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2008年3月22日 (土)

Boogie Wonderland!

またまた困ったときのライヴリポート、です。

 今回のアーティストは、アル・マッケイ・オールスターズ。

 私の親戚筋に当たる一部のパラノイアの方々を除いて、ほとんどの方は、なんだそりゃ、聞いたことない、という反応を示されたと思います。

 ところが。

 今回はまず、演奏された曲目リストから行ってみましょう。

1、 Serpentine Fire (太陽の戦士)

2、 Got to Get You Into My Life

3、 After the Love has Gone

4、 Reasons

5、 In the Stone(石の刻印)

6、 Fantasy (宇宙のファンタジー)

7、 Jupiter (銀河の覇者)

8、 Getaway

9、 Singasong

10, Let the Feelings Show 

11, Can’t Hide Love

12, That’s the Way of the World(暗黒への挑戦)

13September

アンコール

14, Boogie Wonderland

15, Let’s Groove

そうなんです。まるっきりアース、ウィンド&ファイア(EW&F)なんですね。

The  Dance

 EW&Fの音楽上のマスターマインドといえば、まずモーリス・ホワイトですが、このアル・マッケイという人も、全盛期のEW&Fになくてはならない存在だったんです。

 以前、現在はジェファーソン・スターシップとスターシップが別々に並存していて南北朝状態だということも話題にしましたが、EW&Fも、本家とこのアル・マッケイのプロジェクトが競っていて似たような状態といえるかも。

 アルはEW&Fにいたサウスポーのギタリスト。その後のファンク、R&Bに大きく影響したカッティングを発明した人でもあります。

 1966年、18歳のとき、自分の町にある有名なR&Bグループがやってきて、ちょっとしたコネで楽屋に遊びに行けた。そのバンドがあるレコードの曲を練習しているとき、バンドにはギターは一人だけ、そのバンドのリーダーしかなかった。ところがアルは生意気にも、「このレコードにはギターは2本入っているようですよ」とそのリーダーに意見した。そしたらそのリーダーは「じゃあお前やってみろ」といってギターを渡した。でもアルは「僕は左利きだからできません」といったんは断った。でもリーダーはしつこく、やれ、と勧めたので、アルはその気を出し、1時間でマスターしてしまった。そしてリーダーは言った。「よし、お前を雇った。今晩からステージに上がれ」。

 そのグループとはアイク&ティナ・ターナー。アルはアイク・ターナーに見出されて音楽の世界に入っていったのでした。ついこの間逝去したアイクに掘り起こされたというあたり、ジミ・ヘンドリックスと似たようなエピソードです(「期限切れ遺失物移管所」の更新が遅れていてごめんなさい)。

 その後、色々なソウル・グループのバックを経て、オーディションを受けてEW&Fに正式加入したのが二十四歳の時。

Spirit  その後はモーリスに次ぐEW&Fサウンドの要となり、「シングアソング」「セプテンバー」などお馴染みの曲、女性ゴスペル三人組だったエモーションズをEW&Fがバックアップしてファンク、ディスコに引き入れたナンバー1ヒット「ベスト・オヴ・マイ・ラヴ」などの作者としても名を連ねる。

 ところが、「レッツ・グルーヴ」の後、80年代半ばになってEW&Fもスランプの時期を迎える。

 大人数のブラスセクションを活かしたファンク、精神的な側面からも独特の世界観を打ち出していたEW&Fも、ディスコブーム、商業主義に載った作品を作ってしまい、ブームが去ってしまうと結局行き詰ってしまった。同じ時期にモーリスも過労で倒れてしまい、グループとしての活動に疑問を持つようになる。

 14人もの大人数を抱えていたグループ内でも意見対立が目立つようになり、モーリスと10歳違いのアルは、グループの若い世代の代表者としてモーリスと対立するようになる。レコードでアルがギターを入れたトラックがあっても、モーリスがスティーヴ・ルカサー(次回も登場するかも?)の演奏に入れ換えたり、といったこともあった。

