ホール&オーツ

2009年12月16日 (水)

GET READY!

Gold

 あんまり間をおかずに行きましょう。

またまたライブリポートで、今回も懐かしや、テンプテーションズ。

正確に言うと、テンプテーションズ・レビュー。

以前にも、ジェファーソン・スターシップとか、アース・ウィンド&ファイアとか、エイジアとか、長くやってると人間関係がいろいろ複雑になり、バンドに出たり入ったりで、もともとは同じバンドだったものが枝分かれして南北朝時代みたいに本流と傍流が並存しているグループについて取り上げたことがありました。

実はこのテンプテーションズもそうなっているんですね。

本家テンプテーションズと、今回観たテンプテーションズ・レビューが並存している。

1960年代、フォートップス、スピナーズらと並んでモータウンの男性コーラスグループの柱と言われ、その中でも最もヒット曲が多く、そのフォートップスやスピナーズが70年代になってモータウンを見捨てて移籍して行ったしまった中、テンプスのみモータウンへの操を守り続けた。

しかしその分、メンバー交代も多かった。曲のキーによってリードヴォーカルも代えることができ、それでエゴのぶつかり合いもかなりあったという。

そんな中で、メンバーはどんどんソロになって、それなりにヒット曲を出していくようになる。

でも、オリジナルメンバーで主要だった人たちは今、殆ど鬼籍に入ってしまった。

エディ・ケンドリックス。

デヴィッド・ラフィン。

ポール・ウィリアムス。

メルヴィン・フランクリン。

1961年の結成以来、現在までテンプテーションズの看板を守り続けているのはオーティス・ウィリアムスのみ。

ところがこのオーティス、そんなテンプスの中で唯一、リードヴォーカルが取れないメンバーだった。

それで今の本家テンプテーションズは、オーティス以外90年代以降に入った人たちばかりでやっている。

Psychedelic Shack / All Directions

これに対して、テンプテーションズの名前を法的に使用できないからテンプテーションズ・レビューとしてやっている方を率いているのはデニス・エドワーズ。”Ball of Confusion” “Papa Was a Rolling Stone”などの大ヒットでリードヴォーカルをとり、70年代になってファンキーになった時期のテンプスを支えた人。

それに加えて、オリジナルメンバーのポールの遺児、ポール・ウィリアムス、ジュニアが入っていました。その意味で音楽的にもメンバーの血の流れの上でも、こっちのレビューのほうがよほど正統性を主張できるのではないか。

Look What the Lord Has Done

それはさておき、70年代を中心としつつも60年代から80年代まで30年間のテンプスの歴史を一瞥できるステージを見せてくれました。

Temps_setlist

 82年の、今は亡きリック・ジェームスの呼びかけで再結成し、彼のプロデュースを仰いだファンキーな”Standing…”から始まりました。

Live at the Apollo

 そして60年代に戻ったメドレー、”Get Ready”から。85年にホール&オーツがアポロ・シアターでのライブでエディ・ケンドリックスとデヴィッド・ラフィンをゲストに呼んでこの曲をカバーしてヒットして、それと同じことを同年の、世界数箇所で同時に行われ世界中に中継されたUSA for Africaをうけての「ライブ・エイド」で同じことをやったの、憶えている人、どれくらいいるでしょうか。

 このメドレーの中で、”Papa was a Rolling Stone”が早くも出てきてしまいました。代表曲をもう出しちゃっていいのかな。って感じ。

20th Century Masters: Millennium Collection

 その次に意外でしたが”Rainy Night in Georgia”はトニー・ジョー・ホワイト作、ブルック・ベントンという、50年代から活躍していたサザン・ソウルの人が70年に大ヒットさせた渋い渋い曲。以前はクラシックしか聴いていなかった若山玄蔵さんがいわゆる洋楽にハマったのはこの曲からだ、と言っていました。テンプスとしてレコーディングしたことはないようですが、ステージがアダルトな雰囲気になっていくのにうまい選曲でした。

