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2007年11月30日 (金)

All by Myself

久々のベストヒットUSAネタかな。

最近はラジオ番組からもネタのヒントが取れるようになって、二番組だけでも、ラジオが聴けるようになったのは嬉しい。

で、1120日のベストヒットのリクエストコーナーでかかったエリック・カルメンについてです。

Raspberries_raspberries 克也さんがおっしゃっていた通り、まず70年代前半はラズベリーズというグループのリーダーで活躍し、”Go All the Way”などヒット曲をかなり放つ人気者になります。同じ時期にイギリスで活躍していたバッドフィンガーなんかと並んで、70年代のビートルズ・サウンドの後継者、見たいな扱いをされていました。

このラズベリーズ、今年は再結成して、全米を回っているようです。

Eric Carmen Music Eric Carmen

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そのラズベリーズも、結局リードヴォーカルであり作曲家でもあるエリックへの負担が大きくなりすぎて解散。それでも当時はアリスタ・レコードの社長だったクライヴ・デイヴィス(最近だったらサンタナなんかを復活させているやり手ですね)にとっては、エリックの作曲の才能を長い時間埋もれさせることなどもったいなく、すぐソロデビューをさせ、70年代にはAll By Myselfの全米第2位大ヒットを放ちます。

彼はもともとクラシック志望で、ラフマニロフの大ファン。All By MyselfLPバージョンは演奏時間が711秒もあり、ラフマニロフを彷彿とさせる長い長い流れるようなピアノソロが堪能できます。1110日のDJ Korbyの、「ラジオを救う音楽、長い曲特集」でもかかりましたね。

Eric_carmen_boats_against_the_curreShaun_cassidy_greatest_hits  70年代の末にかけてアルバムをコンスタントに出し、ヒット曲も「恋にノータッチ」「恋をくれたあの娘」「チェインジ・オヴ・ハート」など次々に出てきて、同じ時期にティーンエイジアイドルだったショーン・キャシディがエリックの「ザッツ・ロックンロール」「ヘイ・ディニー」を取り上げて大ヒットさせたりして、絶好調でした。

しかし、80年代の前半から半ばにかけて、レコード売り上げ面ではスランプの時期を迎えてしまいます。

Footloose (1984 Film)

その時期に光ったのは映画「フットルース愛のテーマ」あるいは日本では赤坂局の金10ドラ「金妻」(もちろん省略です)のテーマとして大人気だった”Almost Paradise”を作曲したこと。録音はラヴァーボーイのマイク・リノとハートのアン・ウィルソン、カナダのロックグループのリードヴォーカル同士の独立デュエットでした。エリックと共作したのは数多い「フットルース」のサントラのほとんどを手がけたディーン・ピッチフォード。

Eric_carmen_tonight_youre_mine そしてシンガーとしてのエリックを救ったのは、やはり映画、88年の「ダーティ・ダンシング」の中で「ハングリー・アイズ」を歌ったこと。

リクエストでかかった「メイク・ミー・ルーズ・コントロール」はそれで勢いを取り戻したエリックのフォローアップで、またまたピッチフォードとの共作でした。

Dirty_dancing_soundtrack ところで、そのエリックの「ハングリー・アイズ」とともに、「ダーティ・ダンシング」では、60年代のライチャス・ブラザースの片割れビル・メドレーと、「愛と青春の旅立ち」のテーマをジョー・コッカーと共に歌ったジェニファー・ウォーンズという二人のベテランをも復活させました。二人のデュエットの「タイム・オヴ・マイ・ライフ」が全米1位に輝きました。

その「ハングリー・アイズ」と「タイム・オヴ・マイ・ライフ」を作曲したのはフランク・プレヴィットというミュージシャン。

Franke_the_knockouts_sweetheart_col この人、ベストヒットの創成期の81年から82年にかけて、「スィートハート」という大ヒット、その他いくつかの中ヒットを放ったフランキー&ノックアウツというグループのリーダーでした。

これらすべての人たちを結びつけたのが、ジミー・イエナーという人でした。70年代から活躍していたプロデューサーで、ラズベリーズ、エリックのソロ、他にベイシティローラーズなんかも手がけていました。そして、そのフランキー&ノックアウツもイエナーの手で世に出されたのでした。