 ついにアルは84年、脱退を決意する。「EW&Fは世界最高のグループだ。これ以上のグループは作れるわけがないから自分はバンドリーダーにはならない」と最高の賛辞を残しつつ。

 その後、アルはプロデューサーとして裏方に徹します。

トゥルーリー・フォー・ユー

 85年にはテンプテーションズの”Truly for You”というアルバムをプロデュースしますが、80年代は主要メンバーが抜けて、ディスコブームにも乗らず独自のスタイルを貫こうとして逆にスランプだったテンプスが、EW&F的なサウンドと自分たちのコーラスワークを融合させた新しい試みとして、僕は個人的には80年代のテンプスの最高傑作だったと思っています。やはりぜんぜん売れませんでしたが。

 そして90年代後半になり、やはり自分も演奏で復帰したいとの意欲をもち、スタジオミュージシャンを集めて、EW&Fのレパートリーのセルフカバーに新曲を加えてCDを発表、ライヴ活動を再開した。

 これがアル・マッケイ・オールスターズというわけです。

 全盛期のEW&Fと同じ14人編成、ブラスセクションが5人、ヴォーカルも、フィリップ・ベイリーそっくりの高音を出す人と、モーリスそっくりの低音を出す人。アルは地味にバックでギターに専念する、内山田洋とクールファイブ、敏いとうとハッピー&ブルー状態です。

 ほんと、EW&Fのレコードかと思うくらいそっくりの演奏。考えてみれば今の本家EW&Fにはモーリスはいないし、全盛期を感じさせるのはフィリップの高音と、ヴァーディン・ホワイトのやんちゃな腰振りベースだけ。本家のような花火仕掛けや、ピラミッド、ミラーボールを使った派手なステージングはありませんが、例によって小規模のライヴハウスでEW&Fサウンドが楽しめるのだから、かなりお得かな、と思えるライヴでした。本家と同じように、上記の曲をほとんどノンストップ、メドレー形式で息を尽かさず演奏し続けました。会場が踊りっぱなしの「ブギー・ワンダーランド」と化していました。

 驚いたのは、セットリストがまったくなかったことです。曲間がないのだから、当然といえば当然かも。

Al_mckay_allstars_live  また例によってサインをもらいました。EW&Fの全盛期のアルバムジャケットは、同じ時期のElectric Light Orchestra=ELO同様、長岡秀星さんが担当していて、内省的かつ幻想的な世界を描いた細微で写実的な絵が特徴的だったのですが、アル・マッケイのCDジャケもそれらを彷彿とさせます。

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2008年3月14日 (金)

Suddenly I See

310日。

63年前なら東京大空襲。

ビージーズの末弟、アンディ・ギの誕生日。

2008年、東京では武道館でマルーン5が大人数を集めたコンサートをやった日。

名古屋では負けずに、KTタンストールがライヴをやりました。

11日のベストヒットUSAでも、最近レギュラー化しつつある周辺チャートの紹介コーナーでAAAのチャートが紹介されて、そのバックに8位だった彼女の新曲 “Saving My Face”がかかっていました。KTは近いうちにインタビューゲストの予定があるかもしれないし、その後に取り上げられたブルース・スプリングスティーンの話にしようかなとも思いましたが、鉄は熱いうちに打てということで。

こっちは、武道館の百分の一の小さなライヴ会場。それでも去年は夏のビッグイベントで1ステージを張った、今ノりにノってる彼女。会場は開場一時間前から券の整理番号で並ばせられるほど。フロアは、小生を含めて十数名が平均年齢を上げているだけで、若い子がいっぱいで熱気ムンムン。

バンドは割りと普通?の構成で、ドラム、ベース、キーボード、彼女以外にギターがもう一人、女性バックヴォーカルが二人。ナマで見る彼女はやっぱり小柄。ギターが大きく見えました。彼女のトレードマーク(?)でもあるミニスカートでギターを足で上げるポーズは、やっまり重たいから仕方なくそうなっちゃうのかな、とまで思えてしまいました。黒のワンピースで登場(女性の服の表現の仕方がうまく分からなくてごめんなさい)。

