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2009年4月24日 (金)

Time Machine-1984

Then & Now Rock 'n Soul, Pt. 1

  往年のベストヒットUSAのタイムマシーンのコーナー冒頭の、克也さんの雄たけびみたいですね。

 知らない若い方々のために念のために言っておきますと、80年代のベストヒットのタイムマシーンは、今みたいに、何年前の今日は何があった、ができなくて、ある年のある一曲を紹介していたんです。

 それ以前の曲の映像がなかなかなかった時代でしたからね。当時契約していたアメリカのテレビ番組SOLID GOLDの映像を流したり。克也さんもスタッフの皆さんも資料映像探しにはずいぶん苦労されたみたいです。「ボストン」が蔵の奥から見つかったときには抱き合って泣いて喜んだとか。。。

 さて、でも上のタイトルは、いつものように曲やアルバムのタイトルにもなっていますから、その種明かしは後でします。お楽しみに。

 今のベストヒットをご覧の方々にはお分かりのとおり、421日の放送ではタイムマシーンスペシャルで、25年前の1984年に戻りました。小生は大学の音楽研究サークルでバリバリやっていた時期でした。

 当たり前のことですが、ある特定の二つの時期をピックアップして比較してみて、似ている部分もあれば違う部分もあります。小生はまず番組を見て、84年と今とはかなり似ているのではないか、と感じました。その似ている部分とは?

 克也さんは、「このアーティストは知っているけれど曲は知らなかったよー、ってのが多くありませんでしたか?」とおっしゃっていましたが、それはなぜでしょう?

 その謎をとく鍵は以下のクイズで。

 その1984420日付けチャートに入っていた以下の曲にはある共通点があります。それは何でしょう?

 19位 Pretenders “Show Me”

 17位 Yes     “Leave It”

 16位 Hall & Oates “Adult Education”

 14位 John Cougar Mellencamp “Authority Song”

 12位 Kool & the Gang “Tonight”

 9位 Denniece Williams "Let's Hear It for the Boy”

 7位 Culture Club “Miss Me Blind”

 2位 Lionel Richie  “Hello”

20曲中8曲ですが、さて共通点とは?

Colour by Numbers

 答。これらは全て、そのアーティスト(一部サントラ)のアルバムからの2枚目以下のシングルカット曲、つまりアルバムのリーディングヒット曲ではない曲、なんですね。

 ついでにもう一問。では以下の曲の共通点とは?

14位 John Cougar Mellencamp “Authority Song”

 13位 Go-Go’s “Head Over Heals

 12位 Kool & the Gang “Tonight”

 11位 Steve Perry “Oh Sherry”

 9位 Denniece Williams "Let's Hear It for the Boy”

 7位 Culture Club “Miss Me Blind”

 6位 Cars “You Might Think”

 5位 Rick Springfield “Love Somebody”

 4位 Kenny Loggins “Footloose”

 2位 Lionel Richie  “Hello”

今度は20曲中半分、これは一枚目のシングルカットも含めて、3曲以上トップ20に入るシングルヒットを出すアルバムからの曲です。

Can't Slow Down Heartbeat City

 これらのことから何がわかるか。

 この当時は、一枚のアルバムからシングルヒットが何枚も出てくる、曲のばら売り時代だったんですね。

 その理由は簡単で、ビデオ、MTVの最盛期だったからです。

  オンエアされた”You Might Think”のビデオ、今見ても凝ってますし、アワードを獲るのも当然ですね。あと”Leave It”のビデオはあのゴドレイ&クレームの作品です。

 この日のチャートにはたまたま入っていませんでしたが、ヒューイ・ルイス&ニュースもアルバム「スポーツ」から4曲のヒットを出していた全盛期だったのですが、やはりこの時期の近辺に克也さんがサンフランシスコに赴いての取材インタで、「70年代のコンセプトアルバムみたいな時代を懐かしく思わないかい?」という質問に「曲のばら売りはみんなビデオのせいなんだ。一曲毎に作るから」と答えていました。そのとおりの時代だったんですね。

 84年はほかにもシンディ・ローパー、ティナ・ターナー、マドンナなんかが一枚のアルバムから4曲以上シングルをヒットさせていた時代でした。

 この部分は、今現在の時代に似ていると思うのです。

 ニッケルバック、ドートリーなんかが、一枚のCDから何曲もヒット曲を出し、一枚で数年もたせていたりします。

 しかし、84年と今が異なるのは、メディア(媒体、手段、という意味)が違うという点ですね。

 現在のばら売り現象の原因も明らか。今はデジタル・ダウンロードの時代だからです。

アメリカのアマゾンのサイトを見れば、特定のCDのページに、収録曲全曲が曲別に、一曲いくら、で売っています。日本からは買えませんが。日本には日本の中で皆さんご存知の別の手段があるでしょう。また、そろそろCDではなくUSBスティックのみで売り出すアーティストも出てくるという。

