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2006年12月28日 (木)

Funky New Year

クリスマスがやっと終わりまして。

年々始まりが早くなっているような気がするのですが。これは日本だけの話ではなくて。

アメリカのアダルト・コンテンポラリー・フォーマットのラジオ局を聴いてますと、11月初頭からクリスマスソング一色になってしまいます。普段ならカウントダウンをやっているケーシー・ケーサムの番組もクリスマス一色になって、今週の第何位、のかわりに聖書のエピソードを読んだりする。

 そんな局も、それぞれの現地時間の1226日午前0時をもって24時間クリスマスソング垂れ流しをぴたっとやめ、元のフォーマットに戻ります(年内いっぱいまで一時間に23曲クリスマスソングを流し続ける局もあります。こういうところが日本と違っていいところで好きだ)。

James_brown_papas_got_a_brand_new_bag ところが、僕がたまたま聴いていた局は、その26日午前0時になった瞬間、JB”Papa’s Got a Brand-New Bag”をかけ始めました。ACフォーマットらしからぬ、おおよそかかりそうもない曲。

 それでもその局は、JB をかける瞬間を手薬煉引いて待っていたのでしょう。

 そう、JBがクリスマスに帰らぬ人になってしまった。

 記事にしたビリー・プレストンに、ジェラルド・ルバート、ポール・モーリア、今年もいろいろな方が鬼籍にお入りになりましたが、最後の最後に大物が来てしまいました。

 確かカーティス・メイフィールドが亡くなったのも1226日でした。年の暮れは何かあるのでしょうか。

 ファンクの王様としてヒット曲は多いし、バックバンドもJB’sとして独立してレコードを出して、ブーツィー・コリンズとか、PFunkにつながる人たちを育てたり、音楽での功績も大きな人だけど、人間的にはちょっとどうだったのかな、という人。

 暴力や麻薬で逮捕、服役歴少なからず。

 ベストヒットにゲスト出演したときも押しの強さに唖然としました。自らを、 Godfather of Soul, Soul Brother No.1とあだ名されたと言い切り、プレスリーはKing of Rock’n’Rollだったからちゃんと住み分けができていて重複がなかったんだ、とか。ちなみにこのときの模様、YouTubeに貼り付けられています。こちら

 僕もナマで見たことがあります。といっても金を払ってではなく無料イベントで。これも確か数年前のクリスマスの時期、新宿のタワーレコードのインストアライヴでした。狭い会場にギュウギュウに熱心なファンが集まりすごい密度の盛り上がりでした。

 そんな彼もミュージシャンになる前はマーティン・ルーサー・キング牧師の弟子で、非暴力の黒人権利回復運動を熱心にやっていたという。

Rocky_iv_soundtrack そして彼、ヒットチャートでもひとつの(珍?)記録を作ることになりました。それは、ナンバー1ヒットを持たずに史上最もレコードを売ったアーティスト、というものです。他にも、”I Feel Good” “Sex Machine”知られた曲はいっぱいあるのですが1位を取った曲はひとつもない。84年に「ロッキー4」のサントラに起用されて復活した”Living in America”がはじめていくかなあと思いましたが4位止まりでした。1位がないというのもそれはそれで、アウトローの彼らしくていいのかもしれない。

 年の瀬のさびしい時期、また巨星を失いました。合掌。

 あ、JBって、ジェームス・ブラウンですからね。念のため。

Eagles_very_best_of タイトルにしたFunky New Year, なんとJBもクリスマスアルバムを出しているんですけれど、これはそれとは関係なく、イーグルスの「二人だけのクリスマス」のB面だった曲です。 Have yourself a Funky New Year!!!

この場をお借りして二度目の年越しのご挨拶ができるのが奇跡的な感じがします。

 皆様、よいお年を!

