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2007年9月28日 (金)

Boulevard of Broken Dreams

American Idiot

  グリーンデイだと思うでしょう? ところがどっこい。

 モバHo!導入でレギュラーで聴けるようになったもう一つの克也さん番組、DJ Koby’s Radio Showもネタにしていきましょう。

 922日にアーカイヴされたのは、トニー・ベネット。

 本年81歳。

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  去年80歳を記念して製作されたアルバム、「デュエッツ」でトニーと一緒に歌ったのは、 バーブラ・ストライザンドが一番、活動期間の長さ、音楽的ジャンルが近いとして、ほかはみんな畑違い。ベテランでは、エルトン・ジョン、ポール・マッカートニー、ジェームス・テイラー、 スティービー・ワンダービリー・ジョエル、エルヴィス・コステロ、スティング、ボノジョージ・マイケル90年代以降のスターでは、ディクシー・チックスK.D.ラング、ティム・マグロウ、セリーヌ・ディオン、マイケル・ブーブレ、ジョン・レジェンドなどなど。

 普通この手の企画なら、オケが最初にとられ、それが互いに顔を合わすことなく、別々のスタジオでヴォーカルを入れたものを編集で繋ぎ合わせる。80年代のポール・マッカートニーがスティービー・ワンダーやマイケル・ジャクソンとやったやつ、似たような企画だとフランク・シナトラの生前のデュエット・アルバムもそうやって作っていた。

 ところがトニーはこの製作では、デュエット相手がいるところなら、東海岸、西海岸、イギリス、ヨーロッパ、「追いかけます、お出かけならば、どこまでも」のザ・ベストテン生中継方針を貫いた。長年バックはこの人たちとしかやらないというラルフ・シャロン・トリオを引きつれ、アーティストのいる場所に押しかけて、オケを最初にとるやり方ではない、生演奏をバックに録音するという昔ながらのスタイルで作った。彼はコンサートでも、語りかけと歌を交える特徴がありますが、それがそのままCDで再現されている。”Stevie, wonderful”みたいなシャレを交えた掛け合いとか。デュエットパートナーに選ばれた若手たちは、こんな録音の仕方は初めて、と新鮮さに緊張したという。

 そう、彼は昔からスタイルを変えようとしない。

 そのスタイルは、一度は音楽業界から見放された。でも最近、なぜかまた求められ始めた。

 ペリー・コモのテレビショーからスターダムに登った彼。音楽の師匠はデューク・エリントンなど。すごい世代だ。

Tony_bennet_american_songbook  60年代には一年にアルバム3枚発売のペースを続け、ヒット曲も量産した。

 代表曲はなんといっても「想い出のサンフランシスコ」でしょう。

 ところが、ロックが全盛になり、音楽も多様化してきた70年代、彼のスタイルは時代遅れとなり、レコード契約も切られてしまう。

 この時期、私生活でも泥沼離婚を経験し、麻薬漬けになってしまった。この時期のことについて、彼は語りたがらない。

 それでも、子供にとってのよい父親として手本にならなければならないとの意識から、麻薬からは抜けられたという。

 そして90年代、スタイルは変わらないまま、再び脚光を浴びることになります。

 93年の、フレッド・アステアのカバー「ステッピン・アウト」ではプロモーションビデオに初挑戦し話題となり、アルバムもヒットし、若い世代のファンを開拓した。

 また少し時期はこれより後になりますが、ロッド・スチュアートの「アメリカン・ソング・ブック」三部作の成功など、その他もロックアーティストがトニーの世代の曲をカバーしたり、またマイケル・ブーブレやジョシュ・グローバンなど、トニーと同じジャズっぽい「クルーナー」を自称する若いアーティストが出てきたことも追い風になったのでしょう。

 95年にトニーは「MTVアンプラグド」に出演しCDも発表、グラミーの最優秀アルバム賞も受賞し、ますます若い世代のファンを獲得しました。

 80歳を超えて発表した「デュエッツ」からも判るとおり、若い世代からのリスペクトも並々ならぬものがあります。

Tony_bennet_in_the_studio  そんな彼、現在はニューヨーク、クイーンズ地区の自分の育った地域を一望できる高層マンションで、40歳以上年下の恋人スーザン・クロウさんと、趣味の絵を描きつつ悠々自適のようです。まさに「グッド・ライフ」(彼の代表曲の一つです)なんでしょうね。