 84年は、CDはそこそこ出ていましたが、まだ塩化ビニールの時代でした。LPレコードは、針が内側になればなるほど溝の感覚が細くなり音質が悪くなるので、AB面の最後の曲は多少手を抜く、みたいな不文律があったそうですが(山下達郎氏弁)、今は新しいアルバム製作にはその度毎にグレイテストヒッツアルバムを作るんだ、みたいな意気込みが必要な時代になっているんだと思います。

 さて、もう一つクイズ。これは答に主観が入りすぎているので怒られるかもしれませんが、以下の曲、というよりアーティストの共通点とは?

17位 Yes     “Leave It”

 16位 Hall & Oates “Adult Education”

 12位 Kool & the Gang “Tonight”

11位 Steve Perry “Oh Sherry”

9位 Denniece Williams "Let's Hear It for the Boy”

 4位 Kenny Loggins “Footloose”

 2位 Lionel Richie  “Hello”

 1位 Phil Collins “Against All Odds”

フットルース But Seriously

 答、これらのアーティストは、本来は別に音楽のルーツを持っていて、少なくともデビュー時はスタイルが全く違っていたのが、この84年は商業路線に走ってポップになって軽くなったり、バラードに手を染めたり、サントラに走っていった人たちだといえます。他にもこの時期のシカゴなんかがその代表選手ではなかったでしょうか。まあ、売れて何ぼの世界ですし、時流に合わせることができるのも才能の一つですしね。それに何よりもリスナーとして楽しませてもらえましたし。どうこう言う気はありませんが(既に言っているか)

 そういう時代だったんですね。そんなことにいろいろ思いを巡らせることができた特集でした。またやってください。

 そうそう、それで、タイトルの説明。

Grand Funk

 Time Machineとは、今のベストヒットのタイムマシーンのコーナーで、克也さんが登場するバックにかかっているギターのカッティング。あれはグランド・ファンク・レイルロードのTime Machineという曲なんですね。そういうのを知っている克也さんかスタッフのどなたか、流石だと思います。

 ちなみに、番組創成期からずっと使われ続けているスター・オヴ・ザ・ウィークのタイトルバックにかかる、ファンファーレみたいなのは、マイケル・ジョンソンという、これまたフィリピン人や前長野県知事さんが好きそうな(前回の記事を読んでください)シンガーの“YouYou, You”という曲のイントロです。”You Can Call Me Blue”というアルバムに収録されています。

1984

 あと、1984。これはまさにこの年の元日に発売になったヴァン・ヘイレンのアルバムのタイトルで、同名の曲も収録されていました。「ジャンプ」が入っているやつです。

 考えてみれば、1984年とは、ジョージ・オーウエルによる未来小説の舞台で、ヴァン・ヘイレンのそのアルバムもそれを意識したものでした。ビッグ・ブラザーという独裁者に監視される世界を想像したオーウエルと、実際に1984年を迎えてどこまで現実になっているか、などという検証がいろいろなマスメディアでされていました。その84年も、プリンスが歌った1999年も、歴史になってしまいましたね。

 そうそう、前回の記事で思い出せなかった、草彅剛、瀬戸朝香のテレビドラマのタイトルですが、あの記事を読んで下さっている希少な方々のお一人から、「成田離婚」であるとの御教示を受けました。ありがとうございました。お詫びして訂正いたします。草彅さん、いろいろありましたが、これもノーコメントで。まあ、もし自分を偽った姿で仕事をなさっているのだとしたら、ストレス溜まりますよね。

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2009年4月 7日 (火)

Open Arms

あら、珍しい。 

なんとメジャーで分かりやすいタイトルでしょう?!

まあ、いろいろなことに引っ掛けてあります。お楽しみに。

まずはご想像通り、ジャーニーのあの曲のこと。

前の記事でも書いたとおり、ちょっとブランクがあっていろいろ報告しなければいけないことがあって、順番が前後してしまいますが、こっちは時間的には近いほう。

 そのジャーニーのライヴ報告です。

 ベストヒットにも節目節目に出演多し、80年代の産業ロックの王道を辿った彼ら。

 80年代末の活動停止以来、分派がバッド・イングリッシュを作ったり、90年代は数度の企画的な再結成を経て、くっついたり離れたり。

 しかしまたここ数年の活動再開は本気のようです。

 全盛期からのメンバーは、ギターのニール・ショーン、キーボードのジョナサン・ケイン、ベースのロス・バロリー、これにニール、ジョナサンとはバッド・イングリッシュ以来の付き合いのディーン・カストロノヴォがドラム。