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2006年12月22日 (金)

Disco Strangler

またベストヒットネタに戻って。

Kiss_dynasty17日のタイムマシーン。1980年にKISSのドラムス、ピーター・クリスがバンドを脱退した日ということで、79年のヒット “I Was Made for Loving You” 邦題「ラビン・ユー・ベイビー」がかかりました。

キッスがディスコに挑戦。それが彼らの代表曲になっちゃって、今、日本のコマーシャルで子供たちがあのメイクアップをして替え歌を歌ってる。

考えてみればキッスというバンド、その次にヒットしたのが76年の「ベス」という曲で、そのピーターがリードを取った、というか一人で歌った、バックはストリングスとピアノのバラード。

メンバーでピアノを弾けるのは一人もいなかった。この曲をライブでやるときは他の三人は引っ込んで、ピーターもドラムから離れて一人で歌う。

ハードロック、といっても結構、ポップ性、コード進行やハーモニーを重視していたようなところもあったし。

それでも広く知られた代表曲が本筋からはなれた曲ばかりで、やや損をしていたのかもしれません。

この70年代の後半、確かdisco bandwagonという言葉がありました。

ポール・マッカートニー&マイケル・ジャクソン「セイ・セイ・セイ」のビデオを覚えている方は思い出していただければいいんですけど。

昔、ドサ周りの興行一座はワゴン車で移動していて、それがある村に賑やかにやって来たら、子供がわっと寄ってってきて、その車が移動するところ、みんな付いていって、過ぎ去った後はもぬけの殻になる。

それで、bandwagonとは、勢いに乗る、悪く言えば、便乗、を意味するようになったのですが。

この70年代末、ディスコブームに便乗して、それとはかけ離れているはずのアーティストがディスコに手を出して、いろいろな記録を残しています。キッスのみにあらず。ちょっと思い出してみましょう。

Joe_tex_aint_gonna_bump_no_moreDiana_ross_diana_ross_1ダイアナ・ロス “Love Hangover”

Joe Tex "Ain't Gonna Bump No More (With No Big Fat Woman)"

確かディスコブームの最初の頃はファンクとの境があいまいで、黒人音楽の一部と考えられていた節があり、アフロヘアーにスタイルが代表されていたのがそれを物語っている。それでもこういうR&Bのベテランがディスコに手を染めたのは大きな話題となった。

Thelma_houston_the_best_ofHarold_melvin_the_bluenotes_the_best_ofともに76年のヒット曲。ダイアナ・ロスのは、「マホガニーのテーマ」に続いて全米ナンバー1になった。ドナ・サマーを意識したかのようなイロッポイ内容、バラードからディスコビートになっていく。ベースラインは、ハロルド・メルヴィン&ブルーノーツ、後にテルマ・ヒューストンがカバーして翌77年全米1位になる”Don’t Leave Me This Way”のパクリ。

ジョー・テックスは、ラップの元祖かもしれない。途中からイスラム教に改宗するが、元々ゴスペルの味のあるR&Bも歌っていた。それがディスコに行っちゃった。82年逝去。

ローリング・ストーンズ「ミス・ユー」

Rolling_stones_some_girlsサタデー・ナイト・フィーヴァーからの曲がラジオを席巻していた78年夏、ストーンズがニューアルバム「女たち」を発表したが、そこから鳴り物入りで出てきたシングルがこれだった。ストーンズもディスコか、と、キッス同様、古いファンを引かせてしまった。でも全米一位になった。ミックの妻ビアンカのことを歌っていた。

バリー・マニロウ「コパカバーナ」

バーブラ・ストライサンド「メイン・イベントのテーマ(ファイト)」

同じく78年夏。こういうエンターテイナー系もディスコに走っちゃった。

Barry_manilow_even_nowBarbra_streissand_essential_270年代後半だけに限ればソロアーティストとしては最もレコードを売ったバリー・マニロウ。甘ったるいバラードの大ヒットを連発していた。タモリが一時期さだまさしを嫌っていたように、そういうのがだめな人たちからは徹底的に嫌われてもいた。「マニロウがラジオでかかったらブレーキ踏んでやる」なんてバンパースティッカーも流行った。

「コパカバーナ」も現在、数年前プロ野球チームを買い取り、最近は携帯電話に参入していろいろ問題を起こしているあそこのCMに使われているのでお馴染みでしょう。

曲の内容はストーリーがあって、ハバナのクラブの踊り子とバーテンダーの悲恋物語になっているんですけど。これのダンスヴァージョンは完全な16ビートにアレンジされていた。これでグラミーの最優秀男性ヴォーカルを受賞した。

