フリートウッド・マック

2008年10月15日 (水)

Realize

またライヴリポート。チョッと続きそう。克也さんのラジオが聴ける回数が残り少ないというのに。。。

 今回はコービー・カレイ。小さいライヴハウスでやってくれました。これは行くしかないですね。

 ベストヒットUSAの大晦日生特番の放送終了後、楽屋でのちょっとした反省会で「これだけの長時間、チョッとゲスト呼んでナマ小ライヴやらせたらよかったね。コービー・カレイなんかいたら呼びたかったね」と仰っていました。

 わかりますね。彼女ならバンド全員でも小回りが利きそうだし、一人だけでも弾き語りできそうだし、気さくに来てくれそう。だけど、その後の10ヶ月の間だけでも、かなり大きくなってしまったのではないでしょうか。そしてこれからもっと大きくなっていきそう。

 彼女のCaillatという苗字、はるか昔にどこかで聞いたことがあるな、と思っていたのですが。

 なんと、僕が自分の小遣いで一番最初に買って、今までの人生で最も多く買い換えて最も多く聴いているであろう、フリートウッドマックの「噂」(そしてその次の「牙(タスク)」

のプロデューサーに名を連ねていた Ken Caillat(当時は僕も含めてみんな「キャリヤット」と発音していましたが)という人がいて、彼女はその愛娘なんですね。なんかこちらから一方的ですが因縁を感じてしまいます。

 それでも父親がその仕事をしたのは30年以上前。彼女は22歳。

 さらにそれでも、20周年の名盤製作回顧ドキュメンタリーDVDの撮影の際、子供だった彼女は父親に連れられてメンバーに引き合わせてもらったとか。得にスティービー・ニクスにはすごく憧憬の情を抱いたよう。ステージでもそういう匂いが少し感じられましたね。

 それでも、彼女が自分自身でもシンガーになる夢を見始めたのは、そんな家族環境もさることながら、やはり彼女のジェネレーションで、ローリン・ヒル(彼女の言葉、正確にはフージーズ)を聴いて、自分でもその曲を小学校のコンテストで歌って以来、だという。

楽器はまずピアノから入り、曲作りを始め、ギターを始めたのは4年前だという。まあ、4年やればあれくらいできるだろう、という腕前でした(素人が偉そうに)。

 そして、まだ歴史の浅いマイスペースでアクセス数、再生回数、お友だち登録数が通算でトップになり、颯爽と登場した。時代の申し子、ですね。

 さて。ステージです。

 普段僕が行くより、聴衆平均年齢は低い低い。カップルもいっぱい。

 彼女か登場すると、「かわいーー!!!」の黄色い声。

 彼女の場合、アルバムはまだ一枚しか出ていませんし、いい意味でも悪い意味でもそのアルバムでの、アコースティックでシンプルな、若々しいイメージは定着しており、ステージでもそのアルバムの曲をそのまま聴いたような感じでしたので、いきなり、例によって終了後ゲットしてサインを入れてもらったセットリストを出して曲目を確認することにしましょう。

 彼女自身がギターを持って歌ったのはほんの数曲で、あとは歌に専念してバックに任せていた感じでした。

 1曲目から3曲目はアルバムと全く同じ曲順です。4曲目で2枚目のシングル”Realize”をやった後に出てきた、“U.P.”とは。クィーン+デヴィッド・ボウィの “Under Pressure”でした。原曲の、ファンク、オカマっぽい色っぽさはなく、アコースティックベースを利かせて彼女のイメージで。それとメドレーでやった”Something Special”は未発表曲のようですね。

 またアルバムからの曲に戻り、8曲目の”Tailor Made”の前には、「姉貴の彼氏を紹介されて、姉貴に捧げた曲よ」と長めのMCが付きました。

 9曲目は、上でチョッと触れましたが、この曲に感動して、この曲を小学校の歌のコンテストで歌って、アーティストになる夢を持った、というあの曲。彼女のギターと、バックにベースがもう一人だけのシンプルな構成で歌われて、アコースティックな味で、むしろロバータ・フラックに似ていて、全くヒップホップではありませんでした。

