アース・ウィンド&ファイア

2009年12月16日 (水)

GET READY!

Gold

 あんまり間をおかずに行きましょう。

またまたライブリポートで、今回も懐かしや、テンプテーションズ。

正確に言うと、テンプテーションズ・レビュー。

以前にも、ジェファーソン・スターシップとか、アース・ウィンド&ファイアとか、エイジアとか、長くやってると人間関係がいろいろ複雑になり、バンドに出たり入ったりで、もともとは同じバンドだったものが枝分かれして南北朝時代みたいに本流と傍流が並存しているグループについて取り上げたことがありました。

実はこのテンプテーションズもそうなっているんですね。

本家テンプテーションズと、今回観たテンプテーションズ・レビューが並存している。

1960年代、フォートップス、スピナーズらと並んでモータウンの男性コーラスグループの柱と言われ、その中でも最もヒット曲が多く、そのフォートップスやスピナーズが70年代になってモータウンを見捨てて移籍して行ったしまった中、テンプスのみモータウンへの操を守り続けた。

しかしその分、メンバー交代も多かった。曲のキーによってリードヴォーカルも代えることができ、それでエゴのぶつかり合いもかなりあったという。

そんな中で、メンバーはどんどんソロになって、それなりにヒット曲を出していくようになる。

でも、オリジナルメンバーで主要だった人たちは今、殆ど鬼籍に入ってしまった。

エディ・ケンドリックス。

デヴィッド・ラフィン。

ポール・ウィリアムス。

メルヴィン・フランクリン。

1961年の結成以来、現在までテンプテーションズの看板を守り続けているのはオーティス・ウィリアムスのみ。

ところがこのオーティス、そんなテンプスの中で唯一、リードヴォーカルが取れないメンバーだった。

それで今の本家テンプテーションズは、オーティス以外90年代以降に入った人たちばかりでやっている。

Psychedelic Shack / All Directions

これに対して、テンプテーションズの名前を法的に使用できないからテンプテーションズ・レビューとしてやっている方を率いているのはデニス・エドワーズ。”Ball of Confusion” “Papa Was a Rolling Stone”などの大ヒットでリードヴォーカルをとり、70年代になってファンキーになった時期のテンプスを支えた人。

それに加えて、オリジナルメンバーのポールの遺児、ポール・ウィリアムス、ジュニアが入っていました。その意味で音楽的にもメンバーの血の流れの上でも、こっちのレビューのほうがよほど正統性を主張できるのではないか。

Look What the Lord Has Done

それはさておき、70年代を中心としつつも60年代から80年代まで30年間のテンプスの歴史を一瞥できるステージを見せてくれました。

Temps_setlist

 82年の、今は亡きリック・ジェームスの呼びかけで再結成し、彼のプロデュースを仰いだファンキーな”Standing…”から始まりました。

Live at the Apollo

 そして60年代に戻ったメドレー、”Get Ready”から。85年にホール&オーツがアポロ・シアターでのライブでエディ・ケンドリックスとデヴィッド・ラフィンをゲストに呼んでこの曲をカバーしてヒットして、それと同じことを同年の、世界数箇所で同時に行われ世界中に中継されたUSA for Africaをうけての「ライブ・エイド」で同じことをやったの、憶えている人、どれくらいいるでしょうか。

 このメドレーの中で、”Papa was a Rolling Stone”が早くも出てきてしまいました。代表曲をもう出しちゃっていいのかな。って感じ。

20th Century Masters: Millennium Collection

 その次に意外でしたが”Rainy Night in Georgia”はトニー・ジョー・ホワイト作、ブルック・ベントンという、50年代から活躍していたサザン・ソウルの人が70年に大ヒットさせた渋い渋い曲。以前はクラシックしか聴いていなかった若山玄蔵さんがいわゆる洋楽にハマったのはこの曲からだ、と言っていました。テンプスとしてレコーディングしたことはないようですが、ステージがアダルトな雰囲気になっていくのにうまい選曲でした。

 次の”Cloud 9”メドレーの中に、バラードのナンバー1ヒット”Just My Imagination”も出てきました。

 70年代のR&Bそのもので、みんな一曲の時間が半端じゃなく長い。その間にメンバーも客席に降りてきて、聴衆にマイクを向けてハミングをリピートさせたりしました。かく言う小生も、最前列正面に坐っていたので、マイクを向けられました。一番音を外さずに,他のお客さんから拍手をもらったのは小生じゃなかったかな。カラオケでもオンチじゃないほうですから。

