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2008年11月25日 (火)

憧れのラジオガール

 ちょっと変則的ですが、一人時間差攻撃で別件入稿を簡単にさせていただきます。

 連載始めて3年以上、かつて一度だけ日本語のを表題に使ったことはありましたが、それ以外ずっと洋楽の曲を使ってきた。初めてJ-ポップの曲を使います。南佳孝さんの。

使わずにはいられません。

 半分、克也さんへの報告、言づて連絡になってしまうのですが。

 平瀬マミさん、憶えていらっしゃいますよね?

96年から98年にかけてZIP HOT 100の前番組、サンデー・スカイ・アイランドを担当していた、歌がものすごくうまい、あの女性。

 つい先日ひょんなことから再会してしまいました。といってもネット上だけの話なのですが。

 彼女の番組にもよく、ちょっと捻ったリクエスト投稿をしていたので、常連で名前を憶えてもらって、最終回には電話出演もさせてもらった思い出もあります。

 彼女、番組をやっていた頃からの遠距離恋愛(そうだったのか!チクショウ!)の彼と結婚し、お嬢さんも生まれて、幸せで元気そうです。

 なんと今、沖縄にいます。数年前から数度旅行して、沖縄の不思議な魅力に取り付かれて完全移住を決意されたとのこと。

 同時に、しばらく遠ざかっていた音楽活動も、沖縄でこそやるべきなんだと思い立ち、自主録音やライブ活動を精力的に再開したようです。

 そして今月から、地元のFM局で週2日、そのZIP以来のDJのレギュラー番組を始められました。

 彼女にとってDJRole Modelはあくまでも小林克也であり、克也さんとの思い出、慕情をブログに書くため、克也さんのホームページを探していたらここRADIOBAKAに辿り着いたそうです。そしてついでに、僕が以前、彼女に呼びかけていた原稿の痕跡を発見し、誰だろうと思って載せていたそうで。それで僕のほうの「期限切れ遺失物移管所」にアクセスが数回あり、逆探知して、全くご無沙汰だった彼女の近況を知ることになりました。早速彼女にメールを送り、そのコラムを書いた張本人は私です、お久しぶりです、お元気ですか?沖縄にいるなんてびっくり、てなことで、お互いの近況報告、情報交換が始まってしまいました。

 写真を拝見する限りあの頃と殆ど変わっていなくて、少しお母さんとしての落ち着きが加わった程度で、相変わらず魅力的ですね。可愛いお嬢さんと一緒の写真を見ていると、高校か大学の同窓会に行って、ちょっと好きだったあの娘に久しぶりに会ったら素敵なママになっていた、そんな甘酸っぱい気分に浸っています。

 僕のこともブログに記事にしてくれてありがとう。

 克也さんにくれぐれもよろしくとのことでした。克也さんもよかったら連絡を取ってやってください。きっと喜びますから。

 このサイトを沖縄からご覧になっている皆さん。今は、タグチマミさん、担当の、FM沖縄、毎週月曜と火曜、午後1時からのSouthern Stationという番組、僕が聴けない分も是非聴いてやってください。選曲リストを拝見した限りではかなりイケてる番組みたいですから。


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2008年11月23日 (日)

Ever Changing Times (Part 2)

10月、ちょっと穴を開けていた時期に観ていたライヴレポートを。全く別の日に見た二つを、ほんの僅かな共通点で無理やり結び付けます。

 一人目はデヴィッド・ロバーツという人。殆ど知られていないでしょう。しかし、彼の生まれ故郷カナダや、アメリカなんかよりも日本のほうが熱心なファンがいる、そんな人でしょう。

 ソングライターとして、微妙に知られている人です。

 例によって終了後にせしめてサインももらったセットリストを出して、演奏曲目から行きたいのですが。

David_roberts_setlist





 



 Knee Deep in the Hoopla
  この中で比較的有名な曲は、例えば
9曲目の”Before I Go”。これはスターシップの「シスコはロックシティ」「セーラ」が入っていた大ヒットアルバム”Knee Deep in the Hoopla”に収められた曲です。他にもスターシップにはその次の”No Protection”の中に”Say When”という曲を提供しています。
When I See You Smile

 また11曲目” Stay with Me Tonight”は、ソロとして85”Missing You”の大ヒットを持ち、70年代にはベイビーズ、ソロを経て80年代末にはバッド・イングリッシュと流れたジョン・ウエイトとの共作です。実際この曲はバッド・イングリッシュが取り上げるはずだったのがボツられたもので、代わりにデヴィッド、ジョン・ウエイト、そしてジョナサン・ケイン(ベイビーズ、ジャーニーを経てバッド・イングリッシュに参加したあの人です。念のため)の共作で”Tough Time Don’t Last”が収録されました。