 実は帰りのエレベーターでも彼女と一緒になって、チョッと話せたのですが、それでも私が影響を受けたのはローリン・ヒルの方だ、と言っていました。

 この曲を作ったときはギターを習いたてで、共作のジェイソンにすごく助けてもらったわ」というお馴染み“Bubbly”をみんなで大合唱した後、そろそろ終わりだな、何が始まるかな、と思ったら、彼女は「みんな、ダンスっぽいのがいい、それともロックしたい?」と訊いてきました。ダンス、が多数意見を占めた感じだったので、”I.W.Y.B.”が始まりました。なんとこれ、ジャクソン5の”I Want You Back”だったのです。子供に戻ってステージの上でも下でも踊らにゃ損々、てな雰囲気になってしまいました。

 もし、ロックっぽいの、の意見が多数だった場合用意されていた、“B of B”とは何だったのでしょう?ストーンズ、ベッド・ミドラーの”Beast of Burden”あたりでしょうか?もし、他の場所でライヴをご覧になって、この”B of B”だったという方、いらっしゃったらぜひご教示下さい。

 アンコールの”Capri”では、同い年の友達が若くして母親になる、その一部始終を見て感動して、彼女に捧げた曲、と紹介して、彼女のギター一本で歌われました。

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 リオナ・ルイス、サラ・ブラリス、テイラー・スイフトなど、ACのジャンルではちょっとした女の子シンガーソングライターブームが起こっています。そんな中でも、一番最初に夢を実現した(realize)、もっと大きくなっていきそうな彼女に注目。

 まだ間に合った。しつこいですが、15日水曜日夜9時、新番組「水曜ノンフィクション」2時間特番に、私、阿南東也がほんの少し登場しますので、ここでこんなこと書いているミーハーはこんな奴だったのか、とわかる機会はそうはありませんので、お暇でしたら是非。

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2008年2月14日 (木)

Where Have All the Flowers Gone?

どなたでもご存知の歌ではないでしょうか。学校の音楽か英語の時間にも出てくるような。

THE NEW FRONTIERS sing THE KINGSTON TRIO  古いフォークソングですね。曲を書いたのはピート・シーガー。ピーター、ポール&マリーが演奏しているのを聴いて、キングストン・トリオが録音,それで広く世に知られるようになりました。1962年のこと。

 そのキングストン・トリオのメンバーだった一人が、天に召されました。ジョン・スチュアート、2008119日逝去、享年68歳。

 現在なら同姓同名のテレビコメンテーターが人気のようですが、僕にとってはあくまでも、ジョン・スチュアートといえばミュージシャンのジョン・スチュアートです。ちょっとの時間ですが会話したこともあるんですから。

 キングストン・トリオといえば、フォークのルーツ的存在。56年に「トム・ドゥーリー」という大ヒットがありました。実在した、南北戦争のときに南部側に従軍していたミュージシャンの話。戦争が終わったあと、何人かの女性と関係を持ち、結婚もしますが、その相手が刺殺されてしまった。その相手に最後に会っていた人物としてトムは嫌疑をかけられ、逃亡するが捕まってしまい、証拠不十分のまま絞首刑にされた。

 “Hang down your head Tom Dooley, Hang down your head and cry…”

ジョンがキングストン・トリオに参加したのは61年からですからこの曲とは直接にはかかわっていません。

 ジョンが参加したあとの「花はどこへ行った?」の大ヒット。その後のヴェトナム反戦運動のアンセムになります。

 そしてジョン・スチュアートといえば、モンキーズのナンバー1ヒット、「デイドリーム・ビリーヴァー」の作者でもあります。ジョン自身も何度か録音していますが、みなモンキーズとはだいぶイメージが違うもの、やはりギター一本のバックのフォーク調のアレンジ、彼の野太い低い声で渋いです。

John_stewart_lonesome_picker_rises_  70年代、シンガーソングライターブームの中で、”California Bloodline” “Lonesome Picker Rises Again”などという、その筋では名盤と評価されているアルバムを発表しますが、セールス的には表舞台に立っていたというわけではありませんでした。

