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2008年1月25日 (金)

Nobody Wins

アメリカ vs. ジョン・レノン ジョン・レノンは誰に殺される?<モーション・ピクチャー・サウンドトラック> 映画を観ました。

 「ピースベッド-アメリカvsジョン・レノン」です。

 この映画をレビューするには勇気が要りますね。ジョンは色々な側面を持っている人、衝撃的な暗殺で夭折してしまった人。それゆえに、多くの信奉者がいっぱいいる。僕なんか書く資格がないほうで、僕より詳しい方もいっぱいいらっしゃるでしょう。

 それから、この映画は音楽と政治がクロスオーバーしている映画。僕自身、趣味(最近そうでなくなってきているという噂もありますが)で音楽にのめり込み、仕事で政治にちょっと携わっている人間としてはジョンという人物に対して微妙な立場にならざるをえません。

 それでも何とか、思い出話を含めて、僕なりに面白おかしく論じてみようと思います。

 結論から言って、僕にとってのジョンとは、あくまでもミュージシャンであり、ロックンローラーであり、作詞家であり、作曲家であるのです。全てにおいて天才的に優秀な、です。

 克也サンがらみの昔話で、かつて、ZIP HOT 100の晩年期に、「ザ・クイズ」というコーナーがありました。一時間おきにキーワードを一つずつ発表し、三つ揃ったら答えを考えて電話で回答するというもの。記念すべき第一回目の正答者が私。たった一人しかいなかったので戦利品独り占め。グッチのサングラス、重宝しています。

オール・シングス・マスト・パス 〜ニュー・センチュリー・エディション〜  問題は、1時間目「ジョージ・ハリスン」2時間目「ポール・マッカートニー」3時間目「リンゴ・スター」というものでした。

 克也さんが「答えはビートルズではありません」と断っていたにも拘らず、共通点で、「ビートルズ」という誤答が多かったのですが、僕は順番に着目して、「齢の若い順」と答えました。これが正解だったのです。当時まだジョージも存命でした。

 ところが捻くれ者の僕は、もう一つ、オタッキーな答えを思いついていました。

 それは、「ビートルズ解散後ソロでアメリカのチャートで一位を獲得した順」というやつです。

ラム  ジョージが「マイ・スィート・ロード」で70年、ポールが「アンクル・アルバート~ハルゼー提督」で71年、リンゴが「思い出のフォトグラフ」で73年。ジョンは一番遅く74年の暮れ、親友エルトン・ジョンとやった「真夜中を突っ走れ “Whatever Gets You Through the Night”」というやつです。

 Some Time in New York City/Live Jam  個人的には、ジョンはやっぱりこの頃、7475年あたりが一番音楽家として成熟していて、70年代前半の、ラディカリズムを音楽を通して訴えようとしていた時期も一段落し、実によかった、と思っています。

 そしてその頃はちょうど、そのアメリカ合衆国との長かった戦いに一段落がついた時期にもあたります。合衆国永住権、グリーンカードを手にした頃。ジョン曰く「グリーンという割にはブルーだね」。

 それまでの戦い。 

 ジョンはヨーコに出会う以前から、反体制的な気質は十分にあった。でもやはりヨーコとの出会い、その思想に触れたことで、過激な愛、平和を説くようになった。

 克也さんは去年のニューヨーク取材で彼女に長いインタをしたばっかり。日記に、彼女の存在がビートルズ解散に拍車をかけたわけじゃない、彼女の登場のはるか前から人間関係がおかしくなる兆候は見えていたんだ、みたいなことを書いておられましたが。それは僕もそうだと思うのですが、別の意味から、ヨーコの存在はビートルズに変化をもたらしたと思っています。ビートルズとファンとの関係です。

 ビートルズがあれだけ世界的なブームを起こせたのは、音楽性は言うに及ばず、彼らのアイドルとしての「中性性」だと思うのです。四人とも、ストーンズなんかに比べれば遥かに大人しく、男らしくなく、可愛らしさがあった、かといって女性的でもなく男性の立場から曲を作っている。そんな、セックスを感じさせない雰囲気が、男性にも女性にも支持されて、それだけ多くのファンを獲得できた一因であったのではなかったかと思います。

