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2007年3月30日 (金)

Oakland Stroke

チョイ渋めのライブに行ってきました。

今回はタワー・オヴ・パワー。

70年代に最も活躍したグループ。

 色々な音楽の要素を持ったグループです。

 広い意味ではソウル、R&B, ファンクでしょう。

 ところが、40年やっているこのグループで、結成時から今まで残っている唯一のメンバーであり、当時からリーダーであったのはエミリオ・カスティーヨという人物。

 これは名前からも明らかなとおり、メキシコ系アメリカ人です。

 ホール&オーツ、ライチャス・ブラザーズ、以前取り上げたアヴェレージ・ホワイト・バンドなんか、白人がソウル、R&Bを演る場合の「ブルー・アイド・ソウル」をさらに細分化して、ラテン系の人たちがソウルを演る場合の「ブラウン・アイド・ソウル」という言葉がありました。この背景を考えるとタワーもそうだといえるかもしれません。

Tierra_greatest_hits  70年代には、カルロス・サンタナの弟ホルへがいたマロ、他Malo_malo_1 にエル・チカノ、ティエラなんていうグループが活躍していました。これらのグループはサルサなどラテン音楽のリズムを前面に打ち出していたのに対し、タワーにはあまりそのような要素が感じられません。普通の(?)ソウル・ファンクに近いです。



Chicago_greatest_hits_vol_1Earth_wind_fire_thats_the_way_of_the_wor  そしてこのタワー・オヴ・パワーの最大の特徴はなんと言っても、そのエミリオが率いるブラスセクション。同時代としてはシカゴ、アース・ウィンド&ファイアの向こうを張れる存在でした。

 単純なリズムのディスコ全盛の70年代末から80年代いっぱい、彼らのような難しいR&Bは敬遠される傾向になり不遇の時期を迎えますが、それでもタワーのホーンセクションはヒューイ・ルイス&ニュースの曲のいくつかにフィーチャーされたり、やはりタワー・オヴ・パワー=ブラスのイメージは色褪せませんでした。

Huey_lewis_news_greatest_hits  ヒューイ・ルイスといえばサンフランシスコですが、タワーの拠点もベイエリアで、湾を挟んだ対岸、ゴールデン・ゲート・ブリッジで結ばれたオークランドです。アスレチックスの街。ヒューイとの繋がりも土地柄、そして多人種多文化の共存に比較的寛容な西海岸だからこそ生まれたミクスチャー音楽といえるでしょう。彼らもその土地にこだわっており、タイトルにオークランドが含まれるアルバムは2枚あり、そのうちの1枚、代表作の一つ、Back to Oaklandには、曲としてもOakland Strokeという、彼らのテーマみたいな曲も入っています。

Tower_of_power_back_to_oakland_1  40年やっていますが、メンバーの交替が激しく、残っているのはさっきのエミリオしかいません。ところが現在もベテランばかりを集めて、平均年齢が50を超えていそうです。総勢10人。ほぼ全員が、今の日本だったらメタボリックがどうのこうのって言われそうな体型。しかも全員が大きな楽器を抱えてる。それが狭いライブハウスのステージ上で、結構動き回る。ちょっと窮屈そうでした()

 その”…Stroke”で始まったライブ、ちょっと異様な空間でした。

 実は彼らは、評価は高いけど広く知られたヒット曲がありません。

 Tower_of_power_tower_of_power 一番ヒットしたのは73年の "So Very Hard to Go”というバラード、それもトップ20でした。それは演奏されませんでした。

 ほとんど、マニアしか知らないようなマイナーな曲で、サビの部分でヴォーカルがストップして、聴衆に一緒に歌わせようとします。結構な人数が入っていましたが、それについていってしまうんです。アンコールで出てきた、もう一曲のバラードのマイナーヒットの “You’re Still a Young Man”, ファンキーなところではアンコール前の “What is Hip?” “Don’t Change Horses in the Middle of the Stream”など昔の代表曲。JBに捧げた”Still Diggin’ in James Brown”、これは新し目の90年代の曲ですが。マイク向けられても歌えちゃうんです。根強いファンはいるものです。

Tower_of_power_what_is_hip  バラードっぽい曲はグルーヴィーに、ファンキーな曲はダンサブルに、だんだん暖かくなっていくこの時期に、フロアーは熱く、ステージはちょっと暑苦しい(?)ライブでした。

 お誕生日おめでとうございます。

土曜日、朝五時起床の長時間生放送、お疲れ様でした。同時間帯の短縮新番組は録音でしょうか?去年のZIPといい、週末の番組がだんだん少なくなるのは少しさびしいで

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2007年3月22日 (木)

A Theme from Non-Existent TV Series 

克也さんの数あるラジオ番組が聴けない。

 でも、ナマではないいくつかの番組にはウェブサイトがあり、選曲が確認できるようになっています。

 「ビートルズから始まる」にはないからここでやってくれているのかな?

