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2006年8月31日 (木)

Bang Your Head!

また映画の話をします。

今回は今公開中の「メタル・ヘッドバンガーズ・ジャーニー」。

取材ドキュメンタリー映画です。

幼少の頃からメタル一筋、メタルの道を究めたかったけれど大学にはそんな研究科目はない、仕方がないから人類学を専攻して学者になった(なんか俺に似てるな)カナダ人のサム・ダン氏。自分はこんなにメタルにはまっていて、同じような若者もいっぱいいるのに、他方なぜメタルは多くの人々に嫌われ続けるのか、というテーマを探求するべく、世界中のメタル聖地に赴き、多くのアーティストにインタビュー取材を敢行する。

ダン氏のメタルへの造詣と思い入れの深さでできている映画ですが、人類学者としての分析、整理手法を生かした構成になっています。「起源」「ファンの主張」「宗教と悪魔崇拝」「暴力」「自殺」「性と性意識」などのサブタイトルを付された10以上の細かいチャプターに分けられており、論文を読んでいるみたいで、同業者としてニヤっとしました。

ある映画を観ながら他の映画を思い出して比較してしまうのは悪い癖で。メタルやロックにまつわるファンと旧世代の人たちの感覚の違いはよくテーマになり、最近では熱血先生の「スクール・オブ・ロック」とか、キッスがライヴにやってくる街の若者たちの青春の一夜を描いた「デトロイト・ロック・シティ」など。

でもこの「ヘッドバンガーズ」をみていて一番思い出していたのは、音楽映画ではない、マイケル・ムーアの一連の映画。特に「ボーリング・フォー・コロンバイン」。

発案者自らが取材、脚本、監督、ナレーションと、形態、手法が全く同じであることは言うまでもありません。ダン氏の取材はムーアと違って全てアポありだったみたいですが。

「コロンバイン」でも、高校での銃乱射事件を起こした生徒はマリリン・マンソンのファンで、音楽の内容の暴力性が若者を暴力に駆り立てるとの批判があり、リーバーマン上院議員ら政界からも攻撃の矢面に立たされ、ムーアもマリリン・マンソンにインタビューするシーンがありました。

Twisted_sister_big_hits_and_nasty_cuts_1メタルの歌詞の暴力性と実際の暴力との関係は「ヘッドバンガーズ」でもテーマになっていて、やはり同じように政治の世界で取り上げられるシーンが出てきます。80年代にできた「父兄音楽情報源センター(Parents Music Resource Center=PMRC)」という組織。後に副大統領夫人となるティッパー・ゴアが座長で、議会でも公聴会を開き、トゥイステッド・シスターのディー・スナイダーを証言者として召喚して糾弾した。ここでも、アーティストと批判者の議論は全く平行線を辿ってしまう。

それから、「ヘッドバンガーズ」でもダン氏は”polarized”「極化された、二分化された」という言葉をよく使っていましたが、ムーアが描き出したアメリカ社会も政治的、文化的な二分化、極化現象が特徴だったのであり、メタルの文化は極端に好き嫌いが分かれ、その傾向を最初から持っていた、ということで、共通性が見出せます。Iron_maidan_essential

そのように、メタル文化を「科学」した映画で、それは社会全体を映し出す鏡であるかもしれないと暗示しています。バックに流れる音楽も例によってギンギンで(でも想像したほどではなかった。音楽を聴かせることそのものが目的ではないから)、進行も手際よくあきさせません。眠っていられません。Black_sabbath_greatest_hits_

メタルの起源のアイアン・メイデンのブルース・ディキンソン、ブラック・サバスのトニ・アイオミ、アリス・クーパーに始まり、現在に至る代表的なアーティストを網羅したインタビューも売りでしょう。ロニー・ジェィムス・ディオが自宅でインタビューを受けていましたが、調度品で綺麗に飾られており、アウトローのイメージのあるメタルロッカーもこんないい生活をしているのか、と意外でした。Alice_cooper_the_best_of

取材が全世界に広がっており、特に僕みたいに一アメリカ、二イギリスで聴いている人間にとっては、ヨーロッパの事情が紹介されていたのは興味深かった。アメリカのメタルの主張やパフォーマンスは弱まる傾向にあるのに、ノルウェーのブラックメタルはますます反宗教色、暴力性を露にしており、連続教会焼き討ち事件や殺人事件を起こしており、良きにつけ悪しきにつけブラックメタルは国民が広く認知するにいたっている。

