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2006年10月27日 (金)

Bo Diddley is Jesus

U2_rattle_and_hum1022日ベストヒット、タイムマシンで、“Rattle and Hum”「魂の叫び」のアルバムがイギリスのチャートで一位になった日ということでかかった、同名ドキュメンタリー映画からのU2「ディザイア」。


Kt_tunstall_eye_to_the_telescopeまだまだ記憶に鮮明の今年のヒット曲。今アメリカでは日本、イギリスと逆の順序で“Suddenly I See”が上がってきていますが、アメリカでの顔見世大ヒットとなったKT・タンストールの “Black Horse and the Cherry Tree”。僕もお気に入り、個人的に大プッシュ。

George_michael_faithワム!再結成を表明したジョージ・マイケル。去年の自伝映画での再会がきっかけになったのかな。今のところのソロの最大のヒット、85年の“Faith”

Neil_sedaka_laughter_in_the_rain_the_bes60年代のスターだったニール・セダカが長い停滞時期を経て75年に「雨に微笑を」で大復活しましたが、それに続く同年の全米ナンバー1ヒットの “Bad Blood”。エルトン・ジョンとのコラボでした。



Ace_frehley78年暮れ、KISSのメンバー四人全員がいっせいにソロアルバムを発表し、ジャケットも、一人一人の顔のアップで同じ、という企画がありました。その中で、メンバーの中では最も目立たない存在だったリードギターのエース・フレーリーがシングルで最大のヒットを出しました。イギリスのハローというグループのカバー、“New York Groove”

だんだんマイナーになってきてますか?

Eric_clapton_461_ocean_boulevard来日が待ち遠しいクラプトン。オリジナルはブルースのジョン・オーティスでしたが、“461 Ocean Boulevard”のアルバムの中で“I Shot the Sheriff” と一緒にカバーした “Willie and the Hand Jive”。ベストアルバムにも収められました。



Bruce_springsteen_born_to_runブルース・スプリングスティーンの75年の出世作、「明日なき暴走」“Born to Run”からのアルバムカット、“She’s the One”



Guns_n_roses_appetite_for_destructionGuns N’Roses、“Appetite for Destruction”の中からシングルにはならなかったけど人気のある“ Mr. Brownstone”

Kenny_loggins_yesterday_today_tommorrow__2最後は意外なところで、というか一番関連性が低いからなのですが、ケニー・ロギンスのご存知「フットルース」。同名サントラからの84年ナンバー1ヒット。




脈絡なく曲が並んだようですが、実は以上の曲は重要な共通点を持っています。

さて、なんでしょう?

これらの曲、リズムが同じ部分があるんです。

並んだ曲の数からわかるように、ロックで最もよく使われるリズムの一つです。

ジャ・・ジャ・・ジャ・・・ジャンジャン~

字じゃ分からないなあ。音符で表すにも変換ができなくて限界があるんだけど、♪を16分音符、/16分休符と考えて、♪/////////X/、みたいになるはずです。どれでも曲を思い浮かべるのが一番。二曲思い浮かべたら、ああ、似てるな、と思っていただければ。

このリズムはボー・ディドリー・シャッフルと呼ばれます。

Bo_didley_his_bestもちろん人の名前。ボー・ディドリーはロックの生みの親、ブルースからロックを分離した最初の世代といわれる人。

南部ミシシッピの出身。プレスリーと同時期に活躍した人で、55年には黒人として初めてエド・サリヴァン・ショーに出演しました。

彼自身の曲で有名なヒット曲があるわけではありませんが、とにかくそのスタイルで多くのアーティストからリスペクトされている。

86年にロックの殿堂入り。

Who_magic_busThe Whoも“Magic Bus”というシャッフルを使っている曲があるし、ライヴでボー・ディドリーのカバーを必ずといっていいほどやっている。

U2の「魂の叫び」も、成功した彼らの音楽的ルーツを探るドキュメンタリーであり、ボブ・ディランやBB・キングらと一緒にやっていた。そこに「ディザイア」が納めらえているのも、彼らのボーに対するリスペクトの現れでしょう。「ディザイア」は、荒いギターのストロークにハーモニカをかぶせる形で、ボー・ディドリーを忠実に再現していたといえます。

KT・タンストールも、この間のベストヒット出演で、あの曲はボー・ディドリーに捧げる意味もあった、と言ってました。

90年代、南部からのオルタナ系で活躍していた Jesus and Mary Chain にも“Bo Diddley is Jesus”というトリビュートソングがある。

同世代がどんどん他界していく中で、78歳の彼は存命です。去年はハリケーン・カトリーナの被害救済ライブにも登場した。真っ赤な派手な服、ハットにに大きなメガネ、相変わらずの風貌でした。

最近は曾孫にも囲まれ、信心に生きているようです。彼自身が神に近づいた?