 そこにヨーコが登場した。それまで、メンバーが誰と結婚していようとも付き合っていようとも、プライベートから来る生活臭は一切排除し、四人が完全な四角形を作っていた。その中にヨーコが入り込み、レコーディングの最中でもジョンとチュッチュするシーンを見せ付けられて、ファンは否でも応でもセックスの存在を意識させられた。そこからファンのビートルズ像は、そこを認めていくか、排除していくかに分かれていってしまったのではないかと思うのです。

 いずれにせよ、左翼運動家とも関係するようになり、自らも運動を起こし、ビートルズ解散直前、カナダの二箇所で、この映画の邦題にもなった有名な、公開ベッドインによる平和の訴え、など過激な示威行動を行い、映画にも証言者として登場し、ジョンの曲のタイトルにもなった、「ブラックパンサー党」の白人版である「ホワイトパンサー党」党首、逮捕された新左翼活動家ジョン・シンクレアの釈放を訴えるコンサートを開いたりした。

これに対して当時のニクソン政権は、クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングの「オハイオ」に歌われたケント大学での反体制学生運動弾圧事件のように、ヴェトナム反戦、反政府運動が頭痛の種だった。ジョンの行動が若者に及ぼす影響に恐れをなし、FBIは盗聴も含めたジョンの活動の監視を執拗に行い、ジョンの名前は新左翼行動家としてブラックリストに載り、100ページ以上もの行動記録書が作成された。

ジョンはパラノイア(僕のことじゃありませんよ)になり、「俺とヨーコに何かあったらそれは事故じゃない」とまで言うようになった。72年にアメリカ移民帰化局は、過去のイギリスでの大麻保持を理由にジョンとヨーコに国外撤去命令を出す。しかしこれにもジョンは屈せず、その大麻所持自体が不当逮捕だったとし、頑として立ち退かず徹底抗戦を構える。

ニクソン政権のヴェトナム政策、カンボジア侵攻への反対運動とも絡み、ジョンの運動も大きな支持を得るが、72年の大統領選挙で(この人も多分パラノイアだったんでしょう)ニクソンが再選されたことにより政権やFBIのジョンへの関心は緩み、合衆国最高裁もジョンの国外撤去の理由を不当と判断したため、ジョンは念願の「案外青い」グリーンカードを手にすることができた。。。

John Lennon/Plastic Ono Band 話は戻りますが、僕はどうも、解散直後の「ジョンの魂」あたりの、彼のラディカリズムをもろに音楽に投影しようとした一連の作品群、音楽の新たなあり方を模索した斬新な試みであったことはよくわかりますが、どうも音楽そのものとしては好きになれません。それに比べて、このアメリカとの戦いが一段落したあとのジョンの作品、「真夜中・・・」とか「夢の夢」とか、企画ものとしての「ロックンロール」アルバムなど、実に円熟していい音楽だったと思ってます。

Rock 'n' Roll

ところがそんなさなか、ジョンはショーンの育児に専念するための休業、主夫宣言をしてしまい、ファンをヤキモキさけます(俺もやりたいヨー)

Milk and Honey ヨーコとの関係も新たな段階を迎え、ショーンに言われた「パパってビートルズだったの?」のいとことで一念発起しミュージシャンとして復帰、80年、「ダブル・ファンタシー」を発表。評価が分かれた作品でしたが、僕は「ウーマン」「ビューティフル・ボーイ」ウォッチング・ザ・ホィールズ」だけで名盤だったと思っています。「ダブル・・・」はジョンとヨーコの曲が交互に収録されていましたが、ジョンの曲だけ抜き出してカセットテープに録音して聴いていました。当時、そうやっていた人、少なくないと思います。ラジオでアルフィーの坂崎幸之助さんが同じことをやっていると言っていてニヤっとした思い出があります。

ところが、発売直後、128日、あの悲劇が起こった。その時も実はFBIエージェントが遠巻きに見張っていたがあえて何もしなかった、というのは本当か?

