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2007年4月12日 (木)

Wild World

Mr_big_bump_ahead 10日のベストヒットの最後のリクエストコーナーでかかったMr.Bigの「ワイルド・ワールド」。

 曲自体はカバーで、キャット・スティーヴンスというシンガーソングライターの、1971年のヒット曲がオリジナル。

 このキャット・スティーヴンスも数奇な運命を辿った人なので、今回はその人について書いてみます。

Cat_stevens_tea_for_a_tillerman  1947年ロンドン生まれ、父親はギリシャ人、母親はスウェーデン人、家でレストランを経営しており、キャットも早くから手伝わされていました。

 やはりビートルズの登場が衝撃で、家族からは絵描きになると思われていたキャットは、バンドを組んでめきめき頭角を現すようになる。

 兄の売込みで、大きなレコード会社との契約を取り付けデビューしました。まだティーンエイジャーで、クリフ・リチャートのようなアイドル的な扱いをされました。Sheryl_crow_the_very_best_of

Rod_stewrat_greatest_hits  それでも自分で曲を書き、「マシュー&サン」など、イギリスでヒット曲を連発するようになります。もともとシリアスな曲もかけて、3年前にシェリル・クロウが、77年にロッド・スチュアートが、67年にPF・スローンが録音してそれぞれヒットした “The First Cut is the Deepest”はこの頃の曲です。

 ところがアイドルとしての絶頂期に、結核で、あと数週間の余命、と診断されます。

 表舞台から一端完全に消えてしまいます。命は取り留めましたが、68年を前後した2年間、全くのブランクになってしまいます。

 更にところが、転んでもただでは起きない。死に直面したことが自分自身を見直す機会となり、更に内省的な曲を作るようになり、入院中に200曲も書き溜めました。

 戻ってきた彼からアイドルの面影は消え、ひげ、髪ぼうぼう、ギターを爪弾くシンガーソングライターに変身し、70年代前半のシンガーソングライターブームにも後押しされ、アメリカにも進出、世界的なヒットアルバム、ヒット曲を連発するようになります。

 この「ワイルド・ワールド」もその頃の一曲。

Cat_stevens_greatest_hits_2  他に、コーヒーのテレビCMのバックに流れていた、ピアノが美しい「涙にぬれた朝」”Morning Has Broken””Peace Train, “Oh Very Young” ”Another Saturday Night”などなど。

 

Carly_simon_no_secrets ポップス史上最大の謎の一つに、やはり同じ頃、シンガーソングライターブームの一翼を担っていたカーリー・サイモンの73年のナンバー1ヒット、「うつろな愛」”You’re So Vain”のモデルになっている男、おそらくはカーリーも付き合っていた男、これはいったい誰なのか、というのがあります。

 ミック・ジャガー、ジェームス・テイラー、クリス・クリストファーソン、ウォーレン・ビーティなどの名前が挙がりましたが、キャット・スティーヴンスも可能性の一人、と噂されました。

 5年位前、カーリーはその秘密を知る権利を、とんねるずのハンマープライスよろしくオークションに出しました。その際に、その男の名前のどこかにe が入っている、というヒントを出しました。ところが上の5人全員の名前には e が含まれているので、これは全く意味のないヒントでした。その数年後カーリーは同じようにヒントを小出しにして、更に名前に a と r が含まれている、と発表しました。これでキャットは候補者から落ちてしまったことになりますが。

 さて、いくらビッグアーティストになって、マディソン・スクエア・ガーデン満員の聴衆の前で歌えたとしても、一度死に直面した彼には、何かが足りない。

 そんな時に、二度目の死に直面します。所属していたA&Mレコードの会長ジェリー・モスをマリブの別荘に訪ねようとした際、海に落ちてしまう。波でどんどん沖に流され、薄らいでいく意識の中で、神様、私を救ってください、救ってくれたらあなたに仕えます、と祈った。そうしたら不思議、波の向きが変わり、逆に陸に流され、また九死に一生を得た。ところが、その時点ではその神とは何なのか、分かっていなかった。

Cat_stevens_budha_and_the_chocolate  仏教も含めて様々な宗教を勉強し、後期に「仏陀とチョコレート箱」というアルバムを作るが、これは宗教と現世的価値の間で揺れている彼自身を象徴していたそうだ。

 ここでまた兄が影響します。兄がエルサレムから持ち帰ったコーランに触れ、これこそ自分が求めていたものだ、と認識し、イスラム教に傾倒するようになった。

 宗教家として生きる決心をした彼は、音楽活動とは両立しないと考え、絶頂期にありながらある日突然引退を表明し、名前もユサフ・イスラムと変える。

 名声も私財も全て捨ててしまい、ロンドンに初めてのイスラム教に基づく学校を建てるなど、スターの過去はどこへやら、布教活動に専念した。

 そんな彼が再び脚光を浴びたのは、89年。サルマン・ラシュディの小説『悪魔の詩』がイスラム教の神を冒涜している、として、イランの最高指導者ホメイニ師が死刑を宣告して、日本も含めて(詳しく触れたくありません)世界中で事件が起こった。知名度のあるイスラム教徒ということでユサフ・イスラムもマスコミに取り上げられ、コーランに「神への冒涜は死に値する」といった一節があることをテレビで紹介した。そのまま引用しただけでこれには様々な解釈がありうる、と言いたかったそうだが、その引用部分だけが一人歩きし、ユサフ・イスラムもホメイニ師を擁護していると解釈され、アメリカでは、最近ではディクシー・チックスがそういう扱いを受けたように、キャット・スティーヴンス時代の曲がラジオで放送禁止、不買、ローラーでレコードが潰されたりした。

 それでも彼は、”Peace Train”を作って歌った平和主義者としての基本は変わっていなかったのでしょう。

 90年代の、イスラム教も深くかかわっていた旧ユーゴスラビアのボスニア・ヘルツェゴビナでの紛争に心を痛め、支援活動をする。ボスニアの外務大臣として和平に尽力し、医師でもあり紛争で傷を負った人々を無償で助けていたルビヤンキヒ氏と意気投合した。そのルビヤンキヒ氏が撃墜で亡くなってしまうと、氏が未完成のまま残した曲を完成させ録音し、サラエヴォで20年ぶりに大きなコンサートを開き、人前で歌った。この辺りから彼は、自分の宗教活動と音楽は決して矛盾するものではない、むしろ広める手段として有効なのだ、と考え方を変えたようです。

 2001年同時多発テロの直後、テロ行為を非難する声明を出しましたが。

 2004年、ドリー・パートンが”Peace Train”をカバーしたいというので、その録音に付き合うべくアメリカに行こうとしたが、入国を拒否されたそうです。危険人物リストに似たような名前のテロリストが載っていて、当局の勘違いだった、というのが表向きの理由だったらしいですが。

 そんな「荒れた世界」を生きた人でした。今、何を思っているでしょう。

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