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2009年7月 7日 (火)

Show You the Way to Go

Off the Wall スリラー#紙ジャケット仕様#

マイケル・ジャクソンですか…

 そりゃ突然なことだったのでびっくりはしましたが、正直申しましてそれほどの衝撃は受けていないですね。

 いろいろな理由が考えられます。

 僕は、ベテランアーティストが歳をとってからどんな風になっているか、かなり前から色々想像していて、それがけっこう当たっていたりするんです。

 記録に残しているわけでもないし、誰かに話した憶えもあまりないから証拠がないのですが。

 例えば、ポール・マッカートニーは、寡作になるけれど、振っ切れて、ウィングス時代は極力避けていたビートルズ時代の曲をライヴでやるようになるだろう、とか。エルトン・ジョンは昔からスタイルをほとんど変えなかったので、流行に関係なくそれを貫いていくだろう、ロッド・スチュアートは臨機応変に自分のスタイルを変えてきて、自分のかっこよさを知っている人だから、歳に応じて渋みを増してくるだろう、マドンナは自分のトータルな美を磨くことを怠らず、年齢を感じさせないスタイルでイメージは不変だろう(由美かおるか?)、とか。

 ところが、歳をとったマイケル・ジャクソンの姿は、全く想像できなかったんです。

 より正確に言うと、想像はしていましたが、その想像が「空白」だったのです。

 すなわちマイケルはいずれにしろ、50前後で引退宣言をするだろう、あるいは明確な宣言はしなくても表舞台には極力出で来なくなり、新譜も発表せず、事実上の引退をしてしまうだろう、と。

 彼の体調も大きな理由です。彼がどんどん白くなっていったのは、彼がそういう手術を受けたのではなく、メラニン色素が極端に減少していく病気だったんですね。ライオンとかでも稀に真っ白なのが生まれますが、日光に当たることができず、他の病気も併発して短命の場合が多い。彼の場合も、正式な死因の発表はまだですが、遺書を残していたことから想像するに、はっきり自分の死期を認識していて、体はぼろぼろになっていたのでしょう。

 それ以上に彼は、10歳いくかいかないかで頂点を極めてしまい、それ以降40年間、彼のやることそのものが時代を作り続けていた。その彼が時代を作れなくなってしまったとき、どうなるのか。

 急逝、というのはその一つの答えだったのかもしれません。

 ジェームス・ディーンが事故死したときのことは、僕は当然ながら全く知らないのですが、どれくらいの人が、それ以降の彼がどのような映画を作っていったか、を想像していたでしょうか?

 人が死ぬことによいことは何もありません。しかし、結果は受け入れなくてはいけない。

 それがマイケルほどの時代の寵児、いや時代の創造者だった場合、その役割を終えたら疾風のごとく姿を消すというのは、日本史でも世界史でも珍しくない話で。

 そんなジェームス・ディーンやリンカーン、織田信長(人間五十年、下天の内を較ぶれば…)みたいな要素を感じてしまって、納得している部分があるというのが正直なところです。

 やはり私は、捻くれ者ですね。それに尽きると思います。

 ブログなどで彼の死を悼んでいる人たちのかなりが、僕より少し上の世代で、「ベストヒットUSA世代」を自認しているみたいで、克也さんの名前をお借りしている私のサイトにもアクセスが増えました。

 でも小生本人は、その世代だとは思っていないのです。

 その世代を名乗る人たちは大体小生より23上の人たちなのですが、それより若くても洋楽を聴き始めたのが早く、小学校45年の道徳の時間に「尊敬する人は?」と先生に聞かれて「エルトン・ジョン」と答えていた生意気なガキンチョだった小生は、そりゃベストヒットは(今でも)大好きな番組で希少な洋楽情報番組として楽しんでいたのですが、それに世代を投影するまでにはいきません(克也さん、ゴメンナサイm(_ _)m、でもだからこそ克也さんは小生にここで書かせて下さっているんですよね、そう思っています)。

Bad Dangerous

そういう小生にとってのマイケル・ジャクソンとは、Off the Wall, Thriller, Bad, Dangerousなどソロは全部持っていますし、ビデオクリップ集もあり、それなりに楽しみましたが、入れ込んだ、というほどではなかったのです。捻くれ者としてはどうしても一番売れているものには冷めて見てしまう悪い癖がありまして。