ジョンはそういう結果になってしまい、その遥か以前にニクソン大統領は不名誉な辞任をした。この戦いは、誰が勝ったのだろう?

というわけで、映画の邦題は「ピースベッド」が前面に出てきてしまっていますが、原題の「ジョン・レノン対アメリカ合衆国」のほうがしっくり来ます。

映画は資料映像と関係者インタで淡々と続きます。ここで本職に戻っちゃいますが、音楽映画としてもさることながら、60年代後半から70年代のアメリカ社会を知る意味で広くお勧めしたい。ウォーターゲート事件に関係したニクソン政権からゴードン・リディ、ジョン・ディーン、それを暴こうとしたジャーナリストのカール・バーンスタイン、ウォルター・クロンカイト、72年民主党大統領候補ジョージ・マクガバンなんかが証言しているところをぜひ見てもらいたい。

といってももう上映期間はほとんどのところで終わってしまっているでしょう。すぐDVDで出るでしょうから是非。

というわけで、やっぱりいまだにヨーコさんの本質を理解できていないためか、あまり好きになれていないハリー教授のレビューでした。

The Fox Nobody Wins  ジョンの親友だったエルトン・ジョンがジョンに捧げた曲としては「エンプティ・ガーデン」が有名ですが、実はエルトンがジョンの死で最初にインスパイアされて作った曲は、81年「フォックス」というアルバムからのこの中ヒットだったのではないかと思うのです。ヨーロピアンディスコみたいな曲でした。

映画に登場したジョージ・マクガバン。選挙で戦ったニクソンよりも長生きしています。ビル・クリントンはこの人の選挙運動に参加したことで政治の世界に足を踏み入れました。そして今年は、その奥さんが・・・候補者選びの予備選挙ではかなり接戦を強いられていますが、もし以前の下馬評のとおりになったら・・・改めて「ジョン対アメリカ」の勝者は、誰だったのだろう?

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2008年1月11日 (金)

Anammy Awards 2007

成人の日も終わり、調子が狂った年末年始も元通りになってきたころでしょうか?

 アメリカン・ミュージック・アウォードが一ヶ月前に開催され、各業界紙の年間チャートも年末に発表され、本家グラミー賞を一ヶ月後に控える現在、私阿南東也(あなみはるや)が勝手に個人的に好きだった音楽を独断と偏見で振り返る、権威も何もない「アナミー賞」の発表が今年もやってまいりました。

 この場をお借りして三回目。ZIP Hot 100の年間チャート時に読んでいただいていた時代は遠くなりにけり。

 克也さんは、DJ KOBYの昨年末の放送でアメリカのラジオのフォーマットについていろいろおっしゃってました。私も何度かここでも書いていますが、私のラジオ生活とはインターネットのストリーミングでアメリカのラジオを聴くのが中心です。今年は夏に危機的状況がありましたがその後いろいろ裏技サイトも出てきて何とか持ち直しているようです。

同じフォーマットでも局ごとに選曲に傾向があってラジオ局めぐりが本当に楽しいのですが、僕が聴いている割合は、HOT ACAAA 三割、アダルトヒッツ(708090年代)三割、AC二割、オールディーズ一割、アーバンAC一割、といった感じでしょうか。以下のノミネートもこの僕の傾向をモロに反映してしまうでしょう。

     最も気に入ったシングル曲

Hey There Delilah

1、 Plain White T’s “Hey There Delilah”

  去年はこの曲でした。やっぱり僕みたいにかなり前から音楽を聴いている人だと、この曲に何か感じるものがあるんじゃないでしょうか。素朴で、バックはアコギの2フィンガーピッキングでずっと流れる。このあたり僕なんかはポール・サイモンを思い出してしまいました。

  デライラとは実在の女性で、今年のオリンピックに向けて強化選手にもなった陸上選手だという。ヴォーカル、ギターのティム・ヒガーソンは、当時コロンビア大学に通っていた彼女と共通の友人を通じて知り合った。彼女に何か感じるものがあり、君のために曲を作るよ、と約束してその場は分かれた。3年くらいたって偶然再会して、あのときの約束はどうなったの、と聞かれて、それで改めてそのときの想いを思い出して曲を作ったという。

