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2006年9月28日 (木)

Pick Up the Pieces!

克也さんに洋楽パラノイアの称号(?)を賜ったハリー教授(日本名が、あなみはるや、だから)の音楽的日常を綴るこのコラム、今回はライヴのお話。

926Average White Bandのライヴに行ってきました。

Average_white_band_essentials といっても、御存知の方が少ないのかもしれません。このライヴ、チケットの売れ行きが芳しくなかったみたいで、二回しのライヴだったのですが、一回目の観客には入れ替え、追加徴収なしで二回目も観られるというサービスがついてしまいました。二回とも観られたのはファンとしては得した気分と残念さが混じりあった複雑な気分です。

Jamiroquai_travelling_without_moving

 僕個人としては、このバンド、ジャミロクワイの先駆けとして位置付けていいんじゃないかと思っています。



Parliament_tear_the_roof_off_19741980

 ジェイ・ケイは、白人青年ですが、やっていることはスティーヴィー・ワンダー、ジョージ・クリントンあたりにモロ影響を受けたUKソウル・ファンク。


Righteous_brothers_reunion_1

 その昔、ライチャス・ブラザーズやホール&オーツなど、白人がソウル、R&Bをやる場合、ブルー・アイド・ソウルなんて言葉がありましたが、ジェイ・ケイはもはやそんな言葉は必要としない、ソウル・ファンクの感覚そのものを受け継いでいる。

 このAWBも、スコットランド出身、70年代に活躍した白人ソウル・ファンクバンド。しかし彼らも、ブルー・アイド・ソウルであるはずが、当時からそんな言葉をすっ飛ばして普通のファンクグループとして扱われることが多かった。

Average_white_band_cut_the_cake メンバーの共通の友人の英国人外交官で、「アフリカのXXという国のあたりは平均的白人には暑すぎる」という口癖の人がいて、そこから名前を頂いたそうですが、知らないで聴けば黒人がやっていると思うような音を「平均的白人」が演っている、という自己諧謔だったのでしょうね。

72年結成ですから30年以上のキャリア、途中80年代半ばには解散状態になっていまい、今回もオリジナルメンバーは二人だけでしたが、まだまだ現役で全盛期と全く同じ音を聞かせてくれる。嬉しいことです。

 オリジナルメンバーの生き残り、アラン・ゴーリーのファンキーなベースと、サックスを中心とした音作り、演奏曲目、というか今まで録音されたレパートリー全体もそうなのですが、インストロメンタル半分、ボーカル入り半分です。

Chaka_khan_epiphany_the_best_of 知られている曲も何曲かあるはず。ネッド・ドヒニーがオリジナル、チャカ・カーンがカバーしてヒットしたWha’cha Gonna Do for Me?はネッドと、AWBのオリジナルメンバー、ハミッシュ・スチュアートとの共作で、バンドのレパートリーでもあります。

56年前にルイーズという女性歌手がカバーしたLet’s Go Around AgainAWBの曲。

 アイズレー・ブラザースのカバー、Work to Do

 それから、そのアラン・ゴーリーはダリル・ホールとのコラボレーションも有名です。AWBもホール&オーツも最初のレコード会社はアトランティックで、ともに先般急逝したアリフ・マーディンにプロデュースを受けたことがあり、デビュー時から親交があったという。Daryl_hall_soul_alone

 そして、ダリル・ホールのソロアルバムの中で最も評価の高い93年の「ソウル・アローン」。

ダリルのソウル色が最も強く現れたアルバムでしたが、そのうちの半分はUKソウルを意識してロンドン録音、その全部をアランと共作し、アランもバックで参加しています。

 そしてAWBといえば75年の全米No.1ヒット, Pick Up the Pieces。サックスとベース中心のファンキーなインストロメンタル、AWBの真骨頂、ディスコブームがらみでの大ヒットでした。