 次の”Cloud 9”メドレーの中に、バラードのナンバー1ヒット”Just My Imagination”も出てきました。

 70年代のR&Bそのもので、みんな一曲の時間が半端じゃなく長い。その間にメンバーも客席に降りてきて、聴衆にマイクを向けてハミングをリピートさせたりしました。かく言う小生も、最前列正面に坐っていたので、マイクを向けられました。一番音を外さずに,他のお客さんから拍手をもらったのは小生じゃなかったかな。カラオケでもオンチじゃないほうですから。

 “The Way You Do…”60年代モータウン時代の代表曲、リタ・クーリッジもカバーし、上に書いたホール&オーツとのジョイントでもメドレーで使われた曲。

Essential Collection

 やはり67年の”Wish It Would Rain”に続いて、最後に全員が立たされて踊らされたのは、85年の”Treat Her Like a Lady”.アース・ウィンド&ファイアのアル・マッケィがプロデュースした80年代のテンプスのファンキーな最高傑作。ところがこの85年当時、デニスはテンプスから抜けていたんです。ソロとしてサイダ・ギャレットとのデュエットで”Don’t Look Any Further”という曲をヒットさせていました。そうなんです。後にマイケル・ジャクソンと”I Just Can’t Stop Lovin’ You”をデュエットでナンバー1にして、90年代にはブランニューへヴィーズに加入する、あの女性です。彼女を世に送り出したのはデニスだったんですね。

 その”Treat Her..の間奏がずっと続いて一旦引っ込み、また出てきた。上に挙げた、既に亡くなってしまったテンプスのメンバーの名前を読み上げ、一人ずつ合掌する。そして最後はやっぱり“My Girl”

 終了後のサイン会も、小生が歌ったのを憶えていて褒めてくれました。いい人たちだった。

 Get Ready.気が付いたら、2000年代の最初の10年も終わろうとしています。次の10年代への準備はできていますか?

 もし、年内に次の原稿ができなかったら・・・ハッピー・クリスマス!

Temps_autographs

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2009年4月24日 (金)

Time Machine-1984

Then & Now Rock 'n Soul, Pt. 1

  往年のベストヒットUSAのタイムマシーンのコーナー冒頭の、克也さんの雄たけびみたいですね。

 知らない若い方々のために念のために言っておきますと、80年代のベストヒットのタイムマシーンは、今みたいに、何年前の今日は何があった、ができなくて、ある年のある一曲を紹介していたんです。

 それ以前の曲の映像がなかなかなかった時代でしたからね。当時契約していたアメリカのテレビ番組SOLID GOLDの映像を流したり。克也さんもスタッフの皆さんも資料映像探しにはずいぶん苦労されたみたいです。「ボストン」が蔵の奥から見つかったときには抱き合って泣いて喜んだとか。。。

 さて、でも上のタイトルは、いつものように曲やアルバムのタイトルにもなっていますから、その種明かしは後でします。お楽しみに。

 今のベストヒットをご覧の方々にはお分かりのとおり、421日の放送ではタイムマシーンスペシャルで、25年前の1984年に戻りました。小生は大学の音楽研究サークルでバリバリやっていた時期でした。

 当たり前のことですが、ある特定の二つの時期をピックアップして比較してみて、似ている部分もあれば違う部分もあります。小生はまず番組を見て、84年と今とはかなり似ているのではないか、と感じました。その似ている部分とは?

 克也さんは、「このアーティストは知っているけれど曲は知らなかったよー、ってのが多くありませんでしたか?」とおっしゃっていましたが、それはなぜでしょう?

 その謎をとく鍵は以下のクイズで。

 その1984420日付けチャートに入っていた以下の曲にはある共通点があります。それは何でしょう?

 19位 Pretenders “Show Me”

 17位 Yes     “Leave It”

 16位 Hall & Oates “Adult Education”

 14位 John Cougar Mellencamp “Authority Song”

 12位 Kool & the Gang “Tonight”

 9位 Denniece Williams "Let's Hear It for the Boy”

 7位 Culture Club “Miss Me Blind”

 2位 Lionel Richie  “Hello”

20曲中8曲ですが、さて共通点とは?

