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2008年5月 5日 (月)

Heart of Rock'n Roll~Take Me Back to Chicago(part 2)

もたもたしてたらシカゴネタも御大に先を越されてしまいましたが(*)、めげずに行ってみましょう。

 さて、前回の続き。20分間の休憩、セット換えを終え、シカゴの登場。 

 ヒューイ・ルイス&ニューズ同様、ホーンセクションが重要な役割を占めるグループ。しかし流石に、70年代初頭のブラスロックブームの時からその先頭に立っていた大ベテラン。ヒューイのバックのホーンセクションはステージ向って左手の奥にいたのですが、シカゴのブラスセクション、トロンボーンのジェームス・パンコウ、トランペットのリー・ローネイン、サックスのウォルター・パラザイダーは右手前面に並びます。この三人は、バンド結成以来40年、この位置を守り続けている。そのことに敬意を表して、健康に気をつけている話をするくらい、許してあげましょうよ。

Chicago Transit Authority

彼らの原点、デビューアルバム”Chicago Transit Authority”「シカゴ運輸局」(本当はグループ名もこうなる筈であり、セルフタイトルのつもりだった)からインストのかっこいい

Introduction

2 Questions 67 and 68のメドレーから。

“Questions…”は、最初の来日の時から、ピーター・セテラもずっとやっている、「幻の日本語バージョン」が披露されました。「オネガイ、オシエテオクレヨ…」ピーター・セテラが歌ったソノシートがあるとかないとか…

来日時に毎回歌っていても、憶え切れないのでしょうね。曲が終わった後、スタッフが出てきてロバート・ラムのキーボードの前とジェイソン・シェフの前から大きなカンペを剥がしていきました。

ピーターがシカゴに在籍していたのが18年、それにジェイソンが取って代わって22年、ジェイソンの方が長くなってしまいました。彼自身もヒット曲を書き、存在感もあります。

Chicago

3 Make Me Smile「僕らに微笑を」~

4        Color My World 「僕らの世界をバラ色に」

 ここもメドレーで。考えてみるとブラスロック時代のシカゴの曲の邦題には、エルトン・ジョンの次に「僕の…」何とかが多かったなあ。2枚目”Chicago” からの代表曲。

 “Color…”は数あるシカゴの曲の中でも最も素朴でシンプル。ピアノ、ドラム、ベース、ヴォーカル、フルートしか要りません。他は全員引っ込み、ヴォーカルをとるロバート・ラムもピアノはビル・チャンプリンに任せて前に出てきます。ベースのジェイソンも座ってしまいます。曲終わりのフルート・ソロは、ロバートが引っ込み、替わりにローネインが出てきて披露しました。

 ここでまた全員出てきて、パンコウがちょっとしたMC”I have a question for you(皆さんに質問があります)”と言って「イマナンジデスカ?」そして

5        Does Anybody Really Know What Time It Is?”

へ。「一体現実を把握している者はいるだろうか?」という大仰な邦題が付いていました。確かに深読みすればそういう内容に聞こえなくもないんですけど、正しくはパンコウの言ったとおり「今、何時何分か正確に分かってるやつなんかいるか?」が正しいですね。

 ここで飄々とヒューイが再登場し、見事にリードヴォーカルをとりました。そのまま、

6        I'm a Man

 ビッグバンドカバーやクリスマスアルバムなどの企画物を除いて、他人の曲のカバーを殆どやらないシカゴですが、これはTransit Authorityで録音したスペンサー・デーヴィス・グループのカバー。最近クラプトンとのコラボで新曲を発表して顕在ぶりを示したスティーヴ・ウィンウッドが16歳のときに作って歌った、とてもそんなに若かったとは思えない声のハリと黒っぽいノリで歌い上げた名曲。ピーターがいた時代には同じくスペンサー・デーヴィス・グループのもう一つの名曲”Gimme Some Lovin’”をライヴでよくやっていたようですが。

 この”I’m a Man”、とにかく誰でも参加できる曲なんです。マラカスでもパーカッションでも、リズム打楽器はいくらあってもいい、サビのコーラス、というかチャントに近い、も大合唱で、音程を外していても別に気づかれない、と言うわけで、ヒューイに引き続いてニューズの面々も全員再登場、思い思いの楽器を叩いて、叫んで、カーニバル状態でした。

 大人数の半分、ロバート・ラムも引っ込んで、ムードががらりと変わり、ギターのキース・ハウランドも座ってしまいます。

Chicago X

7        If You Leave Me Now「愛ある別れ」

X10枚目)から、76年、グループとしてはじめてのナンバー1ヒット、しかし今にして思えば転機になってしまった。ピーターの高音ヴォーカルとアコースティック12弦ギターのソロが印象的なバラード。それ以降の80年代の彼らの路線の布石となってしまった。しかし悪い曲じゃない。ジェフのヴォーカルもキースの12弦も、オリジナルそっくりに決まります。

Chicago VII Hot Streets

8        Call on Me「君は僕のすべて」

9        Alive Again

 またメドレーに戻り、VII7枚目)からのヒット曲と、「タキシードを破った」初代ギタリストのテリー・キャスが銃暴発事故で急逝し、初めてのメンバーチェインジ、初めてのプロデューサーの交代(ブラスロックが得意だったジェームス・ウィリアム・グルシオからビリー・ジョエルなんかを手がけたフィル・ラモーンへ)、アルバムに初めてタイトルをつけて、初めてシカゴのレタリングロゴではなく自分たちの写真をジャケットにした初物尽くし、78年の”Hot Street”から。メディアム・テンポの二曲をうまく繋げた感じ。

