ケーシー・ケイサム

2009年9月28日 (月)

Saturday in the Park (Part 2)

166caseykasem

いやはや、また入院してしまいました。

 今度は検査ではなく、急病、高熱で担ぎ込まれ、実は今も全快していません。

 一年に3回の入院、まだまだ若いと思っていても、そろそろ認めるべきものを認めなければならない年齢か。

 さて、そんなわけでだいぶ間が開いてしまいましたが、前回からの続き、アメリカのラジオ業界のもう一つの大きな出来事。

 それは、ケーシー・ケイサムの引退です。

 American Top 40の大成功により、アメリカ国内外で最も声の知られたアメリカ人、Voice of Americaを受賞したこともある、ディスクジョッキーとしては世界でもっとも有名だった一人。

 今年の74日の放送を最後に、引退しました。

 前回挙げた、ウルフマン・ジャック、チャーリー・ツナとならんで、FENといっていた現AFNEAGLE810のラジオヒーローでした。この3人の中では特に、小生の英語は一番影響を受けているのではないでしょうか。発音は標準的だったし、ジョークは飛ばさない、ただ淡々とアーティストと曲紹介、順位変動を解説していただけでしたから、聴き取り易かった。それと、湯川れい子さん解説の日本語版も長くやっていましたから、とっつきやすかったですね。克也さんはその番組のオープニングナレーションもやっていましたね。

 本名ケマル・アミン・ケイサム。結局、ファミリーネームがケーシーというあだ名になって、それをそのまま使うことになった。レバノンからの移民の二世。自らもアラブ系アメリカ人圧力団体の理事的な役割も果たしてきた。そんな一面もありました。

 俳優を志すも、兵役時代に韓国でのFEN(米進駐軍放送ですな)でアナウンサーになり、帰国後も西海岸のラジオ局を転々としてコメディなどをやった(ラジオは創成期は音楽よりドラマ番組のほうが圧倒的に多かったんです)。

 その中でも、いつかはトップ40カウントダウン番組を作るんだ、という希望に燃えていた。

 そんな彼の夢が実現したのは、1970年、74日土曜日、独立記念日だった。

 カウントダウン番組を発明したのは彼ではないし、この当時はTop40フォーマットのラジオ局は下火だったという。

 ところが、スタッフの地道な営業努力で、放送ネット曲を少しずつ増やしていった。

 70年代前半、いつの間にか、新曲を紹介し、最もレコードが売れてラジオでかかっている曲が分かる情報番組としてアメリカを代表するシンジケート番組になっていた。

 この成功に倣っていろいろなジャンルのカウントダウン番組が登場した。

 克也さんも、これの凝縮版の名番組「ナガオカ・ワールドミュージック」をやっていました。日本のラジオ局でも歌謡曲で同じような企画を各局がやってたし、それをテレビに持っていったのが久米さんの「ザ・ベストテン」だったと考えると、Top 40の影響の大きさは計り知れません。

 それでもケーシーはそれだけでは食えずいろいろ他の仕事をしていた。俳優としては77年頃人気絶頂だったショーン・キャシディ主演「ハーディ・ボーイズ」に出演していたし、あの大ヒット映画「ET」で、ETが英語を覚えるためにセサミストリートを観ている時、テレビから聞こえてくるBe good というナレーションはケーシーだったのです。

 番組もいろいろ工夫が加わり変化してきました。78年には、全世界的ネットワークを利用して、遠くの普段会えない誰かに曲をプレゼントする long distance dedicationが始まりました。「あの人に贈りたい from me to you」の原型ですね。記念すべき第1号は、ドイツ駐留中にデザリーという年上の女性と恋に落ちた軍人からの手紙が切っ掛けでした。最近になってこの二人を調査したところ、二人はまったく決別状態だが、そのリクエストが採用されてその後数千曲続いたことはいい思い出だ、と語っていました。

70年代後半まで、湯川さんはケーシーと直に電話で話すことができ、電話に出てきたケーシーは「今、カミさんが留守でさ、小さい二人の子供のお守りで忙しいんだよ」とバタバタしながらも楽しそうでしたが、数年後、80年代になって、同じ番号にかけたら、冷たい感じの女性秘書が出てきて、「インタビューは30XXXドルです」といわれるようになってしまったという。ビリー・ジョエルとか向こうのショウビズではよくある話だが、その若い頃苦楽を共にした奥さんもポイ捨てにして、若いデルモか女優かと再婚したという。