以前にも書いたことがあるんですけど、僕の彼女についての印象は、若さに似合わず色々な音楽の引き出しを持っているな、ということです。バイオによると、彼女のヴォーカルの先生はエラ・フィッツジェラルドだ(もちろん直接習ったという意味ではありません。親の影響でレコードをよく聴いていたということですね)ということですが、他にもジャズならビリー・ホリディ、ファンクならジェームス・ブラウン、ロックならルー・リード、カントリーならジョニー・キャッシュという幅広さ、そして当然、彼女の世代が普通に聞いている音楽も全て吸収していたでしょう。パティ・スミス的であり、クリッシー・ハインド的でもあり、ジョニ・ミッチェル的でもある。

“Black Horse and the Cherry Tree”・ディドリーのジャングルビートなのはよく知られていますが、他にもボー・ディドリー・シャッフルを使った曲が何曲かあり、モータウンのビートも。コード進行ではブレッドが使うようなやつもあった。シンプル、ソフトさが基本にあっても常にバスドラが効いている、そんな感じですね。

Kt_tunstall_drastic_fantastic オープニングはニューアルバム”Drastic Fantastic”(なんかパ・リーグがキャッチフレーズに使いそうな文句だ)からの、やっぱりオープニング曲の”Little Favours”から。

「ある朝起きて、その日から新しい仕事場に行かなければならないのに、元の仕事場に行っちゃうような曲」と紹介された”Miniature Disasters”。ここにもボー・ディドリー・シャッフルが出てきた。

「長距離恋愛の曲」と紹介された”Other Side of the World”。ここにそのブレッドっぽいコード進行とか、キム・カーンズの匂いを感じてしまいました。

ニューアルバムから日本でシングルになっている”Hold On”。アメリカのヒットチャートに入ってきたら大変なことになります。なぜかというと”Hold On”とは、今までで最も同名異曲が多いタイトルなんです。あなたは他のをいくつあげられますか?

バックのメンバーが全員引っ込んで何が始まったかと思うと、なんとあの”Black Horse…を一人で演っちゃうんですねえ。シンセループリズムボックスを使って、その場でリズム体を作っちゃうんです。ギターの共鳴板を力いっぱい叩いてバスドラの音にして、タンバリンを一泊叩いて、ギターでチョーキング(音を殺す)をしたストロークで例のボー・ディドリーのリズムを作り、最後に彼女自身で「ウー・フー」というバックヴォーカルを入れて出来上がり。それをずっと流しっぱなしにして、それに彼女がギター一本で歌う。確かにバックのリズムはぜんぜん変わらなくてすむ曲だからそれでできてしまう。このリズムボックスで即興で一人でやるのは、彼女のスタイルみたいです。「普通のライヴではこの極は1曲目でやることが多いんだけど、今まで我慢させてごめんね」だって。

その後、二人いたバックヴォーカルの人が、本当か嘘か、体調不良を興したとのことで退場してしまいました。「全くの自然現象だから気にしないで、やっぱり自然現象の曲を彼女に捧げるわ」ということで”Under the Weather”

だんだん終わりに近づいて盛り上がってきますと、さっきの今ヒット中の”Saving My Face”「これはプチ整形の歌なの。そのうちペットの犬にも整形させる時代が来るわよ」。

Kt_tunstall_eyes_to_telescope そして最後にこれを聴かなければ帰れない”Suddenly I See”。イントロが聞こえてくるだけで、あの映画「プラダを着た悪魔」のオープニングの、アン・ハサウェイが身支度を整えていく場面が重なってしまいますね。この曲も最後、メロディ楽器が全部フェィドアウトした後リズムだけが残ったら、やっぱりボー・ディドリー・シャッフルだった。

いったん引っ込んでアンコール。

Greatest Hits

ここで思いがけず、「みんな80年代は好きでしょ?」の掛け声から”Bangles “Walk Like an Egyptian”を演りはじめたんです。下のセットリストにも挙がっていませんし、後で本人から聞いた話ですが、バックステージで突然決めた選曲なんだそうです。

