スティクス

2007年6月15日 (金)

(You Can Still) Rock in America!

Night_ranger_hole_in_the_sun ナイトレンジャーのライヴに行ってきました。

古いアーティストばっかり登場しますね。新しいのにも行こうとしているのですが、例えばこのナイトレンジャーと同じ場所でやるはずだったスノーパトロール。一度予定されていた講演が延期になってしまい、その延期講演が更に延期になってしまいました。外に出ようとするとメンバーに怪我とか病気とか、必ず何か起こるバンドだそうで。

さて、ナイトレンジャー。

東京では渋谷CCレモン公開堂(笑っちゃう名前だなあ)、大阪でも割と大きな会場でやったようですが、ここではライヴハウス。間近で見られて得した気分。しかしオールスタンディング、仕事帰りだったので、満員熱気ムンムンだったフロアの後ろのほうになってしまいました。

このナイトレンジャー、ルーツを辿っていくと面白い。なんとファンクの帝王、スライ&ファミリーストーンに繋がります(数週間後、DJ Kobys Radio Showで特集があるみたいです、乞うご期待)。このスライ&ファミリーストーンのメンバーだったジェリー・マーティニが70年代後半、ルビコンというグループを作りますが、そこで後にナイトレンジャーを結成することになる、ベース、ヴォーカルのジャック・ブレイズ、ドラム、ヴォーカルのケリー・キーギー、ギターのブラッド・ギリスがこのバンドで出会っているんですね。

僕はなんとこのルビコンというバンドのCDを持っているんです。基本はさすがスライ譲りのファンクなんですけど、”I’m Gonna Take Care of Everything”という、ソウルバラードのシングルを、78年、ビルボードで30位くらいのマイナーヒットを放っているんです。この曲が好きで持っているんですけど、こんなの持っている人、他にいるかなあ?それがまさかナイトレンジャーに大化けするとは。

ナイトレンジャー、80年代にヒット曲は割と多かった。コアなファンもいたけど、ただヒット曲しか聴かない、という人たちでは評価が分かれていた、そんなバンドだったような気がします。

忠実なフォロワーはHR/HMバンドとして評価している。しかしヒットした曲はバラードだったりポップだったり、そういうのを聴いた人には同じ時代の、ジャーニー、フォリナーあたりの、売れるためのロック、所謂「産業ロック」の括りにされてちょっとバカにされている。

実際、彼らもこの二つのイメージの板ばさみにあい、特にレコード会社から売れることを要求されたためグループの中でも対立が起こり、88年に一端解散状態になってしまいますが、96年に上の三人のオリジナルメンバーを中心に再結成、CDも発表し、ライヴもコンスタントに行い、来日も三年ぶりになります。

ライヴは、お馴染みの曲を全て網羅しながらも、自分たちはHR/HMだ、とでも言いたげな構成でした。

しょっぱなからディープパープル「ハイウェイ・スター」のフレーズを曲中に挿入してみたり。

Night_ranger_midnight_madness おなじみの曲とは。

Touch of Madness

Sing Me Away

「マイケル・J・フォックスから電話がかかってきて、僕の映画のために曲を書いてほしいんだ、って言われたから、俺たちはすぐギャラはいくらと聞き返したんだよ」という冗談のMCがはいって

Night_ranger_7_wishes Secret of My Successのテーマ

When You Close Your Eyes

シートが用意されて、アコースティックタイム。ここでは

Goodbye

ロゴ入りピックを何枚もフロアに投げ入れて、「あれ、テッド・ニュージェントのロゴ入りピックが混じってるぞ」と言いつつ

Damn_yankees High Enough も演ってくれました。

そう、ジャックはグループが空中分解していた時期、テッド・ニュージェント、トミー・ショウらとダム・ヤンキーズをやっていたんですね。トミーがスティックスのライヴで同じ曲を演ったのも聴きましたが、そのときはトミー一人の弾き語りで、一節だけで終わってしまったような感じでしたが、今回はメンバー全員が参加してのフルバージョンで、こっちの方がよかったです。