 克也さんの文化放送の「ポップ・イン・ポップス」の前番組、「土居まさるのポップス・ナンバーワン」がテーマに使っていました(我ながら変なことをよく憶えているなあ)。

 ちなみにこのPick Up the Pieces、主旋律はずっとサックスで、普通に聴けばどう聴いてもインストロメンタルなのですが、例えばビルボード誌のヒットチャートではインストとしては記録されません。なぜかというと、pick up the pieces!という掛け声が数回入っているからです。人間の声で、意味を成す言葉が入っている場合、インストとしては扱わないのだそうです。Herb_alpert_rise

Mfsb_all_in_the_family  例えばハーブ・アルパートの79年の全米No.1ヒットRise は、人の声は入っていますが、意味をなさない笑い声なのでインストとして扱われる。


MFSB74年の全米No.1ヒット、TSOP, The Sound of Philadelphiaもほとんどインストですが、曲の最後にスリー・ディグリーズの Let’s get it on, it’s time to get downというコーラスが入るためインストではない。

 さて、この流れで、ビルボード誌が最も歌詞の短いNo.1ヒットとして記録しているのは何でしょう?

 Champs_greatest_hits_tequila50年代の、チャンプスというグループの、「テキーラ」という曲です。聞いたことありますか?テキーラ!という掛け声しか入ってない。

 この曲についてもいつか書く機会があるかもしれません。

話が逸れましたが。

Major_harris_the_best_of ライヴは、二回ともそのPick Up the Piecesがオオトリに使われ、大盛り上がりでした。ファンキーな曲中心、だけどメローに聞かせるときは聞かせる。Major Harris “Love Won’t Let Me Wait”のカバーなんかもやっていました。ちなみにこの原曲は女性のうめき声が入っていてエロい。

 僕は彼らの曲で一番好きなのは、アレサ・フランクリンに捧げたQueen of My Soulという奴なのですが、これが聴けなかったのは残念でした。

 こっそり書いてしまうと、先ほどの二回し入れ替えなしの話、一回目の聴衆は40人くらいでしたが、そのほとんどが残り、最終的には二回目に入ってきた人とあわせて80人くらいになりました。演っているほうは二回しとも同じだとつまらないので演奏曲目は入れ替えるのですね。聴衆は少ない分、熱心なファンキーおじさんたちが集まっていて盛り上がっていました。

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2006年9月22日 (金)

Southern Man

917日のベストヒットUSAは、克也さんニューヨーク取材モードで、最新チャート発表なしのタイムマシンスペシャル。

 そこで、というわけでは全然ないですが、ここでもちょっと、さらに一週間遡ります。Lynyrd_skynyrd_second_helping

910日のタイムマシンで、ギターのゲリー・ロッシントンが結婚式を挙げた日ということでかかったレイナードスキナードの「スィート・ホーム・アラバマ」。

 南部には違いありませんが、彼らのベースはフロリダで、アラバマは「彼らの家」ではありませんでした。でもこの曲でアラバマを歌ったのは、アラバマ州マッスルショールズに敬意を表すためでした。以前に紹介した「いとしのレイラをミックスした男」という映画(DVDが出たようです)の主人公トム・ダウドが活躍していて、録音スタジオがいっぱいあって、ロッド・スチュアートなどアトランティックレコードのアーティスト、サザンソウル、サザンロックの連中が多く使ってた場所で、レイナードスキナードも当然そこで録音して、トム・ダウドの世話になったのでした。

http://radiobaka-archive.cocolog-nifty.com/bakabaka/2006/06/atlantic_crossi.html

 歌詞訳テロップにこんなのが出てきました。

 「ニール・ヤングが南部をコケにした

  ニール・ヤングよ、覚えとけ

  南部人は二度とお前なんか相手にしない」

Neil_young_after_the_gold_rush克也さんの解説もあったように、これはニール・ヤングの72年の名盤「アフター・ザ・ゴールドラッシュ」のなかのSouthern Manという曲へのアンサーソングでもあったわけです。

 「南部人よ 忘れるな

  南部に関する本に書いてある

  南部に変化がついに訪れるのだ

  十字架がやかれている

  綿、黒人

  白く大きな邸宅とみずぼらしい丸太小屋

  南部人よ、いつになったら彼らに借りを返す?

