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2008年2月22日 (金)

New York is a Woman

半分ベストヒットネタ、半分ライヴリポートです。

219日のスター・オヴ・ザ・ウィークのゲスト、スザンヌ・ヴェガ。

123日にあったライヴに行っていましたので、それともあわせて。

彼女が8年ぶりに出してきた新譜は、”Beauty and Crime”「美しさと犯罪」

Suzanne_vega_beauty_and_crime_3

ベストヒットでのインタで言っていたとおり、スパニッシュ・ハーレム育ち、生粋のニューヨークっ娘である彼女が、そのニューヨークの、前衛さと危険さの二面性を表現した。特に前作ができた直後に911事件があり、その後に沸いた故郷に対するいろいろな思いがテーマだという。

ご存知の方も多いでしょうが、ニューヨークの都市部は、その他の地域に住んでいる人にとっては、あんなとこアメリカの代表だと思われちゃ困る、あんなとこ大嫌いだ、という場合が多い。超大国アメリカの本質は、日本の26倍ある巨大な田舎、なんですね。

それにまつわる個人的な経験から来るエピソードは枚挙に暇がないのですが、また機会があれば。

世界を代表する大都市、国際政治、経済、前衛芸術の中心、でも人口人種構成は複雑で、不衛生、犯罪発生率高い、そういう否定的なイメージも付きまとう。

911事件とは、そんな嫌われ場所のニューヨークで起こった、しかしたとえ一時的でもアメリカ全体の愛国心を高揚させ一致団結を促した、そんな皮肉も含んでいたわけです。

しかし、90年代の上向き景気にも後押しされ、衛生改善と警察力増強を前面に掲げて成功したジュリアーニ市政の御蔭で、汚い、怖いニューヨーク、というイメージは大幅に改善されたようです。

そして任期切れギリギリに911事件が起こり、その収拾にも指導力を発揮したジュリアーニさん。今年の共和党大統領候補の筆頭という下馬評でしたが、作戦ミスしましたね。早い時期に行われる州の予備選には力を要れず、フロリダなど、少し後に行われるけれども一挙に代議員を多く獲得できる州で挽回しようとした。ところが、マスコミが注目する早期に予備選を実施する州で勝った候補の勢いに、結局乗り遅れてしまった感じでした。残念。

閑話休題。

他の地域からは嫌われようとも、そこで生まれて育てば故郷への愛着は並ではない。

スザンヌがインタで、ニューヨーク以外だったらどこに住みたいかと訊かれたら、ロンドンか東京、と言っていた。よくわかります。都会っ子は最後まで都会を望むのですね。

 ビリー・ジョエルが、活躍した時期の背景の微妙なズレもあるのでしょうが、アメリカ全体から見たニューヨークの位置づけの変化を歌うことが多かったのに対し、スザンヌは、そこの生活そのものを等身大で観察した内省的な作品が多い、そこに大きな違いがあったと思います。音楽的には、ニューヨーク・パンクのパティ・スミスの洗礼を受けたジョニ・ミッチェルのフォーク、とでもいったところでしょうか。

 さて、123日のライヴ。例によって小さなライヴハウスで、オールスタンディングです。

 オープニングは彼女一人だけで出てきて、あの「トムズ・ダイナー」を口ずさみ始めました。

 「ルカ」でブレイクしたセカンドアルバム”Solitude Standing”「孤独」に収録されていた、もともとは全くの無伴奏、コーラスなしが印象的だったあの曲。日本でもコマーシャルのバックに使われた。

 歌詞の「コーヒーを注いでくれるのをじっと座って待つ」時にはバックのメンバーがポットを持って登場し「新聞を広げて、名前も知らない俳優が死んだニュース、つまらないから漫画欄を見よう」という時には新聞を広げながら登場し、「傘の水を切ながら女性が店に入ってきた」時にもその通りの仕草で登場し、一人ずつ揃っていく、粋な演出でした。

 全員揃ったところで「マレーネの肖像」。ファーストアルバム「街角の詩」からのデビューシングル、音楽専門誌から「ニューヨーク・フォーク界の新星」と華々しく紹介された曲でした。

 三曲目がニューアルバムから”New York is a Woman”.実はアルバムタイトルのbeauty and crimeというフレーズが出てくるのはこの曲で、事実上のタイトルナンバーといえるでしょう。美しさと罪が並存しているニューヨークはまさに女性そのもの、か。わかるようなわからないような・・・

