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2007年5月31日 (木)

Every Kinda People

いろいろな人がいます。

 今は次から次へと新しい製品が出てきて、油断していると置いてきぼりを食らいそう。

 ケータイとか、新しい機能の製品が出ると飛びついて買い換えるのが好きな人も、周囲にはいるようです。

 私はといいますと。貧乏性なのか、基本的に一度買ったものは壊れるまで使う性質なんです。しかもその後、必要な機械を買うときも、機能とかにも無頓着。

 パソコンに関しては、これを含めて、本業でもものを書くことが多いし、授業でも黒板の代わりにスライドでプレゼン形式にしてるし、通信もする、情報検索もする、遊びでも、テレビ、DVDは観る、ここでもよく書くように、海外のラジオを聴く、その他いろいろ、とにかく生活のあらゆる部分で使っているので、買う時はその時の最新の機能のものを、といろいろ調べました。それでも壊れるまで使うんだろうなあ。

 音楽好きなんですけど、ハードにもやはり無頓着です。ビニールレコードからCDにもなかなか移れなかったし、いまだにその初めてCDに換えたときのコンポーネントステレオを使っています。その後、MD付を一台増やしましたが。

 ヘッドフォン携帯オーディオもそんな感じなんです。実は、ipodのようなメモリー式を、つい数週間前まで持っていませんでした。ポータブルMD,CDで事足りていました。

 ところが、時流に負けたのか、他にも用途がありそうなので、そういうメモリー式ポータブルオーディオに興味が出てきて、いろいろ調べ始めていました。

 そこで、僕なりの結論。

 ipodは爆発的に売れているけれど、それはコンピューターが普及した後の世代に合っているのであって、実は僕のような昔ながらの音楽ファンにとっては使いにくいのではないか?

 ほとんどがコンピューターを通して入れるしか手段がない。僕みたいにMDをアナログやMD(もちろんCDも)をかなり持っていてそれに移そうとすると必ずコンピューターを通さなければならないので面倒。そこへ行くと、そういうメディアからも直接移せるようになっている、押され気味だけどいまだにブランドとしては強いソニーのウォークマンの方が親切なのではないか。

 ネットからの音楽のダウンロードも、実は一度もしたことがありません。新しい曲はラジオで聴けて選べるし、僕の買うCDは珍しい再発ものとかが中心なので、そういうのは、いくらダウンロードのバラエティーが広がったといってもまだまだ未開拓分野なんですね。

 そんなことを考えていたら、今度はケータイが壊れてしまいました。

 携帯、とは書けませんね。ケータイ、です。井上陽水は94年に「移動電話」というシングルを発表しましたが、そのあと1年くらいで、あれよあれよという間に携帯電話として普及してしまいました。彼は悔しがっているでしょうね。

 僕も10年以上使っていますが、やっと2台目が壊れました。その2代目も45年前のもので、もうなんとかアプリでは、この機種は対応しておりません、というのが多くなっていました。

 ケータイ屋さんに行ってみると、まあ、あるわあるわ、いろんなのが。

 僕が機種を選んでいるときに、音楽に関する機能に注意していたことにケータイ屋のお兄さんが気付いたのか、「これなんかいかがです?」と一つ勧めてくれました。

 それは、メモリースティックを装着することなく、そのケータイ自身が既に1GBのメモリーオーディオとして機能する、同時にFMラジオも聴ける、というものでした。

 今までの使用料マイレージも溜まっていたので、代金を払う必要もなく、交換という形で手に入りました。

 そんなわけで、ひょんなことから、買おうと思っていたメモリーヘッドフォンオーディオを大きな代償なく入手してしまいました。さっきのMD云々に関しては妥協しなければなりませんでしたが、聴きたいCDを取り込んで、まあ重宝しています。

 更にその音楽ファン用の特殊ケータイには、通信衛星からのラジオ放送を受信する機能もあるという。

Katsuya_photo_3  まどろっこしい言い方はやめましょう。モバHo、というやつです。

 存在は知っていましたが、別契約がいることだし、音源には不自由していないし、そのケータイ入手時には加入しませんでした。

 ところが、それをよく調べてみると、「小林克也チャンネル」というのがあり、更に、TOKYOFMJ-Wave、あと大阪のFUNKY802のチャンネルがあるという。

 ユーセンでも個人加入なら結局は地元の放送局しか聴けない。ところが、モバHoでは聴けるらしい、これは入るしかない!

