ビージーズ

2007年7月 7日 (土)

Raised on Radio ( part 1)

また一つ、小林克也番組が姿を消しました。

Dcp_1435 何事もなかったかのように、ひっそりと。

 どれくらいの方がこのことに気付いていたでしょうか。

 おそらく克也さん本人も、報告くらいは受けていたのでしょうが、全く実感がないのではないかと思います。

 かく言う私も、数ヶ月前だったら気付かなかったと思います。

 姿を消したのは衛星通信ラジオ「モバHO!」の「小林克也チャンネル」。200410月のモバHOサービス開始以来続いた当チャンネルが71日をもって終了しました。

 以前の記事にも書いたとおり、僕がケータイを換えて以来のたった2ヶ月のお付き合いでした。何パターンかある選曲のパケを繰り返して流していたようでしたが、ヒット曲ばかりの他のチャンネルとは一線を画した、渋いアーティストやアルバムカットも聴けるこのチャンネルは楽しみで、短い間の通勤の供した。

 克也節の曲紹介が聞けたわけでもなく、34曲ごとに克也さんの“You’re listening to Katsuya Kobayashi Channel”みたいな、これも数パターンあったナレーションがサウンドステッカー的に機械的に流されていただけでした。克也さんが読んでいたチャンネル番号も違っていましたから、想像するに以前にチャンネルの移動があったのですがナレーションはあえて取り直さなかったということなのでしょう。

 放送完全終了直前、最後に流れたナレーションに笑ってしまいました。機会的無作為プログラミングのなせる業でしょう。なんとも皮肉。

「小林克也チャンネル、24時間、毎日、毎週、毎月、いつでも、どこでも放送中!!!」

ウソつけ。あと数分で終わってしまうくせに、と思わず突っ込みを入れたくなりました。

Al_green_lets_stay_together 記念すべき最後の曲は、数週間前に記事にしたアル・グリーンの、ビージーズの大ヒットのカバー”How Can You Mend a Broken Heart”.この曲がフェイドアウトして、72日午前零時を迎えました。

 「長らく御愛聴頂きました小林克也ステーションはこれをもちまして放送を終了いたします。ありがとうございました」

 みたいな女声のアナウンスを期待しつつも、全く何もなし、そのまま音は消え、サインオフの状態になりました。

 翌朝、ケータイのモバHo情報をリロードしたら、ダウンロードされてきたチャンネルのリストの中から、小林克也の名前は既に消えていました。

 このモバHO、スタートした当時は独立した一会社だったのに、経営不振からか、現在は某大手電機メーカーの子会社になっている。 

 映像も流しており、僕もPCではMTVを観られる契約にしているのですが、以前はCNNjなんかも放送していてもう少しチャンネル数は多かったようだ。

 今回の件も、業務縮小の流れで仕方がなかったのかもしれません。

 「小林克也チャンネル」終了も残念ですが、実は現在、私のラジオ生活を根本的に変えてしまうかもしれない、もっと大きな恐ろしい変化が起きようとしています。

 私は現在、このことがとても気がかりなのですが、この問題について、ここ数週間で大きな変化が起こる可能性もあるし、もう少しことの推移を見守りたいし、それから克也御大にもいつもお前のコラムは長いと言われているので、このことについてはまた機会を改めたいと思います。

 ちなみに、僕が機械を買い換えるとか、そんな単純な個人的な問題ではない、ひょっとすると国家レベルの問題かもしれない、このことだけ付け加えさせていただきます。

 

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2007年1月25日 (木)

Summer of' 78

本年一発目のベストヒットのレビュー。

121日、「サタデーナイトフィーヴァー」のサウンドトラックがアルバムチャートの1位になった日ということで、ビージーズ「愛はきらめきの中に」”How Deep is Your Love”が。

Saturday_night_fever_soundtrack_1克也さんも力説していましたが、1978年いっぱいのビージーズは本当にすごかったんです。どれくらいすごかったかは簡単には言い表せません。この当時、克也さんの番組をかじりついて聴いていたラジオ小僧だった私が、そのラジオから伝わってきたビージーズのすごさの一端を思い出してみようと思います。