6曲目 “Midnight Rendezvous”84年のラムゼイ・ルイスのアルバムに取り上げられています。

 それから、日本向けの企画物として録音されたのが5曲目の”Run Back”。これは93年の赤坂局系列のドラマ、確か高島政伸主演だったと思いますが「新幹線物語」のテーマで使われました。

 そんな感じで、80年代後半のお洒落AOR系の流れを汲んでいた人だったんですね。

 82年に一枚だけAll Dressed Upというアルバムを残していました。バックが当時全盛期だった、デヴィッド・フォスター、TOTO周辺の人脈で固められ、もうそれ以上説明が必要なく想像できるような音作りで、彼自身TOTOに入ってヴォーカルをとっても全く違和感のないような、ジョゼフ・ウィリアムズやトミー・ファンダーバークみたいな声質でした。

 なんと26年ぶりとなる新作“Better Late Than Never”(謂い得て妙だ)、プラス今までの他人提供曲、ボツ曲を集めた”Missing Years”を日本向けに発表しての来日でした。

 小さなライブハウスで聴衆は50人くらいしかいない、でもこういうのが自分としては一番好きですね。

 一曲一曲、誰のために書いた曲だ、どういう切っ掛けで書いた曲だ、丁寧なMCが入り、お客さんを大切にしている感じでした。

 ライヴが終わった後も、3枚のCD,セットリスト、宣伝ポスター2枚と7つもサインをもらってしまいました。バックに、ジミー・ウェッブ、バリー・マン、アメリカなどをプロデュースしたことがある、その筋の大物フレッド・モーリンという人がいて、その人にもサインをもらって話し込んでしまいました。
All_dressed_upBetter_late_than_never

 



Missing_years




 
  さて、その一週後、今度はスティーヴ・ルカサーのライヴがありました。

 デヴィッド・ロバーツとルカサーを無理やり繋げるとすると、その82年の”All Dressed Up”のバックにルカサーをはじめTOTOの面々が全面協力をしていたことと、あとランディ・グッドラムという人物。もうすでに何度か登場しましたが、アン・マレーの「辛い別れ」、スティーヴ・ペリー「OH!シェリー」など多くのメロウなヒット曲を書いた、今年の大統領選挙の民主党予備選挙でがんばった、今度の国務長官になりそうな女性のご主人の前大統領と高校の同級生で一緒にバンドをやっていたあの人。音楽上の人脈もやはり通じていて、ロバーツはグッドラムとの共作曲は”Run Back”その他多く(クリントン夫妻の話題もロバーツと話しました)、ルカサーはTOTO活動停止宣言と同時に発表したソロアルバム”Ever Changing Times”は殆どグッドラムとの共同プロデュースといっていい。

 大会場ではないけれども、ライブハウスとしては名古屋では新しく大きめの場所で。

 半年前にTOTOライヴも観て、そこで同じようなフロントマンの役割を果たしていた彼、今回はTOTOの曲こそ一曲も演奏しませんでした(当たり前)でしたが、その最新作では一人TOTOをやっている感じで、ライヴも、例えばラリー・カールトンと一緒にやった時の彼とは違い、TOTOの彼がそのままソロになってやってきたという違和感のない音作りや雰囲気でした。当然、ロバーツよりハードで聴衆ノリノリ!

 

1. Drive A Crooked Road
2. Twist The Knife
3. Ever Changing Times

4. Live For Today

5. How Many Zeros

6. Stab In The Back
7. Hate Everything About You
8. Song For Jeff

9 Party In Simon's Pants
10 Jammin' With Jesus

11. Fall Into Velvet > Never Walk Alone
12. Talk To Ya Later

13The Truth
14. Tell Me What You Want From Me

Ever Changing Times

そのニューアルバムからは、3561013143はタイトル曲で、この曲だけ聴衆と一緒にチャントをやった。6は、スティーリーダンそっくりの曲で、インスピレーションをくれた二人と、ジェフ・ポーカロに捧げる、とのMCで流れるようなギタープレイ。

7は、ボブ・シーガーの”Shame on the Moon”などのカントリー系のヒット曲を書いたロドニー・クロウエルとの共作曲で、「お前なんか大嫌い」という曲で、アコースティックギターで弾き語りしながらどさくさにまぎれて”SO Fuck YOU!”といったのを聞き逃しませんでした。僕は曲終わりの後、”FUCK YOU BACK!”と客席から返してやると、ルカサーはニヤリとして“Really?”と語尾下がりで返してきました。やる気か?てな感じ?

