映画・テレビ

2010年2月 7日 (日)

Wake Up Everybody!

Essential Teddy Pendergrass

追悼記事です。

テディ・ペンダーグラス。113日逝去。享年59歳。直接の死因は結腸癌。

1年くらい前のアイザック・ヘイズの追悼記事のときに引き合いに出しましたが、その彼も逝ってしまいました。

バリトンの魅力、しかしアイザック・ヘイズと違って甘いセクシーさを持っていた。

1970年代のフィラデルフィア・サウンドの看板でもありました。彼自身もフィラデルフィアで生まれ育ちました。

それまではリードヴォーカルをころころ変えていたハロルド・メルヴィン&ブルーノーツのフロントマンの座を確保するとメキメキ頭角を現し、知名度も急上昇しました。グループ名に冠されたリーダーと最も人気のあるリードヴォーカルが違う、アメリカ版「内山田弘とクールファイブ」「敏いとうとハッピー&ブルー」状態になったわけです。

MFSBのストリングスを前面に出したサウンドにギャンブル&ハフの名コンビによるラブソング。それに男声コーラス。

ここまでだとO’Jaysとほとんど同じですが、ハロルド・・・が違っていたのはやはりテディの独特の低音セクシーを前面に出せたことでした。

Essential Harold Melvin & The Blue Notes

最初のヒットの73年の”If You Don’t Know Me By Now””89年にシンプリー・レッドがカバーしたことからも、今でもフィラデルフィア・ソウルを代表するラブソングになっています。

その後の70年代中期は、”The Love I Lost”, “Bad Luck”, ”Wake Up Everybody”など、バラードに加えて時流に乗ったディスコっぽいリズムでのヒット曲も量産します。モータウンのテルマ・ヒューストンが77年にNo.1ヒットにして、後にジョン・サマヴィルがブロンスキー・ビートの後に作ったコミュナーズというグループが86年にイギリスでヒットさせた”Don’t Leave Me This Way”はハロルド・・・がオリジナルです。

Best of

78年、テディはハロルド・メルヴィンとの意見対立がありグループから脱退します。ソロに転向後は完全にセクシーラブバラード路線中心になり、唯一のTop40は同年の”Close the Door”ですが、80年までにかけて”Turn Off the Lights”, ”Love T.K.O.”などR&Bチャートでのヒットを飛ばし名曲を後世に残します。特に”Love T.K.O.”2000年代に入ってもカバーの定番となり、70年代のソウルカバーの企画ものには必ず選曲されるようになっています。ホール&オーツも Our Kind of Soulで、モータウンに移籍して三枚連続してカバー企画アルバムを発表してグラミーも受賞したマイケル・マクドナルドも、「美女と野獣」

のレジーナ・ベルもフィラデルフィア産のヒット曲のみをカバーしたReachin’ Outで取り上げています。

Our Kind of Soul Soul Speak

 このレジーナ・ベル、先日来日していて、ライブにも行ったのですが、その曲も演りませんでしたし、テディの死にも一言も触れませんでした。しんみりさせたくなかったんでしょうね。

Regina_belle_img

 

テディのライブでは、客席から女性のパンティが次々に投げ込まれたという。声だけで女性を○○せてしまう男。羨ましいなあ。彼に続いてフレディ・ジャクソンとかが同じ路線で出てきますし、更にはブライアン・マクナイトとかに影響が感じられますし、80年代以降、ブラコンとか、今ならアーバン・コンテンポラリーといわれるスィートなR&Bの基礎を築いたといえるでしょう。

 そんなテディですが、日本では奇妙な売れ方をします。日本ではそのソウルっぽい部分は全く受け入れない。ところが、79年から80年ころ、幼稚園児まで、テディは知らなくてもそのリズムで踊っていた。

懐かしい「ドリフのヒゲダンス」。「8時だョ!全員集合!」の名物コーナー、シムケンとカトちゃん茶ぺが、付け髭、シルクハットに黒スーツでゲストと一緒に曲芸をやる。そのバックに流れていたリズムが大受けし、インストでシングルになってオリコンでベスト10に入る唯一の記録を作る大ヒットになりました。

Teddy

これの元ネタが、実はテディの、”Love T.K.O.”も入っていた79年のアルバムTeddyの中の “Do Me”という曲だったのです。志村けんさんは、今はあまり聴いていないようですがこの頃は知る人ぞ知るソウルオタクで、テディのその曲のバックリズムを使ったところ思いがけずバカ受けして、それに便乗する形でテディのオリジナルもほんの少しですが話題になりました。あくまでもほんの少しでした。

ちなみに、志村さん本人がいっているのを聞いたことはありませんが、「全員集合」からのもう一曲のインストのスピンオフヒット「ドリフの早口言葉」の元ネタは、ウィルソン・ピケットの”Don’t Knock My Love”とバリー・ホワイトの”Satin Soul”を組み合わせたものであるはずです。

さて、順風満帆に見えたテディですが、82年に大きな交通事故を起こし、下半身不随になり、その後車椅子の生活を余儀なくされます。

当然コンサートはできなくなりますが、レコードは出し続け、アトランティックレコードに移籍しJoy など評価の高いアルバムを出します。事故後に出されたホィットニー・ヒューストンのデビューアルバムでも”Hold Me”をデュエットして、当時ストリップ劇場のバックの定番になっていたそうです。(なぜそんなことを知っている?)

残っている彼のウエブサイトを見ると、ディスコグラフィのページでは、ブルーノーツの時代からソロに至るまで彼のレコード、CDのジャケットが街頭に一枚ずつ飾られていて、それを彼のアバターがとぼとぼ歩きながら辿っています。やっぱり、歩きたかったんでしょうね。

更に癌に侵されていることが発覚し、2000年代はほとんど引退の状態で、今回のことを迎えました。

スィートソウルでの彼の偉大な業績を惜しみつつ、セクシーで甘い部分ではない彼の一面を紹介して死を悼みたいと思います。

先週のベストヒットでもマイケルの特集があり、克也さんはマイケルの「怒り」をよく強調されています。

美しく甘いソウルを作っていたフィラデルフィアの人たちも、実は「怒って」いたんだと思います。

77年に、テディ、O’Jaysスリー・ディグリーズ、ルー・ロウルズ、ビリー・ポール、その他フィラデルフィア・インターナショナル所属アーティストを総動員して、当然MFSBをバックに、当時(今でも)の都市部の黒人居住区の不衛生問題改善を訴えた”Let’s Clean Up the Ghetto”を出しています。有名アーティストが歌い繋ぐところなど、We Are the Worldの原型であったともいえます。

その We Are the World、ご存知の通り、四半世紀を過ぎて、この間のハイチでの大地震の被害救済のため、今のアーティストたちによって再録音されました。マイケルが残した母テープもバックに使われているという。(小生はこの手のチャリティはあまり好きではありませんが、それはこの際置いておきましょう)。

テディのブルーノーツ時代のヒット曲、”Wake Up Everybody”、そんな現在にも、マイケルの怒りにも通じるものがあります。その歌詞を紹介します。改めて合掌。

Wake up everybody no more sleepin in bed

みんな、目を覚ませ、ベッドで寝ている場合じゃない
No more backward thinkin time for thinkin ahead

過去を顧みている時じゃない、今こそ未来を見つめるんだ
The world has changed so very much
 from what it used to be

世界はかつての像から大きく変化した

so there is so much hatred war an' poverty

だからこそ憎悪と戦争と貧困が増えているんだ
Wake up all the teachers time to teach a new way

教師たちよ、目を覚ませ、今こそ新たな生き方を教える時だ
Maybe then they'll listen to whatcha have to say

きっとみんな、君たちの言うことに耳を貸すに違いない
Cause they're the ones who's coming up and the world is in their hands

なぜなら、彼らは未来を担う世代で、世界は彼らの手にゆだねられるからだ
when you teach the children teach em the very best you can.

子供たちを教育するときには、ベストを尽くしてやってくれよ。
Wake up all the doctors make the ol' people well

医師たちよ、目を覚ませ、老人たちに生きる希望を与えるんだ
They're the ones who suffer an' who catch all the hell

彼らこそあらゆる病の苦しみを受けなければならない人たちだから
But they don't have so very long before the Judgment Day

それでも、彼らの審判の日まで、それほど長くはない
So won'tcha make them happy before they pass away.

