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2006年6月30日 (金)

Birdland

マンハッタン・トランスファーのライブに行ってきました。

Manhattan_transfer_live 何年前でしょうか。克也さんがらみでは、ナゴヤドームでZip Hot 100の生放送終了後の日曜夕方、このマンハッタン・トランスファーや、レイ・チャールズなんかを迎えた大きなイベントのMCのお仕事がありましたね。急いでタキシードに着替えて。聞くところによると、このときの楽屋は、同窓会みたいな雰囲気だったそうですが。

 なんで同窓会だったかというと。マントラはベストヒットUSAにもゲスト出演してたんですよね(ちなみにコンサート宣伝用のパンフレットにこの「マントラ」という言葉があってちょっと戸惑った。サンスクリット語の「真言」。彼らにそんなアルバムあったかな、と一瞬思いましたが、十数秒後、ああ、「マン」ハッタン「トラ」ンスファーか、と閃いた。そんな省略で呼んでいましたっけ?少なくとも僕は初めて聞いた)。

Manhattan_transfer_mecca_for_moderns シングルヒットとしては最大の、62年のアドリブスのドゥーワップナンバーのカバー Boy from New York Cityの直後にスタジオに来ていました。そのときから和気藹々の雰囲気で。メンバー一人一人に、オフの時間は何をやっている?みたいな質問をして、最後に残ったティム・ハウザーおじさんには克也さんは「君は答えなくてもわかるよ、女の子のシリを追っかけてるんでしょ?」と言ったらスタジオは大爆笑、ティムおじさんは苦笑しながら I beg your pardon?と答えました。なるほど、相手の言っていることが聞き取れなかった場合だけではなくてこういうI beg your pardon?が言えるようにならなければ、と思ったものです。

 唯一のオリジナルメンバーとなっているティムおじさん。なんとあのジム・クロウチと一緒にバンドを組んでいたこともあるらしい。70年代の末、彼らがブレイクしだした頃から既にゲーハーでしたが、最近はそれに加えて、お年ですから仕方ないですが、多少ふくよかになられ、見ると映画俳優のロバート・デュバルくりそつ。

 そのベストヒット出演の時には、当時はstar of the weekコーナーは番組の最後で、そのまた最後に克也さんからのリクエストで、アカペラナンバーのA Nightingale Sang in Berkeley Squareをやってくれ、ということになり、その静かな生アカペラにあわせてライトがフェイドアウトし番組がすぅーっと終わりました。番組が克也さんのSee you next weekの閉めで終わらなかった珍しい例。ひょっとしたら唯一の例かも。

 あのリクエストはアドリブではなかったんでしょうねえ。ある程度の打ち合わせはあったのでしょうが。

 そのリクエストがあって、急に四人が真面目な表情になり、ティムおじさんの顔色を伺いながら発声し、それに対してティムおじさんがあーでもない、こーでもないと言って音程合わせをしているようでした。彼は絶対音感の持ち主なのでしょうか。

 今回のライブ中でもイヤフォンを指で押さえる場面が多かった。絶対音感を持っている人にとっては、ちょっとした音程のずれによる不協和音も物凄く不快なものだそうですからね。それがマントラのコーラスワークの完璧さを支えているのでしょうか。

 マンハッタン・トランスファーの魅力とは。

 人間の声は最高の楽器だといわれます。でも、小生を含めて音痴といわれる人々が世の中の多数を占めるわけで、本当の意味での最高の楽器にできるのは生まれながらの才能を持ち、それに鍛錬を加えた小数の人たち。それが四人集まっている。

 彼らはコーラスワークの和音とかテンポとか、物凄く高度で難しいことをやっていて、それを全くミスなく処理するんですけど、その難しさを全く感じさせない、音楽の楽しさで全てを覆い隠してしまう、そんなところにあると思うんです。

 グループの中の色男、リンジー・バッキンガム的な存在、アラン・ポール。いい男なわけだ。彼は元子役ミュージカル俳優で芸暦はすごく長い。

 女優のキャスリン・キーナーを老けさせた感じのシェリル・ベンタィン。

 めがねをかけ始め、リサ・ローブがおばさんになった感じのジャニス・シーゲル。

 アランとシェリルのソロのパートもありました。

 構成はジャズ・ヴォーカルとしての彼らのレパートリーを前面に出したものでした。最大のヒットBoy from New York Cityや、日本でのおなじみの「トワイライト・ゾーンのテーマ」「タキシード・ジャンクション」「シャンソン・ダムール」などは演ってくれませんでした。でも、ラスカルズの「グルーヴィン」はやってましたが。

