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2006年4月28日 (金)

Bad Day

 兎にも角にも、たいしたことなくて(こう言ってよろしいのでしょうか)よかったです。

 克也さんがラジオを休まれると言うことは、テレビ界で言えば今年初めにあった、みのもんたさんが検査入院するのと同じくらいの穴が開きますからねえ。

 さて、423日のベストヒットUSAのスター・オヴ・ザ・ウィークのゲスト、Daniel Powter

“Bad Day”がアメリカでも上がってきました。僕がよく聴くHot ACのチャートでは既に数週間前から1位独走中。

 「アメリカン・アイドル」でなくても、ドラマのエンディングテーマに使えそうな曲です。そのうち日本でもCMか何かに使われるんじゃないかな。

 曲も素朴ですが、インタでの人柄も、純粋、素朴で、まだ世界的な成功を実感していない、腰の低い人、という感じ。

 音楽で成功するなんて思っていなかった。成功しなくていいから、ただ音楽で仕事が続けられればそれでよかった、なんて、泣かせます。

 Daniel_powter_dp彼は下積みが長く、ついこの間までライヴをやるとしてももっと有名なアーティストの前座として、という場合が多かった。そういう時は、聴衆は明らかに彼ではなくその次に出てくる真打をお目当てにしていたから、彼への視線は冷たかった。それで彼はナーヴァスになり、彼はわざとピアノの向きを、聴衆から自分の顔が見えなくなるような角度において歌っていた。

 ところが、ある日突然、あるヨーロッパの音楽祭に、いつものように神経質に登場した彼は、拍手や歓声で、聴衆が彼の曲を求めているのを悟った。その日以来やっと彼は、聴衆をまっすぐ見て歌えるようになったという。

 そして今週、James Bluntが来日し、日本を縦断しています。

 この二人は、よく比較されることが多いですね。ベストヒットのインタでも質問が出ていましたし。確かに比較してみたくもなります。

   一、デビューしたての男性シンガーソングライター、
二、共にちょっと前まで音楽での成功は考えられなかった、
三、共に素朴、
四、共にヨーロッパで先に成功しアメリカは後追い、
五、共に人生のちょっとした悲哀を歌っている、

そんなことが共通点として挙げられるでしょうか。

実は、クラブクワトロでのライヴ終了後直ぐに書き始めているのですが。

彼もまだ腰の低い人。普通のライヴよりもThank You連呼が多かった。James_blunt_back_to_bedlam

軍人としてコソボ紛争の平和履行軍に従軍していた話は有名ですが、No Bravery(暴力反対!)という曲では、そのコソボ紛争の映像をバックスクリーンに映し出して歌うなどの演出もありました。最後はやっぱり、あの曲、で大合唱。

Gavin_degraw_chariotHowie_day_stop_the_world_now

 去年ヒットした、Howie Day, Gavin DeGrawなんかにも、素朴な男性シンガーソングライターとして、同じ匂いを感じます。そういうのが静かなブームになるかな。

 月曜、東京にいたのですが(James Bluntライヴのためではありません。本業でもいろいろあるんです!)、その日は埼京線のほうで線路の盛り上がりや、他の場所でも置石があったようで、山手線が止まっていて、連動している鉄道も全て遅れていました。それにも巻き込まれましたが、その日は不思議と、それとは関係なくても、何度も乗り換えの電車に、ぎりぎりで目の前でドアを閉められる日でした。そんな時、頭の中では Bad Day がずっとぐるぐる回っていました。

 克也さんも、今回のことは、Bad Day ちょっと運が悪かったんだ、くらいに考えて。前回も言いましたが、今までが働きすぎだったので、いい休養だったと思って。

 週末にはまた関東へ行きます。克也さんの復帰第一声は、久々に生放送で聴けるかな。

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2006年4月20日 (木)