バーブラも、あの高い声でのスタンダードのようなバラードが有名で、映画がらみですがディスコに手を染めて、トップ10ヒットになった。この翌年にはドナ・サマーとので湯えっと、16ビートの “No More Tears” で一位にもなる。

ロッド・スチュアート「アイム・セクシー」

Rod_stewart_blondes_have_more_fun79年頭。ロッドも16ビートに行ってナンバー1になった。さびの部分は、ブラジルのタージマハールそっくりだというので盗作問題にもなった。

ロッドはストーンズフォロワーで、さっきの「ミス・ユー」を聴いて、自分もディスコをやりたいと考え、この曲を思いついたという。

元々彼は音楽のスタイルを柔軟に変える人なので、それほど不思議なことではないのかもしれないが。でも時期を考えると・・・商売商売。

ポール・マッカートニー&ウィングス “Goodnight Tonight”

Paul_mccartney_all_the_best79年夏、ポールまでやっちゃった。

一応、歌い方とか、ベースラインとか、ポール節になってたんだけど。彼までやる必要があったのかな。ディスコでかかったときは、踊る人の好き嫌いがはっきり分かれたという。トップ10ヒット、ミリオンセラーになったが、ウィングス名義としては最後のスタジオ録音になった。

エルトン・ジョン “Victim of Love”

Elton_john_victim_of_loveこれは知られていないかもしれない。なんとエルトンもディスコをやっていたのだ。

今まで挙げたものは、それぞれのアーティストのスタイルからかけ離れているという意味で、異色、汚点の曲ばかりだったかもしれないが、エルトンの場合は売り上げ的にも見事にコケた、正真正銘の「汚点」である。

80年中ごろのリリース。77年あたりからスランプといわれていた。作詞の相棒バーニー・トーピンと一時期はなれていたことも原因だが、70年代の全盛期をともにしたプロデューサーのガス・ダッジョンと分かれたのも大きかった。いろいろな試行錯誤が続き、ここではなんとドナ・サマーを手がけたピート・ベロッティを迎えて、レコードA,B面ノンストップのディスコアルバムを出してきた。

エルトンは後に、このときはやらなければならなかったことだ、と語っているが、ディスコブームが消えようとしている時、なぜやったのか理解に苦しむ。彼のキャリアの中で最も売れなかったアルバムになった。

シカゴ “Must Have Been Crazy”

Chicago_13_1同じ時期にシカゴもやっていた。シカゴも、オリジナルメンバーのギタリスト、テリー・キャスがピルトル暴発事故でなくなって以来スランプで、試行錯誤を繰り返していた時期だった。シカゴ13のアルバムより、ディスコが唯一音楽に貢献したことは録音技術を向上させたことだ、と言って、自分たちでも挑戦した。トップ40にも入らず最悪の結果になる。彼らの復活はビル・チャンプリンが加入しデヴィッド・フォスターをプロデューサーに迎える、シカゴ1681年まで待たされることになる。

Eagles_long_runタイトルのDisco Stranglerはイーグルスの最後のスタジオ録音アルバム「ロングラン」の中の曲。タイトルを見たときは、え!?イーグルスもディスコ?なんて思ったけれど、ビートはちょっと意識したところはありますが、ちょっとツェッペリン風の、ディスコの虚栄を歌った曲。

考えてみれば、ブームの中心にいたビージーズも、本当にディスコと呼べるものを作っていたのは彼らの長いキャリアの中ではほんの3,4年の間だった。他のアーティストとは違って一曲のみではなかったけれど、彼らにとっても、便乗だったのかもしれない。

ディスコブームそのものが虚栄でバブルだったのでしょう。

メリークリスマス!

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2006年12月15日 (金)

The Entertainer

「スティング」のテーマではありません。

今回のテーマ選択にはちょっとした嬉しい悲鳴がありました。どれにしようか?

