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2009年8月24日 (月)

Saturday in the Park (Part 1)

サイモン&ガーファンクルのリポートで一回飛ばしてしまいましたが、予告していた、小生が感じるアメリカのラジオ業界の変化について、が今回のテーマです。

克也さんの618日付日記にあったように、巨大資本によるラジオ局の買収競争の影響が、小生のラジオ生活にも微妙に影を落としつつあります。

小生に直接影響しているのは、クリアチャンネルとCBS Radioですね。

アメリカのラジオが大好きな小生は、地上波で進駐軍放送(FENAFNのことです)しか選択がなかった少年時代に比べ、ストリーミングでいろいろなフォーマットのラジオ局がオンタイムで聴けるようになったインターネットの普及には感謝しているのですが。

おそらく一番多くの局を買い占めていて、ストリーミングの方式を統一しているクリアチャンネルが、アメリカ国外への配信をシャットアウトしてしまい、かなりの数のお気に入りだった局が聴けなくなってしまったのは以前書いたとおり。

それでもインターネットではどんな分野でもありそうな話ですが、「裏サイト」(そんないかがわしいものではありませんが)があって、クリアチャンネル支配下の局も国外から聴けるようにしてくれていました。ところが敵もさる者、クリアチャンネル側もある日突然ストリーミングの方式を一斉に変更してそういうサイトへの嫌がらせをしたり、またそのサイトもその新方式に対応するように変更してくれたり、そういう鼬ごっこが数ヶ月ごとに起こっていました。現在では、クリアチャンネル支配下局は全てではありませんがそのサイトのお陰で大部分聴けるようになっていて、一応安心しています(関心のある方は小生に御一報下されば、その裏道をお教えいたします)。

大物DJになりますと各局ではなくこの「親会社」と契約する形式があるようで、小林克也、ウルフマンジャックらと並ぶ小生の少年時代からのラジオヒーロー、今でも現役のチャーリー・ツナですが、去年の春までこのクリアチャンネル傘下にあるロサンゼルスKBIGという局の月金朝の帯を担当していましたが、このKBIGがトップ40からHOT ACにフォーマットを変更したとき(フォーマット変更は珍しくない話で、この程度なら可愛いほうです。昨日までソフトACを流していた局が日が明けていきなりDJ全員スペイン語になってラテン専門局になったりする)、KBIGからは降板しましたが、まだクリアチャンネルとの契約期間が残っているという理由から何ヶ月もラジオに登場しない空白の時期がありましたが、現在はCBS Radio配下、やはりLAの名門60年代オールディーズ専門局K-EARTHに移籍し、土日の朝(日本時間では日月早朝)時間帯を担当しています。

そのCBS Radio,クリアチャンネルほど阿漕なことはやっておらず、その傘下局は日本にいても何も問題なく聴けるのですが、最近やはり不気味に手を広げつつあります。

なんと、ヤフーのラジオ部門を買収してしまいました。

それまでのヤフーのラジオとは、ジャンル別、アーティスト別に無数のホームページ形式ラジオ局があり、またユーザーも自分の好みのジャンル、アーティスト、アルバム、曲に得点を入力していくことによって、その結果によって好みのタイプの曲を自動的に選曲してくれる、自分だけのラジオ局をカスタマイズで持てる、といううれしいサービスがあったのです。

小生も、IDを二つ持って、ロックっぽい選曲のやつと、R&Bっぽい選曲のやつ、二つ局を持っていて、「遺失物移管所」サイトにも貼り付けていました。世界中の音楽ファンがこのサービスを利用し、想像つかないほどの数のネット上仮想ラジオ局があったのでしょう。

ところが、この買収劇の結果、パーソナル局のサービスが一瞬にして消えてしまいました。
 現在はヤフーとCBSとの交渉で、CBSはヤフーに倣って、それまでなかったジャンル、テーマ別のノンDJ局を作って代替に近づけようとしてはいますが。