Manhattan_transfer_vocalese 選曲は、ジョン・ヘンドリックス作品が中心。彼の曲を集めてやった85年の「ヴォーカリーズ」というアルバムでグラミーを数部門獲得。この年のグラミーではマイケル・ジャクソン「スリラー」に次ぐノミネート数でした。 

                                                                                Manhattan_transfer_extensions                                                      他にもボサノヴァなども混ぜたバラエティに富んだ選曲で。最後の盛り上がりは、チャーリー・パーカー賛歌「バードランド」、アンコールは「ルート66」でした。

 完璧なハーモニーと、それを越えたエンターテイメントの魅力もいっぱいです。

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2006年6月22日 (木)

When I'm 64

日曜日から何度これを目にしたことでしょう。

日曜日の18日、when I’m 64と作って歌っていたあの人が、本当に64歳の誕生日を迎えてしまいました。

その日以来、音楽関係のブログを歴訪したりするとやたら目に付き、日本の新聞の見出しにすら使われていました。

また今月29日は、この人を擁した、ポップスの歴史の中で最も成功したグループが日本の土を踏んで、日本武道館でEH・エリック氏を司会に、ザ・ドリフターズを前座に従えて、ほとんど悲鳴しか聞こえなかったという伝説的な30分コンサートを開いて40周年ということもあって、記念特集番組なんかも企画されていて、注目を浴びているようです。

そういうわけで陳腐ですが、ちょっとこの話題を。

64歳になっても、僕をまだ必要としてくれるかい?」と歌っていた彼の64歳の誕生日前後に、ちょうど離婚問題が持ち上がっていることも皮肉。Paul_linda

やっぱりほとんどの人のイメージの中では、彼のパートナーは前妻のリンダなんだろう。二人の相互補完的なコンビネーションはある意味で理想的な夫婦像だったのかもしれない。

仕事上のもう一人のパートナー、ジョンの伴侶、ヨーコは、中性的だった四人のバランスの中に異性として堂々と入り込んだため、あの絶妙なバランスを崩してしまった。対してリンダが前面に出てきたのはウィングス結成から。あくまで旦那を後方からサポートする役目で。

このポップスの歴史で最も成功したグループから既に二人が鬼籍に入ってしまいましたが、この人もよく64歳までがんばったという感じです。一番殺されかけた人ですから。

調べてみると、出てくるわ出てくるわ、この人の死亡説。ほとんどが笑っちゃうこじつけですけど。Beatles_sgt_peppers_lonely_hearts_club_b

この人は、実は死んでいて、途中から、この人のそっくりさんコンテストで優勝したカナダ人警察官ビリー・シアーズ・キャンベルという人に入れ替わっているのだ、という。

Sgt.Pepper’s Lonely Hearts Club BandWith a Little Help from My Friendsのメドレーで、前の曲の最後にビリー・シアーズという人が紹介され、後の曲は彼が歌っているという設定になっているが、それはこの交代を暗示したものだという(前回の拙稿も参照)。

She Came in Through the Bathroom Windowの歌詞の中に、「警察署勤めをやめてもっとまともな仕事に就く」という一節があり、これもそのシアーズのことだ、と。Beatles_help

Yesterday, all my troubles seem so far away 「過去、全ての人生のごたごたは遥か昔」まるで死を目前にして人生を回顧しているようだ。




Beatles_let_it_be_1

Let It BeMother Mary comes to me。これは彼が死別したお母さんメアリーに天国で再会した、という意味である?





Beatles_white_album  空耳ネタもいくつか。Revolution No.9re, volve, 逆回転で聴いてみると、彼が Help eと断末魔の叫びを上げているように聞える。彼のファミリーネームはアルファベットで九文字だ。

Strawberry Fields Foreverで、さっきの相棒ジョンが、I buried Paul、俺がポールを埋葬した、と言ってるかに聞こえる部分がある。

 ジャケット写真にも様々な暗示が。そのサージェント・ペパーズのジャケットで彼は、O.P.D.と書かれたバッジをつけている。これはofficially pronounced dead 死亡公式発表、の略ではないのか?