Piano Manはストレートすぎる。New York State of Mind, Streetlife Serenader、どれも彼の持っている面を一言で言い表せる。

 でも結局、表題の曲に落ち着きました。

 なぜかというと、エンターテイナーとしての彼を再認識することができた、というのが個人的な印象だったからです。

 予告どおり、ビリー・ジョエルのナゴヤドーム公演、行ってきたのでリポートしたいと思います。

 彼をそこで見るのは、983月、エルトン・ジョンとのダブルヘッドライナーでの世界ツアー以来。あの時、克也さんはお芝居の真っ最中だったなあ。

 今回は完全セットリスト形式で振り返りたいと思います。

Billy_joel_turnstiles1. Prelude/Angry Young Man (Turnstiles 1976)
自分がギターをちょっとやるせいか、ギターの速弾きにはあんまりびっくりしないんですけれどこの曲を最初に聞いたときは衝撃的だった。速いピアノのトレモロが印象的なこの曲からスタート。スタートの2曲はどの場所でも変わっていないようです。

Billy_joel_52nd_street2. My Life (52nd Street 1978)

東京、大阪、福岡、札幌ではこの曲のイントロに「さくら、さくら」が被っていたそうです。ここ名古屋では、例のピアノのオクターブで流れるイントロに「クワイ川マーチ」Bridge on the River Kuaiのメロディーが乗せられて始まりました。後で出てくる「ハートにファイア」の歌詞にでも出てくる有名な映画「戦場に掛ける橋」のテーマ曲、「サル、ゴリラ、チンパンジー」って、あれですね。

3. Vienna (The Stranger 1977)

コンサートのパンフレットで彼が書いていることを読むと、マディソン・スクエア・ガーデン以来の復活コンサートでは、自分のヒット曲と同時に、今までほとんどライヴ演奏しなかったようなレパートリーを含めて、それを場所によって入れ替えることで楽しんできた、とありました。この選曲が名古屋でのそれに当たるのでしょう。日本ではあと福岡のみで演奏されたようです。
4. Honesty ( 52nd Street)
Billy_joel_12_gardens_live_1日本でお馴染みの曲だが、アメリカでは「52番街」からの第3段シングルで、ヒットチャートとしては30位台止まりで大ヒットとは言えない。「ストレンジャー」しかり、日本人はなんと短調が好きなことか。記録を作ったマディソン・スクエア・ガーデンでの連続コンサートの模様を収めた最新の「12ガーデンズライヴ」にも収録されていない。

Billy_joel_streetlifeserenade5. The Entertainer (Streetlife Serenade 1975)
自分を取り巻く音楽業界人の唄、この頃はパーマでもじゃもじゃしてたけどね、と、テレながらすっかり薄くなった頭を掻いてMCで笑いを取る。いいですよ、男の年輪が出ていて。克也さんも。


6.Zanzibar(52nd Street)
7.New York State of Mind (Turnstiles)

8. Miami 2017 (Turnstiles)

中盤に差し掛かりジャジーな雰囲気になっていく。「ザンジバー」なんてのも今までは演奏することは稀だったレパートリーだろう。サックス担当の若手、カール・フィッシャーは、この曲のレコードのフレディ・ハバートの演奏を聴いて楽器を始めたという。本人のバンドでその曲の演奏に参加できて感無量だろう。

克也さんが四つ目のボタンで書いていらっしゃる、彼には躁鬱の気がある、というのはよくわかる。発表してきたアルバムの全体の雰囲気に躁鬱の開きがあるし、収められた曲の中にも躁と欝がある。

Barbra_streissand_essential_1元々はバーブラ・ストライサンドのカバーで有名になった「ニュー・ヨークの想い」。これには「マイ・ライフ」「ストレンジャー」(「ハートにファイア」も?)と共通したテーマを含んでいる。つまり、ニュー・ヨークを捨て、南部や西海岸に移り住もうとする自分の周囲の人々、というか20世紀後半のアメリカ全体の雰囲気だ。同じテーマでも、「マイ・ライフ」は躁で「想い」「ストレンジャー」はちょっと欝が入っているのだろう。だからもっとシリアスに演って欲しかった気もするが、曲の最後に変な低い声を入れたり、ちょっとふざけていた感じがあった。それもそれでエンターテイナーの御一興だったのだろう。

Billy_joel_nylon_curtain9.Allewntown(The Nylon Curtain 1981)

「ナイロンカーテン」からは唯一の選曲。「ナイロン」あたりは全体が欝な感じだ。僕個人としては、ちょっと欝が入っていたほうがいい意味で好きで、「ナイロン」からはもっと選曲してほしかったのだが。

Billy_joel_the_stranger10. The Stranger (The Stranger).
11. Just the Way You Are (The Stranger)
12. Movin' Out (The Stranger)

