コンサート・ライヴ

2010年9月23日 (木)

Take It Easy~All I Wanna do

またまた続くライブリポート。

 ジャクソン・ブラウンとシェリル・クロウのダブルヘッドライナー。

 しかもあまり大きくない場所で。これは楽しみです。俺が一番得意なシンガーソングライター、ウェストコースト、Hot ACのジャンルで。

ジェイムス・テイラー・トリビュート・コンサート [DVD]

 この二人が正式に同じステージに上がって同じ曲で最初に共演したのは、僕の知る限り、2006年、ジェームス・テイラーへのトリビュート・コンサートでした。ジェームスの音楽活動開始何周年かをかねて、その前年のハリケーン・カトリーナでの被害救済のために意を一つにしたアーティスト団体 Music Caresのイベントでもありました。ディシー・チックス、ボニー・レィット、スティング、インディア・アリー、アリソン・クラウス、キース・アーバン、ブルース・スプリングスティーン、デヴィッド・クロスビー、キャロル・キングらが集合し、ジェームスの曲をそれぞれの解釈で演奏しました。ジャクソンとシェリルは「メキシコ」を演りました。ここに集まったアーティストたちの中で、ジャクソン、ジェームス、ボニー・レィット、ブルース・スプリングスティーン、デヴィッド・クロスビーが、1979年、原発反対のために集まったNo Nukesに参加した人たちと被っています。シェリルは2008年大統領選挙での民主党大会でもステージに上がったし、政治的なスタンスのうえでも二人は共通点があるのでしょう。シェリルはジェームスに、「あなたの音楽は私の人生を変えました」と言っていましたが、同じ世代のジャクソンに対しても同じようなリスペクトがあるのでしょう。

 最初はジャクソンでした。これは、小生にとっては、エー、ウソだろ、って感じでした。てっきりジャクソンのほうが後だと思っていました。でも考えてみたら、いくらベテラン、西海岸が最も西海岸らしかった頃の西海岸を背負って立っていた孤高の男にしてみても、ヒット曲の数ではすでにシェリルに抜かれていて、より今に近い分、シェリルのほうがお馴染み度も深いか。

 1年前、前回来日時にベストヒットにも出演、克也さんも直にインタ。それを横目で見ながら行きましょう。

Jackson_browne_setlist

 その1年前に登場した時、またそのときの新譜「時の征者」のジャケットのようなヒゲ面ではなくさっぱりしていました。

Time the Conqueror (Dig)

 いきなりその、「時の征者」の2曲から始まりました。「“Time is on my side”から始まるけれど、今の時代には僕は明らかに後れている。これは子供の頃の夢をイメージして作った曲だ」と言っていました。

Jackson Browne

 それ以降は70年代の、内省的な曲を書いていた時代の曲が5曲続きました。ジャクソンもギターから中央に持ってこられたキーボードへと移ります。72年のファースト・アルバムから、”Rock Me…””Fountains of Sorrow”, ”Late…”74年の名盤”Late for the Sky”から。このアルバムには、No Nukesで歌われた”Before the Deluge”,ニコレット・ラーソンの追悼コンサート(これもNo Nukesに参加したアーティストがかなり被っていました)で歌われた” For a Dancer”なんかも入っていました。

Late for Sky

ジャクソンは前々回の来日ツアーではギター一本バックなしで、事前セットリストなし、全て客席からのリクエストに答えるという形式のライヴをやっていたので、その時を憶えている人がいたのか、この辺りであれを演れこれを演れという声がやたらかかり、ジャクソンは「そんなにIf It Makes You Happyが聴きたいかい?」と笑いを取ったり。でもリクエストに答えてセットリストにない”Sky Blue and Black”の一節を短く挿入しました。

For Everyman

“These Days”, “Take It Easy”はセカンドアルバム”For Everyman”収録。”Take...”はジャクソンはファーストアルバムの以前にハコが出来ていて彼のデビューシングルになるはずだったがどうも当時の彼に似合わない垢抜けた曲で、曲のフィニッシュが巧く決まらず後回しにされた。それをグレン・フライに持っていったところ、グレンは「アリゾナ州ウィンズローはいい景色だな」以下の歌詞を加え、EEaasYYYと最後を伸ばすコーラスをフィニッシュにして曲を完成させて、先に彼の新しいバンドが取り上げてしまった。あとはご存知のとおり。

ここでステージが真っ暗になり、”Lives…”ベストヒットでビデオが流れた”For America”も収録された86年のアルバムのタイトル曲。インタでは「時間が経過するにつれて、周りの人間が変わっていくし、その人たちの音楽の好みも変化するし、自分の好みも変化する」と言っていました。80年代前半は、初めて”I love you””というフレーズの入った曲を書いたり、青春映画のサントラに”Somebody’s Baby”を入れてシングルヒットを出したりちょっと軟派になりかけましたが、この”Lives…"あたりから音楽性も変化させつつ政治性を前面に出し始めました。

Naked Ride Home

それから、2002年の Naked Ride Home からの“About My Imagination”、「時の征者」からの”Givin’ That Heart Away”と新らし目の曲が続きました。

孤独なランナー

そして、第一部の幕、ライヴアルバムだけど全部新曲だった78年「孤独のランナー」からの”Love Needs…”76年の名盤の表題曲”Pretender”、そしてその「孤独のランナー」で盛り上がってジャクソンのパート終了。

Pretender

こうしてみると、ヒット曲の数はそれなりにあるのに、彼自身のヒット曲は「孤独…」のみ、あとは全てアルバムカット。でもみんなが知っている曲でライヴが成立してしまう。やっぱり彼の音楽はキャリアを通じてヒットチャートとは別のところにあったんだなあ、と再確認できました。

あれ、でもいくらなんでも、あの曲を演ってないなあ。

バックのギターは、80年代以降の西海岸を支えていたマーク・ゴールデンバーグでした。

さて、20分の休憩を挟んでシェリル登場。

これはもう、彼女のベストアルバムを生で聴いている感じのヒット曲のオンパレードでした。

Sherryl_crow_setlist

もう1990年代もオールディーズなのかな。

告白すると、個人的には90年代前半の数年間、本職を得るための修行をしていて音楽に少し弱くなっている時期(ベストヒットも中断しちゃったし)があるのですが、彼女はその直後に出てきました。それでも”All I Wanna Doを聴いて、これは何だろう?と思ったものですが、今にして思えば、彼女が正統な西海岸の後継者だったんですね。 

印象に残ったのは彼女の器用さです。彼女は曲によってアコギ、エレキをころころ換えたりベースを演ったりしてました。

Sheryl Crow

ジャクソンもジョークで言っていた”If It Makes You Happy”でいきなり始まりました。セルフタイトルの二枚目で、ロックっぽい彼女を印象付けた。

Tuesday Night Music Club

デビューアルバムTuesday Night Music Clubからの“Can’t Cry Anymore”

2年前と比較的最近のアルバムDetourからの”Love is Free”

Detours

三枚目「グローブ・セッションズ」からの”My Favorite Mistake”

ベスト盤のための新録音、キャット・スティーヴンスのカバー、ロッド・スチュアートもヒットさせていた”The First Cut is the Deepest”

The Globe Sessions

ディズニーのアニメ映画「カーズ」に提供した”Real Gone”

同じく映画Bee Movieのサントラで録音したビートルズの”Here Comes the Sun”.

と、バラエティが富み且つ耳馴染みのある曲が続きます。

ファーストアルバムからの二番目のヒット、”Strong Enough”。そういえばこの曲のアコギやマンドリンを聴いて、ある程度この人の方向性がわかってきたように憶えています。

「みんな、ブラックベリー持ってる?そのうち、みんなの頭の中にチップが埋め込まれる時代が来るんじゃないかしら、と思って作った曲よ」とMCが入って”Good is Good”

いよいよ盛り上がってきて、「これはちょっと古いけどね」と言われて”All I Wanna Do”1994年ってそんなに古いか。あ、もう16年も前か。「これはディスコでもカントリーでもないわ。ここはLAよ」のせりふで始まる、LAはお決まりで「ナゴヤ」に置き換えられました。

“Soak Up the Sun,” “Everyday is a Winding Road”もうこのあたりになると注釈を付けようとするほうが馬鹿ですね。

ザ・ヴェリー・ベスト・オブ・シェリル・クロウ

最後”I Shall Believe”。ファーストアルバム最後に収められていた曲でシングル曲でもなくかつてはライヴでもあまり演奏されなかったものが、ベスト盤に選曲されていて意外だと思われましたが、ここにジャクソンに通じる彼女の政治性が見え隠れするのですね。平和を希求する曲。

ここでいったん引っ込み、再びシェリルのバンドが出てきて、「ジャクソン、出てきて!」と呼びました。メガネをかけてジャクソンも再登場。シェリルが「(ある意味で)ジャクソンの曲を一緒に演るわね」とMC。それでさっきの、まだ出てきてなかったあの曲が始まりました。”Doctor My Eyes”。ただしオリジナルとはかけ離れたロック食の強い現代的なアレンジでした。それが「ある意味で」だったんですね。

そして最後も二人でやった”Peace Love and Understanding”は、ニック・ロウ作、エルヴィス・コステロが取り上げた曲。シェリルは去年エルヴィスと共演して感銘を受けたようです。

という、私にはとてもうれしい一夜でした。

それにしても、ジェームス・テイラーよ。日本の一極集中に毒されていないか?なぜ東京、横浜でしかやらないのだ?せめて大阪には来い。君の弟リヴィングストンは名古屋くんだりまでやってきて、たった60人の前で歌ったんだぞ。

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2010年3月 3日 (水)

Hang’em High

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「やつらを高く吊るせ」でお分かりの方はお分かりでしょうか。それにしても物騒ですねえ。

 ライブリポートです。基本的に古いアーティストのものが多いですが今回のは一番古いかもしれない。でも、一番新しいかもしれない。

 ブッカー・T・ジョーンズです。

 もうキャリアはかれこれ50年、影響を受けたアーティストは世界中に散らばっているでしょう。

 サザン(メンフィス)ソウルの中心だったスタックス・レーベルのそのまた中心だった人。素朴だけど力強いオルガン奏者。

 バックバンドだったMGsにはギターにスティーヴ・クロッパーがいたことでも知られている。スティーヴは映画「ブルース・ブラザース」の音楽を担当し、自らもブッカーと一緒に冷やかし出演している。

 でも、最近ではアウトキャスト“Hey Ya!”の独自の解釈でカバーを発表しているし、2007年にはグラミーの生涯功労賞(いわゆる殿堂入り)を、そしてこの間の2010年のグラミーでは新譜Potato Hallで最優秀R&Bインストロメンタルアルバム賞を受賞し、今なお精力的に活動中。

