« 2007年9月 | トップページ | 2007年11月 »

2007年10月25日 (木)

Higher and Higher

ワールド・カフェ・ライブまたまた地味なライヴリポートです。

リタ・クーリッジを観てきました。

ここ5年、毎年この時期になると日本を回っているようです。私もここで観るのは4年ぶり3回目。

1945年生まれの62歳。南部テネシー州出身、チェロキー・インディアンの末裔、いろいろな背景から「デルタ・レディ」と渾名されます。

60年代後半からバックヴォーカリストとして活躍、ジョー・コッカーやクラプトンにも見出されます。

Stephen_stills_stephen_stills スティーヴン・スティルスの、ヒッピー運動のテーマソング”Love the One You’re With”

(隣にいる娘とやっちゃえ)のバックにも参加していました。レオン・ラッセルと「スーパースター」を共作し、カーペンターズよりも先に録音したのも彼女。レオンもそのものずばり「デルタ・レディ」という曲を書き彼女に捧げています。

Leon_russell_st クリス・クリストファーソンと、74年から80年の間、結婚していました。

そんな多彩なキャリア、多様な音楽性を誇る彼女、以前に見たライブではインディアンの民族音楽なども取り入れていましたが今回はなく、ジャジーな雰囲気に終始していました。

1, Hallelujah I Love Him So

   彼女が以前からよく歌っていたレイ・チャールズの曲からスタート。

2We’re All Alone

   以前ならば終盤かアンコールの盛り上げ時に出てきたこのナンバーがいきなり二曲目。

そう、ボズ・スキャッグスのあの曲です。

 ところが、アメリカでは作者のボズのものはシングルヒットしていません。ヒットしたのはフランキー・ヴァリのものと、そしてトップ10に入れてこの曲をもっとも有名にしたのは実はリタなのです。彼女が最もノッていた1977年、日本でAORといわれたおしゃれなポップスのブームともあいまって彼女の代表曲になりました。「みんな一人ぼっち」という誤訳邦題で出てしまいました。ボズの「二人だけ」の方がいいですね。

 去年の映画「ホリディ」のテレビCMにも使われていました。映画も見ましたが中では使われておらず関係ありませんでした。

 最近、日本向けに今までのレパートリーをジャズ風にアレンジしてセルフカバーしたCDを出したようで、よく知られたバージョンではなくジャズっぽいアレンジで。

 以降ジャズのスタンダードが続きました。

3、 Come Rain or Come Shine

40年代の「セント・ルイス・ウーマン」というミュージカル映画で使われた、ダイナ・ショアやトミー・ドーシー・オーケストラの演奏で有名な曲。

4、 Late Again

 本夫のクリス・クリストファーソンの曲を必ずどこかで一つ入れます。今回はこれでした。

5I Thought about You

 またジャズのスタンダードに戻って、ペギー・リーの曲。

6Cry Me a River

  ジャスティン・ティンバーレイクではありません。クライ・ミー・ア・リヴァーといえばジュリー・ロンドンですね。

7Sentimental Journey

  松本伊代ではありません。しかし作詞の湯川れい子さんは、タイトルはこのスタンダードからいただいた、そして伊代の二曲目はプレスリーのあの曲から、と明言していらっしゃいましたが。やっぱり、ドリス・ディですよね。

8, Born under a Bad Sign

 このあたりでジャズっぽいのはいったん終わって、彼女のお馴染みの曲が始まりました。彼女の初期のアルバムで録音されていたウィリアム・ベル、ブッカー・T・ジョーンズのサザン・ソウルの曲。

9Fever~The Way You Do The Things You Do~ How Sweet It Is

彼女のファンにとってはおなじみの曲をメドレーでつなげました。Feverも彼女がずっと歌っている曲ですが、もともと彼女はどちらかといえばハスキーヴォイスですが、聞くたびに高音が苦しくなっていると思うのは私だけでしょうか。The Way You Do…は、彼女にとってWe’re All Aloneの次のシングルヒットで、テンプテーションズのカバー。ホール&オーツも85年、アポロシアターライヴ、そしてあのライヴエイドで、テンプスのオリジナルメンバー、エディ・ケンドリックスとデヴィッド・ラフィンをゲストに迎えて演っていました。そしてマーヴィン・ゲイ、ジェームス・テイラーでヒットした、同じモータウンの曲ということでうまく繋げていました。

