ローリング・ストーンズ

2007年11月15日 (木)

Sweet Baby James (part 2)

ノー・シークレッツ

   もう一回、113日のDJ.KORBYのジェームス・テイラーに関していってしまいましょう。といっても、今回もジェームスが中心でなくなりそうなんですが。

 彼の元奥さんのカーリー・サイモン。

 元旦那同様、70年代前半のシンガー・ソングライターのブームを支えた人でありました。女性としてはキャロル・キングと双璧?

カーリー・サイモンは、アメリカでも有数の大手出版社、サイモン&シャスター社の創設者兼社長の令嬢です。

番組7曲目にかかった”You’re So Vain”「うつろな愛」。これも誤訳邦題に近いかな。本当なら、「自分のかっこよさを意識しすぎてるあなた」といったほうが近い。1973年のナンバー1ヒットで、彼女の代表曲です。ジャネット・ジャクソンの”Son of a Gun”のサン プリングネタにもなり、カーリー自身も参加しました。

ALL FOR YOU

「うつろな愛」も”Son of a Gun”という囁きから始まります。

彼女は、恋多き女、でした。

この曲の歌詞に歌われている、思わせぶりに帽子で片目を隠し、パーティ会場にヨットの板状を歩いているような腰つきで入ってくる、ニューヨークのサラトガ(私自身が人生で一度だけ馬券を買った場所でもあります。日本ではやったことない)の競馬で持ち馬を簡単に勝たせてしまう、この曲も自分のことを歌ってると己惚れている男のモデル、つまりはカーリーの元彼は誰か、というのはポップス史上の最大の謎の一つです。

Kris_kristoferson_this_old_roadRolling_stones_some_girls 夫君のジェームス・テイラー (James Taylor) 、曲のバックヴォーカルにも参加していたミック・ジャガー(Mick Jagger)、俳優のウォーレン・ビーティ(Warren Beaty)、数回前に紹介した・クーリッジの夫君となる、ソングライター兼俳優のクリス・クリストファーソン (Kris Kristoferson),イギリスからシンガーソングライターブームに乗ってきたット・スティーヴンス(Cat Stevens)らの名前が、可能性として噂されていました。

Cat_stevens_greatest_hits 5年位前、この謎が明かされた、という噂が流れました。

克也さんは車に乗っていて、AFN-EAGLE810でしょうか、DJリック・ディーズがこのネタを話していて、その謎の男とは誰か、といいそうになった瞬間、車はちょうどトンネルに入り、結局誰だかわからず仕舞いだったという。

でもそれは、リック独特の時事ネタを下敷きにしたギャグだったのではないでしょうか? 実際は、まだわかっていないというのが本当のところでしょう。

この噂の元は、5年前、カーリーが、親類が経営する果樹園か何かの資金不足を助けるため、他言無用を条件にこの歌詞の秘密を知る権利、プラス目の前でプライベートライブを観る権利、を公開オークションにかけて話題になったことでしょう。

とんねるずのハンマープライスみたい。

結局その権利はカーリーの友人でもあるNBCテレビの大物プロデューサーが、確か500万ドルで落札しました。カーリーはその落札者とごく数人の友人の前でライブをやり、落札者に秘密を教えたそうです。

このとき、カーリーと落札者は記者会見を開き、「名前のどこかにeが入っている男性」と発表しました。しかしこれは、上の数人にはごらんの通り全員どこかにeが入っているので全く意味のないヒントでした。

更にカーリーは三年前くらいからヒントを小出しにして、「その男の名前にはaが入っている」、さらに「rが入っている」と発言しました。これらが正しければクリストファーソンとスティーヴンスは可能性がなくなったことになります。

そしてカーリーは「その男性とはマーク・フェルト(Mark Felt)よ」と発表しました。

しかしこれは冗談で、これはアメリカ現代史のなかのケネディ暗殺の陰謀と並ぶ最大の謎、ウォーターゲート事件でのニクソン政権からの裏切り内通者「ディープ・スロート」とは何者か?というのがあったんです。

政府からの圧力に屈せずニクソン大統領の悪事を暴くためのキャンペーンを張って有名になり、現在でも活躍中の、ワシントンポスト紙のボブ・ウッドワード記者が命名者で、その事件の過程を描いた映画で、ロバート・レッドフォードがウッドワード記者を演じ、相棒のカール・バーンスタイン記者をダスティン・ホフマンが演じていた「大統領の陰謀」の中でも、影しか出てこない人物でした。

