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2006年3月30日 (木)

Business as Usual

Topics01 本当に名古屋での長くのお勤め、お疲れ様でした、有難うございました。

やはり思ったとおり、静かな幕引きでした。11年もの長寿番組、局開設以来の看板番組の一区切りにもかかわらず、派手に何かの特集をしたりリスナーへの特別なプレゼントをしたりするどころか、曲紹介は普段の通り、レギュラーのコーナーも全て普通にこなし、降板を惜しむメッセージも最小限しか取り上げず、リスナーから多数あったと思われる克也さんに感謝を捧げるリクエストも採用せず。see you next weekといわれても何も不思議はなかった。普段の進行と何も変化ない。その夜、テレビをつけたらやはりいつも通りベストヒットUSAもやっていたし。

二回前にも書いたけど、そういうのが克也さんらしい。

 最後の挨拶も、またお耳にかかる機会はあるでしょう、という、終了を残念に思うリスナーにとっては気が抜けるものだったかもしれません。

しかし、実際そうなのでしょう。

ZIPは克也さんが第一声を挙げて開局した局だし、克也さんがこれだけ長く看板番組を続けて地域音楽シーンを開拓した歴史は誰も忘れないだろうし、いろいろアドバイザー的なこともやっていらしたようですし。そして、克也さんにもある程度の愛着が生まれていることも願いつつ。また特別番組などでいらっしゃる機会もあるのでしょう。またぜひよろしくお願い申し上げます。 

番組が開始された95年の今頃は、少し前に阪神淡路大震災があり、そして、あの事件、で日本全体が揺れていた時期でした。テレビでは毎日、全局がゴールデンで報道特別番組をやって同じネタの使い回しをして、ジャーナリストのEさんやAさん、首謀団体からはJさんやAさんが必ずどこかに出演していたような状態でした(私事ですが、僕はあの事件発生の瞬間、千代田線ではなかったけど別の地下鉄に乗っていて、国会議事堂前というものすごく近くにいた)。そして番組終了の翌日、首謀団体の総帥の刑がほぼ確定する。日本の裁判の遅さを改めて時間すると同時に、ある種の感慨も覚えます。Sarah_brightman_time_to_say_goodbye_1

その後、先週書いた以外にも、サラ・ブライトマン & アンドレア・ボチェリ “Time to Say Goodbye”1位でかかった瞬間に出た大きな虹、ダイアナ元妃急逝のニュース、豊橋での地震、途中までやっていた年間チャートの時のテレビとのメディアミックスでの、克也さんの一人四役ビートルズコントなどなど、いろいろ名珍場面事件があった11年間でしたが、克也さんにとってはどうだったんでしょう。残るのは感慨でしょうか、それとも単なる一つの番組が終わった、という感じでしょうか。Men_at_work_business_as_usual

Business as Usual、普段どおりの仕事、は、曲のタイトルではなくて、オーストラリアのMen at Workの出世作、”Who Can It Be Now?”(「ノックは夜中に」)”Down Under”などを含んでいて、初期のベストヒットUSAを盛り上げていた一枚でした。

お誕生日おめでとうございます。マライヤ・キャリー、クェンティン・タランティーノと同じ。そのベストヒットが始まった1981年春、誕生日を迎えて40になられた克也さんが、ワールド・ミュージックのオープニングトークで「早く若くピチピチした奴に蹴落とされたい」とおっしゃっていました。それから四分の一世紀が経過し、今なお現役で最前線を張り、何時間もの番組をこなしていらっしゃるヴァイタリティ、自分も将来見習いたいです。呂律が回らなくなっても尖ったDJでいてください。

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2006年3月23日 (木)

Garden Party

克也さんの名古屋通いは終わっても、このコラムは続けていいらしい。

 克也さんは、名古屋での11年間、契約に含まれた休暇を除いて、皆勤でした。新幹線が停車してひやひやしたことはあったようですが。お疲れ様でした。

 私もこのサイト開設以来、入稿を欠かしたことは今のところありません。理由は、自分の第一の趣味の音楽やラジオのことについて自由にエッセイできる楽しさが六割から七割ですが、後の残りはある種の強迫観念に駆られてのような気がします。

 他のレギュラー執筆者は、克也さんと一緒に仕事をされて、したがってかなりの頻度でお会いしている方々であるはずです。翻って小生は、業界の人間でもない、克也さんとお会いできたのは数えるほど、ハガキ職人から成り上がった名古屋のリスナーの代表みたいな立場でしかない。そんな奴が穴を開けると、忘れられて捨てられるぞ、みたいな感覚がどこかにあるんですね。