だから、彼らが本当に死を迎えるまで、幸福を与えてやってくれないか
Wake up all the builders time to build a new land

建築者たちよ、目を覚ませ、今こそ新たな土地を開拓するときだ
I know we can do it if we all lend a hand

われわれみんなも手を貸せば、きっとできるはずだ
The only thing we have to do is put it in our minds

いつも心がけていること、ただそれだけでいい。
Surely things will work out they do it every time.

いつもそうしてきたんだ、きっと巧くいくさ

The world won't get no better if we just let it be

ただ放っておいたままなら、世界はよくならない
The world won't get no better we gotta change it yeah, just you and me.
世界はよくならないから、我々が変えていかなければならないんだ、君と僕とで

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2009年8月24日 (月)

Saturday in the Park (Part 1)

サイモン&ガーファンクルのリポートで一回飛ばしてしまいましたが、予告していた、小生が感じるアメリカのラジオ業界の変化について、が今回のテーマです。

克也さんの618日付日記にあったように、巨大資本によるラジオ局の買収競争の影響が、小生のラジオ生活にも微妙に影を落としつつあります。

小生に直接影響しているのは、クリアチャンネルとCBS Radioですね。

アメリカのラジオが大好きな小生は、地上波で進駐軍放送(FENAFNのことです)しか選択がなかった少年時代に比べ、ストリーミングでいろいろなフォーマットのラジオ局がオンタイムで聴けるようになったインターネットの普及には感謝しているのですが。

おそらく一番多くの局を買い占めていて、ストリーミングの方式を統一しているクリアチャンネルが、アメリカ国外への配信をシャットアウトしてしまい、かなりの数のお気に入りだった局が聴けなくなってしまったのは以前書いたとおり。

それでもインターネットではどんな分野でもありそうな話ですが、「裏サイト」(そんないかがわしいものではありませんが)があって、クリアチャンネル支配下の局も国外から聴けるようにしてくれていました。ところが敵もさる者、クリアチャンネル側もある日突然ストリーミングの方式を一斉に変更してそういうサイトへの嫌がらせをしたり、またそのサイトもその新方式に対応するように変更してくれたり、そういう鼬ごっこが数ヶ月ごとに起こっていました。現在では、クリアチャンネル支配下局は全てではありませんがそのサイトのお陰で大部分聴けるようになっていて、一応安心しています(関心のある方は小生に御一報下されば、その裏道をお教えいたします)。

大物DJになりますと各局ではなくこの「親会社」と契約する形式があるようで、小林克也、ウルフマンジャックらと並ぶ小生の少年時代からのラジオヒーロー、今でも現役のチャーリー・ツナですが、去年の春までこのクリアチャンネル傘下にあるロサンゼルスKBIGという局の月金朝の帯を担当していましたが、このKBIGがトップ40からHOT ACにフォーマットを変更したとき(フォーマット変更は珍しくない話で、この程度なら可愛いほうです。昨日までソフトACを流していた局が日が明けていきなりDJ全員スペイン語になってラテン専門局になったりする)、KBIGからは降板しましたが、まだクリアチャンネルとの契約期間が残っているという理由から何ヶ月もラジオに登場しない空白の時期がありましたが、現在はCBS Radio配下、やはりLAの名門60年代オールディーズ専門局K-EARTHに移籍し、土日の朝(日本時間では日月早朝)時間帯を担当しています。

そのCBS Radio,クリアチャンネルほど阿漕なことはやっておらず、その傘下局は日本にいても何も問題なく聴けるのですが、最近やはり不気味に手を広げつつあります。

なんと、ヤフーのラジオ部門を買収してしまいました。

それまでのヤフーのラジオとは、ジャンル別、アーティスト別に無数のホームページ形式ラジオ局があり、またユーザーも自分の好みのジャンル、アーティスト、アルバム、曲に得点を入力していくことによって、その結果によって好みのタイプの曲を自動的に選曲してくれる、自分だけのラジオ局をカスタマイズで持てる、といううれしいサービスがあったのです。

小生も、IDを二つ持って、ロックっぽい選曲のやつと、R&Bっぽい選曲のやつ、二つ局を持っていて、「遺失物移管所」サイトにも貼り付けていました。世界中の音楽ファンがこのサービスを利用し、想像つかないほどの数のネット上仮想ラジオ局があったのでしょう。

ところが、この買収劇の結果、パーソナル局のサービスが一瞬にして消えてしまいました。
 現在はヤフーとCBSとの交渉で、CBSはヤフーに倣って、それまでなかったジャンル、テーマ別のノンDJ局を作って代替に近づけようとしてはいますが。

自分の好みでカスタマイズできるラジオ局の楽しさには遠く及ばない。自分のテイストに近い曲が、次に何がかかるのか予想できないまま流れてくるのは仕事中、遊び中のBGMとしては最高でした。これがなくなってしまったことは本当に痛い。

また、似たようなサービスをしていたFinetunesという音楽SNSもありましたが、これもほぼ同時期に自分の選曲リスト(「局」に相当します)を新たに作ったり新たな曲やアーティストを加えたりすることができなくなりました。その時点以前に作った選曲リストによるランダムプレイは残されており、そういうわけでもう更新はできませんが機能はしています。これも小生のサイトに貼り付けてありますからBGMにどうぞ。

これらはラジオ業界に巨大資本の手が伸びてきているというよりは音楽の著作権から発生した問題かもしれませんが。いずれにしろ裏で得体の知れぬ巨大な力が動いていることは想像に難くないわけで。

最近のベストヒットも、R&R誌社がビルボードに買収された2年前から予想されていたことですが、番組開始以来四分の一世紀以上名物だった、「有名な業界誌、ラジオアンドレコーズのチャート」のコールができなくなったのは寂しいですね。

克也さんは、アメリカから地方色を持ったラジオが消えてしまうのではないか、と悲観的なご様子ですが。

確かに、そういう巨大資本の影響からか、地方のオリジナル番組やCMスポットはどんどん減っていき、シンジケート番組がどんどん幅を利かせているようです。例えばACフォーマットの局では全国的に月金の夜5時間(日本だと朝になります)、一様にデライラというおばさんの番組をやっていて、リスナーと電話で結んで「あの人に贈りたいfrom me to you」リクエストみたいなことをACの曲で延々とやっています。この時間帯、どこの局にチューンしてもそれをやっているんです。このデライラという人、それ自体は悪いことではないのですが、彼女自身が多くの孤児の里親になっていて、ラジオを通じて孤児救済運動をやっているような人で、ちょっと宗教がかっていて、どうもテイストに合わないので、ACフォーマット局は嫌いではないのですがこの時間帯だけは避けています。
 確かにラジオは変化するでしょう。

そのようなラジオの「全国化」にあわせて、小生のように海外でPCで聴いたり、アメリカ国内でもPDA,スマートフォン、iPodなどでこれらのストリーミングを受信する人たちが少しずつ増えている。

それでも、アメリカの本質は日本の25倍ある広大な田舎で、その田舎に住んでいてこのオバマ政権のご時勢でも共和党を支持している人たちは、相変わらずトラックのカーラジオで地元の出力の弱い局からカントリーやオールディーズを聴いているのだと思います。

そういうアメリカが半分残っている限り、古きよきラジオのスタイルは不変だと思いますが、どうでしょうか。克也さん。

アメリカのラジオ業界の「歴史的」変化について、実はもう一つ書かなければならないことがあるのですが、また長くなってきたので次回に回します。なぜタイトルがSaturday in the Parkなのかの種明かしもそちらでしますね。

87日、お盆の帰省を利用して上京、またまたファンキーなスタジオにご挨拶、お邪魔してしまいました。銀座ファンキーズの皆様、またまたご迷惑をおかけしましたが、楽しい時間をすごさせていただきありがとうございました。いろいろ大変なことのあった日でしたが(813日付克也さんの日記参照)、愚息をカンカンクイズの子供鼻歌に出演させてくださりありがとうございました。Queen”We Will Rock You”だと正解を出してくださった方、ありがとうございました。

リスナーの投稿では「ロートルズ」とか「ローガンズ」とか無茶苦茶言われていましたが、実際は平均年齢はすごく低く、エネルギーに満ちて仕事に燃えている人たちばかりですよ。リスナーの皆さん、もっとスタッフの人たちに敬意を払いましょう。もちろん、克也さんにも。

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名古屋土産の名物(?)手羽先パイ。評判はどうだったかな?ビートルズ「青盤」の裏ジャケとのコントラストがなんともいい味を出しています。