 その彼のライブ、例によってセットリストを強請りましたが、

Booker_t_setlist

 

これはセットリストというよりいつでも演奏できる準備万端曲リストといった感じで、順番、選曲とも全く違うものでした。

 バックが初めに出てきて“Hey Ya!”のフレーズを演り、それに乗ってブッカー登場。

 小さなライブステージ、ブッカーは向かって左端の木製オルガンに腰を据えます。

 上のリストの一曲目ではなく

 1“She Breaks”,2 “Warped Sister,” 3“Green Onions”の順で始まりました。

 GreenはMGsの代表曲の一つ。彼のオルガンのスタイルは変わっていません。ボロく見えるオルガンで、多少の和音を交えたシングルノートを淡々と奏でます。インストで、なおかつ彼みたいに独特のスタイルを持っている人の曲は説明しにくいですね。とにかく皆さん一度は耳にしたことある曲でしょうけれどね。

 ここでライブ主催会場からのサプライズ、今回のグラミー受賞を祝して彼の似顔絵がクリームで模られたケーキが披露されました。間近で見られた小生も含めてオーディエンスは大笑い、本人は照れ笑い。

 ここで彼はオルガンから立ち上がりステージ中央に移動しアコースティックギターを手にしました。ヒットしたのはオルガンインストばかりですが、彼はギターもやるし、歌もうまいんです。

 4曲目は”Born under a Bad Sign”。スタックスの代表的な男性シンガーの一人、アルバート・キングがオリジナル。クラプトンも大好きでクリームのカバーでもお馴染みかもしれません。作詞作曲はブッカーで、アルバートのバックもMGsがつとめました。

 リタ・クーリッジも無名時代にブッカーのプロディースの下でカバーしていて、ライブでも必ず取り上げます。そのリタが同時期、バックコーラスで参加していたStephen Stills “Love the One You’re with”。「愛する娘が遠くに行っちゃったなら、隣にいる娘とやっちゃいな」という、ヒッピー文化賛歌みたいな内容でも有名ですが、イントロと間奏ではいるかっこいいオルガンソロでも知られている。このオルガンを弾いていたのもブッカーなんですね。そういう西海岸系の人たちからもリスペクトを受けていますし、他にもいろいろなセッションに参加しています。

 5曲目”Ain’t No Sunshine”。故ビル・ウィザーズの71年のヒット曲、書いたのはビルですが、アルバム全体をプロデュースしていたのがブッカーで、バックはMGsでした。これもグラミーの最優秀R&B楽曲賞を受賞している。”I know, I know…”20回くらい繰り返すことで、同じフレーズが繰り返される最多回数ヒット曲、という珍記録も持っています。もう10年以上前になりますか、ジュリア・ロバーツ、ヒュー・グラントの「ノッティングヒルの恋人」でも、大スターのジュリアに会えないヒューが雨降る夜道をとぼとぼと歩く場面で効果的に使われていました。

 6曲目”Jamaica Song”はブッカー自身のギター、ヴォーカル曲として最も知られているもの。

 7曲目”Take Me to the River”。あのトーキングヘッズのデビュー曲としてつとに有名ですが、オリジナルはアル・グリーン。トーキングヘッズのデビューのときは、トーキングヘッズがアルの曲をカバーし、アルのアルバムにトーキングヘッズが曲を提供するというバーターをやったことで話題になりました。この曲はブッカーとは直接の関係はないようです。アルもメンフィスを中心に活動していましたが、スタックスではなく、もう一つの

流れを作っていたハイ・レーベルにいました。まあメンフィスソウル繋がりということで。

 8曲目、”Dock of the Bay”。出ました。オーティス・レディングの大ヒット。これはオーティスとスティーヴ・クロッパーの共作曲です。曲終わりはあの有名な口笛でオーディエンス全員参加。

 ここでまたオルガンに戻り、例のグラミー受賞アルバムの表題曲 Potato Hallが始まりました。やっぱりスタイルは変わっていない。彼のヒット曲の一つに”My Sweet Potato”というのがあり、それへの自らのアンサーソングといった感じです。3曲目の”Green Onions”には”Mo’ Onions”という曲があり、やはり南部の農作物への拘りがあるのでしょうか。Potatoには恋人の意味もありますけどね。

 ここから終わりまで11 “Soul Limbo”, 12 ”Hip Hug Her” ,13 “Hang’em High”, 14 “Time is Tight”と怒涛のごとく彼の代表曲が続きました。

 12は萩原健太さんがNHK-FMで長く続けた夜、夕方のオールディーズ番組のしゃべりのバックに使っていた曲。

 13 「やつらを高く吊るせ」とは同名のクリント・イーストウッド主演の西部劇のテーマ、マイナーコードが日本人好みでかっこいい。絶対聴いたことありますよ。「あ、あれだ!」って。

 いったんブッカーだけ引っ込みましたがバックは引っ込まず、ブッカーは再登場。オルガンではなく再びアコギを持ってステージ中央に来ます。

 アンコールは”Hold On I’m Coming”でした。Sam & Daveのあの曲。これもスタックスから出ていたレコードでした。曲を書いたアイザック・ヘイズもスタックス出身。バックもMGsでした。

 「この曲は『キヨシロ』に捧げる」と言って、曲の途中でも何度も「キヨシロ、キヨシロ」と叫んでいました。筑紫さんを追うように癌で逝ってしまった忌野清志郎、このサム&ディヴ、オーティス・レディング、そしてブッカーらスタックスのサザンソウルをこよなく愛していて、ブッカーとも親交があったようです。自分をリスペクトしてくれた彼に哀悼をこめて。

 ちなみに小生、忌野さんと誕生日が同じです。他にマーヴィン・ゲイ、レオン・ラッセルの誕生日でもあります。何か共通点はあるかな?

 終了後のサイン会、お疲れ、汗を拭き拭きながらもニコニコして応じてくれました。気のいいお爺ちゃんって感じ。あれ?克也さんよりもちょっとだけだけど若い。意外だなあ。

p.s. ベストヒットのスタッフの皆さん、ジェームス・イングラムはクィンシー・ジョーンズの『愛のコリーダ』(原題The Dude)アルバムの中の”Just Once”, “One-Hundred Ways他でリードヴォーカルをとっていますが表題曲「愛のコリーダ」には直接関わっていません。まあ、そんなことは百も承知でバックに流していたのかな。

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2009年12月16日 (水)

GET READY!

Gold

 あんまり間をおかずに行きましょう。

またまたライブリポートで、今回も懐かしや、テンプテーションズ。

正確に言うと、テンプテーションズ・レビュー。

以前にも、ジェファーソン・スターシップとか、アース・ウィンド&ファイアとか、エイジアとか、長くやってると人間関係がいろいろ複雑になり、バンドに出たり入ったりで、もともとは同じバンドだったものが枝分かれして南北朝時代みたいに本流と傍流が並存しているグループについて取り上げたことがありました。

実はこのテンプテーションズもそうなっているんですね。

本家テンプテーションズと、今回観たテンプテーションズ・レビューが並存している。

1960年代、フォートップス、スピナーズらと並んでモータウンの男性コーラスグループの柱と言われ、その中でも最もヒット曲が多く、そのフォートップスやスピナーズが70年代になってモータウンを見捨てて移籍して行ったしまった中、テンプスのみモータウンへの操を守り続けた。

しかしその分、メンバー交代も多かった。曲のキーによってリードヴォーカルも代えることができ、それでエゴのぶつかり合いもかなりあったという。

そんな中で、メンバーはどんどんソロになって、それなりにヒット曲を出していくようになる。

でも、オリジナルメンバーで主要だった人たちは今、殆ど鬼籍に入ってしまった。

エディ・ケンドリックス。

デヴィッド・ラフィン。

ポール・ウィリアムス。

メルヴィン・フランクリン。

1961年の結成以来、現在までテンプテーションズの看板を守り続けているのはオーティス・ウィリアムスのみ。

ところがこのオーティス、そんなテンプスの中で唯一、リードヴォーカルが取れないメンバーだった。

それで今の本家テンプテーションズは、オーティス以外90年代以降に入った人たちばかりでやっている。

Psychedelic Shack / All Directions

これに対して、テンプテーションズの名前を法的に使用できないからテンプテーションズ・レビューとしてやっている方を率いているのはデニス・エドワーズ。”Ball of Confusion” “Papa Was a Rolling Stone”などの大ヒットでリードヴォーカルをとり、70年代になってファンキーになった時期のテンプスを支えた人。

それに加えて、オリジナルメンバーのポールの遺児、ポール・ウィリアムス、ジュニアが入っていました。その意味で音楽的にもメンバーの血の流れの上でも、こっちのレビューのほうがよほど正統性を主張できるのではないか。

Look What the Lord Has Done

それはさておき、70年代を中心としつつも60年代から80年代まで30年間のテンプスの歴史を一瞥できるステージを見せてくれました。

Temps_setlist

 82年の、今は亡きリック・ジェームスの呼びかけで再結成し、彼のプロデュースを仰いだファンキーな”Standing…”から始まりました。

Live at the Apollo

 そして60年代に戻ったメドレー、”Get Ready”から。85年にホール&オーツがアポロ・シアターでのライブでエディ・ケンドリックスとデヴィッド・ラフィンをゲストに呼んでこの曲をカバーしてヒットして、それと同じことを同年の、世界数箇所で同時に行われ世界中に中継されたUSA for Africaをうけての「ライブ・エイド」で同じことをやったの、憶えている人、どれくらいいるでしょうか。

 このメドレーの中で、”Papa was a Rolling Stone”が早くも出てきてしまいました。代表曲をもう出しちゃっていいのかな。って感じ。

20th Century Masters: Millennium Collection

 その次に意外でしたが”Rainy Night in Georgia”はトニー・ジョー・ホワイト作、ブルック・ベントンという、50年代から活躍していたサザン・ソウルの人が70年に大ヒットさせた渋い渋い曲。以前はクラシックしか聴いていなかった若山玄蔵さんがいわゆる洋楽にハマったのはこの曲からだ、と言っていました。テンプスとしてレコーディングしたことはないようですが、ステージがアダルトな雰囲気になっていくのにうまい選曲でした。

 次の”Cloud 9”メドレーの中に、バラードのナンバー1ヒット”Just My Imagination”も出てきました。

 70年代のR&Bそのもので、みんな一曲の時間が半端じゃなく長い。その間にメンバーも客席に降りてきて、聴衆にマイクを向けてハミングをリピートさせたりしました。かく言う小生も、最前列正面に坐っていたので、マイクを向けられました。一番音を外さずに,他のお客さんから拍手をもらったのは小生じゃなかったかな。カラオケでもオンチじゃないほうですから。

 “The Way You Do…”60年代モータウン時代の代表曲、リタ・クーリッジもカバーし、上に書いたホール&オーツとのジョイントでもメドレーで使われた曲。

Essential Collection

 やはり67年の”Wish It Would Rain”に続いて、最後に全員が立たされて踊らされたのは、85年の”Treat Her Like a Lady”.アース・ウィンド&ファイアのアル・マッケィがプロデュースした80年代のテンプスのファンキーな最高傑作。ところがこの85年当時、デニスはテンプスから抜けていたんです。ソロとしてサイダ・ギャレットとのデュエットで”Don’t Look Any Further”という曲をヒットさせていました。そうなんです。後にマイケル・ジャクソンと”I Just Can’t Stop Lovin’ You”をデュエットでナンバー1にして、90年代にはブランニューへヴィーズに加入する、あの女性です。彼女を世に送り出したのはデニスだったんですね。

 その”Treat Her..の間奏がずっと続いて一旦引っ込み、また出てきた。上に挙げた、既に亡くなってしまったテンプスのメンバーの名前を読み上げ、一人ずつ合掌する。そして最後はやっぱり“My Girl”

 終了後のサイン会も、小生が歌ったのを憶えていて褒めてくれました。いい人たちだった。

 Get Ready.気が付いたら、2000年代の最初の10年も終わろうとしています。次の10年代への準備はできていますか?