 どうしても番組からネタを拾うことが多くなる小生にとって、克也さん番組が毎日のようにある関東と違い、名古屋での唯一の番組がなくなることは、ネタ探しに多大なるダメージになること必至で、今後がますます不安です。それ以上に、前回も触れたようにZIP-FMおよびZip Hot 100は東海地区の音楽市場を開拓した功績があり、その意味で一つの歴史が終わろうとしています。

 それはさておき、その数少ない小生と克也さんとの邂逅の機会は、Zip Hot 100の名場面集にも繋がりますので、ちょっと思い出してみようと思います。

Randy_vanwarmer_the_best_of_1  最初に生克也さんにお目にかかったのは961016日(日付は多分これで間違いないと思うが)、名古屋では恒例郷土三英傑パレードが行われた日、Randy Van Warmerが番組ゲストと、スタジオ横サロンで見にライヴをしに来た日。そのライヴ観覧の抽選に当たっていきました。その前の週、テレフォンチャンスラインで青い野球帽を当てていて、スタジオの中、放送中の克也さんに、これです、これです、と合図して御迷惑をかけました。

 その後、97年の春ごろには、当時はZIPで、今は全国公営放送局のFMでご活躍中のY.M.さんとの土曜午後の短いトークショーがあったりしました。このころ克也さんは土曜日午前にも名古屋ローカルでテレビ番組「ビビデバビデブ」をやっていて、週二回、二日連続の名古屋往復だったんですねえ。Matt_bianco_rico

 それからやはり、9810月、ZIP開局5周年を記念しての一連のイベント。特にハードロックカフェからの公開生放送では小生もでしゃばって少し活躍しました。クイズやゲストのマット・ビヤンコへのインタなど。

 あとZIPとは関係ありませんが、0054日、池袋西武の屋上でのニッポン放送のビートルズの電リク生公開放送も忘れられません。この時は個人的には愚息が誕生したばっかりで、命名の相談にちょっと乗っていただきました。

 そして最後の大きなイベントになってしまうのは、去年417日、万博会場でやった公開放送。カウントダウンと、スクリーンに映るビデオやゲストのパフォーマンスで、聴覚と視覚が見事に融合していました。小生も、テレフォンチャンスラインの三択問題で、前の二人が間違えて最後の一つが残ったときに繋がって正解、というおいしい経験もしました。これで22回目の正解、これは記録でしょうが、それで最後になってしまうのでしょうか。

その日の記録が万博公式ページの日記に残っています。

http://www.expo2005.or.jp/jp/E0/E1/head/0417_004.htmlTopics0417p000zip3

Topics0417p000zip4  下に克也さんとモリゾーの2ショットがありますが、その上の来場者の写真で一番大きく写っている、右下の、赤いメッシュの野球帽、サングラス、黒いTシャツの首の太い男が、何を隠そうこの私です。

 この写真からもわかるように、この日は楽しいガーデン・パーティだったわけですが。Rick_nelson_greatest_hits_1

Garden Partyといえば、50年代は Ricky Nelson として”Poor Little Fool” ”Traveling Man”などヒットを放ったアイドルが、70年代はシンガーソングライター的になってRick Nelsonと名前を変えたときのヒット曲。克也さんはアイドル時代の彼のコンサートの司会を既にやっていたという。85年に飛行機事故でなくなってしまいますが、その遺児二人がNelsonを組み、90年代に “After the Rain” “Do You Believe in Religion”なんてヒット曲を放つ。その彼らが98年にスタジオにゲストに来て、お父さんのことで話が弾み、生演奏でこのGarden Partyをやりだし、克也さんも一コーラス歌わされましたね。Nelson_the_best_of

 そんな名古屋も、あと一回。

 前回の日記で触れられていた、「おしゃべり人物伝」、僕が印象に残っているのは柴田恭兵さんがやった沢村栄治の回、あと卑弥呼の回、この時は早乙女愛さんだったかな。いい番組でした。西田ひかるさんが似たような番組を続けましたね。92年頃は僕も番組制作の手伝いでNHKに入りびたりで、見学したことがあります。
リック・ネルソンの双子の子供たちネルソンが、目の前で父親のヒット曲のメドレーをやってくれた時、涙が止まらなかった。親父と声がそっくりなんだもん。誰かリッキー・ネルソンがすごかった頃を覚えている人いる?知らない人にいくら力説しても伝わんないよー-小林

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2006年3月16日 (木)