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愚息と孫みたいに遊んでくれた克也さん。偶然にも服の色が同じ空色だった(その次週放送のベストヒットでも着ていらっしゃいましたねえ)。長丁場でお疲れの克也さんを、指圧マッサージのいろはを少し「門前の小僧」でやった小生が失礼して。思いっきりツボを外してしまい苦痛を通り越してアヘアへ顔になってしまった克也さん。腕に隠れてしまいましたが小生のファンキーオッパイTシャツにもご注目ください。

*2010年4月現在、CBSも傘下の一部の局の海外に向けてのストリーミングをブロックし始めました。

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2009年4月24日 (金)

Time Machine-1984

Then & Now Rock 'n Soul, Pt. 1

  往年のベストヒットUSAのタイムマシーンのコーナー冒頭の、克也さんの雄たけびみたいですね。

 知らない若い方々のために念のために言っておきますと、80年代のベストヒットのタイムマシーンは、今みたいに、何年前の今日は何があった、ができなくて、ある年のある一曲を紹介していたんです。

 それ以前の曲の映像がなかなかなかった時代でしたからね。当時契約していたアメリカのテレビ番組SOLID GOLDの映像を流したり。克也さんもスタッフの皆さんも資料映像探しにはずいぶん苦労されたみたいです。「ボストン」が蔵の奥から見つかったときには抱き合って泣いて喜んだとか。。。

 さて、でも上のタイトルは、いつものように曲やアルバムのタイトルにもなっていますから、その種明かしは後でします。お楽しみに。

 今のベストヒットをご覧の方々にはお分かりのとおり、421日の放送ではタイムマシーンスペシャルで、25年前の1984年に戻りました。小生は大学の音楽研究サークルでバリバリやっていた時期でした。

 当たり前のことですが、ある特定の二つの時期をピックアップして比較してみて、似ている部分もあれば違う部分もあります。小生はまず番組を見て、84年と今とはかなり似ているのではないか、と感じました。その似ている部分とは?

 克也さんは、「このアーティストは知っているけれど曲は知らなかったよー、ってのが多くありませんでしたか?」とおっしゃっていましたが、それはなぜでしょう?

 その謎をとく鍵は以下のクイズで。

 その1984420日付けチャートに入っていた以下の曲にはある共通点があります。それは何でしょう?

 19位 Pretenders “Show Me”

 17位 Yes     “Leave It”

 16位 Hall & Oates “Adult Education”

 14位 John Cougar Mellencamp “Authority Song”

 12位 Kool & the Gang “Tonight”

 9位 Denniece Williams "Let's Hear It for the Boy”

 7位 Culture Club “Miss Me Blind”

 2位 Lionel Richie  “Hello”

20曲中8曲ですが、さて共通点とは?

Colour by Numbers

 答。これらは全て、そのアーティスト(一部サントラ)のアルバムからの2枚目以下のシングルカット曲、つまりアルバムのリーディングヒット曲ではない曲、なんですね。

 ついでにもう一問。では以下の曲の共通点とは?

14位 John Cougar Mellencamp “Authority Song”

 13位 Go-Go’s “Head Over Heals

 12位 Kool & the Gang “Tonight”

 11位 Steve Perry “Oh Sherry”

 9位 Denniece Williams "Let's Hear It for the Boy”

 7位 Culture Club “Miss Me Blind”

 6位 Cars “You Might Think”

 5位 Rick Springfield “Love Somebody”

 4位 Kenny Loggins “Footloose”

 2位 Lionel Richie  “Hello”

今度は20曲中半分、これは一枚目のシングルカットも含めて、3曲以上トップ20に入るシングルヒットを出すアルバムからの曲です。

Can't Slow Down Heartbeat City

 これらのことから何がわかるか。

 この当時は、一枚のアルバムからシングルヒットが何枚も出てくる、曲のばら売り時代だったんですね。

 その理由は簡単で、ビデオ、MTVの最盛期だったからです。

  オンエアされた”You Might Think”のビデオ、今見ても凝ってますし、アワードを獲るのも当然ですね。あと”Leave It”のビデオはあのゴドレイ&クレームの作品です。

 この日のチャートにはたまたま入っていませんでしたが、ヒューイ・ルイス&ニュースもアルバム「スポーツ」から4曲のヒットを出していた全盛期だったのですが、やはりこの時期の近辺に克也さんがサンフランシスコに赴いての取材インタで、「70年代のコンセプトアルバムみたいな時代を懐かしく思わないかい?」という質問に「曲のばら売りはみんなビデオのせいなんだ。一曲毎に作るから」と答えていました。そのとおりの時代だったんですね。

 84年はほかにもシンディ・ローパー、ティナ・ターナー、マドンナなんかが一枚のアルバムから4曲以上シングルをヒットさせていた時代でした。

 この部分は、今現在の時代に似ていると思うのです。

 ニッケルバック、ドートリーなんかが、一枚のCDから何曲もヒット曲を出し、一枚で数年もたせていたりします。

 しかし、84年と今が異なるのは、メディア(媒体、手段、という意味)が違うという点ですね。

 現在のばら売り現象の原因も明らか。今はデジタル・ダウンロードの時代だからです。

アメリカのアマゾンのサイトを見れば、特定のCDのページに、収録曲全曲が曲別に、一曲いくら、で売っています。日本からは買えませんが。日本には日本の中で皆さんご存知の別の手段があるでしょう。また、そろそろCDではなくUSBスティックのみで売り出すアーティストも出てくるという。

 84年は、CDはそこそこ出ていましたが、まだ塩化ビニールの時代でした。LPレコードは、針が内側になればなるほど溝の感覚が細くなり音質が悪くなるので、AB面の最後の曲は多少手を抜く、みたいな不文律があったそうですが(山下達郎氏弁)、今は新しいアルバム製作にはその度毎にグレイテストヒッツアルバムを作るんだ、みたいな意気込みが必要な時代になっているんだと思います。

 さて、もう一つクイズ。これは答に主観が入りすぎているので怒られるかもしれませんが、以下の曲、というよりアーティストの共通点とは?

17位 Yes     “Leave It”

 16位 Hall & Oates “Adult Education”

 12位 Kool & the Gang “Tonight”

11位 Steve Perry “Oh Sherry”

9位 Denniece Williams "Let's Hear It for the Boy”

 4位 Kenny Loggins “Footloose”

 2位 Lionel Richie  “Hello”

 1位 Phil Collins “Against All Odds”

フットルース But Seriously

 答、これらのアーティストは、本来は別に音楽のルーツを持っていて、少なくともデビュー時はスタイルが全く違っていたのが、この84年は商業路線に走ってポップになって軽くなったり、バラードに手を染めたり、サントラに走っていった人たちだといえます。他にもこの時期のシカゴなんかがその代表選手ではなかったでしょうか。まあ、売れて何ぼの世界ですし、時流に合わせることができるのも才能の一つですしね。それに何よりもリスナーとして楽しませてもらえましたし。どうこう言う気はありませんが(既に言っているか)

 そういう時代だったんですね。そんなことにいろいろ思いを巡らせることができた特集でした。またやってください。

 そうそう、それで、タイトルの説明。

Grand Funk

 Time Machineとは、今のベストヒットのタイムマシーンのコーナーで、克也さんが登場するバックにかかっているギターのカッティング。あれはグランド・ファンク・レイルロードのTime Machineという曲なんですね。そういうのを知っている克也さんかスタッフのどなたか、流石だと思います。

 ちなみに、番組創成期からずっと使われ続けているスター・オヴ・ザ・ウィークのタイトルバックにかかる、ファンファーレみたいなのは、マイケル・ジョンソンという、これまたフィリピン人や前長野県知事さんが好きそうな(前回の記事を読んでください)シンガーの“YouYou, You”という曲のイントロです。”You Can Call Me Blue”というアルバムに収録されています。

1984

 あと、1984。これはまさにこの年の元日に発売になったヴァン・ヘイレンのアルバムのタイトルで、同名の曲も収録されていました。「ジャンプ」が入っているやつです。

 考えてみれば、1984年とは、ジョージ・オーウエルによる未来小説の舞台で、ヴァン・ヘイレンのそのアルバムもそれを意識したものでした。ビッグ・ブラザーという独裁者に監視される世界を想像したオーウエルと、実際に1984年を迎えてどこまで現実になっているか、などという検証がいろいろなマスメディアでされていました。その84年も、プリンスが歌った1999年も、歴史になってしまいましたね。

 そうそう、前回の記事で思い出せなかった、草彅剛、瀬戸朝香のテレビドラマのタイトルですが、あの記事を読んで下さっている希少な方々のお一人から、「成田離婚」であるとの御教示を受けました。ありがとうございました。お詫びして訂正いたします。草彅さん、いろいろありましたが、これもノーコメントで。まあ、もし自分を偽った姿で仕事をなさっているのだとしたら、ストレス溜まりますよね。