まず、それから約二ヵ月後の78318日付のビルボード・ホット100の上位5位はこうなっていました。

1 “Night Fever” Bee Gees

2 “Stayin’ Alive”  Bee Gees

3 “Emotion” Smantha Sang

4 “Lay Down Sally” Eric Clapton

5 “Love is Thicker Than Water” Andy Gibb

1位、2位をそのビージーズが独占していました。「恋のナイトフィーヴァー」はそのサウンドトラックからの3曲目のナンバーワンヒット。この週に1位になり56日まで9週連続の1位となります。2位の「ステイン・アライヴ」は2曲目のナンバー1,24日から25日まで4週連続、このあと415日まで合計12週、トップ10内に居座ります。「愛はきらめきの中に」もこの2週前の34日までトップ10に入っていて、トップ103曲入っていた状態でした。「きらめき」は771224日から7817日まで3週連続1位、トップ10以内は16週留まりました。

Andy_gibb_greatest_hits5位のアンディ・ギブは、ビージーズ兄弟の末弟でした。前77年デビュー曲の”I Just Want To Be Your Everything”「恋のときめき」がいきなり1位になり、この「愛の面影」が二曲目のナンバー1。この前の週まで2週連続でした。この後アンディは夏にアルバム「シャドウ・ダンシング」を発表、標題曲がやはり1位を7週続け、この78年の最大のシングルヒットになります。更に続けて同じアルバムからAndy_gibb_shadow_dancing”An Everlasting Love” “Our Love Don’t Throw It All Away”と連続トップ10ヒットとなります。もちろん全てギブ兄弟作曲。




Destinys_child_1s3
位のサマンサ・サングの「愛のエモーション」もギブ兄弟作曲の曲。今でいう「アメリカン・アイドル」みたいな新人発掘番組から出てきた、オーストラリア出身の歌がうまい女の子で、ビージーズが曲を提供してプロデュース、バックを担当。この曲自体、最近になってビージーズ自身がベスト盤のためにセルフカバーしましたし、ディスティニーズ・チャイルドのカバーヒットでもお馴染みでしょう。

Eric_clapton_slowhand_1これに終わりません。4位のクラプトンもちょっと関係あるのです。この当時ビージーズ一族のマネージメントを引き受けていたのはロバート・スティグウッドという大物で、映画「サタデーナイトフィーヴァー」も製作し、RSOレコード(Robert Stigwood’s Officeの略)というレコード会社も持っていて、当然ビージーズ関連のレコードは全てそこから出ていたのですが、この当時、「スローハンド」の時期はなんとクラプトンもRSOレコードから出していたんですね。つまりこの週はRSOレコードが上位5位を独占したことになります。

Grease_original_soundtrack_1さらにさらに、この77年冬から78年夏にかけて、「愛はきらめきの中に」→”Baby Come Back” Player→「ステイン・アライヴ」→「愛の面影」→「恋のナイトフィーヴァー」→”If I Can’t Have You” Yvonne Ellimanと、771224日から78513日、ほぼ半年もの間、RSOレコードは1位を独占し続けていたのです。この他、さっきの「シャドーダンシング」、あと「グリース」からの、フランキー・ヴァリの表題曲、ジョン・トラヴォルタ&オリヴィア・ニュートン・ジョンの"You're the One That I Want”をあわせると、RSOレコードは78年は52週中30週も1位にいたことになります。

Yvonne_elliman_the_best_ofそのイヴォンヌ・エリマン”If I Can’t Have You”も「サタデーナイトフィーヴァー」からの曲。ハワイ出身の、ほとんど日本人の顔をしてる女の子。クラプトンの”I Shot the Sheriff”でも一緒に歌っていた人でした。


Tavares_anthologyこのほかにもこのサウンドトラックからは、ギブ兄弟の曲としてはタバレス
”More Than a Woman”が中ヒット。タバレスは”Only Takes a Minute” (Take Thatがカバーした)”Heaven Must Be Missing an Angel”なんて、ディスコのヒット曲を飛ばした兄弟グループでした。「モア・ザン・ア・ウーマン」はビージーズ自身もサントラの中でやっていて出来も良かったのですが、タバレスがシングルで売りたいというのでビージーズは気を遣ってシングルカットしなかったという話が残ってますが、今アメリカのラジオではビージーズのバージョンばかりがかかり、タバレスがやってたことはほとんど忘れられているようです。