全盛期から何年かたって80年代も後半に入り、「ダーティ・ダンシング」の音楽を手がけるオファーがイエナーに来たとき、彼は昔の仲間たちを思い出し、エリックやフランクに電話をかけて呼び出して、それぞれ作曲と歌唱を依頼したのでした。

昔の上司との連絡を断ち切らないでおくと、何かいいことがあるかもしれませんね。

まだ話は終わりません。そのフランキー&ノックアウツはニュー・ジャージーをベースに活躍していたバンドで、後期のドラム担当はティコ・トレスでした。フランクがバンド活動を停止した後、ティコは、その時やはりニュー・ジャージーからブレイクしようとしていたバンドから誘われます。

Lost Highway

そう、ボン・ジョヴィです。

この後の話は必要ありませんね。

ボン・ジョヴィ、またまた近々来日があるようです。

どこの世界でも All by Myself 一人ぼっち、ではなく、人との縁で成り立っているのです。

しみじみ感じる今日この頃。本業では見放され人知れずもくもくと孤独に仕事をしていますが、子供のころからの憧れだったDJの王様、克也様にご縁あってお声をいただきこんな駄文を書いている私がいます。ははは。

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2007年11月15日 (木)

Sweet Baby James (part 2)

ノー・シークレッツ

   もう一回、113日のDJ.KORBYのジェームス・テイラーに関していってしまいましょう。といっても、今回もジェームスが中心でなくなりそうなんですが。

 彼の元奥さんのカーリー・サイモン。

 元旦那同様、70年代前半のシンガー・ソングライターのブームを支えた人でありました。女性としてはキャロル・キングと双璧?

カーリー・サイモンは、アメリカでも有数の大手出版社、サイモン&シャスター社の創設者兼社長の令嬢です。

番組7曲目にかかった”You’re So Vain”「うつろな愛」。これも誤訳邦題に近いかな。本当なら、「自分のかっこよさを意識しすぎてるあなた」といったほうが近い。1973年のナンバー1ヒットで、彼女の代表曲です。ジャネット・ジャクソンの”Son of a Gun”のサン プリングネタにもなり、カーリー自身も参加しました。

ALL FOR YOU

「うつろな愛」も”Son of a Gun”という囁きから始まります。

彼女は、恋多き女、でした。

この曲の歌詞に歌われている、思わせぶりに帽子で片目を隠し、パーティ会場にヨットの板状を歩いているような腰つきで入ってくる、ニューヨークのサラトガ(私自身が人生で一度だけ馬券を買った場所でもあります。日本ではやったことない)の競馬で持ち馬を簡単に勝たせてしまう、この曲も自分のことを歌ってると己惚れている男のモデル、つまりはカーリーの元彼は誰か、というのはポップス史上の最大の謎の一つです。

Kris_kristoferson_this_old_roadRolling_stones_some_girls 夫君のジェームス・テイラー (James Taylor) 、曲のバックヴォーカルにも参加していたミック・ジャガー(Mick Jagger)、俳優のウォーレン・ビーティ(Warren Beaty)、数回前に紹介した・クーリッジの夫君となる、ソングライター兼俳優のクリス・クリストファーソン (Kris Kristoferson),イギリスからシンガーソングライターブームに乗ってきたット・スティーヴンス(Cat Stevens)らの名前が、可能性として噂されていました。

Cat_stevens_greatest_hits 5年位前、この謎が明かされた、という噂が流れました。

克也さんは車に乗っていて、AFN-EAGLE810でしょうか、DJリック・ディーズがこのネタを話していて、その謎の男とは誰か、といいそうになった瞬間、車はちょうどトンネルに入り、結局誰だかわからず仕舞いだったという。

でもそれは、リック独特の時事ネタを下敷きにしたギャグだったのではないでしょうか? 実際は、まだわかっていないというのが本当のところでしょう。

この噂の元は、5年前、カーリーが、親類が経営する果樹園か何かの資金不足を助けるため、他言無用を条件にこの歌詞の秘密を知る権利、プラス目の前でプライベートライブを観る権利、を公開オークションにかけて話題になったことでしょう。

とんねるずのハンマープライスみたい。

結局その権利はカーリーの友人でもあるNBCテレビの大物プロデューサーが、確か500万ドルで落札しました。カーリーはその落札者とごく数人の友人の前でライブをやり、落札者に秘密を教えたそうです。