Colour by Numbers

 答。これらは全て、そのアーティスト(一部サントラ)のアルバムからの2枚目以下のシングルカット曲、つまりアルバムのリーディングヒット曲ではない曲、なんですね。

 ついでにもう一問。では以下の曲の共通点とは?

14位 John Cougar Mellencamp “Authority Song”

 13位 Go-Go’s “Head Over Heals

 12位 Kool & the Gang “Tonight”

 11位 Steve Perry “Oh Sherry”

 9位 Denniece Williams "Let's Hear It for the Boy”

 7位 Culture Club “Miss Me Blind”

 6位 Cars “You Might Think”

 5位 Rick Springfield “Love Somebody”

 4位 Kenny Loggins “Footloose”

 2位 Lionel Richie  “Hello”

今度は20曲中半分、これは一枚目のシングルカットも含めて、3曲以上トップ20に入るシングルヒットを出すアルバムからの曲です。

Can't Slow Down Heartbeat City

 これらのことから何がわかるか。

 この当時は、一枚のアルバムからシングルヒットが何枚も出てくる、曲のばら売り時代だったんですね。

 その理由は簡単で、ビデオ、MTVの最盛期だったからです。

  オンエアされた”You Might Think”のビデオ、今見ても凝ってますし、アワードを獲るのも当然ですね。あと”Leave It”のビデオはあのゴドレイ&クレームの作品です。

 この日のチャートにはたまたま入っていませんでしたが、ヒューイ・ルイス&ニュースもアルバム「スポーツ」から4曲のヒットを出していた全盛期だったのですが、やはりこの時期の近辺に克也さんがサンフランシスコに赴いての取材インタで、「70年代のコンセプトアルバムみたいな時代を懐かしく思わないかい?」という質問に「曲のばら売りはみんなビデオのせいなんだ。一曲毎に作るから」と答えていました。そのとおりの時代だったんですね。

 84年はほかにもシンディ・ローパー、ティナ・ターナー、マドンナなんかが一枚のアルバムから4曲以上シングルをヒットさせていた時代でした。

 この部分は、今現在の時代に似ていると思うのです。

 ニッケルバック、ドートリーなんかが、一枚のCDから何曲もヒット曲を出し、一枚で数年もたせていたりします。

 しかし、84年と今が異なるのは、メディア(媒体、手段、という意味)が違うという点ですね。

 現在のばら売り現象の原因も明らか。今はデジタル・ダウンロードの時代だからです。

アメリカのアマゾンのサイトを見れば、特定のCDのページに、収録曲全曲が曲別に、一曲いくら、で売っています。日本からは買えませんが。日本には日本の中で皆さんご存知の別の手段があるでしょう。また、そろそろCDではなくUSBスティックのみで売り出すアーティストも出てくるという。

 84年は、CDはそこそこ出ていましたが、まだ塩化ビニールの時代でした。LPレコードは、針が内側になればなるほど溝の感覚が細くなり音質が悪くなるので、AB面の最後の曲は多少手を抜く、みたいな不文律があったそうですが(山下達郎氏弁)、今は新しいアルバム製作にはその度毎にグレイテストヒッツアルバムを作るんだ、みたいな意気込みが必要な時代になっているんだと思います。

 さて、もう一つクイズ。これは答に主観が入りすぎているので怒られるかもしれませんが、以下の曲、というよりアーティストの共通点とは?

