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2007年12月26日 (水)

Same Old Lang Syne

クリスマス特番おつかれさまでした。

子供の相手もしなければならなかったし(選曲もNHK的に普通だと思ってしまったので)全ては聴けませんでした。すみません。

克也さんが番組内でおっしゃっていた、「世界が宗教だなんだで争っている現在、日本の、盆も正月もクリスマスもバレンタインも一緒に盛り上がる無宗教性、よく言えば縁起物ならなんでも受け入れる度量の大きさ、悪く言えばいい加減さは、今の世界に新しいモデルとしてもっと発信してもいいんじゃないか」という発言、あれは私の、911同時多発テロのあった2001年のクリスマスの時期の番組への投稿ネタですね。あの時のZIP HOT 100のオープニングトークでは、街のクリスマスの盛り上がりに、日本には元来関係ないお祭りのはず、騒ぎすぎ、みたいなことをおっしゃって(私も実はその部分には賛成なのですが)、それへの反論として書いた覚えがありますから、小生の考え方に同調してくださったのですね。光栄です。

前回、亡くなってしまったアイク・ターナーに関する徒然を綴り、そうしている瞬間にもまた惜しまれるアーティストの訃報が届いた、と書きましたが、やはりその人に関して一言申し上げて、本年最後のお勤めとさせていただきましょう。

ダン・フォーゲルバーグ。1216日逝去。享年51歳。若すぎる。

1956年イリノイ州ピオリア生まれ。

ちなみに話は全く外れますが、このピオリアという町だか村だか、何もないところなんですけど、なぜか最もアメリカらしい平均的な町の代表格として会話に用いられることがあります。

1973年、ウォーターゲート疑惑の真っ最中。ニクソン大統領は大統領執務室での会話を全て録音しており、それが大陪審の命令により、ニクソンが大統領特権で拒否した部分を除いて部分的に公開されました。その中でニクソンがこのピオリアという町の名前をやたら出していました。私がこういう発言をしたり、こういう政策を発表したらピオリアの人たちはどう思うだろうか、云々。

当時、A新聞ワシントン特派員だった筑紫哲也さん。いったいこの町に何があるんだろうと思って地図を広げて探してみたら、シカゴの近くにある何の変哲もなさそうな町。意外な感じもしたが、それでもニクソンがそれだけ言うのだからきっと何かあるに違いないと思い、ある日思い立って行ってみたら、やっぱり小麦畑しかないなんてことのないところだった。

結局のところ、大家族、農業、信仰心の深さなど古き良き時代の典型的なアメリカのライフスタイルを残していて、最も平均的でつまらない場所、しかし政治的には面積は広く人口も多く無視はできない中西部という地域を、何かのきっかけでこのピオリアという町がアメリカ英語で代表するようになったのではないか、ということでした。

筑紫さんも早くもっと元気になって完全復帰してくださいね。

閑話休題。

その最も平均的にアメリカ的な町で生まれたダンは、一言で言えば、男性版ジョニ・ミッチェル、とでも言ったらいいようなアーティストに成長しました。

彼は先ず画家を目指し、イリノイ大学に行っても絵画を専攻します。ミュージシャンになった後もアルバムの表ジャケ、裏ジャケ、中ジャケのどこかには彼自身が描いた絵を見ることができた。これもジョニそっくり。

しかし同時に、ギターを中心に、ピアノも、ヴォーカルも出来るマルチプレイヤーとしても才能を発揮し、大学時代から音楽活動を始めます。しかも叙情的で内政的な詩を多く書く。

ホーム・フリー(紙ジャケット仕様)

72年のデビューアルバム「ホームフリー」は、ローリングストーン誌のレビューで「まるで一人でクロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング(CSN&Y)をやっているようだ」と絶賛されました。

それはまだ彼が10代の頃に書いた曲の数々だったはず、ところが、例えばそのデビューアルバムの最後の収録曲「リバー」など、「僕の人生は心の痛みで流れる涙の川」なんてリフレインが続く、まるでこれから死んでしまうような、既にベテランの域に達していたような音作りでした。

Souvenirs

74年の二枚目のアルバム「アメリカの思い出」はまだイーグルスに加わる前のジョー・ウォルシュがプロデュース、ドン・ヘンリーやグレン・フライ、アメリカのジェリー・べックリー、そしてそのCSN&Yのグラハム・ナッシュなど有名どころがゲスト参加するようになり、「パート・オヴ・ザ・プラン」という最初のヒットも出て、西海岸サウンドを担うシンガーソングライターの一人として認められました。

