スティービー・ワンダー

2009年7月 7日 (火)

Show You the Way to Go

Off the Wall スリラー#紙ジャケット仕様#

マイケル・ジャクソンですか…

 そりゃ突然なことだったのでびっくりはしましたが、正直申しましてそれほどの衝撃は受けていないですね。

 いろいろな理由が考えられます。

 僕は、ベテランアーティストが歳をとってからどんな風になっているか、かなり前から色々想像していて、それがけっこう当たっていたりするんです。

 記録に残しているわけでもないし、誰かに話した憶えもあまりないから証拠がないのですが。

 例えば、ポール・マッカートニーは、寡作になるけれど、振っ切れて、ウィングス時代は極力避けていたビートルズ時代の曲をライヴでやるようになるだろう、とか。エルトン・ジョンは昔からスタイルをほとんど変えなかったので、流行に関係なくそれを貫いていくだろう、ロッド・スチュアートは臨機応変に自分のスタイルを変えてきて、自分のかっこよさを知っている人だから、歳に応じて渋みを増してくるだろう、マドンナは自分のトータルな美を磨くことを怠らず、年齢を感じさせないスタイルでイメージは不変だろう(由美かおるか?)、とか。

 ところが、歳をとったマイケル・ジャクソンの姿は、全く想像できなかったんです。

 より正確に言うと、想像はしていましたが、その想像が「空白」だったのです。

 すなわちマイケルはいずれにしろ、50前後で引退宣言をするだろう、あるいは明確な宣言はしなくても表舞台には極力出で来なくなり、新譜も発表せず、事実上の引退をしてしまうだろう、と。

 彼の体調も大きな理由です。彼がどんどん白くなっていったのは、彼がそういう手術を受けたのではなく、メラニン色素が極端に減少していく病気だったんですね。ライオンとかでも稀に真っ白なのが生まれますが、日光に当たることができず、他の病気も併発して短命の場合が多い。彼の場合も、正式な死因の発表はまだですが、遺書を残していたことから想像するに、はっきり自分の死期を認識していて、体はぼろぼろになっていたのでしょう。

 それ以上に彼は、10歳いくかいかないかで頂点を極めてしまい、それ以降40年間、彼のやることそのものが時代を作り続けていた。その彼が時代を作れなくなってしまったとき、どうなるのか。

 急逝、というのはその一つの答えだったのかもしれません。

 ジェームス・ディーンが事故死したときのことは、僕は当然ながら全く知らないのですが、どれくらいの人が、それ以降の彼がどのような映画を作っていったか、を想像していたでしょうか?

 人が死ぬことによいことは何もありません。しかし、結果は受け入れなくてはいけない。

 それがマイケルほどの時代の寵児、いや時代の創造者だった場合、その役割を終えたら疾風のごとく姿を消すというのは、日本史でも世界史でも珍しくない話で。

 そんなジェームス・ディーンやリンカーン、織田信長(人間五十年、下天の内を較ぶれば…)みたいな要素を感じてしまって、納得している部分があるというのが正直なところです。

 やはり私は、捻くれ者ですね。それに尽きると思います。

 ブログなどで彼の死を悼んでいる人たちのかなりが、僕より少し上の世代で、「ベストヒットUSA世代」を自認しているみたいで、克也さんの名前をお借りしている私のサイトにもアクセスが増えました。

 でも小生本人は、その世代だとは思っていないのです。

 その世代を名乗る人たちは大体小生より23上の人たちなのですが、それより若くても洋楽を聴き始めたのが早く、小学校45年の道徳の時間に「尊敬する人は?」と先生に聞かれて「エルトン・ジョン」と答えていた生意気なガキンチョだった小生は、そりゃベストヒットは(今でも)大好きな番組で希少な洋楽情報番組として楽しんでいたのですが、それに世代を投影するまでにはいきません(克也さん、ゴメンナサイm(_ _)m、でもだからこそ克也さんは小生にここで書かせて下さっているんですよね、そう思っています)。

Bad Dangerous

そういう小生にとってのマイケル・ジャクソンとは、Off the Wall, Thriller, Bad, Dangerousなどソロは全部持っていますし、ビデオクリップ集もあり、それなりに楽しみましたが、入れ込んだ、というほどではなかったのです。捻くれ者としてはどうしても一番売れているものには冷めて見てしまう悪い癖がありまして。

僕が一番好きだったマイケルは、クインシー・ジョーンズやジョン・ランディスに出会う前のマイケル、つまりジャクソン・ファイヴ末期、ジャクソンズの一人としての彼なんです。

Playlist: The Very Best of the Jacksons

10歳になるかならないかでデビューから4曲連続でナンバー1を飛ばして、それはモータウン全盛期末期のバブルガムミュージック大量生産体制の最後の踏襲者としてのものだった。その後、共演したスティービー・ワンダーあたりに入れ知恵されたか、モータウン路線に反発するようになり、兄弟独特のコーラスワークを生み出したりして、その二つの路線の妥協として、ディスコなどにも影響されたジャクソン・ファイヴ名義最後のナンバー1ヒット「ダンシング・マシーン」が出たのが74年。

その後モータウンと完全に決別し、モータウンの重役の娘を嫁にもらっていた長兄ジャーメインはその腐れ縁で残留を余儀なくされ、残りの兄弟たちはエピックレコードに移籍して、名前もジャクソンズに変えた。

僕はこの75年から78年ころのジャクソンズ、というかマイケル、が一番好きなんです。

The Jacksons

76年に移籍第一弾で発表したセルフタイトルアルバムは、名盤です。フィラデルフィア・サウンドを支えていたギャンブル&ハフのコンビと組んで製作、ストリングスを生かしたフィラデルフィアソウルと彼らのコーラスワークを融合させた美しい極が並び、”Enjoy Yourself””Show You the Way to Go”など、大ヒットとは行かなくてもそこそこ受け入れられファンの記憶に残るヒット曲も生まれました。その2年後の2枚目Destinyでは、まだ誰の影響も受けていない、彼ら独自のディスコ・ダンスミュージックの解釈を展開して”Shake Your Body”なんて、他にはあまり例のないリズムでのヒットを生み出した。

Destiny

ところが79年、以前からのマイケル人気に目を付けたエピックは、クインシー・ジョーンズとマイケルを組ませてソロアルバム、Off the Wall を作らせて、これが記録的ヒットになってしまう。

Triumph

そこから、皆さんご存知の歴史が始まってしまいます。しかしその裏では…

ジャクソンズとしてはどうしてもマイケル色をさらに強める必要に駆られてしまい、80年に出したアルバムTriumphは、彼らのセルフプロデュースのはずながらOff The Wallの二番煎じみたいな音になってしまったし、Thrillerの歴史的ヒットの後の85年に出たVictoryでは、ミック・ジャガーとジャクソンズの共演”State of Shock”が大ヒットしてしまう。しかしこれはどう聴いても、ジャクソンズとミック・ジャガーというよりは、マイケルが個人的にポール・マッカートニーと共演して”Girl is Mine” “Say Say Say”と連続大ヒットを飛ばしたこととパラレルに見えてしまう。

