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2006年5月25日 (木)

You Haven't Done Nothing

恐ろしいタイトルで始まりました。

521日は、1962年、12歳のリトル・スティーヴィー・ワンダーが「フィンガーティップス」をライヴ録音した日ということで、「エド・サリバン・ショー」に出演した時の映像が流れました。

 「エド・サリバン・ショー」は今話題のGyaoでも観られますし、今度DVDシリーズが発売されるとのことで。そんな映像が残っていたんですねえ。

Stevie_wonder_early_classics_ 「フィンガーティップス」は、ポップスヒットチャート史上、ナンバー1ヒットとしては最年少記録であると共に、ライヴ録音のシングルレコードとして最大のヒット曲という記録も持っています。二つとも40年以上破られていない。

 克也さんも、その後のスティーヴィーの成長のことを「ちょっと力が入った」状態で熱弁されていらっしゃいました。

Stevie_wonder_uptight それから4年後の66年の”Uptight”の頃には声変わりも終わって、ほとんど今の声に近くなっていました。

 克也さんもおっしゃっていたように、彼が偉かったのは、かなり早い段階でモータウン。レコードからセルフ・プロデュース権を獲得していたところ。

Martha_vandellas_thev_ultimate_collectio 60年代のモータウンは、よく言えばいわゆるモータウン・サウンドとしてスタイルを確立しており、悪く言えば没個性状態。ベリー・ゴーディJrの徹底的な管理体制が築かれ、あたかもデトロイトの自動車産業の大量生産体制のように、音楽のスタイルを統一規格化していた。ヒット曲を量産したが、詩の内容はティーンエイジャーの日常や他愛のないラブソングが中心(マーサ&ヴァンデラスDancing in the Streetあたりは例外か?)、リズムもあの独特のやつが中心で、ブラック・バブルガム・ミュージックと呼んでもいいものだった。アーティストの個性を際立たせるものでは決してなく、よく言えばブランドのスタイルが確立したものであったが、どれも似たような感じであったこともまた事実。

Edwin_starr_the_very_best_of そんな中、60年代に黒人が経験した公民権運動やベトナム反戦が音楽にも影響し始め、ニュー・ソウル・ムーブメントが巻き起こります。彼らの音楽にも社会的な主張が強くなってくる。モータウンにもノーマン・ホィットフィールドのようなソングライターが台頭し、エドウィン・スター”War” 「黒い戦争」テンプテーションズ”Ball of Confusion"なんていう骨太のヒット曲が出るようになる。

Stevie_wonder_innervisionsMarvin_gaye_whats_going_on_1 そんな中で、スティーヴィーもシンセサイザーに目覚め、克也さんの一押し、社会的な攻撃性と美しさの混じり合った名盤 Innervisionsを発表し、都市部の黒人の生活の悲惨さを歌った”Living for the City”「汚れた街」が大ヒットを記録する。その少し前に、先月書いた、マーヴィン・ゲイ”What’s Going on?”の発表があり、やはり社会性を帯びてきたマーヴィンの音楽と、それを気に入らなかったゴーディとの軋轢が始まります。

 同じ時期、モータウンは音楽の変化以上の変化を経験する。モータウンとはmotor townつまり自動車産業の町デトロイトのことなのに、72年、本拠地をデトロイトからロサンゼルスに移してしまう。

Billy_joel_storm_front アメリカの経済の中心が西海岸に移っていく現象を象徴するかのような出来事で、ビリー・ジョエルの、戦後の出来事をラップみたいにして並べた”We Didn’t Start the Fire”「ハートにファイア」の歌詞の中にCalifornia baseballと出てくる、1958年のブルックリン・ドジャーズが西海岸の会社に買収されてロサンゼルス・ドジャーズになってしまったことがニューヨークっ子にとって大ショックだったのと同じように、モータウンレコードの移転で、デトロイトは死んだ、と言われました。

Various_artists_hitsville_usa また更に同じ時期、モータウンの古参だったフォートップス、グラディス・ナイト&ピップスなどが、管理体制に嫌気が差したのか、独自のスタイル追求のために次々とレコード会社を移籍する。

