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2006年11月24日 (金)

Slowhand

といえばいわずと知れた、泣く子も黙るギターの神様のあの人の冠名。彼の77年のアルバムのタイトルでもある。

 ここの四つ目のボタンの記念すべき最初の記事でもこのタイトルでこの人の話題にちょっとかすっています。彼は速弾きでも手の動きはゆっくり見える。

 反論するわけではありませんが。このあだ名の由来には諸説あるということで。もともと、英語の業界用語では、観客がアンコールでアーティストの再登場を求めて、拍手がそろって、それがだんだんゆっくりになっていく。それをslow handclapという。

Eric_clapton_slowhand 彼の場合、ヤードバーズの時代に、使っていたギターが改造ものであまりいいものではなくて、ライヴの最中でも、一回の中でも数度、弦を切ってしまうことが恒例になっていた。彼はそのたびごとにステージの裏に引っ込んで数分かけて弦を張り替えてチューニングをやり直した。その間観客は、彼の再登場、ライヴの再開を、アンコールのように、ゆっくり拍手を揃えて待ちわびていた。そこから、彼のそのあだ名がついたという。

 昔の11pmの中で、今野雄二さんがやったインタビューの中で彼自身もそういっていましたし、ヤードバーズで一緒だったクリス・ドレイヤもそう証言しています。こっちが本当でしょう。

 でも、ポインターシスターズが放ったヒット曲、クラプトンとは全く関係ない「スローハンド」は、「スロー&セクシー、あの時の手の動きがゆっくりの優しい男が好き」といった曲だったし、その意味もあるのでしょう。

 さて。ここ一ヶ月は彼の話題で持ちきりでしょう。ずっと日本に居座り、全18回にもおよぶライヴの列島縦断ツアーを敢行中。

 私も先週の名古屋公演に行ってきましたのでレポート申し上げます。

 いうまでもなく彼は長い年月にわたって活躍し続け、ヒット曲もいっぱいある。それぞれの年代で特色ある活動をしてきた人。どの時代の彼が好きか、は人によって異なってくる。

 ピーター・バラカン氏は、渋いヴォーカリストとして開眼した90年代の彼が素晴しいと言っていた。

 克也さんは、JJ.ケールの曲なんかをやっていたソロの初期、70年代の彼が好きだと言ってました。

 今回のライヴは、克也さんが好きなクラプトンを好きな人にはたまらない構成になっているかもしれません。

 彼くらいのアーティストになれば、そのときの目的に応じていろいろな構成が可能になってくる。ファンサービスのためにひたすらヒット曲を並べる、新しいアルバムの宣伝のために新しい曲を中心に演る、あるいはそのときの気分で、ある特定のテーマや主張に沿った曲を集めてみる。今回は明らかに最後のパターンだったようです。

 会場が暗くなってから彼が登場するまで少し間があり、その「スローハンド現象」が起こっていました。知っている人は案外多いのかな。

Derek_the_dominos_layla_and_other_assort 最初の曲に面食らった。馴染みのない曲。思い出すのに時間がかかった。なんとTell the Truthというデレク&ドミノスの「レイラ」のアルバムからの曲だった。これ以降もデレク&ドミノスの曲が多く、70年代のレパートリーからの選曲が中心になっていた。

 演奏曲目は以下のとおりです。最初の録音も付記しておきました。多分これで間違いないと思いますが誤りがあればご教示ください。

01. Tell the Truth (Layla and Other Assorted Love Songs, Derek & the Dominoes, 1970)
02. Got to Get Better in a Little While (In Concert, Derek & the Dominoes, 1973)
03. Old Love (Journeyman, 1989)
04. Anyday (Layla and Other Assorted Love Songs)
05. Motherless Children
 (461 Ocean Boulevard, 1974)

06. Driftin' Blues (E.C. Was Here, 1975)
07. Key to the Highway (Layla and Other Assorted Love Songs)
08. Outside Woman Blues (Desreali Gear, Cream, 1967)
09. Nobody Knows You When You're Down and Out (Layla and Other Assorted Love Songs)
10. Running on Faith (Journayman)

11. After Midnight (Eric Clapton, 1970
12. Little Queen of Spades (Me & Mr Johnson, 2004)
13. Pretending (Journayman)
14. Wonderful Tonight
 (Slowhand, 1977)
15. Layla (Layla and Other Assorted Love Songs)
16. Cocaine
 (Slowhand、この2曲はメドレーで)

