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2008年3月 3日 (月)

Peaceful

困った時のライヴ頼み。これからもちょっとの間は続きそう。

 しかも、よく知られているアーティストなら書くのも楽ですが、そうでないアーティストのものだと苦労もしますし、自分の日記みたいになるので恥ずかしくもあります。

 今回もそういう感じ。

 228日、ケニー・ランキンのライヴに行きました。

 ニー・ロギンズ? ケニー・ロジャーズ? ケニー・チェズニー?

 どれでもありません。

 どう説明すればよいでしょう。

No Way to Treat a Lady/Music, Music

 シンガーソングライターで、一番知られているのは、ヘレン・レディのヒット曲「ピースフル」が彼の作品であるということ。

 と言ってもほとんどの人が分からないだろうなあと想像できしまうのが辛い。なにせ1973年のことですから。

 彼自身にヒット曲が他にあるわけではなく、彼の曲が、特にカーメン・マクレェなどジャズ畑の人を中心に他のアーティストのアルバムカットとしてカバーされることはあったのですがそれがヒットしたと言うわけでもありません。

 それでも70年代から90年代までアルバムを出し続け、根強いファンもいます。

 その類のアーティストを一番大切にしているのは、実は日本のファンなんじゃないでしょうか。

 日本では、さだまさしさんがランキンをよく聴いていて、「さだまさしのセイ・ヤング!」か何かでアルバムを紹介していたのを憶えています。でも日本でもアメリカでも、ラジオでランキンを聴いた記憶があるのはそれくらいかな。

 さだまさしさんが好きだったと言うのは頷ける話で、70年代初頭にありがちだったアコースティックギターを中心にすえた、素朴な音作りをしていた人です。ボサノヴァやジャズの影響もあり、歌い方はマイケル・フランクスのようなふわふわした感じがあります。

 70年代初頭のシンガーソングライターブームでは、一方でジェームス・テイラーやキャロル・キングなどセールス上も大成功して脚光を浴びた人たちがいて、他方で表に出ずとも地道に活動していた大多数の人たちがいたわけですね。数回前に、逝去してしまったので紹介したジョン・スチュアートしかり。

 そういう人たちは、ソングライターが頭に付かない、普通のシンガーの誰がどれくらい曲を取り上げてくれるか、が勝負だったようなところがあります。

 ジョン・スチュアートの「デイドリーム・ビリーヴァー」をアン・マレーがリバイバルさせたことはその数回前に書きましたが、他にアン・マレーは無名だった頃のケニー・ロギンズやアンドリュー・ゴールドなんかを取り上げて世に送り出したと言えます。これも以前にちょっと書いたことがある、彼女の78年のナンバー1ヒット”You Needed Me”「辛い別れ」の作者ランディ・グッドラムはビル・クリントンの高校の同級生、音楽仲間で今でもクリントン夫妻のお友達。まだ「雌雄は決して」いませんね。

 ヘレン・レディは、ランキンの曲は自分で聴いていて好きだったので取り上げたそうですが、色々売込みがあった中から、アラン・オディの「アンジー・ベイビー」という曲を取り上げてナンバー1ヒットにします。このアランは、後の77年ソロで「アンダーカヴァー・エンジェル」でナンバー1ヒットを自ら出しますし、その後、山下達郎氏の曲の英語詞専門担当になったのはご存知のとおり。この冬、JRのテレビCMで流れていた「クリスマス・イヴ」英語バージョンもそうですよ。

 さて、当日。

 子供を早く寝かしつけて9時からの二回し目のステージへ(不良オヤジだなあ)。

 小さなライブハウス、観衆は100人に満たないでしょう。

 チェックインしたらすぐ、初老のアメリカ人が二人、酒を酌み交わしながら語り合っている。一人は太った人。そしてもう一人の中肉中背、銀髪の人は・・・あれ、この人がケニー・ランキン本人じゃないか?話しかけてみようかな?でも間違えて失礼したらどうしよう?そう思いつつ結局何もせず、ノンアルコールを1杯飲んだらステージが始まった。やっぱりその人がそのままステージに上がっていった。惜しいことしたな。

 バックは一人もいない。彼のアコースティックギター、しかも金属弦のいわゆるフォークギターではなく、ナイロン弦の、クラシックなどで使うガットギター一本。3曲ほどピアノの弾き語りに変わっただけ。さっきも書いたけど、声はマイケル・フランクスで、小野リサやフィービー・スノウがちょっと入った感じで、ずっとステージが続きました。

Kenny_rankin_like_a_seed  そのカーメン・マクレェや他ジャズアーティストに多くカバーされている、”Haven’t We Met”という曲に始まり、他の彼の代表曲、”Peaceful”,”Silver Morning”,”Lost Up in Love with You”, “Birembau” などなど。

 彼自身、カバー曲を自分のジャズっぽい解釈でやることでも知られており、ビートルズ・ナンバーも好んで何曲も録音しているのですが、一番傑作といわれている”Blackbird”を演ってくれました。

 “Peaceful”、穏やかで静かで柔らかな時間、でした。

Kenny_rankin_the_best_of  ステージが終わったら、すぐそのまま、先程のように客席に下りてきて、サイン会が始まりました。例によって持参したCDにサインを入れてもらいつつ、個人的に興味があった、ローラ・ニーロとのセッションの思い出なんかについて質問していたら、さっきのもう一人、ケニーと酒を酌み交わしていた太っている方の人が「お前、よく知ってて、英語もできるみたいだな、ちょっと来てくれ」と腕を引っ張ってきました。その人はただ一人付いてきたマネージャーさんみたいで、彼が演奏した曲で何曲か書きそびれたのがあるから教えてくれないか、というのです。あまりにもシンプルなステージなので、セットリストなどは予め作らず、曲目曲順などランキン自身がステージ上の気分でどんどん変えていくのだそうです。でもそのライブ会場の会報用のリポートのために曲目を記録してくれと頼まれたようで、僕が持っていたCDの曲目と照らし合わせて二人で手書きで完成させました。愉快な作業でした。そんなわけで、今回はセットリストそのものがなしです。

 そこまでシンプルな手作りステージだったんですね。

 あと、やっぱりシンガーソングライター時代の絡みで32日放送の「ポップ・ミュージック・マスター」のフォローを。35年前、1972年の今頃のナンバー1ヒット、”Killing Me Softly with His Songs”「やさしく歌って」。ロバータ・フラックが飛行機の中で聴いたのは、ノーマン・キンベルとチャールズ・フォックスが既に書き上げていた曲をロリ・リーバーマン(この人がドン・マクリーンのステージを観てインスパイアされてキンベルとフォックスに持ちかけた)が歌っていたデモテープ、というのが正確なようです。こちらもどうぞ。

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