Victory Pipes of Peace

その後の兄弟は、マイケル、ジャネットのバカ売れもあり、空中分解状態になってしまう。

でもそれが一段落した後にジャクソンズとして久しぶりに出した89年の 2300 Jackson Street は、実に肩の力が抜けていていい作品でした。やっぱり自分たちが血の繋がった家族なんだ、ということを再確認したような。ぜんぜん売れませんでしたが。

2300 Jackson Street

まあそんなわけで、マイケルほど世界中に知られていれば人それぞれのいろいろな解釈が可能な訳で、一捻くれ者として見たマイケル論でしたが、もし彼がクインシーやジョン・ランディスと組まされることがなかったら、ジャクソンズはもっと音楽的に成熟したすばらしい音楽を作ってそれなりの成功を収め、マイケルも急逝することもなかった、と考えるのは私だけでしょうか。

オバマ大統領も声明を出したとおり、私生活ではいろいろありましたが、10歳からわれわれとは上の世界に行っちゃっていた人でしたから、仕方のないことでしょう。

いずれにせよ、我々に「進むべき道を示して」くれ続けて、疾風のように去っていった時代の申し子の急逝には、改めて合掌。

克也さんの新番組、全国ネットでよかったです。

克也さんが日記で書かれているとおり、アメリカのラジオ業界はいろいろ動いていますね。次回はその話題になるでしょう。

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2007年9月28日 (金)

Boulevard of Broken Dreams

American Idiot

  グリーンデイだと思うでしょう? ところがどっこい。

 モバHo!導入でレギュラーで聴けるようになったもう一つの克也さん番組、DJ Koby’s Radio Showもネタにしていきましょう。

 922日にアーカイヴされたのは、トニー・ベネット。

 本年81歳。

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  去年80歳を記念して製作されたアルバム、「デュエッツ」でトニーと一緒に歌ったのは、 バーブラ・ストライザンドが一番、活動期間の長さ、音楽的ジャンルが近いとして、ほかはみんな畑違い。ベテランでは、エルトン・ジョン、ポール・マッカートニー、ジェームス・テイラー、 スティービー・ワンダービリー・ジョエル、エルヴィス・コステロ、スティング、ボノジョージ・マイケル90年代以降のスターでは、ディクシー・チックスK.D.ラング、ティム・マグロウ、セリーヌ・ディオン、マイケル・ブーブレ、ジョン・レジェンドなどなど。

 普通この手の企画なら、オケが最初にとられ、それが互いに顔を合わすことなく、別々のスタジオでヴォーカルを入れたものを編集で繋ぎ合わせる。80年代のポール・マッカートニーがスティービー・ワンダーやマイケル・ジャクソンとやったやつ、似たような企画だとフランク・シナトラの生前のデュエット・アルバムもそうやって作っていた。

 ところがトニーはこの製作では、デュエット相手がいるところなら、東海岸、西海岸、イギリス、ヨーロッパ、「追いかけます、お出かけならば、どこまでも」のザ・ベストテン生中継方針を貫いた。長年バックはこの人たちとしかやらないというラルフ・シャロン・トリオを引きつれ、アーティストのいる場所に押しかけて、オケを最初にとるやり方ではない、生演奏をバックに録音するという昔ながらのスタイルで作った。彼はコンサートでも、語りかけと歌を交える特徴がありますが、それがそのままCDで再現されている。”Stevie, wonderful”みたいなシャレを交えた掛け合いとか。デュエットパートナーに選ばれた若手たちは、こんな録音の仕方は初めて、と新鮮さに緊張したという。

 そう、彼は昔からスタイルを変えようとしない。

 そのスタイルは、一度は音楽業界から見放された。でも最近、なぜかまた求められ始めた。

 ペリー・コモのテレビショーからスターダムに登った彼。音楽の師匠はデューク・エリントンなど。すごい世代だ。

Tony_bennet_american_songbook  60年代には一年にアルバム3枚発売のペースを続け、ヒット曲も量産した。

 代表曲はなんといっても「想い出のサンフランシスコ」でしょう。

 ところが、ロックが全盛になり、音楽も多様化してきた70年代、彼のスタイルは時代遅れとなり、レコード契約も切られてしまう。

 この時期、私生活でも泥沼離婚を経験し、麻薬漬けになってしまった。この時期のことについて、彼は語りたがらない。

 それでも、子供にとってのよい父親として手本にならなければならないとの意識から、麻薬からは抜けられたという。

 そして90年代、スタイルは変わらないまま、再び脚光を浴びることになります。

 93年の、フレッド・アステアのカバー「ステッピン・アウト」ではプロモーションビデオに初挑戦し話題となり、アルバムもヒットし、若い世代のファンを開拓した。

 また少し時期はこれより後になりますが、ロッド・スチュアートの「アメリカン・ソング・ブック」三部作の成功など、その他もロックアーティストがトニーの世代の曲をカバーしたり、またマイケル・ブーブレやジョシュ・グローバンなど、トニーと同じジャズっぽい「クルーナー」を自称する若いアーティストが出てきたことも追い風になったのでしょう。

 95年にトニーは「MTVアンプラグド」に出演しCDも発表、グラミーの最優秀アルバム賞も受賞し、ますます若い世代のファンを獲得しました。

 80歳を超えて発表した「デュエッツ」からも判るとおり、若い世代からのリスペクトも並々ならぬものがあります。

Tony_bennet_in_the_studio  そんな彼、現在はニューヨーク、クイーンズ地区の自分の育った地域を一望できる高層マンションで、40歳以上年下の恋人スーザン・クロウさんと、趣味の絵を描きつつ悠々自適のようです。まさに「グッド・ライフ」(彼の代表曲の一つです)なんでしょうね。

 そうそう、それで、Boulevard of Broken Dreamsとは、1950年のトニー・ベネットのデビューヒットなのです。もちろんグリーンデイのものとは同名異曲。でも歌詞には同じフレーズが数箇所あります。グリーンデイのやつは、このトニーの曲ではなく、それ以前、1930年代にそういうタイトルの映画だか小説だかがあってそこからインスパイアされたのだといっていますが、トニーのその曲も結局出所は同じ、ということなのでしょう。

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2007年4月 2日 (月)

Living For the City

改編期。

新会計年度、新学期が始まり、プロ野球も始まって、テレビ、ラジオの番組も変わる。

克也さんも、長く続いた「お願い!DJ」がなくなってしまい、「ベストヒットUSA」の放送が火曜日になった。

 週末番組の印象が強いからちょっと残念ですけれど。

Ludacris_release_therapy  そういうわけで3日に放送になったベストヒットで、チャート6位で上昇中注目曲でかかったルダクリス f/メアリー・J・ブライジの”Runaway Love”について。