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2008年12月24日 (水)

(You Make Me Feel Like)A Natural Woman

実は、時系列的にはこの前にもうひとつ大きなコンサートに行っていて、物の順序からすればそこからリポートするべきなんでしょうが。

 129日のベストヒット、スター・オヴ・ザ・ウィークのゲストに合わせて、キャロル・キングのリポートを先に回しましょう。

 「私の居間へようこそ」”Welcome to My Living Room”ツアー、私も行ってまいりました。
Welcome to My Living Room [DVD] [Import]

 以前にTOTO+ボズ・スキャッグスを観たような例のハコモノ国際会議場が会場だったのですが、会場の大きさに不釣合いな、彼女のピアノ、あとアコースティックギターが二人、シンプルな編成で、薄暗い照明、小道具でソファや観葉植物などを置く、まさにマンションの一室、彼女の居間を再現したようなステージ上でした。これはベストヒットで流れた映像のとおりです。

 私の席番号は、なんとミキサー席のもろ隣でした。前売りが思ったほどに捌けていなかったのか、開演直前に、席を一列ずつ前に移動してくださいとの指示が会場案内からありましたが、小生は、このような大きな会場の場合の「例の作戦」がありましたのでこの幸運は譲れず頑として動きませんでした。周囲の人は、なんと身勝手な奴だ、と思ったことでしょう。私も心が痛みます。でもこうして、その結果をちゃんと役に立てていることに免じてご海容願えれば幸甚です。

 例の作戦とは、ステージまでいけない場合、客席側のスタッフと仲良くなって、セットリストを分けてもらうこと。スタッフさんだって、自分の近くに英語をわかってくれる観客がいると思うとほっとするみたいですよ。今回もちゃんとものにしました。それに沿ってライヴを振り返りましょう。
Carole_king_setlist_1Carole_king_setlist_2

 



 


  彼女がインタビューで言っていた、居間を再現するコンセプトは、ブッシュ政権を追い出して民主党政権を作る話し合いを始めたことから生まれた、というの、まんざら大袈裟でもないでしょう。彼女はニューヨーク生まれのユダヤ系。それにアメリカには直接民主制の伝統もある。町の小さな寄り合いの話し合いから、何か大きな運動が始まったりする。

 インタビューでは民主党政権の誕生をかなり喜んでいた様子でしたけれど、ステージでは政治色は一切感じられませんでした。
Music

 1曲目の”…Long Ago…”は彼女の3枚目のソロアルバム、72年の”Music”からで、まさに昔の曲が中心の選曲でした。というか、インタビューでも、今は本を書くのに熱中している、なんて言ってましたけど、彼女は80年代後半から音楽的には恐ろしく寡作になってしまいますね。

 それでも2曲目、正式には”Welcome to My Living Room”はまさにこのツアーコンセプトにあわせて書き下ろされた曲だし、3曲目”Now and …”93年、第二次大戦中に選手が兵役で取られてメジャーリーグが中止になったことに反発し、野球好きの女の子たちが自分たちでプロ野球を作ったという実話を綴った、トム・ハンクス、マドンナなんかが出演していた映画「プリティリーグ(A League of Their Own)」の主題歌でした。

 4曲目あたりから古くなってきます。
Writer/Rhymes & Reasons

 “…Roof”はドリフターズ(日本のあれじゃありませんよ)の63年の大ヒット、彼女も最初のソロアルバムでセルフカバーしています。
Tapestry

 6曲目 “Where…”7曲目”Home Again”と、名盤、71年の「つづれおり」からのナンバーがぼちぼち出てきました。

 ここでピアノに座って歌っていた彼女が立ち上がり、アコースティックギターにも誓え、三人が並びます。「イーグルスみたいなことをやりたかったのよ。ナッシュビルでは毎日、何人ものシンガーソングライターが一つのステージに集まって、交互に自分の歌を歌うのよ」といって、それまで地味にバックでギターを弾いていたゲリー・バーが二曲リードヴォーカルをとりました。
Juice/Quiet Lies

 9曲目の”Love’s Been a Little Bit Hard on Me”は、ベストヒットの創成期、82年のジュース・ニュートンのヒット曲です。彼はその作者だったんですね。他にも彼は2001年のリッキー・マーティン、クリスティナ・アギレラのデュエットでヒットした”Nobody Wants to Be Lonely”の作者でもあります。そんな感じでしぶとく業界で生き残っている人、ナッシュビルに行けばいっぱいいるんでしょうね。バックコーラスをやっているキャロルは実に楽しそうでした。

 そのままのポップなノリで10曲目”Smackwater Jack”へ。「つづれおり」で最も歯切れがよかった曲。
ゴフィン&キング・ソング・コレクション1961-1967

 その次は最初の夫ジェリー・ゴーフィンとの大ヒットメドレーでしたが、私はちゃんと全部書き留めておきました。”Take Good Care of My Baby(Bobby Vee)~”It Might as well Rain until September”62年、彼女自身)~”I’m into Something Good”Herman’s Hermits~”Go Away Little Girl” (Steve Lawrence, Donny Osmond)~”Hey Girl”(Freddie Scott)~”One Fine Day”(Ciffons)~”Will You Love Me Tomorrow?(Shirrells)

  場所によって、メドレーの内容は変えているみたいです。60年代は、とにかく数え切れないヒット曲を作っていましたからね。改めて脱帽です。

 ここで20分の休憩。

 前半は黒い衣装でしたが、少しオレンジがかった色に変身してきました。

 後半は、2001年、彼女自身8年ぶりだった”Love Makes…”の表題曲からスタートしました。

 2曲目の”Sweet…””Music”から、そしてメドレーのように矢継ぎ早に、「つづれおり」からの彼女の代表曲”It’s Too Late”「心の炎も消え」。

 これらの曲も含めて、この70年代前半の彼女のソングライティングのパートナーはToni Sternという女性で、女性二人で曲を作っていたわけで「つづれおり」の中にも女性の心の変化を題材にした曲が多い。社会的にも女性の進出が目立ち始めたころと一致しており、この”…Too Late”も「つづれおり」自体も、時代が違えばあれだけのヒットにはならなかっただろう、と彼女は回想しています。遅すぎなくてよかった?
Pearls (Mini Lp Sleeve)

 4曲目の”Chains”は珍しくビートルズもカバーしている曲。70年代後半から彼女はレコードはコンスタントに出すのですがセールス的にはスランプの時期を迎えてしまいます。そんな中、80年に “Pearls”という、ゴーフィン-キング時代に他人に提供した曲のセルフカバーアルバムを出しますが、その中でも印象的な一曲でした。

 5曲目”(You Make Me Feel Like) A Natural Woman”は「つづれおり」のセルフカバーもいいですが、なんといってもアレサ・フランクリンですね。

 「今晩、この後、SMAPSMAPに出演するから観てね」とMCが入りましたが、よほど近くに住んでいない限り無理ですね。僕でさえ40分かかるんだもの。

 6曲目 “Pleasant…”は彼女自身のスタジオ録音はなく、最近のライヴでは好んで歌っているようです。モンキーズの大ヒット曲の一つ。

 7曲目“…At War”は未発表作品で、まさに、最初に書いた、共和党政権を倒すために部屋に集まった、云々という話が本当に思えてくる、ベトナムの時代にはゴーフィンと明るいラブソングを中心に作っていた彼女の今になっての反戦歌に聞こえました。

 そして、”I Feel the Earth Move”「空が落ちてくる」。「つづれおり」の中で、”…Too Late”との両A 面ヒット(懐かしい表現だなあ)に続きます。あなたと一緒にいると大地が動き空が落ちてくるのがわかる、という恋の衝撃の歌ですが、その反戦歌と繋げてちょっと違った響きを持たせながら、いったん引っ込みます。

 アンコールは、”So…“「去り行く恋人」”You’ve Got a Friend”「君の友だち」と「つづれおり」の名曲二つのメドレー。後者はジェームス・テイラーのカバーでナンバー1ヒットになり、キャロルのレコードで彼はギター、バックヴォーカルで参加しています。今回はゲリー・バーがその役目を完全に果たしていました。前者は、96年、「つづれおり」へのトリビュートアルバムで、収録曲全部を別々のアーティストが独自の解釈で録音した”Tapestry Revisited”の中でのロッド・スチュアートのカバーがものすごくいいんですけれどね。
Tapestry Revisited: A Tribute to Carole King

 最後は”Locomotion”Little Eva, Grand FunkKylie Minogue3回もヒットし、彼女自身も“Pearls”で録音している。ただし今回はダンサブルでもロックっぽくもなく、彼女のピアノだけで割とゆったりめのアレンジで、「リトルエヴァでも憶えられるような簡単なABC」などど歌詞もいじっていました。

 最盛期もあればスランプもあり、別のことに関心を持つこともある。そんな自然体の彼女の今を自然に表現しようとしたステージ、という感じでした。
Grace Of My Heart 輸入盤 【CD】

 彼女の半生をモデルにした「グレイス・オブ・マイ・ハート」という映画についても前に書いたことがありますので、ついでにどうぞ。

 今年のことは、今年の中で終わらせたいけれど、無理そうだなあ。

 とにかく、メリークリスマス!

