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2009年6月15日 (月)

We'll Never Have To Say Goodbye Again

 入院中の病室で書いています。

 以前にも書きましたが、二度目の入院です。

 大手術入院中でも病室で連載を続けた海老沢泰久氏の気分を味わうために。

From the Inside

 あるいは、1977年から78年にかけて麻薬中毒と極度の鬱病に襲われて精神病院に長期入院を余儀なくされ、病室で抱いた看護婦への妄想とか、退院した後の将来への不安とか、精神病院をテーマにしたコンセプトアルバム From the Inside を、当時エルトンと仲違いしていたバーニー・トーピンと一緒に作ったアリス・クーパーの気分を味わうために。

 なかなか希な機会だとは思いますので。あまり多かったら困るけど。

 私の場合は検査入院なので、気楽なもんですが。

 ある人に言わせれば、病院とは、生きて出て行くか、ダメで戻れないか、そういうところだと割り切れ、と。

 そんな中で、縁起でもない(?)話題を書きます。

 アーティストの訃報。

 2回前の記事でしたか。ジャーニーの新加入ヴォーカルがフィリピン人だということで、フィリピンの不思議な音楽事情にちょっと触れ、日本以上に70年代、80年代のお洒落ポップスが受け入れられている国かもしれない、と書き、このグループを紹介しました。その時の本文をそのままコピペします。

これまた70年代に活躍した、
爽やか系ポップスで「秋風の恋」などヒット曲も多かった男性デュエット、
イングランド・ダン&ジョン・フォード・コーリー。
これも90年代後半になってフィリピンでブームと呼ばれたくらいCDが異常な売り上げをして、30年近く音楽から身を引いて宗教活動をしていたジョン・フォード・コーリーが復活して、彼の場合移住までは至っていませんが毎年フィリピンでライヴをして、フィリピン向けのアンソロジーCDが発売されたりしています。

ちなみに相方のイングランド・ダンことダン・シールズは、カントリーに転向して成功するなど音楽活動は続けていて、彼は「想い出のサマー・ブリーズ」などの大ヒットがある、もう一つの男性デュオ、シールズ&クロフツのジム・シールズの実弟なのですが、現在はその兄弟がSeals & Sealsとしてデュエットで活動しています。

Nights Are Forever Summer Breeze

 その後に知ったことなのですが、このイングランド・ダンことダン・シールズは既に鬼籍に入っていたとのことでした。知らなかったこととはいえ、申し訳ありませんでした。

 今年の325日逝去。悪性リンパ腫のため。

 70年代後半、カーペンターズやバリー・マニロウなんかに代表されたアメリカ産良質ポップスの流れを汲んだ人たちでした。

 このシールズ兄弟を中心とした、二つのデュエットチーム、家族的な繋がりがあったことは当然想像できるのですが、もう一つ、宗教というより大きな次元でつながっていました。

 そして音楽的ルーツも、50年代にまで遡れます。

 このシールズ兄弟、ジョン・フォード・コーリー、ダッシュ・クロフツは、バハーイ教(表記方法は諸々あるようです)信者でした。

 論じるほど詳しく知りませんし、入りすぎて間違ったことを書いて問題を起こすといけませんから簡単な記述に留めますが、イスラム圏で誕生したもののキリスト教に近い教義を持ったために迫害を受け、信者が世界中に散らばった歴史を持つようです。人種を超えた融和(ジム・シールズの奥さんはアフリカ系)、博愛、絶対平和が教条の柱のようで、司祭など信者の中で階級が全く存在しないのも特徴のようです。

 シールズ&クロフツ、イングランド・ダン&ジョン・フォード・コーリーのレコードの中ジャケには、必ずこのバハーイ教の宣伝が出ていました。

 小生は日本でのバハーイ教信者だという人に一人だけ出会ったことがあります。156年前、大学教員として駆け出しの頃、東京の某私立大学の学生さんでした。その人は、シールズ&クロフツは知っていましたが、イングランド・ダン…は知らなかったようです。もっと、日本にはどれくらい信者がいるのかとか、訊いておけばよかった。

 そしてその音楽的ルーツとは。

 この連載で数年前にチラッと書いたことがある、チャンプス「テキーラ」なのです。

 その時の文章も持ってきてしまいましょう。

 

さて、この流れで、ビルボード誌が最も歌詞の短いNo.1ヒットとして記録しているのは何でしょう? 