いや、実はこれはOPDではなくOPPであって、Ontario Provincial Police オンタリオ州警察、のバッジで、彼がカナダ人のファンからもらったもの、だという。

え?なら尚のこと、それはカナダの元警察官が付けている、と考えたほうが自然ではないのか?Beatles_abbey_road

極めつけのアビーロードのジャケット。横断歩道を一列に渡る四人。白いスーツのジョンが神、灰色のリンゴが葬儀屋、青のジョージが墓掘り人、そして黒スーツ、裸足、逆足の彼は、棺桶、を象徴している、という。

その背後のフォルクスワーゲンのナンバープレートが、LMW28IF、と読める。これはLinda McCartney Widow, 28 if (he were alive) リンダは未亡人、彼は生きていたら28歳、という暗号ではないのか?(実際は28IFではなく281F、数字の1、のようだ)

 ジョンは後の、彼を批判した曲 How Do You Sleep?の中で、「フリークたちが君は死んだって言ってたけど、それが正しかったんだよ」なんて一節があります。http://radiobaka-archive.cocolog-nifty.com/bakabaka/2006/03/everything_must.htmlPaul_mccartney_paul_is_live_

 グループ解散後、一時期はそれ以前の数々の名曲を演奏することにすら消極的だったのが、ここのところ吹っ切れて積極的に演奏するようになり、いまなお精力的に世界を回っています。93年、彼はライヴアルバムを発表し、そのタイトルもPaul is Live 「ポールは生きてる!」ジャケットも、そのアビーロードと同じ横断歩道を、犬を連れた彼が渡るパロディ。

 いろいろ言われましたが、64歳になった彼は、正真正銘、本物の生きている彼なんでしょう。

 名前をできるだけ隠そうとしましたが無理でした。バレバレですね。克也さんに会うなり、いかりや長助よろしく「ウォッス!」と言った、あの人です。

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2006年6月15日 (木)

You Are So Beautiful

ジェームズ・ブラントではありません。Billy_preston_the_best_1

 ビリー・プレストンが、65日、逝去しました。享年59歳。

 多才で、多彩な活動をした人でした(オヤジギャグ!)。

 キーボーディストで、シンガーソングライター。Beatles_let_it_be

 ビートルズの「ゲット・バック」のセッションでの、あのノリノリのエレキピアノソロで有名。

 さらに彼は「ゲット・バック」には縁が続きました。

1978年の映画「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」。Sgtpeppers_lonely_hearts_club_band_sound

当時最盛期だったビージーズのギブ兄弟と、その少し前に「カムズ・アライヴ」で大成功を収めていたピーター・フランプトンが主演。他にも当時の人気ミュージシャンが大勢出演した、洋楽バブルを地で行っていた映画でした。

そのタイトルどおり、サージェント・ペパーズを中心とした後期のビートルズの曲のみで繋いだ、セリフなしナレーションのみの、ハチャメチャ、ミュージカル映画でした。Saturday_night_fever_soundtrackGrease_original_soundtrack

「サタデー・ナイト・フィーヴァー」「グリース」と、映画、サウンドトラックの両方での空前の大ヒットを二発続けたロバート・スティグウッド制作、RSOレコードの音楽映画第三弾として鳴り物入りでしたが。

いかんせんピーターとギブ兄弟の演技が下手糞で、映画の評価、興行成績、サントラ売り上げ全てにおいて大きくコケました。

それでも、引き締まっていて鑑賞に堪えるシーンが3つあったといわれてました。

一つは、アース・ウィンド&ファイアが”Got to Get You Into My Life”を演奏しに登場する場面。他の曲はビートルズの原曲とアレンジがほとんど同じものばかりで工夫がなかったのですが、アースは大胆にホーンセクションを活用してファンキーに、独自の解釈でやって、それが成功していたのでよかった。克也さんもお好きだったのでは?確かKatsuya Remembersでかかりましたよね。

二番目は、エアロスミスが「カム・トゥゲザー」を演奏する場面。

そして、三番目がこのビリー・プレストンが登場して「ゲット・バック」を歌う場面。

彼がペパー軍曹の役で、ピーター演じるビリー・シアーズ(サージェント・ペパーズの歌詞にも出てくる)のお爺ちゃんという設定で、故人で銅像になっていたのですが、映画の最後に神様から生を受け銅像が甦って歌いだす、みたいなシーンでした。