 また、そのように変化していくモータウンに対して、本当のモータウン・サウンドを追求するべく、モータウンのソングライターチームだったHolland-Dodger-Hollandは、デトロイトに残り独立レーベル Invictus/Hot Waxを立ち上げる。

Jackson_5_the_ultimate_collection この70年代初頭、ジャクソン5は、4曲連続のナンバー1を放ち、モータウンレコードの新たな顔となります。ベストヒットUSAのタイムマシーンのコーナーで、やはりエド・サリバン・ショーからの映像でジャクソン5が流れました。奇しくも同じ12歳の折のリトル・スティーヴィーとマイケル・ジャクソン。同じようなバブルガムっぽい印象を受けましたが、その間の10年近い隔たりはそれだけの変化を経ていたのでした。逆に言えば、ジャクソン5はゴーディの管理バブルガム路線の最後の踏襲者だったのかもしれません。しかしそのジャクソン5も、70年代半ばにはディスコやフィラデルフィア・ソウルからの影響がより濃くなります。

Stevie_wonder_fullfinlingness_first_fina そんなスティーヴィーとジャクソン5が出会ったのが、74年スティーヴィーのFulfillingness First Finaleという、やはり美しく攻撃的なアルバムの中の”You Haven’t Done Nothing”「悪夢」という曲。シングルとしても全米1位になっています。ジャクソン5はバックコーラスに招かれてdoo wopと繰り返すだけですが、これもスティーヴィーの当時の社会性を顕にした、ウォーターゲート事件を批判した曲。ニクソン大統領を、御託並べるだけで何もやってないじゃないか、と当時の雰囲気を代弁したような曲。とがっていた頃のスティーヴィーには、この「悪夢」をはじめ、「迷信」「回想」「疑惑」といった、漢字二文字の邦題がよく似合っていました。

Cars_heartbeat_city そうそう、それから、リクエストコーナーでCars “You Might Think”が流れました。初期のMTVビデオアワードに輝いただけあって何度観ても楽しく斬新なクリップですが、時間がなかったのか、Rick Ocasekが蝿になって女の子に近付いていく部分まで流れなくて残念でした。

 克也さんは触れられませんでしたが、その筋ではこのカーズの再結成、相当話題になっています。といっても、”Drive”などでリードヴォーカルをとっていたBenjamin Orr2000年に他界、リーダーだったリック・オキャシックも参加は見合わせたという。オリジナルメンバーで残っているのはギターのElliot Easton、キーボードのGreg Hawkesのみ。

Todd_rundgren_todd それで誰がフロントマンになったかというと、なんとあのトッド・ラングレン!!!

 そして彼のプロデュースしたバンド、ユートピアからベースのKasim Sultonを連れてきて、ドラムは元TUBESPrairie Princeという布陣だという。

 現在、ブロンディとのダブルヘッドライナーでアメリカをツアー中。

 バンド名もThe Carsではなく The New Cars。トッド・ラングレンはカーズのヒット曲をどれだけ歌っているのか?彼自身の曲はどういう扱いを受けているのか?それ以上に、どういう音になっているのか?

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2006年5月18日 (木)

My Way

514日はフランク・シナトラの命日ということで。

もう8年になりますか。

Paul_anka_five_decadesベストヒットUSAでは、かわりにポール・アンカ「ダイアナ」が流れました。シナトラの代表曲「マイ・ウェイ」の作者であるつながりがありますが、シナトラに適当なVがなかったのか、あまりにも番組のイメージから離れすぎていたのか。



Paul_anka_rock_swings_ ポール・アンカの一番新しい録音は、ヴァン・へーレン「ジャンプ」、ニルヴァナ「スメルズ・ライク・ティーンスピリット」なんかを、ビッグバンドをバックにカバーした「ロック・スウィングス」ですが。



Rod_stewart_greatest_american_songbook ロッド・スチュアートの「グレイト・アメリカン・ソングブック」のシリーズ、これは古い曲をそのままカバーしたものですが、そういう原点回帰の企画が流行っています。