またフルセットに戻ると

Night_ranger_dawn_patrol Sentimental Street

ラスト近くになると盛り上がって、

Rock in America

そして最後は、シブがき隊「ゾッコンLove」(イントロがそっくりなんです)、いやいや、

Don’t Tell Me You Love Me

の大合唱で、一端引っ込んだ。

となるとアンコールはやっぱり、名バラード

Sister Christian

でした。

聴衆は、HMの連帯を表す例の、右手の人差し指と小指を立てるサインでコブシを上げる人が多かったです。

ジャックが、結婚三十年なんで妻に写真を送る、といってフロアをバックに撮っていました。

ブラッドが今週の金曜日、東京で50歳の誕生日を迎えるそうです。

まだまだ、ロックできるぞ!

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2006年7月21日 (金)

The Best of Times

ベストヒットUSAに関する小ネタ。

716日、タイムマシンコーナーであったとおり、STYXのオリジナルメンバーのドラマー、ジョン・パノッソの命日でした。1996年逝去。享年47歳。

若くて悼まれる急逝でした。

 彼とスティクスに関して以前にチラッと書いたこともあるのですが。もうそろそろこのコラム(つまり克也さんのサイト)も一年になりますから。

http://radiobaka-archive.cocolog-nifty.com/bakabaka/2005/09/its_still_rockn.html

 中心メンバーのデニス・デヤング、トミー・ショウに関するゴタゴタはその記事の通り。オリジナルメンバーから現在までに至るのは、曲作りでもヴォーカルでも一番地味ですが、ハードロック志向が一番強いジェームス・ヤング(JY)が残るのみになってしまっています。

 以前のその記事にも99年に見た彼らのライヴのことは書きましたが、JYはそういう意味で、現在のスティクスのフロントマンとして紹介されていました。古くからのファンには喜ばしいことですが、80年代の彼らをよく憶える人たちにとっては、JYは「第三の男」だったのでちょっと違和感があるかもしれません。Styx_paradise_theater

 スティクスのリズム体はそのドラムのジョンと、ベースは双子のチャックのパノッソ兄弟が名物でした。長髪イケメンのジョンと、ステージでは一番動かない、物静かで童顔のチャックのコントラストが、シアトリカルな面を持ったこのバンドのユーモア担当といった感じでした。

 このチャック・パノッソ。

90年代に、自分は同性愛指向者であることを公表、さらにHIVキャリアであることも公表しました。

 感染がわかってから既に15年以上経っていますが服薬療法によりウィルスをコントロールしており発症は抑えられているそうです。

 ただしこの間に彼は別の病気にかかり、音楽活動は半ば引退しなければならなくなりました。Babys_the_best_of Patti_smyth_greatest_hits Bad_english_greatest_hits

 その後、スティクスのベーシストは、もともとは90年の再結成の時、当時不参加だったトミー・ショウの代わりに加入したグレン・バートニック(パティ・スマイス&ドン・ヘンリーのデュエットのナンバー1ヒット Sometimes Love Just Ain’t Enoughの作者でした)、その脱退後は、ベイビーズ、バッドイングリッシュ、カバーディル-ペイジと歩んできたリッキー・フィリップスになって今に至っています。

 チャックは、現在スティクスの中では、Bassist Emeritus、「名誉教授」ならぬ「名誉ベーシスト」として扱われています。健康上の問題もあり、また彼自身、地元のシカゴで、同性愛、HIV、エイズの問題に関する理解の拡大、偏見撲滅への活動家となっているので、ライヴには参加できる時には大歓迎で参加していただきます、と。Styx_reo_speedwagon_arch_allies_

 以前の記事でも紹介したスティクスとREOスピードワゴンのダブルヘッドライナーでのライヴを収録したDVDではチャックはその通りにゲストとして2曲参加していました。それでも、彼が参加するライヴは、年々数が減ってきているようです。