50年代の、チャンプスというグループの、「テキーラ」という曲です。聞いたことありますか?テキーラ!という掛け声しか入ってない。

 この曲についてもいつか書く機会があるかもしれません。

なんと20069月の記事でした。その後始末を今回することになろうとは。

このチャンプス、大人数のグループでしたが、全員がバハーイ教信者、ということで繋がっていたのです。シールズ&クロフツもこのチャンプスに参加していました。

 ここから派生したシールズ&クロフツは70年代前半になって、既出の「思い出のサマー…」や「ダイアモンド・ガール」、アメリカの大学の卒業式の「贈る言葉」並みの定番となった「この道はひとつだけ」などヒット曲を連発しました。

 シールズ…は、中近東の弦楽器を取り入れてみたり、曲としても宗教色が強く出ていたものがありましたが、70年代後半になって全盛期を迎えた弟のイングランド・ダン&ジョン・フォード・コーリーは、時代の流行にうまく乗ったハーモニーを生かした爽やかポップス、「秋風…」の外にも「眠れぬ夜」「愛の旅立ち」、トッド・ラングレンのカバー「愛の証」などトップ10ヒットを連発しました。

Dowdy Ferry Road

 テキサス生まれながらなぜかイギリス訛りで喋っていたことから付いたあだ名。

 80年に入って解散。ジョン・フォード・コーリーはソロアルバムを出した後、宗教活動に専念し音楽の世界から遠ざかります。その間、バハーイ教からキリスト教に改宗したようです。それが運命のいたずらでフィリピンで復活したことは2回前に書いたとおり。

 イングランド・ダン・シールズは音楽を続け、80年代に入ってもデュエット時代の延長で、TOTOのメンバーをバックに従えたソロアルバムを作ったりしますがセールス的に成功できず、カントリーに転向して、80年代半ばから90年代にかけて大成功を収めます。これまた去年逝去したポール・デイヴィスとコラボレートしたり、マリー・オズモンドとデュエットしたり。

 そして近年、全盛期にはなかなか共演しなかった兄貴のジムと兄弟デュオユニットで活動し始めて古いファンを喜ばせていた、そんな最中でした。

 ちなみに小生がダン・シールズの訃報を知ったのは、ケーシー・ケイサムのカウントダウン番組でした。アメリカントップ40の黄金期に自分自身が紹介していた、自分よりも何歳も若いアーティストの訃報を、30年後に自分が読むことになる、などと想像していたでしょうか。

 小生でさえ、自分より若いアーティストの死を既に何度も見ているわけですから、克也さんは尚更でしょうね。でもまだケーシーに追いつくには10年ありますよ、克也さん。

 もう一つの、昔の記事の後始末。なんとこの連載第二回目、つまりこの克也さんサイトが産声を上げた直後のものです。20058。これも直コピペ。

御巣鷹山の墜落では、日本の洋楽ファンなら知る人ぞ知る悲しい損失がもう一つあるのですが、今日は長くなってしまったのでいずれ機会があれば。

 また今年も夏がやってきます。

坂本九に次ぐ、日本の洋楽ファンにとっての85年日航機墜落事故の損失とは。

 実はこの機に、このイングランド・ダン&ジョン・フォード・コーリーの日本ファンクラブ副会長が搭乗していて、やはり犠牲になっていたのでした。女性で、新婚旅行の最中でした。やり切れません。

 We'll Never Have To Say Goodbye Again 彼らのヒット曲の一つ、「愛の旅立ち」の原題です。もうさよならなんて言う必要ない、恋人同士の仲直りの曲。

 そんな誓いを立てた恋人同士が添い遂げたとしても、人間である限り、どうしても死別のさよならはあるのですよね。

Some Things Don't Come Easy

 諸行無常。

 病室の窓から外の緑を眺めて、ついそんなことにも思いが及んでしまいました。

 でも小生はまたすぐ戻ってきますからね。克也さんのように。

Tequila: The Champs Greatest Hits

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