 そんな彼がソロとして大ブレイクしたのが79年。

 当時全盛期だったフリートウッドマックのリンジー・バッキンガJohn_stewart_bomb_away_dream_babiesが彼の大ファンで、彼のプロデュースを買って出ます。私生活での行き詰まりを超えて音楽上でのパートナーであり続けると決心したスティーヴィー・ニックスとともに全面的にバックアップし、”Bomb Away Dream Babies”というアルバムを発表します。それまでの彼の音楽性とは外れた、洗練された、当時流行のフリートウッドマックの音に彼の野太い声が乗っかった感じ、でもこれが最大のヒットとなり、” Gold”というソロとして唯一のトップ10ヒットも生まれます。

The Best...So Far  同じ79年、アン・マレーが「デイドリーム・ビリーヴァー」をカバーしたり、日本でも確かカメラのテレビCMにモンキーズのオリジナル曲が使われて俄かブームが起こり、当時は引退して競馬騎手になっていた元メンバーのデイヴィー・ジョーンズが鳴り物入りで来日したりしていました。

 ちなみに、デヴィッド・ボウイの本名がデヴィッド・ジョーンズで、彼がその名前を変えなければならなかったのはこのデイヴィー・ジョーンズがいたからでした。閑話休題。

 そんなこんなで、79年、ジョン・スチュワートは結構儲けた年でした。

 僕がそんなジョンに会えたのは2001年の早春。今のブッシュ大統領が就任した頃でした。

 小さな会場でライヴをやってくれました。

 バックは一人もいない、彼の声と12弦ギターだけ、僕が今まで観た中でももっともシンプルな構成。

 観客も数十人しかいないし、コアなファンしか来ていない。そのこじんまりさを活かして、フロアからのリクエストにどんどん応えるなど、渋いながらもアットホームなライブでした。

 僕はフロアから”Gold!”と叫びました。「へえ、君たちはGoldを知ってるのか」といいつつ、12弦ギター一本のみでのアコースティックな”Gold”をやってくれました。これは彼の基本に戻ったアレンジですね。

 最後は「デイドリーム・ビリーヴァー」、「今の魂のない音楽に満足してるかい?」と話しかけつつの弾き語りでした。

 ライヴのあと、サインをねだりに行きました(相変わらずミーハーや)。僕は”Bomb Away Dream Babies” “Lonesome Picker Rises Again”CDを持っていました。今では両方とも貴重で、”Lonesome...”の方は日本で再発されたのみ、”Bomb Away…”の方はアメリカのマイナーな再発レーベルからほんの短期間に発売されていただけだったので、彼はそれを持っていることに感心したようで「どうやって手に入れたのかね?」といいながらサインしてくれました。

 ちょうど同じ頃、NHKBSで、「この歌に歴史あり」みたいなシリーズがあり、克也さんのナヴィゲートで「花はどこへ行った」の特集をやり、克也さん自身は取材されなかったのでしょうが、ジョンが出てきて思い出を語っていました。

 ヴェトナム反戦で民主党(アメリカ)が分裂したのが1968年、なんか今年の大統領選挙の予備選挙も、それを髣髴とさせるものがあります。

 その邂逅の2001年のあとのアメリカと世界に何を思って、彼は天に昇ったのでしょうか。

 また一人、巨人が旅立ちました。合掌。

 

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2006年4月20日 (木)

Flying Saucer

突然、心配なニュースが飛び込んできましたが。

 御歳の問題云々以上に、克也さんは今まで休みもせず働きすぎたと思います。いい休養だと思ってゆっくり静養なさって、万全に回復してからまた戻ってきてください。

 名古屋の後釜の鉄平君の番組でも心配のメッセージが寄せられていました。また、Bent Fabricの時にいまだに「克也さんがおっしゃると説得力がある、ベント爺さん」なんて話が出てきて、克也さんの影が窺えます。またその裏番組の「山下達郎サンデーソングブック」(僕は95年までこの番組の熱心なリスナーだった。達郎さんがまだこの番組を続けていることに感謝し、僕がその番組に戻れてちょっと嬉しかったりする)で、「小林克也さんが介護保険手帳を持ってる唯一のDJを売りにしている、達郎さんももうすぐ、がんばって」なんてネタが出てきていました。