Joey_scarbury_americas_greatest_hero  克也さんが言う、ラジオを聴きながらの想像、以上の想像力が必要だけれど。まあいい時代になったものです。

 「お願いDJ」の選曲で、ジョーィ・スキャベリー「アメリカン・ヒーローのテーマ」がかかったようなので、その思い出。

 

原題は Greatest American Heroというテレビドラマシリーズ。

 平凡な高校教師が、宇宙人から超能力スーツを、正義をなすために使え、と貸与される。スーパーマンみたいなマントつきだけど、色は反対に真っ赤、胸には感じの「中」を思わせるマーク。

 しかし、取扱説明書をなくしてしまう。

 Greatest_american_hero_dvd これで大騒ぎ。空は飛べるんだけど平行が保てない、着地もうまくできない。怪力は出せるんだけど加減がわからず余計なものも壊してしまう。姿も消せるんだけど部分的に現れてしまったり。

 そんなドタバタで失敗を繰り返しながらもさまざまな事件を解決していく。秘密を共有しているFBI捜査官との世代対立、女性弁護士との恋、生徒とのふれあいもあり学園ドラマとしての要素もあった。

 主役のスーパー教師はウィリアム・カット演じるラルフ・ヒンクリーでした。声は富山敬さんでした。アメリカでシリーズの放送が始まる直前の813月、レーガン大統領の暗殺未遂事件が起きて、その犯人がジョン・ヒンクリーという青年でした。ファミリーネームの偶然の一致が問題となり、すでに取り終えて変更がきかない数話の後、急遽、ラルフ・ハンリーと名前を変えましたが、また十数話後にヒンクリーに戻した、なんて話もありました。学生役だったマイケル・パレがこれをきっかけにスターになりました。

 日本では今の汐留局系列ネットで、第一シーズンは日曜10時半から、第二シーズンは土曜の午後に放送されていました。

 毎週、すごく楽しみでした。

 アメリカに行ったとき、再放送をやっていて感激したのを憶えています。

 ところが今は、DVDは売ってるわ、CSでも放送されてるわ、簡単に見られる。

 いい時代になったものです。

Mike_post_inventions_from_the_blue_line  このころ、テレビドラマ音楽ならこの人、マイク・ポストという人がいました。

 75年ごろの、ジェームス・ガーナー主演、日本でもやっていて、声は名古屋章さんだった、「ロックフォードの事件メモ」のテーマに始まり、この81年ころは、「マグナムP.I.」

とか、「ヒル・ストリート・ブルース」「特攻野郎Aチーム」など、ブームだったの犯罪捜査ものの音楽を全部手がけていました。

 元々カントリーのプロデュースもやっていた人で、ケニー・ロジャースがいたファースト・エディションのプロデュースで出てきた人。ドリー・パートンの「9時から5時まで」も彼でした。

 ジョーィ・スキャベリーは、そんなマイク・ポストの、ヴォーカルが必要な場合に使うお抱えスタジオシンガーだったんですね。それがテレビそのものが大ヒットして、曲も大ヒットした。

Starsky_hutch_dvd

 他にも、テレビからはいっぱいヒットが生まれています。

 憶えている70年代からすると、緊急医療チーム「SWATのテーマ」。




David_soul_the_best_of  「刑事スタスキー&ハッチ」のハッチ刑事、ケン・ハッチンソン役のデヴィッド・ソウルが放ったナンバー1ヒット、”Don’t Give Up on Us”「安らぎの季節」




Glenn_frey_the_best_of  80年代に入ったら、最近映画でリメイクされた「マイアミ・ヴァイス」が大ブームになり、そこからヤン・ハマーのメインタイトルや、グレン・フライ”You Belong to the City”などの大ヒットが出ました。