オリジナルのビートルズの録音にも参加した彼がそういう形でカバーできたことは、感慨も深かったのでしょう。

ビートルズの縁で、ジョージ主催のバングラデシュ救済コンサートにも参加しました。ビートルズ以外にも、ストーンズ、クラプトンのツアーにもバックで頻繁に参加。

キーボードプレーヤーとしては、”Outer Space” “Space Race”なんてインストロメンタルのヒット曲があります。シンセサイザーブームのさきがけを作ったような観がありました。”Space Race”は、ディック・クラークがやっていた(今でもやっている)Rock Roll and Rememberという懐メロ番組でテーマで使っていて、かつてのFENでよく聴けました。

ヴォーカリストとしても、70年代半ばに”Will It Go Around in Circles?” “Nothing from Nothing”のに曲のナンバー1ヒットがあります。1980年にはスティヴィー・ワンダーの前妻シリータ・ライトとのデュエットで “With You I’m Born Again”なんてのもありました。

個人アーティストがインストロメンタルとボーカル両方でヒット曲を持っている例は他にはそうはありません。ハーブ・アルパートくらいでしょうか。

そして彼は、名曲You Are So Beautifulを作り、オリジナルを歌っていた人でもあります。Joe_cocker_ultimate_collection

この曲は、1975年のジョー・コッカーのカバーで有名になりました。オリジナルの通りの美しいピアノのバック、「君はあまりにも美しすぎる、僕の望みの全て」というシンプルな歌詞の繰り返し、そしてなんといっても、アル中真っ只中だったジョーの息も絶え絶え、NGギリギリの切れ切れの高音、でもそれがかえってそのレコードの魅力になって大ヒットしたという。

最近は音楽的にはゴスペルに傾斜した活動をしていました。肝臓と心臓に病気を抱えてしまい、それが悪化してしまったようでした。師匠レイ・チャールズの葬儀に出席したことが、最後に顔を見せたことになるでしょうか。

また一人、巨星が逝きました。合掌。

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2006年6月 8日 (木)

Atlantic Crossing

おお、久々に物騒ではない清清しいタイトルだ。

64日のベストヒットUSAのタイムマシーンのコーナーではナック「マイ・シャローナ」、ブロンディ「コール・ミー」が立て続けに流れました。Knack_get_the_knack

ナックは、79年夏、克也さんの「ポップタウンエキスプレス」という月金帯番組(本人も忘れてるかもしれない)でほとんど毎日かかってた思い出があります。


Blondie_paralell_lines

ブロンディは、二回前にも書いたように、新たにトッド・ラングレンを迎えた新生カーズと一緒に全米ツアー中。


この二組を繋げるのは、番組の中でもおっしゃっていた、マイク・チャップマンという男。Exile_greatest_hits_Nick_guilder_city_nights

先般の拙稿に対して克也さんがコメントを下さっていた通り、プロデューサーとして78年にエグザイル”Kiss You All Over”、ニック・ギルダー”Hot Child in the City”と立て続けにナンバー1ヒットを出し、79年もナックや、ブロンディの「恋の水平線」というアルバムをプロデュースして、その後も時代のリズムを作っていった人。

http://radiobaka-archive.cocolog-nifty.com/bakabaka/2006/02/happy_together.html

カタカナ表記だと、同じ時代の大事件、ジョン殺害犯と一字違いになってしまい、損してるんじゃないかなあと思ってました。Sweet_the_best_ofSuzi_quatro_back_to_the_driveSmokie_the_best_of

オーストラリア生まれの彼は70年代にイギリスで仕事を始め、Sweet, Mud,あとスージー・クワトロなんていうグラムロックの生き残り、あとソフトなところではSmokieなんていうグループを手がける。そういえばこのスモーキーのリードシンガー、クリス・ノーマンとスージー・クワトロという異色の組み合わせのデュエットヒット曲で “Stumbling In”というのがあったけど、こうして考えてみるとこの二人を会わせたのはマイク・チャップマンだったんだなあ。

このような、プロデューサーなどの裏方さんにこだわってみることも、音楽パラノイアの醍醐味であるわけですが。

今回もう一人話題にしたい裏方さんは、Tom Dowd

彼に関して、伝記映画「トム・ダウド-「いとしのレイラ」をミックスした男」を観てきたばかりですので、リポートしたいと思います。

東京圏在住の、小生の親戚筋に当たる音楽パラノイアの諸兄姉におかれましては、何を寝ボケた事を言ってる?そんな映画もう4月にやってとっくに終わってるぞ!とおっしゃるかもしれませんが。それが地方都市の悲しさでして。名古屋では今、しかも一週間だけやっているんです。近隣ではまったく上映されない更に不便な場所もあるかもしれません。遅くとも観られる。幸せです。