 そうそう、それで、Boulevard of Broken Dreamsとは、1950年のトニー・ベネットのデビューヒットなのです。もちろんグリーンデイのものとは同名異曲。でも歌詞には同じフレーズが数箇所あります。グリーンデイのやつは、このトニーの曲ではなく、それ以前、1930年代にそういうタイトルの映画だか小説だかがあってそこからインスパイアされたのだといっていますが、トニーのその曲も結局出所は同じ、ということなのでしょう。

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2007年9月21日 (金)

Going to a Go-Go

モバHO!を導入してから毎週日曜朝聴けるようになった「ポップ・ミュージック・マスター」。

 たった4曲だけど、いい曲がかかりますね。特に4曲目のリクエストは皆さん結構わがままに渋い曲を出していますね。

 916日にかかったJohnny Rivers “Swayin’ to the Music”

Johnny_rivers_slim_slo_slider  77年の今頃のヒットで、歌詞の一番のバックにコオロギか何か、虫が啼いている効果音が入っていて、季節的にもぴったり。虫の鳴き声に風流を感じるのは日本特有の文化で、世界の大多数の人はノイズとしか捉えない、なんて話もありますけど、必ずしもそうではないことが分かります。

 克也さんは彼の登場の頃の話、ウィスキー・ア・ゴー・ゴーの話をしていて、やっぱりジョニー・リヴァースといえばそのイメージが強いんですけれど、かかったこの曲は彼としては晩年期の、最後のヒット曲ともいえる時期のものですね。

 彼のキャリアは長い。

 彼は強運の持ち主なのか、節目節目に大物の助けを借りることが多い。

 1958年に、ディランと同じようにニュー・ヨークにわたって音楽活動を開始した彼。川が多いルイジアナ出身の彼に「リヴァース」という芸名を与えたのは、「ロックンロール」という言葉の発明者であるとされるアラン・フリードだという説もある。ジョニーとロック自体、義兄弟の関係?

 ニュー・ヨークで失敗してナッシュヴィルに渡って、そこでのデビューを支援したのはハンク・ウィリアムスの未亡人だった。

 そこでも泣かず飛ばず、ロサンゼルスに本拠地を移して、彼の曲が知人を通してリック・ネルソンに取り上げられ、まず作曲家として売れ始める(リック・ネルソンについては、ちょっとですけどこちらを)。でも彼はそれ以降、ほとんどカバー曲のヒットで有名になります。

 ロサンゼルスのイタリアンパーティで、出るはずだったバンドのヴォーカルが何かの理由で出演できなくなり、客席に偶々いたリヴァースが壇上に上がり、役を奪い取ってしまい、評判が広まります。

Johnny_rivers_at_the_whisky_a_go_go  そんな彼の演奏を、ジャン&ディーンのマネージャーだったルー・アドラーが観て感激し、オープンが予定されているライブハウス、ウィスキー・ア・ゴー・ゴーでライヴを録音してレコード化する案を提案します。

 64年、サンセット大通りにできたこのディスコ兼ライブハウスは、その後、南カリフォルニアから出てくる、バーズ、バッファロー・スプリングフィールド、ドアーズ、ヴァン・モリソンなんかを売り出す伝説の聖地になります。66年にスモーキー・ロビンソン&ミラクルズがヒットさせ、82年にローリング・ストーンズがライヴ盤からシングルカットした”Going to A-Go-Go”もここでうまれた「ゴーゴーダンス」のことを歌っているんですね。その伝説の場所を最初に有名にしたのがリヴァースということになります。Rolling_stones_still_life_2

Smokey_robinson_the_miracles_ultima

Johnny_rivers_a_touch_of_gold  彼の最初のシングルヒットは”Poor Side of Town”という綺麗な曲で、これはクレジットはリヴァースとアドラーの共作ということになっていますが、実は本当の作曲者は当時アドラーの下で見習いをしていたジミー・ウェッブだったというのが定説になっています。それ以降のリヴァースは、ちゃんとウェッブをクレジットした上で彼の曲を好んで多く取り上げ、グラミーの最優秀楽曲賞に輝いた「恋はフェニックス」は実はグレン・キャンベルの前にリヴァースがオリジナルでレコーディングしていて、ヒットしたグレンのものはそれにそっくりでした(ジミー・ウェッブについてはこちらを)。

 James_taylor_sweet_baby_james 他にも、ジェームス・テイラーの”Fire and Rain”を最初に気に入って録音したのもリヴァースだった。ということは、アメリカの70年代前半のシンガーソングライターブームの火付け役だったのも彼?