Rick_springfield_the_best_of

Jack_wagner_all_i_need      ものすごいロングランだった General Hospitalからは、リック・スプリングフィールドやジャック・ワグナーなどのヒットメーカーが登場しました。

 マイケル・J・フォックスの「ファミリー・タイズ」からは、ビリー・ヴェラ&ビーターズ”At This Moment”86年にナンバー1になりました。これは 日本では81年の、赤坂局がやっていた東京音楽祭の受賞曲だったけれども世界的にはまったくヒットせず埋もれていたものが、ドラマによって発掘されたのでした。

 こういうのすべてが、最近のドラマブームにつながってきているのですね。

 「アリー・MY ・ラブ」「ビバリーヒルズ青春白書」あたりに始まり、「ER」「ホワイトハウス」「デスペレートな妻たち」。「24」あたりにはまっている方、私も含めて多いのでは。

 こういうの全て、CSではバンバン流れているし、DVDもすぐに借りられて、時間を選ばずに鑑賞できる。

 いい時代になったものです。

Elton_john_blue_moves  タイトル「架空のテレビ番組テーマ」は実はエルトン・ジョンの76年のアルバム「蒼い肖像」の中のインストの曲です。エルトンがマイク・ポストを意識してか、いかにも典型的なテレビ番組のテーマというのをパロディで作ったもの。笑えます。機会あれば御一聴あれ。

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2007年3月15日 (木)

Abraham,Martin & John

Bobby_dvd 三回続けて映画ネタです。克也さんもここのところ、スター・チャンネルにやたら出まくっていることですし()

今回は「Bobby」。

ボビーというのは、ジョン・F・ケネディ大統領の弟、ロバート・ケネディのことです。

兄の大統領は196311月、テキサス遊説中に暗殺され、20世紀最大の事件の一つとして記憶される。



Bobby_soundtrack ケネディ家は、4人いた兄弟全員に大統領を目指す教育をしたような、アメリカの貴族。弟ロバートも兄の選挙運動を手伝い、当選後は兄の政権で司法長官に、33歳の若さで就任し、マフィア撲滅なんかに活躍し、米ソ全面核戦争の瀬戸際だったキューバ危機など外交政策でも兄の右腕となって活躍した。(こちらも。「小林克也のRadioBaka」  期限切れ遺失物移管所: My Way

兄が死んでしまった後は上院議員に転じ、そして1968年、貧困問題やベトナム戦争反対を掲げ、兄の足跡を追うべく大統領選に出馬した。ところが彼も、6月、カリフォルニア州の予備選挙で勝利した直後、凶弾に倒れてしまう。

ところがこの映画の主役は彼ではありません。それどころか彼はほとんど出てきません。動く部分は髪型がそっくりな人物が出てきますが顔は映りません。演説などは実際の当時の記録映像が流れます。暗殺犯はサーハン・サーハンというパレスチナの青年でしたが、映画には名前もクレジットされず、暗殺の瞬間に一瞬登場するだけです。ロバート・ケネディの伝記映画でもなければ、暗殺の謎解きでもありません。というか、主役が存在しない映画、といってもいいでしょう。

舞台はその暗殺があった日、現場となったロサンジェルスのアンバサダーホテルです。登場人物はそこのホテルで働いている人たちや偶然集まった人たちです。普段は生活も環境もばらばらの人たちがたまたま歴史的事件が起きる日、場所に呼び寄せられるように集まった。

電話交換手と浮気しているホテル支配人とその妻(ウィリアム・メイシー、シャロン・ストーン)、従業員としては引退したけどまだホテルに愛着を残している老人(アンソニー・ホプキンス、ハリー・ベラフォンテ)、歳の離れた女性と結婚して関係がうまく言っていない東海岸の富豪(マーティン・シーン、ヘレン・ハント)、変化を期待してボビーの選挙運動員となった青年、それに麻薬を売るヒッピー(アシュトン・カッチャー)、兵役から逃れる理由作りで余り好きでなかった同級生と式をホテルで挙げることになっていた若いカップル(エライジャ・ウッド、リンジー・ローハン)、ホテルでショーを開くことになっている売れない歌手(デミ・ムーア)、人種問題を語り合う厨房で働く黒人やメキシコ人のシェフたち(ローレンス・フィッシュバーン)、ボビーにインタビューを申し込もうと粘っているチェコスロバキアの女性記者、などなど。