 今のアフリカ系アメリカ人の生活の苦境をラップに乗せた。ヒップホップの人たちがアメリカの都市部でサミットを開いて回って、意識改革を訴えていて、そんな流れで生まれたシリアスな曲だという。

 そこで思い出した曲は。

 30年前にやはり当時の黒人の苦境を歌っていた曲。

Stevie_wonder_innervisions  スティービー・ワンダーの”Living for the City”「汚れた街」。

 もう何度か取り上げたことのある、73年の名盤「インナーヴィジョンズ」からの名曲です。

 数週間前の彼の日本公演について書いたときにも触れましたが、僕が大学教師を始めた二年目、92年の4月にロサンゼルスで暴動があって、それで問題の喚起のために、授業でこの曲を聞かせて歌詞を紹介した、思い出の曲でもあります。

 ルダクリスのものと比べると、同じ苦境でも時代の変化が出てきていて面白い。

 こんな感じでした。

A boy is born in hard time

Mississippi

彼は差別の厳しい時代のミシシッピで生まれた
Surrounded by four walls that ain't so pretty

四方を小汚い壁で囲まれて

His parents give him love and affection

両親は彼に惜しみなく愛情を注いだ
To keep him strong moving in the right direction

彼を強く、まっすぐな人間に育てるために
Living just enough, just enough for the city...

街でしっかりと生きていけるように


His father works some days for fourteen hours

父さんは一日14時間、何日も働く
And you can bet he barely makes a dollar

それでもやっと1ドル稼げるか稼げないか。想像できるだろ?
His mother goes to scrub the floors for many

母さんは床磨きを何軒もはしごしてやる
And you'd best believe she hardly gets a penny

それでも1ペニー貨にもならないんだぜ
Living just enough, just enough for the city...

それでもこの街でなんとかやっていくんだ


His sister's black but she is sho'nuff pretty

姉さんは黒いけど十分に美しい
Her skirt is short but Lord her legs are sturdy

スカートは短いけど、足は丈夫だ
To walk to school she's got to get up early

学校まで遠い距離を歩いていかなくちゃ行けないから(バス乗車が拒否されるから)早起きしなければならない
Her clothes are old but never are they dirty

服は古びてるけど決して汚くはない
Living just enough, just enough for the city...

この街で生きていくには十分だ


Her brother's smart he's got more sense than many

兄さんは頭もよく、常識も人並み以上だ
His patience's long but soon he won't have any

忍耐強いけど、それでもそのうち堪忍袋の緒が切れる
To find a job is like a haystack needle

仕事探しは、まるで宝くじを当てるよう
Cause where he lives they don't use colored people

だって彼のいるところじゃ有色人種は雇わないんだ
Living just enough, just enough for the city...

それでも雇用者たちにとっちゃこの街では十分ってわけだ

His hair is long, his feet are hard and gritty

彼の髪は伸び放題、足は硬くなっている
He spends his life walking the streets of New York City

ニュー・ヨーク・シティを歩き回り続けるだけ
He's almost dead from breathing in air pollution

汚染した空気を吸って息が苦しい
He tried to vote but to him there's no solution

投票しようとしたって、そんなんじゃ解決にもならない
Living just enough, just enough for the city...

それでもこの街で何とかやっていくんだ


I hope you hear inside my voice of sorrow

僕の心から湧き出る悲しみの声を聞いてほしい
And that it motivates you to make a better tomorrow

そしてよりよい明日のために行動を起こして欲しい
This place is cruel no where could be much colder

この場所は残酷で、これ以上冷たいところはない
If we don't change the world will soon be over

我々が今、変わらなければ、世界は直ぐに終焉を迎える
Living just enough, stop giving just enough for the city!!!!

この街の状況にちゃんと目を向けてくれ

原曲は8分くらいあり、間奏部分には、ニュー・ヨークにはじめて降り立って、道を渡ろうとしたらいきなり誤認逮捕されてろくに調べも受けず10年の禁固を言い渡される黒人青年の話が寸劇で挿入されています。

この曲で描かれた時代は、貧しさ苦しさはあっても、まだ家族やコミュニティの絆が生きていたことが読み取れます。

 ところがルダクリスの曲に現れている現在のアフリカ系アメリカ人の状況とは。

ドラッグに溺れて、毎晩違う男を連れてきて、必ず喧嘩に終わるシングルマザーを見つめる少女。

義理の父親から暴力を受け、親友も路上で銃の犠牲になってしまった少女。

 麻薬とセックスの幼年化、しかし貧しくて中絶もできない少女。

 そんな10歳かそこらの女の子たちが、自分の家は地獄だといい、逃げ出していく。

 貧困に加え、暴力、麻薬、問題の幼年化、そして家族とコミュニティの絆の崩壊の点で変化が生じたことが伺えます。

Lionel_richie_cant_slow_down 最後のリクエストでかかった、ライオネル・リッチーの「オール・ナイト・ロング」も象徴的だったような気がします。

去年久々に復活し、娘も活躍するようになった彼。

80年代に最も売れた黒人男性ソロアーティストはマイケル・ジャクソンで、その次が彼でしょう。

その彼の音楽とは、「オール・・・」のようなアッパラパーなダンスナンバーか、「ハロー」のような首筋がムズ痒くなるような甘いバラード。

ディスコの時代を経て、80年代の黒人音楽とは、主流のポップスと融合、というか妥協した、ただただ聞きやすい、踊りやすいものが受け、独特のリズムや歌唱が含まれたり、黒人のアイデンティティを主張したものなどは傍流に追いやられました。スティービー・ワンダー自身も主流の路線に移ってしまいました。

それが90年代、今となって、ラップ、ヒップホップが出てきて、過激な自己主張が復活するようになる。

来年に向けて、黒人大統領候補、バラク・オバマ氏が、主流派との妥協ではなく、社会下流の主張を前面に出すことで旋風を起こしそう。

変化は周期的かもしれないけれど、今までで一番大きな波が押し寄せてくるかもしれない、そんな予感もする、新年度一発目でした。

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2007年3月15日 (木)

Abraham,Martin & John

Bobby_dvd 三回続けて映画ネタです。克也さんもここのところ、スター・チャンネルにやたら出まくっていることですし()

今回は「Bobby」。

ボビーというのは、ジョン・F・ケネディ大統領の弟、ロバート・ケネディのことです。

兄の大統領は196311月、テキサス遊説中に暗殺され、20世紀最大の事件の一つとして記憶される。



Bobby_soundtrack ケネディ家は、4人いた兄弟全員に大統領を目指す教育をしたような、アメリカの貴族。弟ロバートも兄の選挙運動を手伝い、当選後は兄の政権で司法長官に、33歳の若さで就任し、マフィア撲滅なんかに活躍し、米ソ全面核戦争の瀬戸際だったキューバ危機など外交政策でも兄の右腕となって活躍した。(こちらも。「小林克也のRadioBaka」  期限切れ遺失物移管所: My Way