 マンションの真ん中あたりに住んでいるので電波の入りが悪いので、別売りの外付けアンテナも入手し、日曜午前9時半、起動させてみると。

 聞こえてきました、まだ鼻声の克也さんが。

 そんなわけで、名古屋にいながらにして、「ポップミュージックマスター」と「DJコービーズ・レディオショー」を聴く手段をも、思いがけなく確保できることになりました。

 まだ、僕が一番好きな「ビートルズから始まる」と、あの凄い「ファンフラ」はまだだめですが。

 克也さんが名古屋を去って以来、このコラムのネタがない、と愚痴ってきましたが、これで少しは幅が広がるかもしれないと期待しつつ。

Robert_palmer_double_fun  Every Kinda Peopleは、4年前、パリのホテルで急逝してしまったロバート・パーマーの最初のヒット曲、78年夏でした。おしゃれな曲だけどまだ地味な印象で、その後のビデオで、全員黒スーツ男装の女性バンドをバックに歌うなんて想像もできない頃でした。

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2007年5月20日 (日)

God Save the Queen

515日のベストヒットは、克也さんの日記にもあったように、最初から最後までイギリス特集でした。

また映画を観たこともあり、ここの所入ってくるいろいろなニュースからも、最近いろいろとイギリスのことを考えさせられています。

Queen_movie 映画は「クィーン」

フレディのクィーンではありません。

女王エリザベス二世の物語。

97831日。ダイアナ元皇太子妃がフランスで交通事故を起こし他界する。その後の一週間の女王の苦悩を描いた。

思い出してみれば、この日は日曜日でした。

克也さんのZIP HOT 100開始の30分前、平瀬マミさん(お元気ですかあ?これ見てますか?またお話したいです)の番組の中で第一報が入ってきました。番組のオープニングトークでも、これから四時間何のニュースが途中で割り込んでくるか分からない、見たいな緊張が伝わってきました。

若く美しく、ロックがスキだったり、庶民的感覚を王室に持ち込み、人気者だったダイアナ妃。

しかしチャールズ皇太子との関係が拗れ、離婚という形で王室を去るも、地雷禁止運動やエイズ患者慰安などのボランティア活動に取り組んで庶民性を失わず、また私生活の面でも様々な話題を提供し続けていた。

王室では、古いしきたりを破る彼女を厄介者扱いしていた。

そんな彼女の突然の死に、王室は戸惑う。

私人の出来事だとして宮殿に半旗を掲げることには反対、声明を出すことも拒んだ。当時存命だったエリザベス皇太后の葬儀シミュレーションを基本として国葬を行う方針が固まるも、ミュージシャンや映画スターを招くといった前例のない派手な内容を女王は嫌った。

そんな王室に国民は苛立ちを覚えるようになり、メディアも批判的になる。そんな国民を女王は理解できない。

そんな国民と女王の橋渡し役となったのが、その3ヶ月前、史上最年少の43歳で首相に就任したばかりのトニー・ブレア。いち早く「人々の中のプリンセス」と追悼の声明を出した彼の支持率は鰻登り。しかし大衆迎合して王室を攻撃するでなく、支持の落ちた王室を何とか擁護しようとし、半旗を掲げること、速く沈黙を破って声明を出すよう積極的に働きかける。

苦悩した女王は、事件から一週間たった95日、テレビの前に登場し、声名を読み上げる・・・

この映画で、人間としての女王、が描かれています。苦悩が頂点に達したとき、一人で車を運転し山に入ってしまう。そこで美しい鹿を見て、心を動かされる。弔問に訪れた国民からの夥しい献花、それに添えられていたカードの王室批判のメッセージを見て複雑な表情をする。

また王室も、普通の家族として描かれていたような気がしました。「ダイアナは生きていても死んでいても厄介者だ」とか、普通の人が言いそうなことを普通の英語で言っていた。