Trammps_golden_classicsKc_sunshine_band_essentialsこのサントラから他には、Tramps “Disco Inferno” KC & the Sunshine Band “Boogie Shoes”が中ヒットになりました。夏にはサントラからの曲がトップ406曲同時に入っていたこともありました。また奇妙な現象で、78年夏のある週、ビルボード100のうちほぼ3分の132曲のタイトルに”night”という単語が含まれていた、何てこともありました。これも映画の影響でしょう。

Frankie_valli_greatest_hits夏にかけてはRSOがジョン・トラヴォルタ主演で送り出す第二弾、オリヴィア・ニュートン・ジョン競演で50年代に舞台を移した「グリース」が封切られ、ビージーズとしては長兄バリー・ギブがメインテーマ「グリース」を書いてフランキー・ヴァリに提供、8月にナンバー1になります。

Sgtpeppers_lonely_hearts_club_band_sound_2ところがその映画第三弾、ビージーズの兄弟自身とピーター・フランプトンを主役にすえて、ビートルズの曲だけでストーリーを繋げたミュージカル「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」が、彼らの演技がへたくそだったため大きくこけました。ビージーズ関係では、ロビン・ギブがカバーした「オー・ダーリン! 」がちょっとヒットしました。こちらも

Bee_gees_spirits_having_flownビージーズは、78年暮れにオリジナルアルバムとして、”Spirits Having Flown”をリリース、その中から翌79年に、”Too Much Heaven”, “Tragedy”, ”Love You Inside Out”3曲連続のナンバー1ヒットを出すには出しますが、「フィーヴァー」の大成功の陰に隠れ印象が薄くなり、その後長いスランプの時期を迎えてしまいます。

でも、とにかく78年は筆舌に尽くしがたい、音楽だけでなく映画、ファッションを含めての一大社会現象だったんです。

Barry_manilow_summer_of_78ところがタイトルのSummer of ‘78、ちょっと関係の薄いバリー・マニロウの曲。バリーは最近、60年代、50年代の曲のカバーアルバムを立て続けに出しましたが、その企画の第一弾は70年代の曲のカバーアルバムで、この「78年の夏」というのを一曲だけオリジナルで入れていました。

 ラジオから聞こえてくる曲が、全て、僕たちのものだと思えたあの時

バリーも78年夏といえば、ディスコブームに乗って「コパカバーナ」をヒットさせていたときでした。

ビージーズとしても、この78年の大成功の時期は、ディスコミュージックの本舗、見たいな扱いをされましたが、その後の彼らの、コーラス主体の音楽を模索しようとした活動を見ても、彼らがディスコをやったのは一時的なもので、それがたまたまバカ当たりしただけ、自分たちの本領はディスコではない、というのが本音だと思えるのですが。

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2006年6月15日 (木)

You Are So Beautiful

ジェームズ・ブラントではありません。Billy_preston_the_best_1

 ビリー・プレストンが、65日、逝去しました。享年59歳。

 多才で、多彩な活動をした人でした(オヤジギャグ!)。

 キーボーディストで、シンガーソングライター。Beatles_let_it_be

 ビートルズの「ゲット・バック」のセッションでの、あのノリノリのエレキピアノソロで有名。

 さらに彼は「ゲット・バック」には縁が続きました。

1978年の映画「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」。Sgtpeppers_lonely_hearts_club_band_sound

当時最盛期だったビージーズのギブ兄弟と、その少し前に「カムズ・アライヴ」で大成功を収めていたピーター・フランプトンが主演。他にも当時の人気ミュージシャンが大勢出演した、洋楽バブルを地で行っていた映画でした。

そのタイトルどおり、サージェント・ペパーズを中心とした後期のビートルズの曲のみで繋いだ、セリフなしナレーションのみの、ハチャメチャ、ミュージカル映画でした。Saturday_night_fever_soundtrackGrease_original_soundtrack