僕にも、どこかスポンサーがついてくれて、音楽取材をさせてくれないかなあ。Dio_the_very_beast_of

メタル文化は自己完結的であるからこそ、周囲からの強い嫌悪を受けても生き延びられるとの結論が見えたようですが、なぜ二分化、極化といわれるほど好き嫌いがはっきりしてしまうのかに関しては最終的な結論は見えていなかったような気がします。メタルヘッドバンガーの旅はまだ続く。Quiet_riot_greatest_hits

Bang Your Headは、映画には出てきませんでしたがクワイエット・ライオットのヒット曲。レッド・ツエッペリンの初期のライブで、ステージ近くにいたファンが頭を打ち付けるような動きでノッていたのが広まり、ヘッドバンガーズとはメタルファンを指すようになった、とのことです。

Eagles_hotel_californiaそれから関係ないネタを。827日のベストヒットUSAのリクエストコーナーで、イーグルス「ホテル・カリフォルニア」がかかりましたので。あの名曲の有名な12弦ギターのイントロ、コード進行は、BmF#7AEGDEm7F#7(第7フレットにカポタストでEmの形をキー)ですが、この進行の調を変えて、二拍ずつ縮めると、ピンクレディ「ウオンテッド~指名手配」の、「わたしの胸の鍵を~壊して逃げていった~あいつはどこにいるのか~盗んだ心返せ」のあの歌い出しの部分になります。ギターやる方はお試しあれ。

このことに果たしてどれくらいの人が気付いているんでしょう。イーグルスの録音は76年、ヒットは77年、ピンクレディは77年。

うまくやりましたね、都倉さん。

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2006年8月24日 (木)

Stoned

今年初めの来日、この間のキースの椰子の木攀じ登りのち転落事件と、相変わらずいまだに話題に事欠かないローリング・ストーンズ。

 この夏は、映画「ブライアン・ジョーンズ-ストーンズから消えた男」が全国で公開されたことが一番の話題でしょう。私も観てみました。

 いくつかの映画を思い出しました。Last_days

 まず、今年前半にやっていた、ニルヴァナのカート・コバーンの最期をモデルにした「ラスト・デイズ」。才能あるロックミュージシャンの孤独と現実逃避、そして謎に包まれた最期といった点が似ています。

 そしてこれをより強く思い出したのですが、10年前にやっていた、ビートルズの幻のメンバー、スチュアート・サトクリフの生涯を描いた「バックビート」。このストーンズの映画とタッチがよく似てるなと思っていたら、案の定、製作(フィノラ・ドワイヤー)と監督(スティーヴン・ウーリー)が全く一緒でした。「バックビート」の次の企画としてずっと暖めていたとのこと。

 ビートルズとストーンズ、60年代にイギリスから登場して世界を席巻し、否でも応でも互いを意識せざるをえなかった、スタイルでも対極をなしていた二大バンド、そのオリジナルメンバーだったが、それらが本当の絶頂期を迎える直前に、他メンバーとの軋轢から脱退を余儀なくされ、そしてその後、やはり逃避し、夭逝する、といった共通点がこの二人にはあります。Backbeat

 サトクリフは音楽よりも美術に才能を持っていたと言われ、映画館では彼が遺した抽象画の画展もやっていました。ゲージツは爆発かもしれないが、僕にはよくわからない。ただいろいろな色の線が不規則に殴り書きされているようにしか見えなかった。抽象画なら僕にもできるかな、とさえ思いました。でも僕の場合、風景画を描いて他人に見せても「素晴らしい抽象画だ」と言われるのがオチですが。