 とにかく大物になってしまい、81年からAmerica's Top 10という、テレビ版のホストも勤めるようになりました。

 80年代末にはプロダクションと関係が悪くなり、シャドー・スティーヴンスに後任DJを譲りましたが、ケーシー自身は対抗してすぐに別系列のシンジケートから “Casey’s Top 40”, “Casey’s Countdown”を始めたり、また90年代半ばに元鞘に収まってAmerican Top 40に復活しました。それも2000年代に入ってからはメインストリームチャートのものはライアン・シークレストに譲り、ケーシーはかつての自分のイメージに合う、ACAmerican Top 10, Hot ACAmerican Top 20をやっていました。Spotat40

 このライアン・シークレスト、いまやアメリカン・アイドルのホストで知らない人はいない存在ですが、もともとはDJ志望で、ハリウッドに行ったのもケーシーに会いたかったためだという。夢をかなえたライアンは、まさにケーシーの後継者として適任だったのでしょう。

 そんなケーシーも歳には勝てず、声がどんどんしゃがれていく。そして彼は、74日独立記念日が土曜日に当たる今年に引退を選びました。

The Complete Hit Singles

 「39年前の独立記念日の土曜日、この番組は始まりました。最初の第1位の曲はThree Dog Night “Mama Told Me”でした。そのとき、放送してくれた局はたった7局

でした。それから親友のドン・バスタニやほかのスタッフが地道に努力をしてくれて、番組も波に乗り、最大時では世界で800ものラジオ局が放送してくれるまでになりました。そしてまた独立記念日が土曜日にあたる今年、引退を決意しました。苦しい時代もありましたが、今は全てが良い思い出です」

ダーク・ホース ザ・サウンド・オブ・マッドネス

 こう結んで、最後の1位の曲紹介をしました。

 Hot AC版のTop20のほうは象徴的で、2位はニッケルバックの”If Today Was Your Last Day”1位は Shinedown”Second Chance””…Sometimes goodbye is a second chance…”「サヨナラは第二の始まりって場合もあるさ」がリフレインで流れる、まさに最後を飾るにふさわしい曲が偶然にも重なりました。

 そして番組の最後「これで私はもうマイクロフォンの前でしゃべることはありません。でも最後も、39年言い続けた、いつもの文句でいつもどおり終わることにしましょう。

“Keep your feet on the ground and keep reaching to the stars”(地面をしっかり踏みつつ、空の星{音楽界のスターにかけている}に手を伸ばし続けよう)。

こうして、ラジオの一つの時代を作った男は去って行きました。

 実はそれ以降も、70年代、80年代のTop40の再放送番組は続いていて、どうも彼は引退したという実感はわかないんですけれどね。

 実際、少年時代からかじりつきで聴いていたラジオヒーローの引退を同時体験すると、縁起でもありませんが、小林克也の引退はどんな感じになるのだろう、克也さんの最後のラジオの番組はどうやって結ばれるのだろう、と思いをめぐらせてしまいました。

 糸居さんは、最後の番組の最初に花束贈呈をやって、終了はいつものとおりに終わりました。

 ラジオではありませんが、CBSの名キャスター、エド・マロー、彼の後輩マイク・ウォーレスも、最後は名文句 “Good night and good luck”で消えていきました(ウォーレスはその後もちょくちょく出てきていますが)。

 小林克也も、番組終了の名文句、いろいろありますね。”See you next XXX…” “Bye Bye BABE…” “Have Yourself a Funky…”どんな感じになるんでしょうね。

 いやいや、克也さんはまだ声がかれていないし、ケーシーに追いつくにはまだ10数年あります。ハンク・アーロンが755本で引退したときの王貞治みたいなもんです。まだがんばってください。

Chicago V

 それで、Saturday in the Park 、シカゴのあの曲ですが

 “Saturday in the park, I think it was the 4th of July”

  これは、その70年の74日を歌った曲ではないか、と思うんです。

 それにしても、せっかく始まった全国ネットの番組、30分削られてしまうんですかあ。

 ポリスの、一面に蝋燭が並べられるビデオは”Every Breath…” ではなく”Wrapped around your Finger”のほうです。ゴドレイ&クレーム監督です。

☆愚息”Ricky” 紀輝(のりき)が夏休みの絵日記に描いた、銀座ファンキースタジオの様子。空色の服を着ているのが、克也さん。

Norikinoenikki

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2007年7月20日 (金)

Raised on Radio (part 2)

克也さんには失礼だったかもしれませんが。

「小林克也チャンネル」の終了は残念でした。

でも、その話をフリに使ってまで話そうとした、私のラジオ生活を脅かそうとしているもっと大きな事件。

 前回「国家レベル」などと大袈裟な表現を使ってしまったため、ごく僅かの小生の周囲でこの連載を読んでくださっている奇特な方々数名から、続きはいったいどうなるのか、という反応をいただいてしまいました。