 克也さんがZIP HOT100をやっている間に書こうとしていてずっと機会を逸していたネタですが、いい機会ですので。

 先週、ここの四つ目のボタンでアップされた、スネークマンショーQAで、ジャンキー大山の「こなさん、みんばんは」はアメリカの昔のコメディから頂いちゃっているとのお話。他にも、アメリカの昔のジョークをかっぱらったりアレンジしたりしているとのこと。僕もチーチ&チャンなんかの影響があるなって思っていたことがあります。http://www.radiobaka.dj/gallery.html

ZIPでやっていたギャグのコーナーのパターンの一つに、曲から歌われている歌詞を細切れにし、その間を克也さんが繋いで会話のようにしてしまうやつがありましたが、それはディッキー・グッドマンから頂いているのではないかとずっと考えていました。

Dickie_goodman_greatest_fables 彼は50年代から活躍した、コメディアンと言うかアイディアマンというか、ノヴェルティアーティスト。克也さんの場合は、一人のアーティストと克也さんが会話したように繋げてしまいますが、グッドマンは、アーティストに拘らずその時々にヒットしている様々な曲のキャッチーな一部分を取り出して、自分は色々な場面でのインタビュアーに扮してその答えにコラージュにしてパッチワークみたいにして繋げていく。

 一番最初は1956年のFlying Saucer。当時マジで怖がられていた円盤の宇宙人襲来をテーマに、プレスリー「ハートブレイクホテル」リトルリチャード「のっぽのサリー」ペンギンズ「アースエンジェル」などなどロック創世記の名曲の一節が使われていました。これが大ヒットになり、同様の企画をその後40年以上、50枚以上のシングルレコードを製作しました。

70年代は同じやり方でウォーターゲート事件など政治問題を揶揄するレコードを多く作りましたが、彼の最大のヒットは75年のMr. Jaws.その年に大ヒットしたあの映画の、大サメの来襲を、やはりそのときのヒット曲、イーグルス「呪われた夜」キャプテン&テニール「愛ある限り」10CC「アイムノットインラブ」ビージーズ「ジャイヴトーキン」などの一節を繋げてパロっていました。これがノヴェルティレコードとしては珍しいトップ10ヒットとなり、その後もキングコング、スターウォーズ、スーパーマンなど大ヒット映画をモチーフに取り上げるようになります。

 そんな中、83年の大ヒット映画、E.T.を題材に取り上げた Hey E.T.を、字面ではわかりにくいとは思いますが、この映画をよく覚えている人、そこに取り上げられている曲はよくわかるベストヒットUSA世代の人も多いと思いますので、こんな感じだということでちょっと再現してみようと思います。

D:私は今、地球外生命体が発見された森の中に来ています。ETさん、どうして地球へやってきたのですか?Gogos_vacation_

答:”Vacation”, all I ever wanted”(「ずっと欲しかった休暇を利用して」 Go-Go’s “Vacation”


D:もとの星では何をしていたのですか?Human_league_greatest_hits_

答:”I was working as a waitress in a cocktail bar”(「カクテルバーでウエイトレスをして働いていました」ヒューマンリーグ”Don’t You Want Me”

D:ETさん、首が伸びていてきつそうですね。どうしてそんな格好をしているのですか?Juice_newton_juice

答:”….’s been a little bit hard on me”(「ちょっときつくて」Juice Newton “Love’s been a Little Bit Hard Me”


D:そういう格好をしてどんな感じですか?John_cougar_american_fool

答:”It hurts So Good!”(「微妙に気持ちいい」ジョン・クーガー”Hurts So Good”


D:ETが少年に見つかりました。エリオット君、ETに何か言いたいことは?Fleetwood_mac_mirage

答:”I don’t want no damage, but how am I gonna manage you?”(「僕は傷つきたくない、君をどう扱えばいいの?」フリートウッドマック”Hold Me”

D:エリオット君、ETがお母さんに見つかったら、お母さんはどんな目で見ると思う?Survivor_eye_of_the_tiger

:”Eye of the Tiger”(「トラの目」サヴァイヴァー”Eye of the Tiger”


D:ETが自分の星に電話をかけようとしてます。ET,どうやって電話するの?
Tommy_tutone_

答:”867-5309” Tommy Tutone, “867-5309, Jenny’s Number”