これが3年前、事件当時にFBI副長官だったそのマーク・フェルトという人物だったと判明して話題になったんです。それがちょうど名前に e,a,rが入っているという条件を満たしていたので、カーリーは、同じ1973年の謎の男、という共通点もあり、話題に便乗して冗談を流したのですね。

ちなみにこの「ディープ・スロート」とは、わかる人にはわかる大人の英語です。

この「ディープ・スロート」の謎解明のニュースを、各局の夜のテレビのニュースではどこもいわゆる「女子アナ」といわれる人が読んでました。意味がわかっていたら決して女性に、しかも清楚なイメージで行かなければいけないアナウンサーには読ませられない言葉なんですけどねえ。結構「萌え」ました。

これらの話題を受けて、ウォーレン・ビーティは彼の方から「それじゃそれは俺の歌だ」と発言しました。しかしこれは一方的であまり信憑性がありません。
 というわけで謎はまだ続いています。まあ私は個人的にはミック・ジャガーだろうと踏んでいますが。

James_taylor_sweet_baby_james  “Mocking Bird”  “How Sweet It Is”  “Devoted to You”など、カバー曲で息のあったデュエットを聞かせてくれたジェームスとカーリーも83年に離婚。ジェームスのトリビュート・コンサートにも顔を出していませんでした。

 ジェームスはその後再婚して子供ももうけましたが、恋多き女性だったはずのカーリーの方はずっと一人みたいですね。

 またジェームスそのものの話題にはなりませんでしたし、カーリーと映画のことについても書きたかったことがあるのですが、またいずれ。

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2006年12月22日 (金)

Disco Strangler

またベストヒットネタに戻って。

Kiss_dynasty17日のタイムマシーン。1980年にKISSのドラムス、ピーター・クリスがバンドを脱退した日ということで、79年のヒット “I Was Made for Loving You” 邦題「ラビン・ユー・ベイビー」がかかりました。

キッスがディスコに挑戦。それが彼らの代表曲になっちゃって、今、日本のコマーシャルで子供たちがあのメイクアップをして替え歌を歌ってる。

考えてみればキッスというバンド、その次にヒットしたのが76年の「ベス」という曲で、そのピーターがリードを取った、というか一人で歌った、バックはストリングスとピアノのバラード。

メンバーでピアノを弾けるのは一人もいなかった。この曲をライブでやるときは他の三人は引っ込んで、ピーターもドラムから離れて一人で歌う。

ハードロック、といっても結構、ポップ性、コード進行やハーモニーを重視していたようなところもあったし。

それでも広く知られた代表曲が本筋からはなれた曲ばかりで、やや損をしていたのかもしれません。

この70年代の後半、確かdisco bandwagonという言葉がありました。

ポール・マッカートニー&マイケル・ジャクソン「セイ・セイ・セイ」のビデオを覚えている方は思い出していただければいいんですけど。

昔、ドサ周りの興行一座はワゴン車で移動していて、それがある村に賑やかにやって来たら、子供がわっと寄ってってきて、その車が移動するところ、みんな付いていって、過ぎ去った後はもぬけの殻になる。

それで、bandwagonとは、勢いに乗る、悪く言えば、便乗、を意味するようになったのですが。

この70年代末、ディスコブームに便乗して、それとはかけ離れているはずのアーティストがディスコに手を出して、いろいろな記録を残しています。キッスのみにあらず。ちょっと思い出してみましょう。

Joe_tex_aint_gonna_bump_no_moreDiana_ross_diana_ross_1ダイアナ・ロス “Love Hangover”

Joe Tex "Ain't Gonna Bump No More (With No Big Fat Woman)"

確かディスコブームの最初の頃はファンクとの境があいまいで、黒人音楽の一部と考えられていた節があり、アフロヘアーにスタイルが代表されていたのがそれを物語っている。それでもこういうR&Bのベテランがディスコに手を染めたのは大きな話題となった。