このとき、カーリーと落札者は記者会見を開き、「名前のどこかにeが入っている男性」と発表しました。しかしこれは、上の数人にはごらんの通り全員どこかにeが入っているので全く意味のないヒントでした。

更にカーリーは三年前くらいからヒントを小出しにして、「その男の名前にはaが入っている」、さらに「rが入っている」と発言しました。これらが正しければクリストファーソンとスティーヴンスは可能性がなくなったことになります。

そしてカーリーは「その男性とはマーク・フェルト(Mark Felt)よ」と発表しました。

しかしこれは冗談で、これはアメリカ現代史のなかのケネディ暗殺の陰謀と並ぶ最大の謎、ウォーターゲート事件でのニクソン政権からの裏切り内通者「ディープ・スロート」とは何者か?というのがあったんです。

政府からの圧力に屈せずニクソン大統領の悪事を暴くためのキャンペーンを張って有名になり、現在でも活躍中の、ワシントンポスト紙のボブ・ウッドワード記者が命名者で、その事件の過程を描いた映画で、ロバート・レッドフォードがウッドワード記者を演じ、相棒のカール・バーンスタイン記者をダスティン・ホフマンが演じていた「大統領の陰謀」の中でも、影しか出てこない人物でした。

これが3年前、事件当時にFBI副長官だったそのマーク・フェルトという人物だったと判明して話題になったんです。それがちょうど名前に e,a,rが入っているという条件を満たしていたので、カーリーは、同じ1973年の謎の男、という共通点もあり、話題に便乗して冗談を流したのですね。

ちなみにこの「ディープ・スロート」とは、わかる人にはわかる大人の英語です。

この「ディープ・スロート」の謎解明のニュースを、各局の夜のテレビのニュースではどこもいわゆる「女子アナ」といわれる人が読んでました。意味がわかっていたら決して女性に、しかも清楚なイメージで行かなければいけないアナウンサーには読ませられない言葉なんですけどねえ。結構「萌え」ました。

これらの話題を受けて、ウォーレン・ビーティは彼の方から「それじゃそれは俺の歌だ」と発言しました。しかしこれは一方的であまり信憑性がありません。
 というわけで謎はまだ続いています。まあ私は個人的にはミック・ジャガーだろうと踏んでいますが。

James_taylor_sweet_baby_james  “Mocking Bird”  “How Sweet It Is”  “Devoted to You”など、カバー曲で息のあったデュエットを聞かせてくれたジェームスとカーリーも83年に離婚。ジェームスのトリビュート・コンサートにも顔を出していませんでした。

 ジェームスはその後再婚して子供ももうけましたが、恋多き女性だったはずのカーリーの方はずっと一人みたいですね。

 またジェームスそのものの話題にはなりませんでしたし、カーリーと映画のことについても書きたかったことがあるのですが、またいずれ。

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2007年11月 5日 (月)

Sweet Baby James (part 1?)

Sweet Baby James

113日のDJ KOBYでアーカイヴされたジェームス・テイラー。

僕も大好きなアーティストなので思い入れはいろいろあるのですが。

まず、番組内でとんでもないポカがありましたのでそこからフォローしておきましょう。

ジェームス・テイラーがソロのシンガー・ソングライターとして大成功する以前に、幼馴染で、70年代の西海岸のスタジオで欠かせない存在となるダニー・コーチマーなんかと結成していたバンドが「フライング・マシーン」。

 一曲目にかかった彼の最初のヒット曲 Fire and Rainの中にも “sweet dreams and flying machines and pieces on the ground”なんて一節が出てくるくらいです。

Flying_machine_flight_recorder  そこでかかったのが、「フライング・マシーン」の “Smile a Little Smile for Me (Rosemary)” 邦題「笑ってローズマリーちゃん」。

 ところが、この「フライング・マシーン」は、ジェームス・テイラーのいた「フライング・マシーン」とは全く関係ないのです。

 確かにややこしくてよく間違える人がいるのですが、やってしまいましたね。

 「笑ってローズマリーちゃん」の方は、イギリスのグループですが、イギリス本国ではヒットせず、196911月にトップ10入り、そして日本でも70年代初め、いわゆる「洋楽ヒット」として大ヒットしました。