彼ほど、一つのスタイルが後続のアーティストたちに影響している例はないでしょう。

この次はどんな曲が出てくるか。


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2006年10月20日 (金)

Better Be Good to Me

今年の2月に引退を発表したCBS放送のマイク・ウォーレス記者。

88歳でした。テレビの創世記から今までずっと第一線で活躍してきた。

日本では赤坂局系列の「CBSドキュメント」として知られている、情報エンターテイメント番組としては草分け的な長寿番組「60ミニッツ」で有名。

数々の権力者やセレブ相手に歯に衣着せぬ、時には横柄にも見えるズバッと相手の言いたくないことを聞き出すインタビューで知られていました。

Barbra_streissand_essentialショービジネス関連では、バーブラ・ストライサンドとのインタでけんかして長い間冷戦状態だったことが有名でした。

その少し前に引退を余儀なくされた、CBSのもう一人の看板、ダン・ラザーが、ブッシュ大統領の経歴に関する虚偽報道の責任を取らされた形で不本意だったのに対し、まさに仕事をやり終えての勇退といった感じでした。映画「インサイダー」の題材になった事件のように、タバコ業界と戦って訴訟も起こされたり、もちろん彼のジャーナリスト人生は波乱万丈でした。息子に若くして先立たれ、仕事でうつ病にもなり、自殺未遂もあった。

そんな彼が初めてロックコンサートを観たのが10年前の78歳のとき、ブダペストでのティナ・ターナーのライヴでした。これも「60ミニッツ」の取材で。

ウォーレスはジャニス・ジョプリンにインタビューしたことはあったのですが見たことはなかったそうです。

Tina_turner_private_dancer_1ティナはウォーレスに会うなり、お得意のきつい質問はしないでね、ということで、”You better be good to me!”お手柔らかに、といいました。これは彼女の傑作「プライベート・ダンサー」からの「愛の魔力What’s Love Got to Do with it”」に続くヒット曲のタイトルだったのですが、もちろんウォーレスはそんなことなどわかりません。

Tina_turner_tina_live_1「プライベート・ダンサー」もロンドン録音でしたが、その当時からティナはヨーロッパに拠点を移しており、南フランスで豪華に生活していました。アメリカでレコードが売れなくなってもヨーロッパ諸国ではツアーは毎回大成功でした。

90年代前半に自叙伝 I Tinaを執筆して、それが元になって、アンジェラ・バセット、ローレンス・フィッシュバーン主演で映画「ティナ」も製作され、自分の人生に一区切りが付いた後だったのでしょう。

テネシー州ナットブッシュの貧しい家の娘に生まれましたが、電話がなかったため隣の家と大声で話す癖がついて、声が大きくなって歌がうまくなったという。

クラブ廻りをしていたアイク・ターナーに見出され、バンドにヴォーカリストで参加、やがて結婚。アイク&ティナ・ターナーを結成。

しかしこれはロック史上、最も悲惨な結婚だった。アイクは暴君で、産後で体力が落ちて安静を言い渡されていたティナに平気で病院を抜け出させてツアーに参加させたり。

Ike_tina_turner_river_deep_mountain_highアイク&ティナもだんだんティナのほうが人気が出てきて、フィル・スペクターがアイク抜きでティナだけのプロデュースを申し出て、そのRiver Deep Mountain Highがヨーロッパで大ヒットすると、アイクはますます嫉妬深くなる。

女癖も悪く、麻薬もやる。レコードが売れなかったり曲作りに行き詰ると、ティナを激しく殴打した。

最初はやられっぱなしで泣いていた彼女も、仏教に出会って、自分の心の強さに目覚め、はっきりと反抗するようになった。日蓮宗系の、日本では政党も持っていて影響力のある、あの宗派です。アメリカでは80年代は広告塔的存在だった。

