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2006年7月28日 (金)

With a Little Help from My Friends

Ringo_starr_his_all_star_band723日、1989年、リンゴ・スターが長年のアル中リハビリから復活してオールスターバンドとのツアーを開始した日。




Ringo_starr_blast_from_your_past

 リンゴの70年代のソロのヒット曲を集めたベスト盤 Blast from your Pastの裏ジャケに、地元の産婦人科医の言葉、として

You don’t have to be the first, but make sure that you are not the last

「一等である必要はない、ビリッケツでさえなければ」

と書いてあります。彼の座右の銘なんでしょう。

 ビートルズ時代の彼の発言にも

 「ファンに、四人の中で誰が一番好き?と尋ねたら、きっと僕は四番目になるだろう。でも、二番目に誰が好き?という質問だったら、僕が一番になるんじゃないかな」。 なんていうのが残っています。

 個性豊かだった四人の中で最も自己主張が少なく、音楽での才能も(?)だった彼。

 最初のドラマーで、人気者だったピート・ベストが、契約したレコード会社のプロデューサーからの条件でくびになり後釜で入ったとき、僕が悪いことをしたみたいだ、音楽が楽しめない、と言った彼。

 解散後、他の三人全てから楽曲提供を受けた。

 他の三人全てと一緒に演奏したのは彼だけ。

 彼は、解散後、点になってしまったビートルたちを線で結びつけることができた唯一の存在でした。

 オールスターバンドも、盛りを過ぎたミュージシャンの大集合のお祭りにも見えますが、そんなリンゴの人柄あったればこそロックスターたちが一堂に会することができたのでしょう。Ringo_starr_his_all_star_band_so_far

 オールスターバンドの企画はその後12年間続き、ゲストはそのたびごとに入れ替わり立ち代わりしますが(大きく深呼吸)

Dr.ジョン、レヴォン・ヘルム、ビリー・プレストン、クラレンス・クレモンズ、リック・ダンコ、ジョー・ウォルシュ、ニルス・ロフグレン、バートン・カミングス、デイヴ・エドモンズ、ティモシー・B・シュミット、トッド・ラングレン、ピーター・フランプトン、ランディ・バックマン、フェリックス・キャヴァリエ、ジャック・ブルース、ゲリー・ブルッカー、サイモン・カーク

なんていうそうそうたる顔ぶれが参加しました。

 その足跡をまとめたDVDを観てみますと。The_band_greatest_hits

 いきなり、リック・ダンコ、レヴォン・ヘルムのザ・バンドコンビによるWeightから始まります。

 他にも、ジョー・ウォルシュのRocky Mountain Way、サイモン・カークによるフリーの All Right Now、ジャック・ブルースによるクリームのSunshine of Your Loveなんかが入っています。そんな感じで、参加アーティストも自分の代表曲を披露したんでしょう。

 その間を縫って、リンゴもその贅沢なメンバーをバックに、自分のソロのヒット曲、Photograph, You’re Sixteen、ビートルズ時代に彼のリードで有名になった曲、イエローサブマリンなんかを挟んでいきます。

 リンゴのステージングは単調。曲のリズムに合わせて右手を左右にウエーブするだけのパフォーマンス。でも楽しそう。ビートルズの頃のライヴは、機材もよくなく、聴衆の悲鳴のほうが大きく、全く楽しめなかった。人前で歌うのを好きになれたのは割りと最近なんだそうです。Ringo_starr_his_all_starr_band_tour_2003

 最後はWith a Little Help from My Friendsの大合唱。

 僕はジョン暗殺の前から、四人の中で一番長生きするのはリンゴなんじゃないか、と思っていました。そう思っている人、案外多いのでは。年齢は上から二番目だけど、一番ストレスのない人生を送っているような気がする。不謹慎ですが、残りは二人、どうなるでしょう。

 運命にもたらされた幸運な人生を精一杯エンジョイしているのかも。

 そして、持つべきは友達。

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2006年7月21日 (金)

The Best of Times

ベストヒットUSAに関する小ネタ。

716日、タイムマシンコーナーであったとおり、STYXのオリジナルメンバーのドラマー、ジョン・パノッソの命日でした。1996年逝去。享年47歳。

若くて悼まれる急逝でした。

 彼とスティクスに関して以前にチラッと書いたこともあるのですが。もうそろそろこのコラム(つまり克也さんのサイト)も一年になりますから。

http://radiobaka-archive.cocolog-nifty.com/bakabaka/2005/09/its_still_rockn.html

 中心メンバーのデニス・デヤング、トミー・ショウに関するゴタゴタはその記事の通り。オリジナルメンバーから現在までに至るのは、曲作りでもヴォーカルでも一番地味ですが、ハードロック志向が一番強いジェームス・ヤング(JY)が残るのみになってしまっています。