Thelma_houston_the_best_ofHarold_melvin_the_bluenotes_the_best_ofともに76年のヒット曲。ダイアナ・ロスのは、「マホガニーのテーマ」に続いて全米ナンバー1になった。ドナ・サマーを意識したかのようなイロッポイ内容、バラードからディスコビートになっていく。ベースラインは、ハロルド・メルヴィン&ブルーノーツ、後にテルマ・ヒューストンがカバーして翌77年全米1位になる”Don’t Leave Me This Way”のパクリ。

ジョー・テックスは、ラップの元祖かもしれない。途中からイスラム教に改宗するが、元々ゴスペルの味のあるR&Bも歌っていた。それがディスコに行っちゃった。82年逝去。

ローリング・ストーンズ「ミス・ユー」

Rolling_stones_some_girlsサタデー・ナイト・フィーヴァーからの曲がラジオを席巻していた78年夏、ストーンズがニューアルバム「女たち」を発表したが、そこから鳴り物入りで出てきたシングルがこれだった。ストーンズもディスコか、と、キッス同様、古いファンを引かせてしまった。でも全米一位になった。ミックの妻ビアンカのことを歌っていた。

バリー・マニロウ「コパカバーナ」

バーブラ・ストライサンド「メイン・イベントのテーマ(ファイト)」

同じく78年夏。こういうエンターテイナー系もディスコに走っちゃった。

Barry_manilow_even_nowBarbra_streissand_essential_270年代後半だけに限ればソロアーティストとしては最もレコードを売ったバリー・マニロウ。甘ったるいバラードの大ヒットを連発していた。タモリが一時期さだまさしを嫌っていたように、そういうのがだめな人たちからは徹底的に嫌われてもいた。「マニロウがラジオでかかったらブレーキ踏んでやる」なんてバンパースティッカーも流行った。

「コパカバーナ」も現在、数年前プロ野球チームを買い取り、最近は携帯電話に参入していろいろ問題を起こしているあそこのCMに使われているのでお馴染みでしょう。

曲の内容はストーリーがあって、ハバナのクラブの踊り子とバーテンダーの悲恋物語になっているんですけど。これのダンスヴァージョンは完全な16ビートにアレンジされていた。これでグラミーの最優秀男性ヴォーカルを受賞した。

バーブラも、あの高い声でのスタンダードのようなバラードが有名で、映画がらみですがディスコに手を染めて、トップ10ヒットになった。この翌年にはドナ・サマーとので湯えっと、16ビートの “No More Tears” で一位にもなる。

ロッド・スチュアート「アイム・セクシー」

Rod_stewart_blondes_have_more_fun79年頭。ロッドも16ビートに行ってナンバー1になった。さびの部分は、ブラジルのタージマハールそっくりだというので盗作問題にもなった。

ロッドはストーンズフォロワーで、さっきの「ミス・ユー」を聴いて、自分もディスコをやりたいと考え、この曲を思いついたという。

元々彼は音楽のスタイルを柔軟に変える人なので、それほど不思議なことではないのかもしれないが。でも時期を考えると・・・商売商売。

ポール・マッカートニー&ウィングス “Goodnight Tonight”

Paul_mccartney_all_the_best79年夏、ポールまでやっちゃった。

一応、歌い方とか、ベースラインとか、ポール節になってたんだけど。彼までやる必要があったのかな。ディスコでかかったときは、踊る人の好き嫌いがはっきり分かれたという。トップ10ヒット、ミリオンセラーになったが、ウィングス名義としては最後のスタジオ録音になった。

エルトン・ジョン “Victim of Love”

Elton_john_victim_of_loveこれは知られていないかもしれない。なんとエルトンもディスコをやっていたのだ。

今まで挙げたものは、それぞれのアーティストのスタイルからかけ離れているという意味で、異色、汚点の曲ばかりだったかもしれないが、エルトンの場合は売り上げ的にも見事にコケた、正真正銘の「汚点」である。

80年中ごろのリリース。77年あたりからスランプといわれていた。作詞の相棒バーニー・トーピンと一時期はなれていたことも原因だが、70年代の全盛期をともにしたプロデューサーのガス・ダッジョンと分かれたのも大きかった。いろいろな試行錯誤が続き、ここではなんとドナ・サマーを手がけたピート・ベロッティを迎えて、レコードA,B面ノンストップのディスコアルバムを出してきた。