(アンコール)
17. Crossroads (Wheels of Fire, Cream, 1968)

Eric_clapton_me_and_mr_johnson このように「レイラ」のアルバムから5曲、他デレク&ドミノス時代が1曲、「ジャーニーマン」から3曲、「スローハンド」から2曲、他70年代の曲が3曲、クリーム時代の曲が2曲、一番最近の録音としては Me& Mr. Johnsonから1曲。


Eric_clapton_461_ocean_boulevard_1

 大阪では I Shot the Sheriffも演ったそうです。しかしこれは、「ワンダフル・トゥナイト」同様、日本のファン向けのサービス目的の選曲であって、今回の大きなテーマとは直接関係ないでしょう。

 今回の彼は、彼のルーツであるブルース色を前面に出したかったのでしょう。

Eric_clapton_journeyman お馴染みの80年代、90年代の大ヒット曲はほとんどない。その時代からは、やはり一番ブルース色の強かった「ジャーニーマン」からの選曲が多かった。

 

Cream_the_very_best_of_1クリーム時代の曲も、「ホワイト・ルーム」でも「サンシャイン・オヴ・ユア・ラヴ」でも、なく、ブルースの曲から。アンコールの「クロスロード」も、彼のボックスセットや彼が主催したギタリスト・フェスティヴァルのライヴDVDのタイトルになっていたりするが、実はオリジナルはブルースのロバート・ジョンソン。クラプトンが10代のときに聴いて人生が変わったという、今なお敬愛してやまないミュージシャン。04年に念願だった彼へのトリビュート・アルバムを発表しており、そこかJjcale_and_eric_claptonroadto_escondidoらも1曲。Eric_clapton

70年代からのお馴染みの曲は、ソロ第一弾シングルの「アフター・ミッドナイト」と、「レイラ」とのメドレーで演奏された「コカイン」。これは両方とも、そのJ.J.ケールの作品。やはり敬愛してやまない人物。クラプトンの発表されたばかりの最新CD Road to Escondidoは、そのケールとの完全なデュエットアルバムになっています。

Eric_clapton_ecwas_here 曲の間には彼は、メンバー紹介を除いては「コンバンハ!」とThank Youしかいいませんでした。MC、曲紹介一切なし。ぶっきらぼうな感じもしましたが、それも演出の一つなのかもしれません。

 そのかわり、ライヴの時間じゅうずっと、時に激しく、時に絡みつくようなギターが流れます。ヴォーカリストとしてより、ブルース・ロック・ギタリストとしてのクラプトンの凄さを改めて認識できるライヴでした。

 今週は東京公演の真っ只中ですか。12月半ばまでツアーは続きます。ネタバレなんて思わないで。雰囲気や大体の流れは変わらないと思いますが、場所や日によって選曲や曲順を微妙に変えているようです。数回行かれる方もいらっしゃるでしょう。じっくりスローハンドを堪能してきてください。

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2006年11月16日 (木)

Great Balls of Fire!

1112日、ベストヒットのタイムマシーン。1957年に、当時のロックスターを集めた映画「ジャンボリー」が公開された人のことで、その出演者の一人、ジェリー・リー・ルイスの後年のロックンロールメドレーのライヴ映像が流れました。

Soundtrack_great_balls_of_fire_去年の12月にも彼の13歳の又従姉妹との重婚問題の話題が出てきて、その時は重婚繋がりでフランキー・ライモンの映画を取り上げたのですが、今回は本家のジェリー・リー・ルイスの映画Great Balls of Fireを取り上げてみましょう。それからDVDを手に入れてじっくり見ることができたので。

1935年ルイジアナ生まれ。黒人が周囲に普通にいる環境に育ち、ブギウギに興味を持ち、ピアノをマスターする。

レコーディングを目指すが、ロックンロールはギター、という固定観念が育ちつつあった時期で苦労するも、サン・レコードの大物、プレスリーやジョニー・キャッシュを見出したサム・フィリップスに認められ、Whole Lotta Shakin’ Goin' On Great Balls of Fire「火の玉ロック」なんてヒットを放つ。