D:わお!ETがエリオット君の自転車を空中に飛ばしました。ET,どうやったんですか?Steve_miller_band_abracadabra

答:”Abra, Abracadabra, I wanna reach out and grab ya”(「アブラカダブラ、君に手を差し伸べて抱きしめたい」 Steve Miller Band “Abracadabra”

こんな感じです。無理やりのところもありますが、それも一興で、繋ぎのMCも楽しいし、ヒット曲が満載なのも楽しいんです。

 ディッキー自身は89年に亡くなってしまいましたが、その息子ジョンが彼の仕事を引き継いでいます。97年には、”Flying Saucer’97”、モルダー、スカーリ捜査官が登場する、UFO襲来のXファイル・バージョンを発表しました。

J:宇宙人さん、宇宙語で何か一言おねがいします。Hanson_middle_of_nowhere_

答:”mmm-bop, daba, doo-bop”(ハンソン 「きらめきMMM Bop」)

笑いは百薬の長。病気によく効きます。

克也さんも今回はギャグで人を笑わせるのは考えず、自分が笑って楽しい気持ちになって、早く治って出てきてください。

お大事に。

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2006年2月 2日 (木)

Rumours

Fleetwood_mac_rumours 129日のBest Hit USAのタイムマシーンのコーナーでは、1983年にスティーヴィー・ニックスが、レコード会社宣伝マンと結婚した日に当たるということで、フリートウッドマック「ホールド・ミー」の懐かしいビデオが流れました。

僕が初めて自分の小遣いで買ったレコードは、このフリートウッドマックの名盤「噂」Rumoursだったんです。

正確には、1976年当時は自由に使える機械はラジオカセットだけだったのでカセットテープを買いました。LPレコードが2500円になる直前の2300円でした。その後、LPレコードでも買い換えましたし、CDの時代になったら割りと早く買い換えてしまいました。更に、最近出た、アウトテイクが多く入ったリマスター盤も買ってしまいましたから、同じものに最も金をつぎ込んでいて、ひょっとしたら今までで最も聴いたレコードかもしれません。「無人島への一枚」になるかな?

Fleetwood_mac_rumors_classic_albums そして更に、名盤が作られた裏側のドキュメンタリーシリーズで、この「噂」を扱ったDVDも手に入れました。

克也さんも、このグループは全盛期当時から、メンバー同士が結婚したり離婚したり、マネージメントや所属事務所もグループで一つではなくメンバーごとにばらばら、こんなグループは長続きするわけがない、とおっしゃっていましたが。

76年から77年にかけて、アメリカのLPチャートで半年以上1位を譲らなかった名盤で、シングルヒットも多く出て、ヒットチャートマニアになり立てだった僕は、これは永遠に続くんじゃないか、なんて思っていたほどです。

でもその名盤の制作の背景は、実はむちゃくちゃだったんだとわかって、少年時代の夢が崩れた気分でした。収録された曲全ては当時の自分たちのことを歌っている、なんていわれて、改めて聴き直してみると、納得してしまうのですが、やはりやるせないです。

            Stevie_nicks_bella_donna 録音当時、グループ内の二組のカップルが危機的状態。事実婚だLindsay_buckingham_law_and_order_1 ったリンジー・バッキンガムとスティーヴィー・ニックスは割りとドライで、破局後も仕事上のパートナーとして曲作りやコーラスワークを一緒にやる。スティーヴィー作Dreamsも、リンジー作 Go Your Own Wayも、互いに自由がほしいのね、好きな道を歩もう、というエール交換だった。ところがスティーヴィーは、曲作りやツアーのプレッシャーで精神的に参っていて、80年代半ばまで麻薬に手を出していたという。Gold Dust Womanはそれで得られる覚醒状態の歌だった。

Christine_mcvie_in_the_meantime これに対してドロドロだったのがジョン・マクヴィーとクリスティン・マクヴィー。ジョンは現在なおクリスティンに未練たらたらのようだ。ところが、この時期にはっきりクリスティンから三行半をつきつけられてどん底状態、音楽に逃げるしかなかった。更にところが、クリスティン作 You Make Loving Funは、当時の彼女の不倫相手を歌った曲だった。相手はツアーの照明監督で共通の友人だった。そんな曲でベースを弾かされるジョンの心境はどんなものだったのだろう。