兄が死んでしまった後は上院議員に転じ、そして1968年、貧困問題やベトナム戦争反対を掲げ、兄の足跡を追うべく大統領選に出馬した。ところが彼も、6月、カリフォルニア州の予備選挙で勝利した直後、凶弾に倒れてしまう。

ところがこの映画の主役は彼ではありません。それどころか彼はほとんど出てきません。動く部分は髪型がそっくりな人物が出てきますが顔は映りません。演説などは実際の当時の記録映像が流れます。暗殺犯はサーハン・サーハンというパレスチナの青年でしたが、映画には名前もクレジットされず、暗殺の瞬間に一瞬登場するだけです。ロバート・ケネディの伝記映画でもなければ、暗殺の謎解きでもありません。というか、主役が存在しない映画、といってもいいでしょう。

舞台はその暗殺があった日、現場となったロサンジェルスのアンバサダーホテルです。登場人物はそこのホテルで働いている人たちや偶然集まった人たちです。普段は生活も環境もばらばらの人たちがたまたま歴史的事件が起きる日、場所に呼び寄せられるように集まった。

電話交換手と浮気しているホテル支配人とその妻(ウィリアム・メイシー、シャロン・ストーン)、従業員としては引退したけどまだホテルに愛着を残している老人(アンソニー・ホプキンス、ハリー・ベラフォンテ)、歳の離れた女性と結婚して関係がうまく言っていない東海岸の富豪(マーティン・シーン、ヘレン・ハント)、変化を期待してボビーの選挙運動員となった青年、それに麻薬を売るヒッピー(アシュトン・カッチャー)、兵役から逃れる理由作りで余り好きでなかった同級生と式をホテルで挙げることになっていた若いカップル(エライジャ・ウッド、リンジー・ローハン)、ホテルでショーを開くことになっている売れない歌手(デミ・ムーア)、人種問題を語り合う厨房で働く黒人やメキシコ人のシェフたち(ローレンス・フィッシュバーン)、ボビーにインタビューを申し込もうと粘っているチェコスロバキアの女性記者、などなど。

観て最初に思ったことは、去年観た三谷幸喜氏の「有頂天ホテル」によく似ているなということでした。ホテルを舞台に、従業員やら客やらがいろいろな事情を抱えて絡み合うところがそっくり。「ホテル」では、それらが大晦日大パーティーで全てが繋がってきて喜劇だったのですが、「ボビー」は、ロバート・ケネディ暗殺という悲劇に収斂するのが大きく違う点でしょうか。

Diana_ross_supremes_where_did_our_love_g さっき主役なき映画、と書きましたが、強いて主役を上げるなら、1968年という時代そのものかもしれません。ベトナム戦争泥沼化にまつわるテト攻勢事件やソンミ村虐殺事件、黒人の公民権運動、暴動の激化、マーティン・ルーサー・キング牧師の暗殺、ヒッピー運動、民主党大会の大混乱、ニクソン大統領の登場、チェコスロバキアの「プラハの春」革命とソ連軍による弾圧、それらが全て起こった年でした。上に挙げた登場人物は、それぞれどこかにその背景を背負っています。それらがやはり、本命大統領候補の暗殺という象徴的大事件で、点が線となって結びついてくる。

Stevie_wonder_i_was_made_to_love_her そしてこれは、現在のアメリカにも結び付けられるのかもしれません。イラク介入後の混乱で閉塞感満ちている今、大統領候補として有力視されているのは、ロバートと同じ、前大統領の縁者で、ニューヨーク州から選出された落下傘候補*のヒラリー・クリントンです。

Moody_blues_days_of_future_past 音楽も、やはりその「主役」の68年を後押しする曲でいっぱいでした。ほとんどがモータウンの曲で、スモーキー・ロビンソン&ミラクルズ「トラックス・オヴ・マイ・ティアーズ」、ダイアナ・ロス&シュプリームス「カム・シー・アバウト・ミー」、スティーヴィー・ワンダー “I Was Made to Love Her”,マーヴィン・ゲイ”Ain’t That Peculiar”など。ロックっぽいところではムーディ・ブルースの「火曜日の午後」。サイモン&ガーファンクル「サウンド・オヴ・サイレンス」も、無断でドラムが入れられてポール・サイモンが怒ったというヒットしたヴァージンではなく、アコースティックギターのみのオリジナルのヴァージョンで、重要な場面に登場します。

Dion_abraham_martin_john 今回のタイトルに選んだ曲は映画とは関係ありませんが、ロバート・ケネディを歌った曲。「浮気なスー」など、アイドルとして売り出したDion,60年代後半にシリアスなシンガーソングライターに転進し、暗殺された解放者たち、リンカーン大統領、キング牧師、ケネディ大統領に捧げて、「僕の友達だった彼らがどこに行っちゃったか知らないかい?多くの人たちを救ったけど、突然消えてしまったんだ」と歌い、タイトルには出てきませんが、最後にボビーが登場します。

今週で公開が終わりになってしまうところが多いみたいですが、いかがでしょう?

*落下傘候補 ニューヨーク州出身ではないのに、その州の人口の多様性を当てにして立候補した余所者。

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2007年2月22日 (木)

Stevie's Wonder

またまた行ってまいりました。

スティーヴィー・ワンダー、日本縦断ツアー。

セットリストつきリポートで行ってみましょう。

6時開場7時開演予定でしたが。早く行って、ツアーグッヅを見ようとしたけど、CDしか売っていなかった。あまりミーハーなファンがいないということなのでしょうね。

開演も25分くらい遅れた。大物は待たせるなあ。

そして流れてきたのが

1 Too High

Stevie_wonder_innervisions_2 73年の金字塔的傑作、「インナーヴィジョンズ」の第一曲目がオープニングだ。僕の一番好きなアルバム、克也さんも?レコードに針をはじめて落として、あのシンセサイザーの流れるようなフレーズが流れてきたときの痺れは今でも覚えているけれど、それから始まった。何かを予感させて、

2 Visions

タイトルは違うけれど、その「インナーヴィジョンズ」の事実上のタイトル曲。このアルバムは、美しく攻撃的。その美しさの面を表した曲だが、ゆったりとした感想の間に、挨拶。「僕の心の中の映像が、いつか現実になるように。その日まで、願いを失わない。世知辛いこの世界の中で」

3 Living for the City「汚れた街」

「インナー…」もそうだし、彼のほとんどのアルバムがそうなんですけど、曲と曲の間がないノンストップ構成。ライヴもそうで、続けてそのアルバムからの最大のヒット曲。60年代の都市部の黒人の生活の悲惨さを歌った曲で、僕も大学教師を始めた年にロサンジェルスで暴動があって、この曲を授業で紹介した思い出もあります。基本的に4拍子だけどサビだけ3拍子になる、のるにはちょっと難しい曲。周りで立ち上がって踊っていた人たちが調子を崩すのを見ていておかしかった。