TOTOについていろいろな噂が飛び交っているのは知っている。まだ我々は仲間で、連絡をしょっちゅう取り合っているよ」と、本とか嘘かのMCのあと、またジェフに捧げる曲8と、一番の仲良しであるサイモン・フィリップスに変な意味でインスパイアされた9。高中正義みたいなインストロメンタルの13

ドラムが、ショーン・キングストンを10歳老けさせたような太っちょのヴァレンタインという人だったのですが、メンバー全員が彼がお尻丸出し全裸で子供と風呂に入っている写真をルカサーを含むバンド全員が首掛けIDカード入れに入れてぶら下げていたというおふざけ付でした。

Ever Changing Times、諸行無常。TOTO,ボズ・スキャッグスのダブルヘッドライナーの時と同じく再びタイトルにして見ましたが、共に80年代の洋楽の主流部分を、一方は裏方から、他方は表舞台で支えていた二人。一方は回顧的なライヴ、他方は過去の遺産は受け継ぎつつ新しい挑戦をしようとしていたライヴ。対照的といえばそのとおりですが、いい音楽はいい音楽、理屈抜きに楽しみましょう。

ライヴリポートはまだまだ続く。

Steve_lukather_ever_changing_times

 


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2008年11月11日 (火)

Chocolate CIty

貧乏人暇なしとはよく言ったもので、いろいろ忙しく一ヶ月近くご無沙汰してしまいました(別に、暇ができたからこれを書いている、というわけではありません。これも大事なお仕事だと思っております)。

 克也さんの日記に既に取られてしまいましたが、歴史的な出来事があったわけで。

 この前までしつこく宣伝していたテレビ番組からもお分かりのように、私は本業ではその筋では中途半端に知られている奴でして。

 その歴史的な日というのも、開票進行時、アメリカでの4日夜、日本時間で5日午前10時あたりから、地元の領事館に詰めていてくれとの要請があり、関係者と共に速報に見入っておりました。

 その中に、領事館がわざわざ遠方から招いたという、福井県小浜市の市長とか市議会議員とか、「勝手にオバマ候補を応援する会」という人たちが来ていました。

 その人たちを含めて、いろいろ知ったかぶりをしていました。今度当選するであろう大統領は、名前があなたたちの町のローマ字表記に偶然一致している以上に、初めて母音で終わる名前を持つアメリカ大統領になる、と。

 ケネディとかマッキンリーはYで、これは子音扱いですね。第5代のモンローは子音と組み合わさらない二重母音です。

 あとの39人の大統領は全員文句なく子音で終わっている。

 つまり今までの大統領は、アングロサクソンと若干のアイリッシュが独占していた。白人マイノリティで、例えばイタリア系だったらFrankie Valli, みたいに必ず母音で終わりますが、今度の「黒人」大統領はそういう白人マイノリティ、褐色人種を飛び越えて、その今までアメリカの人種構成の主流派が独占していた聖域に足を踏み入れるのだ、と。

2000年代の大統領選挙人団分布は明らかに共和党にアドバンテージがあった(人口が増えている南部地域の共和党への傾斜が強い、田舎に行けば行くほど共和党が強く、山岳、高原諸州の人口過疎州では配当選挙人一人に対しての人口比が少ない、等等)ので、オバマ候補は全米で5%のリードなら接線に持ち込まれる、当選には10%以上のリードが必要、と考えていましたが、昨今の金融危機に後押し(?)されて、その10%以上のリードの状態で投票日を迎えましたので、これは確実だろう、と予想できていました。

 日本時間正午の時点で、オバマ候補がオハイオ州とニューメキシコ州を獲得したとの速報が流れ、ここでまた知ったかぶりが始まりました。これでジンクス上オバマが勝利した、と。これまで、共和党の大統領でオハイオ州を獲得せずに当選した例は一度もありません。またニューメキシコは州になって以来、二度の例外を除いて必ず最終勝者が獲得している州なんです(個人的に私は「コウモリ州」と名付けています)。それらでマケインは負けました。

 午後一時、西海岸諸州で投票が締め切られた時間、開票を待たずにCNNNBCCBSABC一斉にオバマ勝利一報を打ちました。出口調査でこれらの州はオバマ獲得が確実で、最大票田のカリフォルニアの結果で決まり、ということでした。

