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2007年6月22日 (金)

Tapestry

Carole_king_tapestry 617日のベストヒットの1曲目、36年前の1971年のその日に、キャロル・キングの名盤「つづれおり」がアルバムチャート1位になり、その後の伝説の始まりになった日とのことで、93年のライブからの I Feel the Earth Move 「空が落ちてくる」が流されました。

今年はなんと来日が予定に入っている。キャロル・キング、メアリー・J・ブライジ、ファーギーが女性三人でトリプルヘッドライナーで来るという。

Grace_of_my_heart_soundtrack このキャロル・キングを見て思い出したのが、キャロル・キング版ドリームガールズというか、彼女の半生をモデルにしながらも架空のストーリーを膨らませて、60年代から70年代の音楽業界の裏側を綴った映画があったこと。それを観直してみましょう。

10年前の96年作品、「グレイス・オヴ・マイ・ハート」。

キャロルをモデルとした主人公が中心となりながらも、本物のキャロルとは関係ない、けれども同じ時代のロックの歴史には欠かせない人物をモデルにしたキャラクターを絡ませたり、オールディーズ好きには思わずニヤリとしてしまう場面多し。

Carly_simon_no_secrets  主人公のエドナ・バクストンは歌うのも好き、曲を作るのも好きな夢見る少女、しかしフィラデルフィアの鉄鋼業の財閥の令嬢でもある。実際のキャロルはニュー・ヨークの中流の出身、この財閥のくだりは、シンガーソングライターである以前に実はアメリカ有数の大手出版会社サイモン&シャスター社の社長令嬢であるカーリー・サイモンへのオマージュかもしれません。

公開オーディションで歌を認められて、ニュー・ヨークにわたるが、同じような声の歌手は沢山いるということでマイナーなレコード会社と契約、しかも60年代初頭はシンガーソングライターなどという概念はなく、どちらかを選べということで作曲者として契約。ここで社長ジョエル・ミルナーと出会い、デニス・ウェバリーというペンネームをもらいます。ミルナーのビルには若い作曲家たちが集まっていて、そこで知り合ったハワード・カザットという男性と意気投合して共同作曲、ついには恋に落ちて結婚し、ルマという女の子を出産します。またそこに夫婦でやってきたシェリルという作曲家とも、仕事を取り合うライバルになったり一緒に曲を書く仲間になったりします。オーディションのころからの仲間だったドリス率いるルミナリーズという黒人三人組に歌わせた曲が大ヒット。。。

ジョエル・ミルナーとはドン・カーシュナーのことで、彼が経営していたブリル・ビルディング(映画でもまったく同じ名前が使われている)は若く有望なソングライターたちのクラブとなっており、そこでキャロル・キングは最初の夫ジェリー・ゴフィンとであって名曲を量産、後にアーティストになるルイズ・ゴフィンをもうけます。シェリルとは、バリー・マンの妻でやはりヒットメイカーのシンシア・ウェイルでしょう。映画の中でこの二人は離婚してしまいますが。ルミナリーズは映画の中でシフォンズの大ヒット、キング-ゴフィンの代表作のひとつである「ワン・ファイン・デイ」そっくりの菓子のバラードを歌っています。ドリスは後に三人組から独立してソロとして大成功し、ダイアナ・ロスになってしまいますが。そのブリル・ビルディングからは他にも、ニール・セダカ、バート・バカラック-ハル・デヴィッド、ジェリー・リーバー&マイク・ストーラーのコンビなどが巣立っていきます。

Neil_sedaka_laughter_in_the_rain_t このあたりでデニスとカザットの曲を取り上げたアーティストは、エヴァリー・ブラザースそっくりの男性デュオ、ドリフターズみたいな黒人ドゥワップグループ、レスリー・ゴアを髣髴とさせる女の子シンガーなんかも出てきます。

ところがカザットの浮気で夫婦関係は破局に。デニスは妻子あるDJとの不倫を経た後、自分もシンガーとして歌いたいとの希望を持ち始めると、あるプロデューサーを紹介されます。その彼とは、レプタイルズという兄弟でサーフロックグループをやっていたジェイ・フィリップスという男。デニスはジェイとも恋に落ち、結婚します。ところがジェイは、サーフロックの行き詰まりに悩み、電子楽器も取り入れてコーラスも芸術的に昇華させたコンセプトアルバムを作ろうとするがうまくいかず、麻薬に手を出して廃人同様になる。