 “The Way You Do…”60年代モータウン時代の代表曲、リタ・クーリッジもカバーし、上に書いたホール&オーツとのジョイントでもメドレーで使われた曲。

Essential Collection

 やはり67年の”Wish It Would Rain”に続いて、最後に全員が立たされて踊らされたのは、85年の”Treat Her Like a Lady”.アース・ウィンド&ファイアのアル・マッケィがプロデュースした80年代のテンプスのファンキーな最高傑作。ところがこの85年当時、デニスはテンプスから抜けていたんです。ソロとしてサイダ・ギャレットとのデュエットで”Don’t Look Any Further”という曲をヒットさせていました。そうなんです。後にマイケル・ジャクソンと”I Just Can’t Stop Lovin’ You”をデュエットでナンバー1にして、90年代にはブランニューへヴィーズに加入する、あの女性です。彼女を世に送り出したのはデニスだったんですね。

 その”Treat Her..の間奏がずっと続いて一旦引っ込み、また出てきた。上に挙げた、既に亡くなってしまったテンプスのメンバーの名前を読み上げ、一人ずつ合掌する。そして最後はやっぱり“My Girl”

 終了後のサイン会も、小生が歌ったのを憶えていて褒めてくれました。いい人たちだった。

 Get Ready.気が付いたら、2000年代の最初の10年も終わろうとしています。次の10年代への準備はできていますか?

 もし、年内に次の原稿ができなかったら・・・ハッピー・クリスマス!

Temps_autographs

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2008年7月16日 (水)

When Will I See You Again?

ライブリポートに戻ります。

今回はスリー・ディグリーズ。

うわあ、我ながら古いー。

ひょっとしたら、私の母親よりほんのちょっと若いくらいかもしれない。

そんなオバサン三人組。

1970年代に一世を風靡したフィラデルフィア・ソウルの看板、当時は「三人娘」。

モータウンにとってのスプリームスに匹敵する存在だったといえます。

克也さんもフィリー・サウンドには色々と思い入れをお持ちのようで。

少し前になりますが、5月のDJ KOBYでその薀蓄を語られていますから、それをチラチラと眺めつつみていきましょう。

例によって食事つきの小さなライヴハウスです。

現在のメンバーは、(ステージで並んでいた順、左から)ヴァレリー・ホリディ、ヘレン・スコット、シンシア・ギャリソンの三人。1963年結成時からのオリジナルメンバーは一人もいません。最古参は67年からのヘレンですが、66年から76年に中抜けして、丁度最盛期を逃しています。最盛期から現在までその座を守り続けているのは67年加入のヴァレリーのみ。シンシアは新加入です。

フィラデルフィアの作品を中心としながらも、モータウン、ディスコの定番も取り入れて、70年代のソウル、ディスコをみんなで懐かしむパーティ、そんな感じでした。年齢を20歳サバを読むような、胸の開いたドレスで三人の登場。

1、 I Love Music

克也さんが仰っていたとおり、ファンには言わずもがなですが、70年代のフィラデルフィア・ソウルにはケネス・ギャンブル&レオン・ハフというコンビのキーパーソンがいました。ニューヨークで量産されるソウルに疑問を持ちフィラデルフィアにやってきてフィラデルフィア・インターナショナル・レコードを立ち上げ経営し、自らもプロデューサー、作者となり、傘下アーティストに歌わせてヒット曲を量産する。

The Essential O'Jays

 スリー・ディグリーズは女性の看板ですが、その男性版の代表格がO’JAYsではなかったでしょうか。もともとオハイオ州出身(O’JayとはオハイオのDJ,そう名乗っていた有名なDJがいてそこから名前を頂いたらしい)、エドワード・ルバート(「カサノヴァ」のヒットがあるジェラルド・ルバート、やはりR&Bシンガーだったショーン・ルバートのお父さん。この二人の子供に先立たれている)を中心に結成され、フィラデルフィアに移って大成功した。これはオージェイズの全盛からやや後期の76年のヒット曲で、フィラデルフィア・ソウルそのものの全盛期にはコーラス、ストリングスが美しいバラードが多かったギャンブル&ハフ作品でしたが、70年代後半になるとディスコを相当意識するようになり、この曲もディスコブームに乗って大ヒットしました。それを女性コーラスの看板スリー・ディグリーズが。。。今にして思えばこのショーの全体像を象徴していたような幕開けでした。

2、 Take Good Care of Myself

3、 Woman in Love

この二曲あたりは、後に出てくる「天使のささやき」「荒野のならず者」に次いで、ファンにはよく知られている彼女らのレパートリーです。

4、 Marvin Gaye Medley

Your Precious Love~Sexual Healing~What’s Going On?~Mercy Mercy Me~

Let’s Get It On

ここでモータウンというか、マーヴィン・ゲイへのリスペクトを表したパートで、60年代のタミ・テレルとのデュエットの名曲、70年代の代表曲、非業の死の直前の「セクシャル…」まで。