Flying Saucer

突然、心配なニュースが飛び込んできましたが。

 御歳の問題云々以上に、克也さんは今まで休みもせず働きすぎたと思います。いい休養だと思ってゆっくり静養なさって、万全に回復してからまた戻ってきてください。

 名古屋の後釜の鉄平君の番組でも心配のメッセージが寄せられていました。また、Bent Fabricの時にいまだに「克也さんがおっしゃると説得力がある、ベント爺さん」なんて話が出てきて、克也さんの影が窺えます。またその裏番組の「山下達郎サンデーソングブック」(僕は95年までこの番組の熱心なリスナーだった。達郎さんがまだこの番組を続けていることに感謝し、僕がその番組に戻れてちょっと嬉しかったりする)で、「小林克也さんが介護保険手帳を持ってる唯一のDJを売りにしている、達郎さんももうすぐ、がんばって」なんてネタが出てきていました。

 克也さんがZIP HOT100をやっている間に書こうとしていてずっと機会を逸していたネタですが、いい機会ですので。

 先週、ここの四つ目のボタンでアップされた、スネークマンショーQAで、ジャンキー大山の「こなさん、みんばんは」はアメリカの昔のコメディから頂いちゃっているとのお話。他にも、アメリカの昔のジョークをかっぱらったりアレンジしたりしているとのこと。僕もチーチ&チャンなんかの影響があるなって思っていたことがあります。http://www.radiobaka.dj/gallery.html

ZIPでやっていたギャグのコーナーのパターンの一つに、曲から歌われている歌詞を細切れにし、その間を克也さんが繋いで会話のようにしてしまうやつがありましたが、それはディッキー・グッドマンから頂いているのではないかとずっと考えていました。

Dickie_goodman_greatest_fables 彼は50年代から活躍した、コメディアンと言うかアイディアマンというか、ノヴェルティアーティスト。克也さんの場合は、一人のアーティストと克也さんが会話したように繋げてしまいますが、グッドマンは、アーティストに拘らずその時々にヒットしている様々な曲のキャッチーな一部分を取り出して、自分は色々な場面でのインタビュアーに扮してその答えにコラージュにしてパッチワークみたいにして繋げていく。

 一番最初は1956年のFlying Saucer。当時マジで怖がられていた円盤の宇宙人襲来をテーマに、プレスリー「ハートブレイクホテル」リトルリチャード「のっぽのサリー」ペンギンズ「アースエンジェル」などなどロック創世記の名曲の一節が使われていました。これが大ヒットになり、同様の企画をその後40年以上、50枚以上のシングルレコードを製作しました。

70年代は同じやり方でウォーターゲート事件など政治問題を揶揄するレコードを多く作りましたが、彼の最大のヒットは75年のMr. Jaws.その年に大ヒットしたあの映画の、大サメの来襲を、やはりそのときのヒット曲、イーグルス「呪われた夜」キャプテン&テニール「愛ある限り」10CC「アイムノットインラブ」ビージーズ「ジャイヴトーキン」などの一節を繋げてパロっていました。これがノヴェルティレコードとしては珍しいトップ10ヒットとなり、その後もキングコング、スターウォーズ、スーパーマンなど大ヒット映画をモチーフに取り上げるようになります。

 そんな中、83年の大ヒット映画、E.T.を題材に取り上げた Hey E.T.を、字面ではわかりにくいとは思いますが、この映画をよく覚えている人、そこに取り上げられている曲はよくわかるベストヒットUSA世代の人も多いと思いますので、こんな感じだということでちょっと再現してみようと思います。

D:私は今、地球外生命体が発見された森の中に来ています。ETさん、どうして地球へやってきたのですか?Gogos_vacation_

答:”Vacation”, all I ever wanted”(「ずっと欲しかった休暇を利用して」 Go-Go’s “Vacation”


D:もとの星では何をしていたのですか?Human_league_greatest_hits_

答:”I was working as a waitress in a cocktail bar”(「カクテルバーでウエイトレスをして働いていました」ヒューマンリーグ”Don’t You Want Me”

D:ETさん、首が伸びていてきつそうですね。どうしてそんな格好をしているのですか?Juice_newton_juice

答:”….’s been a little bit hard on me”(「ちょっときつくて」Juice Newton “Love’s been a Little Bit Hard Me”