 そして今回の話題は、新リードヴォーカルのアーネル・ピネダ。

 フィリピンから新加入しました。

 そのためか、というかそれ以外に理由がないのですが、観客にフィリピーノ、フィリピーナが多かったこと。観客席からフィリピン国旗を大弾幕で広げたり。開始前のロビーでもタガログ語が飛び交う(ちなみに小生、タガログ語、タイ語、ほんのちょっと分かります。なぜでしょう?深い意味はありませんが。名誉のために言っておきますと、スペイン語、ロシア語はそれ以上に分かります。フランス語ドイツ語全然ダメ。クリスティナ・アギレラのあの曲程度)、記念写真をパチパチ。

 ちなみにフィリピンという国の音楽事情、暇があったら詳しく調べてみたいのですが、その暇というやつがないのが口惜しい。ひょっとしたらフィリピンは、日本以上に日本的な「おしゃれ洋楽」が好きな国のようです。

ボーン・フォー・ユー~ヒズ・ベスト&モア#紙ジャケット仕様#

 デヴィッド・ポメランツという人がいます。70年代ちょっと活躍したシンガーソングライター、しかし実際にはアメリカではソングライターとしてのみ捉えられていた人で、バリー・マニロウのヒット曲、”Trying to Get the Feeling Again”, “The Old Songs”なんかの作者です。

If I Should Love Again

 これらの曲、デヴィッドもレコードを出しますが、本国アメリカでは全然売れなかった。

 日本では、”The Old Songs”に関して、前長野県知事、現参議院議員のあのお方の処女作「なんとなくクリスタル」でポール・デイヴィスと共に取り上げられたり、また10年くらい前でしょうか、主演は草彅剛、瀬戸朝香で、ドラマ名をはっきり憶えていませんが「見合い結婚」だったかな、そこで剛君の好きなレコードとして毎回出ていてストーリーの横糸に使われたりして、知る人ぞ知る存在でした。

 その程度の人だったのですが、このデヴィッド・ポメランツのレコードはなぜかフィリピンだけでバカ売れしました。そこで彼自身、もう完全にフィリピンに移住しちゃって、録音もライヴも全てフィリピンのミュージシャンと活動しています。

I'd Really Like to See You Tonight and Other Hits

 これまた70年代に活躍した、爽やか系ポップスで「秋風の恋」などヒット曲も多かった男性デュエット、イングランド・ダン&ジョン・フォード・コーリー。

 これも90年代後半になってフィリピンでブームと呼ばれたくらいCDが異常な売り上げをして、30年近く音楽から身を引いて宗教活動をしていたジョン・フォード・コーリーが復活して、彼の場合移住までは至っていませんが毎年フィリピンでライヴをして、フィリピン向けのアンソロジーCDが発売されたりしています。ちなみに相方のイングランド・ダンことダン・シールズは、カントリーに転向して成功するなど音楽活動は続けていて、彼は「想い出のサマー・ブリーズ」などの大ヒットがある、もう一つの男性デュオ、シールズ&クロフツのジム・シールズの実弟なのですが、現在はその兄弟がSeals & Sealsとしてデュエットで活動しています。

 まあ、そんなことから、フィリピンというのは不思議な音楽志向性を持っていて、オシャレポップスが日本以上に受ける国だという想像ができるのですが。

 閑話休題。ジャーニーに話を戻します。

 スティーヴ・ペリーとは完全に決別、00年代前半の再結成企画ではペリーに声質に似た別のスティーヴが参加しましたが彼も体調不良を起こした。そこで新たなヴォーカルを物色していたニール・ショーン。たまたまYouTubeをサーフィンしていたら、フィリピンのライブハウスでスティーヴ・ペリーそっくりにジャーニーの曲を歌っている男の映像に出くわした。それがアーネルだった。ニールは早速メールでアーネルにコンタクトを取ろうとしたが、アーネルは最初、悪質ないたずらだと思って返事をしなかった。ところが周囲の人たちが返事だけでも出してみたら、と強く勧められたのでレスを送ってみたら、今度はニールに加えて、ジョナサン、ロスからもメールが返ってきたので、本物だと分かった。本当に、「あの」ジャーニーから加入を打診されているのだ、と。

 そんな、インターネット時代ならではの国境に穴を開けたシンデレラストリー。

 彼は母親を無くしたばかりで、今の自分の成功した姿を人目見せてやりたかった、という。第三世界の国にありがちですが、フィリピンも物凄く貧富の差が大きい格差社会で、実はアーネルはこんな運命のいたずらでもなければ下のほうの階級で場末のバーで歌っていたのでしょう。