4 You Are the Sunshine of My Life

Stevie_wonder_talking_bookここでちょっと一休みって感じで、「トーキングブック」からの美しく楽しいナンバー1ヒット。よくライヴでは、”Though I’ve loved you for million years”のところを、”…I’ve loved Japan for…”みたいにその場所で言い換えて受けを狙ったりするんですけど、今回は何もありませんでした。

5 Higher Ground

また「インナー…」に戻って、それからのファーストシングル、レッチリもカバーした攻撃的な曲。

彼は生まれながらにして視覚がないことはよく知られていますが、実は味覚も嗅覚もないんです。でもこれは後発のもので、その「インナー…」がリリースされた直後、交通事故で瀕死の重傷を負って、九死に一生を得ますが結果、味覚と嗅覚も失ってしまった。  彼の意識を回復させるために、ずっとこの曲を流して歌わせていたそうです。

 聴覚と肌で感じる感覚しか残っていないけれど、それでも音楽ができることはすばらしいことなんだと、その後の彼は訴え続けているようです。

6 Superstition 「迷信」

7 Don’t You Worry’ bout a Thing 「くよくよするなよ」

「トーキング…」からの、ファンクの古典としても有名なナンバー1ヒットと、日本ではインコグニートのカバーで知られている「インナー…」からの最後のシングルヒット。一緒に歌っていて気がつきましたが、Daniel Powter “Bad Day”に通じるテーマを持っていたんだなあと思いました。

 ここまでは「インナー…」を中心とした三部作からの選曲が多く、個人的に期待していましたが、ここら辺を境に一挙にヒットパレードになだれ込みました。

8 If You Really Love Me

Stevie_wonder_greatest_hits_vol_2 彼の70年代の一連のヒットの最初を飾った曲。当時の奥さんだったシリータ(ライト)との共作でデュエット曲。Aメロ=サビの部分以外はゆっくりになる曲ですが、その部分をレコードより思いっきり緩く、貯めに貯めてやっていました。来日会見で「今まで演奏していた曲も違うアレンジでやります」といっていたのが徐々に出ていた。

9 Lately

10 Stay Gold

11 Overjoyed

Stevie_wonder_hotter_than_july ここら辺は日本ではCMなんかに使われておなじみの、ピアノが中心の美しいバラードナンバーが続きます。980年の「ホッター・ザン・ジュライ」、1185年の「イン・スクエア・サークル」から。11ではバレイダンサーが華を添えました。

 僕は実は「ステイ・ゴールド」とか。90年代の彼はあまり好きではありません。CD今のところもっていません。去年の「タイム・トゥ・ラヴ」は88年の「キャラクターズ」以来久しぶりに買いました。その間の時期はどうも凡庸で、丸くなっちゃって、彼でなくても書けて歌える曲が続いたような気がして。

12 Master Blaster Jammin

 「ホッター…」からの、ボブ・マーレーに捧げたレゲエの曲。すごく短く切り上げたアレンジでした。

13 I Just Called to Say I Love You「心の愛」

Woman_in_red_soundtrackシェップ&ライムライツというドゥ・ワップ・グループの50年代の大ヒット「ダディーズ・ホーム」をふざけながら歌って、この曲になだれ込みました。映画「ウーマン・イン・レッド」からのナンバー1、サビは大合唱。でも僕は個人的にはこの曲は、さっき言った、90年代の彼の凡庸化へのさきがけだったんじゃないか、なんて思っています。歌詞なんかほとんどニール・セダカの「カレンダーガール」。

Stevie_wonder_my_cherrie_amor ここらで一休みして、「みんなのヴォイストレーニングの先生になるよ」といっていろいろな声を出させて、最後に「ららら~」と言わせておいて

14 My Sherry Amor

のイントロの「ららら~」に繋げました。今回の選曲では一番古い曲。

15 Signed Sealed Delivered 「涙をとどけて」

Stevie_wonder_signed_sealeddeliverd ピーター・フランプトンもカバーした、70年のヒット。これもレコードとはだいぶ違い、メロディを前面に出したジャズ風アレンジでした。


16 Sir Duke 「愛するデューク」

17 I Wish 「回想」

Stevie_wonder_songs_in_the_key_of_lifeそろそろ佳境か。77年の名作「キー・オヴ・ライフ」からのナンバー1を立て続けに。「回想」は名古屋の人にとっては克也さんの「ビビデバビデブ」の後テーマとしてお馴染み(といってももう誰も憶えていないか)。エンディング近くでは何度もカットブレイクを入れていました。

18 Ribbon in the Sky

Stevie_wonder_original_musiquariumベスト盤 Musiquariumの中の新曲として収録された911あたりと一緒にやってもよさそうなピアノの美しいナンバー。

ここでSend One Your Love「愛を贈れば」のコード進行を生かしたラムゼイ・ルイスみたいなジャズブレイクが入って、またヴォイストレーニングが始まって、ぶるるるる、と唇を震わせて

19 Part Time Lover

Stevie_wonder_in_square_circleになだれこんだ。これはドラム、ベース、ボーカルだけで、メロディ楽器を一切使わずシンプルに、聴衆に歌わせることに徹していた。


20 So What’s the Fuss?

Stevie_wonder_a_time_to_love去年の「タイム・トゥ…」からのファンキーな先行シングル。僕がスティーヴィーをちょっと見直した曲。一番新しい選曲がこれでよかった。


21 As 「永遠の願い」

ここの記事のタイトルにもしたことがある、「キー・・・」からの中ヒットだが、ジョージ・マイケル&メアリー・J・ブライジがカバーした深遠な内容の曲。アルバムでは8分近くもありエンディングが長いが、そこを利用して大勢のバックミュージシャンの紹介。

22 Another Star

 やはり「キー・・・」からの、原曲7分以上のサンバみたいな大盛り上がりの曲。そのエンディングで、「またすぐ帰ってくるよ、Hope to see you soon!

 僕はこの曲をはじめて聴いたときからずっと、どこかのプロレスラーが入場テーマに使わないかな、と思っていました。イノキ・ボンバイエ並に盛り上がると思うんだけどな。

 そしてこの曲、基本コード進行が、Am G F E7、でベースが一音ずつ下がっていく単調の循環コード、これは日本人が最も好きなコード進行のひとつだといわれています。

「太陽にほえろ」のテーマ(タラちゃーん)、アニメ「デビルマン」のテーマ、ニッカだったかサントリーだったかウィスキーのCMソング、あとストレイキャッツの「ストレイキャットすとらっと」なんかがそうです。

そのままオーラス。アンコールはありませんでした。十分でした。お疲れ様。

「ファースト・フィナーレ」からの選曲がありませんでしたが。前半にちょっと主張をこめたけれど全般的には楽しめるヒットパレードという構成でした。

Melissa_manchester_melissaタイトルのStevie’s Wonderは、メリサ・マンチェスターがスティーヴィーに捧げた曲。Too Highをぱくったフレーズも出てきます。「スティーヴィーの素晴らしさ」を満喫した夜でした。

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2007年2月 2日 (金)

Just the Two of Us

ここのところいろいろと話題の映画が目白押しのようで。

 「硫黄島の手紙」は重かったですね。内容もさることながら、集団自決シーンには目を背けました。

 音楽にも関係していて、もう少し肩を張らずに見られる映画を見てきたので、レビューします。

 ウィル・スミス主演の「幸せのちから」です。

 原題は The Pursuit of Happyness.