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2008年11月11日 (火)

Chocolate CIty

貧乏人暇なしとはよく言ったもので、いろいろ忙しく一ヶ月近くご無沙汰してしまいました(別に、暇ができたからこれを書いている、というわけではありません。これも大事なお仕事だと思っております)。

 克也さんの日記に既に取られてしまいましたが、歴史的な出来事があったわけで。

 この前までしつこく宣伝していたテレビ番組からもお分かりのように、私は本業ではその筋では中途半端に知られている奴でして。

 その歴史的な日というのも、開票進行時、アメリカでの4日夜、日本時間で5日午前10時あたりから、地元の領事館に詰めていてくれとの要請があり、関係者と共に速報に見入っておりました。

 その中に、領事館がわざわざ遠方から招いたという、福井県小浜市の市長とか市議会議員とか、「勝手にオバマ候補を応援する会」という人たちが来ていました。

 その人たちを含めて、いろいろ知ったかぶりをしていました。今度当選するであろう大統領は、名前があなたたちの町のローマ字表記に偶然一致している以上に、初めて母音で終わる名前を持つアメリカ大統領になる、と。

 ケネディとかマッキンリーはYで、これは子音扱いですね。第5代のモンローは子音と組み合わさらない二重母音です。

 あとの39人の大統領は全員文句なく子音で終わっている。

 つまり今までの大統領は、アングロサクソンと若干のアイリッシュが独占していた。白人マイノリティで、例えばイタリア系だったらFrankie Valli, みたいに必ず母音で終わりますが、今度の「黒人」大統領はそういう白人マイノリティ、褐色人種を飛び越えて、その今までアメリカの人種構成の主流派が独占していた聖域に足を踏み入れるのだ、と。

2000年代の大統領選挙人団分布は明らかに共和党にアドバンテージがあった(人口が増えている南部地域の共和党への傾斜が強い、田舎に行けば行くほど共和党が強く、山岳、高原諸州の人口過疎州では配当選挙人一人に対しての人口比が少ない、等等)ので、オバマ候補は全米で5%のリードなら接線に持ち込まれる、当選には10%以上のリードが必要、と考えていましたが、昨今の金融危機に後押し(?)されて、その10%以上のリードの状態で投票日を迎えましたので、これは確実だろう、と予想できていました。

 日本時間正午の時点で、オバマ候補がオハイオ州とニューメキシコ州を獲得したとの速報が流れ、ここでまた知ったかぶりが始まりました。これでジンクス上オバマが勝利した、と。これまで、共和党の大統領でオハイオ州を獲得せずに当選した例は一度もありません。またニューメキシコは州になって以来、二度の例外を除いて必ず最終勝者が獲得している州なんです(個人的に私は「コウモリ州」と名付けています)。それらでマケインは負けました。

 午後一時、西海岸諸州で投票が締め切られた時間、開票を待たずにCNNNBCCBSABC一斉にオバマ勝利一報を打ちました。出口調査でこれらの州はオバマ獲得が確実で、最大票田のカリフォルニアの結果で決まり、ということでした。

 そうそう、選挙前後、このコラムのバックナンバーの「小林克也のRADIOBAKA・期限切れ遺失物移管所」ですが、この間もベストヒットにゲストに出ていたベン・フォールズの一枚前のJesuslandについて書いたページにアクセスが急増しました。4年前の選挙でできたアメリカの地理的分裂を揶揄した「カナダ合衆国」と「ジーザスランド」に関する説明が、的を射ていて分かり易い、とある有名コラムニストのページにリンクされたらしいんですね。

 そこに書いてある、アメリカの分裂が解消されたわけではない、と考えています。2004年にケリー候補が勝った州は全てオバマが獲得しています。その「ジーザスランド」の中から、オハイオ、ヴァージニア、フロリダ、コロラドなどいくつかの大きな州を、金融危機や現ブッシュ大統領の支持率急落が追い風となり微妙な差で獲得できたという点が勝因だったと思われます。

 さて、その中途半端専門家が語ったコメント、地元の方々は、まだ処分なさっていなったら中日新聞6日朝刊36面をご覧になっていただきたいのですが、TVドラマなら「24」、映画なら「ディープ・インパクト」のモーガン・フリーマン演じた黒人大統領がいて、オバマの登場の地均しの役割を果たしていたといえるでしょう。

 では、音楽で黒人大統領の登場を最も早く予測してたのは誰の何という曲でしょうか?

Chocolate City

 僕の知る限り、パーラメントの”Chocolate City”です。ジョージ・クリントン(この人の名前も考えてみれば因縁がありますね。前々大統領と同姓である以前に、第三代副大統領と全く同名です)率いるP-Funkの一団。克也さん曰くヒップホップ登場以前に最もヒップホップだった人たち。70年代以来、ファンクの音楽とスタイルにものすごく影響した人たちですが、その曲自体は1975年、R&Bチャート24位、ポップチャート96位というマイナーなヒット曲。しかし、今聴いてみてもあらゆる意味で先進性を感じさせます。75年の時点でリズムボックスオンリーで、しかもラップの魁みたいな、ジョージ・クリントンの語り(?)のみで曲が進行します。Chocolate City、つまり黒人が牛耳る都市が、どんどん増殖している。首都のワシントンも黒人人口比が非常に高い。

We've got New York, we've got Gary, Somebody told me we got L.A.And we're working on Atlanta But you're the capital, CC

俺たちはNYもギャリー(インディアナ州)も占領した。ある筋によればロサンゼルスも手中にした。今はアトランタに着手しているところだ。ところが、今度は合衆国首都だぜ!
They still call it the White House But that's a temporary condition, too

 奴らはまだ「ホワイト」ハウスなんて呼んでいるけどそれも一時的状況に過ぎないぜ!

And don't be surprised if Ali is in the White House
Reverend Ike, Secretary of the Treasure
Richard Pryor, Minister of Education
Stevie Wonder, Secretary of FINE arts
And Miss Aretha Franklin, the First Lady

モハメッド・アリがホワイトハウスの主人になっていても驚く必要はないぜ

アイク牧師(70年代に活躍したテレビ伝道師)が財務長官、リチャード・プライヤ(コメディアン)が教育長官、スティービー・ワンダーが芸術長官、そしてアレサ・フランクリンがファーストレディーだ!

この曲の構図はあくまで白人に対する黒人、です。

初めての黒人大統領のオバマ。しかし彼は奴隷の先祖の血を継いでいる訳ではなく、父親はムスリム、義父はインドネシア人、母親はカンサス生まれの白人。単純な肌の色の問題ではなく、アメリカそのものの多様性を象徴するような存在です。アメリカの低俗なネットの書き込みを見ると、やはり、黒人だということで差別的な表現が多く見られますが、その分断されていたアメリカを、多様性を認めた上で再統合する役割を期待したい。いずれにせよ、歴史の大きな転換点を感じさせられる今日この頃です。

そんなこんなで忙しいと言いながら、ライヴリポートネタもたまっていますので、ぼちぼち小出しにしていきたいと思います。

筑紫さん、あなたは、あなたが好きだったあの国の歴史的な転換点をちゃんと見届けてから、旅立たれたのでしょうか?