観て最初に思ったことは、去年観た三谷幸喜氏の「有頂天ホテル」によく似ているなということでした。ホテルを舞台に、従業員やら客やらがいろいろな事情を抱えて絡み合うところがそっくり。「ホテル」では、それらが大晦日大パーティーで全てが繋がってきて喜劇だったのですが、「ボビー」は、ロバート・ケネディ暗殺という悲劇に収斂するのが大きく違う点でしょうか。

Diana_ross_supremes_where_did_our_love_g さっき主役なき映画、と書きましたが、強いて主役を上げるなら、1968年という時代そのものかもしれません。ベトナム戦争泥沼化にまつわるテト攻勢事件やソンミ村虐殺事件、黒人の公民権運動、暴動の激化、マーティン・ルーサー・キング牧師の暗殺、ヒッピー運動、民主党大会の大混乱、ニクソン大統領の登場、チェコスロバキアの「プラハの春」革命とソ連軍による弾圧、それらが全て起こった年でした。上に挙げた登場人物は、それぞれどこかにその背景を背負っています。それらがやはり、本命大統領候補の暗殺という象徴的大事件で、点が線となって結びついてくる。

Stevie_wonder_i_was_made_to_love_her そしてこれは、現在のアメリカにも結び付けられるのかもしれません。イラク介入後の混乱で閉塞感満ちている今、大統領候補として有力視されているのは、ロバートと同じ、前大統領の縁者で、ニューヨーク州から選出された落下傘候補*のヒラリー・クリントンです。

Moody_blues_days_of_future_past 音楽も、やはりその「主役」の68年を後押しする曲でいっぱいでした。ほとんどがモータウンの曲で、スモーキー・ロビンソン&ミラクルズ「トラックス・オヴ・マイ・ティアーズ」、ダイアナ・ロス&シュプリームス「カム・シー・アバウト・ミー」、スティーヴィー・ワンダー “I Was Made to Love Her”,マーヴィン・ゲイ”Ain’t That Peculiar”など。ロックっぽいところではムーディ・ブルースの「火曜日の午後」。サイモン&ガーファンクル「サウンド・オヴ・サイレンス」も、無断でドラムが入れられてポール・サイモンが怒ったというヒットしたヴァージンではなく、アコースティックギターのみのオリジナルのヴァージョンで、重要な場面に登場します。

Dion_abraham_martin_john 今回のタイトルに選んだ曲は映画とは関係ありませんが、ロバート・ケネディを歌った曲。「浮気なスー」など、アイドルとして売り出したDion,60年代後半にシリアスなシンガーソングライターに転進し、暗殺された解放者たち、リンカーン大統領、キング牧師、ケネディ大統領に捧げて、「僕の友達だった彼らがどこに行っちゃったか知らないかい?多くの人たちを救ったけど、突然消えてしまったんだ」と歌い、タイトルには出てきませんが、最後にボビーが登場します。

今週で公開が終わりになってしまうところが多いみたいですが、いかがでしょう?

*落下傘候補 ニューヨーク州出身ではないのに、その州の人口の多様性を当てにして立候補した余所者。

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2007年3月 8日 (木)

Someday We’ll Be Together


二回続けて映画レビューで行きましょう

今回は『ドリームガールズ』

Dreamgirls_soundtrack現在封切られている中では一番話題でしょう。豪華キャスト、80年代に大ヒットしたブロードウェイミュージカルの映画化、映画自体もミュージカル仕立て、アカデミー賞多数ノミネート。観られた方も多いと思います。


Diana_ross_supremes_where_did_our_love_g_1ダイアナ・ロスとシュプリームスの成功物語が題材で、登場人物はその周辺のモータウンレコードの実在の人物が全てモデルになっているということで、実際のモータウンの歴史と、映画のプロット、登場人物を比較してみましょう。

モータウンレコードは映画ではレインボーレコードとなっています。場所はデトロイトで同じ。映画では白人にも人気の出るポップなR&Bを目指すレコード会社が強調されていたので、人種の架け橋としての虹という含みもあったのでしょう。