 彼らの2005年のアルバムに入っていた曲ですが今年のアルバムでボーナストラックに入っていたので火が付きました。

The Black Parade

2、 My Chemical Romance “Welcome to the Black Parade”

これは中ヒットでしたが印象に残りましたね。クラシック調からだんだんハードになっていって、スケールの大きさを感じた曲でした。これも古い音楽ファンならクィーンの「伝説のチャンピオン」に通じるものを感じた人も少なくないのでは。ビデオも、気味悪さ半分、かっこよさ半分でよかった。

FutureSex/LoveSounds

3、 Justin Timberlake “What Goes Around…Comes Around”

R&Bから一曲、ジャスティンではちょっと違和感があるかもしれませんが、アメリカン・ミュージック・アウォードでもR&B男性アーティスト部門で大活躍したし、去年はヒット曲も多かったので。この曲のコーラスの高音部も、ちょっとフィラデルフィア・ソウルを思い出してしまいます。

☆最も気に入ったアルバム

Long Road Out of Eden

1Eagles “Long Road Out of Eden”

  ははは、やってしまいました。この人たちが出してきた以上、僕としてはここにきてしまいます。

 79年の「ロング・ラン」が最後のオリジナルアルバムとすると28年ぶり、CD2枚組。

なんか音としては「ホテル・カリフォルニア」以前、「オン・ザ・ボーダー」あたりのカントリー・ロックに戻ったみたい。シングル「ハウ・ロング」は”Already Gone”そっくりです。というか、この曲自体、実は彼らにとっては新曲ではなくて、70年代前半からライヴでやっていたレパートリーで、それを改めて録音したんですね。この曲でカントリーチャートに入り、記録を作りました。同一アーティストが最も長いブランクを経て復活した、というものです。イーグルスがこれ以前にカントリーチャートに入ったのは76年の”Lyin’ Eyes”「偽りの瞳」で、31年ぶりというわけです。曲を作ったのはJ.D.サウザー。イーグルスは、ジャクソン・ブラウンをはじめ、スティーヴ・ヤング、ジャック・テンプチンなど、西海岸で多くの新人作曲家を発掘しましたが、発掘される前のJ.D.の曲だったというわけです。

Daughtry

2Daughtry “Dautghtry”

 過去二年、ニッケルバック”All the Right Reasons”がここ辺りに入ってきていて、実は去年も彼らはそれで引っ張った。実に息が長い。でも今年は敢えて外してみました。その代わり、去年一年は、ニッケルバック・リスペクターというか、クローンというか、似たような傾向のロックが結構出ていたような気がする。ヒンダーしかり。そして極めつけはやっぱりドートリーでしょう。”Home”  “It’s Not Over”とヒット曲も多かった。彼らは、ニッケルバックに似ているといわれることは、誇りに思っているそうです。それだけ成功したグループだし、自分たちの目標であるからだ、と。

It Won't Be Soon Before Long

3,  Maroon 5 “It Won’t Be Soon Before Long”

  あまり難しく考えず、このあたりをよく聴いていたということですね。”Makes Me Wonder” ”Wake Up Call”なんかが好きだったし。

☆最も頭の中をグルグル回った曲

Rhianna “Umbrella”

リアンナちゃんはポン・デ・リプレイ以来、一年ごとにその夏のテーマ曲を作っているような気がします。「エラ・エラ・エー・エー・・・」というコーラスは、やっぱり頭の中に残ります。去年までも、頭の中をグルグル回った曲でノミネートされていましたが、今回はちょっと意味合いが違います。この曲あたりから、彼女はなんか実力派として大化けしそうな雰囲気を感じてきました。「スーパースターになった私だけど、まだあなたは私の心の中の人、私の傘の中に入って甘えていいのよ」なんて、本当に彼女にそういう存在がいるのだろうか。うらやましい。