エルトンは後に、このときはやらなければならなかったことだ、と語っているが、ディスコブームが消えようとしている時、なぜやったのか理解に苦しむ。彼のキャリアの中で最も売れなかったアルバムになった。

シカゴ “Must Have Been Crazy”

Chicago_13_1同じ時期にシカゴもやっていた。シカゴも、オリジナルメンバーのギタリスト、テリー・キャスがピルトル暴発事故でなくなって以来スランプで、試行錯誤を繰り返していた時期だった。シカゴ13のアルバムより、ディスコが唯一音楽に貢献したことは録音技術を向上させたことだ、と言って、自分たちでも挑戦した。トップ40にも入らず最悪の結果になる。彼らの復活はビル・チャンプリンが加入しデヴィッド・フォスターをプロデューサーに迎える、シカゴ1681年まで待たされることになる。

Eagles_long_runタイトルのDisco Stranglerはイーグルスの最後のスタジオ録音アルバム「ロングラン」の中の曲。タイトルを見たときは、え!?イーグルスもディスコ?なんて思ったけれど、ビートはちょっと意識したところはありますが、ちょっとツェッペリン風の、ディスコの虚栄を歌った曲。

考えてみれば、ブームの中心にいたビージーズも、本当にディスコと呼べるものを作っていたのは彼らの長いキャリアの中ではほんの3,4年の間だった。他のアーティストとは違って一曲のみではなかったけれど、彼らにとっても、便乗だったのかもしれない。

ディスコブームそのものが虚栄でバブルだったのでしょう。

メリークリスマス!

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2006年8月24日 (木)

Stoned

今年初めの来日、この間のキースの椰子の木攀じ登りのち転落事件と、相変わらずいまだに話題に事欠かないローリング・ストーンズ。

 この夏は、映画「ブライアン・ジョーンズ-ストーンズから消えた男」が全国で公開されたことが一番の話題でしょう。私も観てみました。

 いくつかの映画を思い出しました。Last_days

 まず、今年前半にやっていた、ニルヴァナのカート・コバーンの最期をモデルにした「ラスト・デイズ」。才能あるロックミュージシャンの孤独と現実逃避、そして謎に包まれた最期といった点が似ています。

 そしてこれをより強く思い出したのですが、10年前にやっていた、ビートルズの幻のメンバー、スチュアート・サトクリフの生涯を描いた「バックビート」。このストーンズの映画とタッチがよく似てるなと思っていたら、案の定、製作(フィノラ・ドワイヤー)と監督(スティーヴン・ウーリー)が全く一緒でした。「バックビート」の次の企画としてずっと暖めていたとのこと。

 ビートルズとストーンズ、60年代にイギリスから登場して世界を席巻し、否でも応でも互いを意識せざるをえなかった、スタイルでも対極をなしていた二大バンド、そのオリジナルメンバーだったが、それらが本当の絶頂期を迎える直前に、他メンバーとの軋轢から脱退を余儀なくされ、そしてその後、やはり逃避し、夭逝する、といった共通点がこの二人にはあります。Backbeat

 サトクリフは音楽よりも美術に才能を持っていたと言われ、映画館では彼が遺した抽象画の画展もやっていました。ゲージツは爆発かもしれないが、僕にはよくわからない。ただいろいろな色の線が不規則に殴り書きされているようにしか見えなかった。抽象画なら僕にもできるかな、とさえ思いました。でも僕の場合、風景画を描いて他人に見せても「素晴らしい抽象画だ」と言われるのがオチですが。

 サトクリフはビートルズ脱退後、ハンブルグで出会った年上の女性カメラマンとの恋と芸術に生きますが、脳腫瘍で急逝してしまいます。

 しかしブライアン・ジョーンズの場合、脱退後は退廃を極め、その死は謎に包まれていました。Stoned

 幼馴染だったミックとキースが、ロンドンに出て音楽で身を立てようとダートフォードの田舎から乗った汽車で偶然再会したことからストーンズ伝説は始まります。

 それとは別の流れで、既にロンドンで音楽活動をやっていたブライアンと合流してストーンズが結成、アメリカンブルースへの傾倒が強かったブライアンがリーダーとなります。

 しかしマネージャーだったアンドリュー・オルダムが、ストーンズをビートルズの対極に位置する不良グループのイメージを演出し、ミックのスター性、キースとミックの曲作りの才能を見抜き、彼ら中心のバンドとして売り込む。その戦略の中で、音楽的にも違憲が合わなくなり、人間関係もおかしくなり、ブライアンは孤立していく。そして、ドラッグや異常性愛に溺れるようになる。ブライアンの麻薬の前科を理由にアメリカがストーンズの入国を許可しなかったことから、アメリカ進出を重視していたオルダムはますますブライアンを邪魔者にし、ついには脱退を勧告する。