ジェイミー・フォックス演じるカーティス・テイラーJrという人物は、モータウンの創始者ベリー・ゴーディJrで疑いなし。デトロイトの自動車ディーラーから身を起こした設定も同じ、自動車業界で培った組織統率力を導入し徹底した管理体制のマネージメント方式を取り入れていたのもそっくり。

Holland_dozier_holland_heaven_must_have_キース・ロビンソン演じるCC・ホワイトという作曲家は、ブライアン・ホランド、ラモント・ドジャー、エディ・ホーランドというソングライターチーム、シュプリームスの一連のヒットを筆頭に初期のモータウンらしい曲を連発して作って、モータウンがデトロイトからロサンジェルスに本拠地を移転する際にはゴーディと袂を分かってデトロイトに残る。そんな彼らをミックスした存在でしょう。映画ではエフィの兄ということになっていますが、実際にはこの3人の中で兄妹にガールシンガーがいたという例はないようです。ただ、ブライアン・ホランドはシュプリームスの前にマーヴェレッツに肩入れしていた、というのが少し気になります。

Diana_ross_marvin_gaye_diana_marvinエディ・マーフィ演じるジェームス・サンダー・アーリーは、エディのキャラからは意外ですが、実はマーヴィン・ゲイでしょう。映画のドリームスが「ドリーメッツ」としてジェームスのバックアップコーラスからスタートしたのは、シュプリームスがマーヴィンのバックをやっていたのと同じ、ディーナとジェームスがデュエットで録音しますが、マーヴィンとダイアナも You Are Everythingとかデュエットヒットがある。カーティスと音楽上、マネージメントで意見が合わなくなり麻薬に溺れる、そして悲劇的な突然の死。映画でのジェームスほどではありませんが、マーヴィンもモータウン創世記は明るいポップなレコードを残しています。

そして物語の中心はドリームス。もちろんシュプリームスですが、映画ではドリーメッツからドリームスに名前を変えている。シュプリームスはプライメッツというグループ名でスタートしていた。レコードデビューするときに名前を変えるよう言われて、いくつか候補があったが、唯一…ettes(女の子グループ、の意味)で終わっていなかったので「シュプリームスを選んだという。

ビヨンセ演じる主人公ディーナ・ジョーンズがダイアナ・ロス。彼女がベリー・ゴーディと恋仲だった事実もあり、映画のカーティスとディーナの関係もそれを彷彿とさせます。スターダムにのし上がっていくディーナにカーティスは映画でクレオパトラの役をやるように説得しますが。実際にダイアナ・ロスが初主演したのはジャズの「ビリー・ホリディ物語」でした。女王という点では同じようなものか。

Diana_ross_diana_ross_2        Diana_ross_diana_1                                                                                  70年代後半になってディーナはディスコクィーンへと変貌します。ダイアナも、ドナ・サマーほどではありませんでしたが、76年の “Love Hangover” 78年の”The Boss”とディスコ色の強い作品を出しており、80年にはシックのナイル・ロジャースをプロデュースに迎えて”Upside Down”なんかを出しています。しかし実際にはこの時期ダイアナはシュプリームスから完全に独立していました。69年の”Someday We’ll Be Together”「またいつの日にか」を最後に脱退しますが、シュプリームス自体はダイアナ抜きで78年まで活動を続けます。

ディーナはもともとバックで、ジェニファー・ハドソン演じるエフィがリードだったのが、ステージに立つ上でのルックスを考慮してカーティスはディーナをリードに据える。実際でも、最初、シュプリームスではマリー・ウィルソンがリードだったのがダイアナに替えられています。ただしこのマリー・ウィルソンはシュプリームス結成から消滅まで一度も脱退しなかった唯一のメンバーです。映画ではローレル・ロビンソンという、ディーナと最後までドリームスを共にするメンバーが出てきますが、エフィとローレルはマリーの二つの側面を分けた存在だったのでしょう。

Destinys_child_1s_1ネタバレで、最後「ドリームスは本当は4人でした」と、ディーナ、ローレル、エフィに代わって加入したミシェルの3人に加えて、リードを終われて自暴自棄になって脱退したエフィが戻ってきますが、実際のプライメッツ、つまりシュプリームスも元々は4人でした。マリー以外は出入りがいろいろあり、3人で成功したのです。そしてこれは奇しくもビヨンセのいたデスチャにも当てはまります。4人だったのが3人になってから大成功した。