Beach_boys_pet_sounds そう、ジェイ・フィリップスとはどう考えてもブライアン・ウィルソンなんですね。フィリップスという名前も、ママス&パパスのフィリップス夫妻を連想させます。実生活でブライアン・ウィルソンとキャロル・キングが夫婦だったら、なんて想像すると面白くてたまらない。

ところがこのジェイ、実際のブライアンと違って、錯乱して海にCity_now_that_everything_has_been_ 入って溺死してしまう。絶望して自分自身を見失っていたデニスに再びジョエル・ミルナーが手を差し伸べ、今までの人生でいい意味でも悪い意味でも関わった人たちへの感謝を曲にして歌ってみろ、とアドバイスして、全曲自作のアルバム、「グレイス・オブ・マイ・ハート」私の心の支え、が完成、表題曲と共にアルバムが大ヒットする。。。

このように、事実をトレイスしながらも大幅に脚色をして、本当は関係ない人物も同時代だから無理やりつなげてしまう面白さもあり、オールディーズ好きにはたまらない映画になっています。音楽を知らないで映画だけ観た人には、バーバラ・ストライサンド、クリス・クリストファソンの「スター誕生」が思い出されるみたいですね。

製作総指揮は「ラスト・ワルツ(ザ・バンド)」や「ノー・ディレクション・ホーム(ボブ・ディラン)」なんかの音楽ドキュメンタリーを手がけているマーティン・スコセッシ。これも頷けます。主演のイリアナ・ダグラスをはじめ、マット・ディロン、エリック・ストルツ、ジョン・タトゥロなど、スコセッシものでよくお目にかかる俳優が脇を固めています。

Louise_goffin 使われている音楽は全部、60年代の雰囲気を持ったオリジナルですが、当人のキャロルは参加せず、しかし、ジェリー&ルイズ・ゴフィン親子が参加しています。他にもバカラックが、当時盛んに一緒にやっていたエルヴィス・コステロとのコラボレートが入っていますし、他にジョニ・ミッチェル、バカラックの奥さんキャロル・ベイヤー・セイガーなんかも加わっています。

Carole_bayer_sager 名盤「つづれ織り」のタイトル曲も、”my life was just a tapestry…”で始まります。そのときまでの彼女の人生の総括だったのでしょう。



  Fergie_big_girls_dont_cry_3 Mary_j_blige_breakthrough

キャロル、メアリー、ファーギーのトリプルヘッドライナー、例によって名古屋飛ばしですが、キャロルを日本で観る機会はもうあまりないかもしれない。大阪まで遠征しようか、ちょっと触手がぴくぴくしてるところです。

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2007年6月15日 (金)

(You Can Still) Rock in America!

Night_ranger_hole_in_the_sun ナイトレンジャーのライヴに行ってきました。

古いアーティストばっかり登場しますね。新しいのにも行こうとしているのですが、例えばこのナイトレンジャーと同じ場所でやるはずだったスノーパトロール。一度予定されていた講演が延期になってしまい、その延期講演が更に延期になってしまいました。外に出ようとするとメンバーに怪我とか病気とか、必ず何か起こるバンドだそうで。

さて、ナイトレンジャー。

東京では渋谷CCレモン公開堂(笑っちゃう名前だなあ)、大阪でも割と大きな会場でやったようですが、ここではライヴハウス。間近で見られて得した気分。しかしオールスタンディング、仕事帰りだったので、満員熱気ムンムンだったフロアの後ろのほうになってしまいました。

このナイトレンジャー、ルーツを辿っていくと面白い。なんとファンクの帝王、スライ&ファミリーストーンに繋がります(数週間後、DJ Kobys Radio Showで特集があるみたいです、乞うご期待)。このスライ&ファミリーストーンのメンバーだったジェリー・マーティニが70年代後半、ルビコンというグループを作りますが、そこで後にナイトレンジャーを結成することになる、ベース、ヴォーカルのジャック・ブレイズ、ドラム、ヴォーカルのケリー・キーギー、ギターのブラッド・ギリスがこのバンドで出会っているんですね。