ツイン・サンズ・オブ・ディファレント・マザーズ

78年には、ジャズフルート奏者のティム・ワイズバーグとの競演で、収録曲がほとんどインストロメンタルで、ウエストコーストロックとジャズの融合を目指した斬新なアルバムを発表します。タイトルがTwin Sons of Different Mothers(異母双生児)だって。ちなみにこの二人はその20年後にその続編のアルバムを発表しますが、その時のタイトルはNo Resemblance Whatsoever(顔は全く似ていない)で、笑ってしまいました。結構、二人とも馬面で似ていたのですが。更にちなみにやっぱりこの二人、名前からしてユダヤ系つながりだったんでしょうね。

Phoenix

日本で何かのテレビCMに使われた「ロンガー」、79年の「フェニックス」というアルバムから、そして81年の二枚組「イノセント・エイジ」あたりから大ヒットを連発するようになり、地位を不動のものとします。

イノセント・エイジ

「一歩間違えればさだまさし」と言った人がいるとかいないとか。アコースティックギターを基調とする、フォークロックが中心、それでも美しさの中に時に力強さも感じさせる、最後までスタイルを買えずに貫いた人でした。ライフスタイルも都会を嫌い、普段はコロラドの田舎にずっと引っ込んでいた人でした。環境保全や、原住民(インディアンですね)の文化の保護に関しても活動していました。

それでも、84年、「ランゲージ・オヴ・ラヴ」という曲で初めてビデオクリップを作って、ベストヒットで流れたときにはびっくりしました。彼はそういうことはやらないと思ってた。時代には勝てなかったのでしょう。

Windows and Walls

15年前にライヴを記録したDVDの中のインタで、「20年後も僕は変わっていないと思う。音楽と自然を愛せたことに感謝したい」と言っていた彼、その20年後を見ずに逝ってしまいましたが、その言葉通りの人生でした。

Live - Greetings From the West

Same Old Lang Syne「懐かしき恋人の歌」。そのイノセント・エイジから、彼にとっては「ロンガー」に次ぐ大ヒットでした。クリスマスイブに偶然昔の恋人と再会した、今は成功したミュージシャンの歌。おそらく彼の実体験でしょう。曲の最後に、トム・スコットのサックスソロで「蛍の光」のメロディが流れます。年末に発売されましたが単なるクリスマスソングの枠を超えたヒットになりました。「蛍の光」は Auld Lang Syne, 今の英語に直すとold long agoということで、そして、いつもながらの、という same old…を引っ掛けたタイトルになっています。

また、「蛍の光」の時期です。

克也さんご自身と並んでこのコーナーの最古参、この場を借りてこの言葉を言えるのが三回目。奇跡的に思えます。今年は自分も体調を崩して(ネタにも困って)穴を開けることもありましたが、お許しのいただける限りがんばりたいと思います。

「皆様、よいお年を!」

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2007年12月15日 (土)

I Want to Take You Higher

克也さんは、最近はビートルズに年末を感じてしまうという。

 ジョージの命日のジョンの命日がたまたま10日程度しか離れなくて、この季節になると克也さん自身でもビートルズ専門番組を持っていらっしゃる関係上、ご自分の番組でかけることも多くなるし、それでなくても追悼でラジオ、テレビからやたら流れるようになるからでしょうね。

 ビートルズもそうですが、私は同じ理由で、ファンク系に年末を感じてしまいます。

The Very Best of Booker T. and the MG's

 1127日のベストヒットUSAのタイムマシーンで取り上げられたブッカーTMGs。ドラマーだったアル・ジャクソンの命日に当たっていたということですが、彼は70年代に活躍するバーケイズというファンクバンドの創立メンバーになります。

Superfly (1972 Film)

 991226日に逝去したカーティス・メイフィールド。彼は本来はインプレッションズなんかに代表されるシカゴ(ノーザン)ソウルですが、私個人としては大ヒットした73年に大ヒットした「スーパーフライ」「フレディの死」なんていうファンクナンバーの印象が強い。