76年に離婚。財産を一切放棄する代わりに、ティナ・ターナーという名前を使う権利だけを主張して認められた。

その後不遇の時期は続くが、その84年のプライベート・ダンサーで大成功、グラミー4部門獲得。ブルースから離れて、ロック・ディーヴァになった。でもそのとき既に44歳。

そんな彼女の半生でしたが、映画はいまだに見たことがないとのこと。アイクの暴力は思い出したくないほどひどかったのでしょう。映画も自叙伝も、自分を救ってくれた仏教の宣伝のために作った。

映画の流れを見ていてもよくわかるのですが、ティナがその時々で歌っていた曲の内容は、その時点での彼女の状態に不思議にシンクロしていました。

Tina_turner_its_gonna_work_out_fineアイクとの新婚のときは、It’s Gonna Work Out Fine、二人はきっとうまく行くわよ、という、アイクとの掛け合いのラブラブ状態の曲が合った。


Ike_tina_turner_proud_mary

アイクの暴力がひどくなっていた70年代前半、15日のタイムマシーンでかかった「プラウド・メアリー」。 working for the man every night and day、関係は崩れてもお義理で男のために昼夜徹して働いていた。

84年、吹っ切れて再スタートを切った彼女には、What’s Love Got to Do with it? あの男に引かれたのは愛なんて関係なかった。これからは自分の道を歩んでいく、と。

そんな、やっぱり波乱万丈だった彼女、ウォーレス記者より早く、2000年のツアーを最後にセミリタイア、南フランスの豪邸で優雅な余生(?)を楽しんでいるようです。

15日、アイクとティナの離婚が成立した日。

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2006年10月12日 (木)

Say It Isn't So

 とりあえずは御目出度い、ドラゴンズのセリーグ制覇。

 僕は自称「消去法ドラファン」なんですね。

 もともと中部地方出身ではないのに今は名古屋が拠点になっている。

 野球は大好きです。自分でもやってた。

 小学生のころ、野球のことがいろいろわかってきて、ある時突然、なぜ自分の周りには巨人ファンしかいないんだろう、とハタと気がついて疑問を抱いた。そして子供心に、これはマスコミを巻き込んだ巨大な陰謀が渦巻いているのではないかと感じ、巨人ばっかりの野球情報に呑まれてはいけないんだ、とつっぱった。

 パリーグというのはあるのは知っていたが、プロ野球知りたての頃は、セリーグとパリーグは一部リーグ二部リーグの関係にあって優劣があるんじゃないかと思っていた。70年代だから、まだ南海、阪急、近鉄、太平洋があって、2シーズン制を採っていた頃です。テレビ中継は巨人戦ばっかり、パリーグは新聞にかろうじて載るだけ、そのくらいの情報量の差があった。

 ところがそうではない。二つは平等のはずだった。

 注意してみていくうちに、渋くて個性的な選手がいっぱいいて、面白い野球をやっている。

 そのうちに、パリーグにはまっていきました。

 周りの友達が知らないチームや選手の情報をわかったつもりになっていて、ちょっと誇らしかった(このあたり、音楽に入っていった過程とよく似てる。捻くれてたからなあ。そういえば、全く同じ頃だ)。

 チームとしては、一番試合を観に行けた、日本ハムファイターズのファンになりました。大学時代は後楽園が近くだったこともあり、ほんとによく行ってた。

 ところが、この僕は縁あって名古屋へ。そしてファイターズは札幌へ行ってしまった。いかにインターネット時代とはいえ、それだけ距離ができてしまうと情報をフォローするだけでも大変。

 セリーグに関しては、巨人でなければどこが勝ってもいい、という感じでしたので、自然にドラゴンズを応援できるようにはなりました(ちなみに私は「修正主義アンチ巨人」あるいは「ネオ・アンチ巨人」を自称してます。従来のアンチ巨人は、強い巨人が負けるとスカッとする、アンチ巨人も巨人ファンのうち、という人たちでしたが、私は、巨人の情報一極集中を是正しなければ日本の野球の健全な発展はありえない、だから巨人どんどん弱くなれ、と考えていましたから。最近は好ましい状況にある)。