Joan_jett_b_the_blackhearts_i_love_rockn 実はシナトラも似たようなレコードを出したことがあります。85年くらいに、当時のヒット曲、ジョーン・ジェットの「アイ・ラヴ・ロックンロール」なんかをメドレーにしてスィングジャズ風にアレンジして、マイナーヒットになりました。

 といっても、実はこれはシナトラ自身のレコードではなく、数多い彼の物まねをするコメディアンの一人が企画したノベルティ・レコードでした(レコードの名義を全く憶えていません。検索してもわかりませんでした。御存知ならば御教示ください)。

 このレコードで、偽シナトラが歌いだす前に、マイクがオンになっているのを気付いていないという設定で、ひそひそ話が漏れる場面があります。「ジョーン・ジェットって何だよ?ジェット機の親戚か?」

 今のブッシュ大統領が、マイクがオフになっていると思ってうっかり、assholeと口走ってしまったように。

Frank_sinatra_my_way シナトラは最高のエンターテイナーでしたが、同時に暗いイメージも常に付きまとっていて、またそれを敢えてあまり隠そうとしなかったことが彼の特徴だったといえるのではないでしょうか。

 暴力沙汰事件、暴言事件の数知れず。新聞記者を名指しして、寄生虫、売春婦、と罵ったり。ジョーン・ジェットのは、いかにも言いそうなことでしたが、まだ軽い。

 そしてなんと言っても、シナトラといえばマフィアとの関係。小説「ゴッドファザー」の中で、主人公のマフィアの保護下にあったイタリア系の歌手が登場しますが、これのモデルは明らかにシナトラでした。

ジアンカーナという有名なボスがいて、他のボスの議会公聴会証言でその地下組織の存在が白日にさらされ、ジアンカーナの行動は目立ちすぎて地下組織を更に危うくすると危惧した他のボスたちがジアンカーナ抹殺を仕掛けたとき、彼はラスヴェガスのシナトラの別荘に逃げ込んで匿われました。

マフィアとの関係を詰問するためにシナトラ自身が議会公聴会に招聘された例も数知れず。

更に同時に彼は権力慾もあからさまで、彼は最高のエンターテイナーとして、時の最高権力者の親友でありたいと常に願っていた人でもありました。

いわゆる「シナトラ一家」の一人にケネディ大統領の義弟にあたる、俳優ピーター・ローフォードがいて、それを伝手にケネディに接近し、選挙の応援は言わずもがな、大統領就任式の前日に史上空前のディナーショーを開いて選挙運動資金の赤字を補填した。

(ピーターの息子、つまりケネディ大統領の甥、クリストファー・ローフォードも俳優になっていて、そのケネディが主人公の「13 Days」、他にハリソン・フォードの「What Lies Beneath」なんかに出演しています。 13ディズ、ノベライズ文庫本の解説は私が書いてます。よろしく)。

 シナトラはケネディ大統領の初めての西海岸での休養の折、自分の別荘に招く計画を立て準備万端整っていたが、ケネディはドタキャンをした。司法長官としてマフィア摘発の先頭に立っていた弟ロバート・ケネディがストップをかけたのだ。

 その後、シナトラはニクソン大統領にも接近し、ウォーターゲート事件で大統領が国民から総スカンをくらってもなおニクソンを支持し続けますが、それでもニクソンはマフィアとの関係を嫌ってシナトラを疎んじ、むしろ「シナトラ一家」のサミー・デーヴィスJrと仲良くなります。更に晩年は、レーガン大統領にも近づこうとします。

 古臭い話が続いてしまいましたが。

「マイ・ウェイ」は、

時には柄に合わないこともやり、後悔もある

だが、試練を受け止め、全力を尽くして、自分なりのやり方で人生を生きた

という、彼の人生そのもの。自己陶酔と自己弁護が入っているから。

日本でもワンマンショーなどでは最も歌われる歌です。

克也さんも、数年前の「花咲コバヤシ」の企画で中村雅俊さんとデュエットで歌われました。

克也さんはどのような感慨で歌ったのでしょう?