 言わずと知れた、去年1222日に逝去した、ゴッドファザー・オヴ・ファンク(ソウル?JB

Make It Funky - The Big Payback: 1971-1975

 そして本2007年には、1213日、アイク・ターナーがこの世を去ってしまいました。享年76歳。

Proud Mary: The Best of Ike & Tina Turner

 やはり彼には、以前にも書いた、ティナ・ターナーとの壮絶な結婚生活のイメージがついて回ります。

 彼が今年の1月に残している、彼の半生を顧みたような内容のインタヴューが興味深い。80年代半ば、ティナが全盛期だった頃、彼は不法薬物所持その他で囚獄されていた。

 それでも、彼は自分の人生に満足だ、といっています。半世紀近くミュージシャンとしてやってきて、作りたい音楽を作りたいように作ってきた。刑務所で過ごした時代も決して悪い思い出ではない。自分は特別扱いされていたようだ、と。

 それでも、質問がティナとの結婚生活のことに移ろうとしていることを察すると、「はい、インタの時間終わり」とさっさと切り上げてその場から去ってしまったそうです。

 彼女の自伝も読んではおらず、その映画化も観ておらず、周囲から聞いただけのようですが、自分の描写に不満で、彼女は一方的な被害者ではなく十分に暴力的だったという。

確かに映画にも、仏教に目覚めた後のティナが反抗する場面はありました。

 人間関係、特に結婚はとにかく難しい。

 このことも含めて、いずれにせよ彼は音楽の記憶と歴史に残る人でしょう。

 彼の作った音楽は、R&B,ファンクのファンからするとポップ、ロック色が濃すぎる、逆にロックから見ると黒すぎる、どうも両極端のコアなファンからは敬遠されがちだったようです。

 基本はブルースだ、といわれても、60年代前半、アイク&ティナとしてスー・レコード出て来たとき、”A Fool in Love”とか、”Shake a Tail Feather”とか、踊れるポップな曲で知られるようになった。

アルティマム・マキシマム

 ユナイテッド・アーティスツに移籍した60年代後半から70年代にかけて、ビートルズ “Come Together” ストーンズ“Honky Tonk Women” 、そして彼らを有名にしたクリー デンス・クリアウォーター・リヴァイヴァル(CCR)の”Proud Mary”と、積極的にロック畑の人たちの曲をカバーするようになる。このあたりが、そのような評価を生む原因になったのでしょう。

 しかし、アイクが同じ時期に最も傾倒していたのは、実はスライ&ファミリー・ストーンだったのではなかっただろうか。

Stand!

 “I Want to Take You Higher””Everybody People”なんかをオリジナルに近くカバーしていることからもそれが伺えます。

 そしてアイクは、スライが目指したファンクの新しい形、「ファミリー」に同調していたのではなかっただろうか。

 つまり、JBに端を発するR&Bからでてきたファンク、イコール黒人の男性アーティストの占有物、だったようなイメージを、スライは、ヒッピー・ムーヴメントの影響からか、バンドに白人や女性を入れてファミリーを作って、必ずしもそうではない、とでも言いたげな形を作っていた。アイクも、それを、夫婦、プラス女性バックコーラスのアイケッツ、という形でやりたかったのではなかっただろうか。

 繰り返しになりますが、壮絶だった私生活もさることながら、ミュージシャンとしても記憶と記録に残る人でしょう。

 現世より「高い世界」に行った彼に合掌。

 そして今週は、もう一人、ビッグなアーティストの訃報が入ってきました。アイクとはあらゆる意味で対極にいた人かもしれませんが。次回はその人の話になるかもしれません。

 メリークリスマス!

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2007年12月 4日 (火)

Billy, Don't Be a Hero

Home Music Home

アーティスト:Dixie Chicks
販売元:Sony
発売日:2002/08/27
Amazon.co.jpで詳細を確認する

124日のベストヒットUSAのオープニング、ディクシー・チックスのTravelin’ Soldiers

彼女たちの2002年のアルバム Home の三曲目。シングルとしてヒットした、”Long Time Gone,” フリートウッドマックのカバー”Landslide”に続いて収められていた曲でした。

ちょうど、ナタリーの反ブッシュ発言、トビー・キースとのガチンコ対決が始まる前で、アメリカとしてもいつイラク攻撃に入ってもおかしくなかった雰囲気の頃、やっぱりちょっとした反戦ソングでした。