 これはこの当時流行っていた、録音のためにスタジオミュージシャンを集めた、実体のない幽霊グループの一つだったんです。ショッキング・ブルー、トニー・オーランド&ドーンも最初はそうでした。

 背後に、「ローズマリーちゃん」の作者であるトニー・マコーリーという大物がいました。

 この前後にも、Foundations “Build Me Up Buttercup”とか5th Dimension “Last Night I didn’t Get to Sleep at All”とか、「刑事スタスキー&ハッチ」をちょっと取り上げた時にも書きましたが、ハッチ刑事役のデヴィッド・ソウの「安らぎの季節」”Don’t Give Up on Us”とか、良質の本流ポップスを書いてヒットをいっぱい出していた人でありました。

 そのマコーリーが「ローズマリーちゃん」を演奏させるために集めた幽霊グループだったんです。

 ちなみにマコーリーはその次の仕事として、エディソン・ライトハウスという、やはり実体のないグループをでっち上げます。

 そのグループは70年に「恋の炎」”Love Grows (Where My Rosemary Goes)”という大ヒットを放ちます。ここにも「ローズマリーちゃん」が出てきていて、「笑って」の続編とも言えました。

 日本では、ベイシティ・ローラーズに3ヶ月だけいたけど、若さとはにかみで人気のあったパット・マッグリンがカバーしたことでも有名ではないでしょうか。

Tony_burrows_love_grows  このエディソン・ライトハウスでリードヴォーカルをとったのが、トニー・バロウズというスタジオシンガーで、この人はその後、この手の幽霊グループプロジェクトを渡り歩き、70年代のヒットチャートで、最も多くの異なるグループのリードヴォーカルでヒットを飛ばしたシンガー、という珍記録を作ることになります。

 エディソン・ライトハウス「恋の炎」に続いて、Brotherhood of Man の”United We Stand”。「ともに立ち上がれ」という曲、911同時多発テロの直後にも、よくラジオで流されました。

 他に、White Plains “My Baby Loves Loving” Pipkins “Gimmie Dat Ding”など。

 そしてもう一つ有名なのはファースト・クラスという幽霊グループの「ビーチ・ベイビー」。74年に突然現れたビーチ・ボーイズのパロディバンドという感じでした。

「ビーチ・ベイビー」の間奏のホーンセクションは、85年の、Strawberry Switchblade “Since Yesterday”の中でパクられています。

Bay_city_rollers_dedication  10年くらい前に、バハ・メンがカバーしてました。

 このように、本流ポップスを産業的に売るために作られ続けた一連の幽霊グループプロジェクトでしたが、この延長線上にベイシティ・ローラーズがいたのではないか、つまり、レコードでの演奏はスタジオミュージシャンがやり、客の前ではかわいい男の子たちが演奏しているフリをして女の子たちをキャーキャー言わせる、そんな流れが次に作られたのではないか、と個人的に分析しています。

James_taylor_and_the_original_flyin  ジェームス・テイラーの方のフライング・マシーンは、James Taylor & the “Original” Flying Machine”としてCDが再発されています。

 ジェームス・テイラーの話のはずだったのが大きく外れてしまいました。ジェームスに関する話題はまだまだ続きそうな気配ですので今回はこの辺で。

 TFMの大橋さん、プロフェッサー・ハリーって私のことですよー(*)

(*)11月第一週の「小林時々日記」より

11月は余分な仕事や遊びのスケジュールが入っててかなり忙しいので、
それに備えてちょっとだけラジオの「貯め録り」。
ふだんより多めのリクエストを紹介した。
TFMの大橋ディレクターが、
この人よくメールがくるんだけど、マニアですよねぇ、
でもツボをこころえてるんですよ、いい所へ球を投げてくるんで、
2回目だけどこの曲かけちゃいますかぁ?
名前を見ると「プロフェッサー・ハリー」、阿南東也だ。
ハハーン、名古屋にいるのによくチェックしてるなぁと
ちょっと嬉しい気分だったが、
日本有数のポップス博士だと彼には説明しなかった。
どうしてそんなエライ人がリクエストなんかしてくるんだ?とかきいてくるにきまってる。
だってどう答える?
「エライけど軽いんだ」?
プロフェッサー・ハリーのことは次回大橋君と飲みに行った時のネタにしよう。

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