 リクエストでかかった”Swayin’ to the Music”の前に、75年にヒットしたのは” Help Me Rhonda”、いわずと知れたビーチ・ボーイズのカバー曲ですが、ここでは当時、廃人同様で隠遁生活を送っていて、本家ビーチ・ボーイズのレコーディングにすら参加しようとしなかったブライアン・ウィルソンがバックボーカルで参加していたことが話題になりました。

Funky_kings_funky_kingsGlenn_frey_the_best_of             

 “Swayin’ to the Music”も、70年代半ば、西海岸でジミに活躍していた多くのバンドの一つ、ファンキー・キングスの曲を彼風に取り上げたものでした。ちなみにそこには、イーグルスの”Peaceful Easy Feeling”その他、グレン・フライのソロの曲をほとんど共作しているジャック・テンプチンがいました。

 そんなジョニー・リヴァース、現在、髪の毛は真っ白になりましたが、いい感じで年齢を重ねていて、今でもライヴをこなしているようです。

 それにしても、「ポップ・ミュージック・マスター」のウェブサイトにリクエストメッセージが掲載されていますけど、リクエストした愛知県のプロフェッサー・ハリーさんって、やっぱり「あの人」なんでしょうねえ。名古屋の克也さん番組でのリクエスト採用数の記録を誇る彼も、克也さんが去ってしまったし、克也さんにリクエストが読まれたのはなんと5年ぶりみたいです。さぞ喜んでいることでしょう。うっしっし。

 (克也さん、ありがとうございます!!!)

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2007年9月 9日 (日)

1985

映画のお話です。

Music_lyrics  「ラブソングができるまで」”Music and Lyrics”

  この映画については何か書かなくちゃ、と思っていました。

 ところが、全国ロードショー公開期間は忙しくて、行こう行こうと思っていたらいつの間にか終わっていた。

 先月、地元にある、全国公開は終わったけれどいい映画を続けて見せてくれる小さな映画館で上映していて、それは見ることができました。

 ところがもうつい先日、DVD発売、レンタル解禁になってしまいました。

 そこで、これからDVDなどで見る方たちのために。

 なぜ書かなくちゃいけないかと思ったかといいますと、音楽と関係していることも勿論なんですが。

 やっぱり前に観た映画と重なってしまって。

 その映画の宣伝ビラだかビデオパッケージだかに、克也さん自身のキャッチコピーとして「観てごらん。こりゃまるで映画版ベストヒットUSAだ!」なんて載っていました。

Wedding_singer  ちょうど10年前の「ウェディング・シンガー」という映画。

 劇中で出演者が演奏する曲も、バックで流れていたトラックも、80年代ポップスノンストップといった感じでした。

 プロダクション的には全く関係ないみたいなんですけど、イメージがやたら被ります。

 80年代ポップスがテーマであることも然り、話の筋立て然り、主演女優も同じドリュー・バリモア。主演男優も、前者がアダム・サンドラー、今回はヒュー・グラント、別人ですけど気のせいかそっくりに見えます。

 「ウェディング・・・」は、ロックスターを夢見ながらも結婚式に招かれてその場を盛り上げるしか仕事がないシンガーと、式場にアルバイトに来た女の子、互いに婚約者がいながらも今一つ踏みけれないまま出会い、お互いが気になる存在になって。。。というストーリーでした。

Debbie_gibson_greatest_hits Tiffany_greatest_hits             

「ラブソング・・・」はその逆で、80年代に全盛を誇った「ポップ」というグループのリーダーだったアレックス・フレッチャー。「あの日とは今どこに?」状態で、場末の遊園地のショーで歌っていたり、テレビから、80年代スターバトルの企画を持ち掛けられたり。これ、かつてのスターたちが歌い競うのだと思いきや、ティファニー、デビー・ギブソン、フロック・オブ・シーガルス、フランキー・ゴース・トゥ・ハリウッド、ビリー・アイドルなんかが本当に殴りあって勝ち残った一人が一曲だけ歌えるというナンセンス企画。

