Just the Two of Us
ここのところいろいろと話題の映画が目白押しのようで。
「硫黄島の手紙」は重かったですね。内容もさることながら、集団自決シーンには目を背けました。
音楽にも関係していて、もう少し肩を張らずに見られる映画を見てきたので、レビューします。
ウィル・スミス主演の「幸せのちから」です。
原題は The Pursuit of Happyness.
本来ならば、lonely→ loneliness, empty→ emptinessのように、yで終わる形容詞に-nessの接尾辞がついて抽象名詞化する場合にはyがiになって、happinessとならなければならない。
映画の中では、主人公の子供が通う託児所の塀の落書きに、子供が綴りを間違えてそう書いているから、という設定ですが。
それ以上の意味があるのでしょう。
つまり、「寂しさ」や「虚しさ」とは違って、「幸せ」とは特別なものなんだ。happi なんてケチな変化をせずに、あくまでもhappy であってほしいんだ、と。
そしてこれは、1776年のアメリカ独立宣言の一節から取られたもの。
書いたのは第三代大統領にもなるトマス・ジェファソンで、「人は皆、神の下に平等に創造され、生存、自由、幸福の追求、という天賦不可侵の権利を与えられている」という有名な部分ですが。
映画の中のセリフにも「トマス・ジェファソンはなんで「幸福」だけじゃなくて「追求」をくっつけたんだろう?幸せってのは結局、追い求めるだけで決して獲られるものじゃないって知ってたんだろうか?」なんて出てきました。
更に起源をたどると、これはジェファソンが影響を受けたイギリスの思想家ジョン・ロックの考え方に由来するものです。ロックは、人間には自然権、今の言葉で言う基本的人権、人間として生まれたら平等に与えられている権利があり、それは、生存、自由、財産の三つである、と唱えたのです。生命を侵されない権利、自由に行動し考える権利、そしてものを持つ権利=所有権、ですが、ジェファソンは三つ目を「幸福の追求」に差し替えたわけですね。
ただこれは、大きな意味の違いはなかったんじゃないか、とも言われているんです。つまり、言葉は変わる生き物で、200年前のhappinessは今ほど抽象的ではなくて、むしろ物質的な意味をかなり持っていたという説があります。単なる「幸せ」ではなくて金銭的な満足の意味がかなりあり、その意味で所有を言っていることとあまり大差はなく物質を獲得することの自由の意味をこめたのだ、と。その意味でやはり、「獲得を追求」するものなのだ、と。
なんかアカデミックな香りが漂いましたが、小難しい話はこの辺にして。
結局、映画のテーマも、この二つの意味の幸せの追求、心の満足と、金銭的な成功、の二つがあったような気がします。
ウィル・スミス演じるのは実在の人物、クリス・ガードナー。舞台は1981年のサンフランシスコ。
5歳の息子クリストファーと、妻と暮らす、貧しい、骨密度検査機のセールスマン。
最先端の医療機器だと思って、ベイエリアでの訪問販売を一手に引き受け、財産のほとんどをはたいて仕入れるが、医療関係者には不要のぜいたく品と評価され、ほとんど売れない。
それで妻もランドリーで共働き。クリスは子供を託児所に送り迎え。
この辺り、私も実は子供を保育園への送り迎えをやってるもので、ちょっと自分の姿を見てしまいました。
それでも暮らし向きは良くならない。家賃、保育料、違反駐車の罰金が溜まっていく。
ついに奥さんも「幸せじゃない、幸せを探したい」と家を出て行ってしまう。子供との二人暮らしが始まる。
クリスは貧しくとも、学生のとき算数が得意だった。
地元の証券会社のディーラートレーニングプログラムの募集を見て、算数が出来て、人当たりが良いだけが条件、とあったので、応募を決意する。そのプログラムそのものが狭き門だったのだが、たまたま人事担当者とタクシーで乗り合わせて、ルービックキューブ(81年だなあ)を6面全部そろえたことが感心され、参加を許可される。
ところが、やはりトレーニングプログラムで、研修中の数ヶ月は収入ゼロ、しかもその後に試験を受けて、数十人の参加者のうちたった一人が正式なディーラーとして採用されるのだという。
無収入の間、ついにアパートから追い出され、子供と一緒に、教会で寝泊りしたり、その教会が他のホームレスで満員になってしまったときは、地下鉄のトイレに鍵をかけて一夜を過ごしたりした。
そんな逆境にもめげず、研修をまじめに受け、持ち前のがんばりで、顧客を増やしていく。
そして、最終試験日。クリスはディーラーに選ばれるのか?。。。
結末はぼかしましたが、まあほとんどネタバレですね。すみません。
これだけの映画です。普通の映画といえるでしょう。
それでも、僕自身を含めて、同世代で父親をやっている男にとっては、結構、自分を重ねられて、じわっとできるかもしれません。
「インディペンデンス・ディ」以来、「メン・イン・ブラック」「ワイルド・ワイルド・ウェスト」「エネミー・オヴ・アメリカ」「アイ・ロボット」など、SF,アクションなどで破天荒な役を演じるイメージのある彼。
それでも、ここのところ、謎の旅人を演じた「バガーヴァンスの伝説」とか、恋愛コンサルタントを演じた「最後の恋の始め方」とか、普通の役柄にもぼちぼち挑戦してはいましたが。
彼自身も映画を製作するようになり、そして自らが主演して、実在の普通の男を演じる。しかも愛情あふれる父親を。これでまた彼は芸の幅を広げたような気がします。
音楽も、70年代までのソウルを中心としたちょっと渋い曲が効果的に使われていました。
ジョージ・ベンソンの「マスカレード」(Are you really happy here…?ではじまるから)、スティービー・ワンダーの「ハイヤー・グラウンド」”Jesus Children of America”(ともに彼の最高傑作「インナーヴィジョンズ」からの選曲だ)、ジョー・コッカー「フィーリン・オーライト」などなど。
一番話題なのが、子供のクリストファー役を、ウィルの実子のジェイデン・クリストファー・サイヤ・スミスが演じていることです。親子の役を親子で共演してしまった。実際の親子ならではの息の合った自然さは出ていました。
Just the Two of Us、たった二人だけ、82年のグローヴァー・ワシントンJrとビル・ウィザースのコラボによる大ヒット曲で、邦題「クリスタルの恋人たち」(うわー、前長野知事さん)。
ところがウィルは2000年、この恋人同士の語らいの曲をサンプリングして、タイトルもそのままで、子供が生まれた嬉しさをラップに重ねて大ヒットを出しています。
「この子は将来何になるかな、将軍か、博士か、はたまたラッパーか?」
なんて一節がありましたが、ラッパーではなく俳優という部分で、親を継がせようとしています。彼の親バカはすでにこの時から始まっていたんだな。
次回作(映画ですが)では、やはりウィルのプロデュースで、今度は愛娘を女優デビューさせるんだそうです。
「幸せのちから」は全国公開中。いかがですか?
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