Pursuit_of_happyness_soundtrack  本来ならば、lonely loneliness, empty emptinessのように、yで終わる形容詞に-nessの接尾辞がついて抽象名詞化する場合にはyiになって、happinessとならなければならない。

 映画の中では、主人公の子供が通う託児所の塀の落書きに、子供が綴りを間違えてそう書いているから、という設定ですが。

 それ以上の意味があるのでしょう。

 つまり、「寂しさ」や「虚しさ」とは違って、「幸せ」とは特別なものなんだ。happi なんてケチな変化をせずに、あくまでもhappy であってほしいんだ、と。

 そしてこれは、1776年のアメリカ独立宣言の一節から取られたもの。

 書いたのは第三代大統領にもなるトマス・ジェファソンで、「人は皆、神の下に平等に創造され、生存、自由、幸福の追求、という天賦不可侵の権利を与えられている」という有名な部分ですが。

 映画の中のセリフにも「トマス・ジェファソンはなんで「幸福」だけじゃなくて「追求」をくっつけたんだろう?幸せってのは結局、追い求めるだけで決して獲られるものじゃないって知ってたんだろうか?」なんて出てきました。

 更に起源をたどると、これはジェファソンが影響を受けたイギリスの思想家ジョン・ロックの考え方に由来するものです。ロックは、人間には自然権、今の言葉で言う基本的人権、人間として生まれたら平等に与えられている権利があり、それは、生存、自由、財産の三つである、と唱えたのです。生命を侵されない権利、自由に行動し考える権利、そしてものを持つ権利=所有権、ですが、ジェファソンは三つ目を「幸福の追求」に差し替えたわけですね。

 ただこれは、大きな意味の違いはなかったんじゃないか、とも言われているんです。つまり、言葉は変わる生き物で、200年前のhappinessは今ほど抽象的ではなくて、むしろ物質的な意味をかなり持っていたという説があります。単なる「幸せ」ではなくて金銭的な満足の意味がかなりあり、その意味で所有を言っていることとあまり大差はなく物質を獲得することの自由の意味をこめたのだ、と。その意味でやはり、「獲得を追求」するものなのだ、と。

 なんかアカデミックな香りが漂いましたが、小難しい話はこの辺にして。

 結局、映画のテーマも、この二つの意味の幸せの追求、心の満足と、金銭的な成功、の二つがあったような気がします。

 ウィル・スミス演じるのは実在の人物、クリス・ガードナー。舞台は1981年のサンフランシスコ。

5歳の息子クリストファーと、妻と暮らす、貧しい、骨密度検査機のセールスマン。

 最先端の医療機器だと思って、ベイエリアでの訪問販売を一手に引き受け、財産のほとんどをはたいて仕入れるが、医療関係者には不要のぜいたく品と評価され、ほとんど売れない。

 それで妻もランドリーで共働き。クリスは子供を託児所に送り迎え。

 この辺り、私も実は子供を保育園への送り迎えをやってるもので、ちょっと自分の姿を見てしまいました。

 それでも暮らし向きは良くならない。家賃、保育料、違反駐車の罰金が溜まっていく。

 ついに奥さんも「幸せじゃない、幸せを探したい」と家を出て行ってしまう。子供との二人暮らしが始まる。

 クリスは貧しくとも、学生のとき算数が得意だった。

 地元の証券会社のディーラートレーニングプログラムの募集を見て、算数が出来て、人当たりが良いだけが条件、とあったので、応募を決意する。そのプログラムそのものが狭き門だったのだが、たまたま人事担当者とタクシーで乗り合わせて、ルービックキューブ(81年だなあ)を6面全部そろえたことが感心され、参加を許可される。

 ところが、やはりトレーニングプログラムで、研修中の数ヶ月は収入ゼロ、しかもその後に試験を受けて、数十人の参加者のうちたった一人が正式なディーラーとして採用されるのだという。

 無収入の間、ついにアパートから追い出され、子供と一緒に、教会で寝泊りしたり、その教会が他のホームレスで満員になってしまったときは、地下鉄のトイレに鍵をかけて一夜を過ごしたりした。

 そんな逆境にもめげず、研修をまじめに受け、持ち前のがんばりで、顧客を増やしていく。

 そして、最終試験日。クリスはディーラーに選ばれるのか?。。。

 結末はぼかしましたが、まあほとんどネタバレですね。すみません。 

これだけの映画です。普通の映画といえるでしょう。

それでも、僕自身を含めて、同世代で父親をやっている男にとっては、結構、自分を重ねられて、じわっとできるかもしれません。

Will_smith_men_in_black_iiWill_smith_wild_wild_west「インディペンデンス・ディ」以来、「メン・イン・ブラック」「ワイルド・ワイルド・ウェスト」「エネミー・オヴ・アメリカ」「アイ・ロボット」など、SF,アクションなどで破天荒な役を演じるイメージのある彼。

Hitch_soundtrackそれでも、ここのところ、謎の旅人を演じた「バガーヴァンスの伝説」とか、恋愛コンサルタントを演じた「最後の恋の始め方」とか、普通の役柄にもぼちぼち挑戦してはいましたが。

彼自身も映画を製作するようになり、そして自らが主演して、実在の普通の男を演じる。しかも愛情あふれる父親を。これでまた彼は芸の幅を広げたような気がします。              

George_benson_breezin

音楽も、70年代までのソウルを中心としたちょっと渋い曲が効果的に使われていました。


Stevie_wonder_innervisions_1Joe_cocker_ultimate_collection_1ジョージ・ベンソンの「マスカレード」(Are you really happy here…?ではじまるから)、スティービー・ワンダーの「ハイヤー・グラウンド」”Jesus Children of America”(ともに彼の最高傑作「インナーヴィジョンズ」からの選曲だ)、ジョー・コッカー「フィーリン・オーライト」などなど。

 一番話題なのが、子供のクリストファー役を、ウィルの実子のジェイデン・クリストファー・サイヤ・スミスが演じていることです。親子の役を親子で共演してしまった。実際の親子ならではの息の合った自然さは出ていました。

Grover_washington_jr_winelightWill_smith_just_the_two_of_us Just the Two of Us、たった二人だけ、82年のグローヴァー・ワシントンJrとビル・ウィザースのコラボによる大ヒット曲で、邦題「クリスタルの恋人たち」(うわー、前長野知事さん)。

 ところがウィルは2000年、この恋人同士の語らいの曲をサンプリングして、タイトルもそのままで、子供が生まれた嬉しさをラップに重ねて大ヒットを出しています。

 「この子は将来何になるかな、将軍か、博士か、はたまたラッパーか?」

なんて一節がありましたが、ラッパーではなく俳優という部分で、親を継がせようとしています。彼の親バカはすでにこの時から始まっていたんだな。

 次回作(映画ですが)では、やはりウィルのプロデュースで、今度は愛娘を女優デビューさせるんだそうです。

 「幸せのちから」は全国公開中。いかがですか?