ストーリーからも分かるとおりに、もう一人の主役はトニー・ブレアだったでしょう。

ニュー・レーバーの旗手として、そのときに颯爽と登場した彼も、イラク戦争参加辺りから支持率が急降下、先週、退陣を余儀なくされました。映画に描かれた事件の後、王室の権威は反省と自己改革でやや持ち直したといわれているのに、ブレアのみが下降線を辿ったとはなんとも皮肉な話です。

また、女王とブレアの会話の中で、何度も「憲法」が話題に上がっていたことも印象的でした。

Phil_collins_hits イギリスは成文憲法を作らず、慣習法、コモン・ローを憲法としているのですが、それでも立憲主義の元祖としてそれにそれだけ敬意を払っている。国民投票をやって、有権者の過半数ではなく、より簡単に結果として投票した総数の過半数があれば憲法改正を可決できるという国民投票特別措置法が通過してしまったことも思い出され、考えさせられます。

Sandi_thom_i_wish_i_was_a_punk_rock 主演のヘレン・ミレン。初めて見たのは、フィル・コリンズ“Separate Lives”が主題歌に使われていた「ホワイトナイツ(白夜)」でしょうか。そっくりの風貌、演技で、アカデミー賞最優秀主演女優賞受賞は周知の通り、他にもよくこれだけ実在の人物に似ていて演技もうまい人たちが集められたものだと感心しました。

Procol_harum_greatest_hits_2

Sex_pistols_kiss_this 克也さんの日記にも登場した、15日のゲスト、サンディ・トムの”I Wish I Was a Punk Rocker (with Flowers in My Hair)”.フラワーチルドレンの1969年とパンクロックの1977年は革命の雰囲気に満ち溢れていた。歌詞に、69年をあらわすプロコル・ハルムの「蒼い影」”The Whiter Shade of Pale”と、77年をあらわすセックス・ピストルズの”God Save the Queen”が出てきましたが、王政批判のその曲ではなく、今日は映画の女王に敬意を表して、イギリス国家としての”God Save the Queen”としましょう。

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2007年5月10日 (木)

Breakfast in America

Gym_class_heroes_cupids_chokehold Gym Class Heroes “Cupid’s Chokehold”が一位独走中。

8日のベストヒットではサンプリングネタと一緒にかけちゃう粋な計らいで見ることができました。

 懐かしい79年のスーパートランプの「ブレックファースト・イン・アメリカ」。

 今いろいろ調べてみると、70年代イギリスのアート・ポップのバンド、なんて説明しているサイトがありました。

 確かに、シンセサイザーやコーラスを中心としたサウンドは美しい。プログレ的ですらあった。

 でも彼らのサウンドの特徴は、ボーカルの、ちょっととぼけた声のリック・デーヴィスと、甲高い声のロジャー・ホジソンが作り出すハーモニー。

 そして、なんだかよくわからない歌詞と、ユーモアあふれるアルバムタイトル、ユニークなジャケットデザイン。それらが一つのスタイルを作っていたようでした。

Goo_goo_dolls_let_love_in  ここ数年、なぜかスーパートランプが熱い。

二年前にグー・グー・ドールズがカバーしてHOT ACの部門で年間1位だった”Give a Little Bit”77年のスーパートランプの曲。グー・グー・ドールズの世代にとっては、子守唄代わりだったのでしょう。

 

 Supertramp_even_the_quietest_moment このスーパートランプの曲は、クリストファー・リーヴの「スーパーマン」にも使われていたんです。後半の、スーパーマンが地球を逆回転させて時間を戻す少し前、何かの戦いで、ガソリンスタンドが爆発する場面がありますが、そのときラジオで本の数秒流れていたのがスーパートランプの”Give a Little Bit”だったんです。もちろんサウンドトラックには収録されていません。こういうのを見逃さない、いや聞き逃さないのが「アナログ針飛び」の鬼。克也さん、憶えていますか?