 その後、ベストヒットでも新曲としてビデオが流れた、シナトラとエヴァ・ガードナーの物語、”Frank and Ava”

バックが引っ込んで彼女一人になってギター一本の弾き語り、ロッド・スチュアートの「マギー・メイ」へのアンサーソング”I Don’t Wanna Be your Maggie May”。つまり、ロッドの元歌は、少年(つまりロッド)と年上の女性との、初の大人の恋愛の曲ですが、「そんなに甘えさせないわよ」と。

映画「プリティ・イン・ピンク/恋人たちの街角」に提供した”Left and Center”

ニューアルバムから”Angel’s Doorway”。これが彼女が動じた初テロ事件に最も触発されて書いた曲だという。映画「ワールドトレードセンター」のような、事件で被害にあったものの生還して帰宅する話。

同じく”Pornographer’s Dream”。エロ小説作家の夢だといわれる女優とは、どんな女性なんだろう。

Suzanne_vega_tried_and_true などなど、いろいろ考えさせられる曲が続いて、やっぱり盛り上がりは「ルカ」。

彼女の代表曲ですね。87年にアメリカで3位。児童虐待の問題を扱ったことで有名。

ヒューイ・ルイス。シカゴとのダブルヘッドライナーで来日します。当時のベストヒットでのインタで、克也さんとともに軽い一曲レベルの商業主義に走っていた当時の音楽界を嘆き、「70年代にあったコンセプト・アルバムみたいにアルバム全体でひとつのテーマを追求することがなくなり、一曲一曲がばら売りになるのはビデオの普及のせいだ。「ルカ」をやったスザンヌみたいに、真面目なことをやる人が一人くらいいなければ業界ごとまるっきりダメになる」といっていたのを思い出します。

そして最後、「トムズ・ダイナー」がもう一回、今度はさらにおなじみのD.N.A.のバージョンがバックバンドとともに再現されました。

これは思いがけなく、「孤独」から4年後の91年、イギリスのスタジオチームのD.N.A.によって、もともとはスザンヌの声しかなかったこの曲自体をサンプリングネタにしてバックを加え、ヒップホップ調に仕上げたもの。

これは、原曲の素朴な雰囲気を大切にするならぶち壊しに近い行為ですが、実は一番喜んだのはスザンヌ本人で、積極的にシングル発売を働きかけたのも彼女自身だという。御蔭でこの曲は5位になる、彼女にとっては「ルカ」に次ぐ大ヒットとなり、便乗したりミックスバージョンもいくつか並んで出てきました。

ここが一番大音量になりましたね。そして大団円。

終了後、サイン会があって、またミーハーしている私としては機会を逃しませんでした。既に持っていて持ち込んだベスト盤、そして気になってその場で買ったニューアルバム、そしてローディーに頼み込んで譲ってもらったスザンヌ用セットリスト(僕は結構集めています)にサインを入れてもらいました。

そのセットリスト、曲ごとに、彼女のギターの何フレット目にカポタストを当てるか、それが数字で入れてあって面白いです。アンコールは、フロアからのリクエストにも答えられるように、柔軟に何曲も上げてあります。

やっぱり、体と頭で聴くライヴ、といった感じでした。

「ニューヨークは女」ならぬ、今話題の半分の「ニューヨークからの女」。落下傘候補ですが。

来週の今頃には、文字通り「雌雄が決している」のでしょうか。

Suzanne_vega_setlist

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2008年2月14日 (木)

Where Have All the Flowers Gone?

どなたでもご存知の歌ではないでしょうか。学校の音楽か英語の時間にも出てくるような。

THE NEW FRONTIERS sing THE KINGSTON TRIO  古いフォークソングですね。曲を書いたのはピート・シーガー。ピーター、ポール&マリーが演奏しているのを聴いて、キングストン・トリオが録音,それで広く世に知られるようになりました。1962年のこと。

 そのキングストン・トリオのメンバーだった一人が、天に召されました。ジョン・スチュアート、2008119日逝去、享年68歳。

 現在なら同姓同名のテレビコメンテーターが人気のようですが、僕にとってはあくまでも、ジョン・スチュアートといえばミュージシャンのジョン・スチュアートです。ちょっとの時間ですが会話したこともあるんですから。

 キングストン・トリオといえば、フォークのルーツ的存在。56年に「トム・ドゥーリー」という大ヒットがありました。実在した、南北戦争のときに南部側に従軍していたミュージシャンの話。戦争が終わったあと、何人かの女性と関係を持ち、結婚もしますが、その相手が刺殺されてしまった。その相手に最後に会っていた人物としてトムは嫌疑をかけられ、逃亡するが捕まってしまい、証拠不十分のまま絞首刑にされた。