僕はなんとこのルビコンというバンドのCDを持っているんです。基本はさすがスライ譲りのファンクなんですけど、”I’m Gonna Take Care of Everything”という、ソウルバラードのシングルを、78年、ビルボードで30位くらいのマイナーヒットを放っているんです。この曲が好きで持っているんですけど、こんなの持っている人、他にいるかなあ?それがまさかナイトレンジャーに大化けするとは。

ナイトレンジャー、80年代にヒット曲は割と多かった。コアなファンもいたけど、ただヒット曲しか聴かない、という人たちでは評価が分かれていた、そんなバンドだったような気がします。

忠実なフォロワーはHR/HMバンドとして評価している。しかしヒットした曲はバラードだったりポップだったり、そういうのを聴いた人には同じ時代の、ジャーニー、フォリナーあたりの、売れるためのロック、所謂「産業ロック」の括りにされてちょっとバカにされている。

実際、彼らもこの二つのイメージの板ばさみにあい、特にレコード会社から売れることを要求されたためグループの中でも対立が起こり、88年に一端解散状態になってしまいますが、96年に上の三人のオリジナルメンバーを中心に再結成、CDも発表し、ライヴもコンスタントに行い、来日も三年ぶりになります。

ライヴは、お馴染みの曲を全て網羅しながらも、自分たちはHR/HMだ、とでも言いたげな構成でした。

しょっぱなからディープパープル「ハイウェイ・スター」のフレーズを曲中に挿入してみたり。

Night_ranger_midnight_madness おなじみの曲とは。

Touch of Madness

Sing Me Away

「マイケル・J・フォックスから電話がかかってきて、僕の映画のために曲を書いてほしいんだ、って言われたから、俺たちはすぐギャラはいくらと聞き返したんだよ」という冗談のMCがはいって

Night_ranger_7_wishes Secret of My Successのテーマ

When You Close Your Eyes

シートが用意されて、アコースティックタイム。ここでは

Goodbye

ロゴ入りピックを何枚もフロアに投げ入れて、「あれ、テッド・ニュージェントのロゴ入りピックが混じってるぞ」と言いつつ

Damn_yankees High Enough も演ってくれました。

そう、ジャックはグループが空中分解していた時期、テッド・ニュージェント、トミー・ショウらとダム・ヤンキーズをやっていたんですね。トミーがスティックスのライヴで同じ曲を演ったのも聴きましたが、そのときはトミー一人の弾き語りで、一節だけで終わってしまったような感じでしたが、今回はメンバー全員が参加してのフルバージョンで、こっちの方がよかったです。

またフルセットに戻ると

Night_ranger_dawn_patrol Sentimental Street

ラスト近くになると盛り上がって、

Rock in America

そして最後は、シブがき隊「ゾッコンLove」(イントロがそっくりなんです)、いやいや、

Don’t Tell Me You Love Me

の大合唱で、一端引っ込んだ。

となるとアンコールはやっぱり、名バラード

Sister Christian

でした。

聴衆は、HMの連帯を表す例の、右手の人差し指と小指を立てるサインでコブシを上げる人が多かったです。

ジャックが、結婚三十年なんで妻に写真を送る、といってフロアをバックに撮っていました。

ブラッドが今週の金曜日、東京で50歳の誕生日を迎えるそうです。

まだまだ、ロックできるぞ!

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2007年6月 7日 (木)

Love and Happiness

このコラムコーナーには似つかわしくないタイトルか。いや、いつでも世界に広まることを願っています。

 映画レポートですが、ちょっと異例。

 東京でも同様のことをやっていたらしいのですが、ルーツミュージックのドキュメンタリー映画を数本そろえて、数日ずつ連続で公開する企画があって、そのうちの一つに先週、たまたま行ってきました。たった3日間だけの公開でしたし、他の地域でこれからやるかどうかもわかりませんから、参考にはなりません。

 しかし興味があればDVDでは見ることはできるみたいです。僕も行くまで知りませんでしたが、なんと1984年、23年前の映画でした。私も当時は可愛い(?)学生でしたから、このアーティストのことは知っていても映画があるなんて全然知りませんでした。そもそも日本で公開されたことがあるんだろうか。