自分の好みでカスタマイズできるラジオ局の楽しさには遠く及ばない。自分のテイストに近い曲が、次に何がかかるのか予想できないまま流れてくるのは仕事中、遊び中のBGMとしては最高でした。これがなくなってしまったことは本当に痛い。

また、似たようなサービスをしていたFinetunesという音楽SNSもありましたが、これもほぼ同時期に自分の選曲リスト(「局」に相当します)を新たに作ったり新たな曲やアーティストを加えたりすることができなくなりました。その時点以前に作った選曲リストによるランダムプレイは残されており、そういうわけでもう更新はできませんが機能はしています。これも小生のサイトに貼り付けてありますからBGMにどうぞ。

これらはラジオ業界に巨大資本の手が伸びてきているというよりは音楽の著作権から発生した問題かもしれませんが。いずれにしろ裏で得体の知れぬ巨大な力が動いていることは想像に難くないわけで。

最近のベストヒットも、R&R誌社がビルボードに買収された2年前から予想されていたことですが、番組開始以来四分の一世紀以上名物だった、「有名な業界誌、ラジオアンドレコーズのチャート」のコールができなくなったのは寂しいですね。

克也さんは、アメリカから地方色を持ったラジオが消えてしまうのではないか、と悲観的なご様子ですが。

確かに、そういう巨大資本の影響からか、地方のオリジナル番組やCMスポットはどんどん減っていき、シンジケート番組がどんどん幅を利かせているようです。例えばACフォーマットの局では全国的に月金の夜5時間(日本だと朝になります)、一様にデライラというおばさんの番組をやっていて、リスナーと電話で結んで「あの人に贈りたいfrom me to you」リクエストみたいなことをACの曲で延々とやっています。この時間帯、どこの局にチューンしてもそれをやっているんです。このデライラという人、それ自体は悪いことではないのですが、彼女自身が多くの孤児の里親になっていて、ラジオを通じて孤児救済運動をやっているような人で、ちょっと宗教がかっていて、どうもテイストに合わないので、ACフォーマット局は嫌いではないのですがこの時間帯だけは避けています。
 確かにラジオは変化するでしょう。

そのようなラジオの「全国化」にあわせて、小生のように海外でPCで聴いたり、アメリカ国内でもPDA,スマートフォン、iPodなどでこれらのストリーミングを受信する人たちが少しずつ増えている。

それでも、アメリカの本質は日本の25倍ある広大な田舎で、その田舎に住んでいてこのオバマ政権のご時勢でも共和党を支持している人たちは、相変わらずトラックのカーラジオで地元の出力の弱い局からカントリーやオールディーズを聴いているのだと思います。

そういうアメリカが半分残っている限り、古きよきラジオのスタイルは不変だと思いますが、どうでしょうか。克也さん。

アメリカのラジオ業界の「歴史的」変化について、実はもう一つ書かなければならないことがあるのですが、また長くなってきたので次回に回します。なぜタイトルがSaturday in the Parkなのかの種明かしもそちらでしますね。

87日、お盆の帰省を利用して上京、またまたファンキーなスタジオにご挨拶、お邪魔してしまいました。銀座ファンキーズの皆様、またまたご迷惑をおかけしましたが、楽しい時間をすごさせていただきありがとうございました。いろいろ大変なことのあった日でしたが(813日付克也さんの日記参照)、愚息をカンカンクイズの子供鼻歌に出演させてくださりありがとうございました。Queen”We Will Rock You”だと正解を出してくださった方、ありがとうございました。

リスナーの投稿では「ロートルズ」とか「ローガンズ」とか無茶苦茶言われていましたが、実際は平均年齢はすごく低く、エネルギーに満ちて仕事に燃えている人たちばかりですよ。リスナーの皆さん、もっとスタッフの人たちに敬意を払いましょう。もちろん、克也さんにも。