The Marvin Gaye Collection

それが終わったら、バンドメンバーの紹介、そして、聴衆に向って「独身の女の人いる?だったらドラムのXXがお嫁さん募集中よ。独身の男の人いる?だったらシンシアがお婿さん募集中よ。独身でも既婚でも、男はみんな『エッチ!(日本語で)』」とMCがあって

5、 Dirty Ol’ Man

そう、「荒野のならず者」という邦題で日本のディスコで大ヒットした曲で、確かに西部劇を連想させる壮大さはあるのですが、内容は全然関係ありません。直訳すれば、「このスケベジジイ!」ですね。彼女らを日本で有名にした73年のヒット。

6、 「にがい涙」

  克也さんも仰っていましたが。

  後でも書くことになると思いますが、スリー・ディグリーズはアメリカで人気が落ちたあとも日本では高い人気を保ち、日本のファン向けに日本語で録音もしちゃって、シングルでちょっとヒットした演歌みたいな曲もあるんです。筒美京平さん作曲。  

7、 Philly Medley

  The Love I Lost~Ain't No Stoppin’ Us Now~If You Don’t Know Me By Now~ Together

   小生が勝手にPhilly メドレーと名付けましたが、中にHarold Melvin & the Bluenotesのヒット曲が二つ入っています。フィリー・サウンドの男性側のもう一翼を担った人たち。”The Love I Lost”74年の、そしてシンプリー・レッドのカバーでもお馴染みの”If You Don’t Know Me…”73年の、ともにギャンブル&ハフのペンによる。

    間に挟まった”Ain’t No…”79年の McFadden & Whiteheadのディスコヒット。マクファデン&ホワイトヘッドは、ギャンブル&ハフに次いでフィリー・サウンドを担ったソングライターコンビでした。ギャンブル&ハフが美しい軽めのナンバーが中心だったのに対し、このマクファデン&ホワイトヘッドは骨太、やや暗め、社会的なメッセージもこめた、モータウンのノーマン・ホィットフィールドあたりに影響を受けたような曲を書いています。オージェイズ”Backstabbers「裏切り者のテーマ」、ハロルド・メルヴィン&ブルーノーツ”Wake Up Everybody”など。この “Ain’t No…”も本当はハロルド・メルヴィン&ブルーノーツに演らせるつもりで書いたけれど、渋いバリトンヴォーカルのテディ・ペンダーグラスが辞めちゃったから(ハロルド…は、アメリカ版「内山田洋とクールファイヴ」「敏いとうとハッピー&ブルー」だったんです(笑)。グループ名に冠されているリーダーが最も有名なメンバーでも、リードヴォーカルでもなかった)、曲の良さが出ないので自分たちで歌った、という。

The Best of Harold Melvin and the Bluenotes Ain't No Stoppin' Us Now: Best of the Pie Years Greatest Hits

   Togetherは、まだフィラデルフィア・インターナショナルを立ち上げる前の67年、ギャンブル&ハフがイントルーダーズに提供した曲。82年にブラウン・アイド・ソウル(ラテン系アメリカ人が演るR&B)のティエラというグループがカバーして再ヒットしました。この曲、大好きなんです。意外なところで突然聴けて嬉しかった。

8        Disco Inferno

そろそろ佳境に入りダンスパーティの様相を呈し、聴衆に立ち上がれと促します。曲はサタデーナイトフィーヴァーのサントラにも入っていて大ヒットした。ディスコの定番。映画「タワーリング・インフェルノ」にインスパイアされた、ディスコを火事の高層ビルに例えた曲。オリジナルを演っていたのはトランプス。彼らもフィラデルフィアのグループだったのですが、結局彼ららしくないこのディスコナンバーが代表曲となってしまいました。

The Best of the Trammps

9        Love Train~TSOP

ギャンブル&ハフにとっても、オージェイズにとっても代表作の一つでしょう。73年のナンバー1ヒット。電車で世界中の町、国を繋いで愛を広める。

そして、フィリー・サウンドといえば、ダリル・ホールも参加したかったけど適わなかった、これら多くのヒット曲全てのバックを勤めたオーケストラがあり、彼ら自身もMFSB(Mother Fucker Son of a Bitch? Mothers Fathers Sisters Brothers? 笑)と名乗ってインスト・レコードを何枚か出しています。そしてこのTSOP, The Sound of Philadelphia が、当時のソウル専門テレビ番組「ソウルトレイン」のテーマにも使われ、ナンバー1ヒットになりました。スリー・ディグリーズも曲終わりのコーラスで参加していました。TSOPのリフを延々と続け、彼女たちはいったん舞台裏に引っ込み、また出てきます。