 僕も含めて、まだまだ理解が十分とはいえないHIV、エイズの問題。

 いわゆる先進国では日本は唯一感染者数が増加中であるそうです。

 日常の生活では感染の可能性はほぼ皆無だし、チャックの例のように、服薬療法によって発症は予防でき、数十年生きられるようになり、慢性病と扱われるようになっているようです。

 普通の病気として向き合わなければならない時期が来ているのかもしれません。

1981年、彼らがコンセプトアルバム「パラダイス・シアター」を発表して彼らのキャリアの中で最高の売り上げを記録した頃、デニス、トミー、JY、ジョン、チャックがそろっていた頃、The Best of Timesが大ヒットした頃、彼らは「最高の瞬間」を迎え、輝いていた。

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2005年9月21日 (水)

It's Still Rock'n 'Roll to Me!

先週の続きで、911日という誕生日に責任を感じている(?)STYXのトミー・ショウの話。STYXって結成が72年くらいですけどまだやってるんですねえ。彼らを最後に観た、というか最後に日本に来たのが99年で、割と小さなライブハウスで観られたから、ライブのあとでサインをもらえたりちょっと話せたりしたんですね。

B000002gf601_sclzzzzzzz__1 STYXとして彼がその前に来日したのがアルバム Kilroy was Hereのプロモーションに来た82年で、当時はテレビでベストヒットUSA、ラジオでは赤坂局の深夜放送のサウンドストームDJANGOなんか、克也さん番組に出ずっぱりで、特にラジオのほうなんか克也さんが当時からよくやっているイントロクイズでアーティストの音楽的傾向を引き出すインタビューで彼がいじめられていたのを憶えていたので、そのことをトミーと話題にしてみたら、彼も良く憶えていたようでした。

B000002ll101_sclzzzzzzz__1  STYXといえばトミーとDennis DeYoungが二枚看板でしたが、そのKilroyのアルバムあたりから二人の意見対立が激しくなって解散状態になり、デニスはソロ活動に、トミーはソロを経てDamn Yankeesを結成。その後90年代初めにデニス中心で再結成し、数年後にトミーも加わる形で完全復活(ドラムのJohn Panozzoは逝去)、しかしまた内部で意見が合わなくなったのか、デニスの病気もあって彼はやめさせられる形になり、デニスとSTYXはそのバンド名の使用権をめぐり裁判になり完全に分裂。STYXはデニスそっくりの甲高い声のボーカル兼キーボードを新加入させて今に至っています。B00004xr6f01_sclzzzzzzz__1 B0002y4t3801_sclzzzzzzz__2

  最近では同じ中西部が拠点ということでREO Speedwagonと意気投合し合同ライブを頻繁にやっていて、最近もチケット売り上げをカトリーナ被災救援に寄付しているようです。STYXREOのジョイントライブはCDDVDにもなっていて、ベストヒットUSA世代には涙ものですね。他方デニスはSTYXの曲をクラシック風にシアトリカルにアレンジしたCDを発表したり、こちらも精力的です。

B000b5xzss01_sclzzzzzzz__1  このSTYXが辿った道のりは、今も生き残っている昔からやっているバンドの一つのパターンを作ってしまったような気がします。今 ZIP HOT 100Journeyの新曲が上がっていますが、やっぱりSteve Perry脱退後、彼にそっくりな声の後釜ボーカルを据えている。


 
B00003tkgk01_sclzzzzzzz__2B000002w9301_sclzzzzzzz__3    あと、やっぱりZIPのチャートに David Pack “Biggest Part of Me”というセルフカバーが数週間前まで入っていましたが、彼と彼のいたバンドAmbrosiaとの関係がデニスとSTYXとの関係を彷彿とさせます。80年代半ばにやはり解散状態になり、デビッドはソロに、もう一人の主要メンバーだったJoe Puerta Bruce Hornsby & the Rangeに参加(ベストヒットUSAにブルースとジョーがゲスト出演したときに、ブルースが「僕がアンブロージアのビデオに出演したことがバンドが解散した原因だ」なんて言ってました)。今またアンブロージアは再結成しましたが、やっぱりデビッドとの間でバンド名使用権に関して訴訟合戦があり、これもやっぱり、デビッドそっくりの声の後釜ボーカルを立ててライブに回っている。