当時、クリスティンとスティーヴィーは女同士でアパートで共同生活をしていたが、ある日、泥酔したジョンが、クリスティンの名前を大声で叫びながらドアの外までやってきた。二人は門前払いをしたという。

これだけばらばらになりかけていたメンバーで、お互いが愛せなくなっていても、絶対切れない鎖で縛られ続ける(The Chain,メンバー全員参加での作曲)。

クリントン前大統領が、最も好きな曲ということでキャンペーンソングにもした クリスティン作Don’t Stopも、内容は前向きだが、こんな状況の中、何とかやっていこうよ、というメッセージだとしたら、それほどポジティヴに聞こえてこない。

アルバムタイトル「噂」はジョンのアイディアで、今自分たちを取り巻いている話は、単なる「噂」であってほしい、本当であってほしくない、という意味がこめられていたという。

子供のころラジオから流れてわくわくして聴いたポップな曲の数々には、こんな物語があったのでした。

Fleetwood_mac_say_you_will 3年前、クリスティン抜きの4人で再結成し、Peacemakerで、アメリカンミュージックアワードも受賞しました。また次回作の計画もあるとか。

長続きしそうもないバンドで、確かに何度も活動停止をしましたが、他のベテラングループがいろいろな理由で新メンバーを加入させて存続を図る中、いまだに全盛期に近いメンバーで活動できています。商売のため割り切ってできるということなんでしょうが、それはそれでいいのかもしれない、と思えてきました。

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2005年9月14日 (水)

Landslide

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  日曜深夜、月曜早朝は毎週夜更かしします。アメリカでは日曜の午前にあたり、懐かしいケーシー・ケーサムのカウントダウン番組がストリーミングで聴けるからなんですけど、911日の深夜ばかりは、選挙結果速報番組を最後の一議席が決まるまで見守ってしまいました。自民の大勝は想定範囲内でしたけどその勝ち具合は範囲外だった。克也さんは、独占は腐敗につながるからだめ、選挙ではナンバー2を応援したいとおっしゃっていましたけど、小選挙区制とはそのナンバー2以下をばっさり切り捨ててしまう制度なので、克也さんみたいな、判官贔屓的な感情の介入を許す余地がない。実際の支持者は自民と民主が5対3くらいかもしれないのに選挙結果はあのようになってしまうし、また別の見方をすれば本当に小選挙区制になじむ二大政党制とは5対3ではだめで支持層や支持地域がある程度分離している1対1に近いものでなければ機能しない、そんなことがはっきりわかった選挙結果だったのではないか、なんて思っています。

 あと、9月11日といえばやっぱり、あの日、でしたのでそれに引っ掛けた報道もいっぱいあって、陳腐ですけど僕もそうしようと思います。1973911日、チリでピノチェト将軍がクーデター、なんてのもあるんですけど。

911はアメリカでは緊急事態を知らせる電話番号で、それが偶然にも日付に一致していたので憶えやすく象徴として広まったところがあるんですけど、日本では警察が110番、消防救急が119番、なぜ似ているんでしょう?これはダイヤルフォンの場合、9や0はダイヤルがすぐ巻き戻るからすばやくかけられて、これに1、つまり一番遠くて巻き戻るのに時間のかかる数字を入れて、その巻き戻りの時間で落ち着きを取り戻してほしい、ということなんだそうです。プッシュフォンの時代には全く意味がないんですね。

 そして洋楽絡みでいうと、911日はSTYXのギタリストTommy Shawの誕生日。克也さんもおっしゃっていましたし、僕も実は彼と話したことがあるんですけど、背が異様に低くてはにかみ屋でかわいい感じがする。そんな彼も52歳。彼も自分の誕生日に責任を感じているようで(どんな責任じゃ?)、同時多発テロ事件の犠牲者の家族への義援金募集活動に熱心で、またその延長で今回のハリケーンカトリーナの被害者救済の義援活動も早速始めており、やっぱりストリーミングで彼が生声で募金を呼びかけるメッセージを聞きました。 

B000002pc601_sclzzzzzzz__3  今回のタイトルはまた選挙の話に戻るんですけど、地すべり的勝利、というのはlandslideですが、これは最近ではDixie ChicksFleetwood Macの曲をカバーしてヒットになったことで知られるようになった曲。また、オリビア・ニュートン・ジョンの、「フィジカル」の次の次のシングルカットの曲がやはりLandslideで、これはそれとは同名異曲でした。

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2005年8月25日 (木)

(I wanna be) Elected!