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2006年5月12日 (金)

Eight Days a Week

克也さんをはじめ、このサイトの関係諸兄姉には世間のゴールデンウィークなどまったく関係なく通常営業だったことと思います。

 しかしかく言う小生は幸か不幸か業界とは基本的に無関係ですので人並みの休みがありました。といっても、言い訳ですが小生の業種は日々是仕事みたいなところがあり、休日で時間拘束の仕事はなくとも、ものを書いたりといった自分の時間を使ってやる仕事は常について回るわけで、休みといってもまるっきり遊んでいるわけではないということは最初にお断りさせていただきます。

 それでもその間は、実家のある関東で8日間、ほぼ一週間を過ごし、普段暮らしている名古屋ではめっきり聴けなくなったラジオでの小林克也番組をしっかり満喫してまいりました。Photo_1


水曜日深夜0時、ベストヒットUSANACK 5)

この番組を聴くのは初めて。テレビでのトレードマークであるVapor Trails “Don’t Worry Baby”がテーマやサウンドステッカーとして、またテレビでの決め台詞がところどころに使われていたのは想像していた通り。でも僕の想像ではもっとテレビのフォーマットを真似た番組かと思っていたが、実際は案外そうではなかった。たとえば、レディオ&レコーズのチャート紹介は、克也さんがただ読み上げるのではなくて、そりゃあ映像を流すのは無理でも、曲のフラッシュを流しているのではないかと思っていました。選曲は普通。

金曜午前9時 ファンキー・フライデー (NACK 5)

この番組はすごい。ステッカー(本物と思われる)を張ったトラックを名古屋でも見かけたことがあるし、埼玉では店が、ウィンドウに誇らしげにサイン入りステッカーを貼り掲げている。8日間の関東滞在の間にTシャツショーのTシャツを着ている人に二人すれ違った。

克也さんとリスナーのテンションが高い。週替わりテーマに沿っての投稿や恋愛に関する投稿はみんな捻りが効いているように聞こえる。本当に数千の投稿の中から選びぬかれたものなのだろう。僕なんか生半可ではとても参加できない。しかもそれを克也さんは、感想をあまりまじえずひたすら読み続ける。トラックの運転手さんの投稿が多いなあ。全投稿者が「例のあの物」を要求する。ミッキーも一ヶ月ぶりに聴いた。ナンだ、おんなじじゃないか。後期のZIP HOT 100は、実は「ファンフラ化」していたんだなあ。

金曜午後1130分 ハリウッドFM (Inter fm

普段は数ヶ月前のものをストリーミングで聴いているが、やっぱり最新のものを聴きたいものだ。個人的には選曲は一番いい(つまり洋モノ純度が高く、通好みに近い)。30分は短いなあ。前みたいに情報コーナーや海外スポット来訪コーナーはもうないのかなあ。

土曜午前7時 お願いDJ 青春ベストリクエスト (ニッポン放送)

現在名古屋ではこの番組の一コーナーが聴けるのが唯一の克也さんラジオである。この番組ももう結構長くなっていて、僕も何度も聴いているので落ち着いて聴ける。中波だし、一番幅広い層が聴いている番組ということで選曲も一般向け。ダニエル・パウターを「ご紹介します」といってかけなければいけない番組だから。そういえば彼、今週、急遽再来日したようですね。

番外 土曜午後11時 SMAStation (テレビ朝日)

キース・リチャーズが椰子の木に登って転落して脳震盪を起こしたニュース。

「情報が交錯しているが、重病説が誤りであることを祈ろう」

それは数週間前のあなたのことですよ、克也さん。

日曜午前930分 ポップ・ミュージック・マスター (TOKYO FMDoobie_brothers_captain_me

この番組も聴くのは初めて。オープニングとエンディングはドゥービー・ブラザーズ “Long Train Running”のイントロをループしてテーマにしている。おそらく毎週曲は違うのだろう。ZIPでやっていた前後テーマと同じだなあ。特にドゥービーは、イントロのフレーズやリフがそのままAメロに流れるパターンの曲が多くてループしやすく、これに使いやすいんだよね。ニヤッ。Green_day_super_hits