「サタデー・ナイト・フィーヴァー」「グリース」と、映画、サウンドトラックの両方での空前の大ヒットを二発続けたロバート・スティグウッド制作、RSOレコードの音楽映画第三弾として鳴り物入りでしたが。

いかんせんピーターとギブ兄弟の演技が下手糞で、映画の評価、興行成績、サントラ売り上げ全てにおいて大きくコケました。

それでも、引き締まっていて鑑賞に堪えるシーンが3つあったといわれてました。

一つは、アース・ウィンド&ファイアが”Got to Get You Into My Life”を演奏しに登場する場面。他の曲はビートルズの原曲とアレンジがほとんど同じものばかりで工夫がなかったのですが、アースは大胆にホーンセクションを活用してファンキーに、独自の解釈でやって、それが成功していたのでよかった。克也さんもお好きだったのでは?確かKatsuya Remembersでかかりましたよね。

二番目は、エアロスミスが「カム・トゥゲザー」を演奏する場面。

そして、三番目がこのビリー・プレストンが登場して「ゲット・バック」を歌う場面。

彼がペパー軍曹の役で、ピーター演じるビリー・シアーズ(サージェント・ペパーズの歌詞にも出てくる)のお爺ちゃんという設定で、故人で銅像になっていたのですが、映画の最後に神様から生を受け銅像が甦って歌いだす、みたいなシーンでした。

オリジナルのビートルズの録音にも参加した彼がそういう形でカバーできたことは、感慨も深かったのでしょう。

ビートルズの縁で、ジョージ主催のバングラデシュ救済コンサートにも参加しました。ビートルズ以外にも、ストーンズ、クラプトンのツアーにもバックで頻繁に参加。

キーボードプレーヤーとしては、”Outer Space” “Space Race”なんてインストロメンタルのヒット曲があります。シンセサイザーブームのさきがけを作ったような観がありました。”Space Race”は、ディック・クラークがやっていた(今でもやっている)Rock Roll and Rememberという懐メロ番組でテーマで使っていて、かつてのFENでよく聴けました。

ヴォーカリストとしても、70年代半ばに”Will It Go Around in Circles?” “Nothing from Nothing”のに曲のナンバー1ヒットがあります。1980年にはスティヴィー・ワンダーの前妻シリータ・ライトとのデュエットで “With You I’m Born Again”なんてのもありました。

個人アーティストがインストロメンタルとボーカル両方でヒット曲を持っている例は他にはそうはありません。ハーブ・アルパートくらいでしょうか。

そして彼は、名曲You Are So Beautifulを作り、オリジナルを歌っていた人でもあります。Joe_cocker_ultimate_collection

この曲は、1975年のジョー・コッカーのカバーで有名になりました。オリジナルの通りの美しいピアノのバック、「君はあまりにも美しすぎる、僕の望みの全て」というシンプルな歌詞の繰り返し、そしてなんといっても、アル中真っ只中だったジョーの息も絶え絶え、NGギリギリの切れ切れの高音、でもそれがかえってそのレコードの魅力になって大ヒットしたという。

最近は音楽的にはゴスペルに傾斜した活動をしていました。肝臓と心臓に病気を抱えてしまい、それが悪化してしまったようでした。師匠レイ・チャールズの葬儀に出席したことが、最後に顔を見せたことになるでしょうか。

また一人、巨星が逝きました。合掌。

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2006年3月10日 (金)

Rock'n 'Roll Heaven

名古屋へいらっしゃらなかった日曜日は有意義でしたか?