 もし、年内に次の原稿ができなかったら・・・ハッピー・クリスマス!

Temps_autographs

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2009年11月20日 (金)

Listen to the Music!

オールレディ・フリー

  なんか最近は、前の原稿から間を開けてしまっては、その言い訳から始まってばっかりのような気がします。

 今回は、本業でかなり長いものを書く仕事がたまっておりまして。9月に病気にさえかからなければその仕事も余裕を持ってできたんですけれど。その病気の麻痺もまだ残ってますし… それでもそんな中、このサイトのお仕事も忘れてはいません。不良大学教授のハリー先生は本領発揮。

 ちょっと遅れましたがライブリポートをちゃんとやります。

 デレク・トラックス・バンドとドゥービー・ブラザーズのダブルヘッドライナー。

 もちろん、お目当ては後者なのですが。

 前座扱いではない、ちゃんと肩を並べていたデレクに関してもちゃんとリポートしますね。

「デレク・トラックス、1979年の68日、フロリダ州ジャクソンヴィル生まれ。
At Fillmore East

叔父はオールマン・ブラザーズ・バンドの結成時からのドラマー、ブッチ・トラックス。家ではいつもオールマンズのアルバムや、そのリーダーだったデュアン・オールマンが大きく貢献していたデレク&ザ・ドミノスの『レイラ』などがかかっていた。

Layla and Other Assorted Love Songs
もうおわかりのとおり、デレクという名前はクラプトンが70年代初頭に率いていた、その伝説的なグループからいただいたもの。」

実は小生、彼を一度、観ていたんですね。これもクラプトン絡み。3年前に観たクラプトンの、ヒット曲をあまり演らずデレク&ドミノスでのレパートリーなんかを中心に選曲していた日本縦断ツアー。クラプトンはその時、自分も含めてトリプルリードギターの構成でしたが、残った二人のうちの一人に、金髪の長髪で、若いのにすげー巧いやつがいるなと思って観ていたのがいたのですが、それがこのデレク・トラックスだったんですね。

なるほど、クラプトンが彼の腕を見込んだ上だというのも当然でしょうが、デレク&ドミノスつながり、サザンロックつながりだったのか、と今にして改めて納得。

「デレクはギターを、彼自身の言葉を借りれば、「身長がギターより小さかったころに」弾きはじめた。もちろん手も小さかったので、スライド・バーを使うようになったのは、そのハンディを克服するためでもあったらしい。
 やがて彼は、スライドでもレギュラー・プレイでもオープンEチューニングで弾きこなすというスタイルを確立した。愛器はギブソンSGとフェンダーのヴィンテージ・アンプ。エフェクター類には基本的に頼らない。
 スライド・バーは、デュアンが使っていたのと同じガラス製の薬ビン。ピックは使わない。そのきわめて個性的なフォーマットで、デレクは表情豊かなギターを弾きこなしている。」
 彼の曲はラジオで流れるようなタイプのものではなく、評価は高くともヒットがあるわけではないので、実は小生、彼のCDは聴いたことがなく、セットリストもいただけなかったので、詳細なリポートはできないのですが。

エフェクターを使わないというのには驚きでした。アンプだけであれだけいろいろな効果音を出しているのかと思うと驚異です。

世代のせいもあるでしょうが、サザンロックの匂いはあまり感じられませんでした。むしろインストもの中心、スライドギターと、エフェクターを使っているとしか思えない音色で、高中正義に近いものを感じました。

ドゥービーから、サックスのマーク・ルッソがずっと、ゲストでドラムスのエド・トスが一曲参加しました。

ジェフ・ベックとかデュアン・エディーとか、昔はギターだけで独り立ちしていたミュージシャンのスタイルがあったものですが、最近は見かけませんね。その伝統を一人になっても守っていくような、そんな気概を感じました。

さて、20分程度の休憩の後、お目当てのドゥービー。

3年前は夏フェスで来日して、去年はシカゴとダブルヘッドライナーでアメリカを縦断しました。そのシカゴはこの夏また、一番気の合うアース、ウィンド&ファイアとまわり、ドゥービーはレイナード・スキナード、38スペシャルらサザンロックの連中とツアーしたようです。デレクもその流れかな。

もうオリジナルメンバーはトム・ジョンストンとパット・シモンズしかいません。でもこの二人がいればそれで満足、って感じ。

あと古いメンバーだったら、「ミニット・バイ・ミニット」から参加したジョン・マクフィー。この人はギターが一番巧い上にいろんな楽器がこなせてしまう器用な人。音の要になっていました。あと、このバンドの特徴であるダブル・ドラムスの一端をかなり初期から担い続けてきたマイク・ホザック。

あとは、82年にいったん解散したあと、生き残りの相当部分が矢沢永吉のバックを勤めたりしましたがその時一緒に演ったキーボードのガイ・アリソンとか。

70年代中期からいたけれど残念ながら2005年に急逝してしまったキース・クヌードセンの後釜で入ったヴァーティカル・ホライズンのエド・トスとか、新しい人たちばかりですね。

ドゥービーのほうはセットリストをゲットしました。しかしこれはステージ上に貼り付けてあったもので、ステージに向かって一番左側にいたベースギターのスカイラーク(本名ではないでしょう。当然)が散々踏んづけたあとのもの。ローディーさんに頼み込んで剥がしてもらったものですからビニールテープの痕もくっきり、ビリビリだったのですが、小生が可能な限りの修復を施しました。なんてったってドゥービーのメモラビリアですから宝物です。

Doobie_set_list

みんな省略されて書かれているのでちょっと詳しく。

Stampede

1 Take Me in Your Arms (Rock Me) もともとホーランド-ドジャー-ホーランドのモータウンのソングライターチームが作って、60年代にアイズレー・ブラザースなんかが中ヒットさせたR&Bナンバーですけど、ドゥービーがアルバム「スタンピード」で75年に取り上げて有名になった。ライブでも景気づけの一発目として定着しています。

Toulouse Street

2 Jesus is Just Alright

72年彼らの人気を決定付けた「トゥールズ・ストリート」から。克也さんがZIP HOT 100を始めたばかりの95年にはDCトークというクリスチャン・ロックバンドがカバーしていました。ドゥービーのライブでは、ギターの音が上がるときに、ギターの3人プラスベースの一人の四人が並んでギターのヘッドを持ち上げるのがお決まりのパフォーマンスになってます。

Brotherhood

3              これはもともと一単語のタイトルですから省略なし。彼らは82年に一度解散しますが、89年に、トム・ジョンストンを迎えたオリジナルに近い編成で再結成(トムが78年からがグループを離れたのは健康上の理由となっていますが本当なんでしょうかねえ?ソロアルバムは出していましたし)。初期のロックっぽい音で戻ってきてくれて古いファンを涙させましたが、その際結成二枚目のアルバム “Brotherhood”からのヒット曲。91年。

4              Rockin’ Down the Highway

また名盤「トゥールズ・ストリート」から。この4曲あたりまでが景気づけで、ほとんどノンストップで演奏されました。

5              Double Dealing Four Flusher

「スタンピード」から。これはシングルヒットではないのですが、彼らは初期からライブとレコードは別物、と考えていた節があり、例えばこの曲は初期のライブで中盤のいいところで演奏されることがすごく多かったし、それは再結成後も受け継がれているということですね。

6              一語タイトルにつき省略なし。これも“Brotherhood”から。デレクがゲストで参加しました。

7              これは新曲です。タイトルは「・・・シャトウ」ともっと長かったかもしれませんがメモをなくしてしまいました。来年、新譜が出るそうです。「新しいCD,いや、最近はいろいろ形式があるからなんていえばいいのかねえ」とパット独特のオトボケMCで始まりました。やっぱり70年代初期の、そして再結成後のドゥービーの音だと感じました。

ワン・ステップ・クローサー-#紙ジャケSHM-CD#

8              One Step Closer

 80年の同じタイトルのアルバムから。実は、小生が今回の選曲で一番驚いたのはこれです。再結成後のライブでは、マイケル・マクドナルドがトムに取って代わって音作りの中心となりR&Bプラスオシャレロック色が強くなった、78年の「ミニット・バイ・ミニット」そしてこの「ワン・ステップ・クローサー」からの選曲は、当然歌う人がいないし、音の雰囲気も違うので極力避けられていたのですが、サービスの意味もあってやったのでしょう。この曲はパットとマイケルの共作曲でもあり、権利もあるのでやりやすかったこともあるでしょう。しかし面白いことに、レコードではマイケルがリードヴォーカルをとっていた部分をパットが歌い、パットがリードヴォーカルをとっていた部分をスカイラークが歌っていました。

ドゥービー・ストリート-#紙ジャケSHM-CD#

9              Takin’ It to the Streets

76年の同名アルバムから。これもマイケルの曲で、それ以降のドゥービーの音が、シンセサイザー中心になっていく変化のさきがけとなるヒット曲ですが、これはトムが休養前に正式メンバーとして参加した最後のアルバムでもあるので、必ず演奏されます。マイケルとも関係が悪いわけではないですし。イヴェントがあるときにはよく共演しています。この曲ではキーボードのガイ・アリソンと、ヴォーカルでは再びスカイラークが大活躍しました。