「ストレンジャー」三部作。実は今回一番注目していたのはこの部分でした。なぜかというと。

 彼は少し前まで、7,8年の間完全にロックから遠ざかっていたわけで。クラシックのアルバムを発表したり、ライヴも行わなかった。

 その前後から「素顔のままで」はほとんど演奏しなくなってしまった。

 「60ミニッツ(CBSドキュメント)」に出演した折、こんなことを言っていました・

 

 あれを演らなくなったのは、あまりにもマンネリになったからだ。

 みんな、曲の合間に会話ができてしまうくらいに。

 Don’t go chainging やあ、久しぶり、どうだった

 to try to please me いやあ、こっちにもいろいろあってねえ

 you never let me down before まったく景気悪いねえ

 みたいに。

 

12ガーデンズ」でも演奏されていなかった。

ところが今回はリストに入っているという。どんな演奏になるか、と注目していたのですが。

 割と普通で、ふざけることなく忠実に演っていたと思いました。

13. An Innocent Man (An Innocent Man 1983)

Billy_joel_an_innocent_man ここまではずっとピアノ弾き語りでしたが、ここでは立ち上がってヴォーカリストとして。

 躁の「イノセントマン」のアルバムからの選曲はこれだけ。いかにエンターテイナーであっても、ここでドゥ・ワップ(「あの娘にアタック」)やフランキー・ヴァリ&フォーシーズンズ(「アップタウン・ガール」)が出てきてはさすがに流れがぶち壊しになるか。

14. Don't Ask Me Why (Glass Houses 1980)

Billy_joel_glass_housesいきなりボーディドリーシャッフルが始まりました。数回前に記事に書きましたが。

あれ?彼にボーディドリーシャッフルを使った曲はあったかな、と思いましたが、レコードとは関係ない、イントロと間奏のお遊びでした。

15. She's Always a Woman (The Stranger)
16. River of Dreams  (River of Dreams 1993)

Billy_joel_river_of_dreams 90年代からの選曲はこれだけ。曲の途中に、トーケンズ、ロバート・ジョンの「ライオンは寝ている」Lion Sleeps Tonightの節を入れていました。「リヴァー・・・」は、ゴスペルというか、アフリカのリズムをまねた曲で、「ライオン・・・」も元々はアフリカのどこかの部族のチャントがモチーフになっているわけで、うまく合うわけだ。

17. Highway to Hell (AC/DC)

ここでビリーはギターを手にする。

厳粛なクリスマスソングが始まるよ、なんてMCではぐらかして。

なんとツアークルーで、ギター調節担当のでぶっちょ、リッキー・チェーンソー「糸鋸」・ラポイントがステージに上がり歌い出した。

なんとACDCの「地獄のハイウエイ」のカバー。大騒ぎ。これもここのところのライブでずっとやっていることで話題にはなっていたが。これも愛嬌と、ラストスパートに向けてビリーのエネルギーを温存させる意味もあるか。ローディースタッフをドームのステージに上げてしまうのはビリーととんねるすだけか。

Billy_joel_storm_front_118. We Didn't Start the Fire (Storm Front 1989)
19. Big Shot (52nd Street)

20. It's Still Rock and Roll to Me (Glass Houses)
21. You May Be Right (Glass Houses)

ギターを持ったまま、ロックっぽいナンバーが続き、一気にオーラスへと入っていきます。ここではもはやピアノマンではない。

Billy_joel_piano_man22. Only the Good Die Young (Stranger)
23. Piano Man (Piano Man 1973)
y T

これは一度引っ込んだ後のアンコールです。

 ハーモニカスタンドを装着した時点で聴衆は何を始めるか敏感に反応する。

 他の地域では「上を向いて歩こう」のメロディで始まったそうですが、名古屋ではここで「さくら、さくら」が前奏で出てきました。ハーモニカの前奏に入る前に息を切らす。

 前の席の聴衆は、この時ぞとばかり、カンニングペーパーを取り出した。歌詞が書いてあるようだ。

 確かに、 sing us a song, you’re the piano man, sing us a song tonight

We’re all in the mood for a melody, you got us feelin’ alright

 というのはみんなで歌うにはちょっと難しいか。

 エルトン・ジョンとの時もこれがシング・アロングだった。

 この曲は74年の発売の時にはヒットチャートの20位内にも入らなかった。それがこれだけのシング・アロング・ソングになってしまっているのだから、たいしたものだ。

 