 サンフランシスコ・ベイエリアをベースにしていたバンドにフィリピン人が入ってくる。

 いいじゃありませんか。

 以前書きましたが、僕はオバマ大統領を単なる黒人の大統領としてではなく、多民族社会アメリカの象徴として登場したのだと考えています。それとおなじことじゃないですか。異文化人を大きく「両腕を広げて」迎え入れたわけですから。

 それでとにかく、ご存知かもしれませんが、アーネルの声はスティーヴ・ペリーのそれにそっくりです。

 ルックスも似せようと長髪にしています。ただ、背は小さいですね。スティーヴは80年代の全盛期は長身に長いコートテールで「茶羽ゴキブリ」と一部であだ名されていましたが、長髪、小柄でちょこまか動くアーネルで、小生は、最初のシリーズの頃の20台の「金八先生」を思い出してしまいました。でも彼、実は既に40の大台を過ぎていて、つまり小生と殆ど変わらないんですよね。ニール、ジョナサンたちこそ今までジャーニーの名前を背負ってきたのに、ステージ上では無言で演奏に徹して、MCも盛り上げもアーネルに任せて、すでに信頼を得ている感じでした。

Journey_setlist

 今回も幸運にもミキサーさんからセットリストを頂きました。

REVELATION

ジャーニーの最新CD ”Revelation”は二枚組で、一枚目は新曲、二枚目は80年代のヒット曲をベスト盤形式で選曲し、アーネルをフィーチャーした再録音。その中から去年、一番ヒットした曲は”After All These Years”という、”Faithfully”を焼き直したようなロックバラードだったのですが(ちなみに先ほどの、ニール・ショーンがYouTubeでアーネルを発見したときの動画は、”Faithfully”を歌っていたものだったらしい。でも今回のライヴではその一曲だけ、ドラムのディーンがリードヴォーカルを取っていました)、その曲も演られず、80年代のおなじみの曲6割、ニューアルバムからの新曲4割という感じでしたが、ハードロック色を強く出そうとしていたように感じられました。

Frontiers

 ニューアルバムの1曲目でもある”Never Walk Away”から始まり、全盛期の後期の曲に怒涛のメドレーで続く。ちょこまか動くアーネルは前列席で手を伸ばす聴衆たちに、ウエーブを作るように右から左へと全員にハイタッチをしていく。バラードのヒット曲は、真ん中あたりの8曲目に”Lights” ”Still They Ride” をメドレーでやったり、それに続けて例の”Open Arms”に続けて、最後から2曲目に”Faithfully”を持ってきたり、要所要所でロックバラードを入れていましたが、例えばあの泣きの”Who’s Crying Now”なんかは演らなかったわけで全体的にハードな曲が中心の選曲、ニューアルバムからもそちらの方から、全体の中でも一番盛り上がったのはやっぱり”Separate Ways”,”Don’t Stop Believeing”など、”Escape”のアルバムからの曲でした。その当時、80年代初めのギターキッズたちのお手本となったニールの連符速弾きはいまだに健在と見ました。

Escape

 いい意味であまり自己主張をしそうでなく、つまりニールとあまり喧嘩しそうにない従順な、しかも全盛期の雰囲気を忠実に再現できる新たなフロントマンを得たことで、このジャーニーというグループ、もう少し長く続きそうだ、と感じました。

 

 もう一つの Open Arms

 43日放送のファンフラをお聴きになった方。克也さんに時々合いの手を入れていた子供の声に気づかれましたか?

 それは私の息子、阿南”Ricky”紀輝(のりき)8歳だったのです。

 春休みを利用して上京帰省し、金曜日が重なっていたので、銀座のスタジオに突然に親子でご挨拶、というかお邪魔しに行ってしまいました。いろいろ悪戯もしてご迷惑もおかけしました。でも放送事故には至らずほっとしています。大喜びで、「カンカン!」や「ブー!」に参加できた時ははしゃいでました(親も!?)

 放送でも、「君、小林克也の孫じゃないの?」とおっしゃってくださいましたが、本当に孫のようにゴム割り箸鉄砲で遊んでくださったり、感謝です。スタッフの皆様も、音に関係ない程度に機械をいじらせてくださったり、いい経験、思い出になったと思います。

 本当にありがとうございました。

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おやつを賭けてじゃんけんポン。愚息が負けましたがちゃんと分けて下さった御大でした。

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ちゃんと原田Dのお手伝いもしました。未知の世界に興味津々、でも御大のお邪魔にはならないように・・・

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突然お邪魔して失礼したにもかかわらず、「もろ手を広げて」歓待してくださった克也さんと銀座ファンキーズの皆様、ありがとうございました。お疲れ様でした。

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