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2006年5月25日 (木)

You Haven't Done Nothing

恐ろしいタイトルで始まりました。

521日は、1962年、12歳のリトル・スティーヴィー・ワンダーが「フィンガーティップス」をライヴ録音した日ということで、「エド・サリバン・ショー」に出演した時の映像が流れました。

 「エド・サリバン・ショー」は今話題のGyaoでも観られますし、今度DVDシリーズが発売されるとのことで。そんな映像が残っていたんですねえ。

Stevie_wonder_early_classics_ 「フィンガーティップス」は、ポップスヒットチャート史上、ナンバー1ヒットとしては最年少記録であると共に、ライヴ録音のシングルレコードとして最大のヒット曲という記録も持っています。二つとも40年以上破られていない。

 克也さんも、その後のスティーヴィーの成長のことを「ちょっと力が入った」状態で熱弁されていらっしゃいました。

Stevie_wonder_uptight それから4年後の66年の”Uptight”の頃には声変わりも終わって、ほとんど今の声に近くなっていました。

 克也さんもおっしゃっていたように、彼が偉かったのは、かなり早い段階でモータウン。レコードからセルフ・プロデュース権を獲得していたところ。

Martha_vandellas_thev_ultimate_collectio 60年代のモータウンは、よく言えばいわゆるモータウン・サウンドとしてスタイルを確立しており、悪く言えば没個性状態。ベリー・ゴーディJrの徹底的な管理体制が築かれ、あたかもデトロイトの自動車産業の大量生産体制のように、音楽のスタイルを統一規格化していた。ヒット曲を量産したが、詩の内容はティーンエイジャーの日常や他愛のないラブソングが中心(マーサ&ヴァンデラスDancing in the Streetあたりは例外か?)、リズムもあの独特のやつが中心で、ブラック・バブルガム・ミュージックと呼んでもいいものだった。アーティストの個性を際立たせるものでは決してなく、よく言えばブランドのスタイルが確立したものであったが、どれも似たような感じであったこともまた事実。

Edwin_starr_the_very_best_of そんな中、60年代に黒人が経験した公民権運動やベトナム反戦が音楽にも影響し始め、ニュー・ソウル・ムーブメントが巻き起こります。彼らの音楽にも社会的な主張が強くなってくる。モータウンにもノーマン・ホィットフィールドのようなソングライターが台頭し、エドウィン・スター”War” 「黒い戦争」テンプテーションズ”Ball of Confusion"なんていう骨太のヒット曲が出るようになる。

Stevie_wonder_innervisionsMarvin_gaye_whats_going_on_1 そんな中で、スティーヴィーもシンセサイザーに目覚め、克也さんの一押し、社会的な攻撃性と美しさの混じり合った名盤 Innervisionsを発表し、都市部の黒人の生活の悲惨さを歌った”Living for the City”「汚れた街」が大ヒットを記録する。その少し前に、先月書いた、マーヴィン・ゲイ”What’s Going on?”の発表があり、やはり社会性を帯びてきたマーヴィンの音楽と、それを気に入らなかったゴーディとの軋轢が始まります。

 同じ時期、モータウンは音楽の変化以上の変化を経験する。モータウンとはmotor townつまり自動車産業の町デトロイトのことなのに、72年、本拠地をデトロイトからロサンゼルスに移してしまう。

Billy_joel_storm_front アメリカの経済の中心が西海岸に移っていく現象を象徴するかのような出来事で、ビリー・ジョエルの、戦後の出来事をラップみたいにして並べた”We Didn’t Start the Fire”「ハートにファイア」の歌詞の中にCalifornia baseballと出てくる、1958年のブルックリン・ドジャーズが西海岸の会社に買収されてロサンゼルス・ドジャーズになってしまったことがニューヨークっ子にとって大ショックだったのと同じように、モータウンレコードの移転で、デトロイトは死んだ、と言われました。

Various_artists_hitsville_usa また更に同じ時期、モータウンの古参だったフォートップス、グラディス・ナイト&ピップスなどが、管理体制に嫌気が差したのか、独自のスタイル追求のために次々とレコード会社を移籍する。

 また、そのように変化していくモータウンに対して、本当のモータウン・サウンドを追求するべく、モータウンのソングライターチームだったHolland-Dodger-Hollandは、デトロイトに残り独立レーベル Invictus/Hot Waxを立ち上げる。

Jackson_5_the_ultimate_collection この70年代初頭、ジャクソン5は、4曲連続のナンバー1を放ち、モータウンレコードの新たな顔となります。ベストヒットUSAのタイムマシーンのコーナーで、やはりエド・サリバン・ショーからの映像でジャクソン5が流れました。奇しくも同じ12歳の折のリトル・スティーヴィーとマイケル・ジャクソン。同じようなバブルガムっぽい印象を受けましたが、その間の10年近い隔たりはそれだけの変化を経ていたのでした。逆に言えば、ジャクソン5はゴーディの管理バブルガム路線の最後の踏襲者だったのかもしれません。しかしそのジャクソン5も、70年代半ばにはディスコやフィラデルフィア・ソウルからの影響がより濃くなります。

Stevie_wonder_fullfinlingness_first_fina そんなスティーヴィーとジャクソン5が出会ったのが、74年スティーヴィーのFulfillingness First Finaleという、やはり美しく攻撃的なアルバムの中の”You Haven’t Done Nothing”「悪夢」という曲。シングルとしても全米1位になっています。ジャクソン5はバックコーラスに招かれてdoo wopと繰り返すだけですが、これもスティーヴィーの当時の社会性を顕にした、ウォーターゲート事件を批判した曲。ニクソン大統領を、御託並べるだけで何もやってないじゃないか、と当時の雰囲気を代弁したような曲。とがっていた頃のスティーヴィーには、この「悪夢」をはじめ、「迷信」「回想」「疑惑」といった、漢字二文字の邦題がよく似合っていました。

Cars_heartbeat_city そうそう、それから、リクエストコーナーでCars “You Might Think”が流れました。初期のMTVビデオアワードに輝いただけあって何度観ても楽しく斬新なクリップですが、時間がなかったのか、Rick Ocasekが蝿になって女の子に近付いていく部分まで流れなくて残念でした。

 克也さんは触れられませんでしたが、その筋ではこのカーズの再結成、相当話題になっています。といっても、”Drive”などでリードヴォーカルをとっていたBenjamin Orr2000年に他界、リーダーだったリック・オキャシックも参加は見合わせたという。オリジナルメンバーで残っているのはギターのElliot Easton、キーボードのGreg Hawkesのみ。

Todd_rundgren_todd それで誰がフロントマンになったかというと、なんとあのトッド・ラングレン!!!