17位 Yes     “Leave It”

 16位 Hall & Oates “Adult Education”

 12位 Kool & the Gang “Tonight”

11位 Steve Perry “Oh Sherry”

9位 Denniece Williams "Let's Hear It for the Boy”

 4位 Kenny Loggins “Footloose”

 2位 Lionel Richie  “Hello”

 1位 Phil Collins “Against All Odds”

フットルース But Seriously

 答、これらのアーティストは、本来は別に音楽のルーツを持っていて、少なくともデビュー時はスタイルが全く違っていたのが、この84年は商業路線に走ってポップになって軽くなったり、バラードに手を染めたり、サントラに走っていった人たちだといえます。他にもこの時期のシカゴなんかがその代表選手ではなかったでしょうか。まあ、売れて何ぼの世界ですし、時流に合わせることができるのも才能の一つですしね。それに何よりもリスナーとして楽しませてもらえましたし。どうこう言う気はありませんが(既に言っているか)

 そういう時代だったんですね。そんなことにいろいろ思いを巡らせることができた特集でした。またやってください。

 そうそう、それで、タイトルの説明。

Grand Funk

 Time Machineとは、今のベストヒットのタイムマシーンのコーナーで、克也さんが登場するバックにかかっているギターのカッティング。あれはグランド・ファンク・レイルロードのTime Machineという曲なんですね。そういうのを知っている克也さんかスタッフのどなたか、流石だと思います。

 ちなみに、番組創成期からずっと使われ続けているスター・オヴ・ザ・ウィークのタイトルバックにかかる、ファンファーレみたいなのは、マイケル・ジョンソンという、これまたフィリピン人や前長野県知事さんが好きそうな(前回の記事を読んでください)シンガーの“YouYou, You”という曲のイントロです。”You Can Call Me Blue”というアルバムに収録されています。

1984

 あと、1984。これはまさにこの年の元日に発売になったヴァン・ヘイレンのアルバムのタイトルで、同名の曲も収録されていました。「ジャンプ」が入っているやつです。

 考えてみれば、1984年とは、ジョージ・オーウエルによる未来小説の舞台で、ヴァン・ヘイレンのそのアルバムもそれを意識したものでした。ビッグ・ブラザーという独裁者に監視される世界を想像したオーウエルと、実際に1984年を迎えてどこまで現実になっているか、などという検証がいろいろなマスメディアでされていました。その84年も、プリンスが歌った1999年も、歴史になってしまいましたね。

 そうそう、前回の記事で思い出せなかった、草彅剛、瀬戸朝香のテレビドラマのタイトルですが、あの記事を読んで下さっている希少な方々のお一人から、「成田離婚」であるとの御教示を受けました。ありがとうございました。お詫びして訂正いたします。草彅さん、いろいろありましたが、これもノーコメントで。まあ、もし自分を偽った姿で仕事をなさっているのだとしたら、ストレス溜まりますよね。

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2007年10月 5日 (金)

Rich Girl

この夏のヒットチャートを見ますと、僕はまだ現在の音楽をフォローしているほうでびっくりはしなかったですが、僕の(あるいはそれ以上の)世代の人が曲を聴かずにタイトルだけ見た場合、あれ、と思うような曲が少なくとも二つありました。Big Girls Don't Cry

Frankie_valli_4_seasons_anthology             

 一つはファーギーの”Big Girls Don’t Cry”.

  “Big Girls Don’t Cry”と聞けば、古いポップスファンが思い出すのはフランキー・ヴァリ&フォー・シーズンスの63年の大ヒット。

  ケーシー・ケイサムの番組では聴き比べをやってましたが、ほとんど半世紀の差は凄いですね。フランキーのファルセットに、単純なリズムと一発録りの粗さ。

Gwen_stephani_love_angel_music_baby  そしてもう一つが、グェン・ステファニの”Rich Girl”

 “Rich Girl”といえば80年代以降の人でもホール&オーツを思い出すんじゃないでしょうか?