     特別賞

「おしりかじり虫」

「最もくだらないと思った曲」賞は今回は該当なし(ZIP-FMを聴かなくなったせいか?)。そのかわり、「マツケンサンバ」以来、この部門が復活。

子供がいて、一緒にテレビを見ていると、こういうのにも詳しくなってきます。このキャラクター自体が、「ダメおやじ」の漫画に出てきた虫と似ていて盗作問題が持ち上がっているそうですが、この曲、リズムは Prince “When Doves Cry”にクリソツ、と思っているのは僕だけでしょうか。

     最も気に入ったビデオクリップ

The Best Damn Thing

1、 Avril Lavigne “Girlfriend”

  新婚の彼女が何役もこなして、曲の元気さが出ていてよかったですね。地味な女の子と派手な女の子のボーイフレンドの取り合いで、ちょっとしたストーリーもあった。

オール・ザ・ライト・リーズンズ

2Nickelback “Rock Star”

  ここら辺には出てきてもかまわないでしょうね。同じアルバムで3年間引っ張ったニッケルバック。

 僕がおそらく今までで一番好きな音楽ビデオは、Godley & Crème “Cry”なんでしょうけど、このロックスターのビデオがちょっとそのコンセプトをちょっと引きずっていたということで。セレブが矢継ぎ早に出てきて口パクで歌う。そういえば”If Everyone Cares”のビデオも、マイケル・ジャクソン”Man in the Mirror”から頂いているような気がしました。

2008年、今年はどんな曲にめぐり合えるのでしょうか。

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2008年1月 5日 (土)

Bandstand Boogie!

 あけましておめでとうございます。

 この連載を読んでくださっている奇特な方々には初めての年賀。本年もこんなんですがよろしくお願いいたします。

 克也さんには二度目です。

 なんと今年は、克也さんと同じ場所で新年の瞬間を迎えることができました。

 「ベストヒットUSA年越しROCK時間生スペシャル」に幸運にも参加できたのです。

 こいつああ春から縁起がいいぜ!With_katsuya_smaller_2

 

 大晦日の新幹線はガラガラでした。夜九時に原宿駅に降り立ったら、既に明治神宮に二年参りに向う人たちでごった返していました。

 克也さんにも久しぶりにお会いできたので、2時間前に局入りなさった克也さん、甲斐さんに御挨拶。

 私は実は過去に、外部委託専門家として某公共放送局に一年間ほぼ缶詰状態でドキュメンタリー番組製作の手伝いをした経験があり、その折にも大河ドラマの撮影スタジオとか頻繁に見せてもらったりしていて、そういう番組作りの裏側は結構知っているほうなのですが、音楽番組の生放送の現場は初めてでした。

 克也さんの日記を拝読し、ラジオもそうなのかと思ったのですが、その公共放送にはとにかく多くの人がひとつの番組にかかわっていると思いました。

 それに比べて今回のベストヒットUSAは、公開といっても観衆は100人、ライブ会場をもっと小さくした感じ、こぢんまりとした感じ、現場の人も思ったほど多くなく、何度か参加したことのあるラジオの公開放送の規模をやや大きくした感じでした。

 それでも、いくら生放送でも、本番前にはほとんど出来上がっていなければいけないのはどんな番組製作でも同じこと。それまでに多くの方々が準備に携わっています。

 そして克也さんはオーケストラの指揮者。ミュージック・マスターですね(笑)。オーケストラの指揮者の仕事は、実際にタクトを振る瞬間まで90パーセントは終わっている。その最後の10%の仕上げをするのが本番。

 (いい意味でも悪い意味でも?)克也さんは凄いお方だ、という事実を今更ながら確認できた生放送でした。

 本番までの二時間の間、そのあと六時間流れるビデオを早回しで確認する。スタッフの方が作ったそのビデオ、アーティストに関する情報の細かい台本が用意されていたのですが、本番ではそこからのネタは最小限に抑え、ほとんどご自分の経験話で番組を作ってしまう。スケベなスティーヴィー・ワンダーとか、”Bang a gong”=ズッコンバッコンとか、深夜ならでは、しかし正月であることを考えるとちょっと?な裏話も飛び出す。