 以前のその記事にも99年に見た彼らのライヴのことは書きましたが、JYはそういう意味で、現在のスティクスのフロントマンとして紹介されていました。古くからのファンには喜ばしいことですが、80年代の彼らをよく憶える人たちにとっては、JYは「第三の男」だったのでちょっと違和感があるかもしれません。Styx_paradise_theater

 スティクスのリズム体はそのドラムのジョンと、ベースは双子のチャックのパノッソ兄弟が名物でした。長髪イケメンのジョンと、ステージでは一番動かない、物静かで童顔のチャックのコントラストが、シアトリカルな面を持ったこのバンドのユーモア担当といった感じでした。

 このチャック・パノッソ。

90年代に、自分は同性愛指向者であることを公表、さらにHIVキャリアであることも公表しました。

 感染がわかってから既に15年以上経っていますが服薬療法によりウィルスをコントロールしており発症は抑えられているそうです。

 ただしこの間に彼は別の病気にかかり、音楽活動は半ば引退しなければならなくなりました。Babys_the_best_of Patti_smyth_greatest_hits Bad_english_greatest_hits

 その後、スティクスのベーシストは、もともとは90年の再結成の時、当時不参加だったトミー・ショウの代わりに加入したグレン・バートニック(パティ・スマイス&ドン・ヘンリーのデュエットのナンバー1ヒット Sometimes Love Just Ain’t Enoughの作者でした)、その脱退後は、ベイビーズ、バッドイングリッシュ、カバーディル-ペイジと歩んできたリッキー・フィリップスになって今に至っています。

 チャックは、現在スティクスの中では、Bassist Emeritus、「名誉教授」ならぬ「名誉ベーシスト」として扱われています。健康上の問題もあり、また彼自身、地元のシカゴで、同性愛、HIV、エイズの問題に関する理解の拡大、偏見撲滅への活動家となっているので、ライヴには参加できる時には大歓迎で参加していただきます、と。Styx_reo_speedwagon_arch_allies_

 以前の記事でも紹介したスティクスとREOスピードワゴンのダブルヘッドライナーでのライヴを収録したDVDではチャックはその通りにゲストとして2曲参加していました。それでも、彼が参加するライヴは、年々数が減ってきているようです。

 僕も含めて、まだまだ理解が十分とはいえないHIV、エイズの問題。

 いわゆる先進国では日本は唯一感染者数が増加中であるそうです。

 日常の生活では感染の可能性はほぼ皆無だし、チャックの例のように、服薬療法によって発症は予防でき、数十年生きられるようになり、慢性病と扱われるようになっているようです。

 普通の病気として向き合わなければならない時期が来ているのかもしれません。

1981年、彼らがコンセプトアルバム「パラダイス・シアター」を発表して彼らのキャリアの中で最高の売り上げを記録した頃、デニス、トミー、JY、ジョン、チャックがそろっていた頃、The Best of Timesが大ヒットした頃、彼らは「最高の瞬間」を迎え、輝いていた。

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2006年7月 7日 (金)

Graceland

今週はやっぱりこれか。

 平成のワンマン宰相、任期切れの勇退を数ヵ月後に控え、最後の訪米へ。

 思い起こせば首相就任の6年前のその日、「♪なんてったってアイドル、なんてったってコイズミ、って知ってる?」と賜っていた。

 選挙の時には XJAPANの曲をバックに、ちょっとナルシシズムが入っていたテレビCMを流していた。

 そして、無類のプレスリーファンを自認し、自らの選曲、自らライナーノーツに筆を取ったCDまで出た。

 最後の訪米は念願のプレスリーの聖地参りを実現させて、なんと世界の最高権力者たる、そのメリケン国大統領も同伴した。

 その大統領専用機エアフォースワンに乗ってワシントンからテネシー州メンフィスへ。外国首脳が大統領専用機に同乗を許されたとは破格の待遇かもしれない。Elvis_presley_1