Everything Must Change

やはりそういうことだったのですね。

Dcp_1435  ZIP HOT 100ではもともと90曲を駆け足のフラッシュで紹介し急上昇曲は何曲かピックして全曲流し最後の1時間でトップ10を聞く、というフォーマットだったのですが、数週間前から4時間かけて上位40曲をじっくりかけるようになったのです。落ち着いて音楽を聴けるようになったのはよかったのですが、このあたりから、少し怪しいという気配はありました。

5年前の還暦の際、ガセネタで克也さん引退降板説が流れたときはびっくりしましたが、このたびは本人から直々に出た話だし、マルコ氏とやった記念番組で、「あと5年くらいだと思ってますよ」の一言があり、それ以来改編期を迎えるたび、今回は大丈夫か、と心配になり、番組が続いているとほっとしたものです。番組が続くこと自体が有難いのであり、いつ降板されてもおかしくない。だから、今回の発表にはある程度覚悟ができていたようなところがあり、結構落ち着いています。週一回でも片道2時間かけて通うのがお体にも堪えてくるようになったのでしょう。

それでも、10年以上、当たり前のことのようにあったものがなくなるのは悲しいし寂しいし、実際なくなってしまった後に、ぽかんと穴が開いたような実感に襲われるのだと思います。ちょうど、小生が今の仕事で名古屋に来たのと克也さんの番組開始時期が重なっていたのでその意味でも感慨深く、その間に名古屋ではいろいろなことがあり、「洋楽不毛の地」と言われた空白地帯を克也さんは開拓したと思います。

 その気持ちを殺して、今は、有難うございました、ご苦労様でした、お疲れ様でした、残りの回数、最後の思い出の楽しい放送を宜しくお願いします、とあえて言いたい。

 番組終了のパターンは、派手に普段と違った特集をやるか、普段のままさりげなく終わるか、に二分されるようですが。克也さんの番組の場合、ラジオの野球中継がない時期の半年間限定ものの最終回を聞いたことが多いためか、後者のイメージが強いです。ZIPも後者になる予感。12日の放送でも、今春卒業、をオープニングでチラッと言っただけで後は何も変わっていませんでした。番組BBSでは克也さん卒業を惜しむメッセージ一色だったにもかかわらず。一つの歴史が終わるのですから、何か考えてもいいと思います。

 「あと5年」は結局名古屋での放送のことになってしまい、克也さん自身は、まだ「ローンも残っている」し、舌が回らなくなってもまだDJやるかもしれないとのこと。テレビの放送は続くでしょうけどラジオでお声が聞けなくなるのは耐えられません。別の形で残る予定はないのでしょうか。関東では毎日のようにある録音番組のいずれかを名古屋で流すとか、あるいは東京のスタジオから有線で名古屋に向けて放送するとか。

 そして小生のこのお仕事はどうなってしまうのでしょう。Paul_mccartney_wings_at_the_spead_of_sou_1

12日はポールとリンダが結婚した日、と言うことで、「リンダに捧げた曲」としてWingsSilly Love Songs”がかかりましたが。

 その曲は、リンダへの曲というよりは、ジョンと対話をしていた曲、なんですね。


John_lennon_imagine_2

ジョンのアルバム、Imagineの中の、アナログの時代で言えばB面の3曲目に” How Do You Sleep”という曲があり、これが強烈なポール批判の曲です。

君がやったことは 「昨日」(Yesterday、あの名曲)だけで、君が立ち去った後、君は単なる「ある日」(Another Day,ポールのソロデビュー曲)に過ぎない・・・Paul_mccartney_ram_1

Scan10002 なんて一節が出てきますし、またアルバムの中ジャケにジョンが豚の頭を捕まえている写真がありますが、これはポールのソロデビューアルバム Ramのジャケットの、牛を捕まえている写真を皮肉ったものです。その後、ジョンが「ポールがビートルズに貢献したことは、“バカなラブソング”をいっぱい持ち込んだことだ」と発言しました。

 ポールはその曲を聞き続け、その発言を受け、また同じようなことを言う批評家たちに対しても、アンサーソングとして“Silly Love Songs”を世に出したのでした。

君は、世間はバカなラブソングに飽き飽きしてるって言うけど、

僕の周囲を見回しても、そんなことはない

一部の人は世界をバカなラブソングで満たそうとしてるって言うけど、

一体それのどこが悪いのか、知りたいよ

だって僕は、また恋に落ちたんだから

愛はすぐにはやって来ない

全然こないときだってある

恋に落ちて初めてわかるんだ

愛にはバカバカしいことなんて全然ない

ポールのある種の開き直りとも取れます。

あの二人は、解散後も、こういう風に曲を通してメッセージを送り続け、対話、と言うか喧嘩の続きをしていたんですね。

Paul_young_from_time_to_time_singles_col Everything Must Change はポール・ヤングでした。

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2006年3月10日 (金)

Rock'n 'Roll Heaven

名古屋へいらっしゃらなかった日曜日は有意義でしたか?