 サトクリフはビートルズ脱退後、ハンブルグで出会った年上の女性カメラマンとの恋と芸術に生きますが、脳腫瘍で急逝してしまいます。

 しかしブライアン・ジョーンズの場合、脱退後は退廃を極め、その死は謎に包まれていました。Stoned

 幼馴染だったミックとキースが、ロンドンに出て音楽で身を立てようとダートフォードの田舎から乗った汽車で偶然再会したことからストーンズ伝説は始まります。

 それとは別の流れで、既にロンドンで音楽活動をやっていたブライアンと合流してストーンズが結成、アメリカンブルースへの傾倒が強かったブライアンがリーダーとなります。

 しかしマネージャーだったアンドリュー・オルダムが、ストーンズをビートルズの対極に位置する不良グループのイメージを演出し、ミックのスター性、キースとミックの曲作りの才能を見抜き、彼ら中心のバンドとして売り込む。その戦略の中で、音楽的にも違憲が合わなくなり、人間関係もおかしくなり、ブライアンは孤立していく。そして、ドラッグや異常性愛に溺れるようになる。ブライアンの麻薬の前科を理由にアメリカがストーンズの入国を許可しなかったことから、アメリカ進出を重視していたオルダムはますますブライアンを邪魔者にし、ついには脱退を勧告する。

 ブライアンが「くまのプーさん」の作者A・ミルンの邸宅を購入して住んで、修繕のために建築家フランク・ソログッドを雇って、他に恋人のアナ・ウォーリン、看護婦のジャネット・ローソンと半同居状態の生活だったが、ブライアンの異常行動はどんどん増し精神もずたずたになっていく。話し相手でもあったフランクのちょっとした仕事が気に入らないと言って癇癪を起こしてクビにした。

 そんな6973日、ブライアンはその自宅のプールで溺死する。

 警察の発表はドラッグ過剰摂取による事故死だったが、レコーディング中のミックたちには、自殺、と伝えられた。ミックたちは淡々と仕事を続けたという。

 しかし、その他にも、他殺説も囁かれ、突然の死は謎のまま残されている。

 フランクは93年に他界する今わの際で、ブライアン殺害を自白したという。アナ・ウォーリンも後に同様の証言をした。おそらくそうなのだろう。しかしこれは証言だけで証拠はない。この映画も、その他殺説に則っている。Rolling_stones_englands_newest_hitmakesr

 奇しくも先週、ロンドン・ハイドパークで彼の死の二日後に行われた追悼フリーコンサートの模様をNHKのBSが再放送していました。ミックは弔辞こうを読み上げていました。

 彼は死んだのではない、彼は眠ったのでもない。彼は、夢の生活から解き放たれ、嵐のような未来へ向かって動き始めたのだ。

 ミックとキースは葬儀にも参列しなかった。ミックの恋人マリアンヌ・フェイスフルも、突然の死と周囲の冷たさ、人間関係の複雑さに疲れ、ドラッグを過剰摂取し仮死状態になる。ストーンズの成功し始めの裏の暗部でした。

 ブライアンの周囲の60年代末の退廃的な雰囲気と、フランクの存在に代表されるイギリスの旧世代、上流階級文化との衝突など社会的な背景も描かれています。

 原題のStoned。ぴったりのタイトルです。当然ストーンズに掛けているわけですが、stonedとは、酒や麻薬に溺れる、という意味があり、二重含意になっているわけです。

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2006年8月17日 (木)

S.O.S. (part 2)

ああ、忌まわしい。

ドクター・ボンベイが復活したらしい。

99年ごろ登場し、アッチラ国という誰も知らない国の国王を名乗り、数十人の后、子供がいるという。

しかし、ターバンを巻いていたり、どうみてもインド人を外国から見たステレオタイプイメージの格好をしており、スェーデンを中心に活動し「トラが家族を食っちゃった、SOS」というドーでもいい内容の、シタール(っぽい音)入りのあっパラパーなダンス調の曲をヒットさせた。

CDジャケット帯では、テリー伊藤が「弟子入り志願!」と入っていた。いかにもイロモノである。

日本では、名古屋から火がついたらしい。

克也さんがやっていたZIP HOT 100のテレビスペシャルにも来て、「カルカッタ」という「SOS」と全く同じ曲調の曲を披露し去っていった。

ちなみにこれは99年夏だった。それまでずっと冬の年間チャートと夏の前半期チャートでテレビとのメディアミックススペシャルをやっていたのにこの回で終了となった。その前回が、それまでのチャートと音楽ビデオクリップ中心の構成から一挙に「11pm」復活よろしく、お下劣バラエティと化してしまって、その次が少しまじめに戻ったけど最後にドクター・ボンベイ。これがダメ押しになって消滅してしまったか。まあこの頃から克也さん、急に忙しくなったみたいだけど。