10          Don’t Start Me Talkin’

  「トゥールズ・ストリート」から。これもヒット曲でなくてもライブで重要な位置を占め続けていた曲。そろそろオーラスの雰囲気。

11          Little Bitty Pretty One

 これなど、彼らがライブとレコードは別物だと考えている証拠みたいな曲です。これは彼らはレコード録音していません。でもライブではやります。オールディーズの、ドゥーワップとバブルガムをあわせたみたいな曲なんです。オリジナルはフランキー・ライモン&ティーンエイジャーズ、声変わり前のマイケル・ジャクソンも録音していました。きっと誰もが一度は聴いたことのある曲です。そんな子供っぽい曲で最後を盛り上げます。

What Were Once Vices Are Now Habits

12          曲名省略なし。74年の”What Were Once Vices are Now Habits”(「昔は悪癖だと思ってたものからもう抜けられない」が直訳で、もっと短い邦題があったような気がするけど失念しました)。彼らにとって最初のナンバー1ヒット。だけど元々はB面扱いだったものに火がついた。バイオリンが印象的なゆったりとした曲。ジョン・マクフィーは起用でそのバイオリンも綺麗に弾いてしまいます。サビの歌詞に”Mississippi moon won’t you keep on shinin’ on me”があって、このミシシッピの部分をそのコンサートの場所で言い換えるのがまたお決まりですが、当然 “Nagoya moon won’t you・・・で拍手喝采でした。

キャプテン・アンド・ミー#紙ジャケSHM-CD#

13          Long Train Runnin’

    73年、“Captain & Me”彼らの代表的アルバムの一つなんですけどここでやっと初めて出てきました。これはおなじみの曲でしょう。リミックスも何度もされていますし。

 小生はアメリカにいたとき、この曲と全く同じ経験をしました。コロラド川をラフティングで下っていたとき川沿いの線路に貨物列車がのそっとガタゴトやってきて、その長さにびっくりしました。本当に長い、何両編成だったか、500メートルくらいあったかなあ、しかも何台かの車両に Illinois Central と書いてあったのには、感動しました。

 ここでいったん引っ込んで、アンコール。ここのところアンコールのパターンは決まっているようです。

14          China Grove

続いて“Captain & Me”から。これもアメリカの道を車で走りながらラジオでかかってきたら、なんとぴったりだろう、と思わせる曲ですね。トム・ジョンストンは、おら、お前ら、盛り上がれ、とマジで怒ったような顔をしてステージを縦横無尽に行ったり来たりします。

15          曲名省略なし。またまた続いて“Captain & Me”から。そして最後はやっぱり

16          Listen to the Music

   デビューアルバム「トゥールズ・ストリート」の第一曲目にしてすでに彼らの代表曲となってしまった。

 演奏がぴたっと止まり、ドラムと手拍子だけで “Wow wow, listen to the music, all the time”の、観客を交えて大合唱。おお盛り上がりの末、余韻を残しつつ終了。

 いやあ、音楽って本当にいいですね。みなさん、もっと音楽を聴きましょう。

  折り紙菊ちゃんさん、東京でのコンサートはいかがでしたか?

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2009年8月 2日 (日)

Old Friends

セントラルパーク・コンサート [DVD]

サイモン&ガーファンクル、日本ツアー第一回目を観ました。

 外タレ日本縦断ツアーの場合、ここ名古屋は大抵最終日に回される。東京や大阪みたいに2,3回の公演は必要なく一回だけですむし、そのくせ国際線が整備されているから翌日すぐ帰国できるからですね。

 今回はその逆、というわけです。来日してすぐ初日。今回はニュージーランド、オーストラリア、日本というツアーで、オーストラリアからの飛来ですから来易さもあったかもしれません。

 会場はドラゴンズがロード中のドーム球場。

 観客の年齢層は高い高い。小生の父親かと思うような方々もかなりお見受けしました。

 それでもアリーナ、外野ともいっぱいになり、終了間際には要所要所にガードマンが。その制止を振り切って、ミキサーさんに近づいてセットリストの余りを強請る私はいったい何者なのでしょう?ただし今回は、大人の方が多かったためか、ライバルが少なく比較的容易にもらえましたね。ただし名古屋のではなくその数日前の日付のシドニー公演のものでした。ここでは演られなかった曲も含まれています。他の場所では演った可能性もある曲ということですね。

Simon_garfunkel_nagoya_setlist

 ACT 1

 スクリーン映像から始まりました。「アメリカ」のメロディに併せて、高校生のときの初めてのライブの写真、彼らの全盛期のレコーディング中のスタジオ映像から、その同時代の世界の流れを象徴する映像、ニクソン、ブレジネフ、毛沢東、鄧小平、ネルソン・マンデラ、ゴルバチョフ、ベルリンの壁崩壊…(911事件はありませんでした。ニューヨーク出身の二人としてはまだ拭い去れない思いがあるのでしょう)

 そしてスポットライトがステージへ。観客がスクリーンに目を奪われている間にいつの間にか登場した二人。最初の曲はリストのとおりOld Friends でした。ポールのギター一本で。

Old Friends

 ここでひとつ、僕の予想が外れました。彼らは「あの曲」を発表して以来、二人のライヴは必ず「あの曲」で始めていました。それがそうではなかった。そこに今回の意味があったのです。

 2曲目から彼らがスクリーンに大写しになり、演奏もフルバンドになりました。2曲目「冬の散歩道」は、カバーしたバングルスのものから逆に影響されたのではないかと思うほど、エレキのツインギターで80年代っぽいアレンジでした。ここら辺、往年のファンはびっくりしたのではないでしょうか。その後もそういうのが続きます。

 しかし一旦はポールのアコギの連続和音ハマリングが印象的な”…Rock”。そして再び今度は彼らのヴォーカル入りの”America”

Bookends

 ここですこし間が空き、ポールが「僕の『古い友人』アーティだよ」とガーファンクルを紹介し、ガーファンクルが後方に用意されたベンチに腰掛け、ポールのギター一本、アーティのソロボーカルで、”Kathy’s…”

Sounds of Silence

 この連続する二曲にキャシーという女性が登場しますが、ポールの最初の恋人で、彼がイギリスに放浪するときにも後ろ髪引かれながらアメリカに置いてきた人ですね。

 この辺りから、今回のテーマ『古い友人』がクロースアップされます。

 アーティが「僕たちは高校で出会い、二人で曲作りを始めて、学校のパーティで演奏したんだ、こんな感じだったよ」と、”Hey Schoolgirl”。一分にも満たない短さでした。でもこの曲は1957年に既にローカルヒットになり、「トムとジェリー」という名で「アメリカン・バンドスタンド」への初出演も果たしているんですよね。そして「エヴァリー・ブラザースと一緒に、こんなのもカバーして遊んでいたんだ」と短くジーン・ヴィンセントの”Bee-Bop…”を。

Parsley, Sage, Rosemary and Thyme

 お遊びコーナーから、昔ながらのファンには涙物のコーナーへ。美しい反戦歌”Scarborough…”

 60年代末から70年代のフォークギター少年たちが挙って手本にしたポールでしたが、彼の双方には二つ特長があると思います。一つはツーフィンガーピッキング奏法といって、普通なら親指、人差し指、中指の三本でやる分散和音を親指、人差し指の二本でやってしまうこと、もう一つはギターのチューニングを変えずに不思議な響きの和音を発明すること。このあたり、チューニングを滅茶苦茶に変えることに命を賭けているようなスティーヴン・スティルスと違うところですが。この曲の美しいイントロのコピーにみんな苦労したみたいですね。

 そして、やはりポールがイギリス放浪中に故郷への慕情を歌った「故郷に帰りたい」。その週の『英語でしゃべらないとJr』(子供とちゃんと拝観してますよ)のWake Up Songのコーナーでも取り上げられていました。この来日にあわせた選曲だったのでしょうね。

ACT

 ここでまたスクリーンにオリジナル映像が映し出されました。今度は70年代以降、彼らのソロアルバムのジャケットの変遷や、アーティが一時映画俳優をやっていたときの映像など、そして「卒業」の若きダスティン・ホフマンが流れ、そのテーマ”Mrs. Robinson”へ。

The Graduate (1967 Film)

 さっき、彼らがライヴで必ずオープニングにしていた「あの曲」というのが、実はこれなんですね。伝説の81年のセントラルパークでのリユニオン・コンサートもそうでした。つまりここから前半とは別の第二幕がはじまる、という意味もあったのでしょう。

 ポールが「今にして思えば、アーティと一緒に録音すればよかったと思っている曲だよ」とMCが入って”Slip, Slidin’…”。これは1977年のポールのソロのベスト盤『エトセトラ』に入っていた曲ですが、ポールのこのコメントは僕にとっては実にうれしかった。僕も同じように、S&Gでやるべきだと思っていたし、そのセントラルパークで初めて二人でやったヴァージョンを聴いたとき、やっぱり正しかったと思っていました。

 そしてフォルクローレ「コンドルが飛んでいく」。アメリカでは中ヒットでしたが日本では最も売れたシングルだけあって、このとき一番拍手が大きかったです

Scissors Cut Fate for Breakfast

 ここでポールは引っ込んでしまい、アーティのソロのミニコーナーになりました。名古屋でやられたのは、”Bright Eyes”, ”Heart in New York”, ”Perfect Moment” “Now I Lay Me Down to Sleep”4曲でした。1979年イギリスで最も売れたシングルになった”Bright…”。そして、確かに「この曲をマイケル・ジャクソンに捧げます」と言って” Heart in…”を歌い始めました。アーティがソロ時代、ジミー・ウエッブに次いで好んで取り上げたギャラガー&ライルの曲で、丁度セントラルパークがあった81年に発表された、唯一の新曲として歌われた、アーティにとっては自信作でしたがあまり売れなかった曲。しかし、インディアナ生まれ、LAに移ったモータウンに育ち、LAで亡くなったマイケルに、どのような思いをこめてNYの曲を歌ったのでしょう?