 グループ結成の経緯は、リック・デーヴィスが知人のドイツ人の大富豪から、「私の夢のバンドを作ってみろ。金銭支援は惜しまない」と持ちかけられて、メンバーをかき集めたのが最初だという。その富豪は気まぐれで直ぐに金銭支援はストップしてしまったが、その直後に大成功した。

 その最大の大成功は、79年の「ブレックファースト・イン・アメリカ」。

Supertramp_breakfast_in_america  その表題曲は、アメリカでも1位をとったと勘違いされていることが多いですが、それはアルバムのほうで、実は日本だけのヒットなんですね。アメリカでは最高位62位。

 アメリカでは、「ロジカル・ソング」、「テイク・ア・ロング・ウェイ・ホーム」がトップ10、グッバイ・ストレンジャー」がトップ20に入りました。でもそれらは日本ではあまり知られていません。

 日本ではレコード会社が、「ブレックファースト・・・」の日本人好みの短調メロディに眼を付けてシングルにして、大成功したのでしょう。当時A&Mレコードは日本ではアルファレコードがやってましたっけ。

 ところが、ここ数年、アメリカのクラシックロック専門局を聴いていますと、この「ビブレックファースト・・・」はよくかかっています。当時は注目されていなかったけれど最近になって再評価されている曲、他にもいろいろあります。Gym Class Heroesもそんなところから注目したのでしょう。

 そして印象的なのはアルバムジャケット。

 ニュー・ヨークが背景。しかし自由の女神像の代わりに太っちょのウエイトレスのおばさんが同じポーズを取って、松明ではなくオレンジジュースを空高く掲げている。バックのニュー・ヨークの街並も、今はなき世界貿易センタービルがコーンフレークの箱だったり、他に缶詰だの皿だのコーヒーカップだのでできている。これはグラミーの最優秀デザイン賞に輝きました。

 そのジャケットがあまりにも印象的だったので、そのウエイトレスのモデルのおばさんがプロモーションで世界を回りました。バンド本人ではなくジャケットのモデルがプロモをして回ったというのは(アーティスト自身が実は演奏していなかったという場合を除いて)他に例を知りません。日本でも、タモリのオールナイトニッポンあたりに出ていたのをよく憶えています。

 無理やりつなげますが、タモリといえば。

 いいとも御出演、ストラップ獲得おめでとうございました。

 やはりお風邪を召しておられたのですね。お声が調子よくなかったみたいですし。お話も、ゴルフのこととか、散歩のこととか、犬の「ちょっと、ちょっと」のこととか、町内会の会合か、サウナの中でのオヤジのおしゃべりみたいな内容で、やや弱弱しい印象でした。もうよくなられたでしょう。くれぐれも御自愛ください。

 

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2007年5月 1日 (火)

Message in a Bottle

424日のベストヒットUSAのオープニングでのスチュアート・コープランドのインタ。

 彼が作った映画『ポリス・インサイドアウト』が全国公開中であるという。

 小回りのよさをいかして、観てきました。

 小さな映画館での、しかも夜9時からの最後の1回回しだけ。

 

 バンドが、スティング、アンディ・サマーズ、そして彼の最強の編成になってから最初の一年は売れなかったけど、軌道に乗り始めた時期、スチュアートは8ミリビデオカメラを購入し、その後のポリスの様子を表から裏から取り続けていた。

 バンドとしての実働はたった5年間。しかし彼らは「世界征服の野望」を果たし、その後のロックにも大きく影響する存在になった。

 溜まったフィルムはのべ50時間。しかし機材も安物、80年代は一般向けの映像編集技術もまだそれほど進んでいなかった時期だし、撮影も雑で、とても公開できるようなシロモノではなく、スチュアートの本棚の中にお蔵入りとなって、彼自身もそんなものがあったことを半ば忘れてしまっていた。ただし放置しておいたのは、彼は将来、映像を綺麗にブラッシュアップし再編集する技術が出てくることを予測していてあえてそうしたのだという。

 解散して20年、映画音楽に携わるようになって、コンピューターオタクにもなった彼は、予測していた通りの編集ソフトが出てきて、フィルムのことを思い出し、今回の製作に踏み切った。

 今年になって富士フィルムが8ミリフィルムの製造、現像サービス中止を発表するなど、家電の世界ではデジタル映像撮影機にどんどん駆逐されている8ミリですが、今になってそんなものが出てくるとは、感慨もあります。

