Goodbye Yellow Brick Road
夏は過ぎようとしていますが。
人並みにお盆には帰省しました。ほんの4,5日だったけれど久しぶりの関東での長居だったので、普段は聴けない小林克也番組のいくつかを堪能してまいりました。
金曜の夕方に着いたので、ファンフラはエンディングのみでした。
土曜の朝の新番組ははじめて聴きました。
時間が短くなって音楽専門になって、かつその直前の番組がいかにもNHKの深夜早朝番組みたいな内容だったので、引き締まった感じがしましたし、選曲は90年代のJポップが中心で、聴取対象年齢を以前より下げたような印象を持ちました。リクエストはキッス「デトロイト・ロック・シティ」でしたが。キッスについてはいずれまたネタにしましょう。
「ビートルズから始まる」も久々に聴きましたが、「サージェント・ペパーズ・・・」の製作の裏側でポールがいかにワンマンに振舞っていたかという話がやたら残ってしまいました。
で、今回は、久々にラジオからとったネタを。テレビもちょっと絡んでいますが。
8月19日の「ポップミュージックマスター」の訳詞コーナーで扱われたエルトン・ジョンのGoodbye Yellow Brick Road「黄昏のレンガ路」。
エルトンに関しては8月7日のベストヒットのタイムマシーンで、31年前の76年の夏の大ヒットだった、キキ・ディーとのデュエット「恋のデュエット」”Don’t Go Breakin’ my Heart”が最近の復活映像で、太ったエルトンと、年齢には逆らえないキキの登場で見ることもできました。これの原曲のプロモビデオでエルトンとキキが軽くチュ!をする場面があって、子供だった僕はその印象が強く、後にエルトンはモーホーであると分かってもなかなか信じられなかった思い出もあります。
今でも活躍中のエルトンですが、この74年から77年あたりが全盛期だったといえます。
今みたいに地味な黒縁眼鏡ではなく、顔の半分以上ある大きさで、フレームに何色もの星がちりばめられたトンボ眼鏡で、ギンギラのラメの衣装を着ていたころ。
同名の、当時アナログLP二枚組で発表されたアルバム「黄昏のレンガ路」は、エルトンにとって、ビートルズにとっての「サージェント・ペパーズ・・・」、ビーチボーイズにとっての「ペットサウンズ」、スティービーにとっての「キー・オヴ・ライフ」にあたるような位置づけ、つまり長く活動し名盤をいっぱい出しているアーティストのディスコグラフィの中で最高傑作に位置付けられる。
訳された表題曲, yellow brick roadは「たそがれのレンガ道」ではなく、イギリスの上流階級を象徴するものだったのですね。
そう、イギリスは物凄い階級社会。貴族制度も残っているし、世襲永世貴族議員なんてのもいる。階層によって話す英語も微妙に違うし、ものの食べ方も違ってくる。
「あばよ、『社会の犬』が吼える金色のレンガ道、ペントハウスにはもう飽き飽き、
僕の本当の人生は金色のレンガ道の彼方にあるってわかった。梟やヒキガエルが啼く林の中に戻っていく。。。」
バーニー・トーピンは、これはただ都会に出てきて幻滅した若者の歌だ、といっていますが、周囲では、それ以前のアルバムでかなりの成功を収めたエルトンとバーニーが、成功とは何だ?この生活の変化は自分たちが求めていたものなのか?と疑問を持ち始めたことの現われだ、このアルバムはそのような試行錯誤も含まれているからこそ名盤なのだ、と解釈されることが多いようです。
エルトンとバーニー、もともとはバート・バカラック、ハル・ディヴィッドみたいなソングライターコンビを目指して意気投合し、すごく相性(いろいろな意味で)がよくていい曲が次々できると革新しましたが、肝心のシンガーがいなかったので、ピアノがうまく声もそこそこ通ったエルトンが歌うことにしたそうです。
偶然始めたシンガーが、70年代最大のアーティストに化けてしまった。
まず、シンガーソングライターがブームだったアメリカから火がつきました。このブームに乗ったイギリス人はエルトンとキャット・スティーヴンスくらいだった。逆にイギリスはTレックスとかデヴィッド・ボウイとかグラムロックが全盛で、イギリスに売り込むために、さっきも出てきたようなギンギラギンのトンボメガネや衣装を着け、このアルバムにも収録されている “Saturday Nights Are Alright for Fighting”(「土曜の夜は僕の生きがい」凄く誤解を招く邦題だったと思いますが、知れ渡ってしまいました)なんか、ロックっぽい曲もやるようになった。