その後、こういうアーティスト(?)にありがちなパターンである「一発屋」で終わって消えてくれるかと高を括っていたが、なんと一年後に復活した。しかし名前を変えていた。今度はドクター・マカドゥーだって。

曲名すら忘れたけど、曲調はやっぱりおんなじ、その時はフラダンスのダンスものだった。

その後、やっと消えてくれたか、あの人は今、の仲間入りをしていたかと思っていたら、この夏、また出てきやがった。

また名前を変えてる。こんどはミスター・カリートだって。ソンブレロを被ったメキシコ人のステレオタイプになってる。

ZIP HOT 100に電話出演した。ドクター・ボンベイと声が同じ。同じスェーデンを中心に活動している。みんな同一人物だとわかっているが、ドクター・ボンベイは友達だ、などととぼけやがって。

こういうのに飛びつくのはまた名古屋が早い。ZIPでは1位獲得。他の地方を調べてみると、二週間前に大阪では上昇中、そのほかの地域では100位以内に入っていなかった。

でも、二週間前、東京に行っていて、下りの新幹線に乗って東京駅を出て有楽町の辺りか。高層ビルの側面一体、巨人と化したカリートのソンブレロ、丸サングラス、にやけた写真がディスプレイしてあった。加速し始めとはいえ新幹線、一瞬のことでとっとと立ち去れてよかった。Lou_vega_a_little_bit_of_mambo_1

とにかくわたしはこのドクター・ボンベイが大嫌いだ。






Rick_dees_spoausal_arrousal

基本的にイロモノ企画音楽は嫌いだ。でも全てが全て嫌いなわけではない。リック・ディーズの「ディスコ・ダック」なんて結構好きだ。ルー・ヴェガ「マンボ・No5」も。

こいつの曲を聞いてるととにかく気が抜ける。

イロモノ企画音楽には、人に音を聞かせるのではなくただ楽しませようという意図があるものがあるが、個人的な受け方かもしれないが、こいつにはそれすら感じられない。一回一回企画を変えてきて変な格好をしてくるところといい、意味不明の言葉を作るところといい、ふざけている、聴いている人を小バカにしているとしか思えないのだ。

一発屋に終わっていない企画力と演出には敬服するが、個人的には勘弁して欲しいものだ。

去年のリアンナちゃんのポン・デ・リプレイみたいに、ある年の夏を代表するヒット曲というのは必ず出てくるものだ。日本に限っては、このカリートにならないことを願うばかり。

二週間前、SOSというタイトルで書こうとしていたのはこういうことでした。

SOSはボンベイの曲でなくても、古くはアバ、最近ではリアンナちゃんのもあるし。

ちなみにこのSOSSave our shipsの略という通説があるようだが、これは後でとって付けられたこじ付けで、もともとはSOSとはモールス信号で、・・_・・、トントンツートントンという最も基本的なパターンになるから、緊急時で焦っているときも打ち易いということで救助要請を表すようになった。110番、119番、911番の由来とむしろ共通している。

(追記:今回はドクター・ボンベイ関係のCDジャケットの掲載は割愛させていただきます。それくらい嫌いなんです)

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2006年8月10日 (木)

Just Like Me

Dmc_checks_thugs_and_rocknroll87日のベストヒットUSAのスター・オヴ・ザ・ウィークのインタビューゲストは一人になったDMC.



Sarah_mclachlan_remix ニューシングルはサラ・マクラクランとコラボレートした
Just Like Me.

最近になって自分は養子だったことを知り、ショックを受けて精神的なダメージも受けたようですが、同じような境遇で育ったサラと意気投合し、自分たちのような人たち(just like me)は大勢いるんだ、と、自らに向けた応援歌でもあるようだ。

Harry_chapin_verities_and_balderdash この曲のサンプリングネタ、というか、ラップ部分を除いた、イントロと、サラが歌うサビの部分は、シンガーソングライター、ハリー・チェイピンの75年のナンバー1ヒット”Cats in the Cradle”からもらっている。邦題「ゆりかごの猫」だが、むしろ、「綾取り」では?