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B000002ljz01_sclzzzzzzz__1 CHICAGOPeter Cetera脱退の後、やっぱり声質音域がそっくりな Jason Scheffを入れたあたりから完成したパターンかなあ。他方、昔ながらのメンバーでできることに越したことはなく、そういうバンドもいろいろありますが、それに関する考察はまたの機会に回します。

B00000ddmh01_sclzzzzzzz__1  今回のタイトルは「昔の名前で出ています」にしようかとも思いましたが、悪乗りが過ぎますし、やっぱり洋楽に拘りたいので、いろいろあってもオジサンたちはまだロックンロールだ、ということで、ビリー・ジョエルのあの曲から頂きました。

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2005年9月14日 (水)

Landslide

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  日曜深夜、月曜早朝は毎週夜更かしします。アメリカでは日曜の午前にあたり、懐かしいケーシー・ケーサムのカウントダウン番組がストリーミングで聴けるからなんですけど、911日の深夜ばかりは、選挙結果速報番組を最後の一議席が決まるまで見守ってしまいました。自民の大勝は想定範囲内でしたけどその勝ち具合は範囲外だった。克也さんは、独占は腐敗につながるからだめ、選挙ではナンバー2を応援したいとおっしゃっていましたけど、小選挙区制とはそのナンバー2以下をばっさり切り捨ててしまう制度なので、克也さんみたいな、判官贔屓的な感情の介入を許す余地がない。実際の支持者は自民と民主が5対3くらいかもしれないのに選挙結果はあのようになってしまうし、また別の見方をすれば本当に小選挙区制になじむ二大政党制とは5対3ではだめで支持層や支持地域がある程度分離している1対1に近いものでなければ機能しない、そんなことがはっきりわかった選挙結果だったのではないか、なんて思っています。

 あと、9月11日といえばやっぱり、あの日、でしたのでそれに引っ掛けた報道もいっぱいあって、陳腐ですけど僕もそうしようと思います。1973911日、チリでピノチェト将軍がクーデター、なんてのもあるんですけど。

911はアメリカでは緊急事態を知らせる電話番号で、それが偶然にも日付に一致していたので憶えやすく象徴として広まったところがあるんですけど、日本では警察が110番、消防救急が119番、なぜ似ているんでしょう?これはダイヤルフォンの場合、9や0はダイヤルがすぐ巻き戻るからすばやくかけられて、これに1、つまり一番遠くて巻き戻るのに時間のかかる数字を入れて、その巻き戻りの時間で落ち着きを取り戻してほしい、ということなんだそうです。プッシュフォンの時代には全く意味がないんですね。

 そして洋楽絡みでいうと、911日はSTYXのギタリストTommy Shawの誕生日。克也さんもおっしゃっていましたし、僕も実は彼と話したことがあるんですけど、背が異様に低くてはにかみ屋でかわいい感じがする。そんな彼も52歳。彼も自分の誕生日に責任を感じているようで(どんな責任じゃ?)、同時多発テロ事件の犠牲者の家族への義援金募集活動に熱心で、またその延長で今回のハリケーンカトリーナの被害者救済の義援活動も早速始めており、やっぱりストリーミングで彼が生声で募金を呼びかけるメッセージを聞きました。 

B000002pc601_sclzzzzzzz__3  今回のタイトルはまた選挙の話に戻るんですけど、地すべり的勝利、というのはlandslideですが、これは最近ではDixie ChicksFleetwood Macの曲をカバーしてヒットになったことで知られるようになった曲。また、オリビア・ニュートン・ジョンの、「フィジカル」の次の次のシングルカットの曲がやはりLandslideで、これはそれとは同名異曲でした。

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