Jerry_lee_lewis_last_man_standing彼は、ジミヘンがギターを燃やす前にピアノをステージで燃やしていたし、ピアノを座らずに踊りながら打楽器のように弾き、上に乗っかったりするスタイルが、後のピアノロッカーたち、エルトン・ジョン、ビリー・ジョエル、ベン・フォールズらに与えた影響は計り知れない。

Ben_folds_five_1Billy_joel_12_gardens_live彼は従兄弟の、バンドのベーシスト兼マネージャーの家に居候していたが、そこの家の娘、10歳以上年下の13歳のマイラと恋に落ちる。親の目を盗んでのデート、そして結婚。

Elton_john_captain_and_the_kid_1親は近親相姦だの未熟女子強姦だの騒ぎ立てて大反対するが、ジェリーにしてみれば、自分の姉も14歳で結婚していたし、南部は当時まだ早婚の風習は残っていたので何の罪の意識はない。またまた従兄弟の宗教家ジミー・スワガードの、運命を受け入れろ、の諭しであきらめてバンドに戻る。

ところが、イギリスにツアーに行って、早婚の上に、以前の結婚の決着がついておらず重婚の疑いもかけられ、保守的な層から総スカンを食らって大失敗、失意のうちに帰国する。

アメリカでも、ロックンロールの流行を快く思わない保守的な人たちから、プレスリーが兵役に取られた後の、堕落した悪魔の音楽の権化、として槍玉に挙げられる。

Jerry_lee_lewis_definitive_collectionそれでも、誰に何を言われようとも、オレは彼女を愛しているし、地獄に落ちたってピアノを弾いてロックし続けるぜ、と言い放つ。ジェリーは今夜もどこかで歌っている、で映画は閉じられます。

この後、アメリカで人気は落ちますが、ヨーロッパで人気が盛り返し、アメリカでもカントリーに転向したりして生き続けます。この手のミュージシャンにありがちな麻薬にも手を出しますし、プレスリーが亡くなる前年にプレスリーの家に招待なしで銃を持って上がりこみ「彼を殺しに来た」とわめき散らして逮捕されるなどの問題を起こすことになります。この映画で扱われた時期でも十分に奇行が問題になっていたのですが、それは触れられる程度、純粋な恋愛物語として描かれているようです。

それもそのはず、原作はマイラ・ルイス自身でした。

しかも音楽も全てジェリー自らが歌った新旧録音が使われています。この二人は70年に離婚していますが、このプロジェクトでは協力し合ったようです。

ジェリー役はデニス・クェイド。ジェリーのピアノを弾きながらマイクに向かう角度は忠実に再現され、ジェリーの唄に口朴であわせています。

マイラ役はウィノナ・ライダー。この映画の当時で20歳くらいだったんでしょうけれど、50年代の13歳の少女役、ポニーテールのグリース・ルックが結構「萌え」ます。

従兄弟のジミー・スワガードというのは、80年代に最も影響力あるテレビ伝道師になり、巨大な宗教団体の代表にまでなりますが、売春婦とホテルで密会していたというスキャンダルでも有名になります。Urban_cowboy_soundtrack

また、トラボルタの映画「アーバン・カウボーイ」の舞台を提供した、カントリー歌手のミッキー・ギリーもジェリーの従兄弟に当たります。

まだ、今晩もどこかで「火の玉ロック」してるんでしょうか。

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2006年11月10日 (金)

You Ain't See Nothing Yet

結構忙しいんです。

 本業はアメリカの事情や政治について書いたりしゃべったりしてるもんで。

 向こうの時間の火曜日に選挙があって、今結果が次々に入ってきています。

 克也御大にも、もっと政治のことを書いていいっていわれているし。でも難しくならない範囲で、あと、ショービズの話題も絡めて書いてみます。

 中間選挙というのは、四年に一度の大統領選挙に重ならない西暦末尾が偶数の年に行われる選挙。合衆国下院議員が任期二年で全議席がシャッフルされ、上院議員が一人六年の任期なのが二年ごとに三分の一が改選されるので、必ず二年ごとに全国選挙をやるわけですね。ほかに知事選居の改選が重なる場合や、同時にある問題の可否を住民投票で問うたりします。上院とは州の代表で、下院とは民衆の代表という位置づけです。