 こんな感じでした。 

 他の地域では、 Scenes from an Italian Restaurant, I Go to Extremes なんかが差し替えで入ったようで、福岡では、ちょうど128日だったこともあり、「イマジン」も入れたようです。

 

 同じ場所で見た、イーグルスのフェアウエル・ツアーを思い出してしまいました。

 ヒット曲、代表的アルバムカットを詰め込めるだけ詰め込んで、長時間演る。

 ビリーも、以前数年間、引退同然の活動休止状態だった。

 その後で再登場し、今までの活動の集大成みたいなライヴをやる。彼も、ある程度、再度のフェアウエルを意識していたのだろうか。

 エンターテイナーを満喫できたけれど、今後の彼の活動の方向がちょっと気になった、そんなコンサートでした。



 

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2006年12月 8日 (金)

Jimmy Gets High

いやはや、偶然とは恐ろしいもので。

Godley_creme_history_mix_1先週、ゴドレイ&クレームの話題に触れ、彼らの映像のセンスは、ウルトラマンシリーズを撮り続けた実相寺昭雄さんを思い出す、なんて話をしていましたら。

投稿してアップされた後、事務所のこのHP担当の橋本さんから、どこかで見た名前と思ったら、お亡くなりになっていた人ですよね、と。

唖然。全く知りませんでした。偶然でした。

夜明け近くの時間になっていて、睡魔とバトルしながら書いていて、意識が半分ぶっ飛んでいた中、不思議と彼の名前が浮かんできた。ゴドレイ&クレームの映像センスと実相寺さんのそれとは似てるなとは普段から思っていたことなんですけど。

そのときには既に息を引き取られていた。その日の午後に訃報が流れた。

私事ですが、私の母は、よく人を殺すんです。

テレビドラマの再放送なんかに出ているお年を召した有名人を指して、あの人もう死んじゃったでしょ、とよくのたまう。その時点で俺は「何言ってんの、まだ元気だよ」というのが常だが、数日後、その人がお亡くなりになりましたというニュースが入ってきてびっくりしたりする。

俳優のAI郎さんがそうでした。時代劇に出ていた彼を見て、母が例によって「この人いつなくなったっけ?」といったら、数日後、本当にお亡くなりになってしまった。病気だというニュースが入っていたわけではなかったのに。

とんでもない疫病神ですが。

俺もあまり他人のことを言えなくなってきた。しかも証拠が残ってしまったし。

子供の頃の憧れだったウルトラマン。かっこよさ、勧善懲悪の気持ちよさの中に、ちょっとした不思議さ、不気味さ、面妖さ、怖さをブレンドできた人でした。

御冥福をお祈りいたします。

さて。

ダニエル・パウターのライヴにいってきました。

実は当日まで行く予定が無かった。ところが、東京、大阪は売り切れでも、名古屋は売れ残っているという。ここのもう一つのレギュラーコラムではないですが、そんなことで名古屋が見下されても、ということで・・・

Daniel_powter_dp_1彼に関しては既に一度書いたことがあって(Bad Day)、人前でパフォーマンスをするようになっても聴衆を正面から見られなくてピアノを斜めの角度で配置した、なんてエピソードがある素朴な人、と紹介しましたが。

出てきて “My name is Daniel Powter”と言い出すところなんか、まだスターずれしていない素朴な部分があるのでしょう。だったら、観客は誰を観に来ているんだよ?と突っ込みたくはなりましたが。

35歳で、私とあまり世代は変わらない(「あまり」の解釈に個人差はありますが)。

ところが、すごくアイドルアイドルしたコンサートで、普段そういうのには行かない私としては少し違和感が残ってしまいました。

最中に、二回客席に下りてきて一階席をそれぞれ一周していった。二回目の、大盛り上がりの Bad Dayを長めに演っているときは、客の女の子を何人もハグしたり。アンコールのときは女の子を一人ステージに上げて、ピアノを連弾するように座らせて、三つ目ながら歌い、最後にチューする。こういうのが一番やってられない。