 “Hang down your head Tom Dooley, Hang down your head and cry…”

ジョンがキングストン・トリオに参加したのは61年からですからこの曲とは直接にはかかわっていません。

 ジョンが参加したあとの「花はどこへ行った?」の大ヒット。その後のヴェトナム反戦運動のアンセムになります。

 そしてジョン・スチュアートといえば、モンキーズのナンバー1ヒット、「デイドリーム・ビリーヴァー」の作者でもあります。ジョン自身も何度か録音していますが、みなモンキーズとはだいぶイメージが違うもの、やはりギター一本のバックのフォーク調のアレンジ、彼の野太い低い声で渋いです。

John_stewart_lonesome_picker_rises_  70年代、シンガーソングライターブームの中で、”California Bloodline” “Lonesome Picker Rises Again”などという、その筋では名盤と評価されているアルバムを発表しますが、セールス的には表舞台に立っていたというわけではありませんでした。

 そんな彼がソロとして大ブレイクしたのが79年。

 当時全盛期だったフリートウッドマックのリンジー・バッキンガJohn_stewart_bomb_away_dream_babiesが彼の大ファンで、彼のプロデュースを買って出ます。私生活での行き詰まりを超えて音楽上でのパートナーであり続けると決心したスティーヴィー・ニックスとともに全面的にバックアップし、”Bomb Away Dream Babies”というアルバムを発表します。それまでの彼の音楽性とは外れた、洗練された、当時流行のフリートウッドマックの音に彼の野太い声が乗っかった感じ、でもこれが最大のヒットとなり、” Gold”というソロとして唯一のトップ10ヒットも生まれます。

The Best...So Far  同じ79年、アン・マレーが「デイドリーム・ビリーヴァー」をカバーしたり、日本でも確かカメラのテレビCMにモンキーズのオリジナル曲が使われて俄かブームが起こり、当時は引退して競馬騎手になっていた元メンバーのデイヴィー・ジョーンズが鳴り物入りで来日したりしていました。

 ちなみに、デヴィッド・ボウイの本名がデヴィッド・ジョーンズで、彼がその名前を変えなければならなかったのはこのデイヴィー・ジョーンズがいたからでした。閑話休題。

 そんなこんなで、79年、ジョン・スチュワートは結構儲けた年でした。

 僕がそんなジョンに会えたのは2001年の早春。今のブッシュ大統領が就任した頃でした。

 小さな会場でライヴをやってくれました。

 バックは一人もいない、彼の声と12弦ギターだけ、僕が今まで観た中でももっともシンプルな構成。

 観客も数十人しかいないし、コアなファンしか来ていない。そのこじんまりさを活かして、フロアからのリクエストにどんどん応えるなど、渋いながらもアットホームなライブでした。

 僕はフロアから”Gold!”と叫びました。「へえ、君たちはGoldを知ってるのか」といいつつ、12弦ギター一本のみでのアコースティックな”Gold”をやってくれました。これは彼の基本に戻ったアレンジですね。

 最後は「デイドリーム・ビリーヴァー」、「今の魂のない音楽に満足してるかい?」と話しかけつつの弾き語りでした。

 ライヴのあと、サインをねだりに行きました(相変わらずミーハーや)。僕は”Bomb Away Dream Babies” “Lonesome Picker Rises Again”CDを持っていました。今では両方とも貴重で、”Lonesome...”の方は日本で再発されたのみ、”Bomb Away…”の方はアメリカのマイナーな再発レーベルからほんの短期間に発売されていただけだったので、彼はそれを持っていることに感心したようで「どうやって手に入れたのかね?」といいながらサインしてくれました。

 ちょうど同じ頃、NHKBSで、「この歌に歴史あり」みたいなシリーズがあり、克也さんのナヴィゲートで「花はどこへ行った」の特集をやり、克也さん自身は取材されなかったのでしょうが、ジョンが出てきて思い出を語っていました。

 ヴェトナム反戦で民主党(アメリカ)が分裂したのが1968年、なんか今年の大統領選挙の予備選挙も、それを髣髴とさせるものがあります。

 その邂逅の2001年のあとのアメリカと世界に何を思って、彼は天に昇ったのでしょうか。

 また一人、巨人が旅立ちました。合掌。

 

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