Billy_idol_rebel_yell  そういえばビリー・アイドルは「ウェディング・・・」の重要な場面で自身が出演していました。

 この「ポップ」というバンド、80年代半ばのイギリスからいっぱい出てきた「ニュー・ロマンティック」とか言われていた、先鋭的なオシャレ、アイドル性とニューウェーヴ的音楽性を掛け合わせていたグループのステレオタイプなんですけど、僕が見たところ、A-HA、カジャグーグー、グラスタイガー、ロマンティクス辺りがモデルになっているような気がします。

Aha_hunting_high_and_low Kajagoogoo_too_shy            

 アレックスが場末のショーで「ケアレス・ウィスパー」そっくりの曲を歌う場面もあり、これも大笑いです。

 ところが、「ブリットニー・スピアーズとクリスティナ・アギレラを足してもそれ以上に凄い」現在の大スターのコーラが、かつての「ポップ」の大ファンだということで、新曲の作曲をアレックスに依頼してきた。他の作家との競争があるので数日で仕上げろとの注文つきで。

Shakira_oral_fixation  このコーラは、シャキーラか、ビヨンセ辺りがモデルでしょうか。シャキーラは映画のなかでコーラの友達としてでてくるのですが。今のヒップホップっぽい女性アーティストのステレオタイプとして面白い。

 アレックスは作詞家と喧嘩別れしてしまいますが、部屋の花飾りを届けに来たソフィーと話していて作詞の才能があることを発見、強引に頼み込んで共同作業で曲作りをはじめます。

 お決まりで、お互いを意識する関係になり。。。

 二人で “Way Back into Love”という曲を作り、コーラもそれを気に入り採用が決定します。

 ところが、コーラスが綺麗なバラードとして作った曲が、イントロにラップが入れられて、コーラが凝っている東洋的なメロディ、リズムも加えられたヒップホップに変えられてしまう。アレックスは、採用されたんだからそれでもいいと考えますが、ソフィーは、これでは曲のよさが伝わらないと怒ってしまい、それが原因で仲違いをしてしまう。

 ソフィーがかつて、作家と不倫関係にあって、それを題材にしたホンがベストセラーになっていた、なんて話も絡んできて。

 それでもソフィーが仕事の上以上の人生のパートナーとしても重要な存在だと気付いたアレックスは、彼女に捧げる曲を書き、それをゲストで招かれたコーラのコンサートの大観衆の前、ソフィーたった一人のためだけに歌う。「ウェディング・・・」でアダム・サンドラー演じる結婚式座興シンガーが飛行機の中でそうしたように。そして、アレックスとコーラのデュエットで演奏された”Way Back into Love”のアレンジはどうなっていたか。。。

 この作品、今の時点での「映画版ベストヒットUSA」第二弾と言っていいでしょう。

America_here_now  音楽を監修したはFountains of Wayneのアダム・シュレシンジャーで、”Way Back into Love”も彼の書下ろしです。エンディングテーマは、前回もチラッと出てきた「名前のない馬」のアメリカの”Work to Do”、これもシュレシンジャーのプロデュースで、かなりいい出来と見ました。

Bowling_for_soup_a_hangover_you_don  タイトルの一曲”1985” Bowling for Soup3年前のヒット曲。

 「ニルヴァナの遥か前に、ブルースも、U2も、マドンナも、ヴァン・へイレンも、デュラン・デュランも、ワムもいた。みんなMTVを見ていた。あの時の彼女も二人の子持ち。

でもまだ19歳の気持ちのまま、1985年にしがみついてるから」

 暦年をタイトルに入れた曲, “Summer of ‘69”とか”65 Love Affair”とか60年代が圧倒的に多かったんですけれど、いきなり85年を歌う曲が出てきたときにはちょっとした感慨がありました。

 そう、このとき青春時代を送っていた人は今40代で、克也さんもいつのまにか”When I’m 64”が未来形でなくなっちゃったもんなあ。

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