 お恥ずかしい。たいしたことはありません。

 少なくともほとんどのラジオファンには影響を及ぼしません。

 しかし小生にとってはやっぱり大きい。

 今の小生にとってのラジオとは、PCのストリーミングで、アメリカのラジオを聴くことが中心です。

 そのストリーミングに、大きな変化が訪れようとしているんです。

 アメリカ連邦議会が、ストリーミングをやっているラジオ局に対して認可の課金を現在の3倍以上にするという法案を通過させ、それが発効するのが715日。

 数年前にも似たようなことがあり、ストリーミングをやっていたラジオ局が一時期激減したのですが、ここの所持ち直していました。そこにきて、また今回の事態。

 その予兆として既にいくつかの事件が起こっていました。

 ストリーミングは技術を提供している会社がいくつかあり、ラジオ局がその形式によって系列を作っているような感じなんですが、その中で最大のクリアチャンネルというのが、そのストリーミング形式を採用しているラジオ局のインターネット放送を、アメリカ国内に限定してしまい、アメリカ以外から聴こうとしているリスナーを締め出してしまいました。

 このような問題が起こる原因の一端はここにあるのでしょう。ストリーミング放送がアメリカ国内のCDの売り上げを落としているという議論もありますが、それ以上に、映画の海賊版DVDと同じような問題があるのでしょう。著作権の問題に疎い、というか屁とも思っていない某国々ではストリーミングから音を取ってCDを焼いて不法販売していることは想像に難くありません。

 ところが、これのおかげで、小生のリズムは大いに狂わされてしまいました。

Charlie_alone 以前にも書いた、懐かしいチャーリー・ツナがいまだにやっている局、ロサンジェルスのKBIGがこれで聴けなくなってしまいました。

 それから、ちょうどチャーリー・ツナの裏時間帯、西海岸の午前、日本では深夜帯になってしまうんですけれど、よく聴いていたグレッグ・キーンも聴けなくなりました。

Greg_kihn_the_best_of グレッグ・キーンの名前でピンと来た人は、ベストヒットUSAを創始期から熱心に観ていた人ですね。83年に「ジェパディ」という大ヒットを出したグレッグ・キーン・バンド。

 彼はここ10年、音楽活動もそこそこ続けながら、地元サンノゼのクラシックロック専門局KUFXの朝の時間帯のDJとして活躍しているんです。

 ミュージシャン自身がDJということもあり単なる曲紹介よりトークも多く、またベイエリアで今でも活動している仲間たち、ドゥービー・ブラザーズ、ジャーニー、スティーヴ・ミラー、710日のベストヒットのリクエストコーナーでかかったエディー・マネーなんかがよくスタジオに遊びに来てギグをやったりするので楽しみでした。

 彼の番組にリクエストがてらメールを何通か出しました。そうしたら、日本から聞いているのに感激してくれて、たった一回だけだった日本ツアーの話、ロンドンにいた時(彼は初めはイギリスで売れた)サディスティック・ミカ・バンドとジョイントした話、なんか詳しく返信してきてくれました。また日本に行きたい、と。それ以来、ちょっとした「メル友」関係になっています(笑)。それも聴けなくなってしまった。

166caseykasem その他、これも何度か話題にしたケーシー・ケイサムのカウントダウン番組をやっている局の多くもブロックされてしまいました。特にこの春から、70年代、80年代のアメリカントップ40をリマスターして再放送する番組もできていて、これが楽しみだったので痛かった。しかしこれらの番組は別の系列でも放送していたので、ここ数週間、いろいろな局のウェブサイトをサーフしてスケジュールを組み直していたところでした。

 新しい課金によって、小さなラジオ局や、ストリーミング配信だけをやっている局は配信停止を余儀なくされてしまう。

 インターネットラジオの素晴らしさをアメリカ議会に訴え続けようというサイトも立ち上がり署名運動を起こした。

 去る625日、抗議活動として、相当数のラジオ局、ストリーミング配信元が一斉に配信を24時間中止しました。

 これには、ヤフーがやっているランチキャストも含まれていました。アーチスト、テーマ別の局もありますが、自分の好みでカスタマイズした局も作れます。僕も自分の局を二つ持っていて、このコラムのバックナンバーを貯めているサイトにもリンクをつけてありますのでよろしければ。

 そんなこんなで、今717日。

 どうやらギリギリの13日にRIAA(全米レコード業界協会)やストリーミング技術会社などとの一時的妥協が成立したようで、とりあえず15日から何も聴こえなくなる、という事態は回避されたようです。現在も、普通に聴きながらこれを書いています。ホッ。