Al_green_gospel_according_to  映画は「アル・グリーン」。原題は”Al Green talks about his Gospel”「アル・グリーン、彼のゴスペルを語る」でしょうか。

 ティナ・ターナーやその他大勢のアーティストがカバーした”Let’s Stay Together”のオリジナルを歌っていた人。70年代前半にはいっぱいヒットを飛ばしていました。マーヴィン・ゲイのセクシーさと、スモーキー・ロビンソンのソフトさと、ウィルソン・ピケットの

Al_green_lets_stay_together_2 ワイルドさを併せ持っていた不世出のR&Bシンガー(これは映画の中にあった証言の引用)。

 全盛期に牧師になるといって表舞台から突如姿を消した彼ですが、そんな彼の自伝映画、というか宗教活動宣伝映画でした。

 ハイ・レコードという、メンフィスを拠点にサザン・ソウルの中心だったスタックス・レコードが衰退し始めた頃に、取って代わるように台頭してきたレーベルがあって、そこの元締めだったウィリアム・ミッチェルに、声を認められてレコード・デビュー。「君は二年の間にスターになれる」といわれてもグリーンは「二年も長すぎて待てないよ」といっていったんは断ったとか。

Al_green_im_still_in_love_withyou  最初の大ヒット曲、”Tired of Being Alone”は、当時の恋人に会えないこと経験を歌っていて、その女の子にもミッチェルにも好かれなかった曲だが、アルだけ気に入り、地道に歌い続けて人気が出た。

 そして72年の”Let’s Stay Together”のナンバー1ヒット、73年にかけて、I’m Still in Love with You,” “ Call Me” とか、連続トップ10ヒットを放って不動のR&Bシンガーの地位を手にしたかに見えた。”Love and Happiness”もその頃の曲です。

Al_green_call_me その絶頂期にあった73年、ツアーで西海岸にいた夜、中西部にいたガールフレンド(さっきの女性とは別人らしい)を呼び寄せようとしたら、飛行機が嵐で到着が遅れた。そのとき彼は突然、神の啓示を受けて宗教に生きる決心をしたという。このあたり、現ブッシュ大統領がアル中だったのがある夜突然神に目覚めた、という、結局は事実ではないらしいのですが、広まって信じられているエピソードと似ています。

Al_green_belle_album  その後は直ぐにサウスキャロライナに土地を買って教会を立てて牧師となる。

 僕がナマで動く彼をテレビで見た記憶があるのは、78年、赤坂局が当時、毎年の恒例行事としてやっていた東京音楽祭に「愛しのベル」という曲で出場したときでした。そのころはすでにヒットチャートの常連ではなくなっており、その後ぴたっとレコードも出さなくなるのですが、既に人生を変える決心をしていたのでした。

 その後の映画は、延々と30分近く、彼の説教が見せられます。

 黒人南部福音派の教会は独特の雰囲気があります。僕も見学させてもらったことがありますし、他の映画のシーンなんかでも見た方は多いのではないでしょうか。「エーメン」の掛け声が信者から不規則に飛んできたり、陶酔して失神する信者がいたり。

 「イエスは水をワインに変えました、イエスは血をワインに変えました。イエスに不可能なことなどないのです」

 アルはこれを、バンドを従えて(教会にバンドがいること自体は珍しくないみたいですが)時々ドラムブレイクを入れさせたりして、説教とも唱ともとれる、流れるような、かつ迫力ある語り口で信者たちに語りかけていきます。

 元フィフス・ディメンションのビリー・デーヴィスJr,や、M.C.ハマーなど、ヒットを出した後ゴスペルに行ったり、神に帰依したりする黒人アーティストは少なくありません。物質主義から本当の「愛と幸福」への精神へと導かれるのでしょうか。

 アル・グリーンはその後、音楽の世界に少しだけ戻り、90年代になってユーリズミックスのアン・レノックスとのデュエットで”Put a Little Love in Your Heart”をヒットさせたり、オリジナルアルバムを20年以上のブランクを経て出したりしましたが、やはり宗教活動を中心においているようです。

 アングラの劇場で、見ていたのは僕を含めて6人だけでしたが。

アル・グリーンを憶えている人にはぜひ見てもらいたい。南部黒人教会の雰囲気を知るにもいい機会になる映画です。

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