 929日のDJ KOBYでもアーカイヴされたことですし、ちょっとリッチガールを掘り下げてみましょう。

 それでもこれは77年ですからもう30年前で、彼らにとって最初のDaryl_hall_john_oates_bigger_than_b ナンバー1ヒット。

 それ以前の”She’s Gone”, “Sara,Smile”みたいなモロブルー・アイド・ソウルから、70年代後半のポップな音作り、そして80年代、やりたいことを何でもやって大ブレイクするまでの狭間にあった感じでした。

Daryl_hall_john_oates_along_the_red  70年代後半、デヴィッド・フォスターをプロデューサーに向かえポップになっていく、彼らはこの時期を「失敗だった」と振り返ったそうですが。

 実は「リッチガール」と同じ77年にダリルはソロアルバムを作っていて、それがロバート・フリップのプロデュースでニュー・ウェーヴっぽくて、それまでフィラデルフィア・ソウルやブルー・アイDaryl_hall_sacred_songs ド・ソウルの流れで売っていたホール&オーツとあまりにもイメージがかけ離れているのでお蔵入りになってしまった。それでそのソロアルバムを出してもびっくりされないように、ホール&オーツとして徐々にポップロック色を強めたアルバムを出し続けて、それで80年、そのソロは「セイクリッド・ソングス」として日の目を見た。

 だとしたら、「失敗だった」といわれる前に「あの時期は一体なん だったんだ?」と思わずにはいられません。その時期の彼らが結構好きだった自分としては尚更です。Voices

 さて、その「リッチガール」には、一つの解釈、というか、この曲が大ヒットしたとき、かなりのアメリカ人が、「あの事件」のことを歌っているのだと思った、というのがあります。

 「パトリシア・ハースト事件」

 20世紀の初め、「新聞王」と呼ばれた、アメリカの活字ジャーナリズムの基礎を作り上げた人として歴史に残っているウィリアム・ランドルフ・ハーストという人がいて、パトリシアはその孫でした。当然。大金持ち。

 そのパトリシア、7423日、左翼過激派集団に誘拐され身代金を要求される事件が起こります。

 ところがその半年後、パトリシアはその過激派のメンバーになったとハースト家に肉声テープを送りつけ、メンバーとともに銀行強盗をした防犯カメラ映像が報道され全米を震撼させました。

 翌759月、激しい抵抗の末、逮捕されました。しかし76年から始まった裁判では「自分は洗脳されていた」と一転無罪を主張し始めましたが、陪審は有罪と判断し、懲役35年の判決が下りました。

 ところがこれに、名優ジョン・ウェインや、後の大統領、その当時カリフォルニア州知事だったロナルド・レーガンなんかセレブおれきれきが減刑嘆願書を提出し、刑期は7年に縮められました。当時のカーター大統領の恩赦と「多額の保釈金」によって77年、そのリッチガールの年には仮釈放の身になりました。

 意思に反して拉致されて最初は抵抗しますが、徐々に拉致した側の考え方に共鳴するようになり最後には積極的に行動を共にするようになるという現象を「ストックホルム症候群」というのだそうです。北欧でも似たような事件があったからそのように呼ばれるようになり、日本でもありました。映画にもなっているようですので関心があれば。簡単に探せると思います。

 確かに人間って、真っ白の部屋に閉じ込められていながら、何日も「お前は真っ黒の空間の中にいる」といわれ続けると、たいした日にちもたたずにそう思うようになってしまう動物なんだそうです(本当にそんな実験をした人いるのかな?人権問題だ)

 「金持ちのお嬢様、君はちょっとやりすぎたね。

  でもそんなこと、ぜんぜん構わないと思ってるんだろ。

  いざとなったら、おじいちゃんたちのお金を当てにできるからね。 

  そりゃずるいよ、でも、お金でなんでも自由になるってわけじゃないからね。

  欲しいものは何でも手に入る、でも、本当に一人になったらどうするつもりかい?

  どんなに突っ張ったって、強くはなれないよ、きっと」

 「やりすぎ」「おじいちゃんたちのお金」「一人になったらどうする」あたりがいかにも事件との関連を匂わせるのですが。

 確かダリルは否定も肯定もせず「曲は作って発表したら後はリスナーのものだ、自由に解釈していい」みたいなことを言っていたと思いますが、後にジョンははっきりと否定し「事件とは関係ない。身分の違いの恋の歌だよ」と言っていました。