 それでもまだこれは一時しのぎで、相変わらずインターネットラジオに対する風当たりは強いみたい。クリアチャンネル系列のラジオ局の大部分はまだ聴けません。

 著作権の問題とか、いろいろあるのでしょうけれど。

 初めてアメリカに行った時の、一日中好きな音楽が聴けて、いろいろなジャンルを局ごとに楽しめる感動は忘れません。

 克也さんがいなくなった地元のラジオ局には今更戻れない(笑)。

Journey_raised_on_radio アメリカというのは、自国の文化水準を世界に知らしめるためにわざわざ金を出して人を呼び寄せて勉強させてくれるような国(小生もその恩恵にちょっと与りましたが)。その懐の深さも、見せてもらいたいものです。

Raised on Radio はジャーニーの全盛期最後というか、空中分解する寸前のアルバムで、表題曲もありましたね。そう、みんなラジオで育ったんです。

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2006年8月 2日 (水)

S.O.S.

ちょっと心配なニュースが入ってきました。

克也さんが独占契約し、このサイトにも毎週発表されて、テレビ、ラジオのベスRr_logo トヒットUSAでも使われているヒットチャートを発表しているレディオ&レコーズ社がVNUというマルチメディア通信を中心とする複合会社に買収された。

ここまでならよくある話で別に驚くに値しないのだが、このニュースが僕ら音楽ファン一般にとって、そしてこの克也さんサイトの関係者の端くれとして複雑な問題となるのは、このVNUというのはビルボード社の親会社でもあるということだ。

Bbwhite153 ビルボードとレディオ&レコーズは音楽の世界では二大業界誌で、それぞれが別々に発表するヒットチャートは業界の貴重な情報源であり、音楽ファンの週一の楽しみでもある。

ところが、この二つのチャートが全く同じものになってしまうかもしれない。

楽天がTBSの経営に参画しようとして横浜ベイスターズとの経営権重複が問題になるなんてモンじゃない。日本野球界で言うなら、巨人と阪神が一緒になっちゃうに等しい。

ビルボード誌は歴史も古く、1970年から始まったケーシー・ケーサムのアメリカントップ40がそのチャートを下敷きに番組を作ったことから代表的ヒットチャートにのし上がっていった。

70年代の頃には他にキャッシュボックス、レコードワールドなんていう、ヒットチャートを発表している業界紙がありました。以前にも取り上げた、克也さんの「ナガオカ・ワールドミュージック」はキャッシュボックスのチャートを誌上発表一週間前に発表してしまうという画期的な番組でした。克也さんは長い間キャッシュボックス社に毎週電話をかけ続けていました。キャッシュボックス社は96年に、その前にレコードワールド社は82年につぶれました。

http://radiobaka-archive.cocolog-nifty.com/bakabaka/2005/10/no18_with_a_bul.html

レディオ&レコーズ社は73年の創業で、全米ラジオ局のオンエア回数を中心に集計した独自のヒットチャートに特徴があり、アメリカントップ40に対抗して「カウントダウンUSA」というシンジケートラジオ番組も作られ(ベストヒットUSAのコーナー名はここから来ている?)、日本のFM局でも一時期放送していましたが、日本でお馴染みにしたのはなんと言ってもベストヒットUSAでした。さすが先見の明。

166caseykasem ケーシー・ケーサムのトップ40も、80年代末に一時期、番組を引退して、別のネットワークで別のカウントダウン番組制作を開始した関係上、またビルボード誌が、セールス重視だとブラック、ヒップホップ系が上位を占めがちなため集計方法を二転三転させて信用を落とした時期もあり、レディオ&レコーズのチャートを使うようになりました。これも以前に取り上げた、ケーシーを引き継いだライアン・シークレストのアメリカントップ40、まだケーシーが担当している、Hot ACの「アメリカントップ20」、アダルトコンテンポラリーの「アメリカントップ10」全て、Mediabase 24/7の調査により、レディオ&レコーズに発表されているヒットチャートを利用しています。

http://radiobaka-archive.cocolog-nifty.com/bakabaka/2005/10/pon_de_repay.html

Spotat40_1 この買収劇により、ラジオのオンエア集計に関して、ビルボード誌が集計に利用しているニールセン・ブロードキャスト・データ・システムに一本化されそうです。

ラジオ&レコーズが対象にしていたラジオ集計の部分はビルボードのそれと違いがなくなってしまうわけで、もしビルボードのチャートの発表権を別のところが保有していたとしたら、ベストヒットUSAでのカウントダウンができなくなってしまうのではないでしょうか?