  絶叫が聞こえた、鞭でたたかれる音も」

南部の奴隷制の名残りと、人種差別でテロを行う秘密結社クー・クラックス・クランを連想させる歌詞と捉えられたわけです。

Neil_young_harvestニール・ヤングにはもう一曲、73年のまたまた名盤「ハーヴェスト」のなかの「アラバマ」という曲の歌詞にもやはり人種リンチを連想させる部分があり、「スィート・ホーム・・・」はこれらに対するアンサーだったのでした。

 ところが、彼らがどうヤングの曲に答えたのかに関しては、解釈が二分されています。

 まず、南部はこの人種差別や保守性も含めて独自の文化を捨てない、ニール・ヤング、余計なお世話だ、ほっとけ、といったという解釈。これのほうがわかりやすい。

 「スィート・ホーム・・・」で続く歌詞に「バーミンガムではみんな知事を愛してる」とありました。

 当時アラバマ州の知事はジョージ・ウォーレスという人でした。「人種差別の伝統よ永遠なれ」といった過激なスローガンで出てきた人で、大統領選挙にも二度立候補し、南部諸州から絶大な支持を得ていた人でした。その人を讃えていた。

 また、ビデオでもあったとおり、南部連合の旗をバックスクリーンに映し、実際に旗をまとって歌うのが彼らのスタイルになっている。南北戦争のとき、奴隷制を守るためにアメリカ合衆国から離脱し別の合衆国を作ろうとした南部11州の連合の旗は、今でも人種差別の象徴として受け取られる場合があります(映画「評決のとき」参照)。

 ところがもう一つの解釈として、南部人としての誇りを貫くという点では同じだけれども、ヤングは不当に南部を遅れた地域だと誤解している、それでお前なんかイモだ、と言っている説があります。

 この解釈をとる人は「スィート・ホーム・・・」の歌詞のさっきの「知事を愛している」の後に、「ブー、ブー、ブー」というコーラスが続いていることに注目しています。これは、ウォーレス知事と、人種がらみの殺人事件のあったバーミンガムにブーイングを送っているのだ、という。

 また南部連合の旗にしても、あれはアトランティックレコード側から指示があった演出で、それが一人歩きしちゃったけれど、彼らにしてみれば特別な思い入れはないのだという。

 それでも、前の、人種問題を含めた南部の誇り説、のほうが自然だし、その解釈を取る人のほうが多い。

 このレイナードスキナード対ニール・ヤングの二分法は、二年前の大統領選挙でのブッシュ対ケリーの二項対立のときにも大いに想起されました。 

http://radiobaka-archive.cocolog-nifty.com/bakabaka/2005/12/jesusland.html

でも実は、レイナードスキナードとニール・ヤングは仲がよく、互いに音楽面で尊敬しあっているのだという。

これは、この論争が始まった70年代からそうだった。

ボーカルのロニー・ヴァンザントはニール・ヤングのTシャツを着てステージに立ったことがある。

Neil_young_rust_never_sleepsヤングは後にレイナードスキナードにPowderfingerという曲を提供した。

レイナードスキナードも人種問題について発言したことはないし、ニールも南部の二面性、多様性については十分理解しているという。

これも依然書きましたし、克也さんも言っていましたが、ニールは最近 Living with Warという、反戦反ブッシュの新作を発表しました。

http://radiobaka-archive.cocolog-nifty.com/bakabaka/2006/06/the_angry_ameri_e746.html

ニールもいろいろ解釈される人ですが、基本的には、上の人種問題の立場も含めて、そういう立場をずっと取ってきた人だと思います。

Neil_young_freedom89年に発表した Rockin’ in the Free Worldは、その前年の大統領選挙での流行語をもじった部分があったりして、これも反ブッシュ(ただしこっちは親父)の曲だったのに、その直後にあったベルリンの壁の崩壊のテーマソングのような扱いをされて誤解された。これは Born in the USAがブルース・スプリングスティーンの意思に反してレーガンのキャンペーンに使われたのによく似ています。

http://radiobaka-archive.cocolog-nifty.com/bakabaka/2005/08/i_wanna_be_elec.html

日本でも、新しい首相が誕生するようです。

その前の、メリケン国のブッシュ大統領によく似ているあのお方のおかげで、日本でも格差の広がり、二分法、二項対立が起こっているのかもしれません。

新しい時代には、融和を期待したい。

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2006年9月15日 (金)