 そして彼のプロデュースしたバンド、ユートピアからベースのKasim Sultonを連れてきて、ドラムは元TUBESPrairie Princeという布陣だという。

 現在、ブロンディとのダブルヘッドライナーでアメリカをツアー中。

 バンド名もThe Carsではなく The New Cars。トッド・ラングレンはカーズのヒット曲をどれだけ歌っているのか?彼自身の曲はどういう扱いを受けているのか?それ以上に、どういう音になっているのか?

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2005年10月19日 (水)

As

B0001msgx001_sclzzzzzzz_ 1016日放送のZIP HOT 100ではスティービー・ワンダーの曲が二曲ほぼ連続でかかりました。「今日は何の日」で、19761016日にちょうど、彼の名作アルバム「キー・オヴ・ライフ」が発売されたとのことで、その中からの全米No 1ヒットの Sir Duke「愛するデューク」が、続いて80位にニューエントリーした From the Bottom of My Heartが。

70年代のスティービーは音楽的に脂の乗り切った時期でしたが寡作で、アルバムとアルバムの間の期間がやたら長く、よく無期限延期になっていたりしていて、この「キー・オヴ・ライフ」もその前の「ファースト・フィナーレ」からほぼ3年ぶりだったりしたので、克也さんは、スティービーのニューアルバム、A Time to Love も発売無期限延期、と思わず口を滑らせてしまいましたが、実は今月18日オン・セールでした(笑)。確かにファーストシングルの So What the Fuss?が今年の初めに出て、そのときアルバムが同時リリースと聞かされて、それから相当待たされたわけですが。

彼のその活動ペースの原因とは・・・

ちょうど、その前日15日のSMA-Station 5 で克也さんナレーションで黒澤明監督の特集をやっていて、矢の集中攻撃を受けるシーンは実際の矢を使った命懸けの撮影だったとか、関係ない民家の屋根が邪魔だからわざわざ取り壊させたといったエピソードが紹介されていましたが。

その黒澤とスティービーを結びつけるものが、分野は違えども、完全主義、だと思うんです。

スティービーの関係者が、ひどい冗談なんですが、こんなことを言ってました。「スティービーのレコードを出したかったら、彼が亡くなればいいんだよ。お蔵入りになっている音源が山ほどあって、彼がリリースのOKを出さないんだから」

実際彼は時間さえあればスタジオに篭って曲作りか録音をやっている。Char(竹中尚人)もスティービーに会った時、君もミュージシャンか、一緒に何かやろう、と無理やりスタジオに入れさせられてジョイントをやったとのこと。

そんな感じで貯めに貯めた曲がゴマンとあって、その中から選びに選んだのが、数年間の一枚としてリリースされる。その過程が彼の時間の秘密だったようです。

B00004szwd01_sclzzzzzzz_ 「キー・オヴ・ライフ」も、その完全主義の賜物で、美しい曲あり、精神的な曲あり、過激な曲ありですばらしい作品で、グラミーの最優秀アルバムにも輝きましたが、全演奏時間が106分で、LP二枚に17センチのシングル盤の大きさの33回転のボーナスが一枚と他に類を見ない長さと形態で、確かLP一枚2,300円の時代に5,000円の値段が付いていたと思います。B00006329w01_sclzzzzzzz__1

B000000hkv01_sclzzzzzzz_      

ソウルミュージックのみならずポップスの歴史全体を変えた名作で、その影響は今も色あせません。3年前はTAKE6がスティービー本人をゲストフィーチャーして、「キー・オヴ・ライフ」の第一曲目Love’s in Need of Love Todayをカバーして、グラミーの最優秀R&Bグループパフォーマンス賞を受賞するし、95年にCoolio Pastime Paradiseをサンプリングネタにした Gangsta’s Paradiseをヒットさせている。これらが70年代当時はシングルヒット曲ではなく単なるアルバムカットだったことを考えると、その影響の大きさがわかるというものです。

B00004vy5f01_sclzzzzzzz_ ポップスの歴史に残る名盤の製作過程をインタビューと資料映像で振り返るDVDシリーズが出ているのですが、「キー・オヴ・ライフ」もあります。Isn’t She Lovely「可愛いアイシャ」の冒頭の赤ちゃんの鳴き声は実は愛娘アイシャのものではないこと、間奏のハーモニカソロは実はスティービーがミスった本来ならボツのテイクが使われていたこと、曲の終わりの挿入でアイシャは beat me ぶってちょうだい、と言っていたことなんかがわかって面白いです。そのアイシャ、成長して、ニューアルバムでは彼女の歌声をフィーチャーした曲が二曲収録されているとのこと。まだシングルになった So What the Fuss?と From the Bottom of My Heartしか聞いてませんが、甘いバラードばかりだったここのところのスティービーとは違って原点に回帰しているようで、ちょっと期待です。

B00004sf1301_sclzzzzzzz_ 克也さんが以前名古屋でやっていたテレビの情報バラエティ「ビビデバビデブ」で、エンディングテーマに、I Wish「回想」が使われていましたが、克也さんも何か思い入れがあるのでしょうか。この「回想」はウィル・スミスの「ワイルド・ワイルド・ウェスト」のサンプリングネタでもありました。

B00000ilm901_sclzzzzzzz_ 今回のタイトルAs「永遠の誓い」もこのアルバムからのシングルヒットで、最近ではジョージ・マイケルとメアリー・J・ブライジがカバーしました。7分以上の演奏タイムの、歌詞も、「イルカが空を飛んでオウムが海に住む日まで、母なる自然が役目を終える日まで、僕が君になって君が僕になる日まで、夜が昼になって昼が夜になる日まで、僕は君を愛し続ける」という壮大な曲で、間奏のエレキピアノソロをやっていたのが克也さんも会ったばかりのハービー・ハンコックでした。

B000009cmk01_sclzzzzzzz_ 因みに「キー・オヴ・ライフ」では、ジョージ・ベンソンや、後に Maniacという曲を映画「フラッシュダンス」からヒットさせる Michael Sembelloなんかがバックミュージシャンとして参加しています。あとライナーのブックレットにスティービーが謝辞を捧げている人たちの長いリストがありますが、中に兄弟デュオ、ブレッド&バターの岩沢幸矢さんの名前があったりして、ちょっとうれしかったです。

さて、このAsという曲、BreadIfと並んで、一単語二文字のタイトルで、チャートに入った曲としては二番目に短いタイトルの曲です。更に短い一単語一文字タイトルがあるのですが、それは誰のなんと言う曲でしょう?

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