実際と比較してみるといろいろありますがつまらないことです。楽しいミュージカル映画として理屈抜きに楽しめます。

Diana_ross_the_supremes_stop_in_the_name_1映画の中の曲も、シュプリームスの曲だったらあの曲にあたるのかな、といろいろ考えられて面白いです。解散を決めたステージで歌う”Hard to Say Goodbye”は、ダイアナ脱退前最後の”Someday We’ll Be Together”「またいつの日にか」なのかなあ、とか。

ジェニファー・ハドソン、祝、アカデミー助演女優賞受賞。アメリカン・アイドルでは歌唱と迫力で勝っていながらも「ルックス」で時点に甘んじたとか。存在感で主役を食っています。何事もあきらめちゃいけない。

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2007年3月 1日 (木)

I Need to Wake Up

 Inconvenient_truth_soundtrack_今回は映画リポートです。

 「不都合な真実」An Inconvenient Truth

 主演、というか実際にはたった一人の出演者はアル・ゴア、前アメリカ副大統領です。

 いつも音楽の話題を中心に書かせてもらっていますので、ゴアと音楽がどう結びつくか考えてみますと。

Helen_reddy_i_am_woman ヘレン・レディの73年のナンバー1ヒット “I Am Woman”「私は女」という曲があります。

 当時のウーマンリブ運動のテーマ曲みたいな扱いをされました。

 歌いだしは

I am woman, hear me roar        私は女、私の雄叫びを聞きなさい

The number’s too big to ignore   私たちは無視できないくらい数も多いのよ

です。

 ゴアが副大統領になったクリントン政権の発足後一年くらい、これの替え歌が流行ったんです。

I am Hillary, hear me roar       私はヒラリー、私の雄叫びを聞きなさい

I have more power than Al Gore   私はアル・ゴアより権力があるのよ

大統領夫人時代からホワイトハウス内で多大なる影響力を誇っていたヒラリー・クリントンの鼻っ柱の強さは副大統領の存在を凌駕していた、と。ウーマンリブ賛歌の元歌のイメージともぴったりだったわけですね。roar, ignore, Goreと韻を踏んでいることにも注目ください。

それでなくても、副大統領とは元来、バカにされやすい存在だったんです。

選挙で選ばれるナンバー2.大統領が不在、職務履行不能状態の場合は全権を代行するし、命を落とした場合は正式に昇格して後継者となる。

ところが、その大統領がちゃんと仕事をしている時は、大統領との存在感の差がありすぎる。仕事の規定がほとんどなく、何をしていいのかわからない。

そこで大統領の名代として国内外を遊説して回ったり、来賓の接待をしたり・・・

「昔々、ある村に二人兄弟がいました。

 一人は船乗りになりました。

 ある日、彼が大海原に出るために村を出て行ったら

 その後、その村で彼の名を聞くことは二度とありませんでした。

 もう一人は合衆国副大統領に選ばれました。

 ある日、彼が就任のためワシントンDCへ行くために村を出て行ったら

 その後、その村で彼の名を聞くことはやはり二度とありませんでした」

その筋で伝わる笑い話ですが、つまり副大統領になるということは船乗りになって行方不明になってしまうのに等しい、それくらい影が薄い、と。

 副大統領が前大統領の引退を受けて大統領選挙に立候補しても当選できないというジンクスが150年も続いていました。それを破ったのはレーガンの副大統領だった親父のジョージ・ブッシュでした。

 その親父ブッシュが選んだ副大統領はダン・クエールという人物で、40代だった政治家としての若さこれあり、ポテトの綴りを間違えたり、ゴルフばっかりやっていたり、やっぱりバカにされ勝ちだった人でした。

 「ウォーリーをさがせ」という絵本が流行りましたが。小さくいっぱい人が描いてある漫画の中で、あなたは何秒でウォーリー君を探し当てられるか。

 このクエールが副大統領だった時はこれをパロった「クエールを探せ」という絵本もあったんです。ホワイトハウス、議事堂、共和党大会会場、大勢の人がいる中で「クエール自身、自分がどこにいて何をしているかわかっていないに違いない、早く君が見つけ出してあげよう…」