 ストーリーテラーとも渾名された人で、一曲にストーリーをこめることが得意な人でした。

 この”Cats in the Cradle”も、養子ではないけれども、親と子のすれ違いがテーマでした。

 仕事が忙しくて出産にも立ち会えなかったし、

 知らないうちに歩けるようにもなったし、言葉も喋るようになった。

 母親からパパは立派に仕事をしているのよ、と聞かされて、僕は大きくなったらパパみたいになる、が口癖になったそうだ。

 時のたつのは速いもので、知らない間に10歳になっていた。

 誕生日プレゼントにボールを買ってやった。

 「パパ、ありがとう、キャッチボールしようよ?」

 「いや、今忙しくてだめなんだ、またいつかね」

 「わかった、いいよ。僕、大きくなったらパパみたいになる」

 息子が大学から帰ってきた。

 「立派になったな。誇らしいよ。ちょっと座れ。話そうよ」

 息子は首を振って、笑って

 「ごめん、今、出かけるところなんだ。車のキー貸してよ」

 わたしは仕事から引退し、息子も独り立ちした。

 ある日、電話をかけた。

 「久しぶりに会いたいよ」

 「僕もだよ父さん、だけど時間がないんだ。新しい仕事が忙しすぎて。子供も風邪ひいてるし。でも話せてうれしいよ、父さん」

 受話器を下ろしたとき、こう思った。

 あいつ、俺そっくりになりやがった(just like me)

 子供の頃の、父さんみたいになりたい、が、その通りになるけれど、大人になると意味が逆転してネガティヴになっちゃうわけですね。

Ugly_kid_joe_collection この曲は93年、グランジロック系のアグリー・キッド・ジョーが忠実なカバーをして、トップ10ヒットになりました。

    Harry_chapin_short_stories他にも、離婚して放浪した後、ふるさとへ帰ってきて、ラジオのDJになり、今は新たな家族と暮らしているかつての妻に電波を通して語りかける“W.O.L.D.”というヒットもありました。

 


Harry_chapin_heads_or_tales ミュージシャンの夢をあきらめてタクシー運転手をしていたら、偶然、女優として成功しかかっている昔の恋人が客として乗ってきて、チップを多く渡されてプライドを傷つけられかける”Taxi”という1971年の曲。そしてその10年後の1981年のヒットで、そのタクシー運転手はミュージシャンとして成功し、そのかつての恋人を行方を追うが、彼女は娼婦になっていた、という”Sequel”「続き」。この2曲はメロディが全く同じでした。

 これら全て、彼の実体験に基づいたものなのでしょう。

 その81”Sequel”という曲をリリースした時は、彼は数年のブランクの後のカムバックだったのですが、その年の718日、トラックと正面衝突して帰らぬ人となります。

 Harry_chapin_bottom_line_collection偶然で、よく憶えているのですが、日本では当時FM東京で、夜10時から20分間「ライヴ・フロム・ザ・ボトムライン」という番組があって、その名の通りニューヨークのボトムラインで行われたいろいろなアーティストのライヴを流す番組でしたが、ちょうど7月のその週、ハリー・チェイピンの特集をやっていました。この番組のナレーションも克也さんでした。

Usa_for_africa_we_are_the_world その後、85年、USA for Africaの発起人の一人であるハリー・ベラフォンテはこういった。「ハリー・チェイピンの地道な努力なしには、We Are the Worldの成功はありえなかっただろう」

 彼は音楽以外の時間をほとんど、施設慰問など、社会奉仕、慈善事業に捧げていたのでした。

 僕は汐留局の24時間テレビとか、一連のバンドエイドものなど、寄付を募る型チャリティには批判的なのですが、そのルーツとして、このハリー・チェイピンの自分の身一つで行動した活動は尊敬されていたのであり、むしろ今のボノの活動に近いものがあったと思います。また今年も汐留局のイベントの時期が近付いてきています。http://radiobaka-archive.cocolog-nifty.com/bakabaka/2005/08/we_are_the_worl.html

http://radiobaka-archive.cocolog-nifty.com/bakabaka/2006/01/new_years_day.html

DMCは、自分が養子であることを知らなかった。彼の場合、歌詞の内容から推測するに、母親が若すぎて育てられないから里親に預けた、という事情だったようですか。

 例えば、同性愛の女性が精子バンクの精子で受胎し母親になるケース。

 父親は誰だか判らなくても、片親から愛情を注がれて育まれれば立派に成長するのかもしれない。

 逆に、血の繋がった親子でも憎みあって殺人に繋がるというニュースも少なくない。

 アメリカでは、一方では家族の倫理が強く問われ、他方ではその家族とは何かの再定義が迫られている、そんな感じがします。

                                                                        

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2006年8月 2日 (水)

S.O.S.