Love Is the Message: The Best of MFSB

10    When Will I See You Again

そしてアンコールは、彼女たちの代表曲「天使のささやき」。コーラスが綺麗な曲です。日本では、70年代から80年代にかけて赤坂局が毎年やっていた「東京音楽祭」の、第74年度最優秀楽曲賞を受賞し、彼女らの日本での人気を不動のものにし、その後アメリカ、世界各地で火が付いた、という曲です。美しい天使のコーラスは健在?

この曲でまた引っ込んで、また出てきて、アンコール2曲目でやったのはなんと

11    Boogie Wonderland

  アース、ウィンド&ファイアのあの曲でした。もう30年たてばなんでも一緒なのか?

この曲はレコードでは、やはり女性三人組のエモーションズがフィーチャーされていて重要な部分を歌っていたので、スリー・ディグリーズとしても歌いやすかったのでしょう。無理やり総立ちにさせて躍らせて、ディスコパーティーは終わりました。

ベスト・オブ・エモーションズ

「今度はいつ会えるの?」って、また秋に来日するみたいです。いかがですか。

Three_degrees

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2008年4月24日 (木)

Heart of Rock'n Roll~Take Me Back to Chicago (Part 1)

何回連続でコンサートリポをやっているんでしょう?やっぱり書きやすいんでしょうね。

 今回も話題のシカゴとヒューイ・ルイス&ニューズのダブルヘッドライナーです。

 ダブルヘッドライナー形式、大流行で、いろいろな組み合わせでやられているようです。

 ちょっと前に単独来日していたナイトレンジャーは今度はファイヤーハウスと一緒に回ります。

 前回のネタだったボズ+TOTOもそうですね。

 以前に何回か取り上げた、DVDでも観られるスティクスREOスピードワゴン。最近はこれにデフ・レパードが入ったり入らなかったりしているようですが、これもそのまま日本で観てみたい組み合わせですね。

 組み合わせが成立するにはいろいろな事情があるのでしょうが、ボズ+TOTOみたいに、関係や音楽的共通性が多く見つけられるパターンだと、観る楽しみも倍増します。

 ここのところ毎年、シカゴはパートナーを換えつつ大きな全米ツアーをやっています。

 他にパートナーになったのは、アース・ウィンド&ファイア(EW&F)、アメリカ、リトル・リヴァー・バンドなどなど。

 シカゴ・ヴイエス・アース・ウィンド&ファイアー 「ライヴ・アット・ザ・グリーク・シアター」

EW&Fとの競演はLAでの公演をDVDで見ることができます。これは上の組み合わせの中でも最も良かったものではないかと思います。

 組み合わせ的にも、実は最も共通点があった二組ではなかったでしょうか。

 共にシカゴ(街の名前です。当然)が拠点。

 EW&Fのモーリス・ホワイトとシカゴのロバート・ラムはシカゴ大学の同窓生。

 共にブラスセクションが前面に出される音作りが特徴。

 シカゴのビル・チャンプリンはEW&Fのヒット曲 “After the Love has Gone”の作者。

 EW&Fは常にシカゴを意識していたという。78年、ビートルズの曲だけで繋ぐ、ピーター・フランプトン、ビージーズ三兄弟主演、RSOグループのマネジメントによる映画『サージェント・ペパーズ』の中で”Got to Get You into My Life゛を演奏するために出演する話は、実は最初はシカゴに行ったのだが断られたためEW&Fになったのだそうだ。そこでEW&Fは、もしシカゴがその曲を演奏するとしたらどうなるだろうか、ということを念頭にアレンジしたんだそうです。映画は大きくコケましたがEW&Fの登場場面と彼らのその曲は異彩を放っていた。

 そんなわけで、この2グループの競演はすごかったです。

 2バンドが同時に出てくるオープニングとクロージングは圧巻です。

 EW&F”In the Stone””Never, never my darlin, never will you be alone…”というコーラスと、シカゴの“Introduction””We can make it happen, yeah, we can make it happen”というコーラスを同時に掛け合いで演ってしまったり。この二つの曲がピタっとあってしまうなんて想像もできませんでした。

 それぞれのパートでも、リードヴォーカルの交換で、ビル・チャンプリンがEW&Fをバックに”After the Love…”を歌ったり、フィリップ・ベイリーがシカゴをバックに”If You Leave Me Now”「愛ある別れ」を歌ったり。このDVD70年代、80年代が好きな人には涙ものです。