D:そういう格好をしてどんな感じですか?John_cougar_american_fool

答:”It hurts So Good!”(「微妙に気持ちいい」ジョン・クーガー”Hurts So Good”


D:ETが少年に見つかりました。エリオット君、ETに何か言いたいことは?Fleetwood_mac_mirage

答:”I don’t want no damage, but how am I gonna manage you?”(「僕は傷つきたくない、君をどう扱えばいいの?」フリートウッドマック”Hold Me”

D:エリオット君、ETがお母さんに見つかったら、お母さんはどんな目で見ると思う?Survivor_eye_of_the_tiger

:”Eye of the Tiger”(「トラの目」サヴァイヴァー”Eye of the Tiger”


D:ETが自分の星に電話をかけようとしてます。ET,どうやって電話するの?
Tommy_tutone_

答:”867-5309” Tommy Tutone, “867-5309, Jenny’s Number”


D:わお!ETがエリオット君の自転車を空中に飛ばしました。ET,どうやったんですか?Steve_miller_band_abracadabra

答:”Abra, Abracadabra, I wanna reach out and grab ya”(「アブラカダブラ、君に手を差し伸べて抱きしめたい」 Steve Miller Band “Abracadabra”

こんな感じです。無理やりのところもありますが、それも一興で、繋ぎのMCも楽しいし、ヒット曲が満載なのも楽しいんです。

 ディッキー自身は89年に亡くなってしまいましたが、その息子ジョンが彼の仕事を引き継いでいます。97年には、”Flying Saucer’97”、モルダー、スカーリ捜査官が登場する、UFO襲来のXファイル・バージョンを発表しました。

J:宇宙人さん、宇宙語で何か一言おねがいします。Hanson_middle_of_nowhere_

答:”mmm-bop, daba, doo-bop”(ハンソン 「きらめきMMM Bop」)

笑いは百薬の長。病気によく効きます。

克也さんも今回はギャグで人を笑わせるのは考えず、自分が笑って楽しい気持ちになって、早く治って出てきてください。

お大事に。

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2006年4月12日 (水)

Vincent

克也さんが、実は広島のお好み焼きをあまりお好きでないこと、名古屋の古いリスナーの間では結構有名な話だったんですけどねえ。

さて、9日のベストヒットUSA、Star of the Weekはリック・アストリー。

久しぶりでしたね。一時期、完全に消えちゃったって言われてました。

Rick_astley_greatest_hits童顔で、80年代に流行った短く清潔なヘアスタイルでアイドル的扱い、でも声と首が太く、背後にはストック-エイトキン-ウォーターマンがいて音作りもそれなりに本格的でした。

その彼がカムバック、どんな音になるかと思いきや、曲はカバーで、しかもゴッホのことを歌ったVincent

以前の彼からは想像もつかない選曲でした。

この曲は、ドン・マクリーンの曲のカバー。

Don_mclean_american_pie70年代初めのシンガーソングライターのブームの一翼を担った人ですね。いろんな意味でカバーに縁のある人です。自分の曲がカバーされるし、自分もカバーで有名になった。

彼の代表曲はなんと言っても「アメリカン・パイ」。72年に全米ナンバー14週続けた。原曲は8分以上もある大作。彼のヒーロー、バディー・ホリーの1959年の飛行機墜落死を、音楽が死んだ日、と嘆く曲。

Madonna_american_pie_1この曲は最近、と言ってももはや6年前の2000年になりますが、マドンナにカバーされて新たにお馴染みになりました。これも相当意外なカバーの取り合わせだった。フォークのイメージが強い原曲をエレクトリックポップにしちゃった。

Vincentはそのアメリカン・パイのフォローアップヒットでした。

Roberta_flack_killing_me_softly_1同じ72年頃、もう一つ彼を有名にしたのは、ロバータ・フラック「やさしく歌って」”Killing Me Softly with his Song”の大ヒット。