Delta Lady: The Rita Coolidge Anthology

  10 Higher and Higher

最後は彼女の代表曲です。77年の今頃の大ヒットで、歌詞の内容とは関係ありませんが、やっぱり秋の澄んだ高い空を創造してしまい、毎年この時期に聞きたくなる曲の一つ。

やっぱりソウルのジャッキー・ウィルソンのカバーです。ヒットしたのはベースギターをメロディ楽器風に使って前面に出したアレンジでしたが、今回は例のジャズ・セルフ・カバー企画のアレンジで。落ち着いた雰囲気になっていました。

11 I’d Rather Leave While I’m in Love 「愛しているからさよならを」

一度引っ込んで、アンコールはこの曲でした。ピーター・アレン、キャロル・ベイヤー・セイガーのAORの名曲、彼女にとっては中ヒット。

Melissa_manchester_dont_cry_out_lou ピーター・アレン、キャロル・ベイヤー・セイガーといえば、アメリカではメリサ・マンチェスターの歌唱で78年に大ヒットした”Don’t Cry Out Loud”を、リタは同年、日本向けにシングルで発売し、当時赤坂局が恒例行事でやっていた「東京音楽祭」の最優秀楽曲賞受賞曲となり、彼女の日本での代表曲になってしまいました。その曲そのものではありませんが、アンコールは日本向けの選曲でしょう。

 秋の夜長の、カクテル片手の落ち着いたライブでした。

このコラムのバックナンバーを集めている「小林克也のRADIOBAKA 期限切れ遺失物移管所」が、使用しているニフティのブログ全体の入り口ページで紹介されました。こちら。テキスト版ベストヒットUSAだって。うっしっし。初心者にもわかりやすく解説、なんてできてるのかなあ? 本人が不思議がってどうする?

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年10月 5日 (金)

Rich Girl

この夏のヒットチャートを見ますと、僕はまだ現在の音楽をフォローしているほうでびっくりはしなかったですが、僕の(あるいはそれ以上の)世代の人が曲を聴かずにタイトルだけ見た場合、あれ、と思うような曲が少なくとも二つありました。Big Girls Don't Cry

Frankie_valli_4_seasons_anthology             

 一つはファーギーの”Big Girls Don’t Cry”.

  “Big Girls Don’t Cry”と聞けば、古いポップスファンが思い出すのはフランキー・ヴァリ&フォー・シーズンスの63年の大ヒット。

  ケーシー・ケイサムの番組では聴き比べをやってましたが、ほとんど半世紀の差は凄いですね。フランキーのファルセットに、単純なリズムと一発録りの粗さ。

Gwen_stephani_love_angel_music_baby  そしてもう一つが、グェン・ステファニの”Rich Girl”

 “Rich Girl”といえば80年代以降の人でもホール&オーツを思い出すんじゃないでしょうか?

 929日のDJ KOBYでもアーカイヴされたことですし、ちょっとリッチガールを掘り下げてみましょう。

 それでもこれは77年ですからもう30年前で、彼らにとって最初のDaryl_hall_john_oates_bigger_than_b ナンバー1ヒット。

 それ以前の”She’s Gone”, “Sara,Smile”みたいなモロブルー・アイド・ソウルから、70年代後半のポップな音作り、そして80年代、やりたいことを何でもやって大ブレイクするまでの狭間にあった感じでした。

Daryl_hall_john_oates_along_the_red  70年代後半、デヴィッド・フォスターをプロデューサーに向かえポップになっていく、彼らはこの時期を「失敗だった」と振り返ったそうですが。