Return to Pooh Corner

1980年代とは何だったのでしょう。

ベストヒットUSA,MTVの時代。Starship_no_protection

先週ネタにした、ジェファソン・スターシップみたいなベテラン、非主流バンドがレコードを売るための産業ポップロックに走った時代。

Asia_asia

Yes_90125

プログレ畑の人たちも産業ポップロックに走った。これはイエスやエイジアなど。

Kool_the_gang_goldChicago_greatest_hits_19821989_1

ブラスロックだったシカゴ、ファンキーだったクール&ザ・ギャングなんかが甘っちょろいラブ・バラードの大ヒット曲を連発した。

 

Top_gun_soundtrack そして、9月

10日のベストヒットのリクエストコーナーでかかった「デンジャー・ゾーン」のような、ケニー・ロギンスがほとんど映画サントラシンガーと化していた時代。




Footloose_soundtrack

 その「デンジャー・ゾーン」の「トップ・ガン」からは他に「ミート・ミー・ハーフ・ウェイ」、その「トップ・ガン」の前に、あの「フットルース」が大有名ですね。一番最初は映画「キャディ・シャック」の「アイム・オーライト」でした。

Kenny_loggins_yesterday_today_tommorrow_

 その80年代が終わって、94年ごろ彼はソロになって初めてのグレイテストヒッツを出すんですけど、彼自身の選曲で、一曲ごとに彼自身の言葉で詳細な曲紹介、解説を書いているんです。ところが、「フットルース」「デンジャー・ゾーン」「アイム・オーライト」の三曲に関しては、選曲はされているんですけれど、解説は一切書かれておらず、わざとらしい空白欄になっていた。

 これは果たして何を意味するのでしょう。

 シカゴの面々も、克也さんとのインタビューその他の機会で80年代のバラード路線への悔恨を露にしていたという。

Kenny_loggins_outside_from_the_redwoods その後のケニーはひたすら原点に戻ろうとする活動をします。まず野外アコースティック・ライヴをCDとビデオで出して成功します。当時MTVでの一連のアンプラグド企画流行っていたことに乗じたものでしたが、それに田舎の林の中の小ステージでのライブでこぢんまりとして雰囲気の中、往年のヒット曲をアコースティックギター、アコースティックピアノでアレンジしなおして、素朴で、80年代の派手さを全く感じさせないものでした。「フットルース」もそこでは全く印象が違った曲になっていました。Kenny_loggins_return_to_pooh_corner

 その後ケニーの90年代ほとんど、ファミリー、チャイルド音楽の分野で活動します。93年に発表したReturn to Pooh Corner、当時はまだメジャーなアーティストが単独で子供向けアルバムを出すというのは珍しいことでした。70年代のロギンス&メッシーナ時代の「プー横丁の家」をセルフカバーした表題曲、クマのプーさんがテーマです。フィル・コリンズのYou’ll Be In My Heartとかディズニー映画のテーマで使われた曲、セサミ・ストリートの蛙のカーミットが歌っていたポール・ウィリアムスの「レインボウ・コネクション」、ポール・サイモンの「聖ジュディ彗星の唄」なんか、それまでのヒット曲でも子供向けのものが結構あって、それらを集めてカバーしたものでした。Kenny_loggins_more_songs_from_the_pooh_c

 これがチャイルドミュージックに革命を起こします。アルバムチャートの上位に食い込むということはありませんでしたが物凄いロングセラーになり、それまでのケニーのアルバムの売り上げを上回ってしまうほどになりました。

 実は僕も子供が生まれて最初に買ったCDがこれでした。今でも子守唄に使えます。Nicolette_larson_sleep_baby_sleepLinda_ronstadt_dedicated_to_the_one_i_lo_1Art_garfunkel_songs_from_a_parent_to_a_c

 その後ケニーはフォローアップのチャイルドミュージック企画CDを2枚出します。ケニーのこの成功に触発されて、リンダ・ロンシュタット、アート・ガーファンクル、故二コレット・ラーソンなんかが同様のチャイルドアルバムを発表します。