 しかもその機内ではご丁寧にプレスリーのヒット曲しか入っていない特注ジュークボックスが配備され、プレスリー主演映画も上映されたという。「ラヴ・ミー・テンダー」や「冷たくしないで」がかかっていたらしい。

ホワイトハウス報道官は「大統領と首相はエルヴィスが“埋葬されているとされる場所”で会談を持ちます」と発表した。

数回前にポール死亡説のもろもろについて書きましたが、この人に関してはいまだに「生存説」を信じてやまない人が多くいらっしゃるようで、政府高官もそんなことにまで配慮しなければならないのでしょうか。Elvis_presley_on_stage_1

エルヴィスが亡くなった数ヵ月後、ぞっとする情報が流れた。いったん死んだ細胞を全部蘇生させて生き返らせたという、ただし彼は生前の記憶を一切なくしていて言葉も喋れない、脳神経系統にどんなに刺激を与えてもダメ、彼に記憶や言語能力を甦らせられたら破格の賞金を用意する、という(確か克也さんの「ワールド・ミュージック」の情報コーナーネタだった)。

映画でも、「ロボコップ」には、エルヴィスの格好をしたミイラが展示されている博物館か何かの場面がありますし、「メン・イン・ブラック」では、トミー・リー・ジョーンズがエルヴィスを聴きながら「エルヴィスは死んでない、故郷の星へ帰っただけだ」と言うシーンがある。あの映画では、マイケル・ジャクソン、シルヴェスタ・スタローン、デニス・ロドマン、人間離れした格好をしたり活躍をしたりしている人は、実は宇宙人が化けている場合が多い、という設定でしたから。

ワンマン宰相は、記者会見でも I Want You I Need Youの一節を歌ってみせて、アメリカの人たちへの惜別として “Thank you very much for love me tender”とおっしゃった。文法ぼろぼろ。Thank you very much for loving me tenderとちゃんと言っても、捩りだってわかってくれますよ。

 なんかいい気になって鼻についてたなあ。最近の牛肉輸入再開や、米軍基地移転問題、同盟強化でお土産をいっぱい持っていって、世界唯一の超大国と大の仲良しを演出したかったんでしょうけど。

その世界の超大国は、今世界で最も嫌われている国でもあるんだよ。

大統領にエルヴィスの聖地に連れて行って貰って歓待を受けたって思ってるかもしれないけど、メキシコ大統領とはオハイオ州トリドに一緒に行ってるし、ポーランド大統領とはデトロイトに行ってる。大統領が他の国の首脳をエアフォースワンに乗せるのは何も珍しいことじゃないし、今の大統領は年の半分以上は首都のワシントンに居ないという珍しい大統領、その一環でもあるんだよ。

それに、それらは選挙絡みの票取り活動でもある。それぞれメキシコ系、ポーランド系住民が多い場所にしっかり行っている。コイズミ君が来ても喜ぶ票田は別にないから、そんじゃしょうがねーから彼の好きなところに連れて行ってやるか、てなところが本当じゃないの?

それにブッシュ君は、例えばサイクリング好きで知られるデンマーク首相が来るとキャンプ・デービッドで二人乗り自転車でツーリングをやってみせる。お客の趣味に合わせるのは日常茶飯事なわけ。

 それに、重要な同盟国の代表が来たなら、議会で演説に招かれても不思議ではないのに、それはなかった。議会の中で例の神社参拝を問題にした議員がいて、アメリカの退役軍人の感情への配慮もさることながら、やはりアジアの国際関係をおかしくしているやつだから招くべきではない、ということになったという。見ている人は見ているんだよ。

 それだけべったりしていながら、アメさんは結局、日本の外交筋の念願である国連安保理常任理事国入り案を支持してくれなくて、立ち消えになった。

 「自分がやったことは、将来、歴史が正当に評価してくれる」なんて啖呵を切ったけど。

 「格差が開くことは悪いことだとは思わない」とか。

 財政赤字改善は急務なのに、「自分の任期中は消費税増税はしない」。要するに自分の人気取りで、責任の先送り。

 結局あなたは、日本を世知辛くした首相、として記憶されるのではないですか。

Paul_simon_gracelandGracelandはポール・サイモンの86年の曲。プレスリー生誕の地に敬意を表した。同タイトルのアルバムは彼のソロとしては最大の売り上げとなりグラミーの最優秀アルバムも獲得しました。彼がアフリカ音楽に傾倒していたときで、その影響が色濃く出ていた。

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