 そしてこの秋は、そのドラゴンズ対ファイターズの日本シリーズが観られるかもしれない。ワクワク。

 さて、いつもの通り、音楽に話題を戻しますが、ここまで長々と野球の話をしたのも、今回は野球がらみだからです。

108日のベストヒット、ニューヨーク三部作の最後、ラジオ局は残念ながらありませんでした。

Average_white_band_greatest_and_latest その日はAverage White Bandのオリジナルメンバー、ハミッシュ・スチュアートの誕生日、そしてリクエストコーナーではホール&オーツのSay It Isn’t Soがかかって、二週間前のこのコラムで話題にした二組と偶然一致しました。



Daryl_hall_john_oates_rockn_soul_part_1 このSay It Isn’t Soというのが、アメリカ英語では結構有名な言い回しで、ルーツが野球がらみなんです。

 古く1919年のワールドシリーズ。

 シンシナティ・レッズとシカゴ・ホワイトソックスとの対決でしたが。

 レッズが勝利しワールドチャンピオンとなりましたが、ホワイトソックス側に大掛かりな八百長疑惑が持ち上がりました。チャンピオンシップの行方が賭けのネタになり、ホワイトソックスの選手がレッズに賭けたバイヤーから金銭を受け取った上でわざと負けていた、という。

 タイ・カッブ、ベーブ・ルース、ルー・ゲーリックらスターがぼちぼち出てきた頃、野球が大衆娯楽として定着しつつあった時期に、イメージをぶち壊した事件でした。

 嫌疑をかけられた選手のなかに、「シューレス」ジョー・ジャクソンという名外野手、天才的安打製造機がいました。

Joe_jackson_night_and_day ジョー・ジャクソンといっても、あのStepping Outの、ベストヒットに出演して、克也さんに何を訊かれても yeah no としか反応せず話が続かなかった、あのジョー・ジャクソンではありません。当たり前ですが。

 「シューレス」靴無し、でヒットを打って走ったことがあり、これは靴が足に合わなかったため仕方がなくやったことで、観客からも不評を買ったようですが、その場面のインパクトが大きく、その渾名はずっとついて回りました。

 その八百長事件は、ホワイトソックスに因んで、ブラックソックス疑惑事件と呼ばれるようになり、ホワイトソックスから8人の選手が有罪判決を受け球界永久追放になりました。

 ジョー・ジャクソンも金銭授受を認めました。傍聴席にいた一人の少年ファンが、”Say it isn’t so, Joe!”「嘘だといってよ、ジョー」と叫んだ、という。

 この少年の話自体、事実だったかどうかはっきりしないのだそうですが、とにかくこれで”Say it isn’t so, Joe!”が流行語になり、今尚残っている、ということです。

 ジャクソンは後に、裁判で認めたのはオーナーから圧力を受けたからで金銭授受の事実はない、と証言を撤回し無実を主張し続けましたが、1951年に逝去し、現在尚名誉回復には至っていません。

 ファイターズには、プレーオフ第二ステージ、頑張ってもらいたい。

 広島には来シーズンがありますよ、克也さん。

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2006年10月 5日 (木)

Another Rainy Day in New York City

テレビから見るニューヨークの風景。

ニューヨーク取材三部作(と将来呼ばれるようになるかもしれない)、第一回目922日は、そぼ降る雨の中でした。レノン邸前とか、映った街並にも見覚えがあった。

第二回目101日は、ブロンディやパティ・スミスなどを輩出した、ニューヨーク・パンクのメッカだったCBGB。よっぽど汚かったけど、味のあるところだったみたいですね。

第三回目の108日には、ここの96日の克也さんの日記にある、ロングアイランドのFM曲のWRCNにゲスト出演した模様が流れるのでしょうか。

 克也さんが来たときの写真がアップされているはずだってありますけど、見当たりませんねえ(105日現在)。かわりに、多分、朝の時間のDJの一人だと思うんだけど、小太りの男が女性のビキニ水着を付けて外で水を飲んでいる写真が出てる。Yikes!