僕が一番好きだったマイケルは、クインシー・ジョーンズやジョン・ランディスに出会う前のマイケル、つまりジャクソン・ファイヴ末期、ジャクソンズの一人としての彼なんです。

Playlist: The Very Best of the Jacksons

10歳になるかならないかでデビューから4曲連続でナンバー1を飛ばして、それはモータウン全盛期末期のバブルガムミュージック大量生産体制の最後の踏襲者としてのものだった。その後、共演したスティービー・ワンダーあたりに入れ知恵されたか、モータウン路線に反発するようになり、兄弟独特のコーラスワークを生み出したりして、その二つの路線の妥協として、ディスコなどにも影響されたジャクソン・ファイヴ名義最後のナンバー1ヒット「ダンシング・マシーン」が出たのが74年。

その後モータウンと完全に決別し、モータウンの重役の娘を嫁にもらっていた長兄ジャーメインはその腐れ縁で残留を余儀なくされ、残りの兄弟たちはエピックレコードに移籍して、名前もジャクソンズに変えた。

僕はこの75年から78年ころのジャクソンズ、というかマイケル、が一番好きなんです。

The Jacksons

76年に移籍第一弾で発表したセルフタイトルアルバムは、名盤です。フィラデルフィア・サウンドを支えていたギャンブル&ハフのコンビと組んで製作、ストリングスを生かしたフィラデルフィアソウルと彼らのコーラスワークを融合させた美しい極が並び、”Enjoy Yourself””Show You the Way to Go”など、大ヒットとは行かなくてもそこそこ受け入れられファンの記憶に残るヒット曲も生まれました。その2年後の2枚目Destinyでは、まだ誰の影響も受けていない、彼ら独自のディスコ・ダンスミュージックの解釈を展開して”Shake Your Body”なんて、他にはあまり例のないリズムでのヒットを生み出した。

Destiny

ところが79年、以前からのマイケル人気に目を付けたエピックは、クインシー・ジョーンズとマイケルを組ませてソロアルバム、Off the Wall を作らせて、これが記録的ヒットになってしまう。

Triumph

そこから、皆さんご存知の歴史が始まってしまいます。しかしその裏では…

ジャクソンズとしてはどうしてもマイケル色をさらに強める必要に駆られてしまい、80年に出したアルバムTriumphは、彼らのセルフプロデュースのはずながらOff The Wallの二番煎じみたいな音になってしまったし、Thrillerの歴史的ヒットの後の85年に出たVictoryでは、ミック・ジャガーとジャクソンズの共演”State of Shock”が大ヒットしてしまう。しかしこれはどう聴いても、ジャクソンズとミック・ジャガーというよりは、マイケルが個人的にポール・マッカートニーと共演して”Girl is Mine” “Say Say Say”と連続大ヒットを飛ばしたこととパラレルに見えてしまう。

Victory Pipes of Peace

その後の兄弟は、マイケル、ジャネットのバカ売れもあり、空中分解状態になってしまう。

でもそれが一段落した後にジャクソンズとして久しぶりに出した89年の 2300 Jackson Street は、実に肩の力が抜けていていい作品でした。やっぱり自分たちが血の繋がった家族なんだ、ということを再確認したような。ぜんぜん売れませんでしたが。

2300 Jackson Street

まあそんなわけで、マイケルほど世界中に知られていれば人それぞれのいろいろな解釈が可能な訳で、一捻くれ者として見たマイケル論でしたが、もし彼がクインシーやジョン・ランディスと組まされることがなかったら、ジャクソンズはもっと音楽的に成熟したすばらしい音楽を作ってそれなりの成功を収め、マイケルも急逝することもなかった、と考えるのは私だけでしょうか。

オバマ大統領も声明を出したとおり、私生活ではいろいろありましたが、10歳からわれわれとは上の世界に行っちゃっていた人でしたから、仕方のないことでしょう。

いずれにせよ、我々に「進むべき道を示して」くれ続けて、疾風のように去っていった時代の申し子の急逝には、改めて合掌。

克也さんの新番組、全国ネットでよかったです。

克也さんが日記で書かれているとおり、アメリカのラジオ業界はいろいろ動いていますね。次回はその話題になるでしょう。

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