Business as Usual
本当に名古屋での長くのお勤め、お疲れ様でした、有難うございました。
やはり思ったとおり、静かな幕引きでした。11年もの長寿番組、局開設以来の看板番組の一区切りにもかかわらず、派手に何かの特集をしたりリスナーへの特別なプレゼントをしたりするどころか、曲紹介は普段の通り、レギュラーのコーナーも全て普通にこなし、降板を惜しむメッセージも最小限しか取り上げず、リスナーから多数あったと思われる克也さんに感謝を捧げるリクエストも採用せず。see you next weekといわれても何も不思議はなかった。普段の進行と何も変化ない。その夜、テレビをつけたらやはりいつも通りベストヒットUSAもやっていたし。
二回前にも書いたけど、そういうのが克也さんらしい。
最後の挨拶も、またお耳にかかる機会はあるでしょう、という、終了を残念に思うリスナーにとっては気が抜けるものだったかもしれません。
しかし、実際そうなのでしょう。
ZIPは克也さんが第一声を挙げて開局した局だし、克也さんがこれだけ長く看板番組を続けて地域音楽シーンを開拓した歴史は誰も忘れないだろうし、いろいろアドバイザー的なこともやっていらしたようですし。そして、克也さんにもある程度の愛着が生まれていることも願いつつ。また特別番組などでいらっしゃる機会もあるのでしょう。またぜひよろしくお願い申し上げます。
番組が開始された95年の今頃は、少し前に阪神淡路大震災があり、そして、あの事件、で日本全体が揺れていた時期でした。テレビでは毎日、全局がゴールデンで報道特別番組をやって同じネタの使い回しをして、ジャーナリストのEさんやAさん、首謀団体からはJさんやAさんが必ずどこかに出演していたような状態でした(私事ですが、僕はあの事件発生の瞬間、千代田線ではなかったけど別の地下鉄に乗っていて、国会議事堂前というものすごく近くにいた)。そして番組終了の翌日、首謀団体の総帥の刑がほぼ確定する。日本の裁判の遅さを改めて時間すると同時に、ある種の感慨も覚えます。
その後、先週書いた以外にも、サラ・ブライトマン & アンドレア・ボチェリ “Time to Say Goodbye”が1位でかかった瞬間に出た大きな虹、ダイアナ元妃急逝のニュース、豊橋での地震、途中までやっていた年間チャートの時のテレビとのメディアミックスでの、克也さんの一人四役ビートルズコントなどなど、いろいろ名珍場面事件があった11年間でしたが、克也さんにとってはどうだったんでしょう。残るのは感慨でしょうか、それとも単なる一つの番組が終わった、という感じでしょうか。
Business as Usual、普段どおりの仕事、は、曲のタイトルではなくて、オーストラリアのMen at Workの出世作、”Who Can It Be Now?”(「ノックは夜中に」)”Down Under”などを含んでいて、初期のベストヒットUSAを盛り上げていた一枚でした。
お誕生日おめでとうございます。マライヤ・キャリー、クェンティン・タランティーノと同じ。そのベストヒットが始まった1981年春、誕生日を迎えて40になられた克也さんが、ワールド・ミュージックのオープニングトークで「早く若くピチピチした奴に蹴落とされたい」とおっしゃっていました。それから四分の一世紀が経過し、今なお現役で最前線を張り、何時間もの番組をこなしていらっしゃるヴァイタリティ、自分も将来見習いたいです。呂律が回らなくなっても尖ったDJでいてください。
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