このトム・ダウドという人の名前は、僕がレコードを最初に買い出した頃から名前をよく観ていて憶えていて、その後音楽には待っていくうちにますますいろいろなところで名前に出くわし、すごい人だとは思っていましたが、この映画を観て、想定していた以上にすごい人だったのだなあ、と感慨を新たにしました。

異聞でしたが、1925年、音楽一家生まれの彼は、大学で物理学を専攻し、なんと、原子爆弾を最初に研究開発した「マンハッタン計画」に下っ端の研究者として参加していたという。

1940年代から機械と音楽の知識を生かし録音業に携わるようになり、全ての楽器の演奏をマイク一つで一発録りするのが当たり前だった時代に、一つ一つの楽器の前に別にマイクを立てて、8トラック多重録音の走りを始めたのは彼だという。Otis_redding_the_very_best_ofAretha_franklin_the_best_of

アトランティックレコードを中心に活動し、レイ・チャールズ、MJQ,ジョン・コルトレーンといったジャズの大物の録音のエンジニアリングに始まり、50年代から60年代にかけてはコースターズ、ドリフターズ、ベン・E・キング、オーティス・レディング、アレサ・フランクリンといったアトランティックソウルの名盤の録音にほとんど係わることになる。Cream_the_very_best_of

ロックにも係わり始めた。彼は技術屋だけではなく、あらゆる音楽に精通していて、ある曲のほんの人フレーズを聞かせただけで全て言い当てられたという。クラプトンとの親交も始まり、クリーム “Sunshine of Your Love”のドラムスはアフリカのリズムを取り入れようと提案したのはトムだった。Allman_brothers_band_at_the_fillmore_eas

Mから始まる地名に縁のある彼は、マンハッタン、マイアミから70年代にはサザンロックのメッカだったジョージア州メイコンにも移り、オールマン・ブラザース・バンドなどとも仕事をする。当時ブルースやサザンロックに傾倒していたクラプトンを、レコーディング場所が一緒だったからとデュアン・オールマンに引き合わせたのもトムだった。彼がいなければ、デレク&ドミノスのあの布陣もなかったんだ。Derek_the_dominos_layla

僕はこの映画の日本タイトルは、「いとしのレイラ」は日本でよく知られていてアイキャッチャーになるからつけられたのであって、トムにとって「レイラ」は最高の仕事ではない、もっと他にある、と思っていましたが、映画を観て、予想以上に大きな仕事だったのだなと思いました。録音からほぼ30年経って、当時の音源からミックスダウンを実演するのがこの映画のハイライトになっています。天才ギタリスト二人がツインでリード、リズムギターごちゃ混ぜに絡み合い、これにドラムス、ピアノも絡むあの多様なトラックを一つにまとめるのは、やっぱりトムの技術と勘あったればこそ可能だったのでした。Lynard_skynard_essential

やはりトムがプロデュースしたレイナード・スキナード「フリーバード」の最後の、テンポが速くなってギター、ピアノソロになっていく部分もモデルになったのは「レイラ」でした。



Rod_stewart_atlantic_crossing_1Chicago_13

その後もミート・ローフ、ファイアフォール、シカゴなども手がけます。ロッド・スチュアートの70年代後半の最も乗っていた時期の一連の作品も担当し、その中に75年の、「セイリング」を含むAtlantic Crossingがあります。大西洋横断、という意味ですが、アトランティックレコードとともに歩んできたトムを一言で表すにもぴったりのタイトルです。

最近のものでは、やはり同日のベストヒットUSAにも登場したPrimal Screamもやっていました。2002年に他界してしまいましたが、最後まで、最新の録音技術をも貪欲に吸収した現役であり続けました。

この映画一本観るだけで、ロック、ソウル、そして録音技術の歴史に相当精通できます。まだこれから封切られる地域の方々にも、それからDVDになることがあったら、お勧め。

マイク、トムを含め、僕たちに名盤を届けてくれる全ての裏方さんたちに乾杯!