 そしてケニーは去年から今年にかけて、そのロギンス&メッシーナを再結成します。

Loggins_messina_sittin_in_againAnne_murray_ultimate_collection 70年代の前半、実働期間は四年くらいしかありませんでしたが語り継がれているデュエットチーム。ポコを脱退したジム・メッシーナがケニーを見出す形で結成、カントリーロックとポップをクロスオーバーさせたような音楽で、大ヒットこそありませんが、その「プー横丁の家」とか、アン・マレーのカバーで有名になった「ラブ・ソング」「ダニーの歌」、ポイズンがカバーしたり、クリントン前大統領がMTVにゲスト出演してケニーと一緒に演奏、サキソフォンで参加した「ママはダンスを踊らない」など、数々の名曲を残している。

Loggins_messina_sittin_in_again_at_the_s 去年の夏から再結成ツアーが始まり、DVDもライブCDも出ています。ケニーのヒット曲はまったく演奏されず、ロギンス&メッシーナ時代のレパートリーのみ、しかも当時のアレンジのままでやっています。場所は林の中とは行かないまでも野外にこだわっているみたい。

 ボーナスで73年の、全盛期にウルフマン・ジャックのミッドナイトスペシャルに出演した映像が入っています。ケニーは長髪髭もじゃ、現在のほうが痩せている。ジムは今のほうが太っているのがご愛嬌。

 長い時間をかけて自分の原点に戻る。何をやっているかに拘らず、いつかは必要になってくることなのかもしれません。

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2006年9月 9日 (土)

We Built This City

これはベストヒットUSA世代の方々にはお馴染み、93日のベストヒットUSAのリクエストコーナーでかかったスターシップ「セーラ」の前の1985年のNo.1ヒット。

その時点で既に20年近いキャリアがあり、ヒット曲もいっぱいあったバンドですが、初めてのナンバー1、しかもバンドのイメージを大きく変えての成功でした。

Starship_knee_deep_in_the_hoopla邦題「シスコはロックシティ」。シスコとはカウボーイのキャラクターが一番有名で、サンフランシスコのことは意味しません。古い言い方ですが Friscoが最も一般的ですが、これはサンフランシスコ以外での言い方で、サンフランシスコに住んでいる人に言ったら大抵は嫌な顔されます。サンフランシスコ内部ではS.F. とか the Cityとかが好まれるみたい。

この歴史の長い、サンフランシスコを代表するバンド、皇室に慶事があったからってわけじゃありませんけど、ほぼ20年間ずっと「後醍醐天皇」の「南北朝」状態なんですね。

有名なジェファソン・エアプレインとしてスタート。フラワーチルドレンとか、ヒッピーとか、60年代半ばからの対抗文化の中心だったサンフランシスコから出てきた、ドラッグの退廃的なイメージが重なるサイケデリックロックバンドでした。

Jefferson_airplane_somebody_to_loveオリジナルメンバーとして、女性ヴォーカルのグレース・スリック、男性のマーティ・バリン、ギターのジョーマ・コーコネン、ポール・カントナー、後に加入したベースのジャック・キャサディなんかがいました。コーコネンがブルースシンガーのブラインド・レモン・ジェファソンの真似をよくしていて、ブラインド・トマス・ジェファソン・エアプレインと渾名されていたことからグループ名がきまった。

3日のタイムマシンのコーナーでかかったキャンド・ヒートは67年のモンタレー国際ポップフェスティヴァルからの映像でしたが、ジェファソン・エアプレインも登場しましたし、それからウッドストックにも。

良く知られている曲は”Somebody to Love” “White Rabbit”など。進歩的な町サンフランシスコ、ヒッピーの若者たちの象徴になっていきました。

その個人主義的な文化から登場したためか、人間関係もドライだったのでしょう。スリックを始め、メンバーがドラッグで逮捕されること少なからず。また、スリックとカントナーは結婚したことはありませんが二人の間に婚外子がいたりして。これはMTVでVJをやっていたチャイナ・カントナーです。