 それでも実際の映画は、オリジナル素材の粗さを克服できたとはお世辞にもいえない、というのが率直な感想です。

 色も全体的に淡いです。映像効果としてわざと淡くすることはありますが、それと違って元が淡いのは今の映像を見慣れていると違和感があるかも。彼がドラマーだったということもあり、ライブを写す場合はどうしてもスティングらは背中後方からの映像が多くなる。ファンが寄ってくる映像も、急にアップになったり引いたり、やはり素人撮影だという印象は拭い去れません。編集も粗くて、そういうアップがパッと変わる部分を見ると少し気持ち悪くなるかも。映画として観られるのは、8ミリ撮影部分ではない、コンサートなどを正面から撮影した、綺麗な記録部分があるからかも。

 普通なら個人的なホームビデオで済まされてしまう素材でしょう。しかし普通でないのが、その素材が、偉大なロックバンドの足跡を辿った貴重な映像であり、そこで資料的価値が出てくる。

 メンバーやスタッフの個人的な場面、ファンが押し寄せてくるシーンも多く登場します。最初の来日の際に語られる日本の印象が、半分笑え、半分考えさせられました。日本の女の子はキャーキャー寄って来てはプレゼントをくれる。812月、バレンタインの時期だったこともあり、冗談かもしれませんが、彼はまだその時もらった大量のチョコレートを消費しきれずにいるという。こんなに物をくれるファンは世界広しといえども日本だけだという。「ものあまり日本」といわれ始めた時期にあたります。今でもこの傾向は変わっていないのかもしれない。これでいいのかなあ。

 僕個人としてはむしろ、疾風のように時代を駆け抜けたロックバンドの、崩壊に至る苦悩の記録、として捉えました。

Police_synchronicity  触れたように実働は5年間、83年、セールスとしては最高を記録した「シンクロニシティ」のアルバムを最後に解散してしまう。

 最初は仲間同士、パンクにポップ、レゲエの要素を加え、メッセージ性も備えた新しい音楽を追求し、仲良くやっていたポリス。ベストヒットでスチュアートは「最初は俺たちはボーイズグループで、NSYNCやフォールアウトボーイとなんら変りはなかったんPolice_zeniyatta_mondatta だ」といっていましたが、映画にも出ていた”De Do Do Do De Da Da Da”のビデオで、口パクで歌いながら、雪山でスキーを楽しむ彼らを見て、なるほど、フォールアウトボーイだ、と思いました。

ところがそんなバンドも、現実とは思えない急な成功で、歯車が狂いだす。スティングは成功すればするほど自分の殻に閉じこもるようになり、他のメンバーからの意見を受け付けなくなってしまう。

Police_reggatta_de_blanc  二枚目のアルバムに既にその苦悩が表れていた。「白いレガッタ」の中の、「孤独のメッセージ」”Message in a Bottle” これは急に頂点に上り詰めて現実感を失った彼らの悲鳴であった。ビンにつめて海に流したこのメッセージ、誰でもいいから分かってくれ、と。ビートルズにとっての、「ヘルプ!」みたいな意味を持つ曲だった。

Police_ghost_in_the_machine  「ゴースト・イン・ザ・マシーン」のアルバムをモンセラート島にこもって録音したり、彼らはツアー以外では自らを現世から隔離しようとする。

 そして「シンクロニシティ」の大成功の後、逆に、もうだめだ、これ以上、何が現実か分からない生活に耐えられない、と解散。

 その、彼らにとって現実離れしてあまりにも速く過ぎ去っていった瞬間、しかしそれは同時に紛れもない現実だったのであって、こうして映像に残っていることがその何よりの証拠である。解散から20年たってやっとそういえるようになった、ということなのでしょう。

 最近の再結成は御存知の通り。来年2月には日本にも来るという。この映画のために、3人は今、ここ20年で最も緊密に連絡を取り合うようになったという。思わぬ嬉しい副産物でした。

 おなじみの曲はほとんど全て流れますが、レコードからの音源ではなく、実際に8ミリ撮影のときに同時に演奏された未発表音源が中心で、それにスチュアートが手を加えて聴けるようにしたのだという。これもファンにとっては嬉しいかも。

 5月半ばまで各地で単館系で公開は続くみたいです。

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