 でも全く関係ないのはつまらないですね。ヒット曲からその当時の世相が分かるほうが面白いと思います。

 パトリシア・ハーストは今は母親で、映画に端役で出演するまでになっています。

 ホール&オーツとフィラデルフィアについても考察をめぐらせたかったのですが、長くなる前にこの辺で、またの機会に。

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2006年10月12日 (木)

Say It Isn't So

 とりあえずは御目出度い、ドラゴンズのセリーグ制覇。

 僕は自称「消去法ドラファン」なんですね。

 もともと中部地方出身ではないのに今は名古屋が拠点になっている。

 野球は大好きです。自分でもやってた。

 小学生のころ、野球のことがいろいろわかってきて、ある時突然、なぜ自分の周りには巨人ファンしかいないんだろう、とハタと気がついて疑問を抱いた。そして子供心に、これはマスコミを巻き込んだ巨大な陰謀が渦巻いているのではないかと感じ、巨人ばっかりの野球情報に呑まれてはいけないんだ、とつっぱった。

 パリーグというのはあるのは知っていたが、プロ野球知りたての頃は、セリーグとパリーグは一部リーグ二部リーグの関係にあって優劣があるんじゃないかと思っていた。70年代だから、まだ南海、阪急、近鉄、太平洋があって、2シーズン制を採っていた頃です。テレビ中継は巨人戦ばっかり、パリーグは新聞にかろうじて載るだけ、そのくらいの情報量の差があった。

 ところがそうではない。二つは平等のはずだった。

 注意してみていくうちに、渋くて個性的な選手がいっぱいいて、面白い野球をやっている。

 そのうちに、パリーグにはまっていきました。

 周りの友達が知らないチームや選手の情報をわかったつもりになっていて、ちょっと誇らしかった(このあたり、音楽に入っていった過程とよく似てる。捻くれてたからなあ。そういえば、全く同じ頃だ)。

 チームとしては、一番試合を観に行けた、日本ハムファイターズのファンになりました。大学時代は後楽園が近くだったこともあり、ほんとによく行ってた。

 ところが、この僕は縁あって名古屋へ。そしてファイターズは札幌へ行ってしまった。いかにインターネット時代とはいえ、それだけ距離ができてしまうと情報をフォローするだけでも大変。

 セリーグに関しては、巨人でなければどこが勝ってもいい、という感じでしたので、自然にドラゴンズを応援できるようにはなりました(ちなみに私は「修正主義アンチ巨人」あるいは「ネオ・アンチ巨人」を自称してます。従来のアンチ巨人は、強い巨人が負けるとスカッとする、アンチ巨人も巨人ファンのうち、という人たちでしたが、私は、巨人の情報一極集中を是正しなければ日本の野球の健全な発展はありえない、だから巨人どんどん弱くなれ、と考えていましたから。最近は好ましい状況にある)。

 そしてこの秋は、そのドラゴンズ対ファイターズの日本シリーズが観られるかもしれない。ワクワク。

 さて、いつもの通り、音楽に話題を戻しますが、ここまで長々と野球の話をしたのも、今回は野球がらみだからです。

108日のベストヒット、ニューヨーク三部作の最後、ラジオ局は残念ながらありませんでした。

Average_white_band_greatest_and_latest その日はAverage White Bandのオリジナルメンバー、ハミッシュ・スチュアートの誕生日、そしてリクエストコーナーではホール&オーツのSay It Isn’t Soがかかって、二週間前のこのコラムで話題にした二組と偶然一致しました。



Daryl_hall_john_oates_rockn_soul_part_1 このSay It Isn’t Soというのが、アメリカ英語では結構有名な言い回しで、ルーツが野球がらみなんです。

 古く1919年のワールドシリーズ。

 シンシナティ・レッズとシカゴ・ホワイトソックスとの対決でしたが。

 レッズが勝利しワールドチャンピオンとなりましたが、ホワイトソックス側に大掛かりな八百長疑惑が持ち上がりました。チャンピオンシップの行方が賭けのネタになり、ホワイトソックスの選手がレッズに賭けたバイヤーから金銭を受け取った上でわざと負けていた、という。