たった一度、國弘先生との席でご一緒させていただいて、カツ丼を注文しましたが、貧乏学生だった小生、「実は、金が足りないんです」というと「しょうがねえな、俺が出してやるよ」といって払って下さった筑紫さん。そのときも、楽しそうにワシントン特派員時代の思い出話をしてくださった筑紫さん。いつか、お返しができればと思っていたのですが、やはりできませんでした。申し訳ない気持ちでいっぱいです。そのときのことはずっと忘れませんし、あなたが書いたこと、言ったことから多くのことを学びました。ありがとうございました。お疲れ様でした。安らかに。

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2008年10月15日 (水)

Realize

またライヴリポート。チョッと続きそう。克也さんのラジオが聴ける回数が残り少ないというのに。。。

 今回はコービー・カレイ。小さいライヴハウスでやってくれました。これは行くしかないですね。

 ベストヒットUSAの大晦日生特番の放送終了後、楽屋でのちょっとした反省会で「これだけの長時間、チョッとゲスト呼んでナマ小ライヴやらせたらよかったね。コービー・カレイなんかいたら呼びたかったね」と仰っていました。

 わかりますね。彼女ならバンド全員でも小回りが利きそうだし、一人だけでも弾き語りできそうだし、気さくに来てくれそう。だけど、その後の10ヶ月の間だけでも、かなり大きくなってしまったのではないでしょうか。そしてこれからもっと大きくなっていきそう。

 彼女のCaillatという苗字、はるか昔にどこかで聞いたことがあるな、と思っていたのですが。

 なんと、僕が自分の小遣いで一番最初に買って、今までの人生で最も多く買い換えて最も多く聴いているであろう、フリートウッドマックの「噂」(そしてその次の「牙(タスク)」

のプロデューサーに名を連ねていた Ken Caillat(当時は僕も含めてみんな「キャリヤット」と発音していましたが)という人がいて、彼女はその愛娘なんですね。なんかこちらから一方的ですが因縁を感じてしまいます。

 それでも父親がその仕事をしたのは30年以上前。彼女は22歳。

 さらにそれでも、20周年の名盤製作回顧ドキュメンタリーDVDの撮影の際、子供だった彼女は父親に連れられてメンバーに引き合わせてもらったとか。得にスティービー・ニクスにはすごく憧憬の情を抱いたよう。ステージでもそういう匂いが少し感じられましたね。

 それでも、彼女が自分自身でもシンガーになる夢を見始めたのは、そんな家族環境もさることながら、やはり彼女のジェネレーションで、ローリン・ヒル(彼女の言葉、正確にはフージーズ)を聴いて、自分でもその曲を小学校のコンテストで歌って以来、だという。

楽器はまずピアノから入り、曲作りを始め、ギターを始めたのは4年前だという。まあ、4年やればあれくらいできるだろう、という腕前でした(素人が偉そうに)。

 そして、まだ歴史の浅いマイスペースでアクセス数、再生回数、お友だち登録数が通算でトップになり、颯爽と登場した。時代の申し子、ですね。

 さて。ステージです。

 普段僕が行くより、聴衆平均年齢は低い低い。カップルもいっぱい。

 彼女か登場すると、「かわいーー!!!」の黄色い声。

 彼女の場合、アルバムはまだ一枚しか出ていませんし、いい意味でも悪い意味でもそのアルバムでの、アコースティックでシンプルな、若々しいイメージは定着しており、ステージでもそのアルバムの曲をそのまま聴いたような感じでしたので、いきなり、例によって終了後ゲットしてサインを入れてもらったセットリストを出して曲目を確認することにしましょう。

 彼女自身がギターを持って歌ったのはほんの数曲で、あとは歌に専念してバックに任せていた感じでした。

 1曲目から3曲目はアルバムと全く同じ曲順です。4曲目で2枚目のシングル”Realize”をやった後に出てきた、“U.P.”とは。クィーン+デヴィッド・ボウィの “Under Pressure”でした。原曲の、ファンク、オカマっぽい色っぽさはなく、アコースティックベースを利かせて彼女のイメージで。それとメドレーでやった”Something Special”は未発表曲のようですね。

 またアルバムからの曲に戻り、8曲目の”Tailor Made”の前には、「姉貴の彼氏を紹介されて、姉貴に捧げた曲よ」と長めのMCが付きました。

 9曲目は、上でチョッと触れましたが、この曲に感動して、この曲を小学校の歌のコンテストで歌って、アーティストになる夢を持った、というあの曲。彼女のギターと、バックにベースがもう一人だけのシンプルな構成で歌われて、アコースティックな味で、むしろロバータ・フラックに似ていて、全くヒップホップではありませんでした。

 実は帰りのエレベーターでも彼女と一緒になって、チョッと話せたのですが、それでも私が影響を受けたのはローリン・ヒルの方だ、と言っていました。

 この曲を作ったときはギターを習いたてで、共作のジェイソンにすごく助けてもらったわ」というお馴染み“Bubbly”をみんなで大合唱した後、そろそろ終わりだな、何が始まるかな、と思ったら、彼女は「みんな、ダンスっぽいのがいい、それともロックしたい?」と訊いてきました。ダンス、が多数意見を占めた感じだったので、”I.W.Y.B.”が始まりました。なんとこれ、ジャクソン5の”I Want You Back”だったのです。子供に戻ってステージの上でも下でも踊らにゃ損々、てな雰囲気になってしまいました。

 もし、ロックっぽいの、の意見が多数だった場合用意されていた、“B of B”とは何だったのでしょう?ストーンズ、ベッド・ミドラーの”Beast of Burden”あたりでしょうか?もし、他の場所でライヴをご覧になって、この”B of B”だったという方、いらっしゃったらぜひご教示下さい。

 アンコールの”Capri”では、同い年の友達が若くして母親になる、その一部始終を見て感動して、彼女に捧げた曲、と紹介して、彼女のギター一本で歌われました。

Colby_calliat_coco

 リオナ・ルイス、サラ・ブラリス、テイラー・スイフトなど、ACのジャンルではちょっとした女の子シンガーソングライターブームが起こっています。そんな中でも、一番最初に夢を実現した(realize)、もっと大きくなっていきそうな彼女に注目。

 まだ間に合った。しつこいですが、15日水曜日夜9時、新番組「水曜ノンフィクション」2時間特番に、私、阿南東也がほんの少し登場しますので、ここでこんなこと書いているミーハーはこんな奴だったのか、とわかる機会はそうはありませんので、お暇でしたら是非。

Colby_setist

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2008年10月10日 (金)

She Bop!

彼女はBopしていました。というより、Rockしていました。

 シンディー・ローパーのライヴに行ってきました。

 克也さんの大の仲良し。インタビューで「あたし喋りすぎてる?あなたとは長年の知り合いだから何でも話したくなっちゃうのよ」と言わせてしまう。

 その前回5月の来日時のベストヒットでの長インタも横目で見つつ、レビューして見ましょう。

 会場に入ってまず驚いたのは、CD以外のグッヅ販売の人待ちの列の長さ。僕もミーハーで、ライブに行ったら、特にCDジャケットがデザインされているTシャツが好きでかなり買ってしまうほうなのですが、開演の前かなり余裕を持って入場したつもりでも、とにかく列が長くて、着席が開演ぎりぎりになってしまった。これも一つの人気を計るバロメーターですよね。

 そして開演、といっても、前座付きでした。地元、三重出身、今大学に通うため名古屋に住んでいるという西野カナさんが、バックにDJ一人を従えて3曲披露してくれました。

 よかったんじゃないですか。ノリもよかったし、声がのびのびと澄んでいて。

 そういえば、やはり名古屋出身、15歳くらいでデビュー、でも仕事と通っていた高校の関係で月金は東京で、土日だけ家族のいる名古屋に帰っていて、克也さんの万博来訪ZIP HOT 100公開生放送会場で僕の目の前でナマで歌って踊ってくれた中林芽依サンを思い出しちゃいました。克也さんが、名古屋のタタ・ヤンといっていた人。ちょっと名前を聞かなくなったなと思ったら、アーティストネームそのものをMay‘nと変えて、アニメのテーマソングなどでがんばっているみたいですね。(同じ記事で触れていて、克也さんがコメントを下さったネルソン兄弟の話、偶然にも105日の「ポップ・ミュージック・マスター」にも出てきましたね。)

 さて、肝心のシンディの登場です。

 冒頭にも書いたように、ロックしていたんです。ブロンディかと思ったくらい。壮、5月のインタでもCBGBやブロンディ、ロバート・ゴードンを観に行っていた話、してましたよね。そんな感じだったんです。彼女に持っていたイメージが少し変わりました。ベテランにありがちな(僕のコラムでよくレビューされるような)、かつてのヒット曲にぶら下がって回顧的になりがちなライヴと違って、ベテランでありながらも常に新しいことに挑戦し続けようとする彼女の姿勢が窺えました。