“Jimmy Gets High”もアルバムからシングルカットになるようですが、ダンちゃんもハイになってた。

セットリストはこんな感じでした。

1.Song 6
2.Styrofoam
3.Jimmy Gets High
4.Stupid Like This
5.Lie To Me
6.Free Loop
7.Give Me Life
8.Wasted
9.Lost On The Stoop
10.Just Like Heaven (The Cure Cover)
11.Bad Day
アンコール
1.Someday
2.Love You Lately
3.Back On The Streets

Gilbert_osullivan_best_ofCommodores_best_ofシンプルなピアノで、素朴で、たまにユーモアが入った曲を弾き語るスタイルは、今日版ギルバート・オサリヴァンかな、などと思いました。

 それから彼の裏打ちビートが特徴のピアノは、コモドワーズの「イージー」あたりに一番影響を受けているのではないか、などとも思いました。

 来週の予告。多分、ビリー・ジョエルのリポートができると思います。

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2006年12月 1日 (金)

CRY

Police_synchronicity1126日のベストヒットのタイムマシーン(またか!?)、1976年に10㏄からケヴィン・ゴドレイとロル・クレームが脱退した日で、この二人は80年代に音楽ビデオ制作に大活躍するので、その代表作の一つ、ポリス「見つめていたい」がかかりました。

本当はゴドレイ&クレーム「クライ」が彼ら自身の曲でもあるし、映像としても彼らの最高傑作だと思うんですけど。これは約一年前に既に放送されているんですね。実は、読まれはしなかったけれど僕のしつこく出したリクエストが採用されたんじゃないかと思っています。その前に、まだベストヒットが事務所が作っていた地道な地方局向けシンジケート30分番組だった頃の98年年末のリクエスト特集でも採用してもらったことがあります。このときは読まれました。それくらい好きなビデオなんですね。

この10cc、すごいグループでした。

四人のメンバーがいて、四人ともいろいろな楽器の演奏ができて、ヴォーカルも取れて、曲も作れて、後には映像にも才能を発揮する。

Wayne_fontana_the_mindbenders_best_ofエリック・スチュアート。彼は60年代は”The Game of Love”や、フィル・コリンズのカバーでお馴染みの “Groovy Kind of Love”なんかをヒットさせたマンチェスターのWayne Fontana &the Mindbendersにいました。こちら



Hollies_for_certain_becauseグラハム・グールドマン。同じ時代に既にソングライターとして地位を確立していた人で、日本でもヒットしたホリーズの「バスストップ」、他に”Look Through Any Window”、ヤードバーズの「フォー・ユア・ラヴ」(クラプトンはこういう曲を演るのが嫌でヤードバーズを抜けた)、他にハーマンズ・ハーミッツのヒット曲なんかを書いていた。

グールドマンとゴドレイは同級生で、十代の頃モッキンバーズというバンドで一緒に演奏し、ゴドレイと他のバンドで一緒に演っていたクレームも加わった。

最初は、スチュアート、ゴドレイ、クレームというメンバーでホットレッグスというバンドが結成され、”Neanderthal Man”「ネアンデルタール人」というヒット曲が生まれました。原始人っぽいチャントとリズムにビートルズの”A Day in the Life”の大仰な展開が取り入れられている、なんともいえない曲です。

これにグールドマンが加わり10㏄に。平均的男性が一日に分泌するあの液の量、をバンド名にしちゃったという説もありますが、実際はマネージャーが、世界ナンバー1のロックバンドの夢を見て、それがなぜかそういう名前だった、というのが本当の由来だとか。あの液の平均分泌量は実際はもっと少ない?

音楽性が多様で、シュールな芸術性もあればフランク・ザッパ的なグロ、ユーモアも持ち合わせている不思議なバンドでした。

ビートルズの「オー・ダーリン」をモチーフにしたドゥ・ワップの「ドナ」とか。

イギリスでの最初のナンバー1”Rubber Bullets”という、「監獄ロック」のパロディみたいな曲で。

10cc_original_soundtrackそれで何といっても74年から75年にかけての「アイム・ノット・イン・ラヴ」の世界的ヒットが代表曲になるわけですが。