 ニューヨーク、君の頭には金のことしかないんだね

New York, You got money on your mind

  And my words won’t make a dime’s worth of difference

 僕が何を言おうとも、1ダイム貨の価値にもならない。

So here’s to you New York

 そんな君に乾杯、ニューヨーク

歌詞のこの辺りが、商業主義の犠牲になったマイケルへの追悼、ということだったのでしょうか。

 “Perfect…”は比較的新しい2002年の”Everything has to be Noticed”からの、”Now I…”子供向けファミリー・アルバムからの曲でした。

 そして「僕の『古い友人』ポール・サイモンです」と紹介して、アーティは引っ込みました。ここからポールのソロのミニコーナーでしたが、古いS&Gしか知らないできた人はびっくりしたのではないでしょうか。

The Essential Paul Simon One-Trick Pony

 ここでは共に1986年の『グレイスランド』からの” The Boy in the Bubble”,”Diamonds on the Soles of her Shoes”が披露されました。南アフリカのリズムを取り入れて、ステージ上は物凄く暑くなった瞬間でした。

 ポールは、S&Gでも先程の「コンドル…」ではフォルクローレをやったし、ソロとしてのファーストシングル「母と子の絆」ではクラプトンが”I Shot the Sheriff”を演る前にレゲエを取り入れたし、ゴスペルも何曲か、そして上のリストには載っていますが残念ながらここでは演奏されなかった”Late in the Evening”ではカリプソをやった。ワールドミュージックへの飽くなき追求をしていたのですが、『グレイスランド』のときはまだ南アフリカ共和国がアパルトヘイト政策を採っており、そこのミュージシャンと共演したことで非難を受けたりしました。

 今回もリズム体にソエトやプレトリア出身の人をバックに従えていました。このパートでは、小生の父親世代の人たちは乗り切れなかったのではないかと思います。

 S&Gのレパートリーに戻って“Only Living Boy in New York”からバックにアーティが控えめに戻ってきました。

“My Little Town” 1975年に二人が共演で録音し、別々に二人のソロアルバムに収録され、トップ5ヒットになった曲です。

Still Crazy After All These Years Watermark

 彼らは70年の『明日に架ける橋』のアルバムに収録する数曲に関して意見対立を起こしていったんコンビを解消しますが、これはロックバンドにありがちな正式な解散ではなく、その5年後に「サタデイナイトライヴ」で競演し、それを切っ掛けにこの曲を録音し、またその2年後にアートのアルバムでサム・クックのカバー”Wonderful World”で競演しているし、その4年後には例のセントラルパーク、とちょくちょく繋ぎは取っていたんですね。そして今回。まさに腐れ縁の「古い友達」だったわけです。

 “My Little…”の楽譜をはじめてみた時に驚いた覚えがあるのですが、常識を無視した不規則な転調の連続でした。ところが全く不自然に聞こえない、ポールの曲作りの妙ですね。

Bridge Over Troubled Water

 そろそろオーラス。名曲「明日に架ける橋」。アーティがコーラス部分を除いて一人で歌ったレコードと違って、二番目の When you’re down and out…からはポールがリードを取りました。

 大拍手の中、一旦引っ込んで、再登場。

Wednesday Morning, 3 AM 

 アンコール一曲目は”Sound of Silence”

ここまで聴いて、この曲がアンコールに来ることは十分予想できていましたが、それを同演奏するのか興味がありました。この曲のオリジナルはアコギ一本の素朴な音、だけどポールがイギリス放浪中に知らないうちに大ヒットになっていて、ラジオで聞いて驚いた。それにはエレキの12弦とドラムが被さっていたからだ。

 セントラルパークでも、アコギ一本で演っていました。でも今回は、これだけ現代的なアレンジを取り入れてきたのだから、どういう演奏になるか?

 結果。エレキは入りませんでしたがドラムスは入ってきました。それでもオリジナルとは違い、音に厚みが出てより今っぽく聞こえました。

 その後、「ボクサー」を演ってもう一度引っ込む。まだ拍手が鳴り止まず、またまた登場し「若葉の頃」をしっとりと、「セシリア」を総立ちで派手にやり、拍手の中、メンバー全員を紹介して終了しました。

 本当に、「古い友達」の二人の、喧嘩を含めた友情の総括、といった感じでした。

 克也さんと同い年の二人、ポールはいまだに指は細かく動いてますし、アーティの「天使の歌声」といわれたあの高音も健在で、まだ何かやってくれそうです。克也さんもがんばりましょうね。

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2009年4月 7日 (火)

Open Arms

あら、珍しい。 

なんとメジャーで分かりやすいタイトルでしょう?!

まあ、いろいろなことに引っ掛けてあります。お楽しみに。

まずはご想像通り、ジャーニーのあの曲のこと。

前の記事でも書いたとおり、ちょっとブランクがあっていろいろ報告しなければいけないことがあって、順番が前後してしまいますが、こっちは時間的には近いほう。

 そのジャーニーのライヴ報告です。

 ベストヒットにも節目節目に出演多し、80年代の産業ロックの王道を辿った彼ら。

 80年代末の活動停止以来、分派がバッド・イングリッシュを作ったり、90年代は数度の企画的な再結成を経て、くっついたり離れたり。

 しかしまたここ数年の活動再開は本気のようです。

 全盛期からのメンバーは、ギターのニール・ショーン、キーボードのジョナサン・ケイン、ベースのロス・バロリー、これにニール、ジョナサンとはバッド・イングリッシュ以来の付き合いのディーン・カストロノヴォがドラム。

 そして今回の話題は、新リードヴォーカルのアーネル・ピネダ。

 フィリピンから新加入しました。

 そのためか、というかそれ以外に理由がないのですが、観客にフィリピーノ、フィリピーナが多かったこと。観客席からフィリピン国旗を大弾幕で広げたり。開始前のロビーでもタガログ語が飛び交う(ちなみに小生、タガログ語、タイ語、ほんのちょっと分かります。なぜでしょう?深い意味はありませんが。名誉のために言っておきますと、スペイン語、ロシア語はそれ以上に分かります。フランス語ドイツ語全然ダメ。クリスティナ・アギレラのあの曲程度)、記念写真をパチパチ。

 ちなみにフィリピンという国の音楽事情、暇があったら詳しく調べてみたいのですが、その暇というやつがないのが口惜しい。ひょっとしたらフィリピンは、日本以上に日本的な「おしゃれ洋楽」が好きな国のようです。

ボーン・フォー・ユー~ヒズ・ベスト&モア#紙ジャケット仕様#

 デヴィッド・ポメランツという人がいます。70年代ちょっと活躍したシンガーソングライター、しかし実際にはアメリカではソングライターとしてのみ捉えられていた人で、バリー・マニロウのヒット曲、”Trying to Get the Feeling Again”, “The Old Songs”なんかの作者です。

If I Should Love Again

 これらの曲、デヴィッドもレコードを出しますが、本国アメリカでは全然売れなかった。

 日本では、”The Old Songs”に関して、前長野県知事、現参議院議員のあのお方の処女作「なんとなくクリスタル」でポール・デイヴィスと共に取り上げられたり、また10年くらい前でしょうか、主演は草彅剛、瀬戸朝香で、ドラマ名をはっきり憶えていませんが「見合い結婚」だったかな、そこで剛君の好きなレコードとして毎回出ていてストーリーの横糸に使われたりして、知る人ぞ知る存在でした。

 その程度の人だったのですが、このデヴィッド・ポメランツのレコードはなぜかフィリピンだけでバカ売れしました。そこで彼自身、もう完全にフィリピンに移住しちゃって、録音もライヴも全てフィリピンのミュージシャンと活動しています。

I'd Really Like to See You Tonight and Other Hits

 これまた70年代に活躍した、爽やか系ポップスで「秋風の恋」などヒット曲も多かった男性デュエット、イングランド・ダン&ジョン・フォード・コーリー。

 これも90年代後半になってフィリピンでブームと呼ばれたくらいCDが異常な売り上げをして、30年近く音楽から身を引いて宗教活動をしていたジョン・フォード・コーリーが復活して、彼の場合移住までは至っていませんが毎年フィリピンでライヴをして、フィリピン向けのアンソロジーCDが発売されたりしています。ちなみに相方のイングランド・ダンことダン・シールズは、カントリーに転向して成功するなど音楽活動は続けていて、彼は「想い出のサマー・ブリーズ」などの大ヒットがある、もう一つの男性デュオ、シールズ&クロフツのジム・シールズの実弟なのですが、現在はその兄弟がSeals & Sealsとしてデュエットで活動しています。

 まあ、そんなことから、フィリピンというのは不思議な音楽志向性を持っていて、オシャレポップスが日本以上に受ける国だという想像ができるのですが。

 閑話休題。ジャーニーに話を戻します。

 スティーヴ・ペリーとは完全に決別、00年代前半の再結成企画ではペリーに声質に似た別のスティーヴが参加しましたが彼も体調不良を起こした。そこで新たなヴォーカルを物色していたニール・ショーン。たまたまYouTubeをサーフィンしていたら、フィリピンのライブハウスでスティーヴ・ペリーそっくりにジャーニーの曲を歌っている男の映像に出くわした。それがアーネルだった。ニールは早速メールでアーネルにコンタクトを取ろうとしたが、アーネルは最初、悪質ないたずらだと思って返事をしなかった。ところが周囲の人たちが返事だけでも出してみたら、と強く勧められたのでレスを送ってみたら、今度はニールに加えて、ジョナサン、ロスからもメールが返ってきたので、本物だと分かった。本当に、「あの」ジャーニーから加入を打診されているのだ、と。

 そんな、インターネット時代ならではの国境に穴を開けたシンデレラストリー。

 彼は母親を無くしたばかりで、今の自分の成功した姿を人目見せてやりたかった、という。第三世界の国にありがちですが、フィリピンも物凄く貧富の差が大きい格差社会で、実はアーネルはこんな運命のいたずらでもなければ下のほうの階級で場末のバーで歌っていたのでしょう。

 サンフランシスコ・ベイエリアをベースにしていたバンドにフィリピン人が入ってくる。

 いいじゃありませんか。

 以前書きましたが、僕はオバマ大統領を単なる黒人の大統領としてではなく、多民族社会アメリカの象徴として登場したのだと考えています。それとおなじことじゃないですか。異文化人を大きく「両腕を広げて」迎え入れたわけですから。

 それでとにかく、ご存知かもしれませんが、アーネルの声はスティーヴ・ペリーのそれにそっくりです。

 ルックスも似せようと長髪にしています。ただ、背は小さいですね。スティーヴは80年代の全盛期は長身に長いコートテールで「茶羽ゴキブリ」と一部であだ名されていましたが、長髪、小柄でちょこまか動くアーネルで、小生は、最初のシリーズの頃の20台の「金八先生」を思い出してしまいました。でも彼、実は既に40の大台を過ぎていて、つまり小生と殆ど変わらないんですよね。ニール、ジョナサンたちこそ今までジャーニーの名前を背負ってきたのに、ステージ上では無言で演奏に徹して、MCも盛り上げもアーネルに任せて、すでに信頼を得ている感じでした。