Bring Ya to the Brink

 そもそもニューアルバム”Bring Ya to the Brink”がその路線なんでしょう。

1 Into The Night Life

そのニューアルバムからいきなり入ります。真っ暗なステージから、いきなりスポットで登場したのは中央の椅子に後ろ向きに跨っているシンディ。そのまま反っくり返って顔の上下が逆のまま歌い始めます。そのままローディーがすかさず椅子を持ち去ると、シンディはステージ向かって左側の1階席に降りてきました(小生は3階席から眺めていました。涙)。たちまちファンに囲まれる。
2. Set Your Heart

ベストヒットでもかかった、ニューアルバムからのロックっぽい曲を立て続けに。

True Colors
3. Change Of Heart
4. I Drove All Night

さすが、お馴染みの曲の多い彼女。このあたりから混ぜていきます。2枚目のアルバムTrue Colors から第二段シングル。当時としては彼女らしくても、このライヴではロックして聞こえた。

ブラック・アンド・ホワイト・ナイト

そして89年の “A Night to Remember”から。”True Colors”の作者であり、他にも “Like A Virgin”,”Eternal Frame”など80年代の名曲を数々残しているTom Kelly & Billy Steinbergのペンによる曲。二人ともロイ・オービソンの大ファンで彼に歌わせることをイメージして作ったが、当時そのロイにレコード契約がなくて実現できなかったという。それでTrue Colors繋がりで先にシンディに行ってしまい、大ヒットになった。その後、ロイにも契約ができた後の92年、彼も取り上げて彼の晩年の代表曲となった。セリーヌ・ディオンも歌ってます。

She's So Unusual
5. When You Were Mine

6. She Bop

とにかくデビューアルバムにして、収録10曲中5曲がシングルヒットになった名盤 “She’s So Unusual” から。特に”She Bop”は、ダンサブルだったレコードでのアレンジとは違った印象でした。すごくロックっぽくなっていた。

間のMCでも、日本贔屓の彼女、知っている日本語、お絞り、おひたし、おとおし、などといって笑いを取っていました。
7. Rocking Chair
8. Echo

またロックっぽいニューアルバムから二曲。
9. All Through the Night

“She’s So…”から、やはりヒット曲ですが、こういうソフト目の曲は極端にソフトに演っ他方が、ロックっぽい構成のときは引き立つ。彼女はここのところソフトな曲を演るときはペダルスティールのように寝かせて、座ったままで弾くギターを使います。
10. Lyfe

ニューアルバムから。スペリングがチョッと洒落ていますね。

11.True Colors

そろそろ佳境かな。フィル・コリンズのカバーでもお馴染みの彼女の代表曲の一つ。ここも寝かせギターでしっとり聞かせます。

そういえば、”Time after Time”を演りませんでしたね。演ったら同じような感じになったと思います。
12. Rain On Me
13.Hole in the Heart

ニューアルバムと、A Night…から。大団円に向かって怒涛のごとく突き進みます。そしてその終りとはやはりこれ。
14. Girls Just Want To Have Fun
彼女の signature hit (意味は辞典で調べてください)ですね。オリジナルが大ヒットし、何度もセルフカバーしている。Puffyの二人のチャチャを入れたヴァージョンもあるし。アメリカ原住民の権利主張を音楽の基礎にしていたレッドボーンというグループの1974年のヒット曲”Come and Get Your Love”のコーラス部分を頂いた”Hey Now”ヴァージョンもあります。

これも原曲のアッパラパーなイメージではなくロックっぽくアレンジされていました。INXS”Need You Tonight”のようなギターのリフをバックに歌われました。それでもみんなが歌える曲。一階席を左、中央、右の三部に分けて、”Girls just”, “Wanna Have Fun” “Hey Now”と続けて唱和させて参加させられました。
アンコール
15.Money Changes Everything

もう一曲、デビューアルバムから。ずっと衣装変えはせずピンクと黒のスーツで最後まで通しました。

というわけで、今尚大きなホールをいっぱいにできる集客力を持つ彼女の台コンサートでした。

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2008年10月 9日 (木)

番外・テレビ出演宣伝

特報!というか宣伝

私、ハリー教授こと阿南東也(あなみはるや)が、地上波全国ネットで、「本業で」テレビ出演します。1015日水曜日、TBS,毎日放送系夜9時からの新番組、関口宏さん司会「水曜ノンフィクション」、の第一回パイロット2時間特番に、恐らく編集で登場は数分になってしまうでしょうが、とにかく出てきます。シンディのニューアルバムは”Bring Ya to the Brink”でしたが、世界が核戦争の破滅のふち(brink)に追いやられそうになった事件についてチョッと語っています。いつもこの場を借りてこんなことを書いている奴はいったいどんな奴なのか興味のある方、お暇の方はぜひどうぞ。

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2008年9月22日 (月)

Soul Man

追悼記事です。また巨星の訃報が入ってきました。

 アイザック・ヘイズ。810日逝去。享年65歳。

 66歳の誕生日の10日前でした。

  癖があって、特に日本の洋楽ファンの間なんかでは、好き嫌いが分かれる存在だったのではないでしょうか。

 子供が初めて聴いたら、びっくりして吐き気を催す。かくいう私も、生意気にも小学校中学年頃からの洋楽リスナー暦を誇るのですが、最初に聴いたとき、何だこりゃ、と思ったような記憶があります。

The Essential Teddy Pendergrass

 とにかく声が低い。しかも低いといっても、いまこのサイトのベストヒットUSAコーナーのタイムマシンで上のほうに上がっているテディ・ペンダーグラスのような甘さはない。暑苦しい、地をのた打ち回るような泥臭さ。一曲の長さが半端じゃない。10分くらい、エンディングを引っ張った、うめき声に近いようなリフレインが延々と続く。

 子供には分かりようのないタイプの音楽ですが、大人たちには特殊効果をもたらします。

Ultimate Isaac Hayes: Can You Dig It?

 克也さんもよく放送のネタに使っていた有名なエピソードでしたが。

 アイザックの楽屋に若い黒人夫婦のファンが訪ねてきて、「あんたのレコードが俺たち夫婦にどんなプレゼントをしてくれたか知ってるかい?見てくれよ」と、連れてきた小さな4人の子供たちを紹介した。

 大人の男女をその気にさせる魔力があったのですね。

 そんな話は抜きにしてもサザンソウルの歴史を語る上ではずせない功績を残しました。

 テネシー生まれ、幼少期にサザンソウルのメッカ、同州メンフィスに住んで、二十歳前からキーボードプレーヤーとしてプロの活動開始。オーティス・レディングなんかのバックを務めて頭角を現し始めます。そのメンフィス、サザンソウルのメッカとなったスタックス・レコードの作曲家、プロデューサーとして、中心人物に成長します。

The Very Best of Sam & Dave

 23歳の時の65年、サム&デイヴのヒット曲 “Soul Man”を作曲します。

 これは映画『ブルース・ブラザーズ』の中で、そのブルース・ブラザーズを名乗ったジョン・ベルーシ、ダン・エイクロイドがカバーしてリバイバルヒットさせたことでもお馴染み。

 オリジナルのサム&デイヴは、明石屋さんまの「恋の空騒ぎ」のエンディングテーマ、説教部屋のシーンのバックで使われていたことでも有名。ここ数年全然観ていないんですけどまだ使っているんですかね。

Black Moses

 ソロアーティストとしてのピークは69年から71年。69年から一年ごとに”Hot Buttered Soul”, “Movement”, “Black Moses”と代表作を発表し、これらのアルバムタイトルはそれぞれ彼のトレードマークとなります。75年に彼は独立レーベルを立ち上げますが、それをHot Butter Recordsと名づけました。これもかなり意味深英語ですけどね。

Hot Buttered Soul

 Movementとは、それ以降の彼のバックバンドの名前になります。

 そしてBlack Mosesとは彼自身のことを指すようになってしまいます。自ら「黒いモーゼ」を名乗ったのですね。

 更に71年、映画「シャフト(黒いジャガー)」の音楽を手がけて、そのテーマ曲で全米ナンバーワンを獲得、アカデミー賞でも最優秀楽曲賞を受賞、彼の代表曲となりました。彼の他の曲とは逆で、イントロは映画のオープニングロールにあわせて流すのを意図されたため長いですが、エンディングはスパッとカッコよく切る。

 映画は、黒人青年を殺した容疑がかかった白人青年を逮捕したジョン・シャフト刑事、しかしその白人青年は不動産業界の大物の息子だったため色々手が回って保釈されて逃げ回る。組織にも圧力がかかって捜査が打ち切られそうになるのに正義の怒りを燃やし、組織を離れて一匹狼で捜査を続けて社会正義を問う、そんな内容でした。

