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2010年1月15日 (金)

Try to Remember/ The Way We Were

あけましておめでとうございます。

まだ正月ボケが続いている方もいらっしゃるでしょう。少なくとも小生はそうです。

ですので、少し正月らしいトピックで書きます。普段のような、洋楽に関するトリビアな内容は僅かになってしまうかもしれません。しかしより大きな意味での音楽の歴史の話になる可能性あり。

去年、ファンフラに二度も出演させていただいた愚息、”Ricky”紀輝(のりき)クン9歳。

小生、縁あって仕事で名古屋にいますが、両親は関東にいます。

小生と愚息も、冬休みの後半、ラッシュにできるだけ引っかからないように帰省しました。イベント参加や、お年玉ねだりが主目的でしたが。

リッキー君は、もう一つ重大なミッションを帯びて上京しました。ミッションとは大袈裟で、洗練された言葉で言い換えるといわゆる「宿題」ですな。

それは、オジイチャンオバアチャンのお家に行くことがあったら、「昭和」の時代を感じられるものを何か見せてもらって、それについての話を聴いて、教室で発表してください、というものでした。

昭和といわれましても63年もの長きにわたるわけでして、かく言う小生自身も人生の半分は昭和を生きていた訳でして、いろいろないわけではないですが。オジイチャンオバアチャンから情報をもらいなさいということは、できたら昭和の前半の時代を彷彿とするものを見せてもらえ、という含みがあるのでしょう。

小生のお袋は克也さんとほぼ同年代、親父はチョイ上です。

ちなみにリッキー君は炬燵を経験したことがありません。小生が子供の頃に入っていたものも、家を改築したときに処分してしまったとのこと。残念。

話を聞いて親父やお袋が出してきてくれたもの、すり鉢、昭和30年代の羽子板、いろいろありましたが、やっぱり一番古い、SPレコード盤がいいだろう、ということになりました。マイケル・ジャクソンの一件以来洋楽にも興味を持ち始めたリッキー君にもインパクト大きかったようです。

SPレコードとは何か。オジイチャンのお話もさることながら、このサイトにおいてセミプロ音楽ライターを始めて6年目、その意地にかけて愚息のプレゼンのカンペを作ってやることにしました。

しかし、工学技術や歴史を小学校低学年に説明するのは逆に難しいですね。小生が本当はこう言いたいんだけれど高度すぎて(?)いえない部分は(   )の吹き出しでコメントします。

「みなさんは音楽を聴くとき、CDを使っていますよね」

 (CDの売上げは10年前と比較すると半減しており、ネット配信、USBスティックオンリーとか、今年はメディアの多様化が更に加速しそうですけどね)

「でも、僕たちのお父さんや、オジイチャンの昭和の時代には、レコードというものがあったそうです。

それも、オジイチャンの時代の昭和の前半は、レコードの一番古い形のSPレコードというものがあったそうです。

今のCDは、音楽をデジタル化した信号に変換し、それに光線を当てて読み取って音に直して聴くのですが。。。」

(これ自体十分難しいですね。どうしたらいいでしょう。やっと10進法に慣れたばかりの子供たちなのに、2進法とか、0と1の二つの数字の組み合わせで全ての音が無限に信号化されてるとか。。。ますます止めたほうがいい)

「レコードは、円盤に針を落として、円盤の外側から内側に向けて掘られた一本の細い溝に記録された摩擦音を針が辿って震えて、その音を大きくして聴いていたのだそうです。」

 (CDDVDの場合、光線は内側から外側に動いています。これは皆さん、知ってましたよね?)

「レコードの一番もとの形を発明したのは、みんなも知ってる発明王のエジソンで、1877年のことだそうです。」

 (この時エジソンが作ったのは円盤ではなく筒が回転して針が下から上に降りてくるもので、声を辛うじて聞き取れる程度のものだったそうです。偶然にも、エジソンと電話の発明の特許を争ったアレグザンダー・グラハム・ベルもほぼ同時期に同じものを作っていたのですが、二人ともそれ以上の改良を考えなかったそうです。それが発明家の発明家たる所以なのかもしれませんね。プロトタイプは作るけどあとは野となれ山となれですぐ別のものに興味を移す。。。)