ここで僕はまさに、Suddenly I See「突然ひらめいちゃった」んですね。彼女のもう一つのルーツを。バングルスなんてのはまさに彼女の世代の音楽だろうし、そのバングルスはサイモン&ガーファンクルの「冬の散歩道」もカバーして大ヒットさせた。以前に”Suddenly I See”60年代のCyrcleというグループの “Red Rubber Ball”という曲にちょっと似ていると描きましたが、それもまさにポール・サイモン作なんですね。なるほど、彼女のもう一つのルーツはスザンヌ・ホフスじゃないのか、”Egyptian”の踊りと口笛で、これらが僕の頭の中で一瞬のうちに勝手に繋がってしまったんです。

そして最後の最後は「あなたたちのことを歌っているんじゃないから安心してね。また会いましょうね」で”I Don’t Want You Now”

終了後、さすがにサイン会はありませんでした。それでも関係者口で待っている人は何人かいましたが、時間が経つに連れ諦めて去っていき,ついに僕一人になってしまいました。途中で出てきたギタリストの人と立ち話ができて仲良くなれたりして、粘り勝ちでやっと彼女が出てきて、例によってCDと、運よくもらえたセットリストにサインを入れてもらいました。「翌日の大阪も、頑張ってくださいね」。

こういうアーティストのメモラビリアを集めるのは、忍耐が要るのですよ、皆さん。

ちゃんと最新のアーティストもフォローしてるでしょ?

Kt_tunstall_setlist

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2008年3月 3日 (月)

Peaceful

困った時のライヴ頼み。これからもちょっとの間は続きそう。

 しかも、よく知られているアーティストなら書くのも楽ですが、そうでないアーティストのものだと苦労もしますし、自分の日記みたいになるので恥ずかしくもあります。

 今回もそういう感じ。

 228日、ケニー・ランキンのライヴに行きました。

 ニー・ロギンズ? ケニー・ロジャーズ? ケニー・チェズニー?

 どれでもありません。

 どう説明すればよいでしょう。

No Way to Treat a Lady/Music, Music

 シンガーソングライターで、一番知られているのは、ヘレン・レディのヒット曲「ピースフル」が彼の作品であるということ。

 と言ってもほとんどの人が分からないだろうなあと想像できしまうのが辛い。なにせ1973年のことですから。

 彼自身にヒット曲が他にあるわけではなく、彼の曲が、特にカーメン・マクレェなどジャズ畑の人を中心に他のアーティストのアルバムカットとしてカバーされることはあったのですがそれがヒットしたと言うわけでもありません。

 それでも70年代から90年代までアルバムを出し続け、根強いファンもいます。

 その類のアーティストを一番大切にしているのは、実は日本のファンなんじゃないでしょうか。

 日本では、さだまさしさんがランキンをよく聴いていて、「さだまさしのセイ・ヤング!」か何かでアルバムを紹介していたのを憶えています。でも日本でもアメリカでも、ラジオでランキンを聴いた記憶があるのはそれくらいかな。

 さだまさしさんが好きだったと言うのは頷ける話で、70年代初頭にありがちだったアコースティックギターを中心にすえた、素朴な音作りをしていた人です。ボサノヴァやジャズの影響もあり、歌い方はマイケル・フランクスのようなふわふわした感じがあります。

 70年代初頭のシンガーソングライターブームでは、一方でジェームス・テイラーやキャロル・キングなどセールス上も大成功して脚光を浴びた人たちがいて、他方で表に出ずとも地道に活動していた大多数の人たちがいたわけですね。数回前に、逝去してしまったので紹介したジョン・スチュアートしかり。

 そういう人たちは、ソングライターが頭に付かない、普通のシンガーの誰がどれくらい曲を取り上げてくれるか、が勝負だったようなところがあります。

 ジョン・スチュアートの「デイドリーム・ビリーヴァー」をアン・マレーがリバイバルさせたことはその数回前に書きましたが、他にアン・マレーは無名だった頃のケニー・ロギンズやアンドリュー・ゴールドなんかを取り上げて世に送り出したと言えます。これも以前にちょっと書いたことがある、彼女の78年のナンバー1ヒット”You Needed Me”「辛い別れ」の作者ランディ・グッドラムはビル・クリントンの高校の同級生、音楽仲間で今でもクリントン夫妻のお友達。まだ「雌雄は決して」いませんね。