 選挙に落ちて退任した後来日した折、私はクエール氏の世話役兼通訳をやった思い出があります。まあ、いい人でしたが。

 他にも話はいっぱいありまして、とにかくそれだけ嘲られる存在だったのですが。

 この主人公ゴアと、今の現職チェイニーが、この副大統領にまつわる閑職のイメージを大きく変えています。

 今のチェイニー、先週来日していましたが。名前はやたら知られているけれど政治家として経験が浅い二世大統領に、親父が大統領の時には国防長官までやった海千山千の政治屋が組まされれば、自然と政権の中枢を担っていく。

 そして前副大統領のゴアは、政策オタク policy wonkと渾名されるほど、その筋専門の学者と討論しても細部の知識で勝ってしまうほどの政策通だった。特に、環境問題、対ロシア政策、情報通信関係が得意中の得意分野だった。

 特に、環境問題は副大統領になる以前から彼のライフワークになっていた。

60年代から、世界環境の悪化に警告を発している学者たちの議論に傾倒し、70年代に連邦議員となり政治家の課題として取り組むことになった。

89年、当時6歳だった息子が交通事故にあい生死の境をさまよった。幸いにして命は取り留めたが、この経験で、自分の次の世代にちゃんと生きられる世界を残さなければならないとの使命感を新たにしたという。

 副大統領時代には、国際的なCO2 排出削減計画「京都議定書」の作成にも尽力した。

8年間の副大統領としての活躍の後、2000年の大統領選挙に前任者を継承するべく立候補。史上まれに見る接戦の末、全米での一般投票集計では、その父親のせいで名前は知られていた二世の対立候補を上回っていたものの、州ごとの割り当て数の合計獲得数で最終決定をする制度のために逆転敗北を喫してしまう。

 ゴアにとって、やはりこれは痛手だった。

 それから立ち直るべく、彼はもともとのライフワークであった、地球の危機を訴え続ける活動に専念しようと決心する。

 彼は精力的に全米各地を回って小規模なスライドショー講演会を開き、地球温暖化の現実、恐ろしさを聴衆に直接訴えかけ続けた。

 映画も、彼のスライドプレゼンの再現で構成されています。

 自動車などの排気ガスや石炭燃焼、森林伐採のためCO2が増える。これがCO2の持つ温熱効果を増やしてしまい、地球全体の温度が上がっていく。

2005年の夏は、観測史上最も暑かった。熱波による死者も多く出た。

 カトリーナその他の巨大ハリケーンも、海面温度上昇の賜物だった。

2020年には、キリマンジャロの山頂から雪が消えてしまうかもしれない。

 南極の氷もどんどん溶け出し、海面を上昇させている。

 ニュー・ヨーク、東京などの海沿いの大都市が海底に沈み、数億人が難民と化するかもしれない。

 洪水、山火事などの異常気象、疫病が蔓延し、生態系も崩される。絶滅する生物も増えている。

 これらの事実が淡々と語られます。2000年選挙の折、対立候補、つまり今の大統領から、説教くさい、理屈っぽい、退屈な男、と攻撃されましたが、少なくとも私には迫力あって説得力あるプレゼンに見えました。

 その選挙の後、アメリカと世界は大きく変わったわけで。

 もしこの人が大統領だったらまた別の世界があったのではないか、との悔恨もよく聞かれます。

 地球温暖化のために氷河期が早くやってくる設定の「デイ・アフター・トゥモロー」という映画の大統領役、どうもゴアのそっくりサンに見えて仕方がありません。

 地球がおかしくなり、我々が暮らしにくくなる「不都合な真実」が提示され、このままだと本当にやばい、でも必ず壊滅の運命にあるわけではない。一人ひとりができることをやれば、最悪の事態はまだ未然に防げる。そのことを多くの人たちに知ってもらうために、自分の活動を映画にすることに同意したそうです。

 だからその「できること」は、映画館かDVDでぜひ確認してください。

 今週初めのアカデミー賞で、最優秀長編ドキュメンタリー賞を受賞しました。

 もう一つ、最優秀テーマ曲にも選ばれました。

Melissa_etheridge_road_less_travelled エンディングで流れるそのテーマ曲は、メリサ・エスレッジの “I Need to Wake Up”。彼女らしいアコースティックな曲で、現実に目覚めて行動を起こさなければ、と訴えます。

 彼女も乳癌を患いかなりのブランクがあっての復活がありました。この受賞は彼女にとっても、新しい目覚めとなるでしょう。

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