Jim_croce_i_got_a_name「ギターを爪弾くように、あなたの指で私の心の痛みを爪弾いて」で始まるこの曲、実はドン・マクリーンのことを歌っていたのでした。彼のライヴを見て感激したロリ・リーバーマンという女性シンガーソングライターが歌詞の大筋を思いつき、テレビ、映画音楽を多く手がけているノーマン・ギンベル、チャールズ・フォックスのコンビ(他にジム・クロウチ” I Got a Name”、テレビショー「ラヴァーン&シャーリー」の音楽などを手がける)に持ち込んで、この曲ができた。オリジナルはリーバーマンが歌ったが、このテープをロバータ・フラックが飛行機の中で聞き、自分がぜひ歌いたい、と申し出て、あの大ヒットとなる。日本でも、コーヒーのコマーシャルに替え歌が長く使われていました。Fugees_greatest_hits

最近、と言ってもこれまた10年前の96年、フージーズのカバーでお馴染みでしょう。この時、フージーズは、歌詞を「飢えが静かに私を殺す(killing me softly)」といった社会性を持った歌詞に変えようとしたところ、ギンベルとフォックスは拒否したという。

Perry_como_and_i_loveyou_so

この他に、故ペリー・コモの代表曲となっており、プレスリーのカバーも有名な ”And I Love You So”もドン・マクリーン作だった。




Don_mclean_legendary_songs_of70年代半ばにはスランプ期を迎えますが、80年に復活します。その時は自作曲でなく、ロィ・オービソンのカバー”Crying”でイギリスで火がつき、アメリカにも飛び火した。そのフォローアップも”Since I Don’t Have You”という、1958年のスカイライナーズというドゥ・ワップ・グループの名曲だった。この曲はブライアン・セッツァーやガンズ・ン・ローゼズも演ってます。Rick_astley_portrait

そんなドン・マクリーンの、自殺してしまうゴッホを描いた内省的な曲をカバーしたリック・アストリー。意外なカバーの取り合わせですが、これを含んだ再出発アルバム自体がカバーオンリーだという。調べてみると、さっき話題にした同じドン・マクリーンの”And I Love You So”も歌ってる。”Where Do I Begin”という曲も見受けられ、僕は試聴したわけではないので間違っているかもしれませんが、これは恐らくヘンリー・マンシーニ作、アンディ・ウィリアムスの歌で有名な「ある愛の詩」のテーマですね。”Cry Me a River”というのもあり、これには同名異曲がかなりあり、最近ではジャスティン・ティンバーレイクのものがありますが、リックが取り上げたのは雰囲気からするとジュリー・ロンドンのスタンダードのほうでしょう。他に”Close to You”, ”Make It Easy on Yourself”, ”What the World Needs Now”と、バカラックのナンバーも並んでる。プレスリーの「愛さずにはいられない」もあります。

リックのイメチェン、どう受けとられるのでしょうか。

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2006年4月 5日 (水)

What's Going On?

僭越ながら、42日は私の誕生日でありました。

 同じ牡羊座。克也さんの誕生日から一週間後の放送でおめでとうコール、というのが何年か吉例で続いていたのですが・・・

 年度替りの齢の数え方の関係で、学年の最初になります。最初に年をとるのは気持ちのいいものではありませんね。浪人できない、なんて思っていたし。小学校の頃は、一番お兄さんなんだからXXをやりなさい、といろいろな当番が最初に回ってきて、年度後半が誕生日の子には結局回っていかなくて、悔しい思いをしました。克也さんのような誕生日は羨ましい。Diana_ross_the_supremes_stop_in_the_name

 何歳になったでしょう。私が生まれた瞬間、19XX42日付(ちょうど土曜日だったようだ)のビルボード1位は、ダイアナ・ロス&スプリームス “Stop in the Name of Love”でした。

 今年はちょうど日曜日で、克也さんが名古屋に来なくなった最初の日曜、ベストヒットUSAのタイムマシンで、その日が誕生日、マーヴィン・ゲイの1982年のヒット”Sexual Healing”が流れました。Marvin_gaye_midnight_love