などと書きつつ、最終的にはまあ何とかなるだろう、とは思っているんですけど。素人としての素朴な疑問でした。

SOS、助けてくれー。

実はSOSというタイトルで全く別の内容を書く予定だったのですが。こっちの問題が重要だったし、ある種のピンチなので、そのまま使ってしまいました。その「別の内容」は、次回にでも。

サイト開設1周年、おめでとうございます。

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2005年10月12日 (水)

Pon de Replay

またまたマイナーかつ古い話題で恐縮です。

Jock_casey 日曜の夜は(局、地方によって放送時間帯が違うで実は土曜の夜にも聴ける)夜更かしして懐かしいーシー・ケーサムのカウントダウン番組を聴いていると数週間前に書きましたが。

ストリーミングの次世代のポッドキャスティングがここでも話題になりましたが、PCさえあれば世界中のラジオがどこでも聴けるようになったストリーミングもまだまだ捨てたものではありません。

Caseykasem_a_2 一時期、著作権の関係で音楽関係の局がごっそり手を引いてしまいましたが、それでも自分のテイストに合った局が見つかるとうれしいし、ケーシーのような昔から聴いていたDJの番組がいまだに聴けるのもうれしいです。 Spotat40       

「アメリカントップ40」で世界的に有名になった彼でしたが、それ自体は2年前に引退して「アメリカンアイドル」のホストであるライアン・シークレストに譲り、現在はアダルトコンテンポラリーフォーマット局用の「アメリカントップ10」とホットAC,アダルトオルタナティヴフォーマット用の「アメリカントップ20」をともに3時間ずつやっています。「アメリカントップ10」にいたってはカウントダウン番組というよりほとんど懐メロ番組といった色彩が強いですが、昔からのケーシーのファンはそういう曲を紹介する彼が聞きたいのでしょう。実際ケーシー自身が、本家のトップ40を降板した理由は、ヒップホップやラップがチャート上位を占めるようになったのを嫌ったためだと発言していたようです。

ケーシーは御歳のためか(おそらくは契約に含まれているのでしょうが)休暇をとることも少なくないのですが、先週の放送はその休暇にあたっていて、そのピンチヒッターを努めていたのがチャーリー・ツナだったんです。

Charlie_alone 日本でもかつて、FEN(現AFN,Eagle810)がアメリカ現地の有名DJの番組を一時間単位で流していた形式だったとき、ウルフマンジャックと並んで看板を背負っていた感じでした。

ツナ缶詰の宣伝マスコットキャラクターから名前を頂いたという彼は、現在もロサンゼルス地区のモーニングDJで活躍中であり、KBIG104 というCHRフォーマットの局で、西海岸標準時で午前

5Extras4時から10時まで月金で担当していて、実はこれもストリーミングで聴けます。日本時間だと夜の9時から午前2時になります。

克也さんがZIP Hot 100でやっている、「テレフォンチャンスライン」や「言論の自由」の、リスナーに一斉に電話をかけさせて、つないで一言言わせては直ぐに切って次にいくやり方は、チャーリーがやっていた、telephone pollというコーナーからアイディアを頂いているんじゃないか、と思ってます。

そんなチャーリーのカウントダウン番組を聴いたのは初めてでした。普段の放送ではワイルドな話し方をする彼が、猫を被ったみたいにまじめな、ケーシーに劣らない原稿読み口調の放送でした。そういえば、70年代、FENで聴いた彼もワイルドだったけど、ただ軍の情報の原稿を読んでいる時だけ、いかにも嫌々やらされてるって感じで急に大人しくなってとトチリもあった、なんてことも思い出しました。

しかし、ケーシー・ケーサム、チャーリー・ツナに小林克也かあ。リック・ディーズも聴けるし、僕がラジオや洋楽を聴き始めたころと顔ぶれが代わっていない。30年間進歩していない僕が問題なのか。いや、やっぱりいいものは時代を超えて生き残るんだろう。アンコーさんも復活したし。ケーシーは1932年生まれの73歳で、克也さんは彼よりもX歳もお若い。まだまだですね。それからやっぱり、こんなラジオ生活を可能にしてくれているインターネットにも改めて感謝。

B000amy07w01_sclzzzzzzz_v57103210_ 今回のタイトルは言わずもがな、今アメリカでも日本でも大ヒット中の Rihannaの曲。”Hey Mr. DJ, won’t you turn the music up?”と、DJを歌った曲は数々あれど、一番新しいので頂きました。でもこの曲は必ずしもラジオのDJのことを歌っているのではないようで、DJの意味も変わってきてしまいました。

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