 アメリカとは、ロバート・ラムが、アメリカのジェリー・ベックリー、ビーチボーイズの今は亡きカール・ウィルソンと共に Beckley-Lamm-Wilsonというユニットを組み”Like a Brother”というCDを発表したことがあります。でもその程度でしょうか。

 リトル・リヴァー・バンドと今回のヒューイ・ルイス&ニューズに関しては、そのような関連性が全く思い浮かびません。強いて言えば共にシカゴほどではないにせよ、やはりブラスとコーラスを重視しているグループ、といったところでしょうか。

 まあいずれにせよ、70年代、80年代に活躍していたグループの中から、スケジュールを睨みながら色々選んでいる、ということで、深く考える必要はないのでしょう。それを四の五のここまで引っ張る私は本当にロクな者ではない。

 さて、当日のコンサート。まずはヒューイ・ルイス&ニューズの登場です。

 ちなみに上記のダブルヘッドライナー全て、シカゴが後に登場しています。

 またEW&Fとの話に戻りますが、オープニングで必ず、どちらが先に演るかコイン投げで決めよう、とやって、2004年の48回の公演で、全て同じ結果が出てEW&Fが先になった、ということになっています。これはいくらなんでも嘘ですよね。コイン投げ約50回で全て同じ結果が出る確率は2の50乗分の1。天文学的数字になってしまう。そりゃそうでしょう。ただでさえ大人数のバンド二つなんですからセット換えの問題もあるし、順番は予め決めておかなければ。

 

SPORTS(紙ジャケット仕様) さて、真っ暗の中から心臓の鼓動が聞こえてきて、黒いシャツのヒューイが登場、やっぱり

 Heart of Rock & Roll

から始まりました。84年、彼らの人気を決定的にした金字塔アルバム”Sports”のオープニング曲。それ以来、彼らのライヴの第一曲目の座を一度も降りていないようです。ニュー・ヨークから始まって、アメリカ中の都市の名前が歌詞に出てきますが、肝心の「シカゴ」は出てこないんですよねえ。原曲は最後にクリーヴランド、デトロイト、と叫んでフェイドアウトしますが、デトロイトの替わりに「ナゴヤ!」と叫んで掴みにします。

 そのまま次の曲のイントロが始まり、「これは新しい曲だよ」と言いつつ、

Plan B

2 So Little Kindness

 新しい曲といっても、2001年の “Plan B”というCDに収められていた曲。7年前でも、それ以来はオリジナルアルバムが出ていないわけだから…

3 I Want a New Drug

4 Small World

 この2曲は完全にメドレー形式で。”Drug””Sports”からの2曲目のヒットで、同じ年に出てきたレイ・パーカーJrの「ゴーストバスターズ」は これの盗作だと騒がれ、リズムは確かに同じに聞こえるが、この”Drug”自体、リズムはM”Pop Muzik”から頂いている、などとちらほら。

Small World/Sports

 “Small…”の方は、88年のアルバムのタイトル曲。歯切れのいいキーボードから始まって、うまく繋がりました。

FORE!(紙ジャケット仕様)

5 Doin’ It All for My Baby

 “Sports”に続く、ノリにノッていた時期の86年の “Fore”から。こういう曲を聴くと、彼らはサンフランシスコ出身ながらウエストコーストロックの影響は少なく、ルーツは南部のメンフィスやニュー・オーリンズあたりのR&B、それにスワンプロックではないかと感じます。ブラス、特にサックスがブルージーですね。

6 The Power of Love

 ご存知、85年の映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のサントラから。映画の中でもマーティ・マクフライ役のマイケル・J・フォックスが学園祭の出演目指してバンドコンテストで演奏しますが、「ハイ、止めて、五月蝿いだけ、次!」と不合格を食らう。その審査員ですまして座っていたのがヒューイ自身だった。懐かしいですね。

7 Jacob’s Ladder

“Fore”から。87年の彼らの来日に前座で付いてきたブルース・ホーンズビーの曲ですね。

 ここでブラスセクションは引っ込み、バックの四人も楽器から離れマイクの前に横一列に並んで、「ここらでアカペラはどうだい?」と、

8 It's All Right

これはカーティス・メイフィールドやジェリー・バトラーがいたインプレッションズというグループがオリジナルで、ドゥーワップのスタンダードの一つです。やっぱりそういうところがルーツなんですね。かなり初期から彼らのライヴで一息つくときの定番になっていて、見事にオリジナルそっくりに決めます。