 ブライアンが「くまのプーさん」の作者A・ミルンの邸宅を購入して住んで、修繕のために建築家フランク・ソログッドを雇って、他に恋人のアナ・ウォーリン、看護婦のジャネット・ローソンと半同居状態の生活だったが、ブライアンの異常行動はどんどん増し精神もずたずたになっていく。話し相手でもあったフランクのちょっとした仕事が気に入らないと言って癇癪を起こしてクビにした。

 そんな6973日、ブライアンはその自宅のプールで溺死する。

 警察の発表はドラッグ過剰摂取による事故死だったが、レコーディング中のミックたちには、自殺、と伝えられた。ミックたちは淡々と仕事を続けたという。

 しかし、その他にも、他殺説も囁かれ、突然の死は謎のまま残されている。

 フランクは93年に他界する今わの際で、ブライアン殺害を自白したという。アナ・ウォーリンも後に同様の証言をした。おそらくそうなのだろう。しかしこれは証言だけで証拠はない。この映画も、その他殺説に則っている。Rolling_stones_englands_newest_hitmakesr

 奇しくも先週、ロンドン・ハイドパークで彼の死の二日後に行われた追悼フリーコンサートの模様をNHKのBSが再放送していました。ミックは弔辞こうを読み上げていました。

 彼は死んだのではない、彼は眠ったのでもない。彼は、夢の生活から解き放たれ、嵐のような未来へ向かって動き始めたのだ。

 ミックとキースは葬儀にも参列しなかった。ミックの恋人マリアンヌ・フェイスフルも、突然の死と周囲の冷たさ、人間関係の複雑さに疲れ、ドラッグを過剰摂取し仮死状態になる。ストーンズの成功し始めの裏の暗部でした。

 ブライアンの周囲の60年代末の退廃的な雰囲気と、フランクの存在に代表されるイギリスの旧世代、上流階級文化との衝突など社会的な背景も描かれています。

 原題のStoned。ぴったりのタイトルです。当然ストーンズに掛けているわけですが、stonedとは、酒や麻薬に溺れる、という意味があり、二重含意になっているわけです。

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2006年5月12日 (金)

Eight Days a Week

克也さんをはじめ、このサイトの関係諸兄姉には世間のゴールデンウィークなどまったく関係なく通常営業だったことと思います。

 しかしかく言う小生は幸か不幸か業界とは基本的に無関係ですので人並みの休みがありました。といっても、言い訳ですが小生の業種は日々是仕事みたいなところがあり、休日で時間拘束の仕事はなくとも、ものを書いたりといった自分の時間を使ってやる仕事は常について回るわけで、休みといってもまるっきり遊んでいるわけではないということは最初にお断りさせていただきます。

 それでもその間は、実家のある関東で8日間、ほぼ一週間を過ごし、普段暮らしている名古屋ではめっきり聴けなくなったラジオでの小林克也番組をしっかり満喫してまいりました。Photo_1


水曜日深夜0時、ベストヒットUSANACK 5)

この番組を聴くのは初めて。テレビでのトレードマークであるVapor Trails “Don’t Worry Baby”がテーマやサウンドステッカーとして、またテレビでの決め台詞がところどころに使われていたのは想像していた通り。でも僕の想像ではもっとテレビのフォーマットを真似た番組かと思っていたが、実際は案外そうではなかった。たとえば、レディオ&レコーズのチャート紹介は、克也さんがただ読み上げるのではなくて、そりゃあ映像を流すのは無理でも、曲のフラッシュを流しているのではないかと思っていました。選曲は普通。

金曜午前9時 ファンキー・フライデー (NACK 5)

この番組はすごい。ステッカー(本物と思われる)を張ったトラックを名古屋でも見かけたことがあるし、埼玉では店が、ウィンドウに誇らしげにサイン入りステッカーを貼り掲げている。8日間の関東滞在の間にTシャツショーのTシャツを着ている人に二人すれ違った。