Journey_setlist

 今回も幸運にもミキサーさんからセットリストを頂きました。

REVELATION

ジャーニーの最新CD ”Revelation”は二枚組で、一枚目は新曲、二枚目は80年代のヒット曲をベスト盤形式で選曲し、アーネルをフィーチャーした再録音。その中から去年、一番ヒットした曲は”After All These Years”という、”Faithfully”を焼き直したようなロックバラードだったのですが(ちなみに先ほどの、ニール・ショーンがYouTubeでアーネルを発見したときの動画は、”Faithfully”を歌っていたものだったらしい。でも今回のライヴではその一曲だけ、ドラムのディーンがリードヴォーカルを取っていました)、その曲も演られず、80年代のおなじみの曲6割、ニューアルバムからの新曲4割という感じでしたが、ハードロック色を強く出そうとしていたように感じられました。

Frontiers

 ニューアルバムの1曲目でもある”Never Walk Away”から始まり、全盛期の後期の曲に怒涛のメドレーで続く。ちょこまか動くアーネルは前列席で手を伸ばす聴衆たちに、ウエーブを作るように右から左へと全員にハイタッチをしていく。バラードのヒット曲は、真ん中あたりの8曲目に”Lights” ”Still They Ride” をメドレーでやったり、それに続けて例の”Open Arms”に続けて、最後から2曲目に”Faithfully”を持ってきたり、要所要所でロックバラードを入れていましたが、例えばあの泣きの”Who’s Crying Now”なんかは演らなかったわけで全体的にハードな曲が中心の選曲、ニューアルバムからもそちらの方から、全体の中でも一番盛り上がったのはやっぱり”Separate Ways”,”Don’t Stop Believeing”など、”Escape”のアルバムからの曲でした。その当時、80年代初めのギターキッズたちのお手本となったニールの連符速弾きはいまだに健在と見ました。

Escape

 いい意味であまり自己主張をしそうでなく、つまりニールとあまり喧嘩しそうにない従順な、しかも全盛期の雰囲気を忠実に再現できる新たなフロントマンを得たことで、このジャーニーというグループ、もう少し長く続きそうだ、と感じました。

 

 もう一つの Open Arms

 43日放送のファンフラをお聴きになった方。克也さんに時々合いの手を入れていた子供の声に気づかれましたか?

 それは私の息子、阿南”Ricky”紀輝(のりき)8歳だったのです。

 春休みを利用して上京帰省し、金曜日が重なっていたので、銀座のスタジオに突然に親子でご挨拶、というかお邪魔しに行ってしまいました。いろいろ悪戯もしてご迷惑もおかけしました。でも放送事故には至らずほっとしています。大喜びで、「カンカン!」や「ブー!」に参加できた時ははしゃいでました(親も!?)

 放送でも、「君、小林克也の孫じゃないの?」とおっしゃってくださいましたが、本当に孫のようにゴム割り箸鉄砲で遊んでくださったり、感謝です。スタッフの皆様も、音に関係ない程度に機械をいじらせてくださったり、いい経験、思い出になったと思います。

 本当にありがとうございました。

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おやつを賭けてじゃんけんポン。愚息が負けましたがちゃんと分けて下さった御大でした。

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ちゃんと原田Dのお手伝いもしました。未知の世界に興味津々、でも御大のお邪魔にはならないように・・・

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突然お邪魔して失礼したにもかかわらず、「もろ手を広げて」歓待してくださった克也さんと銀座ファンキーズの皆様、ありがとうございました。お疲れ様でした。

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2009年3月24日 (火)

Here  I Go  Again

ご無沙汰してしまいました。

 まあいろいろ手違いがございまして、去年の暮れに書いた原稿が、年が明けてかなりたってからアップされたりして。

 新年のご挨拶をするにはあまりにも間抜けな時期になってしまいました。

 去年の年越しの瞬間は克也さんと同じ場所で、公開生放送スタジオで派手にカウントダウンをやっていい思い出になりました。今年も同じようなことがあると期待していたのですが、残念ながらうってかわって地味な年越しの瞬間となりましたが、それでもBSアサヒで、オノ・ヨーコさんやチャーがジャムする”Imagine”を観ながら、テレビ画面にテロップで映るカウントダウンで新年を迎えました。

 その後、年末、年度末の忙しい時期があったのもさることながら、なんと小生、入院をしてしまいました。

 簡単な静養と検査だったのですが。大手術をされながらレギュラーをほとんど2週間しか穴を開けなかった克也さん、現在手術入院中ながら病床から連載を欠かさない海老沢泰久さんを改めて尊敬申し上げます。

 実はまだ、かなり後になりますが入院はもう一度ある予定なのです。

 それやこれやで、殆どの人は気にも留めなかったでしょうが、極一部の希少な方々にはご心配をおかけし申し訳ございませんでした。

 そんなわけで、去年からペースが乱れて、ここに発表するべきことがややたまっています。その「蔵出し」を徐々にやっていきましょう。

 まずはなんと去年の11月、ホワイトスネイクとデフレパードのダブルヘッドライナーライブに行った時の報告です。

 今までもダブルヘッドライナーのライヴのリポートは何度か書いてきましたが、今回が少し違っていたのは、今までのものは全て、違う二つのバンド、アーティストがせっかく同じ場所時間でやるんだからちょっと一緒にギグしようよ、みたいな趣向があったのですが、この二つのイギリスのヘビメタバンドの場合、そういったことが全くありませんでした。ホワイトスネイク側からデフレパへのエールは全くなし、デフレパのジョーから一曲目の後にちょっと「ホワイトスネイク、最高だったよなー」みたいな謝辞(?)が一言あったのみ。二つの全く別々のライヴを立て続けに見た、という感じでした。ヘビメタという時点でそれぞれの個性が強すぎるから、一緒になんかやろうよ、という発想自体に無理があるのかな。

 この度も例によって客席側のミキサーさんに強請ってセットリストをゲットしちゃいました。しかもスタッフも総入れ替えだったのに、二グループ両方のを手に入れました。ヘビメタには、僕みたいにラジオでヒット曲中心に聴いている人と違ってコアなファンが結構いらっしゃいますから、ライヴ終了後の余韻に浸りながら家路を辿ろうとする雑踏の流れの中でこれを見つけられた人たちからはかなりやっかみを受けてしまい、ケータイ付属のカメラで写させてくれ、というリクエストを数件受けました。こんなことも今までなかった経験でしたね。

 

 最初はホワイトスネイク。これはもうカバーデイルの独り舞台、といった感じでした。メンバーもアメリカから連れてきた新しい人が多かったし。バックスクリーンにはアルバムジャケットなんかに使われるロゴマークを壁紙みたいにして曲によって変えていく程度でした。

Whitesnake's Greatest Hits

 結成時から、ディープパープルと比較されて軽くなったとか、いろいろ言われたバンドでしたが、80年代半ばになって割り切って商業ロックに近づいて(はっきりいえばポップな要素を取り入れて)、字の如くセールス的にも大成功して文句を言わせなかった彼ら。ちょうど真ん中に”Is This Love”、ラストに”Here I Go Again” 、アンコールに“In the Still of the Night”などその時代のおなじみの、みんなで歌える曲を配置しつつも、ハードなツインギターソロ、ドラムソロのパートも挟みヘビメタの面目躍如といったところでしょうか。

Defleppard_setlist 

 30分の休憩を挟んでデフレパ。こちらは、高校の同級生が32年前に結成したバンドで、そのときのメンバーが今なお3人も残ってやっている。ジョー・エリオットの高音カナキリ声シャウトはいまだ健在、克也さんのベストヒットUSA回顧にもあったけれど、84年の大晦日の事故で左手を失った片手ドラマー、リック・アレンも、バックスクリーンに大写しにされるとかえって迫力がありました。そのバックスクリーンの使い方もホワイトスネイクとは異なり、そうやってステージ上のメンバーの様子を追ったり、コミカルなビデオクリップを流したりと効果的に使っていた感じでした。

Best Of

 ハードさもデフレパのほうが上だったような感じ。それでも、「パイロメニア」「ヒステリア」と名盤を立て続けに出しただけあり、おなじみのヒット曲のオンパレードができるのはさすが。”Heartbreak”とは”Bringin’ on the Heartbreak””Sugar”とは “Pour Some Sugar on Me”のことです。念のため。アンコールで、「時間が余ったら」やるはずだった”Bad…”は残念ながらできませんでした。

 Here I Go Againとまた書きたいですが。まだリポートしたいライヴネタも溜まっていますし、恒例の「アナミー賞」もやってません。本家のグラミー賞も過ぎちゃったのに。でも、上のような事情で、まだペースを取り戻すには時間がかかるかもしれません。ボチボチやっていきますので長い目でよろしくお願いします。

 改編期も近いということで、「ポップ・ミュージック・マスター」終了は残念です。僕にとってはモバHoのサービス終了と重なるのでもし続いていたとしても聴けなくなるので残念さ半分ですが。ヒット曲のイントロループのテーマ、訳詞コーナー、何年前の今日のNo.1コーナーなど、後期のZIP Hot 100を髣髴とさせる番組だったのでやっぱり、終了は時の流れを感じてしまいます。

 「期限切れ遺失物移管所」にメールを下さった「折り紙菊ちゃん」さん、改めてありがとうございます。22日の放送でシンディ・ローパーのリクエストがかかった「トラック山ちゃん」ってひょっとしてあなたのことですか?番組にあなたに捧げるリクエストを出してあるんですけど、あと一回、録音はもう終わっているでしょうね。克也さん、大橋さんに採用する度量、あったかな?