 ここでまたパンコウのMCが入り、「40年もやって、色々なことがあった。その中でも印象に残っていることの一つは、長いキャリアの中で最も売れたアルバムを出すのに、17枚もかかったことだよ」と、

Chicago 17

10    Hard Habit to Break「忘れえぬ君に」

11    You're the Inspiration

その84年の「17」からの2曲の大ヒットをメドレーで。これは彼らにとって第二期黄金時代というか、デヴィッド・フォスター、ビル・チャンプリンの得意路線、日本で言うAOR風お洒落バラード。これらが最も売れた、しかしこのような路線に走ったことに、今では多少の悔恨もあるという。この公演では、その「17」より新しい曲は演奏されませんでした(他の場所では演ったみたいですが)。

12    Beginnings

またファーストアルバムに戻り、ロバート・ラムも降りてきて12弦ギターを持ちます。これは僕が彼らの中で一番好きな曲かもしれません。彼らの「始まり」を飾った、12弦のストロークのイントロ、ブラスの絡み、綺麗なメロディで8分近く続く。そろそろ終盤戦か。

Chicago VI

13    Just You 'N' Me 「君とふたりで」

73年のVI(6)から。上の”…Inspiration”はこの曲と歌詞がよく似ています。でもまだバラードとはいえないミディアムテンポの曲。ギンギンのブラスロックで売っていた当時としては軟弱に聞こえたかもしれません。

Chicago V

14    Saturday in the Park

これも彼らの数多い代表曲の中の一つ、74日の歌、政治的メッセージも強かった72年のV(5)から。

15    Feelin' Stronger Every Day 「愛の絆」

 これもお馴染みの曲ですが、ここまでオリジナルのレコードではピーター・セテラが歌っていたパートはジェイソンが歌っていたのですが、ここではギターのキースがリードヴォーカルを取りました。彼もキーが高かったですね。

Chicago 16

16 Hard to Say I'm Sorry「素直になれなくて」 Get Away

 最後は、81年の「16」から、テリー・キャス逝去の後のスランプの時期から、デヴィッド・フォスターをプロデューサーに、新メンバーにビル・チャンプリンを迎えて、AOR路線で見事に復活した、賛否両論、だけど美しい代表曲でしめくくり。

 いったん引っ込みますが、再び登場、アンコールは

25 or 6 to 4 「長い夜」

 これがまだ残っていました。ブラスロック時代の誰でも知ってる代表曲。2枚目から。ピーターが去って新たなスタートとなった「18」でも改めて新バージョンで録音した、「それだけ彼らにとって大切な曲。午前4時に256分前。総立ち、大盛り上がりで閉めました。カーテンコールでは、メンバー全員が並んで、児玉清さんの「アタックチャンス!」のポーズで決めました(知ってるのかな?)。

 私が大きな会場のコンサートをあまり好きではない理由の一つに、ガードマンがさっと並んで、終わってもステージに近づくことができず、強請り物ができないことです。ところが人呼んでハイエナのハリー教授、転んでもタダでは起きません。客席側で操作していたミキサーさんと言葉を交わして、見事セットリストをゲットしました。さすが、お馴染みの曲がずらり、殆ど省略語か、一つか二つの単語でみんな分かってしまうのがすごい。

 ちなみにシカゴ、アメリカに帰ったあと、この夏のダブルヘッドライナーのパートナーは、ドゥービー・ブラザーズと決まっています。”Taking It to the Street”あたりを二グループ混じってジャムするのかな。この組み合わせでも観て見たいですね。

 あ、”Take Me Back to Chicago”「シカゴへ帰りたい」って、XI11枚目にはいっているマイナーヒット、彼らのテーマ曲じゃないかと私が勝手に思っている曲です。

Img_0146  

*5月「小林時々日記」より

ベスト・ヒットUSAのスタジオに

シカゴの二人がやってきた。
普通何かの宣伝でミュージシャンは

出てくれるのだが彼等は何もなし。
ウドーさんのおかげ!
「義理と人情」もロックなのか?
リー・ローネイン(トランペット)も
ジェイムス・パンコー(トロンボーン)も

60才台に入ってしまった。
レコード・デビュー40周年
41年前彼等はラスベガスのホテルで

ショーをやるかっこいいバンドだった。
オリジナルはやんない、有名曲のカバー・バンド。
全員タキシードを着て。
そのうちギターの故テリー・キャスが

一人暴走を始めた。
タキシードを破って着る。
表裏逆に着る。
この一人の反逆は他のメンバーに伝染し始めた。
タキシードも着なくなった。髪を伸ばし始めた。
やがてホテルから睨まれ、やめてしまった。
その年の夏、ビートルズの「

サージェント・ペパーズ」のアルバムが出た。
全員衝撃を受けた。
そしてバンドの向う方向がはっきりした。
あれから40年が過ぎ、
シカゴはグループとしてはビーチボーイズに次ぐ

影響力のバンドとなった。
実に30年振りの世界ツアーが

ヒューイ・ルイスを従え日本にきている。
リーもジェイムスも毎日楽器の練習をする。
何しろ楽器が楽器だ、

「ラッパの口」の筋肉を作っておかなければ。
それに肺活量も必要。
そりゃーなあ、若い頃は無茶やったよ。
セックス&ドラッグ&ロックンロール、
こんなに長くやるなんて思ってなかった。
今はミュージシャンの心境じゃないよ、
オレ達格闘技のファイターみたいだよ、
ジムで体鍛えるし、食べる物も気を使う。
それに病気、今、シカゴの第一関心事は

「健康」なんだよ。
あーヤダヤダヤダ、

シカゴからそんなハナシききたくなかったなあ。

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