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2006年6月 1日 (木)

The Angry Americans(The Courtesy of Red White and Blue)

またまた物騒なタイトルで始まりました。

Pearl_jam28日のベストヒットUSAで、ホットメニューのコーナー打ち抜きで、Dixie Chicks “Not Ready to Make Nice” Pearl Jam “Worldwide Suicide”という、「同じ色」の新曲二つが立て続けにかかりました。

 両方とも今のアメリカに怒っている曲。

 特にディクシー・チックスのほうは、4年ぶりの新曲で、その4年の間彼女たちの身に降りかかったことへのアンサーソングだという。

 小生の本職の話ですが、英文雑誌を講読する授業をやっていて、「トビー・キースとディクシー・チックスとに分かれるアメリカ」なんて表現が出てくると、単なる音楽好きなんちゃって大学教授の本領発揮であります。

 このことは去年9月、カニエ・ウェストがブッシュ政権のハリケーン・カトリーナ後のニュー・オーリンズ救済政策を批判したということをトピックにしたときにチラッと書いて、いつかまた詳しく書こうと思っていたことです。23年前のアメリカン、ミュージック・アワードの式典の中でも飛び出していました。音楽ファンを越えて普通の人にも広がったごく普通の英会話フレーズ、といえるかもしれません。(http://radiobaka-archive.cocolog-nifty.com/bakabaka/2005/09/the_city_of_new.html

 また、11月にベン・フォールズの曲「ジーザスランド」について書いたときの、「ジーザスランド」と「カナダ合衆国」とに分断されるアメリカのことでもあります。

http://radiobaka-archive.cocolog-nifty.com/bakabaka/2005/12/jesusland.html

Dixie_chicks_taking_the_long_way番組であったように、03年のロンドン公園の際、ディクシー・チックスのリードシンガー、ナタリー・メインズは、ブッシュ大統領が同じテキサス州の出身であることが恥ずかしい、と発言し波紋を投げかける。特にカントリーの放送局からは放送ボイコット、リスナーに向けてはCD破棄不買運動が呼びかけられる。

結局カントリー・ミュージックとは、田舎、つまり共和党支持者が多い「ジーザスランド」の音楽なので、ナタリーのような立場は同じカントリー・ミュージックでありながら異質なものとして捉えられたのでしょう。

Toby_keith_greatest_hits_2_1そしてその対極にいるのがトビー・キース。彼は同時多発テロ後、ナショナリズムを鼓舞する「怒れるアメリカ人」 The Angry Americans (Courtesy of Red White and Blue)を発表した。これに対しナタリーは、くだらない、クズだ、と発言した。


トビー・キースはこれを聞き、ライブで、ナタリーとサダム・フセインの
2ショット映像を合成し、バックスクリーンに大写しにし、それを背景に歌って大喝采を浴びた。

そしてそしてナタリーは、カントリー・ミュージック・アワォード授賞式に、FUTKとプリントされたノースリーブシャツを着て舞台に上がった。つまり、Fuck You Toby Keithである(書いちゃっていいのかなあ)。

このように、ブッシュへの評価、テロ対策への評価で分裂しているアメリカを象徴するガチンコ対決を演じていた二人でしたが。

その新曲では、

Not ready to make nice, not ready to back down

あんたらと和解していい人になるつもりもない、対決から降りるつもりもない

勝手に世界を変えてしまったあんたらのいうことを聞くつもりもない

ビデオも過激でした。まだまだこの対決は尾を引きそう。

いろいろなアーティストが政治的な作品を発表するようになっていますが、そんな中で、ニール・ヤングの久しぶりの新作が話題を呼びそうです。

Neil_young_living_with_warLiving with War 戦争と生きている、というタイトルで、表題曲で戦時下の異常を歌い、なんと “Let’s Impeach the President”「大統領を弾劾しよう」という曲があり、うそつき戦争屋ブッシュをお払い箱にしようと訴え、それに続く”Looking for a Leader”「新しい指導者を探そう」という曲では、ブッシュの後、バラク・オバマ上院議員やコリン・パウエル前国務長官の名前を直接出して、黒人大統領や女性大統領の誕生を願っています。

もともとはカナダ人のニール・ヤング。ブッシュのアメリカ第一の外交政策は隣国カナダでも不評を買っており、ブッシュを嫌ったアメリカの東北部、中西部、太平洋岸とくっつけられて「カナダ合衆国」と言われるくらいですから、ニール・ヤングも必然的にそのような主張にたどり着いたのでしょう。

現在、ブッシュ大統領は、イラク情勢の行き先不透明、政権内部の不祥事、石油価格の高騰、云々で支持率が就任以来最低の水準を記録しています。

アメリカ人は相変わらず、「怒っている」ようです。

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