エルトンとバーニーは、私生活ではどうあれ、曲作りではいわゆる共同作業はせず、完全分業のよう。バーニーが一方的に詞を持ってきてそれにエルトンが曲をつける。エルトンいわく「でも歌詞の内容についてインタビューで訊かれるのは僕だけ。”Take Me to the Pilot”『パイロットに連れて行って』なんて、いまだに意味がわかんないまま歌ってる」。
それでも名盤「黄昏のレンガ路」は、エルトンとスタッフ、バンドメンバーが十日以上一つ屋根の下で家族のように昼夜を共にして作った。バンドのメンバーには、紆余曲折はありましたが今でも一緒にやっている、ギターのデイヴィー・ジョンストン、ソロシンガーとしてもヒット曲もあるドラムのナイジェル・オルソンなんかがいました。
アルバム全体として流れを聴くのが一番いいですが、他にも珠玉の名曲がいっぱい入っています。
ビルボード1位に輝いた「ベニ―とジェッツ」。これはもともとの録音ではピアノだけの単調なリズムだけの曲だったのを、プロデューサーのガス・ダッジョンのアイディアで、大観衆の歓声口笛をダミーで挿入して擬似ライヴにしてしまったのが大成功。この曲は、非黒人アーティストの曲としてはプレスリー以来はじめてのソウルチャートでの1位をも記録し、エルトンはこの曲で白人アーティストが、ジャンルを融合させた新しいマーケットを開発する可能性を示した、といわれました。
御存知”Candle in the Wind”「風の中の灯のように」。原曲はマリリン・モンローに捧げた内容、しかし歌詞を換えてダイアナ妃への追悼歌として「ホワイト・クリスマス」を抜いて世界で最も売れたレコードの記録を塗り替えました。
ところがこの原曲は当時、「ベニーとジェッツ」のB面で、お馴染みのピアノ弾き語りヴァージョンとは程遠い、ギターのストロークが効いたミディアムテンポの曲でした。
しかしエルトンにはこれをピアノだけでやるアイディアはかなり早くからあったようです。
さっきの77年の「恋のデュエット」(これは二人の気分転換だったのか、エルトンとバーニーは偽名で作詞作曲をクレジットしていました)の後の70年代後半、エルトンはスランプの時期に入ります。長年のプロデューサーだったガスや、バーニーとも別れて仕事をするようになりました。エルトンは後に「あの時期バーニーはアリス・クーパーのアルバムを手伝っていて仕方なかったんだ。仲違いしたわけじゃなかったよ」なんて言っていましたが、実は仕事のパートナー以上の「特殊な関係」だった二人、何かあったと考えるのが普通でしょうね。
そのスランプの真ん中、78年に「シングルマン」という全然売れなかったアルバムを発表、アメリカ(グループの名前です)の「名前のない馬」の名演でも知られるパーカッショニストのレイ・クーパーと二人だけというシンプルな編成で、「シングルマン・プラス・レイ・クーパー」と銘打った世界ツアーを敢行します。このあたり、エルトンの「特殊な関係」のパートナーが替わった、と見るべきでしょうか。
このツアーで、当時は冷戦真っ只中で西側のアーティストが行くこと自体珍しかった、ソ連でのライヴが実現しました。
それを観ると、そのシンプルな編成のためもあるでしょうが、”Candle in the Wind”が後によく知られるようになるピアノ弾き語りヴァージョンの原型のような形で聴けます。
小学校の高学年時、道徳だかなんだかの時間に先生から「尊敬する人は誰?」と訊かれて「エルトン・ジョンです」と胸を張って答えた。しかし先生も他の級友の誰も知らなくて、「誰?それ?」と白い目をされた、そんな屈折した少年時代を送って、今こんな文章を書いている私が居ます。
その少年時代のヒーロー、太ってもまだ最前線、今年も東京だけだけど日本に来てくれる。どうしようかな?
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コメント
エルトンが、バーニーやレイクーパーと特殊な関係だった?
初耳ですね。
論拠はあるんですか?
投稿: スペンサー | 2010年8月 1日 (日) 12時45分
スペンサーさん、ありがとうございます。そうでしたか、初耳でしたか。少なくともバーニーの件は知っている人は知っている話だと思っていました。師匠からも直接伺った話でした。しかし両方とも下世話なゴシップ紙で見たことがあった程度の話ですし、その紙もどこかにあるのでしょうがすぐ手元に出てきません。ネット上のリンクを何か貼れといわれてもそれに相当するものは出てきません。確かに論拠を示せといわれたら困る話ではありました。エルトンがどのような「結婚」生活を送っていて、バーニーは同性愛者の権利向上運動家であることは当然ご存知なんですよね。レイ・クーパーとの二人ツアーはこの夏30年ぶりに復活するようで、日本でもやって欲しいですね。
投稿: Prof.Harry | 2010年8月 3日 (火) 20時44分