ちょっと心配なニュースが入ってきました。

克也さんが独占契約し、このサイトにも毎週発表されて、テレビ、ラジオのベスRr_logo トヒットUSAでも使われているヒットチャートを発表しているレディオ&レコーズ社がVNUというマルチメディア通信を中心とする複合会社に買収された。

ここまでならよくある話で別に驚くに値しないのだが、このニュースが僕ら音楽ファン一般にとって、そしてこの克也さんサイトの関係者の端くれとして複雑な問題となるのは、このVNUというのはビルボード社の親会社でもあるということだ。

Bbwhite153 ビルボードとレディオ&レコーズは音楽の世界では二大業界誌で、それぞれが別々に発表するヒットチャートは業界の貴重な情報源であり、音楽ファンの週一の楽しみでもある。

ところが、この二つのチャートが全く同じものになってしまうかもしれない。

楽天がTBSの経営に参画しようとして横浜ベイスターズとの経営権重複が問題になるなんてモンじゃない。日本野球界で言うなら、巨人と阪神が一緒になっちゃうに等しい。

ビルボード誌は歴史も古く、1970年から始まったケーシー・ケーサムのアメリカントップ40がそのチャートを下敷きに番組を作ったことから代表的ヒットチャートにのし上がっていった。

70年代の頃には他にキャッシュボックス、レコードワールドなんていう、ヒットチャートを発表している業界紙がありました。以前にも取り上げた、克也さんの「ナガオカ・ワールドミュージック」はキャッシュボックスのチャートを誌上発表一週間前に発表してしまうという画期的な番組でした。克也さんは長い間キャッシュボックス社に毎週電話をかけ続けていました。キャッシュボックス社は96年に、その前にレコードワールド社は82年につぶれました。

http://radiobaka-archive.cocolog-nifty.com/bakabaka/2005/10/no18_with_a_bul.html

レディオ&レコーズ社は73年の創業で、全米ラジオ局のオンエア回数を中心に集計した独自のヒットチャートに特徴があり、アメリカントップ40に対抗して「カウントダウンUSA」というシンジケートラジオ番組も作られ(ベストヒットUSAのコーナー名はここから来ている?)、日本のFM局でも一時期放送していましたが、日本でお馴染みにしたのはなんと言ってもベストヒットUSAでした。さすが先見の明。

166caseykasem ケーシー・ケーサムのトップ40も、80年代末に一時期、番組を引退して、別のネットワークで別のカウントダウン番組制作を開始した関係上、またビルボード誌が、セールス重視だとブラック、ヒップホップ系が上位を占めがちなため集計方法を二転三転させて信用を落とした時期もあり、レディオ&レコーズのチャートを使うようになりました。これも以前に取り上げた、ケーシーを引き継いだライアン・シークレストのアメリカントップ40、まだケーシーが担当している、Hot ACの「アメリカントップ20」、アダルトコンテンポラリーの「アメリカントップ10」全て、Mediabase 24/7の調査により、レディオ&レコーズに発表されているヒットチャートを利用しています。

http://radiobaka-archive.cocolog-nifty.com/bakabaka/2005/10/pon_de_repay.html

Spotat40_1 この買収劇により、ラジオのオンエア集計に関して、ビルボード誌が集計に利用しているニールセン・ブロードキャスト・データ・システムに一本化されそうです。

ラジオ&レコーズが対象にしていたラジオ集計の部分はビルボードのそれと違いがなくなってしまうわけで、もしビルボードのチャートの発表権を別のところが保有していたとしたら、ベストヒットUSAでのカウントダウンができなくなってしまうのではないでしょうか?

などと書きつつ、最終的にはまあ何とかなるだろう、とは思っているんですけど。素人としての素朴な疑問でした。

SOS、助けてくれー。

実はSOSというタイトルで全く別の内容を書く予定だったのですが。こっちの問題が重要だったし、ある種のピンチなので、そのまま使ってしまいました。その「別の内容」は、次回にでも。

サイト開設1周年、おめでとうございます。

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