Jefferson_starship_red_octopus70年代に入ってますますばらばらになり、コーコネンとキャサディはサイドプロジェクトのホット・ツナを結成し、段々こっちのほうに本気になっていって、エアプレインのツアーに参加しなくなっていく。そこでカントナーは二人抜きでバンドを再編成しようとするが、ジェファソン・エアプレインとはコーコネンの渾名から取ったので使う権利がないということで、ジェファソン・スターシップと名を変えて再スタートする。空挺が宇宙船に昇格したわけです。Jefferson_starship_earthJefferson_starship_spitfire

ジェファソン・スターシップとしては、サイケ的な要素はアルバム収録曲には残ったものの、70年代半ばにヒットした”Miracles,” “With Your Love” “Count on Me”などシングル曲は、聴きやすく普通のウエストコースト色を強めていく。

そして70年代末にはマーティ・バリンがグループに疑問を感じ脱退、ソロ転向へ。81年の「ハート悲しく」”Hearts”は、なんか演歌みたいな短調の音階かつコブシのきいたヴォーカルで日本でもヒットしました。

ベストヒットUSAにもゲスト出演しましたね。克也さんと彼の名前の発音は「バリン」か「ベイリン」かで論争したんじゃないですか。

Elvin_bishop_struttin_my_stuff男性ヴォーカルが抜けたジェファソン・スターシップは後釜に、ブルースギターのエルヴィン・ビショップのバンドで歌っていて、76年に「愛に狂って」”Fooled Around and Fell in Love”という大ヒットのある、ミッキー・トーマスを迎えます。音的にはますます普通のロックバンドになって80年代を迎える。

そしてこの音楽の方向性に嫌気が差し、ポール・カントナーも脱退、訴訟を起こしてバンド名の権利を主張、バンドが残っても名前を使えなくしてしまう。それで残ったバンドは、ジェファソンを取って単に、スターシップ、となったわけです。

そこから80年代半ばの大進撃が始まる。

Starship_no_protection_1先ほどの「シスコはロックシティ」「セーラ」映画「マネキン」のテーマ「愛は止まらない」なんてナンバー1を連発する。後にロバータ・フラックとマキシ・プリーストがデュエットでヒットさせた”Set the Night on Music”も元々スターシップのアルバムカットでした。売るためのロック、日本で言う産業ポップロックバンドになってしまい、グレース・スリックにはドラッグ文化の女王としての面影は全く消えてしまった。

ところが同じ時期、ベストヒットでグループ活動は会議ばっかりでうんざりだといっていたマーティ・バリンとポール・カントナー、ジャック・キャサディが再び意気投合、3人の頭文字を取ってKBCバンドを結成して活動を始めます。ここから流れが二つできて、「南北朝」状態になっちゃうわけです。

むしろ昔のエアプレインの流れを汲むのはKBCだということで、グレース・スリックもスターシップを脱退して合流、コーコネンも迎えて、90年代にはジェファソン・エアプレインの完全復活が一時期ありました。

その後グレース・スリックは音楽からセミリタイアし、時折映画のサウンドトラックなど単発で録音したりしていますが、現在はむしろ絵画に興味を持っているようです。

そして、カントナーとバリンはジェファソン・スターシップの名前を復活させて、次世代ジェファソン・スターシップ Jefferson Starship The Next Generation JSTNGとして現在も活動中。

そしてもう一つの流れは、ミッキー・トーマスが完全にフロントマンになって、バックはジェファソンの流れを汲まない若いミュージシャンのみでバンドが続き、Starship featuring Mickey Thomasとして、80年代のヒット曲をライヴで歌い続けています。DVDも出てます。

つまり現在は「ジェファソン・スターシップ」と「スターシップ」が全く別に存在している状態なんですね。

宮様、跡取りは一人でよかったですよ。複数いるとろくなことがない。

このように一つのバンドの中での人間関係はドライでも、サンフランシスコを含めたベイエリア全体を眺めてみると、ミュージシャンたちは一つの大きなコミュニティを作っているような気がします。そのことはまたいずれの機会に。

SF。坂の多い町、路面電車の町、モーホーがいっぱいいる町。

僕はそう嫌いではない。

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