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2008年7月 4日 (金)

I Go Crazy

このコラム、ここから消えてしまったバックナンバーを集めて保存している「小林克也のRADIOBAKA・期限切れ遺失物移管所」ですが。

 お蔭様で、毎日、それなりのアクセス数を頂いております。色々な話題に触れているせいでしょう。何かのキーワードを検索にかけると何かしら引っかかることが多いようで。それでそのページだけを訪れて去っていくイチゲンさんたちばかりのようです。

ちょっと前まで「バラク・オバマ」と検索したらかなり上の方に出てきた時期がありそれでアクセスしてくださった方も多かったのですが、もはや時の人。オバマに関して書いてあるサイトも腐るほどあり、もう全然ですね。

必要な情報だけピンポイントで得られればいいというのはネット検索の本質で、長い文章を読むのは面倒でしょうが、読んだら読んだで、面白い、勉強になる、と好評ですので、お時間があればぜひよろしく。

 その「遺失物移管所」のアクセスが6月頭前後に急増しました。

 原因は「ボー・ディドリー」を検索する人が急に増えたこと。

 62日、80歳の生涯を閉じました。

 以前、U2の「ディザイア」がベストヒットでかかったことで、その曲のリズムの発明者であるボー・ディドリーの特集記事を書き、そのリズムを使ったヒット曲のリストがあるもんだから重宝されて、あの「2ちゃんねる」に初めてリンクが貼られたり。

 たとえば今だったらKTタンストールなんかがすごくリスペクトしている人。彼が編み出したビートがその後のロックに与えた影響は計り知れない、とはその記事に書いた通り。

 大往生でした。合掌。

 さて、これも書こう書こうと思っていてついつい遅れてしまった話題ですが、これまた先頃亡くなったアーティストについての徒然を。

 その人は、ポール・デーヴィス。422日逝去。享年60歳。

 地味な人ですが。70年代のヒットチャートファンには忘れられない人なんです。

 60年代末期から活動を始め、カントリーとポップを行ったり来たりしていた人。

 一躍ブレイクしたのが1977年。

Sweet Life: His Greatest Hit Singles

 “I Go Crazy”という、初めてのトップ10ヒットが生まれました。

 地味な曲調ですが、カントリーとはいえない、ゆったりしたスローテンポ、ピアノが全篇に流れるようなバラード。

 ところがこの曲、ビルボード誌のHOT 100のチャートに入って、トップ10に入るまで半年もかかったんです。

 そしてそれを含めて、HOT100内に78年まで40週間留まり、これはその時点での新記録だと騒がれました。それ以前は50年代のエンターテイメントスター、ジョニー・マティスの”Wonderful, Wonderful”という曲が39週入っていたというのが記録で、20年ぶりくらいの記録更新だったんです。だからヒットチャートファンには好まれるわけです。

Non-Stop Erotic Cabaret

 ちなみにこの記録は、83年にソフトセルの”Tainted Love”「汚れなき愛」(意味が全く正反対の誤訳邦題)が43週間Hot 100内チャートインするまで保持されます。

Greatest Hits

 現在では2000年代に入ってからの、リーアン・ライムズ “How Do I Live?”69週間チャートインしていたというのが最長記録になっています。

 集計方法が違ってきていますから、単純に並べることはできないんですけれどね。7080年代前半はシングルレコードの売り上げ枚数が加味されていた度合いが大きかったのですが、現在ではそのシングルという概念そのものが絶滅危惧種扱いですからね。時が経つに連れラジオのエアプレイ回数により比重が置かれるようになっています。

 さて、ポール・デーヴィスに話を戻しますが。

 もう一つ、この”I Go Crazy”が日本のポップスファンの間で神話を持つようになった要素は、そのヒットしていた最中に、日本でのレコード発売がなかった、ということ。

 当時このレコードは Bang Recordsという弱小レーベルから出ており、これが日本のレコード会社のいずれとも契約がなかったため、日本でのレコードが出なかった。輸入盤で入手するしかなかったんです。

 78年当時、輸入盤専門店として「タワーレコード」日本第一号店が渋谷宇田川町、NHK近くにできたばかり、その少し近くに「シスコ」という小さなお店があり、渋谷が洋楽ファンの「聖地」とされていた頃で、輸入盤そのものが安価だったとしてもまだ珍しかった時代でした。

Greatest Hits

 そんな時、自慢するわけではありませんが、僕はどこで買ったかは忘れましたが、その “I Go Crazy”が入っている”Singer of Songs, Teller of Tales”というLPを持っていました。灰色に白抜きで、お爺さんみたいな長髪長髭の彼の横顔が描かれていたジャケットでした。

 そんなわけで「幻の名曲」だったわけです。

 ところが、そんな”I Go Crazy”がある切っ掛けで日本発売され、ブームさえ起こしてしまいます。

 翌々年の80年くらい、現参議院議員、前長野県知事さんのあの人の処女作「なんとなくクリスタル」の中で”I Go Crazy”が取り上げられたこと。

 文学作品としては駄作だったと思いますが、当時のお洒落な恋愛パターンを描いていたあの小説。あのお方はその手のお洒落音楽がかなりお好きで、そのムード作りのBGMの一つとして”I Go Crazy”が取り上げられました。

 既にその頃にはバングレーベルは日本のCBSソニーと契約があり、そのお爺さんみたいなジャケットではお洒落ブームに乗れないということで夜景か何かの絵に差し替えられて発売されました。切っ掛けはどうあれ、お蔵入りの幻の名曲がやっと日の目を見たわけです。

 その後すぐ、バングレーベルは倒産し、ポールは、最近だったらサンタナなんかを復活させているやり手クライヴ・デーヴィスが社長のアリスタレコードに移籍します。

 82年、”Cool Night”, “65 Love Affair”など、明るめのポップス調でトップ10ヒットを連発します。 

 この”65 Love Affair”という曲も、もともとはポールの青春の年代に合わせて”55 Love Affair”というのが原題だったのですが、例によってクライヴ・デーヴィスが「古すぎる」といちゃもんをつけてきたので10年遅らせた、とのこと。

クール・ナイト

 ちょうどベストヒットUSAの創成期にあたりますが、この人がビデオなど作るわけがない。ベストヒットのカウントダウンではこれらの曲のバックには、今度はカラー写真で笑っている、しかし白髪混じり長髪長鬚、鼻毛もはっきり見えそうなドアップ写真のジャケットが動画なしで使われていました。ちなみに、日本発売の際、このジャケットもお洒落な絵に差し替えられました。

 彼は生涯一度も曲のビデオクリップは作らず、映像はわずかなテレビ出演の機会のものが残っているだけのようです。YouTubeでお探しください。

 それ以上に、彼は雑誌インタビューのようなものもほとんど残さなかったようです。孤高の人だったのですね。

 その後、ヒット曲は出なくなりますが、カントリーに戻り地道に活動はしていました。オズモンズのマリー・オズモンドとのデュエットもありました。

 晩年は故郷のミシシッピに戻り、そこで息を引き取りました。

 同様に、奇しくも同じミシシッピ生まれ1973年に”Show and Tell”という全米ナンバー1ヒットを持つサザン・ソウルのアル・ウィルソンも、ポールが逝った翌日の423日に68年の生涯を閉じています。

 ボー・ディドリーのような大物の陰で、渋く地味ながらもある種の人たちにとっては忘れられない人たちも人知れず去っていった、2008年の初夏でした。

 改めて合掌。

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