Tebasaki_sshusei Kats_ricky_gyao_shusei


名古屋土産の名物(?)手羽先パイ。評判はどうだったかな?ビートルズ「青盤」の裏ジャケとのコントラストがなんともいい味を出しています。

Kats_rick_mugyu_shusei Kats_harry_aheahe_shusei_2

愚息と孫みたいに遊んでくれた克也さん。偶然にも服の色が同じ空色だった(その次週放送のベストヒットでも着ていらっしゃいましたねえ)。長丁場でお疲れの克也さんを、指圧マッサージのいろはを少し「門前の小僧」でやった小生が失礼して。思いっきりツボを外してしまい苦痛を通り越してアヘアへ顔になってしまった克也さん。腕に隠れてしまいましたが小生のファンキーオッパイTシャツにもご注目ください。

*2010年4月現在、CBSも傘下の一部の局の海外に向けてのストリーミングをブロックし始めました。

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2009年8月 2日 (日)

Old Friends

セントラルパーク・コンサート [DVD]

サイモン&ガーファンクル、日本ツアー第一回目を観ました。

 外タレ日本縦断ツアーの場合、ここ名古屋は大抵最終日に回される。東京や大阪みたいに2,3回の公演は必要なく一回だけですむし、そのくせ国際線が整備されているから翌日すぐ帰国できるからですね。

 今回はその逆、というわけです。来日してすぐ初日。今回はニュージーランド、オーストラリア、日本というツアーで、オーストラリアからの飛来ですから来易さもあったかもしれません。

 会場はドラゴンズがロード中のドーム球場。

 観客の年齢層は高い高い。小生の父親かと思うような方々もかなりお見受けしました。

 それでもアリーナ、外野ともいっぱいになり、終了間際には要所要所にガードマンが。その制止を振り切って、ミキサーさんに近づいてセットリストの余りを強請る私はいったい何者なのでしょう?ただし今回は、大人の方が多かったためか、ライバルが少なく比較的容易にもらえましたね。ただし名古屋のではなくその数日前の日付のシドニー公演のものでした。ここでは演られなかった曲も含まれています。他の場所では演った可能性もある曲ということですね。

Simon_garfunkel_nagoya_setlist

 ACT 1

 スクリーン映像から始まりました。「アメリカ」のメロディに併せて、高校生のときの初めてのライブの写真、彼らの全盛期のレコーディング中のスタジオ映像から、その同時代の世界の流れを象徴する映像、ニクソン、ブレジネフ、毛沢東、鄧小平、ネルソン・マンデラ、ゴルバチョフ、ベルリンの壁崩壊…(911事件はありませんでした。ニューヨーク出身の二人としてはまだ拭い去れない思いがあるのでしょう)

 そしてスポットライトがステージへ。観客がスクリーンに目を奪われている間にいつの間にか登場した二人。最初の曲はリストのとおりOld Friends でした。ポールのギター一本で。

Old Friends

 ここでひとつ、僕の予想が外れました。彼らは「あの曲」を発表して以来、二人のライヴは必ず「あの曲」で始めていました。それがそうではなかった。そこに今回の意味があったのです。

 2曲目から彼らがスクリーンに大写しになり、演奏もフルバンドになりました。2曲目「冬の散歩道」は、カバーしたバングルスのものから逆に影響されたのではないかと思うほど、エレキのツインギターで80年代っぽいアレンジでした。ここら辺、往年のファンはびっくりしたのではないでしょうか。その後もそういうのが続きます。

 しかし一旦はポールのアコギの連続和音ハマリングが印象的な”…Rock”。そして再び今度は彼らのヴォーカル入りの”America”

Bookends

 ここですこし間が空き、ポールが「僕の『古い友人』アーティだよ」とガーファンクルを紹介し、ガーファンクルが後方に用意されたベンチに腰掛け、ポールのギター一本、アーティのソロボーカルで、”Kathy’s…”

Sounds of Silence

 この連続する二曲にキャシーという女性が登場しますが、ポールの最初の恋人で、彼がイギリスに放浪するときにも後ろ髪引かれながらアメリカに置いてきた人ですね。

 この辺りから、今回のテーマ『古い友人』がクロースアップされます。

 アーティが「僕たちは高校で出会い、二人で曲作りを始めて、学校のパーティで演奏したんだ、こんな感じだったよ」と、”Hey Schoolgirl”。一分にも満たない短さでした。でもこの曲は1957年に既にローカルヒットになり、「トムとジェリー」という名で「アメリカン・バンドスタンド」への初出演も果たしているんですよね。そして「エヴァリー・ブラザースと一緒に、こんなのもカバーして遊んでいたんだ」と短くジーン・ヴィンセントの”Bee-Bop…”を。