 創始期のベストヒットでも何度か流れて盛り上げた一曲だったと思います。高橋幸宏さんがゲストに来たときも流れました。「最近のチャートはつまらなくなったから聴いてない。出島もない」と言いつつ、この曲は「マーヴィンがリズムボックスを使い出してテクノっぽくなった」などとやたら詳しかった。

 その彼は、数年後の45歳の誕生日の前日、8441日に実父によって射殺されるという衝撃的な最期を遂げる。

 実父のマーヴィン・シニアには正当防衛が認められたとのことで、一方的に撃たれたわけでもない、相当激しい口論の末だった模様。母親をかばったとの説もありますが、もともとそういう親子だったようで。Marvin_gaye_whats_going_on

 ドラマーからキャリアをスタートし、モータウンの創立者ベリー・ゴーディーJrの姉アンナと結婚。60年代半ばからセクシーなソロシンガーとして評価は高まり、モータウンの女性シンガーたちとのデュエットも多く発表していくが、その中で最も気が合っていたタミ・テレルを70年に亡くし、最初に躓く。しかし彼はそれを、単なるラブソングシンガーから、名盤What’s Going Onを制作してイメージチェンジすることで乗り切ろうとする。当時ソウルには珍しかったノンストップ、コンセプトアルバムで、ヴェトナム反戦、対抗文化、人種問題、環境問題を前面に訴えたアルバムを世に問うた。しかしこのイメチェンをベリー・ゴーディーは気に入らず、発売を中止させようとするなどして、関係がこじれ始める。Marvin_gaye_here_my_dear

 それにアンナとの離婚問題が加わり、裁判も長引いてモータウンとの決裂が決定的になる。モータウンに残した最後のアルバムHere My Dearは、二枚組で、評価も高いが、実は印税全部をアンナへの慰謝料に当てるとの条件に出されたものだった。

 私生活がボロボロになって麻薬にも手を出すようになり、一時期ヨーロッパに逃避するが、立ち直るために両親の元へ戻る、ところがその両親ともそんな関係で・・・そんな中で復帰を計画して成功しかけていた時の事件でした。

 こうやって見てみると、マーヴィンは名声は手に入れましたが、それと引き換えに、彼の人生で本当の幸福は得られなかったのではないか、と遣る瀬無さを禁じえません。Leon_russell_st_1

 他に42日はレオン・ラッセル、日本では忌野清志郎の誕生日でもあります。一癖ある人たちが生まれる日なのかな。






Tony_orlando_dawn_the_very_best_of  また、Tony Orlando & Dawn「幸せの黄色いリボン」が73年に1位になった日でもあるそうですが、これもマーヴィンと奇妙な縁があります。Dawnの二人の女性、テルマとジョイスは、マーヴィンの代表曲、「悲しい噂」”I Heard It through the Grapevine”でバックヴォーカルを歌っていた。

Beatles_sgt_peppers_lonely_hearts_club_b_1

  他に番組では流れませんでしたが、67年、ビートルズがサージェ

ント・ペパーズの録音を完了した日でもあり、また2003年には、70年にやはり反戦ソング”War”「黒い戦争」を大ヒットさせ、その後ディスコに行ったエドウィン・スターが逝去しています。




Edwin_starr_the_very_best_of_3  音楽の話題のみに限ってみましたが、世界史を紐解いてみても必ず何かが起こっているわけで、自分の誕生日にこだわってみるのも面白いのではないでしょうか。



 このコラムですが、当然古いものはスレ落ちしていきますが、物書きの端くれとして折角書いたものが消えていくのは勿体無いし、結構力を入れて書いて、いい情報が盛り込まれている場合もあると自負していますので、独自にブログを作ってバックナンバーを保存することにしました。ここで話題にしたCDのジャケットも紹介し、ゆくゆくはレビューも加えていこうなんて思っています。よろしければ来て見て下さい。

http://radiobaka-archive.cocolog-nifty.com/

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