訳詞コーナーもある。前日の「お願いDJ」のビリー・ジョエル「素顔のままで」のような超メジャーな曲ではなく、グリーンデイ「バスケットケース」というやや渋の曲。これもZIPでやってたソング・オヴ・ザ・ウィークとよく似てるな(グラミーの、ソング・オヴ・ザ・イヤーを、・・・ウィーク、と言いそうになっていましたね)。コマーシャル前後での音楽トリヴィアの三択クイズもあった。ここでもひょっとしたら使い回しがあったのかなあ。

日曜午後6時 ビートルズから始まる Bay Fm

実家に帰る楽しみの一つはこの番組が聴けること。かつて、日曜日1646分名古屋発東京行き「のぞみ」号を使えば、克也さん本人にも絶対にできない、360キロを股にかけた小林克也番組のハシゴができたのだが。

スチュアート・サトクリフの参加の経緯や、ビートルズという名前の由来など。いつも思うんだけど、このビートルズ物語、カセットにして売り出すか無料配信したらいいんじゃないかなあ。Beatles_rubber_soul

今回はゲストも訳詞コーナーもなく後半はリクエストのみ。Girlがかかったとき、「女の子、って歌だからジョンがコーラスに捻りを加えて色っぽくしたんだよね」という、奥歯に何か挟まったような説明。ZIPでは、バックコーラスのtit, tit, tit, tit,これは、オッパイ、オッパイって言っているんだよ、とはっきり言っていた。以前ここの日記に書かれていた、大学の同窓生が社長を勤めているスポンサーの清潔なイメージに配慮してビートルズの際どい部分がはっきり言えないのが辛い、というのはこのことか、とニヤリ。

Topics02とにかく、実際の声をお聞きして、元気で何よりです。手術を話のネタにできるくらいだから、だいぶ安心しました。

五月みどり「一週間に十日来い」もEight Days a Weekから頂いちゃってるって本当ですかね。

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2006年5月 5日 (金)

99

大変だったのですね。しっかり体力をつけて、お大事に。

 4月27日、TOTOのライヴに行ってきました。

 ここのところ、ストーンズ、ボンジョヴィと大物来日(名古屋飛ばしが多いことを考えると、来名、というべきか。全国的に通じない言葉ですみません)が相次いでいたのですが、仕事が重なっていけない、ドームコンサートはあまり好きではない(金が続かない、等々)などの理由から残念ながらパスしていて、ミック・ジャガーの「最高だギャあ!」(ステージから名古屋弁でシャウトしたらしい)も生で聞けず。でも行ける時には行っておこうということで。

 そこも実はあまりいい思い出がある会場ではなかった。古い公立の公会堂でロックコンサートを念頭に作られた建物ではない。二階、三階だと天井が異様に低く感じられ、比較的背が高いほうとされる小生は、盛り上がって前の席の観客が立ち上がっても怖くて立ち上がれず、ステージが見えなくなる。それがあって以来行っていなかった会場なんですけど、運良くそういう席ではなくほっとしました。

 それでも小会場のライヴのほうが大好きで、TOTOの個々のメンバーともそっちの思い出のほうが強い。

 まず、スティーヴ・ルカサー。

 今回のライヴのメンバーで結成以来ずっといるのはもはや彼だけで、ステージでも完全にフロントマンとして活躍し、MCも全部やっていて、日本語の音の真似や英語の四文字語を使っちゃうなど、相当ふざけてはしゃいでいました。

 僕が最高の彼を観たのは、ラリー・カールトンとのジョイントライヴ。小さな会場で、ヴォーカル曲なし、ロックの曲もなし、ひたすらフュージョンジャズを演りまくるステージでしたが、彼は別の意味ではしゃいでいました。ふざけたりヘンな言葉を発するというのではなく、とにかくギターを弾くのが楽しそうで。彼にもギター小僧の時代があり、それに一瞬戻っていたのではないかな、と。