 いままでは上下両院とも、共和党、つまりブッシュ大統領の側の政党が12年続けて多数党を占めていました。ところが今回の結果で、両院とも、反対党の民主党、つまりクリントン前大統領の側の政党、が多数派を奪還しました。でも、たとえば上院の議席は5149で、両院とも議席差はきわめて僅少です。

 事前から民主党の優勢は予測われていました。しかし多数党に返り咲くのは大変なことでした。世論調査のほかに、どの地域ではどちらが強い、という地域的傾向みたいなものがあって、それは明らかに共和党に利する配置になっていたからです。2000年に民主党のケリー候補が勝つためには世論の支持率で51パーセント対49パーセントではだめで、最低でも55パーセント対45パーセントくらいの開きが必要でした。つまり今回はそれくらい民主党に追い風が吹いていたわけで、それくらいイラク戦争とブッシュ大統領に支持が集まらなくなっていたわけです。それでも議席が僅差なのは、その共和党がもともと持っていたアドヴァンテージのせいだと思われます。

 議会では議長とか委員会委員長とかが大きな権力を持っていて、多数党からすべてのポストが選出されるので、今回は全部変わってしまいます。特に下院の最高実力者となる下院議長が史上初の女性になりそうです。ナンシー・ペロシという、サンフランシスコ周辺の選挙区から出ているリベラルな女性で、ブッシュ大統領を「嘘吐き」呼ばわりしたこともある、大統領とは犬と猿みたいな関係の人、これからますます対決姿勢を強めていくかもしれません。また中国や日本に対しても強い態度をとった人です。

 もうひとつの女性初、最後の領域といえば、大統領。女性初にまっしぐらに進んでいるのはヒラリー・クリントン上院議員。ニュー・ヨーク州で再選され、二年後に向けて勢いがついたかも。

Bachman_turner_overdrive_not_fragileTal_bachman                                                             彼女がキャンペーンソングに使っていたのが、Bachman-Turner Overdirive “You Ain’t See Nothing Yet”「恋のめまい」という曲。75年のナンバー1ヒット。カナダからのバンドで、克也さんも銀座で偶然遭遇したことがあるというGuess Whoにいたランディ・バックマンを中心に結成されたグループ。98年に”She’s So High”をヒットさせたタル・バックマンのお父さん。

 「まだいいことは何も見てないよ、これからだよ」とは、なんとも意味深な。再選を目指す政治家としては、これからまだまだいいことがあるよってことだけど、ヒラリーの場合、更にその次があるよって意味もあるかもしれない。

Anne_murray_ultimate_collection_1Randy_goodrum_words_and_music 旦那の前大統領はフリートウッド・マック「ドント・ストップ」をキャンペーンソングに使っていた。旦那はMTVでケニー・ロギンスと競演したこともあるし、アン・マレーのナンバー1ソング「辛い別れ」”You Needed Me”なんかを作ったソングライターのランディ・グッドラムとは高校の同級生で一緒にバンドを組んでいて、マジでプロを目指していて、ランディとクリントン夫妻はいまでに友人同士であるという。音楽大好き一家ですね。まだあの問題は尾を引いているのかな?

 あと今回注目されたのはマイケル・J・フォックスの存在。80年代に、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」三部作、「ファミリー・タイズ」なんかで人気者だった彼もパーキンソン氏病にかかってしまった。その病気も含めて、アルツハイマー病など遺伝子レベルで引き起こされる病気の治療方法開発のきっかけとなるかもしれない幹細胞研究の推進を応援している。ところがこれは、胚をいじることは生命にかかわり、クローン人間を作る研究に結びつき神の領域を侵すということで宗教保守派が大反対しており、アメリカを二分する政治問題の一つになっています。ミズーリ州で幹細胞研究への基金が住民投票にかけられ、マイケルは体中がぶるぶる震えながらも研究の必要性を訴える運動を展開しました。これを保守派のラジオトークショーホストで有名なラッシュ・リンボウは、視聴者にお涙頂戴するための演技だ、と批判しましたが、マイケルは「自分は俳優だ。俳優としてこんな惨めな姿は見せたくない。それでも研究の必要を訴えるためにあえて見せている」と反駁しました。住民投票は僅差で可決されたようです。