 タイ・カッブ、ベーブ・ルース、ルー・ゲーリックらスターがぼちぼち出てきた頃、野球が大衆娯楽として定着しつつあった時期に、イメージをぶち壊した事件でした。

 嫌疑をかけられた選手のなかに、「シューレス」ジョー・ジャクソンという名外野手、天才的安打製造機がいました。

Joe_jackson_night_and_day ジョー・ジャクソンといっても、あのStepping Outの、ベストヒットに出演して、克也さんに何を訊かれても yeah no としか反応せず話が続かなかった、あのジョー・ジャクソンではありません。当たり前ですが。

 「シューレス」靴無し、でヒットを打って走ったことがあり、これは靴が足に合わなかったため仕方がなくやったことで、観客からも不評を買ったようですが、その場面のインパクトが大きく、その渾名はずっとついて回りました。

 その八百長事件は、ホワイトソックスに因んで、ブラックソックス疑惑事件と呼ばれるようになり、ホワイトソックスから8人の選手が有罪判決を受け球界永久追放になりました。

 ジョー・ジャクソンも金銭授受を認めました。傍聴席にいた一人の少年ファンが、”Say it isn’t so, Joe!”「嘘だといってよ、ジョー」と叫んだ、という。

 この少年の話自体、事実だったかどうかはっきりしないのだそうですが、とにかくこれで”Say it isn’t so, Joe!”が流行語になり、今尚残っている、ということです。

 ジャクソンは後に、裁判で認めたのはオーナーから圧力を受けたからで金銭授受の事実はない、と証言を撤回し無実を主張し続けましたが、1951年に逝去し、現在尚名誉回復には至っていません。

 ファイターズには、プレーオフ第二ステージ、頑張ってもらいたい。

 広島には来シーズンがありますよ、克也さん。

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2006年9月28日 (木)

Pick Up the Pieces!

克也さんに洋楽パラノイアの称号(?)を賜ったハリー教授(日本名が、あなみはるや、だから)の音楽的日常を綴るこのコラム、今回はライヴのお話。

926Average White Bandのライヴに行ってきました。

Average_white_band_essentials といっても、御存知の方が少ないのかもしれません。このライヴ、チケットの売れ行きが芳しくなかったみたいで、二回しのライヴだったのですが、一回目の観客には入れ替え、追加徴収なしで二回目も観られるというサービスがついてしまいました。二回とも観られたのはファンとしては得した気分と残念さが混じりあった複雑な気分です。

Jamiroquai_travelling_without_moving

 僕個人としては、このバンド、ジャミロクワイの先駆けとして位置付けていいんじゃないかと思っています。



Parliament_tear_the_roof_off_19741980

 ジェイ・ケイは、白人青年ですが、やっていることはスティーヴィー・ワンダー、ジョージ・クリントンあたりにモロ影響を受けたUKソウル・ファンク。


Righteous_brothers_reunion_1

 その昔、ライチャス・ブラザーズやホール&オーツなど、白人がソウル、R&Bをやる場合、ブルー・アイド・ソウルなんて言葉がありましたが、ジェイ・ケイはもはやそんな言葉は必要としない、ソウル・ファンクの感覚そのものを受け継いでいる。

 このAWBも、スコットランド出身、70年代に活躍した白人ソウル・ファンクバンド。しかし彼らも、ブルー・アイド・ソウルであるはずが、当時からそんな言葉をすっ飛ばして普通のファンクグループとして扱われることが多かった。

Average_white_band_cut_the_cake メンバーの共通の友人の英国人外交官で、「アフリカのXXという国のあたりは平均的白人には暑すぎる」という口癖の人がいて、そこから名前を頂いたそうですが、知らないで聴けば黒人がやっていると思うような音を「平均的白人」が演っている、という自己諧謔だったのでしょうね。

72年結成ですから30年以上のキャリア、途中80年代半ばには解散状態になっていまい、今回もオリジナルメンバーは二人だけでしたが、まだまだ現役で全盛期と全く同じ音を聞かせてくれる。嬉しいことです。