というわけでラジオがなかったので、例によってベストヒットUSAの話。

Elvis_presley  35日は1960年、エルヴィスが兵役から除隊した日。

 ジョン・レノンは、77年のプレスリー逝去の際に、彼は軍隊にとられた時点で死んでいたと思っていた、と発言しており、そう思うファンも少なくないようですが、彼にとってはやはり人生の転機で、従軍先のドイツでプリシラと知り合うんですよね。

 大滝詠一翁いわく、日本の洋楽文化はどんなに戻ってもビートルズどまりだけど、アメリカやイギリスはエルヴィスまで戻れる。そこに深みの違いがある。

 克也さんも言っていた、1956年のデビュー時の初テレビ出演はジャズのトミーとジミーのドーシー兄弟が中心のサタデーナイトバンドスタンドで、そこでアレンジャーとして仕事をしていたのがクィンシー・ジョーンズでした。彼の回想によれば、ある時突然、メンフィスから若者がやってきてリハーサルで歌ったら、ジャズ専門のバンドは合わないから怒りだして、特別にメンフィスから彼のバンドを呼んで出演させた。トミー・ドーシーは彼を評し、あんな奴すぐ消える、と言ったそうですが、反響の投書が1万通近くあった。その後、保守的なミルトン・バールのショーに出演したが、それにはその十倍もの反響、と言うか苦情が殺到した。バールはその数で彼がスターになると確信し、マネージャーのトム・パーカー大佐に告げた。その数日後、スティーヴ・アレンのショーに出演したときには、話題作りのための出演だったけどアレンがプレスリーのスタイルを嫌っていたため、初めてタキシードを着せられ、ハットを被った老ビーグル犬を指差しながらハウンド・ドッグを歌わされた。

 とにかく、腰グラグラ、膝ガクガクのスタイルは黒人にもなかった。若い世代は夢中になるが、親の世代は物凄く嫌悪した。とにかく、エルヴィスは音楽とアメリカ文化を変えた。

Elvis_presley_on_stage ところがその後の兵役。除隊後も、パーカー大佐の勧めで映画に多く出るようになるがその自分の活動に疑問を持ち始め、宗教に傾倒するようになる。そんな中で彼の転機となったのが二つ目の映像で流れた、68年のカムバックショー。当時では珍しかった、三メートル四方の小さなステージを360度聴衆が取り囲むスタイルを取り入れ、観客からの直の反応をビンビン受け取り、自分のスタイルを再確認する。克也さんは「使用前、使用後」と言うちょっと否定的な言い方をなさっていましたが、これも彼にとってはいい意味での変化だったのでしょう。

Blues_brothers_briefcase_full_of_blues そして、1982年歿のジョン・ベルーシの命日。レイ・チャールズとの競演のシーンが流れました。日本で最初に発売されたブルース・ブラザースのLPのライナー解説が笑えます。書いている人がジョンとダン・エイクロイドのことを知らなくて、コメディ路線のサウンドトラックだと気が付かず、真面目なカバーアルバムだと思って小難しく解説してる。

Andy_gibb_sadow_dancing そしてそして、ビージーズのギブ兄弟の末弟、アンディ・ギブの誕生日でもあった。


Marilyn_mccoo_billy_davis_jr_i_hope_we_gRex_smith_simply_rex_greatest_hits アンディ・ギブと言えば、まだ
MTVもなくてプロモーションビデオがそれほど作られていなかった時期に開始されたベストヒットUSAが元ネタに使っていた Solid Goldというテレビ番組のホストをしていて、時々ベストヒットにも登場していました。女性司会者はフィフス・ディメンションのマリリン・マックー。彼が病気になったあとは、やはりアイドルで、Sooner or Laterというソープオペラで人気が出て、You Take My Breath Awayというヒット曲もあるレックス・スミスが取って代わりました。

 今回の登場人物は、みんな帰らぬ人になっています。

Righteous_brothers_reunion Rock’n Roll Heavenは、ライチャス・ブラザースの74年のカムバックヒット。作者は山下達朗の英語詩の相棒のアラン・オディ。その時点で亡くなっていたロックスターたちに捧げる曲。