 そういえば、彼らがベストヒットUSAに初出演したとき、いきなり、やはりアカペラの定番で、山下達郎やティモシー・シュミットも演っているタイムスの”So Much In Love”をいきなり歌いだしたんですよね。

 彼らのコーラスワークは必ずしも綺麗だとは思わないのですが、音を外さない範囲でのある程度の荒さが、逆に60年代の南部R&Bの雰囲気を出していると感じます。

 またすぐ楽器の配置に戻って、終盤に突入します。

9 Heart and Soul

 “Sports”からの最初のヒット曲。オリジナルは”Kiss You All Over”のエグザイル(日本の同名グループとは関係ありません。もちろん)です。

10 But It's Alright

94年にR&B中心のカバーアルバム “Four Chorus and Several Years Ago”を出しますがその中から、スタックス・ソウルのエディ・フロイドの曲。ウィルソン・ピケットを髣髴とさせる曲です。

 ここまで、競演のシカゴへのエール交換が全くなかったのですが、この曲のホーンに“Does Anybody Really Know What Time It Is?”のフレーズを紛れ込ませていました。

11 We're Not Here for a Long Time (We're Here for a Good Time)

 「一番新しい」”Plan B”からの曲で、「アリガトーゴザイマシタ,ニホンゴカンタン」といったん袖に引っ込みます。

 アンコールに応えて再び登場

12 Back in Time

 さっきの映画「バック…」のエンディングテーマ。ここからシカゴの若い(といっても私と同い年らしい)ギター、キース・ハウランドが加わってきました。

13 Bad Is Bad

ここからビル・チャンプリンも登場、珍しくギターを持って出てきました。

  この曲は”Sports”に収録されている、レコードではドゥーワップっぽいアレンジですが、ライヴではよりアップテンポに、ヒューイのハーモニカも入ってサザンロックっぽくやります。ビルもリードヴォーカルを部分的にとりました。

 そして最後の最後

ベイ・エリアの風(紙ジャケット仕様)

14 Workin’ for a Living

 彼らがブレイクした82年の “Picture This”から労働者の歌。トレードマークのヒューイのハーモニカとブラスの大盛り上がりで、第一部の完全終了。セット換えのため休憩に入ります。

 彼らもベテランですがメンバーチェインジが殆どない、ヒューイと少年時代から付き合っている人たちばかり、そのチームワークのよさが改めて伝わってきました。

 考えてみれば、”Do You Believe in Love?””Stuck with You”,”If This is It”なんていう代表曲が聴けなかった(場所によっては演ったかもしれない)のですが、その分、彼らのルーツが前面に出ていたような選曲だったと思います。

 なんとシカゴのパートに全然届かず、こんなに長くなってしまいました。

 休憩時間明けの話はまた次回に。すぐ書きます。

バック・トゥ・ザ・フューチャー ― オリジナル・サウンドトラック

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2008年3月22日 (土)

Boogie Wonderland!

またまた困ったときのライヴリポート、です。

 今回のアーティストは、アル・マッケイ・オールスターズ。

 私の親戚筋に当たる一部のパラノイアの方々を除いて、ほとんどの方は、なんだそりゃ、聞いたことない、という反応を示されたと思います。

 ところが。

 今回はまず、演奏された曲目リストから行ってみましょう。

1、 Serpentine Fire (太陽の戦士)

2、 Got to Get You Into My Life

3、 After the Love has Gone

4、 Reasons

5、 In the Stone(石の刻印)

6、 Fantasy (宇宙のファンタジー)

7、 Jupiter (銀河の覇者)

8、 Getaway

9、 Singasong

10, Let the Feelings Show 

11, Can’t Hide Love

12, That’s the Way of the World(暗黒への挑戦)

13September

アンコール

14, Boogie Wonderland

15, Let’s Groove

そうなんです。まるっきりアース、ウィンド&ファイア(EW&F)なんですね。

The  Dance

 EW&Fの音楽上のマスターマインドといえば、まずモーリス・ホワイトですが、このアル・マッケイという人も、全盛期のEW&Fになくてはならない存在だったんです。

 以前、現在はジェファーソン・スターシップとスターシップが別々に並存していて南北朝状態だということも話題にしましたが、EW&Fも、本家とこのアル・マッケイのプロジェクトが競っていて似たような状態といえるかも。