その後のシンセサイザーブームの先駆けになったような、美しい荘厳な曲ですが。

「君の写真を壁にかけてあるけど、汚いシミを隠したいからそうしてるだけで、別に君のこと好きなわけじゃないよ」

「夜中に電話したけど、君を愛してないってことを確認したいだけだから、騒がないでね」

「静かにして、大きな男の子は泣くもんじゃない(Be quiet, big boys don’t cry)

などなど、結局この人は相手を本当は好きなのか嫌いなのか、はたまた男から女に言っているのかその逆なのか、いろいろな解釈ができて謎の多い曲です。10cc_deceptive_brends

10cc_bloody_touristそしてその後、そのゴドレイとクレームが抜けてしまって、スチュアートとグールドマンの二人になってしまった10㏄は、ポール・マッカートニーが書いたって言ってもほとんどの人が信じてしまうくらいクリソツな “The Things We Do for Love”「愛ゆえに」とか、レゲエに挑戦した”Dreadlock Holiday”なんてヒット曲を出しますが。

Paul_mccartney_tug_of_warPaul_mccartney_pipes_of_peaceWax_american_english80年頃解散状態に。その後スチュアートはポール・マッカートニーの80年代前半期のソロ活動、”Tug of War”, “Pipes of Peace”あたりを全面的に支え、グールドマンは、”Lonely Boy”のヒットを持つ西海岸のシンガーソングライター、アンドリュー・ゴールドとWAXというユニットを結成、ウェストコーストサウンドとブリットポップの融合を目指します。

同じ頃、ゴドレイとクレームはデュオを結成、同時に映像も手がけるようになります。

Godley_creme_history_mixその85年の最大のヒット曲「クライ」は、モノクロ、ワンショットで、老若男女数十人の人が登場してひたすら口パクで唄って、その顔がモーフィングでどんどん推移していくという技モノでした。まだCG技術がそれほど発達していない頃なので、人の顔がどんどん変わっていくのは画期的でした。

Michael_jackson_dangerous数年後、マイケル・ジャクソンが”Black and White”のビデオでCG技術を使って同じことをやります。




Godley_creme_imagesその他にも、ゴドレイ&クレーム自身の”Englishman in New York”(スティングとは同名異曲)ではマネキンのオーケストラが出てきたり。

他のアーティストのビデオでもシュールな映像を多数作ります。

ポリス「見つめていたい」は、モノクロですが、青や赤のバージョンもありましたね。

他に同じ「シンクロニシティ」のアルバムから”Wrapped Around Your Finger”では何百本もの蝋燭を立てて。

Asia_1Duran_duranデュランデュラン”Girls on Film”では裸の女の子にドロレスをやらせる。

エイジア「ヒート・オヴ・ザ・モーメント」では画面を16分割して左上から右下に、歌詞に合わせてどんどんシーンを変えていく。

Wang_chung_best_of

ワン・チャン“Everybody Have Fun Tonight”では、かなり前だけどポケモンのテレビで使われて子供たちの視力絵の影響が問題になったフラッシュ効果が使われていた。

フランキー・ゴース・トゥ・ハリウッド”Two Tribes”では、レーガン大統領とチェルネンコ書記長のマスクを被った二人が衆人環視の中で殴りあい、最後は地球が爆発する。ジョージ・ハリソン“When We Was Fab”。ジョージの手が何本にも別れ、ギターを弾きながらまりつきをしたり長く伸びたピアノを弾いたり、最後にはジョージが空中浮揚して上半身がいくつにも分かれていく。

他にもハービー・ハンコック「ロッキット」、ビートルズ「フリー・アズ・ア・バード」などなど印象的なものをいっぱい残しています。

Frankie_goes_to_hollywood_welcom_to_the_

音楽的にもすごい功績を残した人たち。映像面でもこの通りすごかった。

40周年を迎えた円谷プロのウルトラマンシリーズ。その創世記から今尚メガフォンを取られている、知る人ぞ知る実相寺昭雄さんという監督がいらっしゃいますが。

下斜めのアングルから取ったり、輪郭や色をぼかしたり、ナイフに写った光る目とか、宇宙人をアパートの和室に上げて胡坐をかかせるとか、シュールな絵を取る人。

ゴドレイ&クレームの映像は、実相寺さんと同じタッチを感じるんです。

ウルトラマンファンでもあるハリー教授でした。


George_harrison_cloud_nine

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