女の子が、カフェで見知らぬ男の子から声をかけられた。話したい、と。

彼女は、もっと落ち着ける場所に行きましょう、といって埠頭に連れて行く。

彼は、これから出征するのだという。天涯孤独で手紙を書く相手すらいない。

だから僕は君に手紙を書いていたい、君に彼氏がいようがいまいがかまわない。

お願いだ。

それ以降、彼女は他の男の手は一切握らない。その旅する兵士の愛の帰りを待つ

もう一人じゃないんだから、と手紙で励ます

投函場所は、西へ西へ、カリフォルニア、ベトナムへと移っていく。

フットボールの試合会場で、祈りとアメリカ国歌が捧げられた後、

マーチが流されながら、ベトナムで勇敢に亡くなった人たちの名前が読み上げられた。

多くの名の中に、誰も気づかない男の名前が混じっていた。

紙にリボンを巻いた一人の女の子を除いて。。。

Bo_donaldson_heywoods_the_best_of この曲をアルバムで聴いて以来、よく似ているなと思っている曲があります。

パクリと言う意味ではなく、内容が、です。

1974年、のナンバー1ヒット、イギリスのボー・ドナルドソン&ヘイウッズの”Billy Don’t Be a Hero”です。

The marchin' band came down along Main Street The soldier blues fell in behind

鼓笛隊が表通りを行進し、その後から兵士の一隊が続いてくる
I looked across and there I saw Billy  Waiting to go and join the line

見渡したら、ビリーがいた。その隊列に加わろうとしている
And with her head upon his shoulder  His young and lovely fiancée

若くてかわいいフィアンセが並んで、腕を組んで頭を彼の方に寄せていた
From where I stood I saw she was cryin'  And through her tears I heard her say

彼女は泣いているように見えた、そして涙から、こう言っているように聞こえた
Billy, don't be a hero, don't be a fool with your life

「ビリー、英雄になんかならないで、戦争なんて馬鹿げたことで命を粗末にしないで
Billy, don't be a hero, come back and make me your wife

ビリー、ヒーローになんてならずに、帰ってきて私と結婚して」
And as he started to go she said, Billy, keep your head low

彼が隊列に加わったとき、彼女はこう言った「ビリー、銃弾に当たらないで

Billy, don't be a hero, come back to me

英雄になんてならなくていいから、帰ってきて」


The soldier blues were trapped on a hillside  The battle raging all around

部隊は山の中で囲まれて身動きが取れなくなった、周囲では激しい戦闘が続いている
The sergeant cried, We've got to hang on, boys  We've got to hold this piece of ground

軍曹は泣き叫んだ、「諸君、頑張るんだ、この陣地は死守しなければならない
I need a volunteer to ride up And bring us back some extra men

応援部隊を呼ばなくては。誰か行ってくれる者はいないか?
And Billy's hand was up in a moment  Forgettin' all the words she said

ビリーは挙手してしまった。その瞬間、彼女が言ってたことを忘れてしまっていたんだ
Billy, don't be a hero…
「ビリー、ヒーローなんかにならないで。。。」


I heard his fiancee got a letter  That told how Billy died that day

フィアンセは手紙を受け取った。ビリーはその日、いかにして戦死したか綴られていた
The letter said that he was a hero  She should be proud he died that way

彼は英雄だった、彼の死を誇りに思ってくれ、と手紙にはあった

I heard she threw that letter away ...

彼女は、すぐ手紙を投げ捨てたらしい。。。

Paper_lace_other_bits_and_material  もともと、イギリスのペイパーレイスというバンドがオリジナルで、そのペイパーレイスはアル・カポネの「ヴァレンタインデーの大虐殺」を題材にした”The Night Chicago Died”「シカゴが死んだ夜」というN0.1ヒットがあります。アメリカでは奇しくも、ボー・ドナルドソンの「ビリー。。。」が一位になった翌週で、そのオリジナルの「ビリー。。。」は「シカゴ。。。」のB面でした。

 ディクシー・チックスのTravelin’ Soldierは最後に荘厳なマーチが流れます。「ビリー。。。」もイントロとアウトロが明るいマーチです。というか、「ビリー。。。」は内容を知らないで聴くとすごく明るい曲に思えます。

 ディクシー・チックスの方ははっきり「ベトナム」といっているのに対して、「ビリー。。。」は何の戦争で死んだのかは明らかではありません。しかし時代を考えて、誰もがベトナムを想起したことは想像に難くありません。

 戦死は英雄の名誉ではなく「馬鹿なことの結果の無駄死に」であり、戦死者の訃報は額に入れて壁に飾るものではなく、「投げ捨てる」ものなのです。

 来月から予備選挙が始まり本格化する大統領選挙。各候補は党派を問わず、イラクへの介入の長期化は失敗だったという前提で戦っているようです。イラクで混乱が続いている現状もさることながら、アメリカ兵の多くが命を落としているという事実において。

 ベトナム直後と現在、音楽からもわかるように、国全体の雰囲気も似通ってきているのではないでしょうか。

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