 実は「リッチガール」と同じ77年にダリルはソロアルバムを作っていて、それがロバート・フリップのプロデュースでニュー・ウェーヴっぽくて、それまでフィラデルフィア・ソウルやブルー・アイDaryl_hall_sacred_songs ド・ソウルの流れで売っていたホール&オーツとあまりにもイメージがかけ離れているのでお蔵入りになってしまった。それでそのソロアルバムを出してもびっくりされないように、ホール&オーツとして徐々にポップロック色を強めたアルバムを出し続けて、それで80年、そのソロは「セイクリッド・ソングス」として日の目を見た。

 だとしたら、「失敗だった」といわれる前に「あの時期は一体なん だったんだ?」と思わずにはいられません。その時期の彼らが結構好きだった自分としては尚更です。Voices

 さて、その「リッチガール」には、一つの解釈、というか、この曲が大ヒットしたとき、かなりのアメリカ人が、「あの事件」のことを歌っているのだと思った、というのがあります。

 「パトリシア・ハースト事件」

 20世紀の初め、「新聞王」と呼ばれた、アメリカの活字ジャーナリズムの基礎を作り上げた人として歴史に残っているウィリアム・ランドルフ・ハーストという人がいて、パトリシアはその孫でした。当然。大金持ち。

 そのパトリシア、7423日、左翼過激派集団に誘拐され身代金を要求される事件が起こります。

 ところがその半年後、パトリシアはその過激派のメンバーになったとハースト家に肉声テープを送りつけ、メンバーとともに銀行強盗をした防犯カメラ映像が報道され全米を震撼させました。

 翌759月、激しい抵抗の末、逮捕されました。しかし76年から始まった裁判では「自分は洗脳されていた」と一転無罪を主張し始めましたが、陪審は有罪と判断し、懲役35年の判決が下りました。

 ところがこれに、名優ジョン・ウェインや、後の大統領、その当時カリフォルニア州知事だったロナルド・レーガンなんかセレブおれきれきが減刑嘆願書を提出し、刑期は7年に縮められました。当時のカーター大統領の恩赦と「多額の保釈金」によって77年、そのリッチガールの年には仮釈放の身になりました。

 意思に反して拉致されて最初は抵抗しますが、徐々に拉致した側の考え方に共鳴するようになり最後には積極的に行動を共にするようになるという現象を「ストックホルム症候群」というのだそうです。北欧でも似たような事件があったからそのように呼ばれるようになり、日本でもありました。映画にもなっているようですので関心があれば。簡単に探せると思います。

 確かに人間って、真っ白の部屋に閉じ込められていながら、何日も「お前は真っ黒の空間の中にいる」といわれ続けると、たいした日にちもたたずにそう思うようになってしまう動物なんだそうです(本当にそんな実験をした人いるのかな?人権問題だ)

 「金持ちのお嬢様、君はちょっとやりすぎたね。

  でもそんなこと、ぜんぜん構わないと思ってるんだろ。

  いざとなったら、おじいちゃんたちのお金を当てにできるからね。 

  そりゃずるいよ、でも、お金でなんでも自由になるってわけじゃないからね。

  欲しいものは何でも手に入る、でも、本当に一人になったらどうするつもりかい?

  どんなに突っ張ったって、強くはなれないよ、きっと」

 「やりすぎ」「おじいちゃんたちのお金」「一人になったらどうする」あたりがいかにも事件との関連を匂わせるのですが。

 確かダリルは否定も肯定もせず「曲は作って発表したら後はリスナーのものだ、自由に解釈していい」みたいなことを言っていたと思いますが、後にジョンははっきりと否定し「事件とは関係ない。身分の違いの恋の歌だよ」と言っていました。

 でも全く関係ないのはつまらないですね。ヒット曲からその当時の世相が分かるほうが面白いと思います。

 パトリシア・ハーストは今は母親で、映画に端役で出演するまでになっています。

 ホール&オーツとフィラデルフィアについても考察をめぐらせたかったのですが、長くなる前にこの辺で、またの機会に。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2007年9月 | トップページ | 2007年11月 »