 オリジナルメンバーの生き残り、アラン・ゴーリーのファンキーなベースと、サックスを中心とした音作り、演奏曲目、というか今まで録音されたレパートリー全体もそうなのですが、インストロメンタル半分、ボーカル入り半分です。

Chaka_khan_epiphany_the_best_of 知られている曲も何曲かあるはず。ネッド・ドヒニーがオリジナル、チャカ・カーンがカバーしてヒットしたWha’cha Gonna Do for Me?はネッドと、AWBのオリジナルメンバー、ハミッシュ・スチュアートとの共作で、バンドのレパートリーでもあります。

56年前にルイーズという女性歌手がカバーしたLet’s Go Around AgainAWBの曲。

 アイズレー・ブラザースのカバー、Work to Do

 それから、そのアラン・ゴーリーはダリル・ホールとのコラボレーションも有名です。AWBもホール&オーツも最初のレコード会社はアトランティックで、ともに先般急逝したアリフ・マーディンにプロデュースを受けたことがあり、デビュー時から親交があったという。Daryl_hall_soul_alone

 そして、ダリル・ホールのソロアルバムの中で最も評価の高い93年の「ソウル・アローン」。

ダリルのソウル色が最も強く現れたアルバムでしたが、そのうちの半分はUKソウルを意識してロンドン録音、その全部をアランと共作し、アランもバックで参加しています。

 そしてAWBといえば75年の全米No.1ヒット, Pick Up the Pieces。サックスとベース中心のファンキーなインストロメンタル、AWBの真骨頂、ディスコブームがらみでの大ヒットでした。

 克也さんの文化放送の「ポップ・イン・ポップス」の前番組、「土居まさるのポップス・ナンバーワン」がテーマに使っていました(我ながら変なことをよく憶えているなあ)。

 ちなみにこのPick Up the Pieces、主旋律はずっとサックスで、普通に聴けばどう聴いてもインストロメンタルなのですが、例えばビルボード誌のヒットチャートではインストとしては記録されません。なぜかというと、pick up the pieces!という掛け声が数回入っているからです。人間の声で、意味を成す言葉が入っている場合、インストとしては扱わないのだそうです。Herb_alpert_rise

Mfsb_all_in_the_family  例えばハーブ・アルパートの79年の全米No.1ヒットRise は、人の声は入っていますが、意味をなさない笑い声なのでインストとして扱われる。


MFSB74年の全米No.1ヒット、TSOP, The Sound of Philadelphiaもほとんどインストですが、曲の最後にスリー・ディグリーズの Let’s get it on, it’s time to get downというコーラスが入るためインストではない。

 さて、この流れで、ビルボード誌が最も歌詞の短いNo.1ヒットとして記録しているのは何でしょう?

 Champs_greatest_hits_tequila50年代の、チャンプスというグループの、「テキーラ」という曲です。聞いたことありますか?テキーラ!という掛け声しか入ってない。

 この曲についてもいつか書く機会があるかもしれません。

話が逸れましたが。

Major_harris_the_best_of ライヴは、二回ともそのPick Up the Piecesがオオトリに使われ、大盛り上がりでした。ファンキーな曲中心、だけどメローに聞かせるときは聞かせる。Major Harris “Love Won’t Let Me Wait”のカバーなんかもやっていました。ちなみにこの原曲は女性のうめき声が入っていてエロい。

 僕は彼らの曲で一番好きなのは、アレサ・フランクリンに捧げたQueen of My Soulという奴なのですが、これが聴けなかったのは残念でした。

 こっそり書いてしまうと、先ほどの二回し入れ替えなしの話、一回目の聴衆は40人くらいでしたが、そのほとんどが残り、最終的には二回目に入ってきた人とあわせて80人くらいになりました。演っているほうは二回しとも同じだとつまらないので演奏曲目は入れ替えるのですね。聴衆は少ない分、熱心なファンキーおじさんたちが集まっていて盛り上がっていました。

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