 アルはEW&Fにいたサウスポーのギタリスト。その後のファンク、R&Bに大きく影響したカッティングを発明した人でもあります。

 1966年、18歳のとき、自分の町にある有名なR&Bグループがやってきて、ちょっとしたコネで楽屋に遊びに行けた。そのバンドがあるレコードの曲を練習しているとき、バンドにはギターは一人だけ、そのバンドのリーダーしかなかった。ところがアルは生意気にも、「このレコードにはギターは2本入っているようですよ」とそのリーダーに意見した。そしたらそのリーダーは「じゃあお前やってみろ」といってギターを渡した。でもアルは「僕は左利きだからできません」といったんは断った。でもリーダーはしつこく、やれ、と勧めたので、アルはその気を出し、1時間でマスターしてしまった。そしてリーダーは言った。「よし、お前を雇った。今晩からステージに上がれ」。

 そのグループとはアイク&ティナ・ターナー。アルはアイク・ターナーに見出されて音楽の世界に入っていったのでした。ついこの間逝去したアイクに掘り起こされたというあたり、ジミ・ヘンドリックスと似たようなエピソードです(「期限切れ遺失物移管所」の更新が遅れていてごめんなさい)。

 その後、色々なソウル・グループのバックを経て、オーディションを受けてEW&Fに正式加入したのが二十四歳の時。

Spirit  その後はモーリスに次ぐEW&Fサウンドの要となり、「シングアソング」「セプテンバー」などお馴染みの曲、女性ゴスペル三人組だったエモーションズをEW&Fがバックアップしてファンク、ディスコに引き入れたナンバー1ヒット「ベスト・オヴ・マイ・ラヴ」などの作者としても名を連ねる。

 ところが、「レッツ・グルーヴ」の後、80年代半ばになってEW&Fもスランプの時期を迎える。

 大人数のブラスセクションを活かしたファンク、精神的な側面からも独特の世界観を打ち出していたEW&Fも、ディスコブーム、商業主義に載った作品を作ってしまい、ブームが去ってしまうと結局行き詰ってしまった。同じ時期にモーリスも過労で倒れてしまい、グループとしての活動に疑問を持つようになる。

 14人もの大人数を抱えていたグループ内でも意見対立が目立つようになり、モーリスと10歳違いのアルは、グループの若い世代の代表者としてモーリスと対立するようになる。レコードでアルがギターを入れたトラックがあっても、モーリスがスティーヴ・ルカサー(次回も登場するかも?)の演奏に入れ換えたり、といったこともあった。

 ついにアルは84年、脱退を決意する。「EW&Fは世界最高のグループだ。これ以上のグループは作れるわけがないから自分はバンドリーダーにはならない」と最高の賛辞を残しつつ。

 その後、アルはプロデューサーとして裏方に徹します。

トゥルーリー・フォー・ユー

 85年にはテンプテーションズの”Truly for You”というアルバムをプロデュースしますが、80年代は主要メンバーが抜けて、ディスコブームにも乗らず独自のスタイルを貫こうとして逆にスランプだったテンプスが、EW&F的なサウンドと自分たちのコーラスワークを融合させた新しい試みとして、僕は個人的には80年代のテンプスの最高傑作だったと思っています。やはりぜんぜん売れませんでしたが。

 そして90年代後半になり、やはり自分も演奏で復帰したいとの意欲をもち、スタジオミュージシャンを集めて、EW&Fのレパートリーのセルフカバーに新曲を加えてCDを発表、ライヴ活動を再開した。

 これがアル・マッケイ・オールスターズというわけです。

 全盛期のEW&Fと同じ14人編成、ブラスセクションが5人、ヴォーカルも、フィリップ・ベイリーそっくりの高音を出す人と、モーリスそっくりの低音を出す人。アルは地味にバックでギターに専念する、内山田洋とクールファイブ、敏いとうとハッピー&ブルー状態です。

 ほんと、EW&Fのレコードかと思うくらいそっくりの演奏。考えてみれば今の本家EW&Fにはモーリスはいないし、全盛期を感じさせるのはフィリップの高音と、ヴァーディン・ホワイトのやんちゃな腰振りベースだけ。本家のような花火仕掛けや、ピラミッド、ミラーボールを使った派手なステージングはありませんが、例によって小規模のライヴハウスでEW&Fサウンドが楽しめるのだから、かなりお得かな、と思えるライヴでした。本家と同じように、上記の曲をほとんどノンストップ、メドレー形式で息を尽かさず演奏し続けました。会場が踊りっぱなしの「ブギー・ワンダーランド」と化していました。

 驚いたのは、セットリストがまったくなかったことです。曲間がないのだから、当然といえば当然かも。

Al_mckay_allstars_live  また例によってサインをもらいました。EW&Fの全盛期のアルバムジャケットは、同じ時期のElectric Light Orchestra=ELO同様、長岡秀星さんが担当していて、内省的かつ幻想的な世界を描いた細微で写実的な絵が特徴的だったのですが、アル・マッケイのCDジャケもそれらを彷彿とさせます。