衆議院の解散以来、ワイドショーでも「刺客候補」とか「〇〇劇場」とか、選挙に関する話題がかなりの時間を占めるくらい、日本では選挙が熱い!これだけ政治がショー化すれば関心も上がり投票率も上がるのでは。でも、政府案が否決されたのなら内閣総辞職が筋だと思うのに、否決してない衆議院が解散、その権限を行使した首相は、自分の政党の勝利予測に薄ら笑いを浮かべている確信犯、何かおかしいと感じるのは私だけでしょうか。

B0000025uw01_sclzzzzzzz__1 今週のZIP HOT 100でもオープニングで選挙と音楽の話題が。その平成のワンマン首相はプレスリーのボックスCDのライナーに寄稿するくらいですから音楽好きは認めますが、本当にX-JAPANを自分の意思で聴くほど好きなんでしょうかねえ。どうも胡散臭さを感じてしまいます。でも、プレスリーやレノンが亡くなったときに声明を出したカーター大統領を子供心に羨ましく思っていた自分としては、総理大臣のタイプが変わっていくのも悪いことではないなと思っています。福田や大平や鈴木が、ポップアーティストが死去したとして何かコメントを出すなんて考えられませんでしたから。

B00000dchg01_sclzzzzzzz__1 B000002qhf01_sclzzzzzzz__1 克也さんも言ってましたけど、アメリカで同じくらい胡散臭かったのはレーガン大統領。84年の選挙でBruce Springsteen “Born in the USA”を、曲の内容はナショナリズムを鼓舞するものではないのにサビの部分を演出に使った。またボス自身は民主党支持者なのでレーガンが使ったことに腹を立てたとのこと。ボスは去年の選挙でも接戦が予想されていたオハイオ州クリーヴランドでケリー候補が遊説した際、一緒に壇上に上がったようです。他にレーガン大統領は、Billy Joel “Leave a Tender Moment Alone”(この穏やかな時間を続けようよ)やLee Greenwood (Bette Midler “Wind Beneath My Wings”なんかの作者)”God Bless the USA”なんか当時のヒットを使っていたちゃっかり者でした。”God Bless the

911テロ事件のあとも相当ラジオで流れたようです。

B000002kgt01_sclzzzzzzz__1 クリントンはFleetwood Mac ”Don’t Stop”。「明日のことを考えるのをやめないで、きっと今日より良い日だよ」といういかにもの前向きソング。ちょうど92年選挙時に発売になった彼らのボックスセットの売り上げにも貢献し、結局は彼らの再結成のきっかけにもなりました。商売商売。

そして去年のブッシュ大統領はOrleans “Still the One”を使っていました。”Dance with Me” と並ぶ彼らの76年のヒット曲。”Still the one who I love to trust, still the one that I can't get enough"(あんたは今でも信頼できて飽きないただ一人の人)とか "Still the one who can scratch my itch, still the one that I wouldn’t switch”(あんたは私のかゆいところに手が届いて、私が浮気できないただ一人の人)とか、なるほど、再選を目指すキャンペーンにはぴったりの内容でした。B000002h7x01_sclzzzzzzz__3

Defb4310fca0309b91f37010l_1 今回のタイトル、(I Wanna Be) Elected! Alice Cooper72年選挙に合わせたヒット曲。邦題「アリスは大統領」。そういえば、この曲も入っているワーナーパイオニアのホットメニュー73という二枚組のプロモ用LP、当然非売品、があって、その曲紹介をしていたのが、クレジットはされていないけどどう聴いても克也さんの声でした。憶えてますか?まだ残ってるかなあ。

USA

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