というわけでラジオがなかったので、例によってベストヒットUSAの話。

Elvis_presley  35日は1960年、エルヴィスが兵役から除隊した日。

 ジョン・レノンは、77年のプレスリー逝去の際に、彼は軍隊にとられた時点で死んでいたと思っていた、と発言しており、そう思うファンも少なくないようですが、彼にとってはやはり人生の転機で、従軍先のドイツでプリシラと知り合うんですよね。

 大滝詠一翁いわく、日本の洋楽文化はどんなに戻ってもビートルズどまりだけど、アメリカやイギリスはエルヴィスまで戻れる。そこに深みの違いがある。

 克也さんも言っていた、1956年のデビュー時の初テレビ出演はジャズのトミーとジミーのドーシー兄弟が中心のサタデーナイトバンドスタンドで、そこでアレンジャーとして仕事をしていたのがクィンシー・ジョーンズでした。彼の回想によれば、ある時突然、メンフィスから若者がやってきてリハーサルで歌ったら、ジャズ専門のバンドは合わないから怒りだして、特別にメンフィスから彼のバンドを呼んで出演させた。トミー・ドーシーは彼を評し、あんな奴すぐ消える、と言ったそうですが、反響の投書が1万通近くあった。その後、保守的なミルトン・バールのショーに出演したが、それにはその十倍もの反響、と言うか苦情が殺到した。バールはその数で彼がスターになると確信し、マネージャーのトム・パーカー大佐に告げた。その数日後、スティーヴ・アレンのショーに出演したときには、話題作りのための出演だったけどアレンがプレスリーのスタイルを嫌っていたため、初めてタキシードを着せられ、ハットを被った老ビーグル犬を指差しながらハウンド・ドッグを歌わされた。

 とにかく、腰グラグラ、膝ガクガクのスタイルは黒人にもなかった。若い世代は夢中になるが、親の世代は物凄く嫌悪した。とにかく、エルヴィスは音楽とアメリカ文化を変えた。

Elvis_presley_on_stage ところがその後の兵役。除隊後も、パーカー大佐の勧めで映画に多く出るようになるがその自分の活動に疑問を持ち始め、宗教に傾倒するようになる。そんな中で彼の転機となったのが二つ目の映像で流れた、68年のカムバックショー。当時では珍しかった、三メートル四方の小さなステージを360度聴衆が取り囲むスタイルを取り入れ、観客からの直の反応をビンビン受け取り、自分のスタイルを再確認する。克也さんは「使用前、使用後」と言うちょっと否定的な言い方をなさっていましたが、これも彼にとってはいい意味での変化だったのでしょう。

Blues_brothers_briefcase_full_of_blues そして、1982年歿のジョン・ベルーシの命日。レイ・チャールズとの競演のシーンが流れました。日本で最初に発売されたブルース・ブラザースのLPのライナー解説が笑えます。書いている人がジョンとダン・エイクロイドのことを知らなくて、コメディ路線のサウンドトラックだと気が付かず、真面目なカバーアルバムだと思って小難しく解説してる。

Andy_gibb_sadow_dancing そしてそして、ビージーズのギブ兄弟の末弟、アンディ・ギブの誕生日でもあった。


Marilyn_mccoo_billy_davis_jr_i_hope_we_gRex_smith_simply_rex_greatest_hits アンディ・ギブと言えば、まだ
MTVもなくてプロモーションビデオがそれほど作られていなかった時期に開始されたベストヒットUSAが元ネタに使っていた Solid Goldというテレビ番組のホストをしていて、時々ベストヒットにも登場していました。女性司会者はフィフス・ディメンションのマリリン・マックー。彼が病気になったあとは、やはりアイドルで、Sooner or Laterというソープオペラで人気が出て、You Take My Breath Awayというヒット曲もあるレックス・スミスが取って代わりました。

 今回の登場人物は、みんな帰らぬ人になっています。

Righteous_brothers_reunion Rock’n Roll Heavenは、ライチャス・ブラザースの74年のカムバックヒット。作者は山下達朗の英語詩の相棒のアラン・オディ。その時点で亡くなっていたロックスターたちに捧げる曲。

 「永遠を信じるなら、一生なんてほんの一夜興行さ。

  ロックンロール天国があったなら、彼らはバンドを組んで楽しくやってるさ。

  ジミヘン、ジャニス・ジョプリン、オーティス・レディング、ジム・モリソン

  ジム・クロウチ、ボビー・ダーリン、みんな別の演奏場所を見つけただけさ」

それにプレスリーやレノンやジョージやマーヴィンや、今回の人たちも加わる。
願わくば坂本九も。

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