シャフト [DVD]

 この映画は最近、といってもオリジナルの30年後の2001年、サミュエル・ジャクソン主演、音楽の世界でもおなじみのヴァネッサ・ウィリアムズ、バスタ・ライムスなんかが共演してリメイクされましたので憶えている方も多いでしょう。71年のオリジナルは完全にブラックパワー対白人主流派、の図式で作られていましたが、2001年のやつは、更に複雑化した多民族社会の人種関係、経済格差など新たな視点を加えて、それぞれの時代を反映した作品になっていました。

 しかし変わらなかったのは、このアイザック・ヘイズによるテーマ曲。「シャフト」という映画をこの曲なしで作るのは裏切り行為に当たるとでも考えられたのでしょう。リメイク版でもテーマはオリジナルのままでした。

 そんなアイザック・ヘイズ、活躍の場所は音楽だけに留まりませんでした。ほんの少しですが、俳優としてもキャリアを積んでいました。

 僕は偶然、彼をドラマで見たことがあります。多分テレ東でお昼の12時からやっていた「ロックフォードの事件メモ」の再放送。75年くらいの作品でしょう。オープニングのゲストの名前で、アイザック・ヘイズ、と出てきたので、あれっ、と思って観ていたら、やっぱりあの彼でした。無実の罪で拘留されて、獄中から無罪を訴える黒人の容疑者、みたいな役だったと記憶しています。

 スキンヘッド、サングラスがトレードマークで、怖いイメージのある彼ですが、他にも自分をアニメのキャラにしてしまう企画に熱心に取り組んだり、慈善事業をやったり、地元メンフィスのプロバスケットボールチームの共同オーナーになったり、そんな一面も持っていました。

 1990年代にも数枚アルバムを製作し、ライブも精力的にやっていましたが、20061月に脳梗塞を起こして、今年8月、意識が戻らないまま帰らぬ人となってしまいました。

 色々なことをやったとしても、やはり彼は”Soul Man”でした。

 その楽屋に来た4人の子供以外にも、アイザック・チルドレンは想像以上にいっぱいいるのかもしれません。伝説は、彼らによって継がれていくのかもしれません。

 合掌。

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2008年9月 5日 (金)

All Summer Long

Rock N Roll Jesus Little Deuce Coupe/All Summer Long

 ビーチボーイズにもこういうアルバムがありましたね。

もう9月、日付的には夏は終わった感じですが。

夏は長い休みもあって、開放的になれる、一番せいか、音楽を楽しめる季節かもしれません。その夏のBGM、それがその時期に一番ヒットしていてラジオでいっぱいかかっていたものか、きわめて個人的に好きだったものかにかかわらず、その夏のテーマ曲、BGMみたいなものがあるはずです。

僕にとっての08年の夏は、その名もずばり、この曲でした。キッドロックの久しぶりのニューシングル。夏を過ぎてもまだまだアメリカのチャート上位に食い込んでいそうです。

ひと夏のテーマを超えて、今年度アナミー賞最優秀楽曲を既に狙える位置にある!

826日のベストヒット、カウントダウンUSA7位に入っていたということで丸々かかりました。

実は小生、番組にこの曲のリクエストをしつこく出していたので、採用されたのだと思っています。克也さん、杉田さん、川岸さん、番場さん、ありがとうございました!

この曲は遊び心いっぱい、クラシックロックファンの心をくすぐります。

サビの部分ではレイナード・スキナード「スィートホーム・アラバマ」のイントロのギターのリフ、間奏のピアノソロのフレーズ、歌詞の一部も出てきたりします。

Second Helping

そして曲全体に流れるのはウォーレン・ジヴォンの78年の中ヒット「ロンドンの狼男」”Werewolves of London”のピアノのフレーズがサンプリングされています。Genius: The Best of Warren Zevon

レイナード・スキナードのことは書いたことがあるので、このウォーレン・ジヴォンという人に関する徒然を。あまり知られていない人でしょうから。

70年代後半のシンガーソングライター、ウエストコーストのブームの一翼を担った人。リンダ・ロンシュタット周辺の音楽版「カリフォルニア・マフィア」(この言い方には政治版がある)の一人といっていいでしょう。

ただし、イーグルスやリンダに代表される西海岸のさわやかなイメージとは異なり、彼の極、アルバムは暗く、皮肉に満ちていました。

曲に登場するのは麻薬中毒者、気の狂った兵士、大量殺人犯、強欲弁護士、そして狼男みたいな妖怪。

詞に描かれる皮肉な世界観、ちょっとやる気のなさそうな歌い方など、ランディ・ニューマンに近い感じでした。

それでも、才能は注目される。

リンダはヒット曲もカバーばかりで、アルバムカットでは西海岸の無名作曲家の曲を積極的に取り上げ、多くを世に送り出しました。J.D.サウザー、カーラ・ボノフ、アンドリュー・ゴールド、エリック・カズ、他諸々。ウォーレンもそんな中の一人でした。

60年代から無名グループで音楽活動を始め、ぜんぜん売れませんでしたが、そんな時代の彼の作品”He Quit Me, Man”が映画「真夜中のカウボーイ」のサウンドトラックに使われて少し注目されました。

Warren Zevon

その程度の中途半端な音楽活動に嫌気が差したのか、70年代初めにはスペインに移住していましたが、彼を埋もれさせておくのは惜しいと考えたのが、「カリフォルニア・マフィア」の総元締めジャクソン・ブラウン。彼をロサンゼルスに呼び戻し、アルバムのプロデュースを買って出ます。76年にセルフタイトルのアルバム Warren Zevon が作られました。

Heart Like a Wheel

このアルバムに収録された「風にさらわれた恋」”Hasten Down the Wind”をリンダが取り上げ、アルバムタイトルにもして、このアルバムからトップ10ヒットが2曲出てリンダもスターの仲間入りをし、ウォーレンにも俄然注目が集まるようになりました。そのアルバムには他にも「カルメリータ」「モハメッドのラジオ」というウォーレンの曲が収録されました。

The Very Best of Linda Ronstadt

その次の、リンダの最大ヒットアルバムとなる78年の”Simple Dreams”には「私はついてない」”Poor Poor Pitiful Me”というウォーレンの曲が収められ、三枚目のシングルカット曲に選ばれ、トップ40ヒットになりました。それとまったく同じ時期に、やはりジャクソン・ブラウンのプロデュースによるウォーレンの二枚目のアルバム”Excitable Boy”も発表され、その中から「ロンドンの狼男」がシングルカットされ、やはりトップ40に入りました。

Excitable Boy

映画「サタデーナイトフィーヴァー」の全盛期で、ウォーレンはアルバムのプロモーションのためのライヴの最中に、ジョン・トラヴォルタのダンスの真似をしてずっこけて骨折してそのあとのライヴのスケジュールがキャンセルになった、なんてあほなエピソードも残してしまいました。

でもウォーレンが商業的に成功したのはこれが最初で最後となってしまいました。その後、麻薬中毒になってしまい、作品を発表するペースも落ちてしまいますが、90年代末まで活動し、REMなどからリスペクトを受けレコーディングのバックにメンバーが参加するなどの交流がありました。

ウォーレン・ジヴォンでもう一つ思い出すのは、1991年の映画、ケヴィン・クライン、ダニー・グローヴァー、スティーヴ・マーティンなどが出演し、”Grand Canyon”邦題「わが街」。犯罪と荒廃にむしばまれた大都会ロサンゼルスに生きる6人の男女の生活が描かれ、最後に登場人物全員が導かれるようにグランドキャニオンに集まり、大自然の中での自分たちの存在の小ささを再認識する、そういった映画でした。

その中で主演のケヴィン・クライン演じるうだつの上がらない男が、交通渋滞に巻き込まれている最中に、カーラジオからウォーレンの”Lawyers, Guns and Money”「弁護士と銃と金」という曲が流れてきて、ケヴィンがハンドルを握りながら一緒に口ずさむ、というシーンが出てきます。

この曲はシングルヒットは全然していない、知る人ぞ知る程度のアルバムカット曲。それでも西海岸のロック局を聴いている人は普通の人でも歌えちゃうのだなあ、と思わせるシーンでした。

ウォーレン・ジヴォン、20038月、肺癌のため帰らぬ人となりました。享年56

まあとにかく、「ロンドンの狼男」と「スィートホーム・アラバマ」のフレーズがぴったりと合ってしまうことを発見したキッドロックのセンスに脱帽!

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