAのタイムマシーンのコーナーでは、1983年にスティーヴィー・ニックスが、レコード会社宣伝マンと結婚した日に当たるということで、フリートウッドマック「ホールド・ミー」の懐かしいビデオが流れました。

僕が初めて自分の小遣いで買ったレコードは、このフリートウッドマックの名盤「噂」Rumoursだったんです。

正確には、1976年当時は自由に使える機械はラジオカセットだけだったのでカセットテープを買いました。LPレコードが2500円になる直前の2300円でした。その後、LPレコードでも買い換えましたし、CDの時代になったら割りと早く買い換えてしまいました。更に、最近出た、アウトテイクが多く入ったリマスター盤も買ってしまいましたから、同じものに最も金をつぎ込んでいて、ひょっとしたら今までで最も聴いたレコードかもしれません。「無人島への一枚」になるかな?

Fleetwood_mac_rumors_classic_albums そして更に、名盤が作られた裏側のドキュメンタリーシリーズで、この「噂」を扱ったDVDも手に入れました。

克也さんも、このグループは全盛期当時から、メンバー同士が結婚したり離婚したり、マネージメントや所属事務所もグループで一つではなくメンバーごとにばらばら、こんなグループは長続きするわけがない、とおっしゃっていましたが。

76年から77年にかけて、アメリカのLPチャートで半年以上1位を譲らなかった名盤で、シングルヒットも多く出て、ヒットチャートマニアになり立てだった僕は、これは永遠に続くんじゃないか、なんて思っていたほどです。

でもその名盤の制作の背景は、実はむちゃくちゃだったんだとわかって、少年時代の夢が崩れた気分でした。収録された曲全ては当時の自分たちのことを歌っている、なんていわれて、改めて聴き直してみると、納得してしまうのですが、やはりやるせないです。

            Stevie_nicks_bella_donna 録音当時、グループ内の二組のカップルが危機的状態。事実婚だLindsay_buckingham_law_and_order_1 ったリンジー・バッキンガムとスティーヴィー・ニックスは割りとドライで、破局後も仕事上のパートナーとして曲作りやコーラスワークを一緒にやる。スティーヴィー作Dreamsも、リンジー作 Go Your Own Wayも、互いに自由がほしいのね、好きな道を歩もう、というエール交換だった。ところがスティーヴィーは、曲作りやツアーのプレッシャーで精神的に参っていて、80年代半ばまで麻薬に手を出していたという。Gold Dust Womanはそれで得られる覚醒状態の歌だった。

Christine_mcvie_in_the_meantime これに対してドロドロだったのがジョン・マクヴィーとクリスティン・マクヴィー。ジョンは現在なおクリスティンに未練たらたらのようだ。ところが、この時期にはっきりクリスティンから三行半をつきつけられてどん底状態、音楽に逃げるしかなかった。更にところが、クリスティン作 You Make Loving Funは、当時の彼女の不倫相手を歌った曲だった。相手はツアーの照明監督で共通の友人だった。そんな曲でベースを弾かされるジョンの心境はどんなものだったのだろう。

当時、クリスティンとスティーヴィーは女同士でアパートで共同生活をしていたが、ある日、泥酔したジョンが、クリスティンの名前を大声で叫びながらドアの外までやってきた。二人は門前払いをしたという。

これだけばらばらになりかけていたメンバーで、お互いが愛せなくなっていても、絶対切れない鎖で縛られ続ける(The Chain,メンバー全員参加での作曲)。

クリントン前大統領が、最も好きな曲ということでキャンペーンソングにもした クリスティン作Don’t Stopも、内容は前向きだが、こんな状況の中、何とかやっていこうよ、というメッセージだとしたら、それほどポジティヴに聞こえてこない。

アルバムタイトル「噂」はジョンのアイディアで、今自分たちを取り巻いている話は、単なる「噂」であってほしい、本当であってほしくない、という意味がこめられていたという。

子供のころラジオから流れてわくわくして聴いたポップな曲の数々には、こんな物語があったのでした。

Fleetwood_mac_say_you_will 3年前、クリスティン抜きの4人で再結成し、Peacemakerで、アメリカンミュージックアワードも受賞しました。また次回作の計画もあるとか。

長続きしそうもないバンドで、確かに何度も活動停止をしましたが、他のベテラングループがいろいろな理由で新メンバーを加入させて存続を図る中、いまだに全盛期に近いメンバーで活動できています。商売のため割り切ってできるということなんでしょうが、それはそれでいいのかもしれない、と思えてきました。

| | コメント (10) | トラックバック (8)

« 2006年1月 | トップページ | 2006年3月 »