 そうそう、選挙前後、このコラムのバックナンバーの「小林克也のRADIOBAKA・期限切れ遺失物移管所」ですが、この間もベストヒットにゲストに出ていたベン・フォールズの一枚前のJesuslandについて書いたページにアクセスが急増しました。4年前の選挙でできたアメリカの地理的分裂を揶揄した「カナダ合衆国」と「ジーザスランド」に関する説明が、的を射ていて分かり易い、とある有名コラムニストのページにリンクされたらしいんですね。

 そこに書いてある、アメリカの分裂が解消されたわけではない、と考えています。2004年にケリー候補が勝った州は全てオバマが獲得しています。その「ジーザスランド」の中から、オハイオ、ヴァージニア、フロリダ、コロラドなどいくつかの大きな州を、金融危機や現ブッシュ大統領の支持率急落が追い風となり微妙な差で獲得できたという点が勝因だったと思われます。

 さて、その中途半端専門家が語ったコメント、地元の方々は、まだ処分なさっていなったら中日新聞6日朝刊36面をご覧になっていただきたいのですが、TVドラマなら「24」、映画なら「ディープ・インパクト」のモーガン・フリーマン演じた黒人大統領がいて、オバマの登場の地均しの役割を果たしていたといえるでしょう。

 では、音楽で黒人大統領の登場を最も早く予測してたのは誰の何という曲でしょうか?

Chocolate City

 僕の知る限り、パーラメントの”Chocolate City”です。ジョージ・クリントン(この人の名前も考えてみれば因縁がありますね。前々大統領と同姓である以前に、第三代副大統領と全く同名です)率いるP-Funkの一団。克也さん曰くヒップホップ登場以前に最もヒップホップだった人たち。70年代以来、ファンクの音楽とスタイルにものすごく影響した人たちですが、その曲自体は1975年、R&Bチャート24位、ポップチャート96位というマイナーなヒット曲。しかし、今聴いてみてもあらゆる意味で先進性を感じさせます。75年の時点でリズムボックスオンリーで、しかもラップの魁みたいな、ジョージ・クリントンの語り(?)のみで曲が進行します。Chocolate City、つまり黒人が牛耳る都市が、どんどん増殖している。首都のワシントンも黒人人口比が非常に高い。

We've got New York, we've got Gary, Somebody told me we got L.A.And we're working on Atlanta But you're the capital, CC

俺たちはNYもギャリー(インディアナ州)も占領した。ある筋によればロサンゼルスも手中にした。今はアトランタに着手しているところだ。ところが、今度は合衆国首都だぜ!
They still call it the White House But that's a temporary condition, too

 奴らはまだ「ホワイト」ハウスなんて呼んでいるけどそれも一時的状況に過ぎないぜ!

And don't be surprised if Ali is in the White House
Reverend Ike, Secretary of the Treasure
Richard Pryor, Minister of Education
Stevie Wonder, Secretary of FINE arts
And Miss Aretha Franklin, the First Lady

モハメッド・アリがホワイトハウスの主人になっていても驚く必要はないぜ

アイク牧師(70年代に活躍したテレビ伝道師)が財務長官、リチャード・プライヤ(コメディアン)が教育長官、スティービー・ワンダーが芸術長官、そしてアレサ・フランクリンがファーストレディーだ!

この曲の構図はあくまで白人に対する黒人、です。

初めての黒人大統領のオバマ。しかし彼は奴隷の先祖の血を継いでいる訳ではなく、父親はムスリム、義父はインドネシア人、母親はカンサス生まれの白人。単純な肌の色の問題ではなく、アメリカそのものの多様性を象徴するような存在です。アメリカの低俗なネットの書き込みを見ると、やはり、黒人だということで差別的な表現が多く見られますが、その分断されていたアメリカを、多様性を認めた上で再統合する役割を期待したい。いずれにせよ、歴史の大きな転換点を感じさせられる今日この頃です。

そんなこんなで忙しいと言いながら、ライヴリポートネタもたまっていますので、ぼちぼち小出しにしていきたいと思います。

筑紫さん、あなたは、あなたが好きだったあの国の歴史的な転換点をちゃんと見届けてから、旅立たれたのでしょうか?

たった一度、國弘先生との席でご一緒させていただいて、カツ丼を注文しましたが、貧乏学生だった小生、「実は、金が足りないんです」というと「しょうがねえな、俺が出してやるよ」といって払って下さった筑紫さん。そのときも、楽しそうにワシントン特派員時代の思い出話をしてくださった筑紫さん。いつか、お返しができればと思っていたのですが、やはりできませんでした。申し訳ない気持ちでいっぱいです。そのときのことはずっと忘れませんし、あなたが書いたこと、言ったことから多くのことを学びました。ありがとうございました。お疲れ様でした。安らかに。

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