Parsley, Sage, Rosemary and Thyme

 お遊びコーナーから、昔ながらのファンには涙物のコーナーへ。美しい反戦歌”Scarborough…”

 60年代末から70年代のフォークギター少年たちが挙って手本にしたポールでしたが、彼の双方には二つ特長があると思います。一つはツーフィンガーピッキング奏法といって、普通なら親指、人差し指、中指の三本でやる分散和音を親指、人差し指の二本でやってしまうこと、もう一つはギターのチューニングを変えずに不思議な響きの和音を発明すること。このあたり、チューニングを滅茶苦茶に変えることに命を賭けているようなスティーヴン・スティルスと違うところですが。この曲の美しいイントロのコピーにみんな苦労したみたいですね。

 そして、やはりポールがイギリス放浪中に故郷への慕情を歌った「故郷に帰りたい」。その週の『英語でしゃべらないとJr』(子供とちゃんと拝観してますよ)のWake Up Songのコーナーでも取り上げられていました。この来日にあわせた選曲だったのでしょうね。

ACT

 ここでまたスクリーンにオリジナル映像が映し出されました。今度は70年代以降、彼らのソロアルバムのジャケットの変遷や、アーティが一時映画俳優をやっていたときの映像など、そして「卒業」の若きダスティン・ホフマンが流れ、そのテーマ”Mrs. Robinson”へ。

The Graduate (1967 Film)

 さっき、彼らがライヴで必ずオープニングにしていた「あの曲」というのが、実はこれなんですね。伝説の81年のセントラルパークでのリユニオン・コンサートもそうでした。つまりここから前半とは別の第二幕がはじまる、という意味もあったのでしょう。

 ポールが「今にして思えば、アーティと一緒に録音すればよかったと思っている曲だよ」とMCが入って”Slip, Slidin’…”。これは1977年のポールのソロのベスト盤『エトセトラ』に入っていた曲ですが、ポールのこのコメントは僕にとっては実にうれしかった。僕も同じように、S&Gでやるべきだと思っていたし、そのセントラルパークで初めて二人でやったヴァージョンを聴いたとき、やっぱり正しかったと思っていました。

 そしてフォルクローレ「コンドルが飛んでいく」。アメリカでは中ヒットでしたが日本では最も売れたシングルだけあって、このとき一番拍手が大きかったです

Scissors Cut Fate for Breakfast

 ここでポールは引っ込んでしまい、アーティのソロのミニコーナーになりました。名古屋でやられたのは、”Bright Eyes”, ”Heart in New York”, ”Perfect Moment” “Now I Lay Me Down to Sleep”4曲でした。1979年イギリスで最も売れたシングルになった”Bright…”。そして、確かに「この曲をマイケル・ジャクソンに捧げます」と言って” Heart in…”を歌い始めました。アーティがソロ時代、ジミー・ウエッブに次いで好んで取り上げたギャラガー&ライルの曲で、丁度セントラルパークがあった81年に発表された、唯一の新曲として歌われた、アーティにとっては自信作でしたがあまり売れなかった曲。しかし、インディアナ生まれ、LAに移ったモータウンに育ち、LAで亡くなったマイケルに、どのような思いをこめてNYの曲を歌ったのでしょう?