 文末ながら、克也さま、早いですがお誕生日おめでとうございます。

Whitesnake_centerfold

Whitesnake_setlist_2 

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2008年12月24日 (水)

(You Make Me Feel Like)A Natural Woman

実は、時系列的にはこの前にもうひとつ大きなコンサートに行っていて、物の順序からすればそこからリポートするべきなんでしょうが。

 129日のベストヒット、スター・オヴ・ザ・ウィークのゲストに合わせて、キャロル・キングのリポートを先に回しましょう。

 「私の居間へようこそ」”Welcome to My Living Room”ツアー、私も行ってまいりました。
Welcome to My Living Room [DVD] [Import]

 以前にTOTO+ボズ・スキャッグスを観たような例のハコモノ国際会議場が会場だったのですが、会場の大きさに不釣合いな、彼女のピアノ、あとアコースティックギターが二人、シンプルな編成で、薄暗い照明、小道具でソファや観葉植物などを置く、まさにマンションの一室、彼女の居間を再現したようなステージ上でした。これはベストヒットで流れた映像のとおりです。

 私の席番号は、なんとミキサー席のもろ隣でした。前売りが思ったほどに捌けていなかったのか、開演直前に、席を一列ずつ前に移動してくださいとの指示が会場案内からありましたが、小生は、このような大きな会場の場合の「例の作戦」がありましたのでこの幸運は譲れず頑として動きませんでした。周囲の人は、なんと身勝手な奴だ、と思ったことでしょう。私も心が痛みます。でもこうして、その結果をちゃんと役に立てていることに免じてご海容願えれば幸甚です。

 例の作戦とは、ステージまでいけない場合、客席側のスタッフと仲良くなって、セットリストを分けてもらうこと。スタッフさんだって、自分の近くに英語をわかってくれる観客がいると思うとほっとするみたいですよ。今回もちゃんとものにしました。それに沿ってライヴを振り返りましょう。
Carole_king_setlist_1Carole_king_setlist_2

 



 


  彼女がインタビューで言っていた、居間を再現するコンセプトは、ブッシュ政権を追い出して民主党政権を作る話し合いを始めたことから生まれた、というの、まんざら大袈裟でもないでしょう。彼女はニューヨーク生まれのユダヤ系。それにアメリカには直接民主制の伝統もある。町の小さな寄り合いの話し合いから、何か大きな運動が始まったりする。

 インタビューでは民主党政権の誕生をかなり喜んでいた様子でしたけれど、ステージでは政治色は一切感じられませんでした。
Music

 1曲目の”…Long Ago…”は彼女の3枚目のソロアルバム、72年の”Music”からで、まさに昔の曲が中心の選曲でした。というか、インタビューでも、今は本を書くのに熱中している、なんて言ってましたけど、彼女は80年代後半から音楽的には恐ろしく寡作になってしまいますね。

 それでも2曲目、正式には”Welcome to My Living Room”はまさにこのツアーコンセプトにあわせて書き下ろされた曲だし、3曲目”Now and …”93年、第二次大戦中に選手が兵役で取られてメジャーリーグが中止になったことに反発し、野球好きの女の子たちが自分たちでプロ野球を作ったという実話を綴った、トム・ハンクス、マドンナなんかが出演していた映画「プリティリーグ(A League of Their Own)」の主題歌でした。

 4曲目あたりから古くなってきます。
Writer/Rhymes & Reasons

 “…Roof”はドリフターズ(日本のあれじゃありませんよ)の63年の大ヒット、彼女も最初のソロアルバムでセルフカバーしています。
Tapestry

 6曲目 “Where…”7曲目”Home Again”と、名盤、71年の「つづれおり」からのナンバーがぼちぼち出てきました。

 ここでピアノに座って歌っていた彼女が立ち上がり、アコースティックギターにも誓え、三人が並びます。「イーグルスみたいなことをやりたかったのよ。ナッシュビルでは毎日、何人ものシンガーソングライターが一つのステージに集まって、交互に自分の歌を歌うのよ」といって、それまで地味にバックでギターを弾いていたゲリー・バーが二曲リードヴォーカルをとりました。
Juice/Quiet Lies

 9曲目の”Love’s Been a Little Bit Hard on Me”は、ベストヒットの創成期、82年のジュース・ニュートンのヒット曲です。彼はその作者だったんですね。他にも彼は2001年のリッキー・マーティン、クリスティナ・アギレラのデュエットでヒットした”Nobody Wants to Be Lonely”の作者でもあります。そんな感じでしぶとく業界で生き残っている人、ナッシュビルに行けばいっぱいいるんでしょうね。バックコーラスをやっているキャロルは実に楽しそうでした。

 そのままのポップなノリで10曲目”Smackwater Jack”へ。「つづれおり」で最も歯切れがよかった曲。
ゴフィン&キング・ソング・コレクション1961-1967

 その次は最初の夫ジェリー・ゴーフィンとの大ヒットメドレーでしたが、私はちゃんと全部書き留めておきました。”Take Good Care of My Baby(Bobby Vee)~”It Might as well Rain until September”62年、彼女自身)~”I’m into Something Good”Herman’s Hermits~”Go Away Little Girl” (Steve Lawrence, Donny Osmond)~”Hey Girl”(Freddie Scott)~”One Fine Day”(Ciffons)~”Will You Love Me Tomorrow?(Shirrells)

  場所によって、メドレーの内容は変えているみたいです。60年代は、とにかく数え切れないヒット曲を作っていましたからね。改めて脱帽です。

 ここで20分の休憩。

 前半は黒い衣装でしたが、少しオレンジがかった色に変身してきました。

 後半は、2001年、彼女自身8年ぶりだった”Love Makes…”の表題曲からスタートしました。

 2曲目の”Sweet…””Music”から、そしてメドレーのように矢継ぎ早に、「つづれおり」からの彼女の代表曲”It’s Too Late”「心の炎も消え」。

 これらの曲も含めて、この70年代前半の彼女のソングライティングのパートナーはToni Sternという女性で、女性二人で曲を作っていたわけで「つづれおり」の中にも女性の心の変化を題材にした曲が多い。社会的にも女性の進出が目立ち始めたころと一致しており、この”…Too Late”も「つづれおり」自体も、時代が違えばあれだけのヒットにはならなかっただろう、と彼女は回想しています。遅すぎなくてよかった?
Pearls (Mini Lp Sleeve)

 4曲目の”Chains”は珍しくビートルズもカバーしている曲。70年代後半から彼女はレコードはコンスタントに出すのですがセールス的にはスランプの時期を迎えてしまいます。そんな中、80年に “Pearls”という、ゴーフィン-キング時代に他人に提供した曲のセルフカバーアルバムを出しますが、その中でも印象的な一曲でした。

 5曲目”(You Make Me Feel Like) A Natural Woman”は「つづれおり」のセルフカバーもいいですが、なんといってもアレサ・フランクリンですね。

 「今晩、この後、SMAPSMAPに出演するから観てね」とMCが入りましたが、よほど近くに住んでいない限り無理ですね。僕でさえ40分かかるんだもの。

 6曲目 “Pleasant…”は彼女自身のスタジオ録音はなく、最近のライヴでは好んで歌っているようです。モンキーズの大ヒット曲の一つ。

 7曲目“…At War”は未発表作品で、まさに、最初に書いた、共和党政権を倒すために部屋に集まった、云々という話が本当に思えてくる、ベトナムの時代にはゴーフィンと明るいラブソングを中心に作っていた彼女の今になっての反戦歌に聞こえました。

 そして、”I Feel the Earth Move”「空が落ちてくる」。「つづれおり」の中で、”…Too Late”との両A 面ヒット(懐かしい表現だなあ)に続きます。あなたと一緒にいると大地が動き空が落ちてくるのがわかる、という恋の衝撃の歌ですが、その反戦歌と繋げてちょっと違った響きを持たせながら、いったん引っ込みます。

 アンコールは、”So…“「去り行く恋人」”You’ve Got a Friend”「君の友だち」と「つづれおり」の名曲二つのメドレー。後者はジェームス・テイラーのカバーでナンバー1ヒットになり、キャロルのレコードで彼はギター、バックヴォーカルで参加しています。今回はゲリー・バーがその役目を完全に果たしていました。前者は、96年、「つづれおり」へのトリビュートアルバムで、収録曲全部を別々のアーティストが独自の解釈で録音した”Tapestry Revisited”の中でのロッド・スチュアートのカバーがものすごくいいんですけれどね。
Tapestry Revisited: A Tribute to Carole King

 最後は”Locomotion”Little Eva, Grand FunkKylie Minogue3回もヒットし、彼女自身も“Pearls”で録音している。ただし今回はダンサブルでもロックっぽくもなく、彼女のピアノだけで割とゆったりめのアレンジで、「リトルエヴァでも憶えられるような簡単なABC」などど歌詞もいじっていました。

 最盛期もあればスランプもあり、別のことに関心を持つこともある。そんな自然体の彼女の今を自然に表現しようとしたステージ、という感じでした。
Grace Of My Heart 輸入盤 【CD】

 彼女の半生をモデルにした「グレイス・オブ・マイ・ハート」という映画についても前に書いたことがありますので、ついでにどうぞ。

 今年のことは、今年の中で終わらせたいけれど、無理そうだなあ。

 とにかく、メリークリスマス!

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2008年11月23日 (日)

Ever Changing Times (Part 2)

10月、ちょっと穴を開けていた時期に観ていたライヴレポートを。全く別の日に見た二つを、ほんの僅かな共通点で無理やり結び付けます。

 一人目はデヴィッド・ロバーツという人。殆ど知られていないでしょう。しかし、彼の生まれ故郷カナダや、アメリカなんかよりも日本のほうが熱心なファンがいる、そんな人でしょう。

 ソングライターとして、微妙に知られている人です。

 例によって終了後にせしめてサインももらったセットリストを出して、演奏曲目から行きたいのですが。

David_roberts_setlist





 



 Knee Deep in the Hoopla
  この中で比較的有名な曲は、例えば
9曲目の”Before I Go”。これはスターシップの「シスコはロックシティ」「セーラ」が入っていた大ヒットアルバム”Knee Deep in the Hoopla”に収められた曲です。他にもスターシップにはその次の”No Protection”の中に”Say When”という曲を提供しています。
When I See You Smile

 また11曲目” Stay with Me Tonight”は、ソロとして85”Missing You”の大ヒットを持ち、70年代にはベイビーズ、ソロを経て80年代末にはバッド・イングリッシュと流れたジョン・ウエイトとの共作です。実際この曲はバッド・イングリッシュが取り上げるはずだったのがボツられたもので、代わりにデヴィッド、ジョン・ウエイト、そしてジョナサン・ケイン(ベイビーズ、ジャーニーを経てバッド・イングリッシュに参加したあの人です。念のため)の共作で”Tough Time Don’t Last”が収録されました。

6曲目 “Midnight Rendezvous”84年のラムゼイ・ルイスのアルバムに取り上げられています。

 それから、日本向けの企画物として録音されたのが5曲目の”Run Back”。これは93年の赤坂局系列のドラマ、確か高島政伸主演だったと思いますが「新幹線物語」のテーマで使われました。

 そんな感じで、80年代後半のお洒落AOR系の流れを汲んでいた人だったんですね。

 82年に一枚だけAll Dressed Upというアルバムを残していました。バックが当時全盛期だった、デヴィッド・フォスター、TOTO周辺の人脈で固められ、もうそれ以上説明が必要なく想像できるような音作りで、彼自身TOTOに入ってヴォーカルをとっても全く違和感のないような、ジョゼフ・ウィリアムズやトミー・ファンダーバークみたいな声質でした。