Brothers in Arms

 視聴者クイズ、このCGキャラクターが使われているビデオのアーティスト、曲名は?しかし当の克也さんが一瞬、曲名が出てこなかったみたいですね。それでも、「ほら、見ろよ、あのオカマ、MTVでギターなんか弾いちゃって、指に豆作っちゃって、あんなの仕事じゃねえよ、あんなんで大金持ちになれるんだったら俺もギターかドラム習っとくんだったな、俺たちはあのオカマの冷蔵庫とカラーテレビを動かすために汗水たらしてんのによ」と、歌詞の内容でつないで番組を作ってしまう。

アビイ・ロード

 観客に向けてのジャケットクイズの第一問。「アビー・ロード」が逆さまだった。あれは意図してやったのかな?それとも。。。いずれにしろ、何も不自然なことなく番組を進行させてしまう。

グレイテスト・ヒッツ

 九州のアレステッド・ディヴェロプメントと電話でつないで新年の瞬間へのカウントダウン、でも向こう側はわかってなくて勝手に別のことをやっていたみたい、でもそれも生放送らしくていいかも。

 スタジオに来ていた皆さんは私と同年代、やや下がほとんどで、みんな音楽が大好きで,年越しの瞬間にこの場所に居たいと思ってた人たちだったということ、進行への参加の仕方や盛り上がり方でひしひしと伝わってきました。

 あっという間の6時間でした。スタッフの皆さんもそういっていました。来ていた人たちもきっとそう思ったのでは。投稿にあったけど、視聴者の人、来場者のみんな、来年もやってほしい、できたら恒例行事にしてほしい、って思ったんじゃないでしょうか。

 終了後、スタジオはすぐに元に戻されて、兵共が夢の跡。皆さんと軽い打ち上げをして、出たのが朝6時。もう明治神宮はその時間から、賽銭を投げられるのは正午になってしまうという。元旦6時台の下りの新幹線は全席満席、7時の一番最初のやつがかろうじて取れました。その朝、なんと品川-新横浜間で富士山を見ることができ、右に一富士、左に初日の出という、なんか凄い光景を見ることができて、これも得した気分でした。私はたぶん新幹線を利用する回数は並じゃないと思いますが、品川から見たのは初めてで、一番見えやすいはずの新富士-静岡間でも見えるときより見えないときのほうが圧倒的に多い。それがそんな光景を見ることができるなんて。今年はいい年になってほしいな。

 克也さん、甲斐さん、杉田さん、川岸さん、番場さん、井黒さん、本当にありがとうございました。本年もよろしくお願い申し上げます。

Tryin' to Get the Feeling

 Bandstand Boogie,アメリカの最も代表的で長寿だった視聴者参加番組、アメリカン・バンドスタンド。ディック・クラークが1956年にフィラデルフィアでスタートさせて、ディックのDJでそのときのヒット曲のレコードを書けながら、参加者をステージに上げて踊らせる、ゲストに演奏させて、やはり踊らせる(ほとんど口パクだったらしいから、結局同じことか)。バリー・マニロウがその番組に敬意を表して50年代風の曲調で、「歌の贈り物」のアルバムで発表したのですが、そのすぐ後、そして番組が終了する89年までオープニング、クロージングテーマとして使われました。

 今でも、名場面を集めたThe Best of American Bandstand という番組があるようです。

 最も成功して大金持ちになったDJ、アメリカン・ミュージック・アワードも作ったディック・クラーク。僕のアメリカのミュージシャンでの唯一のメル友(?)グレッグ・キーンはバンドスタンドには一度だけ出演したことがあるそうですが、最近になって、飛行機の中で偶然この二人は居合わせて、グレッグがディックに近寄ったら、ディックのほうから「ジェパディのグレッグ・キーンだろ。バンドスタンドに出てくれた人は一人も忘れない」と握手を差し伸べてきたそうです。

 ベストヒットUSA81年から始まり、89年からいったん中断、それから克也さんの自主制作シンジケート番組時代を経て、現在はBSでの全国放送、と形を変えてきていますが、長寿からいけばもう少し(?)でバンドスタンドの記録に追いつけるかも。がんばってみては?

 次回は恒例、アナミー賞の発表かな?

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