 ニューヨーク、君の頭には金のことしかないんだね

New York, You got money on your mind

  And my words won’t make a dime’s worth of difference

 僕が何を言おうとも、1ダイム貨の価値にもならない。

So here’s to you New York

 そんな君に乾杯、ニューヨーク

歌詞のこの辺りが、商業主義の犠牲になったマイケルへの追悼、ということだったのでしょうか。

 “Perfect…”は比較的新しい2002年の”Everything has to be Noticed”からの、”Now I…”子供向けファミリー・アルバムからの曲でした。

 そして「僕の『古い友人』ポール・サイモンです」と紹介して、アーティは引っ込みました。ここからポールのソロのミニコーナーでしたが、古いS&Gしか知らないできた人はびっくりしたのではないでしょうか。

The Essential Paul Simon One-Trick Pony

 ここでは共に1986年の『グレイスランド』からの” The Boy in the Bubble”,”Diamonds on the Soles of her Shoes”が披露されました。南アフリカのリズムを取り入れて、ステージ上は物凄く暑くなった瞬間でした。

 ポールは、S&Gでも先程の「コンドル…」ではフォルクローレをやったし、ソロとしてのファーストシングル「母と子の絆」ではクラプトンが”I Shot the Sheriff”を演る前にレゲエを取り入れたし、ゴスペルも何曲か、そして上のリストには載っていますが残念ながらここでは演奏されなかった”Late in the Evening”ではカリプソをやった。ワールドミュージックへの飽くなき追求をしていたのですが、『グレイスランド』のときはまだ南アフリカ共和国がアパルトヘイト政策を採っており、そこのミュージシャンと共演したことで非難を受けたりしました。

 今回もリズム体にソエトやプレトリア出身の人をバックに従えていました。このパートでは、小生の父親世代の人たちは乗り切れなかったのではないかと思います。

 S&Gのレパートリーに戻って“Only Living Boy in New York”からバックにアーティが控えめに戻ってきました。

“My Little Town” 1975年に二人が共演で録音し、別々に二人のソロアルバムに収録され、トップ5ヒットになった曲です。

Still Crazy After All These Years Watermark

 彼らは70年の『明日に架ける橋』のアルバムに収録する数曲に関して意見対立を起こしていったんコンビを解消しますが、これはロックバンドにありがちな正式な解散ではなく、その5年後に「サタデイナイトライヴ」で競演し、それを切っ掛けにこの曲を録音し、またその2年後にアートのアルバムでサム・クックのカバー”Wonderful World”で競演しているし、その4年後には例のセントラルパーク、とちょくちょく繋ぎは取っていたんですね。そして今回。まさに腐れ縁の「古い友達」だったわけです。

 “My Little…”の楽譜をはじめてみた時に驚いた覚えがあるのですが、常識を無視した不規則な転調の連続でした。ところが全く不自然に聞こえない、ポールの曲作りの妙ですね。

Bridge Over Troubled Water

 そろそろオーラス。名曲「明日に架ける橋」。アーティがコーラス部分を除いて一人で歌ったレコードと違って、二番目の When you’re down and out…からはポールがリードを取りました。

 大拍手の中、一旦引っ込んで、再登場。

Wednesday Morning, 3 AM 

 アンコール一曲目は”Sound of Silence”

ここまで聴いて、この曲がアンコールに来ることは十分予想できていましたが、それを同演奏するのか興味がありました。この曲のオリジナルはアコギ一本の素朴な音、だけどポールがイギリス放浪中に知らないうちに大ヒットになっていて、ラジオで聞いて驚いた。それにはエレキの12弦とドラムが被さっていたからだ。

 セントラルパークでも、アコギ一本で演っていました。でも今回は、これだけ現代的なアレンジを取り入れてきたのだから、どういう演奏になるか?

 結果。エレキは入りませんでしたがドラムスは入ってきました。それでもオリジナルとは違い、音に厚みが出てより今っぽく聞こえました。

 その後、「ボクサー」を演ってもう一度引っ込む。まだ拍手が鳴り止まず、またまた登場し「若葉の頃」をしっとりと、「セシリア」を総立ちで派手にやり、拍手の中、メンバー全員を紹介して終了しました。

 本当に、「古い友達」の二人の、喧嘩を含めた友情の総括、といった感じでした。

 克也さんと同い年の二人、ポールはいまだに指は細かく動いてますし、アーティの「天使の歌声」といわれたあの高音も健在で、まだ何かやってくれそうです。克也さんもがんばりましょうね。

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