 「永遠を信じるなら、一生なんてほんの一夜興行さ。

  ロックンロール天国があったなら、彼らはバンドを組んで楽しくやってるさ。

  ジミヘン、ジャニス・ジョプリン、オーティス・レディング、ジム・モリソン

  ジム・クロウチ、ボビー・ダーリン、みんな別の演奏場所を見つけただけさ」

それにプレスリーやレノンやジョージやマーヴィンや、今回の人たちも加わる。
願わくば坂本九も。

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2006年3月 3日 (金)

I Walk the Line

226日はいろいろと重要な日だったんですねえ。マイケル・ジャクソンの「スリラー」がアルバムチャートで1位になった日、誕生日も、ファッツ・ドミノに桑田圭祐と。

 ベストヒットUSAのタイムマシーンのコーナーでは出てきませんでしたが、ZIP HOT 100の「今日は何の日」では登場しました。カントリーの大御所、ジョニー・キャッシュの誕生日でもあるという。

Walk_the_line_soundtrack 放送でも言われましたが、彼については今ちょうど、伝記映画「ウォーク・ザ・ライン」が公開中で、僕もみてきましたので、リポートしようと思います。

 前に扱ったジョージ・マイケルやボブ・ディランの映画は本人も証言者として登場するドキュメンタリーでしたが、こちらは完全に、俳優が演技する普通の映画です。しかもオスカーの主演男優賞、主演女優賞、編集賞など5部門でノミネート、ゴールデングローブ賞も主演男優賞、主演女優賞、作品賞を受賞、その他評価も高く、だからというわけではないですが、鑑賞した感想としても、ジョニー・キャッシュそのものや音楽を知らなくても映画としてお勧めできる作品だと思います。

Johnny_cash_essential キャッシュは仲のよかった兄を、自分が釣りに行っている間に、自分がするはずだった仕事を任せて、事故で死なせてしまう。両親にこのことを責められ、彼に一生のトラウマとして残ってしまう。

 従軍などを経て最初の妻ヴィヴィアンと結婚、オーディションに辛くも合格しデビューを果たすが、少年時代からの憧れだったカーターファミリー(ギターをやる人にはカーターファミリーピッキングでお馴染み)のジューン・カーターと巡り会い、お互い家族へトラウマを持っていた二人は意気投合する。しかしキャッシュが関係を深めようとすると拒まれ、それでヤケになりドラッグにどんどんはまっていき、大規模な不法所持事件も起こしてしまい、廃人同様にもなり獄中生活も経験する。そんなどん底で、ジューンからの助けもあり立ち直って行き、また、自分が獄中の囚人たちに人気があるのを知り、伝説的なフォルサム刑務所でのライヴを皮切りに、それまでの罪滅ぼしにと一連の刑務所慰問ツアーを開始する。そして長い間拒まれ続けていたジューンに、コンサートの壇上で衆人環視の中で劇的なプロポーズをして二人は正式に結婚する・・・

Johnny_cash_at_folsom_prison キャッシュとジューンのラブストーリーのような前宣伝があり、確かにそうなのですが、ジューンがずっと拒み続けたこともあり、どうもそんな感じがしません。キャッシュの一代記として見たほうがいいかもしれません。



Tim_mcgraw_live_like_youre_dyingToby_keith_greatest_hits_2Waylon_willie_super_hits カントリーチャートでのヒット曲を140曲も持ちカントリーの大御所なんていわれていますが、個人的にはあまりしっくりきていません。現在のティム・マグロー、ケニー・チェズニー、トビー・キーズあたりにキャッシュの系譜をあまり感じないんですね。今のポップなカントリー、少し前に主流だった温厚で明るいファミリーミュージックとしてのカントリーとは違い、キャッシュはアウトローだった。カントリーとしての彼の系譜はその後ウェイロン・ジェニングスとかウィリー・ネルソンに引き継がれ、今はむしろロックに引き継がれている。この映画にメッセージを寄せた中に、ミック・ジャガー、ボノ、ポール・マッカートニー、ボブ・ディランらロックの人たちが多いことも、それを物語っているような気がします。

Rosanne_cash_the_very_best_of_ 僕はむしろ彼の(前妻との)娘でやはりカントリーシンガーであるロザンヌ・キャッシュの方をよく憶えている世代ですが、その彼女も、最近CSで放送になっていたライヴで、ジェイコブ・ディランの曲を歌っていました。

 主演はジョアキン・フィニックスとリズ・ウィザスプーン。映画中の歌も二人が歌っており、さすがにキャッシュ独特の地を這うような低音は再現できていませんが、それでも音楽的にいい出来で、サントラも評価が高いようです。ウェイロン・ジェニングス役で彼の実子シューター・ジェニングスが、ロィ・オービソン役でジョナサン・ライスなんかも出て来ます。

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