克也さんとリスナーのテンションが高い。週替わりテーマに沿っての投稿や恋愛に関する投稿はみんな捻りが効いているように聞こえる。本当に数千の投稿の中から選びぬかれたものなのだろう。僕なんか生半可ではとても参加できない。しかもそれを克也さんは、感想をあまりまじえずひたすら読み続ける。トラックの運転手さんの投稿が多いなあ。全投稿者が「例のあの物」を要求する。ミッキーも一ヶ月ぶりに聴いた。ナンだ、おんなじじゃないか。後期のZIP HOT 100は、実は「ファンフラ化」していたんだなあ。

金曜午後1130分 ハリウッドFM (Inter fm

普段は数ヶ月前のものをストリーミングで聴いているが、やっぱり最新のものを聴きたいものだ。個人的には選曲は一番いい(つまり洋モノ純度が高く、通好みに近い)。30分は短いなあ。前みたいに情報コーナーや海外スポット来訪コーナーはもうないのかなあ。

土曜午前7時 お願いDJ 青春ベストリクエスト (ニッポン放送)

現在名古屋ではこの番組の一コーナーが聴けるのが唯一の克也さんラジオである。この番組ももう結構長くなっていて、僕も何度も聴いているので落ち着いて聴ける。中波だし、一番幅広い層が聴いている番組ということで選曲も一般向け。ダニエル・パウターを「ご紹介します」といってかけなければいけない番組だから。そういえば彼、今週、急遽再来日したようですね。

番外 土曜午後11時 SMAStation (テレビ朝日)

キース・リチャーズが椰子の木に登って転落して脳震盪を起こしたニュース。

「情報が交錯しているが、重病説が誤りであることを祈ろう」

それは数週間前のあなたのことですよ、克也さん。

日曜午前930分 ポップ・ミュージック・マスター (TOKYO FMDoobie_brothers_captain_me

この番組も聴くのは初めて。オープニングとエンディングはドゥービー・ブラザーズ “Long Train Running”のイントロをループしてテーマにしている。おそらく毎週曲は違うのだろう。ZIPでやっていた前後テーマと同じだなあ。特にドゥービーは、イントロのフレーズやリフがそのままAメロに流れるパターンの曲が多くてループしやすく、これに使いやすいんだよね。ニヤッ。Green_day_super_hits

訳詞コーナーもある。前日の「お願いDJ」のビリー・ジョエル「素顔のままで」のような超メジャーな曲ではなく、グリーンデイ「バスケットケース」というやや渋の曲。これもZIPでやってたソング・オヴ・ザ・ウィークとよく似てるな(グラミーの、ソング・オヴ・ザ・イヤーを、・・・ウィーク、と言いそうになっていましたね)。コマーシャル前後での音楽トリヴィアの三択クイズもあった。ここでもひょっとしたら使い回しがあったのかなあ。

日曜午後6時 ビートルズから始まる Bay Fm

実家に帰る楽しみの一つはこの番組が聴けること。かつて、日曜日1646分名古屋発東京行き「のぞみ」号を使えば、克也さん本人にも絶対にできない、360キロを股にかけた小林克也番組のハシゴができたのだが。

スチュアート・サトクリフの参加の経緯や、ビートルズという名前の由来など。いつも思うんだけど、このビートルズ物語、カセットにして売り出すか無料配信したらいいんじゃないかなあ。Beatles_rubber_soul

今回はゲストも訳詞コーナーもなく後半はリクエストのみ。Girlがかかったとき、「女の子、って歌だからジョンがコーラスに捻りを加えて色っぽくしたんだよね」という、奥歯に何か挟まったような説明。ZIPでは、バックコーラスのtit, tit, tit, tit,これは、オッパイ、オッパイって言っているんだよ、とはっきり言っていた。以前ここの日記に書かれていた、大学の同窓生が社長を勤めているスポンサーの清潔なイメージに配慮してビートルズの際どい部分がはっきり言えないのが辛い、というのはこのことか、とニヤリ。

Topics02とにかく、実際の声をお聞きして、元気で何よりです。手術を話のネタにできるくらいだから、だいぶ安心しました。

五月みどり「一週間に十日来い」もEight Days a Weekから頂いちゃってるって本当ですかね。

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