「これが、オジイチャンが残していてくれていたSPレコードです。」

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 「『鳩ポッポ』が『ポッポ鳩』って書いてあったりします。オジイチャンの若い頃は、日本語の横書きは右から左に書いていたそうです。」

SPレコードは、一分間に78回転して、それで3分間くらいもって一曲だったそうです。溝を辿って音を拾う針は鉄でできていて、一回使ったらそれでもう使えなくなり、一回ごとに交換していたそうです。」

「昭和が始まった頃(1920年代ですな)、アメリカという国ではジャズという音楽が大流行して(子供たちはジャズといわれてもピンと来ないし、アメリカといわれても日本より大きな国があるんだなあ、くらいの認識しかまだないでしょう)レコードが広まったそうです。」

SPレコードは片面しか録音できず、割れやすい硬いプラスチックで作られていたので、1940年代にアメリカと日本が戦争をしていた頃(今ではこの歴史事実すら知らないで大学に入学してくるやつらがゴマンといますから、早くから教えておいたほうがいいと思います)、素材は弾力性があって割れにくい塩化ビニールに変わり(ちょっと難しいかなあ)、両方の面に録音できるようになり、直径は30センチになって一分間に33回転になり、片面に40分も録音できた、何曲も連続して聴けるようになりました。これをLPレコードといいました。一曲だけを聴くためのものは直径17センチと小さくなり、一分間45回転になりました。これをEPレコードといって、中心の穴が大きかったのでドーナツ盤というあだ名がつきました。音を拾う針も宝石(こういう言い方のほうがわかるでしょう)が使われるようになり、一番硬いダイアモンドを使って作った針なら延べ(この概念もまだ習っていないでしょうが)で300時間くらい聴くことができました。」(これらの規格を作って普及させたのはアメリカのコロンビアとRCAです)

「ビートルズや、マイケル・ジャクソンも最初はそうやってレコードを作って売っていました。」(小学生もこの二つなら全員辛うじて知っているようです)

「これが、1981年に最初に述べたCDが売られるようになり、今にいたります」

(世界で最初にCDを商品化したのは新しいもの好きの大滝詠一師匠の A Long Vacationでした。来年は20周年を迎えるわけですな)

以上、「   」の部分をリッキー君が写真を見せながら巧く発表してくれればいいな、と思っているのですが(親バカ丸出し)。

以下は小生の個人的な回想。

小生は、物は壊れるまで使い切らなければ気がすまないセコい性格もさることながら、LPレコードを最盛期で1000枚近く持っていたこともあり、しかもマイナーで希少なものが中心でしたから、それらが全てCD化されるとは到底考えられず、最後までCDに抵抗し、アナログレコードにしがみ付いていた口でした。最初のCDを買ったのは1989年だったと記憶しています。それまでアナログではどうしても見つからなかった曲がCDになっていたからでした。その曲についてはいずれ稿を改めて。

それ以降は雪崩の如く、ン千枚のCDを集めてしまいましたが、今はCDを買う以外に音楽を入手して貯めておく手段は多様化し、CDを何枚持っているかなど何の自慢にもならない時代になってしまいました。冒頭に書いたCD売上げの半減減少も無縁ではないでしょう。

技術の発展、普及にかかる時間はどんどん圧縮される傾向にあります。小生はDVDもン千枚ためてしまって、次世代DVDもクソ食らえと思っていたのですが、ひょっとしたら本年の暮れまでには、時流に負けてブルーレイシステムを入手しているかもしれない、そんな予感さえする2010年正月でした。

ザ・ベスト・オブ・グラディス・ナイト&ピップス

Try to Remember/ The Way We Were

グラディス・ナイト&ピップスが、1975年、その前年に大ヒットしたバーブラ・ストライザンドの『追憶』のテーマにせりふを加えてかばさせたヒット。世の中の動きや技術発展が速くなっていても、その基礎は先人の発想と努力の賜物であって、それを有り難がって使っていた時代があったことを忘れてはいけない。小学校からの勉強も、その認識が根底になければ。知ることは喜びで、無駄なものは何もないのです。

♪いつだって、。忘れない、エジソンは、偉い人、そんなの常識~、タッタタラリラ~♪

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