 なんと26年ぶりとなる新作“Better Late Than Never”(謂い得て妙だ)、プラス今までの他人提供曲、ボツ曲を集めた”Missing Years”を日本向けに発表しての来日でした。

 小さなライブハウスで聴衆は50人くらいしかいない、でもこういうのが自分としては一番好きですね。

 一曲一曲、誰のために書いた曲だ、どういう切っ掛けで書いた曲だ、丁寧なMCが入り、お客さんを大切にしている感じでした。

 ライヴが終わった後も、3枚のCD,セットリスト、宣伝ポスター2枚と7つもサインをもらってしまいました。バックに、ジミー・ウェッブ、バリー・マン、アメリカなどをプロデュースしたことがある、その筋の大物フレッド・モーリンという人がいて、その人にもサインをもらって話し込んでしまいました。
All_dressed_upBetter_late_than_never

 



Missing_years




 
  さて、その一週後、今度はスティーヴ・ルカサーのライヴがありました。

 デヴィッド・ロバーツとルカサーを無理やり繋げるとすると、その82年の”All Dressed Up”のバックにルカサーをはじめTOTOの面々が全面協力をしていたことと、あとランディ・グッドラムという人物。もうすでに何度か登場しましたが、アン・マレーの「辛い別れ」、スティーヴ・ペリー「OH!シェリー」など多くのメロウなヒット曲を書いた、今年の大統領選挙の民主党予備選挙でがんばった、今度の国務長官になりそうな女性のご主人の前大統領と高校の同級生で一緒にバンドをやっていたあの人。音楽上の人脈もやはり通じていて、ロバーツはグッドラムとの共作曲は”Run Back”その他多く(クリントン夫妻の話題もロバーツと話しました)、ルカサーはTOTO活動停止宣言と同時に発表したソロアルバム”Ever Changing Times”は殆どグッドラムとの共同プロデュースといっていい。

 大会場ではないけれども、ライブハウスとしては名古屋では新しく大きめの場所で。

 半年前にTOTOライヴも観て、そこで同じようなフロントマンの役割を果たしていた彼、今回はTOTOの曲こそ一曲も演奏しませんでした(当たり前)でしたが、その最新作では一人TOTOをやっている感じで、ライヴも、例えばラリー・カールトンと一緒にやった時の彼とは違い、TOTOの彼がそのままソロになってやってきたという違和感のない音作りや雰囲気でした。当然、ロバーツよりハードで聴衆ノリノリ!

 

1. Drive A Crooked Road
2. Twist The Knife
3. Ever Changing Times

4. Live For Today

5. How Many Zeros

6. Stab In The Back
7. Hate Everything About You
8. Song For Jeff

9 Party In Simon's Pants
10 Jammin' With Jesus

11. Fall Into Velvet > Never Walk Alone
12. Talk To Ya Later

13The Truth
14. Tell Me What You Want From Me

Ever Changing Times

そのニューアルバムからは、3561013143はタイトル曲で、この曲だけ聴衆と一緒にチャントをやった。6は、スティーリーダンそっくりの曲で、インスピレーションをくれた二人と、ジェフ・ポーカロに捧げる、とのMCで流れるようなギタープレイ。

7は、ボブ・シーガーの”Shame on the Moon”などのカントリー系のヒット曲を書いたロドニー・クロウエルとの共作曲で、「お前なんか大嫌い」という曲で、アコースティックギターで弾き語りしながらどさくさにまぎれて”SO Fuck YOU!”といったのを聞き逃しませんでした。僕は曲終わりの後、”FUCK YOU BACK!”と客席から返してやると、ルカサーはニヤリとして“Really?”と語尾下がりで返してきました。やる気か?てな感じ?

TOTOについていろいろな噂が飛び交っているのは知っている。まだ我々は仲間で、連絡をしょっちゅう取り合っているよ」と、本とか嘘かのMCのあと、またジェフに捧げる曲8と、一番の仲良しであるサイモン・フィリップスに変な意味でインスパイアされた9。高中正義みたいなインストロメンタルの13

ドラムが、ショーン・キングストンを10歳老けさせたような太っちょのヴァレンタインという人だったのですが、メンバー全員が彼がお尻丸出し全裸で子供と風呂に入っている写真をルカサーを含むバンド全員が首掛けIDカード入れに入れてぶら下げていたというおふざけ付でした。

Ever Changing Times、諸行無常。TOTO,ボズ・スキャッグスのダブルヘッドライナーの時と同じく再びタイトルにして見ましたが、共に80年代の洋楽の主流部分を、一方は裏方から、他方は表舞台で支えていた二人。一方は回顧的なライヴ、他方は過去の遺産は受け継ぎつつ新しい挑戦をしようとしていたライヴ。対照的といえばそのとおりですが、いい音楽はいい音楽、理屈抜きに楽しみましょう。

ライヴリポートはまだまだ続く。

Steve_lukather_ever_changing_times

 


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2008年10月15日 (水)

Realize

またライヴリポート。チョッと続きそう。克也さんのラジオが聴ける回数が残り少ないというのに。。。

 今回はコービー・カレイ。小さいライヴハウスでやってくれました。これは行くしかないですね。

 ベストヒットUSAの大晦日生特番の放送終了後、楽屋でのちょっとした反省会で「これだけの長時間、チョッとゲスト呼んでナマ小ライヴやらせたらよかったね。コービー・カレイなんかいたら呼びたかったね」と仰っていました。

 わかりますね。彼女ならバンド全員でも小回りが利きそうだし、一人だけでも弾き語りできそうだし、気さくに来てくれそう。だけど、その後の10ヶ月の間だけでも、かなり大きくなってしまったのではないでしょうか。そしてこれからもっと大きくなっていきそう。

 彼女のCaillatという苗字、はるか昔にどこかで聞いたことがあるな、と思っていたのですが。

 なんと、僕が自分の小遣いで一番最初に買って、今までの人生で最も多く買い換えて最も多く聴いているであろう、フリートウッドマックの「噂」(そしてその次の「牙(タスク)」

のプロデューサーに名を連ねていた Ken Caillat(当時は僕も含めてみんな「キャリヤット」と発音していましたが)という人がいて、彼女はその愛娘なんですね。なんかこちらから一方的ですが因縁を感じてしまいます。

 それでも父親がその仕事をしたのは30年以上前。彼女は22歳。

 さらにそれでも、20周年の名盤製作回顧ドキュメンタリーDVDの撮影の際、子供だった彼女は父親に連れられてメンバーに引き合わせてもらったとか。得にスティービー・ニクスにはすごく憧憬の情を抱いたよう。ステージでもそういう匂いが少し感じられましたね。

 それでも、彼女が自分自身でもシンガーになる夢を見始めたのは、そんな家族環境もさることながら、やはり彼女のジェネレーションで、ローリン・ヒル(彼女の言葉、正確にはフージーズ)を聴いて、自分でもその曲を小学校のコンテストで歌って以来、だという。

楽器はまずピアノから入り、曲作りを始め、ギターを始めたのは4年前だという。まあ、4年やればあれくらいできるだろう、という腕前でした(素人が偉そうに)。

 そして、まだ歴史の浅いマイスペースでアクセス数、再生回数、お友だち登録数が通算でトップになり、颯爽と登場した。時代の申し子、ですね。

 さて。ステージです。

 普段僕が行くより、聴衆平均年齢は低い低い。カップルもいっぱい。

 彼女か登場すると、「かわいーー!!!」の黄色い声。

 彼女の場合、アルバムはまだ一枚しか出ていませんし、いい意味でも悪い意味でもそのアルバムでの、アコースティックでシンプルな、若々しいイメージは定着しており、ステージでもそのアルバムの曲をそのまま聴いたような感じでしたので、いきなり、例によって終了後ゲットしてサインを入れてもらったセットリストを出して曲目を確認することにしましょう。

 彼女自身がギターを持って歌ったのはほんの数曲で、あとは歌に専念してバックに任せていた感じでした。

 1曲目から3曲目はアルバムと全く同じ曲順です。4曲目で2枚目のシングル”Realize”をやった後に出てきた、“U.P.”とは。クィーン+デヴィッド・ボウィの “Under Pressure”でした。原曲の、ファンク、オカマっぽい色っぽさはなく、アコースティックベースを利かせて彼女のイメージで。それとメドレーでやった”Something Special”は未発表曲のようですね。

 またアルバムからの曲に戻り、8曲目の”Tailor Made”の前には、「姉貴の彼氏を紹介されて、姉貴に捧げた曲よ」と長めのMCが付きました。

 9曲目は、上でチョッと触れましたが、この曲に感動して、この曲を小学校の歌のコンテストで歌って、アーティストになる夢を持った、というあの曲。彼女のギターと、バックにベースがもう一人だけのシンプルな構成で歌われて、アコースティックな味で、むしろロバータ・フラックに似ていて、全くヒップホップではありませんでした。

 実は帰りのエレベーターでも彼女と一緒になって、チョッと話せたのですが、それでも私が影響を受けたのはローリン・ヒルの方だ、と言っていました。

 この曲を作ったときはギターを習いたてで、共作のジェイソンにすごく助けてもらったわ」というお馴染み“Bubbly”をみんなで大合唱した後、そろそろ終わりだな、何が始まるかな、と思ったら、彼女は「みんな、ダンスっぽいのがいい、それともロックしたい?」と訊いてきました。ダンス、が多数意見を占めた感じだったので、”I.W.Y.B.”が始まりました。なんとこれ、ジャクソン5の”I Want You Back”だったのです。子供に戻ってステージの上でも下でも踊らにゃ損々、てな雰囲気になってしまいました。

 もし、ロックっぽいの、の意見が多数だった場合用意されていた、“B of B”とは何だったのでしょう?ストーンズ、ベッド・ミドラーの”Beast of Burden”あたりでしょうか?もし、他の場所でライヴをご覧になって、この”B of B”だったという方、いらっしゃったらぜひご教示下さい。

 アンコールの”Capri”では、同い年の友達が若くして母親になる、その一部始終を見て感動して、彼女に捧げた曲、と紹介して、彼女のギター一本で歌われました。

Colby_calliat_coco

 リオナ・ルイス、サラ・ブラリス、テイラー・スイフトなど、ACのジャンルではちょっとした女の子シンガーソングライターブームが起こっています。そんな中でも、一番最初に夢を実現した(realize)、もっと大きくなっていきそうな彼女に注目。

 まだ間に合った。しつこいですが、15日水曜日夜9時、新番組「水曜ノンフィクション」2時間特番に、私、阿南東也がほんの少し登場しますので、ここでこんなこと書いているミーハーはこんな奴だったのか、とわかる機会はそうはありませんので、お暇でしたら是非。

Colby_setist

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