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2006年6月15日 (木)

You Are So Beautiful

ジェームズ・ブラントではありません。Billy_preston_the_best_1

 ビリー・プレストンが、65日、逝去しました。享年59歳。

 多才で、多彩な活動をした人でした(オヤジギャグ!)。

 キーボーディストで、シンガーソングライター。Beatles_let_it_be

 ビートルズの「ゲット・バック」のセッションでの、あのノリノリのエレキピアノソロで有名。

 さらに彼は「ゲット・バック」には縁が続きました。

1978年の映画「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」。Sgtpeppers_lonely_hearts_club_band_sound

当時最盛期だったビージーズのギブ兄弟と、その少し前に「カムズ・アライヴ」で大成功を収めていたピーター・フランプトンが主演。他にも当時の人気ミュージシャンが大勢出演した、洋楽バブルを地で行っていた映画でした。

そのタイトルどおり、サージェント・ペパーズを中心とした後期のビートルズの曲のみで繋いだ、セリフなしナレーションのみの、ハチャメチャ、ミュージカル映画でした。Saturday_night_fever_soundtrackGrease_original_soundtrack

「サタデー・ナイト・フィーヴァー」「グリース」と、映画、サウンドトラックの両方での空前の大ヒットを二発続けたロバート・スティグウッド制作、RSOレコードの音楽映画第三弾として鳴り物入りでしたが。

いかんせんピーターとギブ兄弟の演技が下手糞で、映画の評価、興行成績、サントラ売り上げ全てにおいて大きくコケました。

それでも、引き締まっていて鑑賞に堪えるシーンが3つあったといわれてました。

一つは、アース・ウィンド&ファイアが”Got to Get You Into My Life”を演奏しに登場する場面。他の曲はビートルズの原曲とアレンジがほとんど同じものばかりで工夫がなかったのですが、アースは大胆にホーンセクションを活用してファンキーに、独自の解釈でやって、それが成功していたのでよかった。克也さんもお好きだったのでは?確かKatsuya Remembersでかかりましたよね。

二番目は、エアロスミスが「カム・トゥゲザー」を演奏する場面。

そして、三番目がこのビリー・プレストンが登場して「ゲット・バック」を歌う場面。

彼がペパー軍曹の役で、ピーター演じるビリー・シアーズ(サージェント・ペパーズの歌詞にも出てくる)のお爺ちゃんという設定で、故人で銅像になっていたのですが、映画の最後に神様から生を受け銅像が甦って歌いだす、みたいなシーンでした。

オリジナルのビートルズの録音にも参加した彼がそういう形でカバーできたことは、感慨も深かったのでしょう。

ビートルズの縁で、ジョージ主催のバングラデシュ救済コンサートにも参加しました。ビートルズ以外にも、ストーンズ、クラプトンのツアーにもバックで頻繁に参加。

キーボードプレーヤーとしては、”Outer Space” “Space Race”なんてインストロメンタルのヒット曲があります。シンセサイザーブームのさきがけを作ったような観がありました。”Space Race”は、ディック・クラークがやっていた(今でもやっている)Rock Roll and Rememberという懐メロ番組でテーマで使っていて、かつてのFENでよく聴けました。

ヴォーカリストとしても、70年代半ばに”Will It Go Around in Circles?” “Nothing from Nothing”のに曲のナンバー1ヒットがあります。1980年にはスティヴィー・ワンダーの前妻シリータ・ライトとのデュエットで “With You I’m Born Again”なんてのもありました。

個人アーティストがインストロメンタルとボーカル両方でヒット曲を持っている例は他にはそうはありません。ハーブ・アルパートくらいでしょうか。

そして彼は、名曲You Are So Beautifulを作り、オリジナルを歌っていた人でもあります。Joe_cocker_ultimate_collection

この曲は、1975年のジョー・コッカーのカバーで有名になりました。オリジナルの通りの美しいピアノのバック、「君はあまりにも美しすぎる、僕の望みの全て」というシンプルな歌詞の繰り返し、そしてなんといっても、アル中真っ只中だったジョーの息も絶え絶え、NGギリギリの切れ切れの高音、でもそれがかえってそのレコードの魅力になって大ヒットしたという。

最近は音楽的にはゴスペルに傾斜した活動をしていました。肝臓と心臓に病気を抱えてしまい、それが悪化してしまったようでした。師匠レイ・チャールズの葬儀に出席したことが、最後に顔を見せたことになるでしょうか。

また一人、巨星が逝きました。合掌。

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