 カリフォルニア州知事シュワちゃんも、前回はリコール選挙でしたが、今回は定期選挙で初めて当選しました。

 ショービズと政治の世界が密接に結びついているアメリカ。こういう話題に事欠かないのが、いいところといえばそうなのかもしれない。

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2006年11月 3日 (金)

Heat of the Moment

1025日。

 ジョン・ウェットン+ジェフリー・ダウンズのライブへ。

日本シリーズの経過を気にかけつつ、夜、730分に仕事を一つ終了。

街中からちょっと離れている仕事場をさっさと切り上げ、急ぎ目的地の会場へ。

例によって二回しで、その二回し目は845分開場、915分開演。

ちょっとヒヤヒヤしたけど、十分間に合った。

でも会場の前、結構列ができてる。

オレのすぐ後ろでは、やっぱりオレとおんなじ、仕事を終わって駆けつけた人たちだろう。45人連れのオッサンたちが、スティーヴ・ハケットがどうしたの、ピーター・ガブリエルがこうしたのって話をしてる。いいね。この雰囲気。

そういうプログレおじさんたちも、このライブはちょっと違うぞって覚悟して来てるんだと思うけどね。

Asiaエイジアが出てきたときにはびっくりした。

やつら本当はフォリナーになりたかったのか、って感じでね。

元々、ジェフはポップだったけどね。イギリスのディスコの女の子、ティナ・チャールズのバンドに長くいたんだから。

Buggles_the_age_of_plasticYes_90125_1バグルスもポップだった。イエスに参加したのだって、そのバグルスがトレバー・ホーンも含めて丸ごと吸収された形で、ジョン・アンダーソン、リック・ウェイクマンの脱退後だった。昔からのイエスやプログレのファンは、相当がっかりしてたよね。

ジョンはキング・クリムゾン、ユライア・ヒープ、UKかな。プログレの王道みたいだけど、ロキシー・ミュージックにもいた。結構幅は広い。

Emerson_lake_palmer_trilogyELPのカール、パーマーやグレッグ・レイク、イエスのスティーヴ・ハウあたりが出たり入ったりしたから、当時パンクなんかに押されて休止勝ちだったイギリスのプログレ連中が集まった印象が強いんだと思う。

ヤツらはこう考えたに違いないんだ。

売れなくても質の高い音楽を作ったって評論家たちは褒めてくれるけど。

それで一体なんになる?

所詮オレたちの生きてる世界はショービズなんだ。売れて何ぼなんだ。

評論家やオタクのファンたちがオレたちの老後を保証してくれるのか?

オレたちくらい音楽の甘いも苦いも吸ってれば、その気になれば売れるポップロックなんて簡単に作れるぞ。

ってね。

有名人の集合体のスーパーグループの常で、離合集散があって直ぐにしぼんじゃったけど、少なくとも数年間は計算どおり大成功してた。

John_wetton_geoffrey_downs_icon_liveジョンとジェフの二人は、エイジアでも中心の作曲チームで、数年前にジョンのソロプロジェクトで再スタートし、音楽性が合うところを再確認したらしい。

ギターとドラムは若いサポートミュージシャンで。ジェフは3面に3段ずつのキーボードに囲まれ、曲ごとの音の変化はコンピューターで完全プログラム化されてたみたいだ。

機械仕掛けのなせる業だけど、たった四人でレコードそっくりの、厚みのある音が再現できていた。

Asia_alfaいきなりDon’t Cry。一枚目のデビューもびっくりしたけど、二枚目のリードシングルで、更にポップになっちゃったと思った曲だ。

次に Only Time Will Tell.

一時間ちょっとの時間内で、彼らのお馴染みの曲は全部網羅されてたし、新しい録音からの披露も程よく。

Heat of the Momentは最後だった。熱い時、だったね。

終了後、降りてきて、ずらっと並んだ聴衆が持ってるCDTシャツに快くサインし握手に応じてる。

ずっと小難しい音楽ばっかりだったらこうはいかなかったよね。

エイジアから20年以上経って、やっぱりエイジアをやってる。みんなの記憶にも残ったし、お金も貯められてよかったね。

10時半過ぎ。会場を出たら、携帯のニュース速報サービスで、日ハム王手、が入ってた。

小林時々日記風を意識してみましたが、いかがでしょう?]

よかった。また時々お願いします-小林

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