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2007年9月21日 (金)

Going to a Go-Go

モバHO!を導入してから毎週日曜朝聴けるようになった「ポップ・ミュージック・マスター」。

 たった4曲だけど、いい曲がかかりますね。特に4曲目のリクエストは皆さん結構わがままに渋い曲を出していますね。

 916日にかかったJohnny Rivers “Swayin’ to the Music”

Johnny_rivers_slim_slo_slider  77年の今頃のヒットで、歌詞の一番のバックにコオロギか何か、虫が啼いている効果音が入っていて、季節的にもぴったり。虫の鳴き声に風流を感じるのは日本特有の文化で、世界の大多数の人はノイズとしか捉えない、なんて話もありますけど、必ずしもそうではないことが分かります。

 克也さんは彼の登場の頃の話、ウィスキー・ア・ゴー・ゴーの話をしていて、やっぱりジョニー・リヴァースといえばそのイメージが強いんですけれど、かかったこの曲は彼としては晩年期の、最後のヒット曲ともいえる時期のものですね。

 彼のキャリアは長い。

 彼は強運の持ち主なのか、節目節目に大物の助けを借りることが多い。

 1958年に、ディランと同じようにニュー・ヨークにわたって音楽活動を開始した彼。川が多いルイジアナ出身の彼に「リヴァース」という芸名を与えたのは、「ロックンロール」という言葉の発明者であるとされるアラン・フリードだという説もある。ジョニーとロック自体、義兄弟の関係?

 ニュー・ヨークで失敗してナッシュヴィルに渡って、そこでのデビューを支援したのはハンク・ウィリアムスの未亡人だった。

 そこでも泣かず飛ばず、ロサンゼルスに本拠地を移して、彼の曲が知人を通してリック・ネルソンに取り上げられ、まず作曲家として売れ始める(リック・ネルソンについては、ちょっとですけどこちらを)。でも彼はそれ以降、ほとんどカバー曲のヒットで有名になります。

 ロサンゼルスのイタリアンパーティで、出るはずだったバンドのヴォーカルが何かの理由で出演できなくなり、客席に偶々いたリヴァースが壇上に上がり、役を奪い取ってしまい、評判が広まります。

Johnny_rivers_at_the_whisky_a_go_go  そんな彼の演奏を、ジャン&ディーンのマネージャーだったルー・アドラーが観て感激し、オープンが予定されているライブハウス、ウィスキー・ア・ゴー・ゴーでライヴを録音してレコード化する案を提案します。

 64年、サンセット大通りにできたこのディスコ兼ライブハウスは、その後、南カリフォルニアから出てくる、バーズ、バッファロー・スプリングフィールド、ドアーズ、ヴァン・モリソンなんかを売り出す伝説の聖地になります。66年にスモーキー・ロビンソン&ミラクルズがヒットさせ、82年にローリング・ストーンズがライヴ盤からシングルカットした”Going to A-Go-Go”もここでうまれた「ゴーゴーダンス」のことを歌っているんですね。その伝説の場所を最初に有名にしたのがリヴァースということになります。Rolling_stones_still_life_2

Smokey_robinson_the_miracles_ultima

Johnny_rivers_a_touch_of_gold  彼の最初のシングルヒットは”Poor Side of Town”という綺麗な曲で、これはクレジットはリヴァースとアドラーの共作ということになっていますが、実は本当の作曲者は当時アドラーの下で見習いをしていたジミー・ウェッブだったというのが定説になっています。それ以降のリヴァースは、ちゃんとウェッブをクレジットした上で彼の曲を好んで多く取り上げ、グラミーの最優秀楽曲賞に輝いた「恋はフェニックス」は実はグレン・キャンベルの前にリヴァースがオリジナルでレコーディングしていて、ヒットしたグレンのものはそれにそっくりでした(ジミー・ウェッブについてはこちらを)。

 James_taylor_sweet_baby_james 他にも、ジェームス・テイラーの”Fire and Rain”を最初に気に入って録音したのもリヴァースだった。ということは、アメリカの70年代前半のシンガーソングライターブームの火付け役だったのも彼?

 リクエストでかかった”Swayin’ to the Music”の前に、75年にヒットしたのは” Help Me Rhonda”、いわずと知れたビーチ・ボーイズのカバー曲ですが、ここでは当時、廃人同様で隠遁生活を送っていて、本家ビーチ・ボーイズのレコーディングにすら参加しようとしなかったブライアン・ウィルソンがバックボーカルで参加していたことが話題になりました。

Funky_kings_funky_kingsGlenn_frey_the_best_of             

 “Swayin’ to the Music”も、70年代半ば、西海岸でジミに活躍していた多くのバンドの一つ、ファンキー・キングスの曲を彼風に取り上げたものでした。ちなみにそこには、イーグルスの”Peaceful Easy Feeling”その他、グレン・フライのソロの曲をほとんど共作しているジャック・テンプチンがいました。

 そんなジョニー・リヴァース、現在、髪の毛は真っ白になりましたが、いい感じで年齢を重ねていて、今でもライヴをこなしているようです。

 それにしても、「ポップ・ミュージック・マスター」のウェブサイトにリクエストメッセージが掲載されていますけど、リクエストした愛知県のプロフェッサー・ハリーさんって、やっぱり「あの人」なんでしょうねえ。名古屋の克也さん番組でのリクエスト採用数の記録を誇る彼も、克也さんが去ってしまったし、克也さんにリクエストが読まれたのはなんと5年ぶりみたいです。さぞ喜んでいることでしょう。うっしっし。

 (克也さん、ありがとうございます!!!)

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