 ヘレン・レディは、ランキンの曲は自分で聴いていて好きだったので取り上げたそうですが、色々売込みがあった中から、アラン・オディの「アンジー・ベイビー」という曲を取り上げてナンバー1ヒットにします。このアランは、後の77年ソロで「アンダーカヴァー・エンジェル」でナンバー1ヒットを自ら出しますし、その後、山下達郎氏の曲の英語詞専門担当になったのはご存知のとおり。この冬、JRのテレビCMで流れていた「クリスマス・イヴ」英語バージョンもそうですよ。

 さて、当日。

 子供を早く寝かしつけて9時からの二回し目のステージへ(不良オヤジだなあ)。

 小さなライブハウス、観衆は100人に満たないでしょう。

 チェックインしたらすぐ、初老のアメリカ人が二人、酒を酌み交わしながら語り合っている。一人は太った人。そしてもう一人の中肉中背、銀髪の人は・・・あれ、この人がケニー・ランキン本人じゃないか?話しかけてみようかな?でも間違えて失礼したらどうしよう?そう思いつつ結局何もせず、ノンアルコールを1杯飲んだらステージが始まった。やっぱりその人がそのままステージに上がっていった。惜しいことしたな。

 バックは一人もいない。彼のアコースティックギター、しかも金属弦のいわゆるフォークギターではなく、ナイロン弦の、クラシックなどで使うガットギター一本。3曲ほどピアノの弾き語りに変わっただけ。さっきも書いたけど、声はマイケル・フランクスで、小野リサやフィービー・スノウがちょっと入った感じで、ずっとステージが続きました。

Kenny_rankin_like_a_seed  そのカーメン・マクレェや他ジャズアーティストに多くカバーされている、”Haven’t We Met”という曲に始まり、他の彼の代表曲、”Peaceful”,”Silver Morning”,”Lost Up in Love with You”, “Birembau” などなど。

 彼自身、カバー曲を自分のジャズっぽい解釈でやることでも知られており、ビートルズ・ナンバーも好んで何曲も録音しているのですが、一番傑作といわれている”Blackbird”を演ってくれました。

 “Peaceful”、穏やかで静かで柔らかな時間、でした。

Kenny_rankin_the_best_of  ステージが終わったら、すぐそのまま、先程のように客席に下りてきて、サイン会が始まりました。例によって持参したCDにサインを入れてもらいつつ、個人的に興味があった、ローラ・ニーロとのセッションの思い出なんかについて質問していたら、さっきのもう一人、ケニーと酒を酌み交わしていた太っている方の人が「お前、よく知ってて、英語もできるみたいだな、ちょっと来てくれ」と腕を引っ張ってきました。その人はただ一人付いてきたマネージャーさんみたいで、彼が演奏した曲で何曲か書きそびれたのがあるから教えてくれないか、というのです。あまりにもシンプルなステージなので、セットリストなどは予め作らず、曲目曲順などランキン自身がステージ上の気分でどんどん変えていくのだそうです。でもそのライブ会場の会報用のリポートのために曲目を記録してくれと頼まれたようで、僕が持っていたCDの曲目と照らし合わせて二人で手書きで完成させました。愉快な作業でした。そんなわけで、今回はセットリストそのものがなしです。

 そこまでシンプルな手作りステージだったんですね。

 あと、やっぱりシンガーソングライター時代の絡みで32日放送の「ポップ・ミュージック・マスター」のフォローを。35年前、1972年の今頃のナンバー1ヒット、”Killing Me Softly with His Songs”「やさしく歌って」。ロバータ・フラックが飛行機の中で聴いたのは、ノーマン・キンベルとチャールズ・フォックスが既に書き上げていた曲をロリ・リーバーマン(この人がドン・マクリーンのステージを観てインスパイアされてキンベルとフォックスに持ちかけた)が歌っていたデモテープ、というのが正確なようです。こちらもどうぞ。

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