でもまあ、そういうのがその局の雰囲気やスタンスがわかっていいんでしょうね。

 一年前にもちょっと書きましたが。

 70~80年代のFEN(元AFN Eagle 810)で育った僕が、インターネットが普及して一番嬉しいと思っていることは、ストリーミングで世界のラジオ局がライヴで直に聴けるようになっていることです。WRCNは残念ながらストリーミング配信はしていないようですが。

 ストリーミングをやっているラジオ局のウェブサイト探索、自分のテイストにあった局探しは趣味となっています。ロックフォーマットの局の聴き比べは面白いです。フォーマットは同じでも、いろいろ微妙に違う。DJの個性が一番でしょうけれど、音楽情報に拘る局あり、逆に音楽は流すだけで地元情報ばかりの局あり、ほとんど喋りのない局あり。選曲も、地元出身のアーティストを贔屓していたり、やっぱり局ごとに色が違う。

 ストリーミングをやっている局を一覧できて検索できる便利なサイトがいくつかあるのですが、最新のヒット曲をかけるのはTop 40, ヒップホップを中心にかけるのはRhythmic (urban) Top 40フォーマットといいますが、これらは局全体の中での割合は少ないように見えます。でもこれはリスナーが少ないということでは必ずしもなく、そういう局は都市部に多く、人口が密集しているところでリスナーを獲得しているということなのでしょう。

 ブラック系のUrban, ブラックでもソフトよりのUrban Contemporaryフォーマットもそんな感じ。

 局の数としては、ソフトめの曲を聞かせる、カントリー系、ロック系の曲が圧倒的に多い。そういうのはあまり人がいない地域も電波でカバーしなくちゃいけないので、どうしても頭数は多くなる。

 カントリーも、最近は古いの専門のクラシック・カントリーと新しめ専門の普通のカントリーとにフォーマットが分かれてきているようです。

 ロック系の細分化はさらに著しい。

 普通の最新のロック中心の、Rockフォーマット、割とハードめが中心のModern Rock

 オルタナ系は、Alternative, AAA (Adult Alternative Album) , Hot AC と細かく分けると三つになるようで、あとのほうになるほどソフトになっていきます。

 圧倒的に多いのが、大人が好きそうな今のポップス、昔のトップ40中心のAC (Adult Contemporary) Soft Rock

 オールディーズというのも、ちょっと前まで50年代、60年代を指していたような気がするのですが、今はオールディーズといえば60年代70年代になっているようです。

 80年代、90年代の、ややロックよりの曲をかける局が最近急増してきて、Jack-Fm Styleと呼ばれているようです。局のキャッチフレーズが、”We Play Anything”, ”Playin’ It All”, ”Whatever We Want,”とかになっていて、要するに、何でもあり、と言っているんですね。そしてそういう局は、Jack, Bob, Mike, Max, Frankなんて、男の子の名前を冠していることが多い。

 こういった局のニックネームも面白いです。局の電波コールサイン(日本ならJ0**,アメリカならミシシッピ川を境に西がK***、東がW***)に引っ掛けている場合が多いですけど。Koolというのは、AC, Urban AC,オールディーズにまたあってあります。ACは他にLite,River, Sunny, Star, Mixなど。ロック系はFox, Eagleなんて動物系が多い。

 克也さんも言ってましたけれど、モーニングの時間帯は、ワンマンではなく複数のDJが会話しながら放送するスタイルが全国的に流行っていますね。僕がよく聴く、ロサンゼルスのトップ40KBIGの、懐かしいチャーリー・ツナも女性DJと一緒に朝4時間やっています。

http://radiobaka-archive.cocolog-nifty.com/bakabaka/2005/10/pon_de_repay.html

 日本のラジオ局も、インターネットを通して他の地域の曲もライブで聴けるようになるといいんですけれど。。。

 こうしてみてみると、日本のラジオ局は層が薄い。ラジオをと押し手自分の好きな音楽を見つけたかったら、ストリーミングに目を向けてみるのもいかがでしょう?Chicago_x

 Another Rainy Day in New York Cityはシカゴの76年、「愛ある別れ」の次のヒット曲。バラード路線に移行するかしないか、微妙な時期の曲で、ちょっとトロピカルにスチールドラムなんかを使ったミディアムアップテンポの曲でした。

 ニューヨークの都市部。それ以外の地域に住む平均的アメリカ人は大嫌い。ニューヨーク?あんなところアメリカじゃない、といいますが、御当地ソングの曲のタイトルで一番多いのは、ニューヨークなんだそうです。ニューヨークっ子にしてみれば情が募る場所かな。

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