 次にボビー・キンボール。

 これも最高だと思ったのは間近に観られた時で、6,7年前、日本向けの特別企画で、日本で人気のあるいわゆるAORグループのヴォーカリストたち、ボビーや、Joseph WilliamsTOTOの三代目ヴォーカリスト、映画音楽のジョン・ウィリアムスの子息)、Jason Scheff, Bill Champlin(共にシカゴ)、Tommy Funderburk(エアプレイ、ボストン)たちが集まり、70年代のヒット曲をアカペラでカバーして2枚のCDを出した「ウェスト・コースト・オールスターズ」という企画があったんですけど、そのライヴイベントの折。ボビーを含めて彼らは、声が大きく、とにかく歌うのが大好き、といった感じでした。直接質問もできて、サインももらえたし。

 ボビーはステージ正面ではなく向かって左側に位置し、曲の途中でも自分の出番がなかったら引っ込んでしまう控えめのパフォーマンスでした。やっぱりヴォーカリストがそういう位置づけをされているところが、このバンドを象徴していると思います。

Boz_scaggs_silk_digreesボビーは初代のヴォーカリストで、中抜けでまた戻ってきました。TOTOはボズ・スキャッグス「シルク・ディグリーズ」の録音セッションで意気投合したスタジオミュージシャンたちが結成し、ヴォーカルはルイジアナにいたボビーを呼んできたわけですが、その後、ヴォーカルは、Fergie Fredericksen (Le Roux)、上掲のジョゼフ、Jean-Michel Byronと二転三転します。TOTOは基本的にはロックインストロメンタルグループであろうとしていたのであり、ヴォーカルはフロントではなく単なる楽器のパートだと位置付けているのですね。

Toto_falling_in_between曲は、おなじみの古い曲もやりましたが、ニュー・アルバムFalling in Betweenなど、割と最近発表した曲が大半を占めて、それらはロックしている曲でした。彼らの初期のイメージを作り上げてしまった甘い曲は、例えば Hold the Line Make Believeをメドレーにしたり、「ロザーナ」もコード進行を変えてみたり。

彼らは、レコーディングでもできるだけライヴに近い一発録りをしていることで知られていました。スタジオミュージシャンの集まり、計算されたAORをやるバンド、そういうイメージを彼ら自身ではあまり好きではないのでしょう。

Toto_iv今のBSでのベストヒットUSAが生まれるきっかけとなった(と思われる)数年前の正月特番「ベストヒットUSAリターンズ」に彼らが出演した前回来日の折にはいたと記憶していますが、今回はデヴィッド・ペイチはいませんでした。でもやめた訳ではなく、アース・ウィンド&ファイアにおけるモーリス・ホワイトのような立場になっているらしい。健康を害していて、マスターマインドとしてレコーディングには参加することはあるが、ツアーには参加できない、と。代わりのキーボードプレイヤーとしてGreg Phillinganesが加入しました。アンコールの「アフリカ」でもリードヴォーカルをとっていました。彼も、80年代にCDを買ってバックミュージシャンをチェックしたら、5枚に1枚は名前が入っていたような人ですね。

ポーカロ三兄弟のうち、初代ドラムのジェフは92年に逝去、スティーヴは映画音楽に、ということで、結局は一番後に入ったマイクがベースで今でも一人がんばっています。

Toto_totoTOTOに関して今一つ思うことは、女性の名前をタイトルにした曲がやたら多いということです。「ロザーナ」が代表格ですが、他に古い順に(ここで大きく深呼吸)、Angela, Lorraine, Goodbye Elenore, Carmen, Hollyanna, Lea, Pamela, Anna, Mushanga, Melanieとこれだけある。

Toto_hydraそしてさらに隠しネタとして、彼らにとって二曲目の大ヒットである”99”も実は女の子の名前だった。ライヴでは演奏されませんでしたが、彼らの公式ウェブサイトのドメインにも使われています(www.toto99.com)。ジョージ・ルーカスの映画THX-1138に触発されて、遠い未来、人の名前は廃止され、すべて番号で整理されるようになるだろう、と。このアイディアにはしびれましたが、その後、普通の名前の曲をそれだけ量産した節操のなさに興醒め。実際に付き合った娘から名前を拝借することも多いそうなので、それだけいろいろあったのかもしれない、とも取れますが。

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